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【2008年2月18日 ブログ「思考世界」過去記事より転載】
地上における人間以外の諸事物も変化していく。その変化の仕方も、人類の進化と無関係ではない。第七文化期が終わる頃、地球の状況が根本的に変化するであろう。その変化は、アトランティス期から後アトランティス期への過程で生じた大変動に匹敵するものとなろう。そしてそのあとに生じる新しい地球は、再び七つの時期を辿って進化していくであろう。その時期に受肉する人間の魂は、アトランティス人が低次の段階で体験した霊界との共同生活を、より高次の段階で体験するであろう。 前回、
「第六文化期における使命は、ただ漠然と『霊界』や『霊感』を話題にするのではなく、その背後における法則性をも理解するに至ることにあるのではないか」と書きました。そして、その為には
その期を生きる人々、全員の自覚が必要になってくるのではないかとも述べました。今回は、そこから先の部分――「第六文化期を経た後、第七文化期以降に起こる事象」についての考察を深めたいと思います。
その前に――。
もう一度ここで復習、およびまとめをしておきましょう。
「第六文化期」――これは、シュタイナーがまとめた地球における「時代分け」のようなものです。 正確に言えば、現在は
地球紀の第六文化期ということになりますが、この「地球紀」というのが
大見出しで、「第六文化期」というのが
小見出しのようなものとお考えください。
この「地球紀」というのは、
永い地球の歴史における「第四段階目の進化」にあたります。地球紀に至るまでには「土星紀・太陽紀・月紀」があります。
(※注 ここでいう土星、太陽、月というのを、実際の惑星と混同して考えないようにしてください。厳密に言えば完全に関係ないわけではないのですが、今ここでそれを説明するとややこしいことになるので、今の段階では「地球の霊的進化過程を、便宜上土星や太陽で象徴したのだ」とお考え下さい。) 土星紀における目標は「鉱物の完成」でした。太陽紀は「エーテル体」、月紀は「アストラル体」、そして現在の地球紀では
「自我の完成」が目標となっています。
これらはすべて、人間の本質に対応しています。そうなると、地球紀において自我の完成を成した霊の次なる目標は(霊的進化の過程に準えて考えれば)「アストラル体を霊我に育成すること」であり、その次は「エーテル体を生命霊に育成すること」、その次は「肉体を霊人へと育成すること」と進化形態が続いていきます。そして、その進化に対応するように時代は「木星紀」「金星紀」「ヴルカン紀」へと続きます。
さて、大きな時代の区切りはこの辺にして――次に「第六文化期」における説明ですが、これはここで何度も言っているように
超感覚的認識内容(霊感)を知性と感情でもって理解する時代ということになります。
その前の第五文化期は、
自ら生みだした文明により、人類が自立を推し進める時代――いわば、自我の育成の時代でした。(シュタイナーが1910年代に「今は第六文化期の夜明けにある」と言っているので、現代はすでに第六文化期に入っていると考えられる――ということを、再度付け足しておきます。)
先程「土星紀から現代の地球紀に至る流れ」を説明した為、
何故、第六文化期が重要な節目になるのかが、何となくでもおわかり頂けたのではないかと思います。
要は、第七文化期が終わると同時に「自我の完成」を目標にしていた地球紀そのものが終わりを告げ、
新たな木星紀へと移行していくからです。
シュタイナーの言う
「第七文化期が終わる頃、地球の状況が根本的に変化する」という、この変化に、応じられるだけの「進化」が、要求されるからです。
では、ここでいう「進化」というのは具体的にどういうことを指しているのでしょう。
これはここでも再三書かせて頂いた「物質世界と霊的世界の融合」――要は、
物質世界の自我を持ったまま霊的世界の価値観を認識し、かつ、霊的世界の自覚を持った状態で、物質世界を生きるということが、次なる「進化」へのステップとなるわけです。
ここまで来ると、一般的概念では多少理解し難い分野です。しかし、それは「今現状における科学的知識」では理解出来ないだけであって、時代が進めばそれさえも解決する術が出てくる可能性は高いのです。
