悲しみの星「サラス」

昨日は三発も撃ちかました篠崎ですが、今日は――かなりの「グロッキー(死語)」です。
先日体調不良で寝込んでいた、と言いましたが――病み上がりでちょっと無理しすぎたのか、またもや発熱してしまいました。

そんなわけで、今日もまた「アセンション後に関する連載」はお休みします。(「またかよ!」と思われた方。ごめんなさい……;)
その前にちょっとお知らせなのですが――。
近々、アセンションに関する「小説」を執筆する予定です。自分が得た情報を踏まえて、それを一本の小説としてまとめようと思っています。その方が、皆さんにも伝わりやすいかなと思いまして。(長編にするのは体力がいるので――短編でまとめようと思っています。それでもおそらく、原稿用紙軽く500枚は超えるでしょうが……)
有料出版はしないつもりです(というより、篠崎が投稿していた出版先が、潰れてしまったので((苦笑)))。ネットで無料公開としますので、興味のある方はご覧になってみてください。またその件については、改めてご連絡致します。

さて――今日は、私が愛してやまない存在――「地球」についてのお話です。

カヴァーロ氏によると、知的高等生命体であるクラリオン星人は、地球のことを「悲しみの星 サラス」と呼ぶらしいです。
何で「悲しみの星」なのか――詳しい理由は分かりませんが、確かに「悲しみの星」と言えるぐらい、略奪・殺戮が、この星では繰り返し行われてきました。
根拠のない楽観主義者達は、そうした現状をどのように受け入れているのだろうと、至極疑問に思うこともあります。
しかも、皮肉なことにそうした楽観主義の出所は、すべて支配国側からですよね。迫害されているアフリカ人達や中東の人々からは出てきません。
そりゃ、世界の頂点で「我が物顔」に振る舞っていれば、「人生、楽しいことばかり」ってなって当然です。そういう根拠ない楽観主義に、日本人は乗せられるべきではありません。……深い憤りさえ感じます。

私はいつでも「惑星は、ひとつの生命体だ」と感じでいます。
惑星はただの物質ではなく、私達と同じ「生命体」なのです。心もあれば、霊体もある――そうでなければ、太陽に生命力を漲らせる力はなかったでしょう。物質だけで、目に見えない力を加えるなんてことは想定出来ないからです。

もし、地球が――サラスが、生命体であるとしたら……彼女は、どんなふうに世界を見ているのでしょうね。
最初は、自分の中に生命が生まれていく姿を、本当に楽しんでいたことだと思います。
海にプランクトンが現れ、それが少しずつ進化していき、多種多様な生命になっていく様を、ワクワクしながら見つめていたに違いありません。様々な動物が生まれ、様々な可能性が広がり、「自分の生み出した世界を、素晴らしい天国にしたい」そう思ったことでしょう。
やがてサラスは、自分と意思疎通が出来る存在を望み、それで人間が生まれたのかもしれません。
でも、サラスは――あまりにも寛大で優しくて、そして、素晴らしい母親すぎました。
人間に自由意志を与え、人間の自己を伸ばすが為に、彼らに選択権を与えてしまった。

それ故に……「悲しみの星」となってしまったのかもしれません――。

何故なら、選択権を得た人間は、「自由」という言葉の裏に隠された「支配」により、自分達の思い通りにしようとしたからです。(こうしたところも、私が「思念で人は幸福になれない!」と断言出来る点です。思念で支配出来るのは三次元だけです。支配と被支配を繰り返した果てに、人類の幸福は絶対に訪れようはずがないのです。)
愚かな大人達は、利己と利欲の為に戦争を繰り返し、サラスは、多くの子供達の悲惨な死を目の当たりにしなければならなくなりました。

母親から引き離され、泣き叫ぶ子供達。
お腹を空かせ、泣く力さえ失った子供。それを抱きかかえ、無力さに絶望する母親達。
去年、ガザ地区で行われた悲惨な攻撃――まだ、皆さんも記憶に新しいと存じます。
日本ではあまり報道されていませんでしたが、その現状――よろしければご覧になってみてください(※リンク先はアラビア語ですが、写真は普通に閲覧出来ます。)
http://smartsoft.maktoobblog.com/
こんな現状が、去年……まだ一年も経ってないうちに行われたのです。
母なる地球――サラスが、どれほど悲しんでいることか。

ただ領土を拡大していくという、一部の権力者における愚かすぎる程の利己により、純真無垢な子供達の祈りやサラスの願いは、ことごとく砕け散りました。
しまいに人間は、自分達を生み出してくれた大いなる母であるこの惑星の存在や、有り難ささえも忘れてしまった。
強欲に走り、国を支配し、人を奴隷にしてはその上に君臨して、子供達の笑顔を奪い続けました。
人間は「自分達は、最初から選ばれし者だった」と傲慢な解釈をして、他の生命達が生きる領域さえ奪い続けました。
自分達の利得の為に、動物の生態系を狂わせ、飽食させては捨て――森林を伐採し、鳥達の住処を奪う。
まるで癌細胞のように、サラスの肉体を痛めつけ、苦しめ、嘲笑い続けた――。

