※「当たり前」と思っていたことを「ひとつ違った視点」で見れたら
その時点で、私たちは意識のシフトチェンジが出来ているのかもしれない。 映画好きな私にとって「大好きな映画TOP3」に入る作品に「メリーポピンズ」があります。
ディズニー好きな人なら誰でも知ってる(と思われる)アカデミー賞受賞のミュージカル映画です。
この映画の素晴らしいところは、
とても奥行きあるメッセージが、コミカルに描かれているという点が挙げられます。
去年の年末、「スターチャンネル」でメリーポピンズが放映されていました。(今でもまだ放映されているかもしれませんので、契約されている方は要チェックです。※スターチャンネルでは2~3ヶ月ぐらい、繰り返し放映されることがあるので。)
私がこの映画を初めて観た時は15歳の頃でしたが、その時から大好きな映画となり、ビデオデッキが壊れるまで何度も繰り返し観たのを覚えています。(私が当時持っていたビデオは「ベータ」だったので、ハードが壊れてしまうと他の機種では再生出来ないという悲劇的な状況でした。…って、ベータが何かを知らない世代も多いでしょうね…;)
二十数年ぶりにメリーポピンズを観て、そのメッセージ性の濃さに改めて驚きと感動を噛みしめた次第です。
(ここから先はネタバレになるので、「まずは自分で感動を味わいたい」と思う方は読み進めないようお薦めします。一度ご自身で観た後に、改めて以下の解説を読まれるとまた新たな発見があるかもしれません。)
───ここからネタバレ注意─── 舞台はロンドン。桜通りに住んでいる銀行(Bank)家のバンクス氏は、規律正しい生活を送る典型的な「イギリス紳士」でした。
しかしその妻は、夫に隠れて「女性の選挙権獲得」の為に闘う勇ましい活動家(見た目はとても可憐ですが)。
夫の前では「大人しい従順な妻」を演じながら、心の奥では男性顔負けの強さを持っている女性でした。
そんな
世間と(妻は陰で)闘う二人の板挟みになっているのが、二人の子ども達。
姉のジェーンと弟のマイケルは乳母(ナニー)に育てられていますが、厳格な乳母の元、なかなか無邪気さを押し隠すことが出来ず、やんちゃに育っています。もっとも、二人の無邪気さは「普通の子どもらしさ」でしかなかったのですが、厳格な乳母はそんな二人に手を焼いて、乳母の仕事を辞めてしまいます。
そんなある日、辞職した乳母の求人を出したところ、新しい乳母がやってきました。
それが「メリーポピンズ」だったのです。
メリーポピンズが数々見せる「魔法のような現実」に、二人の子どもは引き込まれていきました。
──って、冒頭のあらすじはこんな感じです。
ここから先は、
精神世界(スピリチュアル)な視点で解説していきます。
メリーポピンズの起こした魔法は、「ただの魔法だったのだろうか?」と考えることが出来ます。
有名な歌「お砂糖ひとさじで」では、「たった一杯のお砂糖だけで、苦い薬を飲める」ということを歌っていますが、これこそ
視点を変えるだけで、どんな辛いことも楽しい出来事に変えられるということを端的に述べています。
表層的にこの場面を見ると、「魔法使いはいいよな、スナップ(指鳴らし)ひとつで家が片付くんだから」で終わってしまうでしょう。
しかし、この「スナップ」は、いわゆる
私たちの意識のシフトそのものを言っているのではないか──私はそう感じました。
そして、この映画の中でこの「奇跡的なスナップ」はあちこちにお目見えします。
メリーポピンズと旧友であるバート(どういう関係かは謎)は、ある日には大道芸人、ある日には街路で絵を描く芸術家、またある日には煙突掃除をしているという人物です。
労働階級に位置されるバートですが、彼は実に
活き活きと毎日を楽しんでいるのです。
明日の稼ぎを気にすることもなければ、肩書きを気にすることもなく、将来を気に病むこともありません。
銀行マンであるバンクス氏の「対極」にいるような存在です。
ここもまた、スピリチュアル的な解説をいれると──銀行という組織は一種の「システム」で「制限」です。
かたや、そうした制限を気にもせず伸び伸びと生を楽しんでいるメリーポピンズやバートは「自由な存在」と言えます。
こうした「自由な存在」こそが、私たち人類の目指す「意識シフト変化後の人類」なのではないでしょうか?
