情報多様化の中、何を信じればいいのか

 昨日「メインサイト」にて公開した「エハン・デラヴィ氏の取材記事」、色々な方から感想をいただき、誠に感謝しております。結構辛辣に「現存スピリチュアル」を批判しているので、個人的には批判がいっぱいくるのではないかと「ドキドキ」でしたが、でも、「私自身が同じ立場」なので「批判がきても、『反論するのみ』」って感じではありますが(笑)。←大学時代、よくディベートに参加していたので、反論は慣れているし、かなり打たれ強いです。

 ……ンが、しかし。
 肉体の疲労には弱い篠崎――(爆)。
 今日たっぷり寝た割にはどうも疲れが取れておらず(というか、こなす仕事が多すぎるのと「完全にお休みな日」がないからですね。もう二ヶ月間は「休日」がありません)、今日も少し早めに休みたいな~って思ってます(といっても、すでに22時ですが――)。

 そんなわけで……今日も過去記事。
 1月31日に掲載された記事からの抜粋ですが(何度も言っておりますように)、当時は「アセンション否定派」だったので、頭から「そンなのナンセンス!」って言ってます。そこだけは、かなり大きく変わった点ではありますが――その他の部分については……まったく私の考えって「変わってないんだなぁ」ってつくづく思いました(苦笑)。

 まぁ、それが私にとって「自分の軸」であり、「信念である」ということなのでしょう――。

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2008年1月31日 過去ブログ「思考世界」より転載

情報多様化の中、何を信じればいいのか

 最近、本当にこれでもかというぐらい「スピリチュアル」に関する情報があちこちに溢れまくっています。
 もっとも、シュタイナーの言う「第六文化期」の目的を考えるに、至極当然のことと思えます(※先日、本を読み進めていく中で「今はすでに、第六文化期に入っているかもしれない」と思ったのですが、実際「神秘額概論」の中でシュタイナーも「現在、第六文化期の夜明けにあたり――」と言っているところを見ると((その頃が1900年代初頭))やはり今は第六文化期に入っていると思われます。あくまで推測ですが、おそらくは第二次世界大戦後、アメリカにニューエイジが発祥したあたりに、その境があるような気がします)。

 第六文化期における目的は、ここでも何度か書きましたが「超感覚的認識内容を、知性と感情で理解すること」にあります。いわば物質的価値観と霊的価値観の融合ともいうべきものであり、二元論として対立していた両者が「一元論」に戻ることに目的を定めています。

 その後、第七文化期末に訪れる大きな変容に向けて、第六文化期ではこの目的を達成せねばならない――そう概論には書かれています。

 もっとも、それはシュタイナー論に限られたことではなく、世界全体を包む「思想の流れ」として考えても、ごく当たり前のことと言えるでしょう。
 産業革命後に訪れた「唯物的価値観」に行き詰まりを感じた人類が次に求めるのは、「その背後にある法則性」であっても不思議ではありません。その上、それが平易な「宗教性」や「神への信仰」として戻るのではなく、新たな概念の誕生として成立するだろうことは、想像に難くありません。
 だからこそ、今は既存宗教への回帰ではなく、新たな思想基盤であるスピリチュアルや霊学が注目されているのでしょう。

 とはいえ――今はまだ「黎明期」です。
 このスピリチュアルに関わる「情報の氾濫」も、黎明期の特徴と言えるでしょう。
 もっとも、私自身はこの状況に対して悲観視はしておらず、むしろ「次なるステップに進む為には、必要な段階である」と、そう見ています。
 ただ、そう気楽に構えてばかりいられない側面もあります。
 ここでも何度か書いたように、目に見えない世界――スピリチュアルの世界は、時折「思考の逸脱」を起こしてしまう危険があるからです。
 そうならない為に必要なのは、何よりも自分自身の考察力です。そうでなければ、ただ情報に踊らされ、スピリチュアルや霊学にとってもっとも大切な「霊我の育成」が損なわれてしまうからです。

 人は、何かと言えば「新たな事実」に翻弄されがちです。
 例えば、今まで歴史的に伝えられてきたことが、「実は違って、○○だった」というのが判明したとしましょう。多くの人は、その新たな発見が真実なのかどうかの検証をする前に「新たな事実」だけを真実として、鵜呑みにしてしまいます。
 事件においてもそうです。「真相は○○だった」とされれば、それが本当に正しいのか背後を調べることもなく、「そうか、そうだったのか」と呑み込んでしまう。
 人は何故か「後から発見されたものの方が、信憑性が高い」と思い込む癖があるのです。
 しかし、それは危険な錯覚です。確かに、それが真実である可能性も否定はしません。しかし、「検証の余地がある」ということさえも念頭から外してしまったら、それこそ真理から外れてしまいかねません。

