『影』の次元

 ここ数週間の間に、世間では色々大きな変革が起こっていたようですね。太陽の動きも、もう1週間にも渡って「Mクラスフレア」が起きており、もはや「タイムリミット」──いえ、「時代の変革が幕開けしている」ことを示唆しているように、私には感じています。

 時代の動きは「望ましいもの」もありますが、私には「一見望ましい変化と思わせながらも、実は多くの罠が含まれているものも一部ある」というふうに感じています。
 もちろん、どういった変革への働きかけをしていくかは個々人の選択の自由ですし、そうした活動や選択肢がある以上、それらも「すべては必要な過程なのだ」と捉えることが出来ますので、私は特にここで言及するつもりはありません。
 ただ、ひとつだけ明確に言えることは、ここで何度も述べていますように今の時代に必要なことは「すでに伝えられた情報を復習し血肉化して、現実世界にて実践すること」にあり、多くの情報や(一部の)流言に翻弄されてしまうことでは「ない」と私は感じています(そうした時代はもはや通り過ぎた──そう感じていますので)。
 私たちは「頭と胸」にある2つの脳を活性化させるべく、心眼を開くために行う行動ひとつひとつの意味や真意と向きあう必要性があるのでしょう。外側にある情報ばかりでなく、私たちの内側から生じる呼び掛けに耳を傾け、目の前で起きている現象が宇宙の流れに沿っているのか、いないのか──その見極めをしていく必要があるのだと、私は感じています。

 そのため、私はここ最近ではネットや書籍などの情報よりも、こころの内側から生じた閃きを大切にするようにしています。
 今という時代──多くの人が、いろいろな不満やフラストレーションを抱えているとお察しします。原発再稼働の問題も然り、日本の政治の問題も然り──「一体、夜明けはいつ見えてくるのだろう?」そんな不安を抱いている人も、大勢いると思います。

 でも、「だからこそ」!
 あなたの霊性が、今起きている現象に対して、どのように感じているのかと向き合う必要性がある──私はそう思います。
 ここで何度も例としてあげてきたことですが、私たちをで喩えてみましょう。社会の動き、時代の風潮、それらは「天候」とイコールです。変革が近づいて社会に動きが起こり、さまざまな現象が起きたことから「時化(シケ=嵐)のような状態」に陥っています。それにあわせて、海の表層部の波も荒れ、大波になったり片時も穏やかになることなく、荒れ続けてしまっているのが「今」という時代です。

 外側の情報──ネットなどで情報をどんなに得ても、それは「天候のひとつ」に他なりません。
 大切なのは、深海の意識とつながることです。
 どんなに表層的に波が荒れていても──どんなに天候(社会現象や、巷の情報)で波が安定することがなかったとしても、深海はいつだって「穏やか」です。
 「冷静にならないと、本当の真実は見えてこない」──それはいつ何時にでも活かせる、永遠の法則性と言えることかもしれません。

 今の時代、より多くの情報を得ようとすることよりも、この深海の意識に立ち返ることが大切だと、私は思っています。
 そして深海の意識に立ち返れば、「より多くの情報が、内側から泉のように湧き出て来ます」。
 外側の情報ではなく内側から湧き出た情報は、今の自分が求めている「答えそのもの」なはずです。
 答えは「常に自分の中にある」──その視点を忘れずにいることで、どんなに社会が混乱しようとも、常に冷静な視点が保て──かつ、この次元を超えた気づきを与えてもらうことが出来る、私はそう確信しています。


 さて、少し話は逸れるのですが──。
 今日、私は学校に行く途中の道を歩いていて「影」の存在に疑問を抱きました。

 影──。ここでいう影は、何の示唆も含まれていない、文字通り──物理的な「影」です。
 太陽が天空にあれば、あなたの足下からアスファルトへと伸びる、あの普通の「影」です。

 今日、学校へ向かう途中、私は周囲にあるものに意識を向けながら歩いていました。
 この次元にあるものすべては、例外なく「素粒子」が存在しています。
 分子や原子──電子の動きやその数は、元素によって大きく異なりますが、そこには「すべての法則性が含まれている」と言っても過言ではありません。
 生物であれば、すべてにおいて「DNA」が存在します。それは、その生物がこの次元に存在するための「プログラム」と言えるでしょう。生物ではない鉱物などの「人工物」にとっても、その内部には必ずや法則性があります。無秩序な状態で、物質は形を留めることは出来ないからです。
 いわば「映画マトリックス」に出てくる、プログラム言語がすべての事物に書かれている状態と言っても過言ではないでしょう。
 また、私たちは視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚という「五感」を使って森羅万象を把握していますが、この感覚機能さえも「プログラムされています」。
 三次元におけるもの──すべては「プログラムによって成り立っている」──そう言い切ることだって出来る程でしょう。

 なのですが──。
 この「法則性に、ただひとつだけ囚われていないもの」があります。
 それが「影」です。
 影は、光が当たることによって、ごくごく当たり前にそこに存在します。
 私がそのことを考えている最中、私の背中から当たる太陽光によって、足下から前方にかけて「影」が伸びていました。私の外観を形取った、黒い影。私の肉体が光を遮ることによって生じた存在。

 影だけは──この次元において「何の法則性にも囚われていない」のです。
 勿論、影には自由意志がないですし、影が「私はこんなヤツの形を象るなんて嫌だ。私はこんな形になりたい」といって形を変えることはありません。
 影は「『光』が、私たちの肉体(或いは物体)を通じて生じた『闇』の部分」だけでしかなく、それ以上の影響はありません。影は「影」のまま、二次元(平面)の次元をそのまま移動していくだけです。影をつくる本体から切り離されることもなければ、本体を無視して勝手気ままな行動が出来るわけでもありません。

