私たちは何を学び、何を得て、何を教訓とするのか

 昨日と今日は、神奈川県座間市から綾瀬市への「引越」でした。
 とてもワチャワチャしていましたが…身体はどんなに動いていても、思考はそんなに引越作業で使われることがないンですよね…。
 ただ「黙々と片付けていくだけ」──というか…。

 でも、思考は「止めておくこと」が出来ません。
 だから、皆さんも頭の中で常に「何かしら雑念」が浮かんでいたりしませんか?

 勿論、何も考えずにボォーッとしてしまうこともありますが、あれは別に「本当に何も考えてないわけではなく、脳内で様々な整理をしていることがらが顕在意識上に上がってきていないため、ボォーッとしているように感じているに過ぎない」のだと私は思います。
 人ってきっと、「本当に『無』になること」って、なかなか難しいのだと思います。
 それこそ、修行を積んだ禅僧などでしたら別ですが…。

 さて、そんな「引越ワチャワチャ」の間、私が一体何を考えていたかというと──

 「私たちはこの社会から何を学び、何を教訓としていくのか」ということでした。←てきぱきと動く引っ越し屋のお兄さん達を眺めながら、考えてることじゃないですよね(^^;)。

 私の引越当日に、同じ県下の施設でとても悲しい事件が起きてしまいました。
 19人もの犠牲者を出してしまった、重度障害者の施設における殺人事件。
 私は昨日から今日に至るまで、ほとんどネットもTVも観られる状態ではなかったのでまだ事件の経緯を詳しく読んではいないのですが、ふと見かけた記事に、容疑者のコメントとしてこんなことが書かれていました。

「重度障害者の人達は、生きていても国のためにならない」

 こういう発想をするのは(非常に悲しいことではありますが)、この容疑者に限ったことではないと、私は思いました。
 何故なら、本来ならあってはいけないことなのですが──似たような言葉を、高齢者サービスを提供する人達の間で何度か耳にしたことがあるからです。
 みんな、「思っていても、実行しない」──ただ、それだけの違いなのです。

 でも、精神世界の視点で考えたら、「思うことは、実行していることと大差ない」のです。
 逆説的に考えたら──「そうやって考える人達が増えてしまったが故に、こうした事件が実際に具現化されてしまった」のかもしれないですよね。

 遺族の方には、本当にお悔やみ申し上げます。
 および、施設内で懸命に入居者さん達を看護、介護していた方々には、本当に言葉もありません。きっと失意のどん底にいらっしゃることでしょう。
 自分も同じように施設で働く身故、これがもし自分の施設だったらと思うと、本当に身につまされます。

 私たちはこうした様々な事件を「まるで映画を観ているかの如く」日常の中で通り過ぎながら見聞きしています。
 そうした事件の中で、私たちは一体、何を学び、何を得て、何を教訓としていくのでしょうか?

 この事件についても、受け取り方は十人十色、千差万別、様々な受け取り方があるでしょう。
 でも、こうして私や皆さんが「生きてこの瞬間に起きている出来事」は決して無関係ではなく、何かしら、意味や目的があって起きているのだと私は思います。

 だから、無関心にならず──「そこから何を学び、何を得て、何を教訓としていくのか」を、是非皆さんにも考えて頂きたい、そう思います。

 気のせいか、このブログを書き始めた当時7年前に比べて、まるで「機械」のような思考回路しか持たない人達が散見されるように思える今日この頃です。

 仕事の仕方は完全に「マニュアル通り」。
 だから「間違ってない」。
 でも、そこに「心がない」。
 そのことに、本人はまるで気づかない──何故なら、心は「自発的に気づくもの」だから。

 私はこうした人々の著しい増加に、とても危惧を抱いています。

 スピリチュアリスト達は、こうした問題を「スルー」し、自分達の至福のためのアセンションに夢中です。
 でも、マザーテレサだったらどうしたでしょうね?
 イエス・キリストだったら──どうするでしょうね?
 ダライ・ラマだったら…何てコメントするでしょうか?
 「見て見ぬフリをしなさい」そんなふうに言うでしょうか?

 私は今でも、地蔵菩薩の請願(知らない人は下記※1をご参照ください)をモットーに生きています。
 ずっとその請願を念頭に、これからも真理探究に勤しみます。

※1 地蔵菩薩の請願
「一斉衆生済度の請願を果たさずば、我、菩薩界に戻らじ」←仏道によって生きているものすべてを迷いの中から救済し、みなが全員悟りを得られるまでは、自分は菩薩界に行くことなく、六道に残り続けるとした地蔵菩薩の誓いのこと。



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今の精神世界への警告(2)三次元的視点で問題は解決しない

 ※ここのところ、急激に精神世界の問題点が浮上しているため、(篠崎にしては珍しく)ハイペースで連載を続けます(すべての問題を出し切ったら、しばらく更新が途絶えると思います…((苦笑)))。

 まるで機を狙ったかのように、同時期に再発した「尖閣諸島問題」と「竹島問題」。
 ネット上では色々な視点で分析がされていますが、どの論説、報道を見ても三次元的視点でしか分析していないということは、精神世界を勉強してきた方であれば痛切に感じることと思います。
 ただ、精神世界を勉強している人の中にも、偏った視点の人達から啓蒙されたことを真に受け、中国や韓国に対して批判的な見方をしている人がいるのも事実です。
 中国や韓国を「闇」と見る人たちもいるでしょう。
 今、この記事を読みながら「そうだよ、彼らは闇の存在だよ」──そう思った方々、皆さんに今から質問しますので、ご自身でこの問いに答えてみてください。


 あなたにとって、とても大切な存在(親子以外なら誰でも結構です)を思い浮かべてください。
 もしも、その人があなたに「実は、今までひとつだけ、君に隠していたことがあるんだ」──そう言ったとしましょう。

 「実は、私の離婚した親が中国に住んでいて、私は半分その国の血を受け継いでいるんです。そして、私の友達も、親戚も、中国に沢山いるんですよ。今でも、私にとって中国は故郷のひとつです」

 ──そう言われたら、どうしますか?
 たったその一言だけで、その人を「闇だ」と思えますか?
(「思える」と言い切れる方は、最初から愛情を「血縁」とか「国籍」などの表層的な部分でしか見ない三次元的な思考の方なので、ここから先読む必要はないでしょう。)


 「三次元的な視点の方々」が、尖閣諸島・竹島問題にヒステリックになってしまうのは──1万歩譲りましょう(でも、1万歩「も」ですが…)。
 精神世界、スピリチュアルの視点を少しでも学んだ方であれば、この問題にヒステリックになるべきではありません。
 三次元的な視点で考えれば、この問題は到底簡単にほぐれないような、複雑な事情が絡んでいます。(経済的な問題、資源的な問題、軍事的な問題、あれやこれやです。)
 韓国が提訴に応じない云々で「国際法を用いる、用いない」という問題に発展していますが、最初から「三次元的な法律で解決しない『からこそ』」もう何十年も同じ問題で「じたばた」しているのです!

 精神世界の方であれば、こういう意見もあるかもしれません。

「波動が下がるから、こんな問題は見聞きしなければいい」

 こういう姿勢こそが、無関心と言われるものです。
 自分が山道を登っている最中、足をくじいてうずくまっている人を無視して先に進もうとすることが、本当に善き行いを心がけている人がすることでしょうか?