そんな地球の姿を、異星人達が「悲しみの星」と名づけるのは……至極当然なのかもしれません。
サラスはもう、限界に来ている――私はそう思います。
生み出した人間達から忘れられた孤独と、生み出した生命が絶滅していく状況を目の当たりにして、サラスは絶望しきっている……そんな気がするのです。
それでも、サラスは今まで、私達人間のことを決して責めたり、蔑ろにしようとはしませんでした。本来なら、こんな愚かな人類はとっくに見捨てて、滅ぼしてしまっても良かったのに――サラスはそれをしなかった。最期の最期まで、人間と共に生きることを、約束してくれたのです。

悲しみの惑星であると同時に――母なる惑星。
私は、地球……サラスを思うと、決まって涙が溢れます。それは、自分達の愚かさに対する懺悔と、同時に、サラスの痛みに対する共鳴なのかもしれません。

私が強くアセンションを望むのは――自分が「良い世界に行きたい」からではなく、
これ以上、サラスに「悲しい想いをさせたくないから」です。

もしも人類が、今までのように闘いを繰り返すというのなら――私は、そうした愚かな一部の人類が消滅することになったとしても、地球を救って欲しい――そう神に祈るでしょう。
「人類はそんな愚かじゃない」と仰る方がいるとするなら、そういう方には是非、現在中東で何が繰り返されているのか、何故、アフリカで未だ紛争が起きているのかをご一考頂きたく思います。
アフリカの紛争の図式は、白人達の「植民地化」という歴史があったからこそのものなのです。そのように血塗られた歴史を振り返ることなく、「楽観主義になりましょうよ!」なんて言える精神が、私には理解出来ません。
勿論、白人に限ったことではない――私達、日本人だって同じです。
先日、中国に対するイメージが「悪い」と答えた人が7割だったというアンケート結果がありました。しかし、それは中国における社会状況を踏まえてのことなのでしょうか? 
私達日本人が、戦争時代に中国にしたことを、すっかり忘れていないでしょうか? 
勿論、過去に縛り付けられてばかりで国交が開けないのは当然のことですが、だからといって歴史を無視していいわけではありません。その歴史を踏まえた上で――手を取り合う術を、私達は模索すべきではないでしょうか?

上辺だけの愛を唱えても、迫害された人々の怒りは消えません。
彼らと本当に手を結ぶ為には、まず「彼らの痛みを知ること」が大切です。
彼らの痛みを知り、苦悩を理解し、そうすれば、ようやく手を取り合えることが出来るでしょう――。
私が「世界の闇を見て欲しい」と叫ぶのは、その為です。
そうでなければ、本当に「迫害された人達の苦悩」を理解することが出来ないからです。

本当に「愛の伝道師たる活動がしたい」と願う人であればある程、
どうか、世界の現実を見てください。
地球が――サラスが見ている悲しみを、サラスの視点で、見る必要があるのだと……私はそう思います。

同じ民族同士で争い、闘い続ける姿を、サラスはきっと絶望の中で見ているに違いありません。
アセンションは、起こる・起こらないではなく「起こさなくちゃならないものなのだ」と、私は確信しています。
それは、今まで辛い想いをしてくれた地球――サラスの為に。
サラスの幸福の為にも、絶対にその道を選ぼう――私は深く、そう決意しています。

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「思念」だけで、人は幸福になれない!

※あまりに緊急性を感じている為、連続して投稿します。

前記事にある「360度、世界は自分である」という考え方と並んで昨今注目されているのが「思念を変えるだけで、人間は幸福になれる」という考え方です。
その主な理論は「TAW理論」というものです。
これは心理学とスピリチュアルを背景に、深層心理について論述されているもののようです。(ですが、こうした心理学の背景がどの学術的裏付けによるのかは疑問です。提唱者は前世退行催眠をしていたと言いますが、それにしては、精神分野における情報が少なすぎる。トランスパーソナル心理学でもなさそうですし、むしろ成功哲学のジャンルに近いものだと思われます。)
とはいえ、こうした深層心理の働きかけや「そこを変えていこう」という哲学は、もう100年も前からアメリカにありました。内容はほとんどナポレオン・ヒルの言う「思考は現実化する」と大差ありません。実際にセミナーを受けた人の話によると、「成功哲学ではポジティブシンキングだけ植えつけられるけど、それとは違う」ということを言いますが、具体的に何が違うのか、論証されてはいません。

