皆さんは、「コンタクト」という映画をご存知ですか?
私が大好きな映画のひとつなのですが、1997年ジョディ・フォスター主演の映画で、「宇宙の高度知的生命体を探査する女性天文学者」を描いた作品です。
この冒頭場面で、非常に「印象的」な場面があります。
最初に「地球」が画面いっぱいに登場します。
その空間はあらゆるノイズに満ちていて、さまざまな言語による放送、音楽、CMなど、本当に生活音が密集して散りばめられています。
しかし、その地球が少しずつ遠ざかっていくと――それにつれて、音が次第に減少します。視聴者の視点は月を通過し、火星を通過し、木星を通過し――次第に「太陽系そのもの」から離れていきます。
まだそこでも、音は聞こえています。
その音は、地球から視聴者の視点が遠ざかるにつれ「古い時代のもの」となっていきます。50年以上前の音楽「Over the Rainbow」が聞こえたかと思うと、音はどんどん少なくなり――最終的に「無音」となります。
そして銀河さえも通過し、無音の中で空間だけがどんどん遠ざかっていきます。突如ガス雲のような中に呑み込まれたかと思うと、再びそこを通過し――最終的には……光さえも消えていって――
――そこで、子供時代のヒロインの瞳と被らせ、物語が展開されます。
この作品の中で使われていた「音」は、「地球から発した信号が、どの地点でどれほど遅れて届くか」を表現したものです。
私達もよく知っているように、私達が今見ている星々の輝きは、もう何百万年前、何千万年前の輝きを目にしているのです。実際に今その場に行ったら――その星は「消えてなくなっているかもしれない」。
それと「逆のこと」を、地球を中心にして表現したのがこの映画の冒頭部分です。(まだ観たことがない方は、是非一度視聴されることをお薦めします。「科学的真理」と「神学的真理」が、立ち位置が違うだけで何ら代わりはないのだということを、うまく表現しています。)
最新宇宙物理学をもってしても、未だ宇宙の根源的な謎――何故宇宙が誕生し、その末がどうなるのかまでは完全に解かれていません(そもそも、宇宙物理学自体脚光を浴び始めたのが最近ですので。「パラレル・ワールド」の著者曰く、「かつては宇宙物理学は、物理学としてまともな扱いさえされていなかった」そうですし。←ちなみに、私は子供時代から天文学が大好きな人で、哲学科に進まないのであれば天文学を専攻していた――そう思います。)
さて――ここで話を、シリーズ連載に戻します。
<参考>
【
存在とは何か(魂と宇宙の仕組みを図解する)】
【
魂と宇宙の仕組みを図解する その2】
◆六芒星 平面図◆ ◆六芒星 立体図◆ ウルさんが16日付けの記事で、立体図を合わせたものと、平面図をそれぞれ合わせ、その全体像について説明しています。
図解についての説明についてはすべてウルさんの方にお任せしてありますので、今回は六芒星の「3枚目 神界/宇宙・原理」について、私の考察、および文献との照合を進めたいと思います。
まず、この「三枚目の六芒星」についてですが――さすがに、私もこの次元まで体外離脱をしたことはありません。
一度だけ、「全体が存在であり、かつ、すべての色を包括した空間」に行ったことがあります。個人的には、ここが「私が体感出来る最高度の次元」だという実感はありましたが、それでさえもおそらく「宇宙の根源」とまでは行かないでしょう。
というよりも――私的には、「宇宙の根源」は「開かれない謎」のままであった方がいい――そう思っているからです。
人間というのは、好奇心の塊です。
その好奇心あるが故に、様々な発明、様々な進化があったと言えます。そんな人類にとって「宇宙」というのは最大規模の謎であり、神秘とも言えますが――そこを探究する為に、「私は三次元に産まれたわけではない」という確信があります。(だからこそ私は、悩んだ末に哲学科を選んだのかもしれません。宇宙の真理よりも前に「人間の真理」を探究する為に。)
また、シュタイナー曰く「次元が高くなると、人間との接触が出来なくなる」とも言っています。これは逆を返すと「人間が、高すぎる次元との接触が出来ない」ということと代わりがないだろう――そう思います。
以前、「次元上昇が起こった際、鉱物界が存在しなくなる」ということを言いました(なので皆さん! アセンション前に、パワーストーンは可愛がってあげてください。ある日気がついたら、なくなっちゃっているかもしれないので((笑)))。
それは、組成物そのものが変わるからであって――鉱物がなくなっちゃったからっていきなりみんなが「揃いも揃って水中に『どぼん』」となるわけじゃないことは……先記した通りです(笑)。おそらく組成物の周波数そのものが変わるから、「鉱物と同じ周波数」のものが必然的に「存在しなくなる」という意味なのでしょう。