 私がここで言いたいのは、

「尖閣諸島・竹島の問題に対して、相手を闇雲に批判すること」も、そして
「まったく無関心でいること」も、

 本当に精神世界に携わる人間にとって、正しい道なのか──?ということです。

 国のTOPが未熟で迷走していることなど、よくある話です。
 それは日本の国民である皆さんがよ──く痛感していることではないですか?
 もしも海外から、「日本の政治家はダメだな。だから、国民もみんなバカに違いない」そう言われたら「いや、違うよ! そんな人ばかりじゃないよ」そう反論したくはなりませんか?
 中国や韓国にいる人達だって、同じ気持ちなはずです。

 一部の人間だけをみて、全体すべてを決めつけるべきではありません。
 そういう人も「いるかもしれない」──でも、「そうじゃない人達だって、必ずやいる」のです

 私は神奈川在住だった為、横浜が近い関係もあってか今までに何人もの中国人の友達がいました。みんな、とてもしっかりしていい人達ばかりです。
 韓国人の店、中国人のお店がどんどん増えていることに懸念を抱く人もいるでしょう。
 でも、他国に来てまで頑張ろうとする人達を、何故応援出来ないのでしょう?
 日本人がフランスやアメリカで日本料理店を開いているケースだって、沢山あります。
 もしも日本人がフランスやアメリカなどでお店を開いた際に「日本人だ」と差別されていると聞いたら──悲しくなりませんか?

 もう21世紀に突入したのだから、国境、民族、国籍という意識を超越しましょう。
 三次元的にそれが無理なら、精神世界を知っている私たちこそが、いち早くそうなるべきです。
 隠謀論などに翻弄され、まるで触発されるように国の行為を批判していい時代では、もはやありません。

もう何度も繰り返し言っていることですが、今は「地球全体」で意識する時代です。 

 地球全体に、意識をあわせてみてください。
 そうすれば、どれほどこの問題が「馬鹿馬鹿しいことか」お分かり頂けると思います。

 ただ、仮にそれが出来たとしても、皆さんの中には「ひとつの疑問」が残ると思います。

「仮に地球全体に意識を合わせたとしても、結局この問題を『どう解決すればいいの』?」と。

 三次元的にこの問題を解決することは、「まず不可能」でしょう。
 問題を作り出した時と同じ思考では、その問題を解決することが出来ない──そう言ったのはアインシュタインですが、まさしくこれらの問題も「同じこと」だと私は思っています。

 だからこそ高次元的な視点で見つめることが大切なのです。
 それには、どうすればいいか──地球はひとつで、我々人類はひとつなのだという視点を、常に意識することです。
 最初から国境なんてものはないんだ、すべては地球の資産であって、我々はそれを借りているだけの立場だそう意識「しつづけることこそ」が大切だと、私は感じています。

 ひとりでも多くの人がこの視点に立ち、この問題に無関心になるのではなく「ひとつ上の次元で意識するようになれば」、少しずつ三次元の意識層にも浸透してくる──私はそう信じています。

 繰り返しになりますが、「無関心」は「批判する」のと同程度の行為であると私は思います。
 どうぞ尖閣諸島・竹島の問題に対して闇雲の批判をせず──同時に無関心にならず、「ひとつ上の次元から眺めていただける」よう、お願いいたします。


 地球は「ひとつ」なのです。

 国は、地球にとって「大切な臓器」です。

 そして私たち人類は、地球にとって「大切な細胞」なのです。

 これ以上私たちが傷つけ合えば、何よりも「地球が傷つくのだ」ということを、決して忘れないでください。




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【8月12日 第七章「神様って、どんな人?」公開しました】
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2010年の地震・噴火・気象の記録

 早いもので、今年もついに終わろうとしています。
 今年の1月ぐらいに、友人と笑いながら「こんなノリじゃ、あっていう間に今年の暮れ迎えてそうだよね」なんて話していたところ、まさしくそれが現実になった感ありです。

 今年一番私が痛感したことと言えば、時間の加速化でしょうか。
 明確な証明は不可能ですが、どうしても時間が速くなっている感覚が拭えないのです。これは気持ちの問題とか、動作がスローモーになったからというレベルではなく、また、物理的な時間の加速化というだけでなしに、人々が「時間」として認識している要素の某かが、ものすごく目まぐるしく動くようになったのかもしれません。
 以前記事にも書きましたが「人々の想念の切り替えが速くなる」というのも時間を速く感じる要素のひとつかもしれませんし、また、矢継ぎ早に展開する事件、異常気象──その他、短期間にまるで詰め込むように事象が起こっても、同じように時間の加速化を感じるのかもしれません。
 いずれにせよ、私たちの生きる世界では着実に何かが変わっていて、その変化を否定するというのはかえって現実逃避のように思えます。日々変わっていく自分たちの様子を観察しながら、これから先の時代に対応するよう思考を廻らせることが賢明な姿勢であるように、私は思っています。

 それにしても、今年は本当に地震と噴火、異常気象の続く年でした。
 私の記憶に過ぎませんが、1991年も同様に噴火が続き(91年に日本の雲仙普賢岳、世紀最大の噴火と言われたピナツボ火山が噴火しています。その影響は2年以上続き、93年には「農作物の不作」として、世界的な打撃を与えました)、また2006~2007年の冬は温暖化が続くなどの時期がありました。
 しかし、「その両者」がいっぺんに来たのは、今年が初めてのように思います。
 その上、異常気象に関しては未だに続いており、ヨーロッパやアメリカの東部、およびロシアは寒波で大変なことになっているようです。ロシアは8月に猛暑で多くの死者を出したというのに、今度は寒波──いささか気の毒になってしまいます。
 また、洪水の被害もありました。中国の豪雨、そしてパキスタンの洪水被害もありました。(そもそもパキスタンといえば、乾燥地域のように思えるのですが──。)
 日本も例外ではなくて、4月には東京で積雪が観測されたそうです。私はその時期イギリスに行っていたので日本の状況はわかりませんが、日本より少し肌寒くていいはずのイギリスでは逆に初夏を思わせるような暑い日が続いていました。(また、ロンドンは雨量がとても多いそうですが、私たちが滞在している2週間は一滴も雨が降りませんでした。これはかなり異例なことだそうです。)

 挙げるとキリがない有様ですが、以下、簡単に自分の記憶に残っているものとwikipediaの情報を照らし合わせて列挙しました。


1月
12日 ハイチ地震(M7.0)

2月
27日 沖縄本島近海地震(M7.2)
27日 チリ地震(M8.8)

3月
21日 アイスランド噴火が始まる

4月
4日  メキシコ地震(M7.2)
14日 中国青海省地震(M7.2)
   アイスランド・エイヤフィヤトラヨークトル氷河噴火
16~17日 関東地方各地で大雪

5月
9日  スマトラ沖地震(M7.2)

7月
8日  中国豪雨による洪水災害

 ※夏は世界的に異常気象。(寒波、或いは酷暑)

10月
25日  スマトラ沖地震(M7.7)
26日  ジャワ島火山噴火
28日  ロシア・カムチャッカ半島火山噴火

11月
 5日  ジャワ島ムラピ火山再噴火

12月
22日   小笠原諸島近海地震(M7.4)
     ヨーロッパ・アメリカ東部で異常気象(寒波)