 では、その「影」が生じたところに、三次元の物質的な変化というのが何らかでも生じるでしょうか?
 いえ──それもありません。
 例えば私が道に立ったとして──私の前に私の影が映っていたとしても、その影が映っている部分のアスファルトに何の影響もありません。影があたることでアスファルトの粒子が変化するとか、配列が変わるとか──そんなこともありません。唯一影響あるのが「気温」ぐらいなもので、木陰の温度が「少し下がる」ということは、誰しもがご存知の通りです。そうした「目に見えない気温の変化」はありますが、でも、その変化だって気温の法則性が変化したわけではありません(気温は変化するのが秩序とも言えるからです)。

 この「影」という存在──。私は考えれば考える程、「この次元とは切り離された存在」のように思えました。
 影は、どんなに望んだところで(って、そもそも自由意志がないので望むことはありませんが)三次元になることはありません。(階段などにたって影がでこぼこに見えることはありますが、それは影が立体的になったのではなく、階段という物質に対し二次元的に反応しただけの話です。)

 私はこの「本体の次元」と「影」の関係性が、「高次元と三次元の関係性に、とても似ている」ように思ったのです。
 宇宙(高次元も含めたユニバース)は常に分離と進化を繰り返しており、この三次元も「光(高次元)」から分離した──と言われています。
 確かに、高次元と今の段階では分断されているので、「分離した」というのは妥当かもしれません。
 そして、その分離は──あたかも光から影(闇)が生じるのと同じ仕組みなのかもしれない──そんなふうに感じています。
 だとしたら──私たちは「高次元から生じた影」である以上、「闇の勢力が勢いづいてしまう」のも、あながち仕方ないことなのかもしれません(影が闇を生じるのは、ごくごく自然のことなので)。

 もしこの仮説が正しくて──私たちの次元が誕生した経緯が、「光から分離した影」のようなものであるなら──私たちがアセンションに近づくためには影である「闇」に意識を向けすぎることなく、「私たちを生み出した光」こそに意識を向けるべきなのかもしれません
 例えば──私の足下の影に意志があったとして、「私も、本体のように立体的な世界に生きたい」と願った場合、どんなに他の影に意識を向けても同じ土俵の上を掻き回しているだけに過ぎず、何の解決にもならないでしょう。
 しかし、「立体的な世界というのが、どういうものなのか。どんな仕組みなのか」に意識を向ければ、影という次元からその存在は開放されるかもしれません。

 地球が「光の次元の影(高次元の影)」であり、私たち人類が「光の存在達の影」であるなら、私たちも光の存在と「決して無関係ではない」はずです。
 外部にある情報に右往左往するよりも、そうした自分の(光の)本質に立ち返り──光の意識(深海の意識)と常に繋がった状態で世間を冷静に見つめながら「今、自分に出来ること」に最善を尽くす。
 それが「アセンションに通じる鍵なのではないか」──私はそんなふうに考えています。


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【お知らせ】
※7月28日土曜日に、エハンさんの講演会があります。
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内容は「アイスランドで学んだこととこれからの日本の可能性」「ニュースにならない2012年とニュースで再確認出来たこと」「ペルーとイスラエルと日本の関係性と2012年の展開」「今年のミステリーサークルから学んだ意味と2012年の関係」「RV(遠隔透視)と地球外生命体とのコンタクト:火星からのリポート」「2012年関連のためになる映画紹介」「これからの出来事を受け入れる意識、その挑戦と現実的課題」です。
 とても興味深い内容です。光栄にもご招待頂いたので、ぜひ参加したかったのですが……その日は学校の文化祭で……orz。残念ながら、参加出来ません……。
 興味のある方はぜひ、バナーのリンク先で詳細をご確認ください。


【7月8日公開しました!】
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2012-07-06 | 次元 | トラックバック(1) |

宇宙人は「いい人? 悪い人?」

 最近すっかりGYAOの無料動画にはまっている篠崎ですが、受験期只中にも関わらず、先日まで配信されていた矢追氏の「UFOレポート」を全話視聴しました(同じ内容が、DVDでも販売されているようです。※文末参照)。
 矢追氏の名前はずいぶん前から有名でしたが私自身は全然見たことがなかったので、結構新鮮な感じがしました(笑)。そもそも、つい数年前まで私はUFOに関しては、これっぽっちも興味を示していなかったからです。
 私はカヴァーロさんのことを知るまで、UFO関連の情報について敬遠していました。中学生時代、友人と一緒にUFOを目撃した体験などもある癖に、そういう情報を遠ざけていたのです。
 理由は、それまでの宇宙人情報というのが妙におどろおどろしいものばかりだったからです。
 ミステリーサークルなどは綺麗ですが(でも、いつもあれを見るたびに「一生懸命畑の世話をしていた農家の人達は、きっと迷惑しているだろうな……」とも思いましたが)、牛の体に大きく穴を開けられたキャトルミューティレーション、アブダクションをされて体中傷だらけにされた人など、とても好戦的な匂いを漂わせる内容ばかりで、何だか納得しかねるものを感じていたからです。
 私はどう考えても、宇宙人がそのような好戦的な存在だとは思えませんでした。
 もし彼らが好戦的なのであれば、地球に来る程の高度文明があるのだから、それこそひと思いに「ずばっっ!」とやれたはずです。チマチマ小麦畑に烙印記したり、牛ばかりを狙って穴を開けるようなことをせず(そもそも、「何で牛だけ??」っていうのも疑問です。本当に彼らが研究したいのであれば、人間の腹部に穴があいた遺体があっても良さそうなものを)、最初からどど~ん!!と攻撃してくるように思えます。
 こういう言い方をしては語弊がありますが、地球まで来られる文明レベルと、地球でやってる行為レベルが、甚だしく掛け離れているように思えたのです。
 広大な宇宙から遠路はるばるやってきて、「したいことは、それだけかい??」みたいな。例えば、わざわざグランドキャニオンまで行ったのに、座り込んで砂山作って「棒倒し」するようなモンです。(「一瞬で地球まで来られる」というのであれば、尚更です。そのような技術があるなら、地球人類など「一瞬で」消滅させられそうなものです。)
 宇宙人が友好的だと「信じたい」という感情的な問題ではなしに、理屈で考えても「矛盾極まりない」──私にはそう思えていました。

