安易に「守護霊(守護天使)とコンタクトをする」人の危険性

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こんなに綺麗な現実界。それを見ずして目に見えない世界ばかり追うのは勿体ない。


 最近のブログはあまりに安易になりすぎたのか、はたまた「嘘をつく」ということに罪悪感を感じる人が激減しているのか、平気で「自分は見えない存在が見えた」或いは「守護霊の声が聞こえた」だの「守護天使とやりとりをしている」という人達が増えていますが、私はそのことに対して強く警鐘を鳴らします
 それは、私自身が多くの「物理的法則では説明できない体験」をしてきており、それをいっさい語らず、慎重に解析し続けてきたという経緯があるからです。

 2010年に発刊された「アセンション 真実への完全ガイド」に掲載した一文を、こちらに引用します。

私には、こうした三次元の物理法則では説明出来ないような体験が、数多くあります。
 しかし、そうした体験談を滅多に言わないのは、「体験談だけがひとり歩きしてしまうこと」を、深く危惧しているからです。私が「不思議大好き人間扱い」されるのを嫌うのは、それが理由です。私は、自分がリアルに体験したものごとのすべてを「不思議」という三文字で片づけるつもりは毛頭ないのです。仮にそうしてしまえば、私はただの狂言者に過ぎなくなってしまうからです。

【徳間書店5次元文庫  「アセンション 真実への完全ガイド」より引用 P238】


 少なくとも、私には「恥じらい」があります。
 そして、多くの人が受け入れがたい体験に対して口を封じることで、社会に対する誠実性も明かしています。
 ですが、最近の世の中は安易に「竜をみた」だの「言葉を聞いた」だのという言葉が流布する昨今。

 こうした事態を、ルドルフ・シュタイナーもスウェーデンボルグも、非常に危惧していました。
 何故なら、宗教の影響により霊界について正しく学べなかった人達は「霊界の真髄」まで進むことなく、幽界だけで転生してしまい、魂の研鑽を積まないでそのまま生まれ変わって来てしまっている人も多いからと言っています。(だからこれだけ、急激な人口増加が起きたのでしょう。)
 また、「高次の霊」或いは「高次の存在」ほど、人間世界に直接的に関われない事実を二人は何度も繰り返して証言していました。
 三次元に関われる霊というのはそれだけ周波数が低く、物質的だということなのです。

 同じようなことを、岡本天命の「日月神示」にも示されていました。
 彼はもともとチャネラー的存在ではなく、「審神者(サニワ)」でした。だから、自分に訪れたメッセージが本当に神のものかどうかを何度も考察したのです。(私は自分自身も、審神者的存在であると実感しています。だからこそこれほどの量の知識を蓄え、かつチャネラーと名乗る人たちの情報にどれほどの信憑性があるかを見つめる役目についているのでしょう。)

 以下、日月神示に書かれている内容を抜粋します(Wikipedia参照)

竜体(竜神と思われる)を持つ霊は神界にも幽界にもある。竜体だからといってそれらが全て神界に属すると思うのは誤りである。

・下級霊が懸かった霊媒の態度や所作、動作、言動は高ぶったり、威張ったり、命令したり、断言したり、高度の神名を名乗ったりするものであるがこれらは良く見極めれば判る。

・霊眼で見たり霊耳で聞いたりすることは間違いが多い。霊耳は耳をふさいでも内から聞こえてくる。また、霊人と語るのは非常に危険である。

・正神には奇跡はない。高級霊は態度が立派である

今の人間は9分9厘は幽界との繋がりを持つから、よくよく自分自身を審神し反省する必要がある。

・少しでも、怪しいと思った場合はそれが神の言葉でも裏表の見境もなく闇雲に信じてはならない。例え神の言葉でも自分で一応考えて、審神することが重要である。

・我は「天照大御神」などと名乗る霊にろくなものはいない。こうした霊に憑かれた人間は例外なく大言壮語するものであり、眉唾ものである。※これは天使の名前でも同じですね。

・神界より真っ直ぐに感応する想念が正流である。幽界からや幽界を経て流れてくる想念が外流である。(※これと同じことを、スウェーデンボルグも言っている。)

・高度の霊がただちに肉体人に感応することはなく、それぞれの段階を経て感応するものであることを忘れてはならない。

・神の守護というのは人間からは全然判らないものである。判る様な守護は低い神や悪神の守護である。悪神でも大将ともなればその守護は人間には判らない

・霊媒を通じてこの世に呼びかける霊の9分9厘は邪霊である。今後は更に激しくなる。


 私が今まで警鐘を鳴らしている理由が、皆さんにもお分かり頂けたでしょうか?
 ちなみに私は、「自称スピリチュアリスト」とは現在疎遠にさせて頂いています。おつきあいしているのは、スピリチュアルに興味はあるけど「現実世界」を大切にし、思いやりの心を持って相手を配慮出来るような人達に限らせて頂いております。
 この「日月神示」のように、一方的に「下級霊が懸かった霊媒の態度や所作、動作、言動は高ぶったり、威張ったり、命令したり、断言したり、高度の神名を名乗ったりするものであるがこれらは良く見極めれば判る。」ような人との縁は自然に遠のかせて頂いています。

 本当に愛ある人は、「自分の言葉」に常に慎重であるはずです。
 それが出来ない人は経験が未熟か、或いは何かを妄信しているか、過信しているかのどれかでしょう。

 皆さん、くれぐれも上記のような方々にはご注意ください。(といいますか、私のブログを読むような方は最初からそうしたことに気を付けている方ばかりとは思いますが。)

 空を見上げた時、光り輝く真っ白な雲。
 美しい青空。
 お母さんに抱かれ、無邪気に笑う赤子。

 現実世界には、高次の世界に通じるような美しいものが「い───っぱい!!!」存在します。
 それらを堪能することの方が大事だと、私はつくづく思う次第です。


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何故、スピリチュアル分野がカオス状態になっているのか?

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多様化する情報は、一度時系列と共に整理しなければ、混乱が著しくなるだけなのかもしれない。


最近私は「スピリチュアル」という言葉を使うこと自体にも抵抗を感じているのですが、まぁ妥当な言葉がないのでこの言葉に当てはめて書きますが(正確には「第三次ニューエイジブーム」とか、そんな感じの言葉で表現した方が正確かもしれません)、どうも昨今のスピリチュアルはカオス状態に陥っているように思えます。

2012年を境にだいぶ下火になった印象を受けはしますが、その分代わりに「自己啓発」と結びつけたものや「陰謀論+アセンション論」のような分野などが新しく枝葉を伸ばしてきています。
それそのものは、決して悪くはありません。
なのですが、問題はそれをビジネスとしたり、或いは活動の一環として提供する側の人格形成がなおざりにされていることが非常に問題であると、私は思っています。

もう今から14年程前の話ですが、私の友人が「片目(左か右か、今となっては忘れましたが…)から頭にかけての頭痛が取れない」ことに悩まされており、眼科にもかかったのですが原因不明と言われてしまったそうです。
悩んだ彼女はとあるエネルギーワークを行う霊能者の元に訪れ「目から頭にかけて、ひどい痛みがある」ことを訴えたところ、その霊能者は即座にこう言ったそうです。

「そりゃそうよ。あなたの眼孔から頭にかけて、ハムスターの霊がずっとウロチョロ走り回っているもの」

それを聞いて、私も絶句しました。
何故ならその時期、友人が可愛がっていたハムスターを亡くしたばかりの頃だったからです。(その霊能者はその事実をまったく知らなかったそうです。)
その後、その霊能者が眼孔に手を宛ててエネルギーワークをした瞬間──すっかり痛みは「取れた」そうです。鎮痛剤を使っても治らなかったのに、あっという間に治ってしまった、と。

それをきっかけに、その友人はその霊能者の元でエネルギーワークを学ぶことになりました。
ところが──です。
その霊能者は、とてつもなく人格が未成熟で、ワガママな人物だったそうです。