 

 こうしてみると、同日や近日に地震や噴火が起きていることがみてとれます。私は地学に詳しくないですが、太平洋プレートの沖縄と南米プレートのチリが「何故、同日に起きたのだろう」と疑問になりました(日付変更線があるので、時間にすればかなりの違いはあるでしょうが。)。
 勿論、地震にもプレートの沈み込みが原因のものや、或いはそれとは違うもの(すみません、今はど忘れしました;)もあり、一概には判断出来ません。沖縄は被害があまりなかったので記憶に残ってない人も多いかもしれませんが、こうして並べてみると少しゾッとさせられますね……。
 また、14日の青海省地震とアイスランドの噴火も同日に起こっています。アイスランドは、正確には3月21日から噴火が続いていましたが、それが14日に再噴火したという状態です。

 こうしてリストにすると、何だか「地震と噴火の龍(地龍とも言う存在でしょうか)」が、世界のあちこちを廻っているかのように思えますね。
 対して気象に関しては、「高気圧と低気圧の龍(天龍?)」が廻っているのかもしれません──。

 …………。
 って、高気圧と低気圧の龍って「そのまンますぎ」で、別にたいしたことないですね……(自嘲)。

 ちなみに。
 ここ最近の太陽黒点の動きは、相変わらず無黒点状態から黒点活発化状態になったりと波打つような動きをみせています。今月の初めぐらいに連日B・Cフレアが連発していましたが、今はひとまず落ち着いているようです。
 来年もまた、太陽の動きや気象の動きからは目が離せませんね。

 これだけ気象も大地も蠢いていたら、人間の想念の蠢きが速くても「不思議はない」のかもしれません。
 と言うよりも、気象や大地の動きが人間の感情面に影響し、それが結果的に社会現象や政治、経済面に影響しているのかもしれません。
 異常気象や地震などというと、すぐに物理的な影響や経済面の直接的な影響を考えがちですが、本当に一番大きいのは人間の精神への影響です。
 精神には国境がないので、ニュースやネットを通して世界中の人達に色々な影響を与えるでしょう。また、もっと厄介な集合無意識による影響で、地震被害にあった国とは「まったく関係ない地域」の人達が、何故か精神的に不安定になったり社会問題が起きたりということが、あるかもしれません。他国の被害を「対岸の火事」の気分で眺めているわけにはいきませんね。

 さて、来年は一体どのような年になるでしょう。
 良くも悪くも、心の境地は常に「深海の領域」のごとく、穏やかでいたいものです。

 では皆さま。よいお年をお迎えください──。


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第七章(1)27日公開しました。
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戦争と紛争が残すもの─戦場シミュレーション─

 1994年に起きた「ルワンダ紛争」──皆さんは、ご存知でしょうか?
 私が知ったのは1994年の5月以降。ちょうど4月にフツ族による「ツチ族の虐殺」が起きた後のことでした。中東紛争のように大きく取り上げられてはいませんでしたが、当時毎週読んでいた「Newsweek」に特集が組まれていたのをきっかけに、調べるようになりました。
 しかし、ツチ族とフツ族が「何故、そのように長い間、戦い続けているのか」その明確な理由までを、知ることは出来ませんでした。後になってから、そのきっかけは「ベルギーにおける植民地時代に端を発している」ことを知ったのです。

 ですが、いざ戦争・紛争になった場合、もう最初のきっかけなど、関係なくなってしまうものです。
 最初のきっかけが改善されたから、じゃぁ「過去はすっきり水に流して、みんなで仲良くやれますか──?」と言えば、そうとは限らないことぐらい、もう誰もが周知のことでしょう。戦争や紛争が残すのは傷跡だけ、或いは昔の古傷に、塩を塗り込んで悪化させることだけなのです。

 捕虜が自ら穴を掘り、その中に入って上から土をいれられ「生き埋め」にされる──ということは、戦時中はもとより、紛争の続く国々では未だに続いていることです。
 当時私が読んだ記事のインタビューに答えていたツチ族のひとりは、親、兄弟を殺され、「フツ族全体が仇」と言っていました。先程述べたように、いざ一度戦いが起きたなら「きっかけは、関係なくなってしまう」のです。
 残るのは、憎悪。ただそれだけです……。

 そうした場面を、少し想像してみましょう。(※注意※ 残酷な場面が苦手な方は、以下の青字部分を飛ばしてお読み下さい。)

 ある日突然、あなたの隣に住む人が、敵となりました。

 隣人が、いきなり敵となる──そういう設定は、オカルト映画などでもありがちですが、実際のところアイルランドなどでは「それが架空話ではなく、真実」だったりするのです。未だに紛争の続く地域で「隣人がいきなり敵となる」ということは、決して非常識な話ではないでしょう。
 また、地方では隣人と言えば身内同様の関係だったりしますが、都会では「隣に誰が住んでいるのかも知らない」なんて状況はごまんとあります。なので、私がこういう話を振っても中には「いや、隣人には何の感慨も湧かないから」と思われる方がいるかもしれませんね。

 では、その人と会って「戦うことになった」としましょう。(自分の心情と向き合う為に、出来るだけリアルに想像してみてください。)
 その時浮かぶのは、「こいつと戦うことになったのは、かくかくしかじか、政治の絡みが云々かんぬんで、こんな展開になったからそもそも──」など、まわりくどいこと考えますか?
 ……考えませんよね。
 あるのは生きるか、死ぬか──それだけです。
 「生存したいという本能」に基づいて、あなたはがむしゃらに抵抗します。しかし、相手はあなたよりも体格の大きい男性です。
 ──負けるかもしれない。
 そう思ったあなたは必死に抗い、鈍器で相手の頭部を殴りました。

 「ぐちゃっ」という鈍い破裂音と共に、生温かい液体があなたの顔に飛び散りました。
 鉄を思わせるような生臭い匂いが、一瞬にして鼻腔をつきます。しかし、まだ自分の生命が守れるかどうかを確信持てないあなたは、何度も鈍器を振りかざしました。やがて目の前の男性は白目を剥き、口から泡を吹いてそのまま倒れました。飛び散った脳髄は、まるで潰れた豆腐のように、血の海の上で浮かんでいます。

 ──終わった?
 いいえ。終わりじゃありません。
 これは「戦争」です。ひとり殺したぐらいで、解放はされません。

 冷静になる間もなく、戦いは続きます。途中で正気を、失うかもしれません。
 ──いえ、失った方が楽かもしれませんね。命ある限り、「誰かの命を奪わなければならない」のですから。だったら、正気を失って「機械」のように、人が殺せる方が楽なのかもしれません。

 しばらく道を行くと、あなたは人だかりを見つけました。その中央には、顔をくしゃくしゃにして号泣する男性の姿があります。彼は必死に叫んでいますが、何を叫んでいるのかわかりません。でも、状況からするに命乞いであることが分かりました。
 突然始まった、隣人同士の争い。
 あろうことか、人だかりの中央にいる男性は「あなたの顔見知り」でした。しかも、小・中学校に渡って「いじめっ子」としてのさばっていた存在です。あなたも、何度も彼に虐められたことがありました。