私たちがどれほど美しい世界に住んでいるかを、バートを代表とする煙突掃除人はみんな知っています。
かたや、建物の中でまるで働き蜂のように動き回る人達(作品の中で、権力のある銀行で働く人達が、厳かでありながらも「何か」に支配されているような印象を醸し出している)は、空やロンドンの街並みの美しさにも気づけないまま毎日に疲弊し、苛立ち、規律を守っていることだけに美徳を感じたりしています。
この映画に描かれているこうした人物像は、決してファンタジーに限定されたことではなく、
現代の私たちにだって当てはまるのではないかそう思えます。
そしてもうひとつ、この映画の中に描かれている素晴らしいメッセージ。
それは、
さりげない日常の一場面を意識するということです。
ここからもちょっとネタバレなのですが──
バンクス氏はメリーポピンズに薦められて(なかば「はめられた」感あり…)、自分の職場である銀行にジェインとマイケルを連れて行くことになります。
はしゃぐ二人を前に、メリーポピンズは「お父様でも気づいていないことがあるのよ」と言って、「2ペンスの餌売りの女性」のことを語ります。
この老いた女性は、聖ポール寺院の前に座り、鳩たちのために「2ペンスの餌袋」を売っているのです。
子ども達は当日、2ペンスを持って老女から餌袋を買おうとしますが、父親のバンクス氏から「無駄遣いしてはいけない」と諭され、銀行で「2ペンスを口座に預ける」よう説得されます。
この「2ペンス」の扱い方は、とても対称的です。
銀行では「2ペンスを預ける」ことで、世界各国の偉大な事業が成し遂げられるといった説得をします。(これがまたコミカルで面白い!)
一方で2ペンスは、鳩という平和の使者達に餌を与えることであり、それが老女の癒しに繋がる道でありながら──
もう一方で2ペンスは、世界各国の事業に参加するという道。
そしてラストには、「2ペンスのさらなる『別の使い方』」が明かされます。(これは是非、実際に映画を観て「なるほど!」と感じでみてください。)
こうした「同じ金額のお金でも、全く異なる使い方がされる」ということを提示されると、
お金というのは、本当に「ただのエネルギー」でしかないんだということを実感出来ます。
すなわち、
額面ではなく、「使う側の目的と意識次第」ということが分かるはずです。
この映画を「ただのファンタジー」で括ることがどれほど勿体ないかを、お分かり頂けたのではないでしょうか?
この作品の中には、
私たち現代人にとって大切なメッセージという宝物が「ごまんと」詰まっているのです。
私たちは、ただの額面に追われて生活を送っているのではないでしょうか?
3分おきに来る満員電車に無理矢理飛び乗り、
上に運んでくれるエスカレーターを忙しなく駆け上がり、
四角いガラス張りのようなビルの数十階にあるような高いフロアの中でさえ、同じ高さにいる鳥たちの存在に目を向ける余裕がない生き方をして、
電車の中では窓の外に広がる世界に楽しむこともなく、手元の携帯を見つめ、
そして「早く地球がアセンションしないかな~」なんて、考えているのではないでしょうか。
でも、そんな日常の中でひとつ「スナップ!」をしてみたら──途端に世界は早変わりするかもしれません。
ホームに入ってくる電車が、まるで生き物のように見え、
エスカレーターを駆け上るのではなく、じっくり止まって周りの風景を楽しむだけで、江戸時代から急に現代にトリップしてしまった人のような新鮮さを味わえるかもしれません。
四角いガラス張りのビルの数十階の窓から、同じ高さを優雅に飛ぶ鳥に語りかけることが出来るかもしれません。(だってあなたは、ビルの上から鳥と同じ視界を共有しているのですから。)
今日は携帯を閉まって電車の窓の外を眺めてみたら、地平線に沈みかける真っ赤な夕陽に挨拶出来るかもしれません。
夕暮れ時は、それこそ「魔法の景色」です。
地平線近くまで染まる茜色の空と、天高くは紺色のヴェールが静かに降りてくる光景に、インターネットでは味わえない広大な世界観を味わえるかもしれません。
普段は「ただの人工物」としか思えないビル群も、夕焼けを反射させて、自然に溶け込んでいるように見えるかもしれません。
そこであなたは、「自分達は自然から切り離されたのではなく、『自分達が心を閉ざしていただけ』なんだ」と気づけるかもしれません。
私たちが世界を変えるために必要なことは、メリーポピンズの「スナップ」である「視点のチェンジ」なのでしょう。
それこそが、人類の意識の成長にも必要なことなのだと私は思います。
一度観たことがある方も、是非また観てみてください。(TSUTAYAは100円で借りられると思います。)
スピリチュアルを知った後だからこそ、この映画から新たな発見を沢山得られると思います。
●多くの方に、「真剣な目で地球人類の進化に意識を向けて欲しい」と、強く願っています。
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