成功哲学と同じくして、私はこの理論に対しても「反旗を掲げる立場」にいます。
何故なら、こうした二律背反的ものの考え方そのものが、今の世界における問題を引き起こしているからです。
皆さんは、こうした「成功哲学の背景」で、第二次世界大戦時に何が行われたかをご存知でしょうか?
成功哲学者を唱える人々が、最初に「情報操作」という必要性を生み出したという事実を、知っていますか?
「ポジティブな情報」だけを流すことで、マスメディアが大衆を「支配できる」ということに気がついたのは、そうした成功哲学における先駆者の人々だったのです。
勿論、彼らに悪意はありません。
彼らにあったのは――純粋なる「自分達の成功願望だけ」だったのですから。
(もっとも、今でもアメリカではそうしたことがまかり通っていることは――ここであえて書かなくても、皆さんもご存知のことと存じます。勿論、日本も例外ではありません。)

何故、私がここまで真っ向から「成功哲学を批判できるか」と言えば――私自身が、それを「徹底して学んだ立場の人間」だからです。
最初は私も、「利己」という罠に堕ちていました。しかし、私の中にある「宇宙との絆」が、私自身に「真理」を悟らしめてくれたのです。

人の思念は、本当に「厄介な代物」です。まことしやかに「あなたが今辛いのは、『あなたがそれを望んでいたからなのよ』」なんて言われたら――どこにも逃げ場がないと思ったら、それを受け入れてしまいます。
しかし、実際本当に必要なことは、「そこにはない」のです。
思念の方向性だけで、人は幸福になんてなれません。それほど現実が甘くないことを、私がここで言うまでもなく「誰しもが分かっていること」のはずです。
しかし、そうした心理学は人々の「苦しみから逃れたい」というところをうまく突いて、まるで麻薬を浸透させるかのように、利己的な視点を染みこませていく。

本当の幸福は――「すべてを宇宙に委ねた時」手に入れられます。
三次元の現実を乗り越え、結果も、何もかもを手放した「その向こう側」に、その幸福は待っているのです。
思念の方向性を変えて、自分だけが成功して、「どんな幸福」があなたに訪れるのでしょうか?
その幸福で、見知らぬ誰かが傷ついたり、自殺に追い込まれても――あなたは、幸福でいられますか?

三次元の結果に振り回されている以上、人は絶対に幸福にはなれません。
ましてや、アセンションなんか「出来るわけがない」。
ここでもう一度、コナン・ドイルが霊界通信で残した「霊界の構造」をUPします。


――――

【幽界】
(1)邪悪で自己中心的な欲望のみの世界
(2)邪悪性はないが、低級な煩悩から抜けきれない者が集まっている世界
(3)何事も思うがままに叶えられる世界

【霊界】
(1)知的理解の世界
(2)直感的覚りの世界
(3)形体なき存在への準備(神界への準備) ※神界へあがる資質の不足する者は再生する。(フォーカス27)

【神界】
(1)宇宙の進化活動への参加の初期
(2)宇宙的存在としての普遍的な愛の活動
(3)ニルバーナ・涅槃

――――


思念で「すべてが思い通りになる」次元。
これは、「幽界の(3)」でしかないのです。
私達が目指すべきは、「神界の(1)」だとしたら――ここでつまずいてしまうのが、どれほど勿体ないことか、お分かり頂けると存じます。

逆に、皆さんにお尋ねします。
皆さんが、思い通りに生きられたとしましょう。
お金持ちになって、裕福になって、ドバイにプール付きの別荘持って、毎週のように海外旅行に行けたとしましょう。
ですが、空港に行くたび、門前にいるホームレスの人々を見て、
アメリカのオフィス街にある裏通りのスラム街を見て、
紛争で頭を撃ち抜かれた少女の遺体を見ても、

――皆さんは、幸福のままでいられますか?

「思念だけで、思い通りに生きる」なんていう「麻薬の言葉」に、どうか惑わされないでください。
そして、安易な寄付行為に、騙されないでください。
そうした人達は「私達は寄付をしているから、ちゃんと貧しい人のことを考えているわ!」口を揃えてそう言います。
しかし、彼女達(彼ら)は、その「寄付の先が、どこに行っているのか」調査したことが果たしてあるのでしょうか?
私は、(詳しいことは言えませんが)アフリカのNGO団体や国際機関に関わる人達に知人・友人が大勢います。彼女達から聞いたところでは、先進諸国の寄付金のほとんどは、貧しい人達に渡るのではなく、その国の「富裕層」に廻っているそうです。
政治が腐敗し、権力抗争だけが残されたアフリカなどの途上国で、どんなに寄付をしても、きちんと廻らない現状があることをそうした人達は知っているのでしょうか?