だとしたら――。
さらに高次元になってしまえば……私達人間存在自体も「認知出来なくなる」可能性は高いです。私達人間が、細胞ひとつひとつを認知出来ないのと同じように。
なので、正直なところを申し上げまして、私がこの「六芒星(3)」を完全に考察することは「不可能」です。
私はあくまでも自分の現時点における知識に謙虚な姿勢でありたいので、知らないことははっきり「知らない」と言わざるを得ません。
私が文献にて「論証」を裏付けるのも、「自分が傲慢になることを、何より厳しく自分自身に『禁じているから』」です。
「知っている」と思えば、人はただ暴走するだけです。文献や偉人達の記録は、そうした暴走に「見直し」をかけ、また同時に、「この真実は、違うのではないか」という考察や気づきを促す意味でも「大きな役割」を担っています。
「検証・考察」という姿勢を捨ててしまえば、私達は利己のままに暴走し、果てしない妄想に取り憑かれるだけで終わってしまうでしょう。
宇宙のことを、現段階における私は完全に理解していませんし、それを「最新宇宙物理学」が論じている範囲を超えて考察するのも(私が宇宙物理学者として専門的に研究していない以上は)傲慢でしかなく、また、出過ぎた行為だと認識しています。
それは、哲学においても論じられていません。唯一、インドの最古の哲学書「ウパニシャッド」の中で触れられていますが、それとて非常に抽象的概念でしかありません。
なので、今回ここで書く記事は「あくまで推察の域を超えられない」ということを前提に、お話させて頂きますこと御了承頂ければと存じます。
【宇宙は「眠れる神」である】ウルさんの六芒星、三枚目を観ていただくと――二つの流れがあることに気づきます。
その多様性が、人間界における一枚目よりは「よりシンプルになっている」という印象を、私は受けました。
人間界(三次元)に近づけば近づくほど、その内容は多岐に渡り、複雑となっていきます。
しかし、源に近づけば近づくほど、そこにあるのは「有」か「無」――そこからの派生でしかなくなっていくのでしょう。
目覚めているか――眠っているか。
前者が「有」で、後者が「無」であると仮定しましょう。
そして、これが六芒星(3)における創造と生命だとしたら――そこには活き活きとした世界、そこから派生した高次元の世界や、私達の世界など、あらゆる営みが組み込まれています。
しかし、後者であったとしたら――六芒星(3)においては、「破壊・消滅」。完全なる「無」です。
ただ――。
一般的な概念として、「目覚め」が「有」で、「眠り」が「無」の印象があるだろうと思ったのであえてそう表現したのですが――
私は、実は「逆」なんじゃないかな――と、思っています。
要するに……「神の眠り」こそが、「有」を起こし、「神の目覚め」は、「無」となるのでは――と。
私は何故か、子供の頃からこんなことを考えていました。
「私達は、実は『誰かの夢の住人』に過ぎず――その人が目覚めたら消えてしまうだけの存在なのではないだろうか」と。
誰かの夢――それが、「神の夢」なのかもしれない。
スウェデンボルグは、「霊界探索」をした中で「天界を含め、霊界すべては『一人の人間をなしている』」と言っています。(私個人的な意見としては、この「天界を含めた霊界全て」こそが「地球の生命体」なのではないかと、そう思っています。地球は絶対に、私達と同じように霊体を持っているはずです。だとしたらそれは、私達人類を統合した姿なのではないか、と。←だから、人類の成長が「神の成長」に影響するのではないか、と。)
もしスウェデンボルグの言葉をそのまま引用するなれば、宇宙も実は――生命体なのかもしれません。
しかも、それは「目覚めている」のではなく、「眠っている」――。
神々が目覚めた時――それは、「宇宙の消滅(文字通りの消滅)」を意味するのではないか、と。私達が目覚めた瞬間、夢に出てきた登場人物が消え去るのと、同じように。
クラリオン星人のコンタクターである「マオリッツオ・カヴァーロ氏」は、肉体を持ったままUFOに乗船し、「眠れる神の玉座」に連れて行かれた、と言っています。以下、その箇所を抜粋します。
※この内容は一部抜粋出来るような安易なことではなく、非常に深遠な智慧と情報を授けてくれています。なので、もし以下の内容を詳しく掘り下げたければ、是非実際に本を読まれることをお薦めします。
*************************
宇宙のすべてが眠る創造主(かみがみ)たちの夢の中の存在?