 まさに、形勢逆転です。
 どういう分配かは分かりませんが、あなたの「敵」に廻っていた彼は、あなたの味方チームに捕虜とされ、今、この場で命を奪われようとしているのです。
 周囲の殺気を前にして、彼は必死に泣き叫んでいました。
「俺には、女房も子供もいるんだ! 子供はまだ二歳で、女房は今も妊娠している! お願いだ、助けてくれ! 絶対に、君たちに銃を向けたりしないから──」
 大の男がみせられる最大の醜態をさらしながら、彼は必死に命乞いをしています。
 周囲を取り囲んでいるあなたの仲間の一部は、あなたと同じように彼にいじめられた体験のある人で、この状況を明らかに楽しんでいました。その人があなたに気づき、手招きをしてこう言いました。
「よぉ! お前もこいつにさんざんいじめられただろ。一緒になぶり殺してやろうぜ!」

 ──さて。
 あなたは、命乞いする彼を「殺せますか?」


 こういう書き方をすると、多くの方が「隣人が突然敵になる設定なんて、あり得ないし──。ただの架空話だよ」と、そう思うでしょう。
 しかし、そうではありません。現に今、起ころうとしつつあるのです。
 地球を「ひとつの家」と見れば、中国は「隣人」です。こういうシチュエーションは、身近にしようと枠を大きくしようと、何も変わらないのです。
 逆に言えば、「あなたは、いつも隣人と何かしら言い争いをしていた」という前提を置くことも出来ます。「枝が壁から出ていた」「このドブはこっちからこっちが俺ん家だが、そっちはお前ん家だからそのゴミもお前ん家のだ! 片付けろ」などなど。いくらでも、もめ事は想定出来ます。
 その時あなたは、事を荒立てて全面対決に向かいますか? それとも、調停人をたてて、互いの話し合いを調和的に解決しますか?
 少なくとも、このシミュレーションでしたように「隣人で殺し合う」ようなことには、絶対になってもらいたくないものです。
「戦争は国家のもめ事だから、民間人には影響ない」
 そう思いますか?
 ──いいえ。歴史をみれば、「戦争でもっとも犠牲にあったのは民間人だ」ということが如実に描かれています。国が経済復興を願って戦争を仕掛けたとしても、犠牲にあうのは「民間人」なのです。
 それは、「スイッチひとつ」で片付く時代となっても同じことでしょう。何故なら、民間人こそが、その国を形成する基盤だからです。

 冒頭で書いたように、戦いが生むのは「憎悪」だけです。確かにこれも、二元的な次元の原理で考えれば「一種のエネルギー」であることに間違いはありません。
 しかし、憎悪が生じるのは「分離の促進」であって、次なる時代が求める「統合の促進」には至らないのです。
 今、この時代に起きているのは「分離から統合への転換」です。諍いは、旧世代の解決法でしかありません。
 
 今日、太陽ではまたもや「Mクラス」「Cクラス」のフレア爆発が多発していました。ここのところ、Cクラス以上のフレア爆発が続いています。ジャワ島の火山噴火なども、そうした影響があるかもしれません。
 フレア爆発は、「人の感情にも影響する」と言われています。
 願わくば、これ以上人類の未来が、混沌に至りませんように──。

 
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退くも勇気

 尖閣諸島における問題で那覇地検が船長を釈放すると決めたことに対し、与野党から撤回要求が出るなど物議を醸しています。
 しかし、私は那覇地検の判断は正しいと、そう思います。
 実際に野党でも、公明党などの一部の代表は地検の判断を尊重しているようですが、おそらく今後マスコミにおける那覇地検対処の批判は、さらにヒートアップするような気がします。
 しかし今ここでゴリ押しすることが、果たして外交に好影響を与えると言い切れるのでしょうか? 
 国と国の問題とはいえ、所詮は人間同士の問題です。人間同士が互いに問題を起こした場合、感情的になってしまった相手に向かって意地をはってみたところで、何か得るものがあるでしょうか?
 国交をこれ以上悪くさせない為にも、今は冷静になって、一歩引くことの方が大切だと私は思います。
 何よりもここで尊重されるべきことは、日本と中国の和平です。水掛け論を繰り返したところで、お互いに嫌悪感を増していくばかりとなっては元も子もありません。
 ここはまずいったん退いて、「次回あった場合にどうするか」を冷静に思案した方が得策だと私は思います。

 どんなに辛酸を舐めたとしても、調和を尊ぶ行動は、必ずや国際的な世論に影響します。
 感情論で行動するよりも、常に冷静さを持った状態で世論に問いを投げかけるのも、ひとつの方法のように思えるのです。
 私はそういった意味でも、那覇地検は英断を下したと、そう思います。
 願わくば、議席確保や政権交代を狙うあさはかな政治家達が、この問題を悪戯に突っつかないことを願う次第です──。 


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異常な熱波は、地球の叫び

 同時に、私も「熱波中」です……。←現在、38.3度。

 世界のあちこちで、熱波が原因で亡くなる方が増えていますね。局地的な熱波(7年ほど前のフランスや、昨今のロシアなど)は今に始まったことではないですが、全世界的にというのは珍しいことのようにも思えます。
 でも、環境だけではなく「人も殺伐としている」ように感じるのは、私だけでしょうか?

 私は、昨今の「デジタルブーム」というのに懸念を示しています。
 最初はPCから始まり、ゲーム機、携帯、そして今はi-phoneやi-pad。
 書籍は紙から電子書籍になり、人はそうやってどんどん機械の奴隷になっていくのではないか──そんなふうに感じることがままあります。

 本がなくなれば、今に「手紙」もなくなるでしょう。
 年賀状も年々減っていることを思えば、手紙の前に年賀状はまずなくなるでしょうね。今となっては、届くのは手紙よりも「ワケのわからないダイレクトメール」や「請求書」の類ばかりです。(こう言っちゃなんですが、本の紙代どうこう言うのなら、ダイレクトメールなんて「くだらないもの」を先になくすべきじゃないですか? クチコミで広がらない企業なんて、最初からろくなものを売ってない証拠なんですから。)

 こんな味気ない時代に、何の魅力があるというのでしょう?

 私が高校生の頃、勿論メールもなければネットもありませんでした。1986~1988年という、ちょうどバブルの時期でもありましたが、あの頃は今の三倍ぐらい、手紙セットが売られていたのです。
 私は手紙を書くのが大好きで、1日に色々な友達向けに手紙を書いていました。しかも、その手紙のセットは「○○ちゃんのイメージは、この便せんで」「××ちゃんの雰囲気は、この便せんがぴったりだな」と、あれこれ自分で選択していたのです。時折、中に可愛いしおりなどもつけて。
 手紙セットは、本当にコレクション出来るぐらい沢山持ってました。私が大好きな画家、永田萌さんのセットなどがあると、それは必ず大切な時に使っていたぐらいです。
「手紙」というコミュニケーションの中に、「まごころ」というものを一緒に届けられた時代でした。

 ──ですが、今はどうでしょうか?
 今の高校生達は、そんなふうに「友達の雰囲気にあわせた手紙セット」を購入したり、バースディカードを準備したり、年賀状に「友達にあわせたイメージのイラスト」を書いたりしているのでしょうか?
 どんなにデコメがあるとしたって、それは当時の手紙の種類に比べたら10分の1程度です。何の個性も感じさせない、友達の個性を何も活かさない──そんな味気ない時代になってしまいました。