 私は、思考レベルというのは人格と比例すると思っています。
 そう言うと多くの方が誤解されてしまうのですが、これは「学歴」とは関係ないです。学歴というのは三次元基準のものでしかなく、ここでいう思考レベルはもっと超立体的な深遠なる智慧のことです。
 今の人類が逆立ちしても、銀河を縦断するような宇宙船は造れません。だとしたら、少なくとも宇宙人の智慧は「私たち、地球人類以上」ということになります。
 今の水準しかない私たちでさえ、無闇に生命を傷つけてはいけないということぐらい知っています。それだけでなく、「どうやって、人類みなが調和して生きていける世界になるだろうか」ということを考えられる人達だって、いっぱいいます。
 だとしたら「いわんや宇宙人をや」だと、私には思えるのです。

 先に挙げた矢追氏の動画内容では、作成されたのが今から二十年ほど前というのもあって(DVDの販売自体は2009年ですが)、私が敬遠していた頃の情報が多かったような気がします。UFOの情報に関してはすべてが信憑性あるわけではなく、中にはねつ造されたもの、また反対に「真実なのに、それを情報として流されると都合が悪い為、『虚偽』という形に逆ねつ造されているケース」もあると思える為、一概にどれが本当かを判断するのは難しいでしょう。
 ただ、あちこちでこれほど未確認飛行物体が目撃されている今、それを2012年やアセンションと結びつけなかったとしても、何らかの時代変化の兆しが訪れていることは、間違いないような気がします。

 ずっと前からUFOを研究されている方の中には「宇宙人は、非友好的だ」という意見を持つ方もおられるようです。その理由は、上記書いたように「それまでの情報が、どこかおどろおどろしいものばかりだった」からかもしれません。 
 もっとも──もし、私が宇宙人であったとしたら……。
「あんた、いい人? それとも、悪い人?」と聞かれたら、
「好きなように思ってくれて、結構です」と、そう答える気がします。
 きっと宇宙人にとって重要なのは行為の結末だけで、それを周囲にどう思われようと「そんなことは、どうでもいい」のかもしれません。
 もし、シュタイナーの神秘学における「霊性の進化」を宇宙人にも当てはめるとしたら、私たち地球人類よりも遙かに進化している宇宙人は、よりいっそう「目的意識」が強いはずです。神の意志──言い換えれば宇宙の発展の為に、どのような行為をするのが一番適切か……場合によっては、それが小民族にとって悲劇的なことであったとしても、それを達成させるのでしょうから(その行為だけを取り出して「悪い人」と思う方も、中にはいるかもしれませんね。)

 ……って、思いつくままに書いていたら、何だかまとまりがつかなくなってしまったのですが──(汗)。
 タイトルにあるように「いい人」か「悪い人」かと問われたら、私の答えはその両者(善悪)を超えた人という感じでしょうか。
 神秘主義者やオカルティズム、神道に造詣が深い方達は「宇宙人=侵略者」という考え方をされている方も多いようですが、そもそも私たちは地球に生きている以前に「宇宙に存在している」のだから、宇宙にいる生命もまた同じように「兄弟」であるはずです。
 宇宙にいる生命が「兄弟」であり、地球に生きる人類もみな、共に「兄弟」である──。
 地球も宇宙も「相似関係」にあることを思えば、答えは容易に見えてくるものかもしれませんね。


【先日GYAOで視聴した矢追氏のUFOレポート】
矢追純一UFO現地取材シリーズ DVD-BOX (2枚組)矢追純一UFO現地取材シリーズ DVD-BOX (2枚組)
(2009/01/21)
矢追純一

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※アブダクションされていた男性の経緯がカヴァーロさんの経緯と類似していたのは、とても興味深かったです。二人の大きな差違は、こちらの男性はその記憶が消されていて、カヴァーロさんは「残ってしまっていた」という違いでしょうか。カヴァーロさん同様、このDVDに出てくるアメリカ人男性も子供時代にアブダクションされていた経緯があったというのも、不思議な符号です。

【お薦めの宇宙人本】
銀河間トラベラー「アプ星人」との170時間 (5次元文庫)銀河間トラベラー「アプ星人」との170時間 (5次元文庫)
(2010/06/09)
ヴラド カペタノヴィッチ

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※この体験談は、カヴァーロさんの体験談とよく似ています。アプ星人の挨拶と、カヴァーロさんの言っていた銀河連盟における挨拶がほとんど同じ(ニュアンスが違うだけ)というのは、とても興味深いです。

アミ 小さな宇宙人アミ 小さな宇宙人
(2000/12)
エンリケ バリオス

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※こちらは児童文学ですが、空想とは思えないぐらいのリアルさを感じます。カヴァーロさんやカペタノヴィッチ氏(上記、アプ星人の著者)の体験、二人があった宇宙人と宇宙人アミの性格(性質?)が、とてもよく似ているようにも思えます。

◆お詫び◆
ここ2~3ヶ月、受験準備やら何やらでバタバタしており、ほとんどの方にメールのお返事が出来ておりませんでした。
いつものことではありますが、本当にすみません──。(多少、筆無精な気があるのは確かです……。)
落ち着いたあたりにひょっこりレスがあるかもしれませんが、何卒ご容赦下さいませ……。


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◆第八章(1) 23日に公開しました。
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2011-01-25 | 次元 | トラックバック(0) |

高次元へは「洞察」だけで行ける!