ただ、「実際に能力はある」──それを友人も身をもって体験している。
それ故に「本当にこの人の元でエネルギーワークを続けて良いのか、それともやめた方が良いのか」私に相談してきたことがありました。

私は即答しました。
「『人格』と『霊性』は『イコールでなければおかしい』。人格が未成熟で霊能力を使えるというのは、それはむしろ魔的な力で、正しい霊的な力ではないと思う」と。

人格が未成熟なのに、霊性が高い──仮にそれを大樹で例えるとしたら、根っこが貧弱なのに、幹だけ太くて枝葉を伸ばしている状態です。
そんな大樹は、すぐに倒れてしまうでしょう。

もしも霊性の向上を目指すのであれば、まずは「誰に対しても親切で、誠実である自分」を磨くこと──これしかないと私は思います。
人はやはり霊的な生き物なので、「優しさ」や「誠実」は必ず相手に伝わります。
中にはそうしたことが全く通用しない人もいますが、それはそれ。
そうであったとしても、8割以上の人が「与えられた優しさや誠意に対し、真心をもって返してくれる」私は自分の経験則でそう断言出来ます。

目の前で転んだ人に手を差し伸べることさえ出来ない人に、スピリチュアルを語ってもらいたくはありません。
本来のスピリチュアルは、「身近な人」「目の前の人」に当たり前のように「思いやり」をもって接することが出来る、そこから始まると私は確信しています。

少し話は逸れましたが──「スピリチュアル分野がカオスである理由」について、もう少し掘り下げてみます。

今のスピリチュアル分野を一言でまとめるなら、「クソ味噌一緒」な状態です。(よく使うなこの例え…)
中世ヨーロッパ時代、本来は最も神聖でなければならなかった教会が最も堕落していた時期、或いは、イエス・キリストが登場する前のパリサイ派とされる聖書研究者達が教義だけで何ひとつ信仰を重んじていなかった、そんな時代に被って見えてしまう今日この頃です。

また、このインターネットで簡単に検索出来てしまったり情報を入手できる時代となってしまったが故の弊害ともいえるのでしょうが、ちょっと情報を見聞きしただけで「自分は知っている」と思い込んでしまう人達も増加しています。
もし「霊性の向上」を少しでも望んでいるのであれば、「知っている、分かっている」と思ってしまうことは非常に危険です。
何故なら、「分かっている」と思った瞬間、それ以上、新たな智慧が入って来ることはないからです。
「からっぽ」なグラスに水を注ぐことは出来ますが、「満杯」なグラスに新たに水を注ぐことは不可能でしょう?

どうも巷のスピリチュアリストの中には「分かっている」「自分は覚っている」と勘違いされている方も散見されるように思われます。←本当の覚者は、わざわざ「私は覚っている」とは言わないでしょう。言う必要がないことを知っているから。

また、宗教の歴史も知らずに「スピリチュアルの枝葉部分」ばかりを論じるのもカオスの元凶となっているのでしょう。
それらは、多数出ている「チャネリング本」の影響もあると思います。
私は正直言って、チャネリング本をあまり推奨していません。
例えば、それを「閃き」として捉え、自分の血肉として知識に置き換えて表現している人達は別です(ルドルフ・シュタイナーがその例にあたるでしょう)。
しかし、高次元体の言っていることをそのまま「鵜呑み」にするのは「非常に危険」であると、私には思えるのです。

何故なら、彼らは「高次元体」であって、三次元の体験をしていないのですから。
いわば「理想論」に終わってしまう危険があるのです。

私だったら、「我は〇〇星人である。そなたに知識を与えたい」と言われたら、
「そう。じゃ、まずは『あなたが実際に肉体をもって、三次元を体験して』から語ってちょうだい。イエスや釈迦のように。三次元を実体験して肉体を持った上で語っていない人の言葉に、私は耳を傾けません」と、そうつっぱねるでしょう。(私は徹底した「経験主義」かつ「実存主義者」です。)

スピリチュアル分野のカオス状態の根底には、チャネリング本の普及も端を発しているように思えます。
それを鵜呑みにすることで、人は三次元の仕組みと向き合おうとしなくなってしまった──そこにカオスの種が隠されているような気がします。

勿論、だからといって闇雲に「陰謀論に走れ」というわけではありません。
むしろ、もっと俯瞰的な視点で自分の日常を体感すればいいだけのことなのだと私には思えます。


少し、スピリチュアルとしての「気づき」について整理する必要があるように昨今感じるようになりました。
(本当は小説執筆だけに集中したいのですが……「整理しなければならない」という強い衝動に突き動かされているので、きっと「そうしなければならない時期」なのでしょう。)

実は大学時代に私は「仏教の解脱」について、それを階層別に整理して解析をしたことがありました。
その際に、覚りにおいても段階があり、下層の部分では一段上がってもまた下がりを繰り返してしまうものの、ある一定のライン以上の覚りを経た者はそこから後落ちることがなくなるということを知りました。

スピリチュアルの「気づき」についても、同じことが言えると私には思えるのです。

それを近々、簡単に整理して記事にしようと思います。


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「生きるのが辛い」と思っている人達へ

ここしばらく、私は非常に反社交的になっていました。
もともと社会に背を向けて生きているようなアウトロータイプ故、それを打破しようとして進んだ看護の道。
その仕事の過酷さ故に、あまりに疲れ果ててしまって──ここ数か月……いえ、半年ぐらいは非常に厭世的になっていました。
口を開けば、「山に籠りたい」「出家したい」「無人島に行きたい」云々……。

インターネットで流れるのは、SNSにおける多くの人の日常吐露。
もっと大切なものがあるだろうに。
もっと人間は大きな目的の中で生まれてきたはずなのに。
何故、こんなにも人は「目の前のことだけで、『楽しもう』」とするのだろうか。
そんなふうに疑問に思っていた日々。

だけど──ふと、急に思ったのです。


そういえば、ディズニーランドで「受験勉強している人」って見たことないな、と。


もしくは、ディズニーランドに来ているのに、ベンチで必死に本を読んでいる人も見たことないな、と。
ディズニーランドに行けば、人は「そこでしか体験できないもの」を体験するために、精一杯楽しもうとする。わざわざディズニーランドまで来て、待ち時間に「ソクラテスがさ…」「いやいや、それについてプラトンは──」なんて話す奴もいないし、私だってその場でそんな話は「しない」。

私達が色々難ありに見えてる社会に来ているのも、この「難あり」な体験を満喫するためなのではないだろうか、ふとそう思ったのです。

もしも私が、自分の望み通り山に籠り、廃屋で自給自足の生活をし、毎日瞑想三昧をして、覚りの境地を(仮にね)得たとしよう。
それって、別に「この世」でやらなくてもよくね??
あの世では魂がすべて真理知ってるンだから、単に覚り開くだけなら生まれてくる意味なくね??

急に、そう思ったのです。


私はひがみ根性や嫉妬心等に全く無縁だし、勝ち犬だの負け犬だのそんなことにも興味ゼロなので、正直にブチまけます。

私の人生、「めっちゃ辛ぇぇぇぇぇ!!!!」
波乱万丈すぎ!!!!
もう少し、「ビーチできゃっきゃ☆」とか「草原であはは♪」とか、そんな人生送ってみたいけど、あンまりにも無縁すぎ──!!!!
(いや、そもそもあまりそういうのに興味もないけどさ)

世の中の「どうせ俺(私)なんか…」といじけている諸君!!
SNSで「いいことばっかり」呟いている人多いから、「自分だけが不幸なんじゃないか」と不安に思っている方。

安心してください!!!
私もあなたと同じく、「辛いなぁ~」って思うこと、いーっぱい「あります」。
その辛さを、否定しません!
綺麗ごとにもしません!

