私は以前から
「人の意識は時代からの影響を受け、また同時に、時代にも影響を及ぼしている」と考えていました。
「人の意識が時代の影響を受けるというのは何となく分かるけれど、時代に影響を及ぼすというのはどういうことだろう?」とお考えの方もいるかもしれません。「人 対 時代」と考えると分かりづらいかもしれませんが、対個人で考えればすぐに想像がつくことと思われます。人同士の影響が「一方通行しかあり得ず、相手方からは何の影響もない」などと考える人は、おそらく皆無に近いでしょう。それと同じで、対象が人でなかったにしても──例えば社会、環境、文化など──影響力というのは常に相互作用を起こしているものなのです。
そうした意味で考えると、今という時代──人々の意識レベルは時代の進化に呼応しながら「大きく変わっていった」ようにも思えます。
そう言われても、あまりピンと来ないかもしれませんので、時代の変遷──および、私自身が触れてきた精神世界とを比較しながら、例を挙げて説明します。
時代を今から「15年ほど前」に遡らせてみましょう。
1996年辺り──この頃の日本で精神世界は「閉ざされていた」と言えます。
多くの方もご存知のように、1995年に起きたオウム真理教事件の影響を受け、ヨガ教室や精神性のことを語る人達がいっきに陰を潜めた時代です。
代わりに浮上してきたのは、終わりのない日常を受け入れるという皮肉(というか諦め?)をどこか含んだかのような現実主義。
また片方では、現実(日常)を受け入れられない少女達が「援助交際」「リスカ」といった自傷行為をすることで、自己のアピールをするような時代。改めて振り返ると、「何かが歪んだ時代」だったように思います。
人の中に「ぽっかり」と空洞が出来てしまったかのような、そんな時代。
何故そんなことになってしまったのか──私はその原因が「バブル期」にあったのではないかと推測しています。
この時代に特徴づけられるのは
「物質崇拝主義」。高学歴、高収入といった「お金」の損得で価値観が決まったような時代。そのくせ個性なんてものはなく、むしろ少しでも周囲と違った意見を言おうものなら白い目でみられるような時代でした。
勿論「自分さがし」なんて言葉さえ流行ったことはありません。と、いうよりも──
物質が豊かだった為に、「内面を磨く」ことなんてしなくても、何でも手に入った時代だったからなのでしょう。
しかし、人間は「パンのみに生きるにあらず」です。内面と向き合うことなく、意識を高めることなど出来はしません。
そうした空虚感を抱いた感受性の鋭い人達が、1990年前後に活動が盛んになった新興宗教に惹かれていった側面は否定出来ないように思います。
だからある意味において、オウム真理教が事件を起こす「前」までは、かろうじてまだ人々の精神性のバランスは保たれていたような気がします。
あの事件が起きて以来、精神性の探究はことさらに日の目を浴びることがなくなりました。勿論、それでもコツコツ研究や活動を続けていた人達はいますが、一番気の毒だったのは
「現実生活に虚しさがあるけれども、その答えをどこに求めていいのか分からない」と感じる人達だったような気がします。
本来私たちは、
日常と非日常の間を行ったり来たりしながら、自分の霊性や意識の方向性を定めていくものなのです。にも関わらず、「非日常を完全否定」されてしまったが故に、行き場のないこころが自傷行為に走ったり自殺をする人達を増加させていった傾向にあるのではないか──私はそう感じています。
一方、オウム真理教の影響ですっかり精神世界は廃れたのかと言えば、決してそんなことはなく──2000年頃、「前世療法」をテレビ番組が取り上げたことをきっかけに、再び注目を浴びるようになりました。
私が記憶しているところによれば、一番最初に注目されたヒプノセラピールームは「
大槻ホリスティック」だと思います。
このルームは大槻ご夫妻による運営ですが、奥様の大槻麻衣子さんは「前世療法」を執筆した精神科医ブライアン・L・ワイス博士から直々に指導して頂いた方で、本も何冊か出版されています。前世療法をしている数少ないルームとして、今から11年前に取材記事が載っていたのを覚えています。
それから数年の間、
「前世」に関わる本の部数が伸びてきました。一時期影を潜めていた精神世界の本は、2000年になってノストラダムス関連の本と入れ替わるようにして新たに広がっていったのです。
また、新たに成長しはじめた精神世界に関するイメージは、今まで精神世界にまとわりついていたような「暗いイメージ」「おどろおどろしいイメージ」が払拭され、とても明るいものへと変わっていきました。