 ここ最近、私はほぼ「確信」に近い状態で「異次元(高次元)」の実在を感じています。※詳しくは「既存物理学における次元の考え方への疑問」もご参照ください。
 それは特別にチャネリングだの、薬草を飲まなくたって、考察を深めることだけで、誰にでも出来ることです。
 事実、ルドルフ・シュタイナーはそういったものにいっさい頼らず、あれだけの優れた霊視をしていました。
 ただし、その為にシュタイナーは徹底して、三次元の物質構造を理解しようとしたのです。
 例えば、目の前に「鉛筆」をおいて、五分でもいいからそれに意識を集中させます。おそらく常人であれば、1分もしないうちに雑念が入り、鉛筆に対しての意識はほとんど削がれてしまうでしょう。
 しかし、その雑念に囚われることなく──彼は「ひたすら」、鉛筆が「どういった工程を経てここにあるのか」「どんなルートでここまで来たのか」「この素材となった樹はどこにあって、樹齢何年なのか」など、そのようなことまで徹底して考えたそうです。
 自然に生える草花を見る時も、「ただ花を愛でるのではなく、その花の地中に隠れた根がどのようになっているのかまで、想像を及ばせよ」と言いました。
 ──すさまじい洞察力ですよね(笑)。現代人には、受け入れられない性質かもしれませんが……。

 シュタイナーが常に言っていたことは、「認識の果て(三次元の認識)を超えることは、洞察によって可能である」ということでした。
 私もそれには、深く同意します。
 むしろ、機械や薬草に頼ってしまうことの方が「危険」のように思えるのです。
 何故なら、すでに「生まれつき、高次元へ体外離脱してしまう体質の人」というのも世の中には存在するからです。
 そうした人たちからすれば、そういう体験は「日常的な普通のこと」でしかなく、特別なことでも何でもありません。それを「特別視してしまう」という時点ですでに「エゴ」が働いている証拠だし、そんなエゴの働いた状態で「人工的な高次元に行こう」なんて言ったって、行ける場所はたかが知れてしまうだろう──私はそう思うのです。

 そこまで高次元に拘るのであれば、「まずは自分の意識レベルを、徹底してあげることの方が先決」だと、私は思えるのです。
 それはとっても単純なことです。「嘘を吐かない」とか「約束を守る」とか、「人に誠実である」とか──そんなごくごく日常的で、些細なことばかりです。
 でも、残念ながら「高次元に行く!」だの「僕は高次元に行ったんだぞ!」と公言している方々の人間性が「決してイコールではない」ところが……どうも私は「あなたの見てきた次元は、ちょっと違うのでは?」という気がしてしまうのです……。
 絶対に、人間性と次元は「イコール」です。高次元に行ったという人がお金に意地汚かったり、異性にだらしなかったり、人に不誠実であったり「するわけがない」と、私は思えるのです。
 それは(次回作に細かく説明してありますが)「次元の組成が周波数(振動数)から生じている以上、同じ振動数(高次元なら、そこと同じ意識の振動数)の者でなければその場に存在することさえ不可能になるからだろう」と、私は考えています。

 次元は複数にまたがって存在する為、意識レベルの周波数が「高ければ高いほど」行ける場所も高くなります。
 しかし、意識レベルが低ければ、当然行ける場所も低いのです。
 とはいえ、低いからといってそこが「地獄のような場所か」と言えば──そんなことはないでしょう。
 スウェーデンボルグは、「悪霊ほど、善霊のフリをする」と言っていました。これは、世の中と大差ないですね(苦笑)。本質というのは決して見た目ではわからず、時間をかけて──或いは、ふとしたきっかけが原因で「暴露されてしまうもの」なのだと思えます。

 私自身はもともと「検証・考察タイプ」なので、「直感を受けたからといって、すぐにそのまま情報を公開する」ということが嫌いな人です。どのような直感や体験も、すべて「自分で検証し、『公開出来る』と判断したもの以外」は、公にすることがありません。
 しかし、私自身には上記したような異次元体験が複数ある為──だからこそ、自分自身の中で「徹底して、その事情を考察しよう」と試みている次第です。
 勿論、既存の物理学や知識だけでは、紐解けないことも数多くあるでしょう。しかし、それは「時代においてはやむを得ないことだ」と、私は思っています。
 でも、「やむを得ないから諦める」というのは、また全然話が違います。私はどんなに「この先の未来において、また時代において真理が流転したとしても、今の自分の全力を尽くして『自分が体験した高次元のシステムについて』を考察、検証したい」と強く願っています。

 私は数々のUFOコンタクティーの本を読みますが(何故なら、彼らの見てきた異世界が、私の見てきたものとほぼ同じだからです。私自身が、自分の体験の裏付けをしたくて、彼らの本を読みあさっているのだろうと思います)、いつも思うのは「ただの体験談」として語られるだけの時代は、もう終わったということです。
 以前はアダムスキーや、或いはハワード・メンジャーぐらいしかいなかったにも関わらず、少しずつ彼らと同じような体験をしている人たちがあちこちに出てきています。(もっとも、歴史的にみても「ダントツですごい!」と思えるコンタクティーは、マオリッツオ・カヴァーロですが。6月に出版される文庫本でも、数多くカヴァーロの文献を引用しています。彼の言っていることと、物理学者の言っている内容が複数一致していたので、どれだけカヴァーロの体験がすごいことだったのかを読者のみなさんも改めて実感出来ることと思われます。)