「ツイてね~!!!」ってこと、いっぱいあるし(笑笑)。
職場のドライバーさんから「え~!! 篠崎さんが受診にあたると、絶対残業が発生するンだよなぁ」と「もってない女」扱いされ、
私が「〇〇さん、今夜あたりが峠になりそうです…」というと施設長から「やめろよ~! いっつもそうやって死神宣告するの! 篠崎さんが言うと必ず当たるんだもん!」と忌み嫌われ、
挙句の果てには、同僚看護師から「明日休み?」と聞かれ「ううん、仕事だよ」というと、「良かったぁ!! 篠崎さん休みの日はいっつも雨降るから! じゃ、明日は晴れるね!」妖怪アメフラシ扱いされ── 

それでも、篠崎は毎日元気に「凌いでます」!!!!
施設で増加しつつあるモンスターファミリーに理不尽なクレームつけられても、笑顔で交わしてます!!(陰で「くそったれ!!」って叫べばいいのです。同情してくれる人は必ずいるから。)


でも、「これが『生きてる』ってことなんだ!」ふと、そう思いました。


世の中が歪んできているとか、異常気象とか、
某国が何考えてンだか分かンね~とか、
SNSが炎上して、会ったこともない人にケチつけられたとか、
そんな社会でも、「体験するために、今、ここにいる」のです。
その体験から目を背けて、ゲームに没頭しても山に籠っても天の岩戸に籠っても「ま、それは個人の自由」ですが、

せっかくこの「三次元」に生まれてきたンですもの!
この「三次元でしか味わえない苦痛」も味わいましょうよ!


でないと、死んでから「あ~。三次元でしか味わえなかったものを、もっと味わえば良かった」そう思うに決まっています。
自分は幾度となく体外離脱をしましたが、行った先の世界のほとんどは美しく、三次元で味わえない程輝かしいものに囲まれていました。だったら、三次元でしか味わえない「汚れちまった悲しみに(…って歌があった気がする)を存分に味わいましょうよ。

最近、「ストレス社会」とよく言われているけれど、私はその理由のひとつに「辛いと思う感情に無理矢理蓋をして、綺麗ごとでごまかそうとしているから」なのではないかと思うことがままあります。   
クソ味噌一緒といいますが、クソはクソです! 味噌ではないです。(お食事中の方、ごめんなさい;)

辛い体験は「辛い!」として、ストレートに認め、変に「愛」だの「ギフト」なんて言葉でごまかさず、「神様のクソったれ! こんな思いさせやがって!」ぐらいに吐き出し、そして、明日を元気に生き抜く──それが人間みなに与えられた使命なのかもしれない、そんなふうに思います。

今、エハンさんはアイスランドを裸足で巡礼しているようですが、いいですね──私も同行したかった。
だって、「裸足で歩き続ける」ンですよ。
まさしく「生きている」っていうことです。

でも、残念ながら私の戦場は自然ではなく、「人間の現実社会」にある。
だから、私はそこを裸足で巡礼します。
それは「素足」という意味ではなく、「素の魂」という意味で。

この記事を読まれている皆さんにも、必ずや「辛いことのひとつや二つ」はあると思います。(「いや、まったくないし!」っていう方は別にそれはそれでいいのですが。)
でも、その「辛さ」こそが、あなたがこの世に生まれてきた目的であり、意味かもしれません。
俯瞰的な魂の視点でみれば、「何だ。この『辛さ』こそが、私が生まれてきた意味であり目的だったんだ」と気づくことが出来るでしょう。

地球のアセンションが起こるとするならば、この三次元における体験を俯瞰的に見つめることが出来て「初めて」成しえるものであると思います。
現実を無視して良いのなら、あなたは最初から「ここにはいない」。
現実から浮遊したスピリチュアル的な思想よりも、三次元を「くそまみれ、泥まみれ」で生きぬいた人の方が、「この時代に生まれた意味」を味わっているように思えた今日でした。

さて、明日も「くそまみれ、泥まみれ」で生きていきましょう!!
ストレスに負けそうな人。
社会が辛くて仕方ない人。
うつ病になりかけている人。
心が折れそうな体験をして、どうしていいのか分からずネットサーフィンしている人。

私もあなたと共に、三次元の沼地を歩きます!!
恐れることなく、共に歩みましょう!!
ここは「地球」という名の「テーマパーク」なのですから。
そのテーマパークを「思う存分、体験しましょう」!!



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高齢者にこそ、スピリチュアルケアが必要不可欠

昨年の12月24日、メインサイト「YOU are EARTH」を改め、WE are EARTHとしてリニューアルオープンしました。
何故タイトルを変えたかと言えば、長年私が言い続けていること、「私たち生命は、地球の細胞である」ということをよりはっきりと明言したいと思ったからです。

このサイトの目的は様々に起きている現象を整理し、「問題はどこにあるのか。そして、その原因は何なのか。解決策はあるのか」といったことを掘り下げることにあります。
(JOURNAL http://we-are-earth.com/journal.html
今は「高齢社会」について記事にしており、先日「1/22」に新たな記事を掲載しました。

高齢社会について、あまりスピリチュアリスト達が言及している場面はほとんど見受けられません。
(と言いますか、社会問題について書いている人自体、あまりいないように思います。※陰謀論に偏っている場合は別ですが。)
しかし本来、「高齢社会問題ほど、私たちが霊性をもって考えなければならない問題はない」と、私は断言します。

少子化問題については、様々な社会体制や未だに残る日本の男尊女卑的社会の影響といった、それこそ「倫理観の見直し」という部分で振り替えなければならない問題が多数ありますが、高齢社会については、「一人の人間が老いていき、その残された日々をどのように魂と向き合って生きていくのか」といったとても重要な問題をはらんでいると私は思えるのです。

ですので、本来は「ホリスティック」や「スピリチュアルケア」といったものは「高齢社会における人たち」に向けてこそ使われなければならないのに、何故かそこは「見落とされている」のが現状です。
がんの終末期やホスピスにおいてそこは重要視されているのに、老人ホームなどにいる方々にとってそれは「度外視される」というのは一体何故なのか?──疑問でなりません。

現在、高齢社会問題に対して注目しているのは、一般企業がほとんどです。
もう売却されてしまいましたが、某居酒屋チェーン店が老人ホームを経営していたことは有名ですし、日本全国展開をしている有料老人ホームの母体も、元は「ゼネコン」です。

おそらく、施設を建てるには資金が必要のため、もともと企業として成功していたところの方が動きやすいからなのでしょうが、その分、医療者や福祉関係者が関わっていないためか、施設としての体制は全然「高齢者のことを考えてのものではない」ケースがほとんどです。

高齢者という存在は、「この世における学びを終えて、新たな世界へ旅立つ準備をする」とても大切な時期にある人たちです。
そして、私たちも「誰ひとり、逃れることなく『そうした時期』を迎える」のです。

高齢社会問題において重要視されているのは、経済的な側面や介護士などの人員不足ですが、それだけでなくもっと究極な問題が、「人生を終わらせて旅立つ人たちに対して、スピリチュアルケアがいっさいなされていない」ということです。

海外では、教会が老人ホームを運営していたり、或いは老人ホームに神父や牧師が訪れるといったケースが多々あるでしょうが、日本の老人ホームではそれが行われていません。
では、高齢者の方々みんなが「死について」何も考えていないのかといわれたら──決してそんなことはないのです。

先日、ある高齢者の女性が不穏(精神的に落ち着かず、興奮すること)になってしまい、しばらく付き添ったことがありました。
彼女は私に、こう言いました。

「ねぇ、死んだらどうなると思う? 私、消えちゃうのかな?」

私はかぶりを振って「そんなことはないと思いますよ」、そう言いました。
「でもね、私、何の宗教もやってないのよ。仏教も知らないし、キリスト教も知らないし──」そうその女性は言ったので、
「宗教を知らなくても、それは関係ありません。皆さん、肉体を離れた後は素晴らしい世界に還って行くと言われていますよ」と答えました。

その後、実際に私が遭遇した「臨死体験を語った人たち」の話を聞かせました。興奮して体を震わせていた女性は食い入るように私の話に耳を傾け、聞き終わった後、こう言いました。
「私も、そんな世界に行けるかな?」
「〇〇さんだったら、絶対に大丈夫です。とっても繊細で、思いやりに溢れていますもの」
手を握ってそう伝えると、女性は目に涙を浮かべながら笑顔で頷きました。