それから2003~2005年ぐらいまでの間に、精神世界(スピリチュアル)の活動は分派、および成長していきました。1990年から1995年頃までも、確かに精神世界は羽振りを利かせていましたが、その頃はむしろ宗教的特色の強いものが目立っていたのです。しかし、一度根絶状態になってから復活してきた精神世界は、まるで垢抜けたかのようにさっぱりしていて、普通に生活している人達でも簡単に手に取れるような「気軽さ」があったのです。
この頃、「転生」や「霊魂の存在」を信じていつつも、周囲からの否定で堂々と認めることが出来なかった人達は、大いに安堵したことでしょう。
また、多くの批判は出たものの、江原啓之氏による貢献は大きかったと思います。彼がテレビ番組に出ることで、それまでは「死」について考えなかったような人でも考えるようになり、「霊は怖いものだ」という考え方から「身近な存在なのだ」という考え方へ変わり──そして「命の普遍性」についても考えるきっかけを与えてくれたように思います。
そうした意味においても、表層的に江原啓之氏の活動を批判することは「出来ない」と、私は思います。
彼の存在がなければ、ここまでスピリチュアルという言葉は浸透しなかったでしょうから。
確かに、色々と問題はあったと思います。私自身、100%江原氏の言動や行動を評価出来るとは思っていません。
しかし、本来こうした「目に見えない世界の智慧」は、いつまでも精神世界を探究する一部の人達だけに明かされた智慧であってはいけないはずです。
ひとりでも多くの人がその智慧に触れる為には、江原氏のような活動も必要だった──私はそう思います。多くの精神世界活動家がいても、ここまでスピリチュアルという考え方を一般化出来たのは「江原氏あってのこと」だと、私はそう評価しています。
このようにして、2001~2005年まではいわば、
「現実だけが、すべてではない」「死の向こう側にも世界が続いている」ということを気付かされる時代だったように思います。
しかし、人類の意識はすでに、この時期を足がかりに新しい局面を迎えようとしていました。
2006年頃から、人々の興味は
「前世」に留まらず、
「アセンション」へと移行しつつあったように思います。
私が初めてアセンションという現象について知ったのは2004年ですが、その頃は別段強く興味を持っていませんでした。2006年頃からブログなどで急に「アセンション」が騒がれるようになり、根拠のないお祭り騒ぎが嫌いな私は、従来の反骨精神からか「アセンション否定論者」をずっと名乗っていたぐらいです(苦笑)。
ここでひとつ、興味深い「意識の変遷」が見受けられます。
2000年代前半では、人々の関心は
「前世」や「死後の世界」にありました。
いわば「現実世界」を超えたものの、それでも範囲は「地球」に限定されていました。孫悟空で言うならばお釈迦様の手を超えた「向こう側」──いわば「地球上での転生という枠組み」を超えた「向こう側」には、まだ発想が行き着いていなかったのです。
ところが、2000年代後半になって「アセンション」が注目を集めるようになってからは、人々の意識は「地球上での転生」を飛びこえ、「宇宙での転生」をも意識するようになりました。
たった10年間で、人々の焦点は地球上の転生だけではなく、宇宙の果てにまで及ぶようになったのです。
普段生きている中で、そうした「意識の変遷」はなかなか気づけないかもしれません。日常の中で生きていると、「今、感じている自分」が10年前から変わらなかったように錯覚してしまいますが、いざこうして振り返るとそこには想像を絶する程の「進化」があったことを思い知らされます。
特に、「今まで霊魂とか死後の世界とか考えたことなかったけど、今ではすっかり精神世界抜きの生活は考えられない」という人は、是非、10年前の自分と今の自分を比較して頂きたく思います。おそらくは、何かひとつの問題点をとったとしても、10年前の自分と今の自分では感じ方が違うはずです。
それは「性格が変わった」とか「温厚になった」ということだけでなしに、
「自分の生きる世界がひとつの星から宇宙にまで広がったから」ということが出来るような気がします。
見つめる世界が広ければ広い程、人の思考は深くなります。
世界は何も変わっていないように見えますが、こうやって個々人の意識進化を目の当たりにすると、「少しずつでも成長しているのかもしれない」という希望が持てますね。
●多くの方に、「真剣な目で地球人類の進化に意識を向けて欲しい」と、強く願っています。
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