喩えて言えば――現在、聴覚が感じ取る「音」というのが、「波の振動」により伝わるということを疑う人は誰もいません。しかし、それを物理学的に解明するまでは、音は「ただ聞こえる」ということでしか理解されていなかったことでしょう。
「音は、何で聞こえるの?」と質問されたとしたら、誰しもが「それは空気の振動を耳の鼓膜が感じ取って――」と説明出来ます。しかし、そう解明する前の時代に生きた人々であれば、その質問に「バカヤロウ! 『音は鳴るから、聞こえるんだよ』!」などと、返答したかもしれません。
また、星空を見上げた際、目に見える星々の光がそれぞれ「異なる時に放った光」であるなどと、昔の人は考えたでしょうか? 私達は普通に、遠くに輝く星の光が「今光っている光ではなく、数十万年前に光ったものが今、この地球に届いている」という考えを受け入れられます。また、どんなに近くにあるよう見える星でも、実際は数百万光年離れているかもしれず、同じように「今」という瞬間に輝く星の光が、それぞれ「違う年数をかけて地上に届いている」ということも自ずと理解出来ます。
しかし、そうした天文学的知識が浸透しない時代の人々であれば、「馬鹿者。星の輝きは『今、この瞬間』同時に輝いてるんだ」と、そう言ったに違いありません。かつては想像を絶するような出来事も、時代を経れば「当たり前」になることなんて、事象には多々あります。
人間に与えられた謎は、時代を経るにつれ解明されます。とはいえ、これだけ科学文明が発達したと思われるこの時代においても、まだまだ残された謎はあります。そして、私がここで書く「霊学」――スピリチュアルでも神秘学でも、呼び方は様々であれ――も、その残された謎のひとつでしょう。
しかし、それさえもが時代の変化と共に「解明」されるかもしれないのです。
シュタイナーが言っていた「物質世界と霊的価値観の融合」は、まさしくそのことも示唆しています。そして、
アトランティス人が低次の段階で体験した霊界との共同生活を、より高次の段階で体験するであろうというこの文言は、まさしく
物質世界で自我を取り戻した人類が、再び霊界に戻った状況を指し示しているのです。
シュタイナーは、この第六文化期における学びとして、
感情面と知性における霊界(超感覚的世界)の認識と、要素を「感情面」と「知性」に分けて挙げています。
知性における、というのは科学的解明などが考えられるでしょう。また、シュタイナーが構築した
人智学(アントロポゾフィー)における研究を深めることも、知性を通じた「霊界(超感覚的世界)の認識と言えます。
では、「感情面」というのは、具体的にどういったことを示唆しているのでしょうか――。
少し話は逸れますが。
昨日、横浜ワールドポーターズで開かれた「すぴこん」に行ってきました。
今となっては、スピリチュアルに関わる人なら誰でも知っている「すぴこん」ですが、実は私、生まれて始めて行きました(笑)←とにもかくにも人混みが大の苦手故、こういうイベントものは「超苦手!」なのです……。それも、私がふとしたことから協力することになった「スピリチュアル&ヒーリング」グループがこのすぴこんに参加していたので、その絡みで行って来たという、ごくごく消極的な理由による参加でした(笑)。
一体、どんな感じのイベントなのか――行ってみるまで、まるで想像つきませんでした。神秘的な雰囲気のヴェールとか、結界混じりのロープが張られていたりというのがあるのかと思いきや――全然「普通」でした(笑)。
かつて私がそういった神秘思想を研究していた時は、それこそ「闇を背負ったような雰囲気で、全身黒ずくめの人」や、「私は特別なのよ」といった優越思想で自分を満たしたがるような人も多くいたものですが、今やもうオカルティズムもスピリチュアルも「一般的な日常」に降りてきているのだなという印象を強く持ちました。お客さんもみな雰囲気の良い方ばかりでしたし、出展者の方もニコニコとしている方が多く、スピリチュアルというのが「決して日常からかけ離れたものではない」というのをイベントに参加することで再認識させられた次第です。
あちこちのブースを拝見していて思ったのは――「これこそ、感情面でのアプローチだな」と、ひとえにそのことでした。
それは、こういったイベントの存在こそが