このように、普段はみな口に出さなくても、心の奥底で不安を持っている方はたくさんいらっしゃるのです。

セラピスト、スピリチュアリストとして活動されている方は、もっと積極的に高齢者の方と接触する機会を持つことをお薦め致します。
今やもう、スピリチュアルで「自己啓発」をしている時代ではないのです。「霊性を基盤とした新たな社会を構築する」そんな時代に突入していると、私は実感しています。
私自身も「霊的なことを探求出来る老人ホーム」をどうやったら設立出来るか、今後も模索を続けていこうと思っています。


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夢の構造に注目する

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          ※映画「インセプション」では、何層にも重なった夢の中で産業スパイが行われる。
          夢という次元がもっと全人類にとって枠のない共有領域となったら、こういうこともあり得るかもしれない。


 最近、篠崎は「夢日記」をつけるようにしました。
 以前から私が見る夢は示唆的な夢だったり予知夢的な要素が多かったのですが、先日、自分の身に起こる予知夢と思われる夢を二日間連続で見たことから、「何かの足がかりになるかもしれない」と思い、記録することにした次第です。

 そうした中で、夢には明確な時間軸がないということを改めて再認識しました。
 例えば、私たちは「夢」を思い出そうとする時、時間を頼りにして思い出すということが全くないはずです。通常の出来事であれば、「あれはお昼ご飯の前だったから…午前中ぐらいだったかな」とか、もしくは几帳面な人なら常に腕時計をみて「あの時、時計が10:40を指し示していたから、その5分後ぐらいだ」など、起きたエピソードを辿る際に時間を参考にすることが多々あります。

 しかし、夢の中の記憶ではなかなか「時計」自体が出てきてくれません。どこから朝でどこから夜なのか、或いは「さっきまで暗い夢だったのに、次は明るい場面になっていた」など、とにかくムチャクチャです。
 
 そのため、いざ夢日記をつけようとしても「あれ? こっちのエピソードが先のように思うけど、実際は後だったっけ?」などこんがらがることが多々あります。 
 それは、夢には時間がないから「先も後もなく、同時多発的に起きていたとしてもそれは不思議ではない」ということだからだと思います。そもそも、夢は「レム睡眠時に見る」ということは分かっていても、自分の記憶している夢が「どのレム睡眠時だったのか」も明確ではないからです。「起きる直前に見ていた夢を覚えていることが多い」と言われてはいるものの、本当にそうかは誰も実証していません。(実際に私は、起きる直前よりも前に見た夢も記憶していることが多々あります。)

 私たちはこれほどまでに「三次元での時間・空間」という感覚をすり込まれているはずなのに、何故、夢がそれを超越することに対してみな当然と受け入れるのか──本来であれば、「夢が時間・空間を飛び越えている」ということ自体にも注目すべきなのかもしれません。

 また、夢を深く分析していくと、「自分」という存在がコロコロと変わっていることにも気づかされます。
 普段私たちは、「自分」というものを常日頃体系づけて記憶しています。
「私は日本の○○に住んでいて、仕事は××で、1時間かけて職場に通い、趣味は△△…」などなどなど。

 しかし、夢ではそうした「自分」が、一瞬にして変わってしまいます。
 今まで一度もしたことがないのに何故か警察官だったり、或いは紛争地域のレジスタンスだったりと、とにかくぶっ飛ぶこともしばしばです。
 場合によっては、「昔住んでいた家」などが生々しく再現され、その割には行き着く道が今の自分が利用する道などという矛盾も沢山孕んで出てきたりします。
 夢に出てくる友人や家族も、現実において自分が認識している性格でなかったりすることも多々あります。
 Aちゃんの姿で出てきているのに、何故か自分はBちゃんと認識して会話していたという摩訶不思議なことも起こったりします。

 あまりに荒唐無稽だから「注目しても意味がない」──そう思う人も多いでしょう。
 しかし、実際には夢は現実を変えられるだけの要素が、ぎっしり詰まっていると、最近そう思うようになりました。

 「思考は現実化する」という言葉。今となってはすでに聞き古されてしまった言葉ですが、この「思考を現実化する」ということを即座に体感できる場所が──そう、「夢」なのです。

 皆さんは、どのような夢を見るでしょうか?
 見る夢によっては、自分が途中で「あれ? これは夢だ」って気がつく場合もあるのではないでしょうか?
 私が見る夢は、大半が「自分が『夢』だと自覚して見る夢」だったりします。
 そうすると、夢の中の私は「次に○○なる」「もしかして××になるかな」などと様々に想像しては、夢を創造して楽しんでいるのです。

 夢は、ある意味「四次元の世界(時空のない世界)」です。
 もし、地球がアセンションに向けて少しずつ「四次元化」に進んでいるのだとしたら──こうした「夢の特性」を、そのまま現実に活かせることが可能かもしれない。
 ぶっ飛んだ考えかもしれませんが、「試してみる価値はあるのではないか」──私はそんなふうに思っています。

 余談ですが。
 超能力だの特殊能力だのといった話を抜きにして、人は思考を現実化させる能力を、内在していると私は確信しています。
 私はこの年齢に至るまで、多くの友人や知人、クライアントなどの相談に応じてきましたが、大抵の人はみんな「その人が話していたとおりの日常を、現実化している」からです。
 多くの人は、自分がした相談や悩んでいたことなどを忘れ、人生をトータルで眺めずに「今見える範囲」でしか判断しないので、「いつまでも自分は満たされた人生にならない」、そう思ってしまうかもしれません。

 しかし、長い目で見てみると、明らかにその人は「数年前にその人自身が話していた通りの人物になっている」ことが多いのです。

 そうならないケースもありますが、その場合は「こうなりたい」という自分の自画像よりも、周囲への不平不満・愚痴・責任転嫁が多いケースだったように記憶しています。
 かくゆう私も、自分の「負の思考」がことごとく現実化し、思考に責任を持つことの重大さを改めて痛感させれた昨年1年でありました(自嘲)。

 夢に意識を向けると、自分が意識していなかった様々な答えやメッセージ、気づきが得られます。
 また、夢の中で「これは夢だ」と自覚していた場合は、「現実化のプロセスを学ぶ絶好の機会」とも言えます。
 初夢はすでに過ぎてしまいましたが、「1月に見る夢は『全部初夢』!」ぐらいの勢いで(笑)夢に着目してみてください。
 必ずヒントが隠されているはずです。 


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私達は、大荒れの海を「絶対的保護」のもとで経験している

        Troubled_waters_wallpaper_medium2.jpg
        ※この現実でどのような経験を積むかは、あなた自身と宇宙の壮大な計画により立案されている。
           その経験がどんなに大荒れに荒れていても、共に立案した宇宙は必ず守ってくれている。


 今日、こんな夢を見ました。

 気がつくと私は、大荒れの嵐の海を小舟に乗って旅していました。
 その舟はとても小さく、暴風と大波に耐えるにはあまりに頼りない大きさでした。
 舟には数人しか乗っていませんでしたが、私以外の人はみな眠っていました。私もまだ眠気が強く、その上「このような大荒れの海に小舟で漂うなんて、そんな現実からは逃げたい」という思いもあり、いっそ眠ってしまいたい──そうも思いました。

 ところが…。
 そんな嵐の海でしたが、岩に波が砕け散る瞬間にとても美しい七色の光を放っていたのです。その光景に、私はとても感動してしまいました。
 それと同時に、私はこんな大荒れの海であっても、この小舟は「絶対に沈まない」そう確信したのです。

 そのことに気がついてから、私は「大荒れの海」を楽しみ始めていました。一緒に乗っているみんなも起こして、この風景を楽しませてあげたい──そんなふうに思っている時、目が覚めたのです。

 しばらくの間、私はその夢の意味を考えていました。
 その結果、ある閃きを得たのです。

 今の現実世界で起きていることは、それこそ「大荒れの海」に等しい状況と言えるでしょう。
 紛争、異常気象、感染症──どれをとっても、目を背けたくなるような現実ばかりです。
 そんな荒れた現実の中を旅している私達は、「小舟」に等しいぐらい頼りない存在かもしれません。