 昨今のスピリチュアリストは、この錯覚に陥っている人も多々見受けられます。
 「新たな真実を信じるな!」と言っているのではありません。「それを視野に入れながらも、検証の余地があることを念頭に措いた方がいい」ということです。そうでないと、次から次へと覆される「真実」という言葉に、結果翻弄されてしまいかねないからです。
 勿論、検証といったって歴史学者でもなければ考古学者でもない、社会学者でもなければ名探偵でもないのに、「どうやってすればいいのさ!」と思われるのは当然です。
 ここでいう検証というのは、「真実を突き止めろ」というのではなく、「慎重になる」ことを指摘しているだけです。
 そして、その「慎重さ」を産みだしてくれるもの――それこそが「思考力」なのです。

 先程「第六文化期」の目的について書きましたが、こうした新たな進化の為に必要なのは、何よりも個々人の自主性です。
 要は、「どんなに情報が溢れていても、自分にとって『何が正しいのか』を見極められる目を育てる」ということです。
 ここでポイントなのは、「自分にとって『何が正しいのか』」ということです。他の誰も、その基軸にはなっていません。神を基軸にもしていなければ、宗教を基軸にしているわけでもなく、先生を基軸にしてるわけでも、友達を基軸にしてるわけでも、三軒隣の小母さんを基軸にしているわけでもありません。

 あくまで、「自分自身」です。

 スピリチュアルや霊学を前にして必要なのは、こうした自分の信じる道は、自己で責任を持つという姿勢である――私はそう、考えている次第です。

 最近、どこもかしこも「アセンション」で、このブログにも「アセンション」の検索ワードで来る方が大勢います。
 私は、シュタイナーの唱える第七文化期末(あと数千年先)の変容を指示し、「2012年にアセンションは起こらない派」なので、来て頂いた方は「期待外れでごめんなさい」って感じですが――(笑)。
 正直言って、私にとってそれが起こるか起こらないかは、「些細な問題」でしかないのです。
 しかし、中には「どうすればアセンション出来るだろう」「アセンションに乗り遅れない為には、どうすればいいのだろう」と真剣に考えている方も大勢いるだろうと思われます。
 そういった方達に私が唯一言いたいことは、「仮に(仮に、ね)何もなかったとしても、それで落胆しないように」ということです。
 このアセンション・ブームにも、私は「霊的な意味がある」と思っています。そこに何かしらの目的が存在するから、これだけ注目されているのでしょう。だから、それが「事実ある、ない」といった短絡的な二元論に「陥って欲しくない」――そう願っています。

 こんな話があります。
 「南無阿弥陀仏」を唱えると極楽浄土に行ける――と唱え続けた親鸞は、弟子からこのように聞かれたそうです。
「もし、それで本当に極楽に行けなかったら、どうするのですか?」
 その問いに、親鸞はこう答えたそうです。

「それなら、地獄に行くまでよ」

 この答え、私は非常に親鸞らしく――また、物質世界で暗中模索の中霊的真理を探ろうとする私達へのメッセージでもあると、そう思っています。
 親鸞のこの姿勢は、「盲信」ではありません。
 もし親鸞が「盲信」していたとしたら、弟子の問いに「そんなはずはない! 極楽は必ずある! 何を言っとるのか!」そう怒ったに違いないでしょうから。

 しかし、親鸞は「なかったら、地獄に行く」――その可能性を視野に入れつつも、自分の教えの「責任」を自分に担う勇気も持っていたのです。
 それこそが、自分の思考力を信じることであり、かつ思考した結果に責任を持つということでしょう。
 私達がこれから第六文化期を生きるにあたって必要な姿勢――それは、この親鸞の言葉に集約されていると、私はそう感じている次第です。