上辺だけの慈善行為だけをして、さも「私は成功しているけれど、ちゃんと貧しい人のことも考えてます」なんて言い訳にも程があります。

2012年を前にして、ある種こうした分離も――人類の「振り分け」なのかもしれません。
少なくともどうか、このブログを読んで下さっている皆さんは、上辺の幸福、上辺の善行に惑わされず、ご自身の目で自分を考察し、ご自身の足で未来を切り開いていって頂きたい――そう強く願う昨今です。

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「世界のすべては自分」という考えは危険!

アセンション記事の続きを連載する予定でしたが――またもや危機感を抱いたことがあったので、内容を急遽変更します。
昨今「心理学」の分野で「世界のすべては自分である」という視点に立つもの、或いは「すべては自分で決めてきて、みんな演じているだけだ」という考え方のものがありますが――私は、この視点に危惧を抱いております。

と言いますか――これは、明らかに「三次元でしか通用しない視点」です!
それだけじゃありません。もっと厳密に言えば、「先進諸国の、それも支配者側の視点」でしかないのです。
この考え方は危険なだけでなく、「他者の痛みを、麻痺させる力」があります。一見「自己責任的視点」のように思わせて、そこに慣れていくと、とどのつまりはすべて「自分の責任」――紛争で苦しむ人達も、飢餓で苦しむ人達も、すべては「自分の責任だから」という視点に立ってしまいかねません。

これは高次の視点に含まれないどころか――「まったく正反対の位置」にあると言えます。

ここで何度も申し上げたことですが、「高次」においては「個の確立」が大前提です。
しかし、上述したような心理学が言う「世界のすべてが自分」という視点は、それと相対する考え方です。「利己の推進」にこそなれ、「全体の調和」には至れません。
高次では、どんなに人が「個性」を持っていても、全体の調和と衝突することは決してないのです。個性がむしろ「全体とのハーモニー」を打ち出しているので、個性が必需とも言うべきもです。
ですが、こうした「世界のすべては自分である」という考え方は、「全体の調和や他者の存在を否定し、そこに利己を反映させているだけ」という――三次元の特徴……愚の骨頂とも言うべきものです。

高次元の人々は、「自分は宇宙の『ひとつの細胞』みたいなもの」という感覚でいます。
決して「宇宙全体が自分」だなんて、そんな傲慢なことを考えません。
皆さんも、是非ご一考下さい。ご自身のひとつの細胞を持って、「これが私だ」と思えますか? 細胞は、自らの細胞ひとつを持って「全体(人間)は私だ」という考えをするでしょうか?

自分は「ひとつの細胞」だからこそ、「全体(世界)の為に生きる」という考えは――まさしく高次のあり方です。
しかし、「世界は『自分』なんだから、自分のことと思って世界のことを考えよう」っていう視点……これはあまりに稚拙だと思われませんでしょうか?

何故、三次元で「個」という存在をもって誕生したかと言えば――それは「違いを学ぶ為」です。
高次元は「完全な階層社会」だということを書きました。逆に言えば、高次元にいると「同じ階層(同じ価値観)の人しか廻りにいない」ので、違いを学べないのです。
だから、この三次元では「異なる他者」の存在を知って、「他者を慈しむ」というのが学びの過程に含まれました。
しかし、「すべてが自分である」という視点に立てば、そうした「異なる他者を学ぶ」ということそのものが、否定されてしまうのです。

世の中生きていれば、思う通りにならないこと――何でこうなったのか、と思うようなことがいっぱいあります。
しかし、そこに「これは私が望んだから」だとか、必要以上の負荷を負わせる必要はないのです。
結果に拘るのは、「三次元の特徴」です。本来、大切なのは結果ではなく「過程」です。その過程で思う存分果たせたのであれば、その後の結果がどうであれ、本来は「流してしまえるもの」なのではないでしょうか?

そういった意味でも、こうした心理学セミナーの存在を私は非常に懸念視しています。
こうしたものは、安易なチャネリングと「立場が違うだけで、何も変わらない」からです。
これを読まれている方は、是非、そうしたセミナーやチャネリングに頼ることなく「自分の洞察力」にて、人生を変えていくことをお薦めします。
本当に必要なのは、「自己探究しよう」とする姿勢です。どんなにセミナーやチャネリングでお金を使っても、「自己探究をしよう」という視点に立てなければ、ただ無駄にお金を費やして終わりです。

「自分を甘やかす」ということと、「自分を必要以上に痛めつけ、それで『変えている気分になる』」というのは、実はまったく「同じこと」なのです。
本当の洞察は、痛みを伴いません。
痛みを伴うことなく、ごく自然に、真我へと導いてくれます。

そのことに、もっと多くの方が気付いてくれたらと――願ってやみません。

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現実問題、生きてみろ!