 私たちはもう、「既存の科学で証明されている、されていない」といった権威主義を捨てて、「まだ何も言われてないけれど、でも、こういうことはあるかもしれない」という謙虚な姿勢の中で、様々な現象を見つめる時代に差し掛かっているのだと思えます。
 どんな時代においたって、新たな真理を唱える人はみな「クレイジー扱い」されました。ガリレオはもとより、ライト兄弟にしてもそうだし、アインシュタインだってそうです。
 アインシュタインの言葉、「その時代において『クレイジー』とされない発明なんて、何の価値もない」──私はそのとおりだと思います。

 何でも鵜呑みにして、付和雷同的に情報に振り回されるというのも問題ではありますが、自分自身でしっかり咀嚼し、ひとりひとりが考察出来るようになれば──科学は今までと違った「新しい進展の仕方」をするのかもしれませんね。


【謝辞】メール、およびフォームからメッセージを送って下さる皆様へ
 いつも暖かいお言葉、誠にありがとうございます。すべて拝見しており、とても心の支えとなっております(笑)。
 多忙の身故、お返事が出来なくて大変心苦しいのですが、この場を借りて御礼を申し上げます。
 本当にありがとうございます。

 ランキングボタンを押して下さる皆様へ
 メール同様、とても励みになっております。
 毎日これだけの文章量を書くのは「ただの活字中毒」ってだけでは出来ない部分がありますので(笑)、皆様の暖かいクリックがモティべーションへと繋がっています。
 これからもどうぞ、よろしくお願いいたします。


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2010-05-27 | 次元 | トラックバック(0) |

既存物理学における「次元」の考え方への疑問

 ……インテリ階層に喧嘩売ってるようなタイトルですが(苦笑)。

 今日、調べものをしていたところ偶然辿り着き「リサ・ランドール博士」の動画を見ました。

 「リサ・ランドール 異次元への招待

 名前と功績は知っていたものの、BSで特集をしていたのは知らなかったので、ついつい全部見てしまいました。
 博士が異次元を提唱していることまでは風のたよりで(?)耳にしていましたが、こういう提唱の仕方だとは知らなかったので思わず考えさせられました。
 この動画の中で「素晴らしいな」と思ったのは、博士も含め、出てくる学生さん達の「目の輝き」でした。
 本当に真理を知りたいとする純粋な思いが全身から感じられて、異なる分野とはいえ、私も嬉しくなった程です。とくに、「人間の起源を知りたい」として宇宙物理学を紐解こうとしている学生さんの姿には心打たれました。彼は「物理学」という分野に胡座をかかず、「本当に自分は知っているのだろうか」という謙虚な疑問の中で模索している姿に、私は「ああ、どういった分野であれ、真理を知りたいという人たちはみんな純粋なんだ」と、そんな思いを抱いた程です。

 しかし──そうした輝きはさておき、博士の提唱している「次元の考え方」については、私はどうにも鵜呑みが出来ませんでした。
 と、いうよりも既存科学で言われている次元の考え方そのものに、私は引っかかりを覚えて仕方がないのです。
 これは、文庫本巻末にも掲載したのですが、「一次元は点、二次元は面、三次元は立体……」という考え方そのものが、破綻しているように思えるのです。それはあくまでも「三次元である私たちの視点から捉えた物事に過ぎず、本来の次元の考え方からはずれているのではないだろうか」と。

 私自身は、「次元は、その次元を構成する物質の『もっとも最小物質』における振動数による差違ではないか」と考えています。
 これは「超ひも理論」に絡んでくることなので、多少ランドール博士の考え方とは異なるのですが、私は、今の科学における次元の考え方だと、どうしても矛盾ばかりを抱えてしまうように思うのです。
 例えば、博士の異次元説は(この動画を参照した限りでは)「三次元宇宙全体を、五次元宇宙が包んでいる」という解釈になります。それは「三次元宇宙の外側」という「空間(距離感)」に頼っているもので、結果的に異次元の存在を「三次元的思考の枠組みの中で捉えている」ようにしか思えないのです。
 もっとも、博士の言う「他の三次元宇宙も、五次元の中に並行して存在する」という考え方には至極同意出来ました。同時に、「重力エネルギーだけが、五次元内に移動する」というのも、分かる気がします。それが「重力エネルギー」に断定出来るかどうかはさておき、何かしらのエネルギーのみが三次元から「移行できる」というのは、理解出来ます。
 また、非常に「なるほど、そうか!」と理解出来たのは、「三次元は、五次元の中で膜のようになっている」という考え方。これはとても私自身納得出来たし、カヴァーロの体験談にあった「パラレルワールド」の構成を想定するいいきっかけとなりました。
 でも──どうしても「それが、三次元宇宙全体の『外側』にある」というのが、腑に落ちないのです。

 この理論は、従来の次元の考え方から言えばとても妥当性があるものですが、超ひも理論の視点で考えれば「必ずしもそうとは言えないのではないか」という疑問が出てきます。
 次元というのは「順番に並んでいる」ようなものではなく、「同時多発性」なのではないかと、そんなふうに思えるのです。
 すなわち、もし博士が提唱しているように「五次元が三次元を内包している」のであれば、それは「外側」にではなく、「階層的に重なっているのではないか」──そう私は感じています。
 これは「超ひも理論」のように「振動数による構成」を考えないと成り立たない説ではありますが、五次元が「三次元宇宙の外側にある」というふうに考えるよりも、「物質を構成する最小要素の振動数による差違で、次元が成り立っている」とするなれば、それはすでに「今、ここ」に重なっている──と考えられるような気がしますし、そうであれば、カヴァーロ氏の体験してきた数々のものは、理論上説明出来るような気がしています。