 手紙というのは「自分で書く」分、文章に対して慎重になります。
 何故なら、あまり消しゴムを使いたくないからです。
 消しゴムを使えば、紙はバサバサになります。そんな手紙、みっとも恥ずかしいですよね(笑)?
 でも、今はさほど慎重にならなくても「言いっぱなしの文章」ばかりがネットで闊歩しています。
 それを見た相手や、閲覧者がどんな気持ちになるかなんて、考えてもいないのでしょうか?
 何故、こうも思い遣りのない世界になってしまったのか──私は考えただけで、哀しくなります。

 失われたのは、何も「思い遣りあるコミュニケーション」だけではありません。
 以前、私の近所の道路では、コンクリートを押しのけて生えてくる草があちこちにありました。
 コンクリートの下という過酷な状況の中で生えてくる草をみては、私は無性に感動したのを覚えています。

「やっぱり生命は強いんだ! 文明なんかに負けずに頑張れ!」 

 しかし、今は──数年前にすべてアスファルトになってからは、一本たりとも、アスファルトの下から覗く草木はなくなってしまいました。
 車が道路を走る際、危険だからですか?
 でも、車を作ったのは一体誰でしょう?
 草は、人類が生まれるずっと前から存在していたのに、自分たちの便利の為に、そうした生命を脅かすのですか?

 私は、そう思うと哀しくてたまりません──。

 空を汚したのは、誰でしょうか?
 街路樹の木々が元気がないのは、誰のせいでしょうか?
 私たちは「自分たちの便利さ」ばかりを追求し、「自分たちがこの土地を支配している」かのように勘違いして、共に生きる生命達をどれほど脅かしてきたか自覚してないのではないでしょうか?

 先日の記事にも書いたように、私たちは「核実験」として2053回も地球を脅かしたという反省を、何ひとつしてないのではないでしょうか?

 熱波──水害。いろいろな環境異変が今現実、世界に訪れていますが、私は「人類の自業自得」としか思えません。
 世の中「キレる子供が増えた」だの「命を軽視してすぐ自殺したり、殺す子供が増えた」だの言いますが、そうしたのは一体誰でしょう?

 今、この社会を作っている大人達なのではないですか?

 大人達は自分たちが作った環境、社会、世界の責任を何も考えず、若い人のせいにしたり、環境のせいにしたり、あわよくば「こんな異常気象は昔もあった」と平気で言ってのけます。
 ただ、私が思うに、仮にこれが「一時的な環境の異常」だったとしても、デジタル化文明に偏った人類に、もう二度と明るい未来は訪れないのではないだろうか──そんなふうにも思います。
 自然と切り離されれば離されるほど、人類の心は枯渇し、孤独に苛まれ、スモッグに覆われた大気で星々さえも遠くにかすんでしまうようになりかねません。

 本当に、今人類は「過渡期にいる」のだと、私は思います。
 人類と地球は、「一心同体」です。地球の異常気象は、明らかに人類の異常をも指し示している私はそう思えるのです。

 昨今、精神世界の人達は2012年が近づいたせいで、ノストラダムスの予言の二の舞を踏みたくないのか、「実は2012年ではなくて、もっと『先』だった」と言い出している人もいるそうです。

 なにをかいわんや!です。

 これだけの状況をみて、何故、すでに「2012年が始まっている」ことに気付かないのですか?
 人々がまるでバーゲンセールのようにi-padに群がったり、電車の中でぶつかっても挨拶しないで素通りしたり(もしくは逆ギレしたり)、まるでそれしか出来ないロボットのようにゲームをしながら道を歩く人を見たりしても、まだ「終末ではない」と言えるのでしょうか?
 現象として起きるのは、大抵時間差があります。
 しかし、明らかに人々の心はもうすでに病んで飢えているのです。
 「仲間以外はただの風景」という言葉が、今から12年前に流行りましたが、もうすでにその頃から終末の予兆は始まっていました。

 この事態をみて「おかしい」と思えない方が、どうかしている──私はそう思います。

 隠謀論に夢中になったり、2012年12月21日という暦の数値だけに囚われている人達には、現状がまだまだ見えてないのかもしれませんが、某国の隠謀を突き止める前に今、人類の状況がどれほど病んでいるのかそっちに目を向けるべきではないですか?

 私は根拠のない楽観主義者は嫌いですが(そういう人は、アメリカやハワイや日本など、比較的平和な世界でそういうことを言うのではなく、是非、紛争の絶えないアフガニスタンやイラクでその主義を唱えてきて欲しいと心から思います)、局所的な隠謀論も嫌いです。
 病んでいるのは「一部」ではなく「全体なのだ」という意識が、欠けてしまっているからです。(楽観主義者も同じです。一部の国がどんなに恵まれていても、恵まれていない国があるという意識に欠けています。)

 この世界的な熱波は、そうした地球の叫びのように思えてなりません。


 もっと全体を見よ!


 これこそが、多くの人達にとって重大なテーマでもある、そう思います。


【追伸】まだ体調が本調子に戻っていないので、メールの返信はしばらくお休みさせて頂きます。ご迷惑をおかけしますが、何卒お待ちくださいませ。

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2053回も核実験をした愚かな人類

 今日、私はあまりに衝撃的で哀しくなる動画を見ました。

 2053回の核爆発の場所が分かる映像
 http://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/others/p707541ee67c997c8e5cf1f9cea76f097

 1945年から1998年、この53年間という一世紀にも満たない間に、人類はあろうことか「2053回」もの核実験を行っているのです。
 考えられますか? 2053回ですよ?
 53で単純計算しても、一年間に「38~39回」世界のどこかで核爆発が起きていることになるのです。(でも実際は核実験の回数は冷戦期に偏っているので、その期間は一年間にそれを上回る程の爆発が起きていることになります。)

 この動画を見たら、昨日の隠謀論否定ではないですが「アメリカだけが、悪いわけではない」そう思います。
 これは決してアメリカ擁護ではありません。そうではなく、「人類全体の意識の在り方として考えるべき問題であること」を痛感せずにいられないのです。
 実験は、人類に影響がなかったとはいえ、絶対に「実験に使われた場所の生態系を崩している」のは確実です。無実の生命達が、人間のエゴにさらされて一瞬にして消え去っていった事実を、絶対に無視するべきではありません。

 何故、このように酷いことが繰り返されたのでしょう──。
 しかも、実験の場所は地球全土といえど偏っている場所も多く、太平洋のポリネシア周辺で繰り返された実験には海洋生命体への影響を危惧せずにはいられません。海は「生命の源」であり母なのに、それを何度も穢し続けたことに哀しみさえ覚えます。

 UFOの目撃は1947年以降集中していますが──もし、異次元人(宇宙人)達がこの様相を見ていたら、絶対に「何とかしなければ」と思うでしょうね……。
 人類の一人でしかない私でさえも、言いようのない衝動に駆られた程ですから。
 また、中にはこうした動画を見て「これだけ核実験を繰り返してきたアメリカが、他国の実験を阻止する資格はない」そう思う方もいるかもしれません。
 でも、それこそが「愚問」というものです。核実験は「自分たちがさんざんやったから、他国の実験はOKとする」というレベルの問題ではないのですから。仮にそれで「裏で実験を繰り返していた」となったら──もう、それは別事情でしかありません。そのような愚かな人類は、本当に地球を守る為に「消えてなくなった方が、いいのではないか」とさえ思えてしまう程の、浅ましい事情でしかないのです。