今回は「アセンション・ネタ」ではなく、ブロとものご紹介です。(前回の「アセンション後の考察」続きは、時間があれば夜に改めてUPします。)

前置きですが――(って、篠崎はいつも「前置き」が長い;)
一応「スピリチュアル」という項目でブログランキング登録している篠崎ですが――こう見えても、実はかなりの「リアリスト」です。(コラッ! そこの人っ! 笑うンじゃない!)
もしも「スピリチュアル」の項目の中で、さらに「リアリスト」という小カテゴリーがあったら、絶対そっちにも登録しているだろうっていうぐらいです。
って……スピリチュアル・リアリストって――「意味わからん」と、突っ込まれそうですが。
私にとって、スピリチュアルは夢想でもなければ非現実でもない――リアルな「現実」です。
そして、そうした「リアルな現実」が、今、私達が目の前にしている「現実問題の背景にある」というだけの話なのです。

このブログの中でも、何度か「目に見えるものを疑い、既存の価値にメスをいれる」といった姿勢のことを言いました。
本来、私達が俗に言う「現実」というのは、スピリチュアル(霊性)を背景にして成り立っているものなのです。

例えて言えば――幻燈……のようなものでしょうか。
模様の刻まれたクリスタルガラスに灯をともすと、そこから映し出された模様が部屋の壁中に大きく浮かびあがります。その模様を見て、幻燈のことを知らない人がいたら……「これは壁の模様なんだ」と思ってしまうかもしれない。或いは、壁さえも知らない人がいたら、「壁というのは、こういうものなんだ」と思ってしまうかもしれない。

でも、実際の正体は「クリスタルガラスに刻まれた模様」が、映し出されているだけです。
しかし、この模様が違ったものであれば、壁に映し出される模様もまた異なったものとなっていたはず。

私が「現実」と「スピリチュアル(霊性)」に感じているのは、まさしくその関係性です。
スピリチュアルの方が私にとっては「本質」で、それを元に、壁に映しだされたのが「現実世界」。
そして、だからこそ「本質である霊性に立ち返らなければ、現実世界も変わらない」――そう確信している一人なのです。

ところが――。
昨今は、あまりにも表層的なスピリチュアルが先行しすぎ、それこそ「壁に映し出された模様」を都合良く解釈した挙げ句に、それを「スピリチュアルだ」と言っている人も多々います。
本質は、もっと別のところにあり――かつ、それは自己洞察を通じなければ至れない代物です。
シュタイナーは「洞察を深めれば、人間は必ず意識的に超感覚世界(スピリチュアル)とアクセス出来る」と言っていますが、そこに至る道程は非常に厳しく、生半可なものではありません。

それは、スピリチュアルを「特別なものとせよ」という意味ではありません。
そうではなく、「慎重に向き合うべきだ」と言いたいのです。

現実にあるものの解析を進めずして、何故、その背後にある「霊的仕組み」が理解出来るのでしょうか?
シュタイナーは、「目の前にある鉛筆に、五分でいいから意識を集中させよ」と言っています。
鉛筆に「五分集中する」――。
もしよかったら、実際にやってみてください。私はやってみたけど、「か~な~り『キツい』」です。
鉛筆の構造、何を組成とし、何から作られ、何故そこに鉛筆が存在し、何故今自分の手元にあるのか。
この鉛筆を作ったのはどの会社か。そこに至るまでの経由は? 原料はどこで仕入れたのか。

……そんな追究をし続けたら――スピリチュアルに目覚めるより早く「鉛筆ヲタ」になってそうです(爆)。←「鉛筆萌え~」みたいな……;

そうは言うものの――私はこの「鉛筆ヲタ(笑)」になるぐらいの「徹底した現実の観察」は、超感覚(スピリチュアル」を理解する上で「必要不可欠」だと思っています。
何故なら、そこには「現実という基盤」に基づいた思考の発展があるからです。

「そんなの、ぜぇんぜん面白くない~。UFOとか、ドラゴンの話の方がよっぽど面白いよ~」

そう思われる方も、いるかもしれませんね。(いや、確かに私もUFO大好きですが。)
でも、先程言いましたように「現実の背景にこそ、霊的な法則性」が生きているのです。
霊感が最初からあれば、確かに「それは遠回りだな」と思う人も――中にはいるかもしれません。

しかし、私は「自分が霊感を持っているからこそ」断言できます。
結局、そうした能力を持っていても、戻ってくるのは「現実問題を、徹底的に解析しよう」とする位置なのです。
(だからこそ、私は自分を「リアリスト」だと言っています。)
私の場合は、そうした「徹底的に解析しよう」とする対象が「社会現象」「国際現象」にあります。こうした現象を目の当たりにし、解析しようとしていくことで、「そこに働く霊的な法則」が垣間見えるからです。(だからこそ、アセンションの信憑性を自分で強く感じている次第です。)