━━━━━━━━━━━(過去記事転載・以上)━━━━━━━━━━━━━━


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【3】「何」が世界を狂わせたのか―自由―

 昨日、たまたまテレビをつけたらNHKの「クローズアップ現代」が放映されていました。取り上げられていたのは「ドイツ」。ベルリンの壁崩壊後についての放映でした。

 ベルリンの壁が崩壊したあの日の映像を、未だに憶えている方も多いのではないでしょうか。私はその時19歳でしたが、それでも非常に印象的な場面でした。「世界が今、大きく変わった」――そう実感せずに、いられなかった程です。
 十代~二十代の方には、それがどれほどのことかあまりピンとは来ないかもしれません。
 ひとつの国を妨げる壁というのは、すごく「大きな意味」があったのです。例えば今、「韓国」と「北朝鮮」がひとつになったら――驚くでしょう? それぐらいの重さがあったのです。
 壁の撤去後は、壁の破片を記念に持ち帰る人も大勢いました。「新時代の幕開け」――誰もがそう思いました。時代はちょうど、ソ連でゴルバチョフ元大統領が「ペレストロイカ」を唱えていた頃でした。冷戦が幕を閉じ、新たなる時代が到来する――そう感じた人も多かったに違いありません。

 しかし、現状はどうやら「異なっていた」ようです。

 番組の中で、「元東ドイツ」の人々の生活が放映されました。確かに、彼らは見た目普通の人々のようでした。しかし、実際には「西ドイツ」との統合により、資本主義という競争システムが押し寄せたが為に東ドイツで倒産した会社は少なくなく、西ドイツと東ドイツにおける「格差」は言いようのないものでした。
 元東ドイツの大人達は、「かつての生活の方が良かった」と言う人も増えてきて、それを子供達にそのまま伝えている為に、「東ドイツが共産主義国家だったことを知らない子供」が50%近くにのぼるそうです。
 また逆に、連帯税(東ドイツの人々の生活を維持する為の税)の負担をなくして欲しいと望む元西ドイツの人々の声は7割にあがっているとか。
 勿論、そうした「悪い面」ばかりではないはずです。ドイツが統一したことで、自由を満喫し、「壁がなくなって良かった!」そう思っている人達もいることでしょう。しかし、「すべてがすべて、そうではない」ということを、私達は学ばなければならない――そうも思いました。

 自由とは、一体「何」なのでしょうね?

 私は小学五年生の時、「自由と責任」という作文を書いて、表彰されたことがありました。
 その内容は、「自由というのは決して『何をしてもいい』というものではなく、『自己責任』においての範囲で行われるべきものだ」というものでした。
 東ドイツの人達は、共産主義という「国家システム」にまったく依存してしまっていたのでしょう。元東ドイツの少年が言った言葉は、とても印象的でした。

「東ドイツの方がいい国だよ。だって、仕事がなければ、国が探してくれたもの」

 自由って、「何でもかんでも、手放しで生きられる」という意味ではありません。「自己責任」においてなされるべきものなのです。その辺りの覚悟が、元東ドイツ国民の人達にも、必要だったのかもしれません。
 「ベルリンの壁崩壊」は、民衆の力によって引き起こされたに近い状態でした。それは、抑圧されてきた人々が「自由」を求めて革命を起こすのに近い構図を感じさせます。
 しかし、そこにあったのは「自由を求める力だけ」で――残念ながら、その先の「未来の青写真」というのは、なかったのかもしれません(私が繰り返し、「アセンションが目的なのではなく、『その先の未来を想像し、創造へと至ることが必要なんだ!』と叫ぶ理由」を、この例からも実感して頂けると思われます。)

 自由は、「自己責任」によって行われるものです。勿論、だからといって国や共同体が「完全に、個人を無視していい」というわけではありません。
 しかし、今の国家はこの「自己責任」という言葉を不用意に使い、「自己責任がとれる程の生活水準に達していない者」までを、突き放します。(九州で、生活保護を受けられなくてなかばホームレス状態を強いられた男性が「行方不明」になった事件は、まさにその典型ですね。その後の続報はいっさいありません。マスコミが興味なくて報道しないのか、はたまた、どこかでそれを報道しないよう抑えているのか――私には分かりませんが。)

 何故、三次元ではこうも極論から極論に走ってしまうのでしょうか。
 自由とは「責任」において行うべき行為ではあるものの、
 だからといって、共同体が「完全に放棄」していいわけではないのに、
 どちらか一方に、必ず偏ってしまう。