 もっとも、そうであったとしても「三次元は膜のようなもの」という考え方には同意出来ます。おそらく、「膜」のような形で重なり合っているのだろう──そう思えるので。
 また、実際に博士が提唱するような「三次元宇宙(正式には三次元に限らず、物質で構成されている宇宙──と、私は考えています)」の外側に「何らかの異次元が存在する」のは事実かもしれません。でも、それは五次元というよりも、「もっと高次元レベルのもの」なのかもしれない──そんなふうにも思いました。
 理論物理学は「数式のみの勝負」とは言うものの、その数式自体が「三次元の思考」から生じているのであれば、私は「異次元の探索に至れないのではないか」という思いもしています。
 仮に至れるのであれば、それは「どんなに数式で証明しようとしても、絶対に不可能という領域に至れてこそ、初めて」なのではないかと──そう感じるのです。
 三次元の数式で証明出来るうちは、「まだまだ、三次元の膜の中を出きっていない証拠」なのかもしれません。

 余談ですが。
 スイスにある「CERN」という施設の実験内容に、私は疑義を抱いてしまいました。
 動画の中で「原子を衝突させる」という項目がありましたが、フラクタル理論の考えで言えば、「そうした原子の中にも、私たちと同じような(勿論、認識出来るレベルではないとはいえ)宇宙の存在があったとしたら」とついつい考えてしまうのです。
 仮にそうだとしたら、原子を破壊させることは「ひとつのミクロコスモスを、崩壊させることになるのではないか」と。
 勿論、自然現象の中でそのようなことは多数起こっているとはいえ、「人工的にそれをするか、しないか」では意味が違う気がします。
 そんなことを言っていては、科学は進歩しない──そう反論されそうですが、もし「今までの進歩の仕方が、どこかボタンの掛け違いをしてしまっていた」のだとしたら、どんなに実験したとしても、それは不毛な結論に達してしまうのかもしれない、そんな気もする次第です。


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エハン・デラヴィ氏ブログ「シンクロニシティ」にて、近日内にネット配信番組レポート予定です。




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2010-05-16 | 次元 | トラックバック(0) |

時間は「連続的な流れ」ではない。

 昨晩、「スタートレック2009」をDVDで視聴しました。
 Blue Ray Diskだった為か非常に映像が綺麗で、まずはそちらで驚きました。普段はDVDに含まれている別作品の宣伝などカットしちゃう私ですが、ついつい全作品のCMを観てしまったぐらいです。
 映画は、本当に進歩してますね──。それこそ、ここまでCG効果が進歩してしまったら、あとは「3D」ぐらいしかないんじゃないかと思います。(もしくはシミュレーションタイプで、自分も映画の中に入っちゃえるシステムとか((爆))。←3Dからいきなり飛躍しすぎ。)

 私は「新スタートレック・シリーズ(ピカード船長のシリーズ)」は見ていたのですが、その前のスタートレック(宇宙大作戦)は見ていません。今回の2009は「第一作目」のカーク船長とスポック博士が若い頃の話だったので、「内容について行けるかな」と疑問だったのですが、まったくそんな心配は無用でした。
 と、いうのも、(これは本当に、エイブラムス監督は「うまい手を講じたな」と思いましたが)この作品は並行世界(パラレルワールド)を題材としていて、ここに登場するカークもスポックも「第一作目に出てくるカークとスポックでは『ない』」という設定だったのです。
 なので、事前に第一作目を知らない人でも、充分楽しめる作品になっていたというわけです。
 しかも、原作のスポックと、ロミュラン人のネロは出てきます。この二人が「ブラックホールに巻き込まれ、タイムスリップをしてしまい、過去に来てしまった」という内容なのですが、この映画の中で過去は「連続的な過去」ではなく「別の並行世界」になっていたわけです。

 これは非常に斬新で、同時に「現在における『時間のとらえ方』に、とても準じている」と感心しました。

 タイムスリップを題材にした作品で有名なSF映画といえば、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ですが、これは「時間を連続的」に捉えている作品です。
 過去に飛んだ主人公のマーティは過去であれこれ大騒動することにより、未来に戻った際「色々な変化が起きている」ことに気がつきます。これはこれで、とてもユーモアのある作品なのですが、本来「過去に戻って、過去を改変する」ということ自体は理論的に無理だと思えるのです。

 それは、時間の概念そのものに関係していると思えます。
 以前、このブログでも書いたように、私たちは過去や思い出を「記憶」の中でしか保存出来ていません。存在するのは「今」という瞬間でしかなく、私たちの記憶が「それを連続的なフィルム」として認識しているのに過ぎないのです。
 私が思うに、時間というのは瞬間・瞬間で存在するだけの、泡沫みたいなものでしかなく、それは決して連続しているわけではない──例えて言えば、まるでそうした泡沫があちこちに交錯するように関わり合って実感出来るのが「時間の流れ」というものなのではないかと、そう感じるのです。

 ですので、映画「スタートレック2009」のように、「タイムスリップして戻った過去が、実は連続的流れの一地点である『過去』ではなく、並行世界における別の過去だった」というのは、とても理に適っているような気がします。
 よく「過去に干渉すると、未来を変えてしまうのでタブーだ」という設定などがSFにも多いですが、それは「タブー」なのではなく、もともと「不可能」なのだと思えるのです。もしも過去を変えたとしたら、それは「別の並行世界が生じる」だけの話で、こちら側は何の変化もない──そういうケースに陥るだけのような気がするのです。

 これも、「次元の謎のひとつ」に関わってくる問題だと思います。
 私自身は、「空間・時間」というこの両者が「固定されたものだ」という観念に囚われていると、次元の答えそのものを紐解けないような気がしています。
 時間も空間も、実は自在に変化するもので、それを「連続的・固定的」に捉えているのは、あくまでも「人間の意識におけるもの」でしかないのだとしたら、世の中に対する見方も大きく変わって来るかもしれません。