スピリチュアルとは、非現実を生きることではない。
それどころか、むしろ「リアルな程、現実を体感する」ということなのです。

私が今回ご紹介する「現実問題、生きてみろ!」では、四人の視点から、そうしたスピリチュアルへのメスが入っています。グループ名「LIVE THE REAL」のウルさんとは非常に親しくさせて頂いており、彼女の感性、洞察力を私は高く評価しています。
昨日公開されたばかりですが、今後の展開を非常に楽しみにしています。
「現実問題、生きてみろ!」っていうことこそが、現存の第三次スピリチュアルブームに「欠けている姿勢なのではないか」私はそう、思う次第です。

現実問題、生きてみろ!】 
LIVE the REAL


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アセンション後・物質の構造について

昨日は体調不良だった為、更新が出来ず失礼致しました……。

様々にアセンション後の情報を模索していたところ、今まで読んできた文献、および体外離脱から得られた情報などが面白いぐらいにリンクしあってきました。
社会システムや世界システムについて展開を進めたいのですが、まずは「物質の構造」に触れる必要性があるということで、まずはそちらから先に考察します(私はさっさと、世界システムの考察に進みたいのですが――ガイドからの強い要望に従い、致し方なく……)。

ルドルフ・シュタイナーは、三次元の構造を「鉱物界・エーテル界・アストラル界・霊界」としておりました。(ドイツ語の原文から訳しているわけではないので、必ずしもこの語源が正しいかは分かりかねます。その点は御了承ください。)
それを肉体の構造で説明すると、以下のようになります。(※鉱物界がもっとも低次元となります。)

********************
(4)霊界――自我(あくまでも自己です。利己ではないので、ご注意ください)

(3)アストラル界――アストラル体(魂の部分「悟魂・情魂・意識魂」に分かれ、左から右に行くにつれ位が上がる。)

(2)エーテル界――エーテル体(いわゆる「気」の部分)

(1)鉱物界――肉体
********************

ここで見ると、私達人間が(レベルの程度の差違こそあれ)霊界に属している――というのがお分かり頂けると思います(※だからこそ、霊界の消滅が人間にとってすごく重大、かつ怖いことなのだというのが、ことさらにご理解頂けることと思います。軸を失ってしまうのと、同義語なので)。
すなわち、私達はシュタイナーの考察によれば「世界の要素、すべてを含蓄した存在」ということになります。
そして、上記の要素を共有している世界が、以下のようになります(分かりやすいように、人間の部分と並列させて表記します)。

********************
(4)霊界――自我

(3)アストラル界――アストラル体――動物界

(2)エーテル界――エーテル体――植物界

(1)鉱物界――肉体――鉱物(物質)
********************

エーテルというのは、すなわち「生命力」でもあります。ですので、鉱物に生命力が宿ったもの――それが「植物」であり、生命に加え、感情や本能が宿ると、それが「動物」となります。(余談ですが、私は自分が「本当に疲れている時」は、植物園に行きます。動物園に行くと、返ってエネルギーが削がれるような気がして……。意識の活性化に動物園は向いているけれど、本当に生命力を補充するには、植物園の方が向いているというのは――こういうところに理由があるのかもしれません。)

植物は「エーテル体」を持っていても、アストラル体を持っていません。また、動物も「アストラル体」までは持っていても……自我はありません。
この違いこそが、「何故、人間だけが知恵を持ったのか」の根拠にも値するのです。

さて、ここで本題に戻しますが、「次元が上昇する」と、一番低い次元がなくなる――すなわち「鉱物界の消滅」を意味します。
事実、シュタイナーは著作の中で「次元が高い程、低次元の世界に対する接触が難しくなる」ということを言っています。ここでは「四つの構造」があがっていますが、ひとつあがると(例えば神界になると)鉱物界に接触出来なくなるのでしょう。だからこそ、高次の存在は私達の「自我」や「アストラル体」に対して、接触してくるのです。(よく俗に言われる「物質化現象」――。あれは、必ずしも高次の仕業ではないように思います。何故なら、高次であればある程、物質に働きかける力が弱くなるはずだからです。間近にいる人に「醤油とって」って言えば「はいよ」と渡してくれますが、遠くにいる人に「醤油とって――っ!」と叫んでも、「左の棚の、上から三段目に置いてある胡椒の隣だよ~」と答えることしか出来ません。それと同じことで、物質化現象は「私達の間近にいる存在」、すなわち「三次元に近い霊体達」が起こしている現象なのではないかと、そう思えるのです。)