 しかし、そんな小舟でも「絶対に沈むことはない」のです。

 私達は、様々な心配や不安を想起しては気を揉んだり、クヨクヨしたりします。
 しかし、そうした出来事はすべて「三次元」に限定されたことであり、私達の根源である魂には「何の影響もない」ことなのです。
 確かに世の中には、辛いことが沢山あります。
 しかし、その辛さを「自分の魂の中にまで引きずり込み、傷(業)としてしまうか否か」は本人の選択次第です。
 肉体が滅んでも魂は永遠不滅であり、「今の次元」にはあくまでも勉強のために来ているのだと思えば、何も怖いものはありません。
 辛い経験が多ければ多いほど、その人は「難易度の高い試験に臨む、優秀な魂」と言えるのだと私は思います。

 どんなに荒れた海の中にいようとも大いなる宇宙に保護された中で、私達は「経験をしている」。
 だから「眠ったまま」でいるのではなくしっかり目を開けて現実の風景を楽しみなさい──そんなメッセージが籠められている夢だったと、そんなふうに思いました。


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スピリチュアルな感性と、社会の共生を目指すために

            イルカ-s
            写真提供:Chiharu Tsukidate
      イルカが「癒しの存在」と言われる理由は、形状や背びれや尾びれといった外枠ではなく、
       目に見えない形で受け取る何らかの「思い」があるからかもしれない。
       私たちは明らかに「目に見えない存在」を感じ取っているにも関わらず、
       それを容易に否定し、形状の枠に押し込めようとする。
       しかしまた同時に、目に見えない存在を信じるものは、形状の枠を否定する。
       何故、イルカのように寄り添い、異なる存在について互いに認め合っていけないのだろうか──


 今に始まったことではないのですが、もう長いこと巷では目に見えない世界に対する感受性を持ちながら、如何に社会と共生していくかということが物議を醸しています。
 私は精神世界に関する執筆をしていても、どちらかといえば現実主義者だと思います。理由は、私の目指すところが人類全体の進化であり、社会やシステムを完全否定しているわけではないからです(いわば「隠遁者ではなく、異端者である」ということかもしれません)。
 スピリチュアルな世界でよく言われる「目に見えない世界が『主』であり、この現実が『幻』である」というのは、肉体の関連性でいうところの「神経細胞の働きが、筋肉や臓器に命令を与えている主軸である」ということと同じようなものであり、決して「目に見える世界を軽んじてよい」ということではありません。
 その両者は常に関連しあっており、どちらも生命活動にとって「欠かせないものである」ということなのです。

 しかしどうしても、その「どちらか」に偏ってしまいがちなのが人間の性(サガ)──というものなのかもしれません。
 こうした精神世界が注目され始めたのは、インターネットの普及率があがった2005年前後からのことです。その前は1995年におきたオウム真理教地下鉄サリン事件により、精神世界は「これでもか!」という程の排斥を受けてきました。
 その時代から精神世界に関わっていた人間としては、時代の変遷を知ることなく精神世界をまるで「ハリーポッターの魔法の世界」かのように浮世離れしたものとして捉える人々に対して、疑念を抱くことも多々ありました。

 また、もっと前の時代においては、こうした「目に見えない世界」のことを語るというのは、精神疾患を疑われるといった背景もあったのです。
 だからこそ、「霊が見える」「光が見える」という言葉に対して、実際にそれが見えている人も口にするのを控えてきたのです。
 そのぐらい、精神世界やスピリチュアルといったものは「社会との共生が難しかった」という歴史を踏まえての「今」であるということを意識出来ている人達が、果たしてどれほどいるのだろう──と疑問に思うことも多々あります。

 現実社会においては、ひとつひとつの積み重ねが必要です。
 その積み重ねをすっ飛ばして「目に見えない魔法の世界だけで暮らせる」なんてことは、残念ながら「あり得ない」のです。
 それが出来るのであれば、私たちは最初からこの三次元の惑星に誕生しているはずはないのですから。

 スピリチュアルな感性を自負する人達の中には、「分かってくれる人だけ分かればいいのよ」と、最初から理解を求めない人達もいます。
 しかし、私はそういう考え方が「嫌い」です。
 何故なら、「分かってくれる人だけ分かればいい」という考えは、「分かってもらえない人達には分かってもらえる努力をしなくていい」ということの裏返しになるからです。

 世の中は決して甘くないので、万民が良しとする結末はありません。
 しかし、「分かってもらおうとしたけれど、分かってもらえなかった」というのと、「最初からその努力さえ放棄している」のでは雲泥の差です。
 私は常に、ひとりでも多くの人に、目に見えない世界の真実やスピリチュアルの存在を感じて欲しいと願っているので、だからこそ「社会の意識進化と共に歩もう」という姿勢を打ち出しています。
 異次元だの多次元だの、地球外知的生命体だのという話をして、社会に生きる人達100%が理解を示すかと言えば「答えはNO」です。
 これだけ価値観の多様化が広がっていても、こうした世界をすんなり受け入れられる人達のパーセンテージはまだまだ低い──20~30%だと思います。(そのため、私は篠崎としての活動を周囲の友人ごく一部にしか伝えていません。)

 だからこそ! 
 草の根的な活動が必要なのだと、私は思っているのです。
 目に見えない世界に「真理がある」と確信していれば、尚のことです。
 浮世離れした「不思議ワールド」の話で終わらしてしまってはいけない──私はそう声を大にして叫びたいです。

 すべての流れは「統合」にあります。
 まったく三次元の世界しか受け入れられなかった人達は「その枠」を超えた世界を受容する必要があり、
 また逆に、すでに枠を超えた向こう側を知っている人達は、「如何にその世界を目の前で具現化していくか」を試みる必要があるのです。
 多くの先駆者がその挑戦に試みていますが、まだその実現が完全に終わったわけではありません。

 私たちは今も尚、人類の進化に対する努力を続けていくことが必要なのです。
 スピリチュアルを、ただの「おとぎ話」や「内輪受け」で終わらせてしまってはいけない──だからこそ、そうした本音をアピールしすぎることなく、社会と共に歩みながら、辛抱強く統合された未来を願って精進していくことが大切なのだと思います。 


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明けない闇

     moon-yoru.jpg
     【撮影者】織人文様/Silent Sea
     私たちが夜の闇を楽しめるのは、「必ず朝が来ることを、知っているから」かもしれない。
     でも、もし…待っても待っても、朝が来なかったら…
     時計盤の針は固定されたまま、痙攣したようにジリジリと身動きするだけで、
     まるで夜が明ける様子さえなかったら…
     あなただったら、どうしますか?


 「夜明け前の闇は、一番深い」という言葉、誰もが一度は耳にしたことがある言葉だと思います。
 私はこの「闇の深さ」を、身をもって体験したことがありました。
 早朝バイトをするために、深夜4時過ぎにアパートを出て外に出た時のことでした。真冬だったので日の出にはまだ2時間近くあり、寒さもいつも以上に感じた程です。
 当時はコンビニもそうそうなく、24時間営業しているファミレスも今ほどない時代でした。
 ネオンというネオンから灯は消え、辺りは静まりかえり、日中には車通りが多い車道も、まったく通っていない有様でした。遠くで新聞配達のバイクの音が聞こえましたが、普段なら気にも止めないような音が反響しているかのように大きく感じた程です。
 星の光に慰めを求めましたが、夜空は曇っているのか何も見えませんでした。
 私は駅に向かって歩いていたのですが、恐怖から小走りになっていました。幽霊にあうとか、犯罪にあうかもとか、そんな具体的な恐怖心ではありません。ただただ深すぎる闇が怖くなったのです。

 今でもあの時に感じた怖さは、思い出すことが出来ます。「ただ暗いだけでにぎやかな状態」であれば、そこまでの恐怖心を持つことはないのでしょう。闇と共に静寂が包み込んだ空間というのが、途方もなく怖く感じたのです。(その時の体験談も含めて表現したのが、神様選挙の「動物だけの世界」です。街が箱庭のようになって、人っ子一人いなくなる…というのは、私が繰り返し見てきた夢の一場面でもあります。)