 以前、タイムスリップの話をしていた際に、「タイムスリップを研究しているチームが、それを実際に行って成功した」という話を聞きました。そして、そのうちのひとりは「二万年前のある地点」に飛ばされ、その場にあった芝生を握りしめて戻った──というのです。ところが、戻った瞬間に握りしめていた芝生は「その場で風化し、粉々になった」そうです。
 私はこの話を聞いて、首を傾げずにいられませんでした。
 これこそ、時間を「連続的流れ」という三次元的固定観念に囚われている証拠のように思えたからです。
 もしも本当にタイムスリップが可能だとしたら、それは「一瞬」で行われることなので、二万年前の芝生に風化が起こるというのは矛盾しています。
 もし芝生が風化するのであれば、一緒に飛んだ本人も「その時の流れ」を刻み込んでその場でミイラにならなければ、理屈にあいません。「二万年前の芝生だから、風化した」というのは、どう考えても後付された言い訳でしかなく、ロジックが破綻しているようにしか思えないのです。

 タイムスリップを可能にするとすれば、それは「空間をねじ曲げる」、或いは「次元を自在に操れる」ようになって初めて出来ることのような気がします。
 勿論、だからといって次元を操って過去に行けたとしても、上記書いたように「そこで変えた過去が、自分のいた時点の未来を変えていることになることはない」だろうと思います。
 時間は連続的ではなく、空間が示すような「一種の座標軸」に過ぎず、そこを私たちが転々とただ移動しているだけに過ぎないのだとしたら──それであれば、辻褄があうような気はします。勿論、移動している私たちは気付くことはないでしょう。何故なら、脳内で「記憶の照合」をとるから、不自然だということも分からないでしょうから。

 何だか最近の私は、どんどん「壮大な問題」にはまっていっているような感ありです(苦笑)。
 しかし、不思議な感覚ですが──壮大になればなる程、「すべての問題」が見えてくるような気がします。
 例えば、人類に不平等すぎる差別があること、紛争が絶えないこと、自由を約束されていながら不自由に強いられる現代人の生き方、絶滅を止められない生物達、何故人類が、他の自然や生命と調和した共存が不可能だったか──など。
 それらの問題も、こうした「次元」「時間」「空間」の問題の中に「凝縮されて詰っている」ような確信があるのです。

 ひとつの問題だけに向き合っていると、「その問題」に関わる視点でしか向き合えません。
 以前、私が「中東紛争問題」に真摯に向き合っていた際には解けなかった「答え」が、一見無関係とも思えるような「次元の紐解き」に行き着くことで、少しずつ何かが「見え始めている」のです。

 これも、一種のフラクタル理論と言えるものなのかもしれません。
 あちこちに起きている問題も、実はその根っこが「ひとつ」で、そしてそれを大きくしてみれば、「問題を解く鍵は、その大きな全体像の中にすべて含まれている」ということなのかもしれない──。

 面白い時代になってきた──そんな気持ちでワクワクしている、今日この頃です。  



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2010-05-12 | 次元 | トラックバック(0) |

人類は「奴隷」として創られた?

 人類創生について、少しずつ「ダーウィンの進化論は、違うのではないか」という考え方が浸透しつつあります。
 これについて私は、子供の頃から冗談まじりで疑問符を投げかけていました。

「猿から人間が進化したっていうことは、動物園にいる猿も、ある日気がついたら人間になっちゃってるかもしれないってことだよね?」

 そんな疑問符に対し、「それはあり得ないよ。もうすでに進化は末端なのだから、猿は猿のままだし、人間は人間のままだよ」という返答もありましたが、「進化の末端かどうかなんて、一体誰が決めるのだろう」と非常に疑問でなりませんでした。
 でも、その人の答えが一般的な解答──というよりもむしろ、「一般的な思いこみ」だったような気がします。
「今、存在するものが『全て』であって、そこから先は何も変わらない」という考え方。
 自分たちが進化してきたという事実をさておき、「それは過去のことだ」と固定して考えてしまう癖が、どうやら私たちには備わってしまっていたような気がします。 

 しかし、それを覆すデータがあちこちで上がり始めました。
 エハン氏著作「超入門アセンション&2012」では、「人類の進化の過程に宇宙人の要素があると報じたイタリアの新聞記事」について掲載されています。以下、転載します。

 セドリック・フェショット博士の研究グループは、数種類の哺乳類と爬虫類のゲノムに、通常の遺伝メカニズムでは伝達されることのない、遺伝子の水平伝播による異質な遺伝物質を特定した。
 遺伝子の水平伝播とは、ウイルスで見られるような、宿主のゲノム内部に外来性の遺伝要素が侵入する現象で、原核生物(※解説)の進化過程では頻発するが、真核生物(※解説)では珍しい。しかし、アーリントン校の研究者たちは、ネズミやオポッサム、コウモリ、さらには哺乳類や爬虫類のDNAに正常な遺伝メカニズムでは伝達できない塩基配列を発見した。
 研究者たちは、この異常な配列をスペースインベーダスピン(宇宙の侵略者)と命名し、その奇妙な起源を強調した。これは哺乳類で初めて確認された水平伝播で、1500万年前から4600万年前の間に遺伝子の取り込みがされたのではないかと見られている。遺伝子の宇宙侵略者、スペースインベーダスピンは、DNAに塩基を挿入しただけでなく、染色体の構造に特定の変化を促し、進化の発展をサポートしたのであろうというのが研究者たちの見解だ」(徳間書店5次元文庫「超入門アセンション&2012」エハン・デラヴィ著 P71~72)


 ここでは人類に特定されていませんが、哺乳類と爬虫類のゲノムにそうした現象が発見されれば、人類にあって当然だろうと思います。
 それは科学的証明云々の話ではなく、遺伝の分岐を想定すれば「結果的にそうならざるを得ない」ように思えるからです。私たち人間が、胎児の期間に魚類から始まって、爬虫類やその他それぞれの進化の過程を思わせるような姿になるのは、周知の事実ですしね。