右に動いた大神官アンタレス(※カヴァーロ氏を導き、智慧を伝えたクラリオン星人)の視線を追う。彼は、恐ろしい人物たちが休んでいる、七つの巨大なサファイアの玉座を見つめていた。
「おまえは世界の運命が生まれる領域を見た。おまえは、古代人、<宙(そら)の眠れる者たち>、つまり夢見る神々の目前にいる。我々は彼らの夢の中に存在するのだ。惑星や星、過去現在未来の森羅万象は、彼らの夢の産物であり、夢の中に内包されているのだ。野原に生える草や大海の見ず、季節の移り変わり、四十雀(しじゅうから)の歌を彼らは夢見るのだ。
(中略)
彼らが夢を見ている限り、宇宙や銀河、星、惑星は存在し続けるのだ。
しかし、いつの日か彼らが目覚めれば、覚醒とともにすべてが忘却の海へと墜落する。永久不変の力は崩壊し、始まりも終わりもない<一者>、<生成者>の波に、数千年という時が呑み込まれる。
時代は粉砕され、生命は分解する。そうなれば銀河は溶解し、運命のままに宇宙はその存在を終える」
【超次元の扉 クラリオン星人にさらわれた私】マオリッツオ・カヴァーロ/著 196~197ページから引用
*************************宇宙の死。
それは、「神々の目覚め」でもある――。
私は漠然と思っていたことが「ありありと書かれていた」ことに驚き、心の奥底でそれが「確信」に変わるのを感じていました。
それを踏まえると……ウルさんの六芒星(3)は陰と陽の中において「有と無」に言及されているのが、誠に理に適っている――そう思えるのです。
最新宇宙物理学においても「ビッグフリーズ理論」という、次元の凍結を唱える理論があります。以前、「ビッグバン説」によって、「宇宙は膨張した後、縮小に転じる」という説が唱えられていましたが――私的にはそれがどうも、しっくりこなかったのです。
だって、「どこを基軸」にして、縮小するんでしょう? マラソンみたいに、「折り返し地点」っていうのが宇宙にもあるというのでしょうか? 膨張した後、「どの時期をもって」縮小するのかが非常に曖昧だったので、子供時代からその説には頷けませんでした。
しかし、最近になって「宇宙は膨張したまま、そのまま『消滅してしまう』」という理論に変わりました。それは、ブクブクと煮立った湯の中の泡が、浮き上がって膨らんだはいいけれど、ある程度広がったらそのまま波になっていずれは消えてしまうのと同じようなものです。最新物理学においては、「宇宙は沸騰した湯の中に浮かぶ泡のようなもの」と考えられているのです。
宇宙の死は、私達人間に比べたら想像を絶する程の――それこそ永久とも言える先のことかもしれませんが、それでも、何故か私は「終わりがある」ということに、ひとつの感慨を覚えずにいられません。
有がある以上、必ずや「無」は存在する。それは、宇宙の源に近づけば近づく程そうなるのであって、「空(無ではないけど、存在だけがある)」というのは、宇宙の死を持ってしては無意味なものだと――そう思うのです。
無となれば――「存在さえも、消滅する」と。
三枚目の六芒星――これは、そうした「人間が証言できる最大限の有と無」を表現されているのではないかなと、ふとそんなことが頭に過ぎった次第です。
【関連記事】
【コラボ連載】人間の本体は「高次元」にある【コラボ連載】存在とは何か現実問題、生きてみろ※ひとりでも多くの方に、「スピリチュアルの本質」に目を向け、意識改革を進めて頂きたいと強く願っています。皆さんの意識改革を広める為に、ランキング・クリックのご協力をお願いいたします。

********************************************
「mixi」にて「地球未来創造部【アセンション】」コミュニティを運営しています。
地球の未来についてご提案、ご意見などがありましたら、是非コミュニティに参加して頂ければと存じます。(分野は問いません。医療分野、社会分野、教育分野など、様々な視点で「地球の未来」および「理想的な社会・国家」を探求したいと思っています。お気軽にご参加ください。)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4172264 ※mixiの会員外の方でコミュに参加されたい方は、左フレームのメールフォームからご相談ください。
********************************************
【参考文献】