確かに、「次元の上昇」という意味を考えれば、「鉱物界の消滅」がなくなるのは当然と言えるでしょう。
そう言うと……「陸地がなくなって、みんな全員海の中に『じゃっぽん』と落ちる姿」を想像されるかもしれませんが――そうはならないので、ご安心ください(笑)。
とどのつまり、「鉱物界に共通する組成要素がなくなる」という意味なのだと――私はそうガイドから教えられました。(私も実際、体外離脱先で「鉱物なくなるってことは、みんな水中動物になって『海底に住め』ってことかい!」と突っ込んだ大馬鹿者なので。←笑われたのは、言うまでもない……。)

確かに、こうした現象についてはすでにあちこちの書物にも書かれています。
ここでも何度か紹介した浅川嘉富氏「アセンション 最後の真実」318ページにも、1989年にソ連で起こった「異星人遭遇事件」についての詳細が書かれています。ここに出てくる異星人達はみな「半透明」で、人間と異星人それぞれ「擦り抜ける」ことが出来たのだ――と言います。
これは明らかに、彼らの肉体を組成する要素と、私達人間の肉体を組成する要素が「根本的に違うのだ」という証明に値します。

また、マウリッツィオ・カヴァーロ氏も、半透明のUFOの撮影、および「光を吸収してしまうクラリオン星人」の写真撮影に成功しています。(http://www.centroclarion.it/ ※イタリア語サイト)
こうした写真や、「擦り抜けてしまう異星人の体」というものが、私達「鉱物界」を主体とする三次元とは「根本的に違うのだ」というのを、端的に証明してくれています。

すなわち――。
私達がアセンションによって体験する現象。それは、「鉱物界の組成要素が解体され、新たな次元の組成要素に組み直されること」なのかもしれません。
勿論、一瞬にしてそれが行われる――というわけではないでしょう。ただ、少なくとも私達人間はすでにその要素を「肉体以外に保持している」はずなので、地球全体のそうした要素の変化に「対応できるはず」……なのですが。

人間には、さらに「付加される条件」があり――それが、先日の記事にも書いたように「一定度以上の、霊的成長」と言えるでしょう。
地球が次元上昇し、神界(1)の仲間入りをした際、そこでもまだ「支配・利己・略奪・詐欺」……そうした精神構造を持った人は、門前払いになってしまうのは、言うまでもありません(次元が高くなればなる程、階層社会は明確になります。しかし、それは「本当の意味での平等だ」と、私はそう思います。本当の平等とは、価値観が異なる者同士を無理に結びつけ、外的なラインで拘束したり支配することではなく、「その価値観に応じた世界で、自由選択の中生きることなのだ」と、私はそう思っているので)。
こうした「霊的成長の必要性」や、そうした成長が「どうやって新たな地球と連繋を組んでいくのか」ということについては、また改めて記事にしたいと思いますが、今回一番考察したかったことは――

・アセンションにより次元が上昇すると、物質界(鉱物界)の地球はどうなるのか

……ということですが――これは、上記の理由により「なくなる」と言っていいと思います。
もしかしたら――これは、今の地球が存在する三次元宇宙における「ビッグフリーズ(次元の硬直)」なのかもしれません。
勿論、だからといって全体宇宙から三次元が消えるわけではなく――新たに「三次元」はまた、誕生します。最新物理学においても、宇宙は「沸騰したお湯の中に浮かぶ、小さな水泡のようなもの」と言われるぐらい、沢山あるとされています。これは言葉が違うだけで、すなわち「次元」のことなのだと、私は思っています。
だとしたら、今の三次元にある地球が「次元上昇」を果たしたら――また別の三次元が登場し、そこには「かつて、地球という星があった」という伝説を残しながら、発展を遂げるのかもしれません(そして、カヴァーロ氏はそうした今の地球の役目にあたるのが、木星になる――と言っています)。

少なくとも、「次なる地球」に再び舞い戻るには、私達はきっと、新たな地球の様相――今とはまったく様変わりした地球を目にすることになるでしょう。
そこには陸地と言えるものは見えず、今の地球にはない要素で組成された、新たな陸地であり、新たな世界なのだと、私はそう思います。
鉱物ではない新たな組成因子が大地をつくり、鉱物とは違った組成因子で作られた建物と、エーテル体(これは次なる次元でも残りますので)による植物達との共生が、そこにはなし得るのでしょう。

まさしく「理想郷だな」と……今から楽しみにしている次第です。

※8/29 23:00追記
先日、ブロともでもある「Live the REAL」のウルさんに、プロフ画像の「未来の地球」を描いて頂きましたが、この姿がまさしく上述した「新たな地球」のように感じた次第です。


【関連記事】
アセンション後・全容についての考察
2012年アセンション 最後の真実
(1)アセンション情報における不思議な符合 
(2)アセンション情報における不思議な符合 