 14分という、決して短くない動画の中で、世界地図のあちこちが点滅を繰り返します。
 それはあたかも戦争そのものです。
 人類の命が脅かされなかっただけで、多くの生命──また、人類に知覚されることなかった小さき生命達も、この中で消滅させられているのです。

 これだけ地球を痛めつけておきながら、今になって「地球の保護」というのは烏滸がましいのではないか──そんな迷いまで、頭をもたげた程です。
 たった53年という短い期間で、2053回もの実験に大地を削られ、多くの生命を奪われた地球。
「大丈夫。人類に影響はないから」といった思いこみだけで実験が繰り返されたのだとしたら──それほどまでに愚かなエゴはない、私はそう思います。

 今、地球上では、あちこちの国で水害や熱波などの異常気象が起きています。
 でも、私たちは「そうなっても仕方ない程、与えられた環境を脅かしてきてしまった」のかもしれません。
 核実験をした国々だけが悪い──私はそう思っていません。
 そうした実験が行われていることを知りつつも、表だって批判したり止めようとしなかった他の国々にも責任はあると、そう思います。
 結局、人類である以上、私たちは一蓮托生なのです。
 そういった問題意識を持った中で、これから先、世界の動きや社会の動きを見ていく必要がある──つくづくそう思う次第です。
 

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グアテマラの異変

 先月の27日、グアテマラで火山噴火があり一時的に空港閉鎖されましたが、アイスランド噴火の時同様、あまり日本では騒がれていない印象を受けました。
 ブログを以前から読んで下さっている皆様はご存知のように、篠崎はアイスランド噴火(4月14日の噴火)時にイギリスにいた為、空港閉鎖により長期滞在を余儀なくされたのですが、日本のYahooなどを見ている限りでは、あまり注目されている印象はありませんでした(イギリスでは連日速報扱いでしたが)。
 日本でアイスランドの噴火に注目し始めたのは、噴火から約三日経ったあたりの頃からでした。その体験を通じて私は、「いくらインターネットが世界に広がっているといえども、なかなか言語の壁は超えられないのかもしれない」──そう思いました。

 そして、グアテマラでも「同じこと」が起きているような印象を受けます。
 グアテマラの噴火の情報は、死者数が少なかったせいか(本来、死者数で分けるのはおかしいことですが)あまり注目されている印象は受けませんでした。
 しかし、今日──私が見かけた「イタリア版Yahoo」で、驚くべき写真が載っていました。

 http://it.notizie.yahoo.com/foto/galleria/foto-voragine-guatemala.html

 これほどの巨大な穴が空いた理由については、現在地質学者も調査中だそうです。
 この原因を火山活動に結びつけるのは早計かもしれませんが、何らかの関係がある可能性も否定は出来ないでしょう。

 しかし、私がこういう記事を見かけるたびに思うのは、まだまだ、世界は開かれていないということです。
 私はインターネットをする際、トップページに「日本」「アメリカ」「イタリア」(先日までは「カナダ」も開いていました)が開くように設定されていて、ざっとではありますが「トップの記事」に何が来るのかを比較するようにしています。(トップ記事に何が来るかで、その国の特徴が掴めるからです。)
 先日、「鳩山首相のシャツのセンスが悪い!」という記事がアメリカとカナダに掲載されていましたが、日本では掲載されていませんでした。また、UFOに関する記事がカナダに掲載されていましたが、勿論、日本とアメリカには掲載されていませんでした。
 これは「言語の壁」は勿論かもしれませんが、言語の壁はイコール「国民性の壁」とも言えるかもしれません。

 今回、私がこのグアテマラの記事を掲載したのは、皆さんに変な恐怖心(精神世界特有の「情報隠謀論」だの「2012年問題に直結してる」だのといった恐怖心)を植え付ける為ではなく、如何に私たちは、限られた価値観の中で生きているかということをお知らせしたかったからです。
 世界ではまだまだ、報道されてないだけで色々なことが起きているでしょう。地球規模の視点で、もっと私たちは情報に敏感に──かつ、洞察力を深める必要があるのかもしれません。

【2日1:09追記】
 先ほど調べたところ、アメリカのYahoo、および日本でも読売新聞のデータでグアテマラの記事が掲載されていました。
 それにしても、すでに水害で123人の人が亡くなっているというのに、その報道は今までになく、この巨大な穴が出来てようやくグアテマラの情報が報道されるというのは──やはり言語の壁はもどかしいものですね……。


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「闘い」は、どこまでが正当と見なされるのか

 先日、ノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領の演説に篠崎が激怒したことは、このブログ、および12日のセミナーでも触れましたので、ご存知の方は多いかと思います。
 篠崎は9.11をきっかけに人生が180度転換した人間ですが、イラク戦争を境に中東で先進諸国が如何なることをしてきたか――パレスチナ問題が何故引き起こされたのかを知るに至り、「マイノリティの主張が、如何に都合良くねじ曲げられているのか」を実感しました。
 それでアラビア語を勉強し始め、イスラム教やイスラム史についても研究していきたい――そう思っているような人間故、アフガニスタンを「国まるごと悪」とでも言いたげなあの発言に、本当に腹が立ったのです。
 そして、何よりも「正義の為の戦争がある」という言葉が、私の中で怒りを爆発させました。
 「正義の為の戦争なんて、あってはならない」――それが、私の主義だからです。
 どんな闘いであっても、肯定されてはいけない。私はそう、思っていました。
 しかし、ここに来て少し思い悩むようにもなったのです。

 そのきっかけは、ジャレッド・メイスン・ダイアモンド博士の「銃・病原菌・鉄(文末に参考文献掲載)」を読んだことにありました。
 ジャレッド・ダイアモンド博士は、この著作で「何故、征服者である白人種族とその他の種族達に分かれたのか」――とどのつまりは「支配・被支配の二極化が何故起こったのか」を、あらゆる視点で言及しています。
 その中で私が上記の問題を考えるに至ったのは、「ポリネシア人種族の滅亡」について読んだからでした。

 図書館で借りた資料の為今手元になく、詳細を記載することは出来ないのですが、その上記著作の中で「無抵抗だったある種族が、元は同じ血筋だったポリネシア人達に、数日の間で虐殺された経緯」が書かれていたのです。
 ポリネシアやミクロネシアの周辺は、小さな島があちこちにあります。ニュージーランドからほど遠くない場所にあったその島は、狩猟を中心に生きていたものの、自然に畏敬を感じ、全体が調和しながら生きていたそうです。
 しかし、僅か離れたニュージーランドから、かつて祖先は同じ種族だった者達が突然攻め込んできて、女、子供構わず、その島に住んでいた人達全員を虐殺してしまったそうです。その上、人肉まで食したという記述もあります。
 虐殺された側にしてみれば、「何故、そのような攻撃を受けたのかまったく分からなかった」でしょうし、同時に、攻めこんだ側にしてみれば「我々は部族の慣習に従って、殺したまでだ」とそう説明するだろうと、ダイアモンド博士は述べていました。