人々が、感情面における癒しとしてのスピリチュアル――所謂霊学や神秘学を求めている証明に他ならないのではないか、そんなふうに思ったのです。
感情面での働きかけというのは、思いの外「大きい」です。
理念や理性よりも、「ハート」で感じたものというのは、その人の人生に大きな波紋を投げかけます。人は「理論で受け取ったもの」よりも、「ハートで受け取ったもの」の方を「他人に伝えたい」という衝動に駆られるからです。
世の中は、「知性」だけでは変えられない――。
知性はあくまで「基盤」でしかなく、本当にそれを変える原動力は「慈愛」に他ならない――。
私はそのことを、ここ最近痛感しています。
勿論、知性は無視出来ません。知性の基盤がなければ、せっかくの慈愛はただの根無し草となってしまい、「慈愛」なのか「ただいい人ぶりたいだけ」なのか、その人の判断を曇らせてしまうからです。
三回に渡って連載した「第六文化期における使命」についてですが、「超感覚的世界の認識を、知性と感情でもって受け入れ」、この両輪のバランスをとっていくこと――そして、そうした中で「人間の背後にある法則性」を理解し、次なる時代に向けて準備をしていく。これが、「第六文化期の使命」とまとめることが出来るでしょう。
霊的分野において、時代はまだまだ黎明期です。それどころか、今は「知性の霊学」と「感情のスピリチュアル」が多少「分離」してしまっているような印象を受けます。
この両者が互いにバランスを取りながら、時代の両輪となって進んでいく――このことが、この第六文化期には必要不可欠なのだと、そう私は確信しています。
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(2009年8月26日時点における追記)この記事を書いたのは1年半ほど前ですが、たった「18ヶ月」という間で、スピリチュアルにおける背景は大きく変貌しました。
転載記事の中では「感情面におけるスピリチュアリティの発達は望ましい」と書いておりますが、現状のスピリチュアル分野においてはこうした「感情面におけるアプローチ」ばかりが先行し、知性における考察がまったくと言っていい程「蔑ろ」にされています。
正直言って、これではこの記事にあるようなシュタイナーの目指す「自我の確立には至れない」――私はそう危惧しております。
この記事を読んだだけでも、「どれだけ私達が『流れの速い時間』に浸されているのか」を実感して頂けることと思います。
「自分」という軸がなければ、まるで滝壺が近づくかの如く速まる時間の中で、私達は「我を見失うだけ」です。
ひとりでも多くの方が見かけだけの情報を鵜呑みにせず、自己で咀嚼し、「自分の知恵」に一歩でも近づけるよう努力して頂くことを、願ってやまない昨今です。
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(1)アセンション情報における不思議な符合 (1)第六文化期における使命(2)第六文化期における使命 ※多くの方に、アセンション・ブームとしてではなく「真剣な目で地球人類の進化」に意識を向けて欲しいと願っています。ひとりでも多くの方に読んで頂けるよう、以下のクリックにご協力をお願いいたします。

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大変、興味深く読ませていただきました
私自身としてはまだまだ穴だらけの状態でまともに意見する事すら出来ませんが…
今回、これを読んでますます深く、もっと深くその知識を得たい、勉強したい!と率直に心が感じました
これからも楽しみ?にしています
勉強させて下さい
初めまして、篠崎です。
コメント、ありがとうございます。今回一連でUPした内容は、ルドルフ・シュタイナーの神秘学概論を元にしたものですので、初見だと難解な部分もあったことと存じます。にも関わらずお読み頂き、このようにコメントして頂いたこと、誠に感謝致します。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。何かご質問などございましたら、お気軽にお寄せくださいませ。
【追伸】あくまで私の憶測でしかないのですが――もしかして、あさひさんのところでお見受けする「そら様」ではありませんか? ……って全くの人違いでしたら、ご無礼お許しください;