 もし「ベルリンの壁」を壊すのであれば、せめて数年前から「自己尊厳」「自己責任」ということについて、多くの人に意識を伝えるべきだったのだろうと私は思います。
 「これから、壁を壊しますよ。そうすると、今まで国を頼ればいいと思っていたシステムはすべて覆り、自らの意識で生きなければなりません。その準備を、今から始めなくっちゃ駄目ですよ」と。
 そういう心の準備があれば、もっと違ったのではないでしょうか(とはいえ、人間とは身勝手な生き物だから、その場では「早く自由にしてくれ」という思いばかりが先に立ち、警告なんて耳を貸さないかもしれませんね。だからこそ、民衆の力でそれを撤去した)。
 それは感動的な場面でした。
 でも、本当に必要なのは「自分たちの意識」なのです。
 自由を得た後に、今度は「何をするのか」。
 その青写真が出来てないうちに「自由になった」ところで、何の意味もないのです。

 ふと、「映画マトリックス」に出てきた「サイファ」を思い出しました。
 皆さんは、映画マトリックスを観たことがありますでしょうか? 私は映画が大好きなのですが、あの映画はちょっと暴力的なところ(私は銃の乱射というのが、どうしても苦手なので)があるので「すごく好き」というわけではないものの――それでも、2作目の「リローテッド」や3作目の「レボリューション」は三次元システムに関連する部分がとても多いので、何度か繰り返し観ています。
 この映画は、「マトリックス」という仮想世界に繋がれた人々の中から、自発的に目覚めた人達が「本当の自由」を勝ち取ろうとして闘っている、という内容です。
 しかしとても教訓深いのは――「望んでマトリックスを出たにも関わらず、それを後悔し、再びマトリックスに戻りたいと願う人もいた」ということです。
 それが、「サイファ」です。(1作目)
 彼は、マトリックスを出たことを悔いて、「マトリックスに戻らせてもらう」ことを条件に、自分の仲間を裏切ります。その彼が言った言葉が、とても印象的でした。

「『無知』は幸福だ」

 システムに依存していた者にとって、自覚的意志と自律心を持つのはとても辛いことなのかもしれません。それは、「使ってない筋肉を使う感覚」に近いのかもしれない。
 仮にそれで言うなら――日本人は、決して元東ドイツの人達を他人事として笑えないでしょう。私達は決して、自立した生活を送っているわけではありません。勿論、アメリカもそうです。いえ――今の世界で「自立している」と言えるのは……世界から発見されていないシャーマニズムの文化ぐらいなものでしょう。
 ほとんどの国が、「初めから構築されたシステム」に依存して、生きています。それに慣らされ、思考力を弱められ、生きる力を失わさせられる。
 
 それを思った時。
 私は、「アセンションの呼びかけ」というのは、「まさに、そこにあるのではないか」と思わずにいられませんでした。

 私は、資本主義を「いいシステムだ」なんて思ってはいません。それどころか、ダーウィズム的競争論の果てにある弱肉強食の世界だと、そう思っています。
 勝ち組だの負け組だの、そんな二元論に陥るぐらいなら、私は喜んで「負け組」に入ることを選ぶでしょう。
 でも、だからといって、必ずしも「共産主義国家から解放された元東ドイツの人達」に完全に否がないかと言えば――そういうわけではない。彼らは不当な差別や、理不尽な行為を受けたかもしれない。
 しかし、「それを意識で乗り越えること」も可能なのではないかと、そうも思えるのです。

 仮にアセンションがあったとしたら、私達に訪れる「解放」は、共産主義国家からの解放とは比にならないぐらい、大きなもののはずです。
 その時、私達は一体どうなるのでしょう。
 さなぎを脱ぎ捨て、華やかに蝶として舞えるのか、それとも、中途半端な幼虫状態でそのまま朽ち果てるのか――。