 みなさんも、想像してみてください。

 あなたは今、夜の闇の底にいます。
 周囲は、あなたにとって見覚えのある商店街です。
 行きつけの店、立ち読みに寄った本屋さん、寂びれた喫茶店。
 大型ドラッグストア、コンビニエンスストア、瞬きのように変わるパチンコの店頭表示。
 街並みから突出したように近代化した駅ビル。
 新しい時代と古い時代が混在化した空間。
 すべて記憶どおりというのに──周囲には、誰もいない。
 車の音も、空を横切るヘリコプターも、救急車のサイレンも聞こえない。
 車も人もいない道路はただ縦横無尽に横たわっていて、あなたの行く手を阻むことなく受け入れています。

 右に行っても、まっすぐ行っても、眠っている街がただ広がっているだけ。
 あなたは歩くことしか出来ず、ゆく宛てもなくただ歩き始めます。
 どこから来たかが分かっていれば行く場所も分かるけれど、なぜかその記憶だけがぷっつりと消えています。
 あなたは、歩きながらどこから来たのか──そして、どこへ向かうのか答えを求めるしかありませんでした。

 周囲の風景は変わっていくけれど、闇は変わることがない。
 あなたは遠くに見える看板を目標にして、「あそこまで行けば、何かが分かるかもしれない」そう思いながら歩き続ける。
 その看板に近づき、やがて追い越しても、何も変わらない。
 風景は変わるけれど、歩き続けることに変わりはない。

 もう、歩くことをやめてしまおうか──そう思うかもしれません。
 でも、歩くのをやめても何も変わらない──そう気がついてから、「やめること」さえ諦めるしかありませんでした。
 疲労があれば、やめることへの言い訳にもなる。
 しかし、何故か足は疲れることがありませんでした。
 喉も、渇くことはありませんでした。
 空腹さえ、感じることが出来ませんでした。

 そうなった時、人はどうなるのでしょうか…?


 私だったら「廃人になっていそうだな」と、そう思いました。
 発狂出来るような刺激もない状態では、人は思考することさえも放棄して、ただただ歩き続けるロボットのようになってしまうのではないか──そんなふうに感じました。

 明けない闇…。
 それは、もしかしたら今の時代の象徴なのかもしれません。
 常に課題が残された社会、理不尽な事柄、人との摩擦。
 便利の追求の果てに、壊れてしまった人々の魂。
 先の見えない社会情勢、終わらない紛争。
 傷つけられ、再生が間に合わない程に追い詰められた自然達。

 こうした時代。
 先ほどあげた例のように、自分がどこから来たかも分からず、どこへ行くのかも分からないまま「ただ歩く」だけでは…いつしか廃人になるしかないのかもしれません。
 だからこそ、精神世界──スピリチュアルという分野が今の時代これほど注目されるのでしょう。
 それは、「明けない闇の中で歩き続ける人達」に向けて、道しるべを投げかけるものだからなのかもしれません。

 「夜明け前の闇は深い」とはよく言いますが、また「明けない夜はない」という言葉もよく聞きます。
 上記した喩え話の人が、もし「明けない夜はない」と信じていたら、誰もいない空間でさえ楽しんで歩いていたかもしれませんね(笑)。
 すべては信念や意識が鍵なのだということを、実感する昨今です。


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グラウディング

           kage-05.jpg
             【撮影者】織人文様/Silent Sea
 こんなふうに足下を見つめたのは、いったいいつ以来だったか…
  毎日、毎時間、足は働き続けてくれているのに、そのことに対してあまりにも無関心だったのではないだろうか
  身近な一歩を大切にせずして、大いなる一歩なんて踏み出せるはずがないというのに──。



 今も昔も、スピリチュアリストの中には現実逃避してしまう人が後を絶ちません。
 特に、チャネリング系の異次元体験が流行り出してからは、「本当の自分はここにいない。今の自分は本当の自分ではなく、天使の姿をしていて違う世界にいる」といったことを(本人は)本気で信じてしまうようなケースもまま見られます。

 とはいえ…。
 以前の篠崎だったらそういう方々を「甘い!」と一刀両断しちゃったのでしょうが──最近、様々な人と触れあっていく中で、必ずしも本人だけに弱さがあるわけではない…そう思うようになりました。
 先日知ったのですが、統合失調症というのは「ストレス耐性が未熟であることが原因で生じる脳の神経伝達物質異常」であることが医学的に判明したそうです。ややこしい脳神経伝達うんちゃらというのはこの際おいておくとして、この中で私が注目したいのは「ストレス耐性が未熟である」というところです。
 統合失調症にはいくつか型があるのですが、発症した年齢、および症状によって破瓜型(はかがた)、妄想型、緊張型といったタイプに分かれます。中でも「破瓜型」は、発症年齢が思春期に集中しています。思春期といえば、子ども達が成長していって「外的社会の仲間入りをする準備期」にもあたる大事な時期ともいえるでしょう。
 そういう時期に──例えて言えば、温室育ちで冬の木枯らしや夏の豪雨を浴びたことのない苗に、いきなり温室から出して「きれいな大輪を咲かせよ」というのは無理難題というものでして──外気に耐えながらも大輪を咲かせるのであれば、芽が生えた頃から少しずつ慣らしていく必要があるのでしょう。
 人間も同じようなもので、徐々に外部環境に慣れていくことが必要だったにも関わらず、その過程やステップアップがうまく行かず、急激な環境変化なり人間関係の変化なりが生じると、人というのはそのギャップに耐えきれず発病してしまったり、或いは逃避してしまったりするものなのかもしれない──それはそれで、人の精神における防御機能として必要なことなのかもしれない、そう思います。

 なのです、
 防御機構はあくまでも「防御」であって、一時的な避難場所みたいなものです。
 いつまでたっても避難場所にいる──というのは、それはそれで問題だとは思います。
 
 これ、スピリチュアルという分野においても同様じゃないか──私はそんなふうに思っています。
 いつまで経っても、スピリチュアルというのが甘い「癒し」とされるだけのものであって、はたしていいのだろうか、と。
 スピリチュアルそのものが「一時避難場所」のような状態のままでいるから、こうした状況をいつまでも引きずってしまうのではないだろうか──と。

 現時点のスピリチュアル分野の働きは、人々にとって「癒しを提供する」という意味で充分な働きをしていると思います。しかし、そこで満足しているだけではいけないのではないか──私はそう思います。
 現に、看護の世界ではスピリチュアルという分野を活かしている場面が多々あります。日本の看護はまだまだそこまで到達していませんが(おそらく20年は遅れていると思います)、アメリカ・コロラド大学のジーン・ワトソン博士は、コスモポタリズム(宇宙論)から看護を捉えているほどの人です。
 少しずつではありますが、今の時代はスピリチュアルと三次元での仕事が融合し、活かされようとしてきているのでしょう。
 看護に限らず、他にも融合出来る分野はあるはずです。教育分野はすでにシュタイナーが行っていますが、福祉だって活かせることがあるかもしれない(福祉という理論に活かす、など)、それどころか、本来は社会や国家を育成するのにスピリチュアルな視点は「絶対抜いてはいけない要素」だと思えるのですが…。
 なぜ、今に至るまでそれが活かせなかったのでしょう──すごく疑問です。

 今まで私たちは、個々人で「グラウディング」の必要性を説かれてきましたが、今やすでにスピリチュアルという分野そのものをグラウディングし、実社会に応用していかなければならない時代になってきているのだと思います。
 そのためには、「今」目の前にある現実に、どれだけ心(魂)を籠めて生きられたか──それが大切になってくるのでしょう。
 目の前の現実を大切にしていける人には自ずとスピリチュアルそのものがグラウディングし、実社会をよりよく変えていくためにどのようにすればよいか、そんな知恵が浮かんで来るのかもしれませんね。