 無抵抗主義――。
 その本を読んだだけでは、虐殺された人々が本当にそうした思想の元で、潔く命を差し出したのかまでは分かりません。――いえ。私が読んだ限りではむしろ、「闘うだけの武器がなかったので、やむなく滅ぼされる道を選ばざるを得なかった」ようにも読み取れました。

 その人達の文化は、おそらく今や途絶えてしまっていることでしょう。伝統も、言語も、虐殺されたこと、侵略されたことで、残ることなく地球上から消滅したことでしょう。
 以前、ニール・D・ウォルシュの「神との対話」を読んでいた時、「攻めてこられた時も、闘ってはいけないのか」というような問いかけに対し、神が、「本来高次の視点でいれば、闘いするよりも滅ぶ道を選ぶだろう」というような主旨のことが書かれていましたが――私はその言葉とポリネシア人に起きた悲劇を思い返し、どうも釈然としないものが残りました。

 例えば、人間に置き換えた場合。
 人間の肉体を維持しようとして様々な組織が働いていますが、外部から細菌などが入ってきた際、それを排除しようとする「白血球」の働きがあります。
 免疫組織というのは、とどのつまりは「外部からの侵略者」に対して「防備しよう」という働きです。
 この免疫組織がなくなったら――肉体が維持出来なくなるのは、言うまでもありません。

 侵略された場合にそれを防御しようというのは、これこそが「正当化された闘い」なのではないか――私はそう思ったのです。
 ニールの「神」に物申すわけじゃありませんが(そんなの烏滸がましくて、出来ません;)、「みながみな、侵略された際にただただ命を投げ出す」だけでは、それもまた神の摂理に反しているのではないかと、そう思えるのです。
 もし、この世が「神の巨大な実験場」なのだとしたら、罪のない人達が暮らす中突然現れた侵略者に虐殺されてTHE ENDばかりであったら――何の学びにもなりません。
 侵略する側も「侵略行為」を反省する機会が与えられないことになるし、殺されていく側も(仮に、高尚な意志を持った中で天国に召されたとしても)何もメッセージを残さないまま、この世から消えていくことになります。
 勿論、そうした人達の偉大なストーリーは後世の人に影響はします。
 ですが、それでみんながみんな「無抵抗主義」に陥ったら――この実験場に「善なるもの」が残らなくなってしまう。
 それもそれで滑稽な話のように、私には思えたのです。
 そんな無意味なことを、この世を設定した創造主がするのでしょうか?

 この世の存在意義を見出すとしたら、私は「苦悩と葛藤」だと、そう思います。
 葛藤があるからこそ、この世に「生きる意味がある」んだと、そう思えるのです。
 だとしたら、善なる者も自分たちの善を貫くことだけを目指すのではなく、「侵略で力づくにさせようとする者達」に抵抗をすることだって、決して悪いことではないのではないか――そのポリネシア人の話を聞いて、そんなふうに思わずにいられませんでした(と言いますか、そのポリネシア人の場合ただ単に武力がなくて虐殺されたのだとしたら、とても気の毒なことではありますが――)。

 勿論、和解を目指す為に話し合いを持とうとするのは大切なことです。
 でも、本来「正当化される闘い」があるのだとしたら――「自分たちの国が侵略された場合に限る」のではないか、そう思ったのです。
 そういった意味では、アフガニスタンへ「侵略」してるのは、アメリカの方です。
 どういった事情を連ねるにせよ、他国まで出向いて関係ない人達の生活を脅かし、戦争を仕掛けるというのは「侵略」以外の何者でもない――私はそう思います。(仮にアフガニスタンの人達がそれで武器を持ったとしたら……私は否定出来ないと、そう思います。いえ、もしかしたらここではすでにポリネシア人達に起きた悲劇同様、圧倒的な武力の差があるのかもしれませんが。)

 欧米人の歴史は「侵略の歴史」でしたが、今でもそれは引き継がれているとしたら、あまりにも悲しいことです。
 オバマ大統領も、それならばせめて免疫組織を見習って、自国の防衛のみに徹して欲しいものだと――つくづくそう思う次第です。


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◇お知らせ◇
年明け1月1日を目標に、「YOU are EARTH」のメインサイトを作成中です。完成しましたら、ブログもすべて引越します。(詳細が決まりましたら、また改めてお知らせします。)
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YOU are EARTH セミナー第二弾
WHO are YOU 
―あなたが霊的存在であることの証明―

2010年2月6日 横浜にて開催


エネルギーワークやチャネリングなど、外的存在とアクセスする行為が「霊的な世界」という捉え方がされて久しいですが、本来それは「現実 vs 霊的世界」という二元論から派生している誤った考え方です。
真理は「現実=霊的世界」。霊的な特殊行為をしなくても、私達は「ただ生きているだけ」で、充分霊的存在なのです。
それなら、「どうすれば霊的実存」に気づけるか。霊的実存というのは神秘体験ではなく、「ここに在る」という実感に気づくことそのものです。決して奇抜な行為ではないということを、ご説明します。

詳細については「こちら」にて。
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「mixi」にて「地球未来創造部【アセンション】」コミュニティを運営しています。
地球の未来についてご提案、ご意見などがありましたら、是非コミュニティに参加して頂ければと存じます。(分野は問いません。医療分野、社会分野、教育分野など、様々な視点で「地球の未来」および「理想的な社会・国家」を探求したいと思っています。お気軽にご参加ください。)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4172264
※mixiの会員外の方でコミュに参加されたい方は、左フレームのメールフォームからご相談ください。
********************************************    

【参考文献】

銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎
(2000/09)
ジャレド ダイアモンド

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「終わりなき日常」は巨大なマトリックス

「終わりなき日常を生きろ」

 この本は、オウム真理教事件をきっかけに、何故このような事件が起きたかを社会学者・宮台真司氏がまとめた本です。
 オウム真理教については、1989年に起きた坂本弁護士事件や、教祖の麻原彰晃の選挙活動で、もうずいぶんと長いこと注目はされていました。また、「朝まで生テレビ」などでも出演したことがあり、新たなカルト教団として絶賛されたこともありました。
 ですが、その周辺には血生臭い事件も多く、サリン事件に至るまでもいろいろな意味で注目された宗教団体です。

 しかし、よもやあのような「東京の地下鉄」を巻き込む大規模なテロ事件を起こすとは、誰も予想だにしていませんでした。
 私は当時大学に通いながら、医療系出版社でアルバイトをしていたのですが、一報を聞いた時は何が起きたのかまったく理解出来ませんでした。バイト先は豊島区の大塚だったので「場所が離れていたから、誰も被害にあわなくて良かったけど……自分たちもどうなっていたか分からないよね」と、社員の人に話しかけられたのを憶えています。
 そして、その本当の容疑が「オウム真理教」であったことが分かった途端、人々はアレルギーを起こすかのように宗教拒否、精神世界分野への拒否反応を示しました。
 そんな中、「何故、このような事件が起きたのか」――それを詳細に分かりやすくまとめ、かつ「このような事件が二度と起きないように」として書かれた本が、この「終わりなき日常を生きろ」です。