 それを選ぶことこそが、「今の私達」に課せられた課題なのかもしれません。
 
【関連記事】
【1】「何」が世界を狂わせたのか―犯罪編― 
【2】「何」が世界を狂わせたのか―仕事編― 
誰が国境を引いたのか 
「法律」のない社会 

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【2】「何」が世界を狂わせたのか―仕事編―

 先日電車に乗っていた際、こんな中吊り広告を見かけました。

「100年に一度の大不況!」

 …………。
 すごく不思議なんですが――「100年に一度」というその根拠って、どこから来たんでしょう?
 100年前と言えば、1909年です。1909年って「明治」ですよ? 大正ロマンの前だし、関東大震災はおろか、第一次世界大戦も第二次世界大戦もまだだというのに。
 大体、日本が「企業社会(就職社会)」になったのなんて、戦後でしょ? たかだか60年そこそこです。それ以前のことまで計算に入れて「大不況」って――誰が一体、比較出来るのかなぁ……と、私は思わず首を傾げてしまいました。
 まぁ、数字の出所はおそらく「アメリカ」で、それを鵜呑みにしたままそう叫んでるだけなのかもしれませんが――。
 こういう言葉を悪戯に叫んで「そうなんだ! 今はそんな不況なんだ! ひゃぁ、リストラにあっちゃう!」なんて恐怖心を煽るのは……如何なものかと、思わず疑問に思ってしまいました。
 そりゃ確かに、景気のいい話は聞きませんが――せっかく警告を煽るなら、「もっと根本的解決策的な煽り方」をして欲しいものです。(皆様。くれぐれもこういった情報に翻弄されないよう、注意しましょうv)

 私の周りでも、「就職」「安定」「雇用」という言葉に惑わされてしまった人達から、あまりいい話は聞きません。大量リストラが起こるとか、あちこち派遣で面接を受けても落とされてしまうとか――。
 今起きているこうした事態というのは、「嵐が過ぎ去るのを待てば、何とかなる」という問題ではないのです。これは明らかに「資本主義形態」であり、「物質を崇拝する姿勢」の根本的なあり方です。こうした「古い社会システム」は今や崩壊しつつあり、「このままでいては駄目なんだよ!」という天からのメッセージなのだと、私には思えるのです。

 もし仮に、このまま資本主義を「維持」させる為に、世界のトップ――或いは、その「黒幕」達が動いたとしたら、次に起こるのは「戦争」か、或いは「大量殺戮」でしょうね。
 しかも、誰も気づかないよう進行する――じわじわと進行させていくでしょう。そうすることで、「どこかに荒稼ぎ」をさせ、スイスにある中央銀行で調整を行い、今まで通りの「支配国家」「被支配国家」のバランスを保とうとする……という可能性は否定出来ません。
 しかし――もし仮にそうなったら……人間は「愚か」としか言いようがありません。
 そこまで人間が愚かじゃないからこそ、今、「こうした資本主義のあり方は間違っている!」「もっと根本的な改革案が必要だ!」そう叫ぶ人達が次から次へと現れているのでしょう(先日取材したエハン・デラヴィ氏は、まさしくその中のひとりです)。

 では、一体「何」が間違っていたのでしょう。
 今回の答えは――明白です。

 私達は、「あまりにも、『形あるものだけ』を信じすぎた」ということ。

 でも、実際は「形あるもの」を信じているわけではありません。その「形の背後にある法則性を『真実だ』と、信じこまされていた」に過ぎないのです。
 先程あげた「100年に一度の大不況」という言葉も、そうですよね。本来、疑う余地はいくらでもあるのに――文字で、しかも「電車の中吊り広告」という目に見える形、宣伝効果の高い形で掲げられていたら、みな無条件にその言葉を「信じてしまいます」。
 確かに、信じたものは「中吊り広告の情報」です。しかし、その背後にある法則性はまったくもって「根拠がない」。そこに気づかず、目に入るもの、形にあるもの、肩書きがあるもの、すべてを信じてしまう――これが、何よりも一番代表的な「私達人類の間違い」なんだと、私にはそう思えるのです。

 メインサイト「地球の未来を創造する」で、第一回目インタビューアとして「J’s批判」中島さんの記事を掲載しました。その中で、中島さんは「今までの権威者が事件まみれだった。最近では、雪印・不二家などの伝統的製造業がね」と語っています。
 これは、「私達がしてきた間違い」における、鋭い指摘です。
 私達はあまりにも「情報を鵜呑み」にしすぎて、自分で考察、思考することを放棄しすぎてしまった。就職すれば「何とかなる」。雇用先があれば「何とかなる」。

 でも、その実体はどうでしょうか?

 皆さんにお尋ねします。
 必死に就職活動して、就職出来たとしましょう。派遣でも、パートでも、何でもいいです。
「ああっ! 私、毎日ここで仕事出来て、ホントに幸せだわっ!」
 そう思える人って、果たしてどれほどいるのでしょうか?

 何の為に、働くのでしょう?
 何の為に、仕事をするのですか?
 お金の為?
 生活の為?