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今の精神世界への警告(5)自分の「軸」を持つ

 「アセンション 真実への完全ガイド」を執筆していた2年前からすでに感じていたことですが、最近ことさらに精神世界における情報が多様化しすぎている印象を受けます。
 拙著にも書きましたように、あちこちで流布されている情報は「どれも真実で、どれも嘘」なのかもしれません。決めるのは、あくまでも「自分自身」です。
 しかし──最近、この「自分自身」を見失っている傾向が散見されています。

 その前に付け加えておきますが──ここでいう「自分の軸」は「エゴ」ではありません。似ているものでもないし、「完全に異なるもの」とお考えください。
 この「自分」と「エゴ」をごちゃまぜに考えてしまっている人も、最近多く見られている印象を受けます。

 「自分の軸」と「エゴ」を見分ける簡単な方法をご紹介します。
 「自分の軸」をしっかり持っている人は──他者からの指摘、批判、反対意見、何を聞いても「動じることがありません」
 何故なら、その人にとって他者の意見は自分の軸をさらに強くさせる為の良き肥料だからです。もしもその意見が「あ。自分の軸には必要ないや」──そう思えば、ただ聞き流せばいいだけの話ですから。批判や指摘に「感情的になる必要さえない」ことを、自分の軸を持っている人達はよく分かっているのです。

 一方、「自分の軸」を「エゴ」と勘違いしてしまっている人は……他者からの指摘、批判、反対意見を「受け入れることが出来ません」。
 頑なに耳を閉ざし、自分の世界に引き籠もろうとするでしょう。自分を正当化する言葉を探し、自分の内面から「自分を支えるもの」を探すのではなく、外部にあるもので軸(に間違えているエゴ)を補強しようとするでしょう。
 そうすればする程、エゴは増大化していくことに気づくことさえなく──。

 さて──。
 ここまでお読みになって、皆さんは「私は、自分の軸がある」もしくは「あれ? もしかしたら……持っていないかも」などなど、色々なことを考えているかもしれません。
 ひとつだけ──はっきりと言えることがあります。
 「エゴ」を「自分の軸」と勘違いしている人は、概ね「攻撃的」ということです。

 概ね──? 
 いえ……たぶん「例外なく」攻撃的かもしれません。
 自分の軸がある人は、最初から「攻撃を知らない」からです。何故なら、奪われるものもなく、奪うものもない──ということを知っているからです。

 この境界が曖昧故に、精神世界の一部分では混乱が生じているように感じます。
 たとえば「地球に国境は必要ない」ことから、「『地球人』としての意識も持つ必要がない」と感じてしまう人が出てくる危険性です(すでにこう言っている人は、多かれ少なかれ散見されます)。
 アセンションをテーマにした途端、精神性がまだきちんと地球に根付いていない人の中にはすぐさま地球を飛びこえて「宇宙」へと行ってしまう人がいるのです。
 それは、たとえて言えば野に咲く花を踏みつぶしていることに気づかず、遠くの星ばかり眺めているようなものです。
 足下に咲く小さな花の美しさに気づけないうちは、どんなに遠くにある壮大な銀河の美を見ようとも、その美しさには気づけないはずです。

 私たちに必要なことは、まず「足下を見よ」ということでしょう。
 大地にしっかり立つ「足」を見つめ、空気を感じている肉体を通じ、両手を空に大きく広げ──その時に「初めて」、宇宙の息吹が感じられるはずです。
 いわば、まずは地球に「しっかり!」根を張ってからでないとアセンションなんてただの絵空事になってしまう──ということです。

 そして、このしっかり大地に足をつけることこそが、「自分の軸を持つ」ということでもあります。
 軸を持つ人は、ただひたすら慈愛を実践出来ます。
 大地から注がれる栄養・水などを、しっかりと根を張った樹々は吸い上げています。しっかりと根を張っているからこそ、大地(地球)からの愛を樹々は受け取り、それを体に廻らせて、太陽から降り注ぐ光(慈愛)を受け取り──そうした二つの循環があるからこそ、樹はやがて「大樹」となるのです。

 人間も、樹と同じようなものなのです。
 軸がしっかりある人は、根を張った樹のように「様々な愛や栄養分」を内面の奥底から吸い上げてくるでしょう。
 それが太陽の光に混ざる高次のエネルギーに照らされ、どんどん、どんどん成長していきます。
 軸がしっかりある人は、決して「愛が枯渇しない人」になります。
 何故なら、「宇宙に愛は無限に存在し、軸をしっかり持つことでそれが根の役目として、自分の魂を永遠に充たし続ける」ということを知っているからです。

 では──逆のケースも説明しましょう。
 自分の軸を「エゴ」と勘違いしてしまった人。(もし「自分がどちらか、判断がつかない」という方は、自分が誰か周囲の人から批判されたり攻撃されたことを想像するといいでしょう。その時、自分が「どんなふうに感じたか」──反論したいと思ったか、或いは「相手と共に、理解しあえる着地点を見つけたい」と思ったか、そのどちらかで、あなたの中にあるのが軸なのかエゴなのか、分かると思います。それでも分からないという人は……嫌いな誰かを想像するか──もしくは、「テレビのチャンネルをつけてみる」でもいいかもしれません。……きっと、某国でのデモの内容が、どこかしらでやっているでしょうから──。)

 エゴは「軸」のようにすっきりしていないので、色々なものが周りに付着しています。「プライド」、「見栄」、「いい人だと思われたい」、「人気者でありたい」、「必要とされたい」……etcetc。
 本来であればもっと細くて、しかも頑丈なはずの軸なのに──長年に渡って色々なものが付着してしまったがために、「付着してぶくぶくに太くなった軸」を、「自分の軸」と勘違いしてしまうのです。

 また、いろいろなものが付着すればする程、強度は弱くなるでしょう。人間の肉体も、肥満体になればなる程、健康が脅かされてしまうでしょう? それと同じことです。
 でも、エゴを「自分の軸」と勘違いしてしまっているので、どんどんそれを充たそうとしてしまいます。

 そうすれば当然、地球からの恵である愛は──届かなくなります。一生懸命、地球は栄養分を──水を差し出そうとしているのに、エゴがいっぱい付着しているから、芯の軸まで「届かない」のです。
 また、エゴは地球が差し出してくれる愛など、「好きではない」のです。
 彼らが好きな栄養分は──「刺激的な言葉」「安直な驚き」そして、「依存させてくれるもの」……。
 地球には、地球本来のエネルギーだけが廻っているのではなく、人間自身が生み出した怠惰なエネルギーも大量に流れています。
 エゴは、そういうエネルギーばかりを酔狂に探しては「いっぱい!」吸って──そうしてまた、ぶくぶくと太っていくのです……。

 余談ですが──。
 先日、浅川嘉富氏の講演会に参加した際、とても興味深いお話を聞きました。
 今からご紹介するお話は浅川氏の著作でも紹介されているようなのですが、私は残念ながら該当する本を持っていなかったので──記憶に頼ってお話致します(詳細が多少異なっているかもしれませんが、何卒ご容赦ください)。

 それは、とある女性が見た夢の話でした。
 その女性は、ある日、政府が「宇宙人が○○の海岸に降りてくるので、みんなで出迎えてください」と発表する夢を見たそうです。
 多くの人は喜び勇んで(中には疑い半分の人もいたのかな?)海岸に向かったそうですが、その女性は何だか嫌な予感がして、海岸とは反対の方向に行ったそうです。
 するとその丘には「大型宇宙船」があったそうです。宇宙人が降りてきて、その女性に「この放送はデマで、今から来るのは津波だ」と教えました。
 女性は慌てて宇宙船に乗り込み、海岸に向かった人達を助けに行きましたが──どうしたことか、彼女が何度「危険が迫っているから、みんな避難して欲しい」と呼び掛けても、海岸の人達に声が届かなかったそうです。


 やがて津波が襲い、多くの人々の命が奪われた──という内容でした。

 さて……この話を聞いて、皆さんだったらどう思われるでしょうか?
 「直感って、大事だな~」そう思う方も、いるかもしれませんね(まさしく上記で言えば、自分の軸があって直接地球から愛を受け取っている人達は直感が鋭くなっているはずですので、その通りだと思います)。

 ……ただ、ですね。
 この夢の物語には、直感を受け取れるか否かという以前に、その人の軸を定めるためのポイントが含まれている──私にはそう思えたのです。

 例えば、皆さん──。
 皆さんだったら、上記のように宇宙人の存在を公的に報道され「出迎えて欲しい」そう放送があったら……「海岸に行きますか?」

 数行空けますので、じ──っくり!考えてみてください(笑)。




 ……………………。





 さて、どうでしょうか?