 この作品における要旨としては、「オウム真理教に入信する人のほとんどは、終末論を信じていた。すなわち、毎日続く日常に閉塞感を憶え、それを『終わらせてくれる』のがオウム真理教だと信じていた。しかし、日常は果てしなく続く。その日常を受け入れて生きていくことこそが、人間にとって必要なことだ」というものです。
 当時はちょうどバブル経済崩壊から三年後あたりで、就職氷河期とも呼ばれ、物質主義の華々しさが一転し、何を信じていけばいいのか人々が混迷している時代でした。その中で、そうした「この日常を、受け入れなければならない」という宮台氏の叫びはセンセーショナルで、当時の多くの学生達に受け入れられました。

 しかし――勿論、反論もありました。
 まぁ、世の中有名になった著名人に対して反論する人々は少なからずいるものです。しかし、もっとも私の中で印象的だった反論者は、「トランスパーソナル心理学」の代表者でもある「諸富祥彦氏」の反論でした。

 当時の私は、宮台氏の意見に同意しつつも――どこかで「別の答えがある」、そう感じていました。
 そして今――当時から14年経て漸く、その答えが見えつつあります。

 宮台氏の意見の何が、私の中で抵触したか。
 それは、「日常とは、社会システム論から派生している」ということです。
 すなわち「日常を生きろ」というのは、「日常」というシステムに準じるあり方でしかなく、個性から派生した日々ではない――あくまでも「マトリックスを受け入れろ」というのと、同義語なのです。
 それは「間違ったあり方だ」と、今の私は確信しています。
 残念ながら、諸富氏の反論については書籍を立ち読みしただけだったので、細かくは詳細をあげられませんが、今は彼の反論の方が正当性がある――そう感じています。

 オウム真理教事件が、何故起きたのか。
 今であれば、理由が明確に分かります。
 信者の多くは「個性を抑圧された教育の被害者」でもあったのです。
 あの宗教団体に参加していたほとんどの人が、東大のインド哲学科や医学部、理学部など、俗に言う「エリート」ばかりでした。
 何故、そのような人達がオウム真理教に魅せられたのか。それは、彼らが「終末論の先にドラマを提供したから」ではなく、「個性という目覚め」を提供していると、そう受け取ったからに違いありません。(たとえそれが、方向性の間違えたものであったとしても。)
 また、オウム真理教の中に目立ってあったのは(これは、どの宗教団体にも総じてあるものですが)「選民思想」です。
 すなわち、「自分たちは、選ばれし者である」ということ。
 この罠に、とかく人々は陥りやすい。とくに、「個性を抑圧され、自分というものを鑑みる機会が与えられなかった人達」にとっては。
 オウム真理教が信者に提供した夢はまさしくこうした、「個性を抑圧した社会からの解放」であり、自分が選ばれた者であるという優越を感じることで、コンプレックスを乗り越えるという不健全な形での「個の派生」だったのです(今の時代でもそれを引きずっているのは、言うまでもありません。「アセンション」という言葉の中で、「自分たちは選ばれている」と言ってる人達が周りにどれほどいるか数えてみれば、一目瞭然でしょう。本当に選ばれた人というのは、「不言実行」です。何も言わずに、ただただ「行動」だけでそれを知らしめているはずです。)

 この本には、1995年に起きた阪神・淡路大震災の時も、多くの学生達が「ボランティア」に行ったという記載がありました。しかし、それは彼らが「非日常に憧れていた」のではなく、「自分が何か、役にたてるのではないか」という「個性の役立ち」を求めていたからなのだと、私には思えるのです。決して、物見遊山ではなかっただろう――と。
 何故なら、人はそんなに「変化」を好む存在ではありません。もともと変化よりも「安定」を好む人々が、何故、そのような行動をとるかと言えば、「『私』という存在に通じる何か」を求めていたからに過ぎない――すなわち「個性」に応じた活動を求めていたからに過ぎないのです。

 「終わりなき日常を生きる」ということが、何故間違っていたのか――それは、今の現代日本社会を見れば、一目瞭然です。
 あれほど宗教叩き、精神世界叩きがあったにも関わらず――今はどうですか?
 あちこちに、当時以上のスピリチュアリズム、精神論、ものすごく蔓延していませんか?
 それは、彼らが「終末論」によって「ヒロイズム」的発想を刺激されたからでも何でもありません。

 そうではなく――「自分という『個性』を見出したい」その思いが強かったからに過ぎないのです。

 個性を無視した日常――ただのシステム論は、いずれ崩壊します。今や、すでに崩壊しつつあります。「取り替え可能な社会」なんてものは、もうすでに滅びの一途を辿っています。いえ、それが滅ばずに個性を無視して社会が存続するのであれば、残念ながらこの世に希望は持てません。

 2012というキーワードは、終末論のように見えつつも実は「暗号なのではないか」と私は思っています。
 要するに、システム論的に「外部の規律に依存していた人達」のスイッチを入れ替え、「自発的に生きられるよう切り替える為の暗号」
 内面的気づきに至れない限り、いつまでたっても世界は変わりません。それこそ、「終わりなき日常を生きる」だけです。

 でも、人間はそんな「平たい存在」ではないはずです。
 もっと奥深く、もっと多様化で、もっと複雑で――そして、もっとも「感性がある」。
 システム的に存在する「日常」を、ただただ毎日、終わりなく寿命が来るまで生き続けるか――
 或いは、自発的目覚めに至って、「日常」を自分を中心軸に据えられた「自常」に変えられるか――
 すべては、みなさん個々人の「気づき」にかかっているのでしょう。



【お知らせ】
霊性の指針」の無料相談受付ですが、篠崎があまりに多忙になってしまったこと、および眼精疲労が悪化したことにより、今回の募集をもって締め切ることにしました。(鑑定窓口も休止しています。)
募集期間の30日までまだ期間がありますので、応募を考えている方は是非この機会にご応募ください。


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2012年問題、アセンション、体外離脱先で得た体験を元に「未来の地球予想像」を語る「対談セミナー」を行います。

「2012年『後』・地球の未来を創造する」
2009年12月12日 新宿にて開催


根拠のないアセンション論などではなく、現実問題、およびそこから派生した考察に基づいた対談を予定しています。今や、「不思議な現象」というのは誰もが体感する「普通のこと」となっています。それだけ、時代の加速化が進んでいる証拠でもあるのでしょう。
私自身の体外離脱体験は、ただ「体験すること」を目的にしていたのではなく、「新たな時代を創造すること」を目的にされていたのだということを、最近痛感する次第です。
お時間のある方は、是非ご参加くださいv
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「mixi」にて「地球未来創造部【アセンション】」コミュニティを運営しています。
地球の未来についてご提案、ご意見などがありましたら、是非コミュニティに参加して頂ければと存じます。(分野は問いません。医療分野、社会分野、教育分野など、様々な視点で「地球の未来」および「理想的な社会・国家」を探求したいと思っています。お気軽にご参加ください。)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4172264
※mixiの会員外の方でコミュに参加されたい方は、左フレームのメールフォームからご相談ください。
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【参考文献】
終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫)終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫)
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「宮台真司」をぶっとばせ!―“終わらない日常”批判「宮台真司」をぶっとばせ!―“終わらない日常”批判
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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

【篠崎編集担当】


【篠崎の著作本】

アセンション真実への完全ガイド―2012年のイベントホライズン (5次元文庫 し 2-1)アセンション真実への完全ガイド―2012年のイベントホライズン (5次元文庫 し 2-1)
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【第Ⅱ部に篠崎の質問文が一問一答形式で掲載されています】
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