 そもそも、「そこが間違っている」のではないでしょうか?
 私達は「生活の為に『必要』だから」という考え方に拘束され、「本当の意味で『仕事をする』」という目的を、見失っているのではないでしょうか?
 仕事というのは、決して「お金の為」にやるものではなく――「役割の為」にやるものなのだと、私は思えるのです。
 役割というのは、自分の価値観と、生き甲斐と、目標意識「すべてが合致したもの」です。その目的が合致していれば、どんな苦難な道でも「耐えられる」――そのぐらい、意義深いものです。
 役割は、常に「信念」と一致しています。マザーテレサの生き方のように、マンデラが27年間も投獄されるという凄まじい体験をしながらも、自分の信念を決して曲げなかったように、イエス・キリストが「自分の信念」に基づいて、十字架を背負いながらゴルゴタまでの道を歩いたように――彼らは「自分の役割(言ってしまえば使命に近いほどのもの)」を熟知していたからこそ、それがなし得たのではないでしょうか。

 勿論、それは必ずしも「デカいもの」である必要はありません。「私は何故、この仕事をしたいのか」そうした「目的意識」に立ち返ることが大事なのだと、そう思えるのです。
 あてに出来るのは「企業」でもなければ、「肩書き」でもない。
 本当に信じられるのは、自分の信念。自分の目的意識のみです。
 社会の崩壊は、人類にこうした「目的意識に立ち返れ!」そのメッセージを送っているのではないでしょうか?
 システムに支配され、物質に拘束され、ただ子羊のように飼い慣らされた人生を生きるのではなく、「自らの人生を創造しなさい」――そう、メッセージを送っているように思えるのです。
 ある意味これは、昨日書いた「次元を超えた改革案」。人間の通常意識では答えの出せない問題かもしれません。

 ですが、きっと「人類は気づける」――私はそう思います。

 皆さんに、憶えていて頂きたい「素晴らしい言葉」があります。
 「試練は『超えられる者』にしか、与えられない」  
 人類が試練を与えられているとしたら、それは「超えられる」ということを、すでに約束されていることの証なのです。

【関連記事】
【1】「何」が世界を狂わせたのか―犯罪編― 

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【1】「何」が世界を狂わせたのか―犯罪編―

 このブログでも何度も書いてきたことですが――今の時代、誰もが「正しい」という自覚の中で「生きていない」のではないかと、そんなふうに思います。
「何かがおかしい」「何かが、間違っているのでは?」そう感じている人は、多いのではないでしょうか?

 でも、「何が原因」で、「どうすればいいのか」がわからない。

 ただ「反対」することであれば、誰でも出来ます。
「○○、反対~!」。新しい改革案が出れば、矛盾点をついて「反対~!」。
 じゃぁ、それに変わる代替案を出せばいいのに――反対だけして「終わり」。
 そういう人々はきっと、「代替案が出せない」のではなく、「出しても変えられないこと」を知っているのではないか――そんなふうに思う時もあります(ま、中にはただのクレーマーみたいに、闇雲に反対するだけの人もいるかもしれませんが)。

 一体、「何」が世界を、人類を、こんなふうにしたのでしょう?

 以前、「三次元と高次元の差」について記事にしましたが、今回はシリーズとして「三次元の何がおかしいのか」について、掘り下げてみたいと思います。

――――――――――
「何」が世界を狂わせたのか―犯罪編―

 「死刑廃止論」が日本で言われるようになってから、かれこれ10年近く経とうとしています。これについては未だ議論が分かれており、日本の司法における明確な方向性は出されていません。
 しかし、アメリカなどは先んじて死刑廃止について論じており、先日もこのような記事がありました。

 【米で執行失敗 薬物注射2時間で18回】
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091025-00000073-mai-int

 また、中国ではこのような記事もあります。

 【犯罪者に人権なし? 現代版「市中引き回しの刑」】
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091027-00000011-rcdc-cn

 中国の「市中引き回し」については、私の知人が中国に長く留学していた関係で、直接聞いていました。何省に留学していたかは、ちょっと思い出せないのですが――聞いたのはかれこれ10年前の話だったので、「ああ、未だにそうなんだ」と、改めて思った次第です。