 でも、ここでひとつ浮かぶのは何で、進化の発展をサポートしたのかという疑問です。

 そこで、いくつか興味深い意見があります。手元にないので引用出来ないのですが、「宇宙船が天空に満ちる日」を著した渡辺大起氏は「人類を、奴隷にしようとしていた」と記載していました。(奴隷というのは印象の悪い言葉かもしれませんが、要は「サポート的存在」として育成を目的にしていた、ということなのでしょう。)
 また、ジュード・カリヴァン博士も以下のような記載をしています。

 古代シュメール人の神話には、爬虫類に属するアヌンナキという地球外生物が、太陽系の果てにある惑星ニビルから地球にやってきたと記されています。こうした神話の研究や、与えられたみちびきなどから、彼らは当初、金を掘削するために地球にやってきた、と私は理解しました。急速に悪化するニビルの環境を守るため、彼らは金を必要としていたのです。
 最初は自力で金を掘り起こしていましたが、そのつらい労働を肩代わりさせるため、ある時点で、アヌンナキたちは人間を創ることにしました。シュメールの神話にも、聖書にも、そうした「神々」が「人間の娘たち」と交わったと記されています。二○万年前に現代人の人類を形成するにいたる遺伝子の突然の変化も、これによって説明がつくと考える研究者たちもいます。(徳間書店「あなたはスピリチュアルな錬金術師になる」ジュード・カリヴァン/エハン・デラヴィ著)


 こうした点を踏まえて考えると、「そっか~。人間は労働者だったんだ~」って思えちゃうかもしれませんが──果たして、それはどうでしょうか?
 私は、自分という存在が労働者だろうが、奴隷だろうが、召使いだろうが、セバスチャンだろうが、何でも構わないのですが──どうも「労働者として人類を創った説」では腑に落ちない点があるのです。

 それは、「自由意志の存在」です。
 労働者や、奴隷にする為人類を創生するのであれば、自由意志など持たせるでしょうか?
 自由意志ほど、従わせるのに不適当なものはありません。私がもし「何でもいいなりになる召使いが欲しい!」と思ったら、まず絶対に自由意志は持たせません。
 映画「スターウォーズ」に出てくるクローン兵と同じことです。彼らは、優秀な兵士にさせる為「思考力」はあるものの、従属の妨害となる「自我」は除かれてしまっています。その為、戦略を思考することは出来ても、常に「従属」だけしか意識にないのです。
 そこから考えても──私は、「労働させる為に人類を創生するのであれば、最初からそうした危険因子は省いているのではないか」と思えて仕方ないのです。
 まぁ、遺伝子操作している最中「ついうっかり!」で「あら。何だか反骨精神旺盛な人間になっちゃった」って可能性も否定は出来ませんが(もしかしたら、それが理由で聖書にある「失楽園」に至ったとか──)、遺伝子操作をするような知的生命体が、そんな「うっかりミス」をやらかすものでしょうか?

 あれこれ模索をしても、やっぱり「労働者説・奴隷説」に、私は同意しかねるものがあります。
 それに、昨日も書いたように「電気的宇宙論」の基盤に立つのであれば、最初から「プラス・マイナス」という二極の磁場がある次元に「従属する存在」を創ろうという方が難儀なように思えます。
 プラスもマイナスも、最初から「摩擦」が前提です。従者に「摩擦」があったら、王様は面倒くさくて仕方ないでしょう。王様が命令下す前に、部下達は何だか分からないけれど毎日喧嘩をしている──なんて有様になりかねない状態です。
 どう考えても、矛盾が生じてしまいます。 

 私は、この「プラス・マイナス」という二極の分離と「自由意志」という三点が、人類の意識進化において、重要な要素を担っているように思えるのです。
 もし「プラス」と「マイナス」だけであれば、そこにあるのは「摩擦」「衝突」、それだけです。
 しかし、自由意志をそこに投入することで、「摩擦・衝突(対立)」するのか、或いは「融合」するのかが選べるようになります。意志がなければ、反するものはいつまでも永遠に反するだけで、融合には至らないでしょう。融合というのは「意志」があってこそ成り立つものだからです。

 だとしたら、人類を創生した存在は、二極の分離の中で、自由意志をもって融合していく人類の成長を目的としていたのではないか──そんなふうに思えるのです。
 もしも労働者として人類を育成していたのだとしたら、最初から「分離のない次元」で行うでしょう。その方が、分離のある次元よりも従順な意識となりやすいでしょうから。

 まぁ、もしかしたら「自由意志で、分離を打ち勝つ程の強い意志をもった『奴隷』が欲しかった!」と言わた日には、「一本とられた!」って感じですが(笑)。
 とはいえ、私たちはどう抗ったところで宇宙の法則からは、絶対的に逃れられません。
 逆に言うと、「果てしない自由」って、本当に自由といえるものなのでしょうか? 
 私には、途方もない孤独と混沌のようにも思えます。
 プラスとマイナスという、二つの「地点」を自由意志で行ったり来たりしながら、事象を織りなしていく私たち人類。でも、その自由意志も「宇宙の法則」からは、決して抜け出ることが出来ません。
 そう考えれば、私たちはすでに「どんなに自由であっても、宇宙の従属からは逆らえない」のでしょう。
 そういう視点で考えたら、「人類創生は、労働者が欲しかった為」という理由も、あながち否定出来ないかもしれませんね(笑)。しかしそこでいう労働者は、三次元的労働者ではなく、「自由意志を律する力をもった、独立した存在という意味」なのだろうと、私には思えます。


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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

【篠崎編集担当】


【篠崎の著作本】

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