 色々な意見が出たと思います。
「行く行く! 絶対に行く!」という人もいれば、

「う~ん……。こないだ、インディペンデンスデイの映画観ちゃったからなぁ……。あれ観ちゃうと、怖くて行けないよな~」という人もいるでしょうし、

「友達が行くんだったら……仕方ないからついて行こうかな」って人もいるでしょうし、或いは

「ってかぁ。そもそも俺、毎日海岸でサーフィンしてるからぁ、宇宙人とか関係ないしぃ」って人もごくごく少数いるかもしれません(笑)。


 誰の意見が「どうであろうと」、そんなことは「どうでもいい」のです
 上記の夢では「政府が流したデマ」でしたが──これもまた、デマであろうが「どうでもいい」のです
 もし、こういう夢があった──という話を聞いた後に、実際に政府がそういう発表をして……「あ! 篠崎のブログに書いてあった! 来るのは津波だ! 俺、行~かね!」って思って待機していたら──実はそれが「ホンモノの宇宙人が来ていた」と知ったら……
「くっそ──! あいつのブログを読んでたから、行かなかったのに! 騙された!」

 そう思いますか?

 そういう放送があって「行こうが」、
 「行きたくない」と思って行くまいが──
 どんな結論を出したにせよ、自分が出した結論だということこそが「大切!」なのです。
 チャネリング情報だって同じです。
 誰が何を言おうが、誰がそれに対してどんな意見を書こうが、そんなことはどうでもいいのです。
 
 「あなたは、どう感じたのか」それこそが大切なポイントなのです!

 どの情報が信じられる、どの情報は嘘の情報だ──そんなことを言ってあれこれ目移りしている間は、「自分の軸」はまだまだ磨ききれていないのだ──そう思われた方がいいと思います。

 ちなみに、ですね。
 せっかくですので、上記の質問に対する「私自身の答え」を申しますと──


 私だったら、「行かない」です。


 理由は簡単。
 私が高次元人(宇宙人)であれば、そんなお知らせは「絶対にしない」からです。
 それは、まだまだ成長途中にあるこの星に対する「過干渉」となる──私だったら、そう思います。
 多くのスピリチュアリスト達だのチャネラー達だのが「地球人は成長しました」と言っていますが、私の目からは「まだまだ依存心が抜け切れていない」ように感じているからです。
 このような状態で、上記のように「政府が宇宙人が来ることを発表した」としたら──多くの未発達な人達が宇宙人を(今まで神にしていたような)崇め奉り方をし、宇宙人が提供してくれる知識をきちんと消化することなく、「隣の国よりも自分たちの国がより豊かになる方法」ばかりを模索するようになるでしょう。

 そんな危険な賭けを──私たちよりもはるかに慈愛があって賢い宇宙人が、果たして「する」でしょうか?

 私には、「NO」だと思えるのです。
 だから、仮にこのような公式発表があっても「私は行きません」。
 私は出迎えることなく、その宇宙人達に自分の感じている意見を「堂々と」ぶつけるでしょう。
 「まだ地球人は依存心が抜けきっていない。それなのに、大丈夫だとお思いですか? 仮にそうなら、私に納得出来るような説明をください」と。

 さて皆さん──。
 ここで思い出して欲しいのですが、「自分の軸をしっかり持っている人は、他者からの指摘、反対意見、批判に寛容だ」と書きました。
 私たちよりも高次の存在は、「尚のこと」しっかりとした軸を持っています。
 私がここに書いたような質問をしても、本当に高次の存在であれば──むしろ「喜んで」私を納得出来る説明をしてくれるはずです。

 もし、それをしてもらえずに──光線銃か何かで私を「ジュッ!」っと一瞬にしてビフテキにでもしたとしたら……こりゃぁもう「インディペンデンスデイ、好評上映中」って感じでしょうか(笑)。 


 さて……長い余談はここまで、として。
 ここで少し、話を「アセンション」と絡めたいと思います。
 地球の波動が上昇し、光在る次元へと旅立てるようになった時……軸を純粋に地球に「根」として張っていた人は、その変化にもついていけるのでしょう。
 しかし、エゴをいっぱい付着させてしまっている人達は……波動の上昇について行けなくなります。
 何故なら、そもそも地球が差し出してくれる愛でさえも、エゴに邪魔され気づかなかったのだから。
 その人が求めていたアセンションは、「エゴを充たしてくれる、自分にとって都合のいいアセンションでしかない」ということになってしまうのでしょう。

 ここから先は──各自、皆さんでお考え頂ければ……と思います(笑)。
 大切なのは「過程」であって、「結果ではない」からです。
 エゴを付着させている人は、すぐに「結果」に飛びつきます。「消滅する魂があるのかないのか」とか「いや、みんなアセンション出来るんだ」とか、そんなことは本来「大切なことではない」のです。
 大切なのは結果ではなく、一瞬一瞬、アカーシックに刻み込まれていく「私たちの軌跡」なのですから。

 そう──。
 だから、もしもこれを読んでいるあなたが「今まで自分は、エゴのふっとい管みたいな状態になっていた──」そう感じていたとしても、それなら今から、変えていけばいいだけのことなのです。

 方法はいたって簡単です!

 毎日、笑顔を絶やさないこと。
 毎日、道を歩くひとりひとりに、愛を感じること。
 誰かを憎んだり、罵ったりしないこと。
 道ばたに咲く花の美しさに、感動出来るこころを持つこと。

 う──ん……。挙げればキリがないですが……これらの「すべてをする」ということでは決してないので、安心してください(笑)。

 どれか「ひとつ」でいいのです。
 どれか「ひとつ」──あなたが心に決めた「慈愛の実践」を、ただひたすら続ける──それだけでいいのです。
 それだけで、エゴはひとつひとつ、落ちていくはずですから……。
 もし「ひとつじゃ物足りない」──そう思ったら、1週間にひとつの慈愛を実践し、翌週には新たな慈愛を──その翌週には新たな慈愛を追加してみてください。
 1年過ぎるころには、一体どれほどの慈愛が実践されていることでしょうか?

 実践なくして、霊性の成長は「あり得ません」。
 アセンションも然りです。
 今、強烈な太陽の光によって──あちこちで「エゴ」が浮上しつつあります。中には、「最近、どうもイライラしていて──気分がコントロール出来ないんだ」なんて人もいるかもしれませんね。
 仮にそういう方がいたら、それは「吉兆なんだ」とどうぞお喜びください。
 まだ「結果は出ていない」のです。
 と、いうことは──今、これからの一瞬一瞬でアカシックに刻みこまれることこそが、大切だということなのです。

 ですので、どうぞ──「うわっ! なんて自分はエゴの鎧を着まくっていたんだ;」と凹んでしまいたくなったとしても、決して諦めないでください。
 むしろ、「自分はエゴの鎧を着ていた」と認めることが出来たのですから、充分素晴らしいと思います。世の中には、エゴの鎧を着ていてもまったく気づかない人達もいるのですから……。
 気づけているということは、その時点で「充分、変わっていける余地がある」ということなのです。

 問題は……今の時点で「エゴがある、ない」ではなく──「どんな小さなものでもいいから、実践を続けていけるかどうか」です。
 何事も「継続こそが命」ですから──。

 ひとりでも多くの方が、自分の軸に立ち返って──今、太陽から注がれている愛と地球の愛をこころに充たすことが出来ますよう──。


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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

【篠崎の著作本】

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