 こうした世界的な視点における「罪を犯した人達への対応」というのは、ある種、日本における立場を模索する意味でもすごく重要だと思えるのです。

「じゃぁ、あなたはどちら側の意見なの?」と聞かれたら――はっきり言ってしまえば、「死刑廃止論者」です。
 理由は、「私達人間が、罪を断ずることは出来ない」――罪を断ずるのは、宇宙であり、真理(神)でしかない――そう思うからです。
 私達があえて罪を断ずることをせずとも、必ずや真理はそれを見抜いている。(大体、そんなことを言ったら「時効」によって泣き寝入りした人達の哀しみは、一体どうなるのでしょう? 必ずしも容疑者を逮捕出来ることが、遺族達にとっての哀しみを癒すことに繋がるでしょうか? そうだとしたら、時効でそのままになってしまった遺族ほど、気の毒な方はいないでしょう。)

 勿論、私だって「人の子」です。目の前で愛する者が殺されたら、命を弄ぶように殺されたら、感情が掻き乱され、憎悪に駆られるだろう――そう実感します。只でさえ血の気の多いタイプ故(苦笑)、自分がどうなるかなんて後先考えず、その場で犯人に襲いかかるかもしれません。

 でも――。
 それで相手を殺しても……失われた命は「戻ってこない」のです。

 こんな印象的な記事がありました。掲載は「2008年12月13日 読売新聞」です。
 以下、転載します。

――――――――――――――――――――――
最初は終身刑望んだ母「やっぱり犯人の命をください」  
2008年12月13日7時32分配信

「終身刑を望みます」  
娘を殺害した犯人が逮捕された直後、どんな刑を科してほしいかと捜査官から尋ねられ、久保田博子さん(51)はそう答えた。  

2004年12月12日夜、福岡県飯塚市で一人暮らしをしていた三女の奈々さん(当時18歳)が、アパートへ帰る途中、近くの公園に引きずり込まれ、絞殺された。翌日、離島の的山(あづち)大島(長崎県平戸市)から駆けつけた博子さんと夫の寿(ひさし)さん(52)が対面したのは、今まで見たこともない、苦しげな顔をした奈々さんだった。
 3か月後、土木作業員の鈴木泰徳被告(39)が強盗殺人容疑などで逮捕され、わずか1か月余りの間に福岡県内で奈々さんら3人の女性を殺害したと自供した。
「死刑は当然」と寿さんは考えていた。しかし、博子さんはそう思えなかった。       

◆  奈々さんが難病の膠原(こうげん)病にかかっているとわかったのは、声優になる夢を抱いて島外の高校に進学して間もなくのことだ。入院施設のある養護学校に入り直した。一日80錠の薬の影響で顔は腫れ、大好きだった甘い物も食べられなくなった。  娘を見舞うため、養護学校を訪ねた博子さんは、車いすで懸命に教室に通ってくる筋ジストロフィーや心臓病などの子供に出会う。いつも自分の死を見つめているように感じられた。
 「私は絶対に膠原病を治して、声優になって、重い病気の人を励ましたい」。ある時、そんな決意を明かした奈々さんは04年春、病が癒え、卒業する。だが、仲が良かった難病の男子生徒はその後、亡くなった。
 「長くは生きられないことがわかっていても、悲観することなく懸命に生きていた。そんな子供たちを見て、生きていける命をほかからの力で奪うことに抵抗を感じていました」と、博子さんは言う。           

◆  鈴木被告は幼い2人の子供がいながら、パチンコや酒で借金を重ね、ストレスをためた末、乱暴目的で一人歩きの女性を探し、偶然見かけた奈々さんを襲った。しかし、福岡地裁の法廷では捜査段階で認めた殺意を否認し、「生き続けて、若い人たちに犯罪に走るなと伝えたい」などと訴えた。
 「何でうちの娘を」。傍聴席で、博子さんは叫びたい衝動を何度もこらえた。養護学校を卒業後、手に職をつけるため、飯塚市内の歯科技工士の専門学校に入学した娘は、事件の3週間前に会った時、「今の学校は楽しいけん。ここに来て本当によかった」と笑顔で話していた。クリスマスには思い切りケーキを食べさせてあげたかったのに。
 06年3月9日の第8回公判。博子さんは意見陳述に立った。当初は死刑でなく終身刑を求めた気持ちから話し始めたが、途中から抑えていた感情があふれ出た。
 「私たちは成長した奈々に会えないのに、犯人はさも罪を償っていましたと言わんばかりに、大きくなった我が子に会える。嫌だ、それだけは許さない……。私の心はどこまで醜くなるのでしょう。やっぱり犯人の命をください……」           

◆  12日、今年の命日の夜を、両親は島の自宅で迎えた。地裁、高裁でともに死刑判決が出た鈴木被告は今年2月、最高裁に上告した。  「罪のない子供が親に会えないことを願うなんて、おかしいと自分でも思う。でも、もし被告が無期懲役になることを考えると……」。博子さんは声を震わせた。
 「命の大切さを分かっている妻は、犯人の死を望む自分を責めてきました。こんな思いをする家族をもう出さないためにも、落ち度のない人を殺せば死刑だということを示すしかないと思います」。寿さんは語った。

 (連載「死刑」第2部「かえらぬ命」第3回) より
――――――――(転載以上)――――――――――――


 私はこの記事を、涙なくして読めませんでした。
 しかし、このお母さんが犯人の死刑によって「本当に癒されたか」「本当に苦悩から解放されたか」と言えば――そうじゃないだろうと思います。遺族の方々の苦悩は、その苦悩を体験した者にしか語れない「絶対的な苦悩」だと、私はそう思います。

 ならば、どうすれば解決するのか?
 重罰化?
 それとも、犯人を「同じ目にあわせる」こと?
 いえ――本当の解決法があるのだとしたら、

「社会全体が、『犯罪のない』社会となる」

 これしかないのだと、私には思えるのです。
 また同時に、「魂は永遠であり、どんなに理不尽な死であったとしても、その魂が純粋でかつ罪に穢れていなければ、必ずや救われるのだ」ということを、もっと多くの人に知って欲しい。
 この記事に書かれている奈々さんの死は、本当に痛々しいものでした。しかし、純粋な魂で善良な霊を、宇宙が、高次が「見捨てるはずなどない」のです。
 どんなにこの世で悲惨な死を遂げたとしても、その人が善良であればある程、その死は「終わり」ではなく、「永遠の生の始まり」であることを、もっと多くの人に知って欲しい。

 それこそが、本来「スピリチュアリズム」の目的なのではないでしょうか?
 ただ「天使と繋がれます」とか、「守護霊さまは誰々ですよ~」なんて教えるのではなく、「現実社会の痛みを知り、その中で悶え苦しむ人達に真理――魂は不滅であるという真理を伝えてあげることこそ」が、本当の「スピリチュアリズムの役目」なのではないでしょうか?

 また、そうした個々人の「スピリチュアル」の目覚めだけでなく、同時に「社会システムの改革」も進める必要性があることを私は痛感しています(私の立場は、どちらかと言えばこの「システム改革側」です)。
 外的な法則や拘束などで、もう犯罪は抑制出来ない――誰もがそう、分かっているはずです。 一時期、犯罪の低年齢化、および未成年者の犯罪防止、猟奇的殺人の防止故に「重罰化」を唱えた意見が数多くありました。
 しかし、罰が犯罪を抑制するわけではありません。「死刑になりたくないから、人殺すのや~めた」なんて、そんな簡単な問題のわけはありません。(それどころか、昨今は「自殺したかったけど出来ないから」という理由で、死刑を望む人達もいます。)

 何故、このような「犯罪」に至る経緯があったのか――。
 それは明らかに、「現代社会のひずみ」が原因です。
 ひいては、今までの社会の積み重ね――物質化社会、戦争、あらゆる「歴史の積み重ね」が、今の「現代社会問題」に通じているのです。
 個々人に罪があるのではなく、社会全体に問題があり、今の社会に通じる「歴史」に問題があったからこうなってしまったのだと――私は痛切にそう感じます。

 それはひとえに、勝者・敗者という二律背反。支配者・被支配者、富裕層・貧困層などの二極化――ここに原因があったのだろう、そう思います。
 私達の根底は、ひとつの生命エネルギー「地球というエネルギー」に紐づけられていること、決して誰もが無関係ではなく、目に見えなくても「必ず関連し合っている」ということに気づけば、いつか社会は変わっていくのかもしれない。

 明日、誰かが悲痛な死を遂げ、誰かが、残虐な殺人者となったとしたら、
 悲痛な死を遂げたのは「自分」で、残虐な殺人者となったのも「自分」なのだ――。
 そんな視点に立つことで、もっと「犯罪に対する考え方」が変わるのかもしれない。そんなふうにも思います。

 この問題については、今後も掘り下げていきたい――そう思っている問題です。

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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

【篠崎編集担当】


【篠崎の著作本】

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