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アセンション後・全容についての考察

ここ数日、「アセンション後」について考察していて、いくつかの情報が提示されました。
その前に――まずは、今回のアセンションによって「分かれる方向性」について、以下箇条書きにします。

(1)カルマを解消し、他惑星(他次元)に帰還する魂
(2)次元上昇果たした地球に残り、新たなシステムを構築する魂
(3)まだ解消していないカルマがある為、同じように地球に近い三次元惑星に転生する魂
(4)原始的な木星に転生し、1からやり直す魂
(5)消滅する魂

【参考】浅川嘉富氏 著作本より部分抜粋

他、「大艱難を生きたまま乗り越え、地球はポジティブな人々とネガティブな人々の両者に分断される」という説もあるようですが――私はこれってナンセンスだと思います。
そもそも、ネガティブな人々が残ってしまう時点で、「まったくもって、次元上昇の意味ないじゃん」と。それでは、今まで繰り返し行われてきたアトランティスの滅亡、ノアの洪水、そういった大災害と大差がなくなってしまいます。
「次元上昇」という以上、そこには「三次元とは異なる法則性が入り込むのだ」と考えた方が自然のように思えるのです。

このブログで焦点を絞っているのは「(2)地球で新たなシステムを構築する」というケースです。
このケースに値する魂は、どこに所属することになるのでしょうか? 先日挙げた「コナン・ドイルの霊界通信」から抜粋してみましょう。

――――

【幽界】
(1)邪悪で自己中心的な欲望のみの世界
(2)邪悪性はないが、低級な煩悩から抜けきれない者が集まっている世界
(3)何事も思うがままに叶えられる世界

【霊界】
(1)知的理解の世界
(2)直感的覚りの世界
(3)形体なき存在への準備(神界への準備) ※神界へあがる資質の不足する者は再生する。(フォーカス27)

【神界】
(1)宇宙の進化活動への参加の初期
(2)宇宙的存在としての普遍的な愛の活動
(3)ニルバーナ・涅槃

――――

これで見てお分かり頂けますように、「霊界(3)」の段階でもまだ「転生の必要がある」ということになります。
すなわち――2012年(それが確実にその年かどうかは、断言しかねます。早くなる可能性だって、否定は出来ませんので)の時点で「霊界(3)」に位置している人達は、冒頭に書いた「(3)まだ解消していないカルマがある為、同じように地球に近い三次元惑星に転生する魂」になる可能性が高い、ということです。(勿論、これは本人の自由意志も尊重されることと存じます。しかし、霊体は肉体よりも遙かに謙虚で「自己の学習を最優先する特質がある」ということを、念頭に措いて頂ければと存じます。)

そうなると、地球が次元上昇した際に残る魂のレベルは、自ずと「神界(1)宇宙の進化活動への参加の初期」に値するのではないかと、個人的には感じています。
それを裏付けるかのようにして、あちこちの本では「銀河連盟」が「地球の参加を、心待ちにしている」といった文言が見受けられます。これはまさしく、「地球がそうした『初期段階』に入れることの示唆」なのではないかと、そう感じる次第です。
そうなった場合、教育・政治・福祉、すべてのシステムが「現存する三次元の形とは変わる」ということを、まずは意識する必要性があります。何故なら、「宇宙の進化活動」というのは決して個人の利己的心理では行えるものではなく、「全体の調和」に対する尊重なくして、あり得ないからです。

ちなみに――。
皆さん、冒頭に挙げた「(1)~(5)」の中で、「自分はどこに行きたい」というのがありますか(笑)? 多くの方は(1)を選ばれるのではないか――と思うのですが……中には謙虚な方もいて、(3)や(4)を選ばれる方もいるような気がします。((5)を選んだ方。……早まってはいけません。謙虚にそこを選ばれる時点で、すでに消滅の可能性はないと思われますので――)
ちなみに、私は(こんなブログを開いているぐらいですから((苦笑)))、すでに(2)を選択しています。
確かに、自分に母星があるのであれば――帰りたいです、素直に(笑)。故郷に帰りたいと思うのが人の本能であるのと、同じですので。
でも、きっと……自分は間違いなく(2)を選ぶだろうという確信と、およびそれだけの信念が、自分の中には存在します。(もし同じように(2)を選ばれた方がいらっしゃいましたら、是非お気軽にご連絡ください。協力しあって、未来を模索していきましょう!)

さて、話を戻しまして――。
私は今までの体外離脱の中で、何度か高次の街並みを見てきましたが――その街並みで共通して言えるのが(何度も書いたように)「個性を活かしたままの、全体の調和」でした。
高次にも、立派に「個性」があります。高次に自我がない――なんていうことはあり得ません。充分に彼らも「自己」を持ち、意志を持っています。ただ単に、それが「全体の調和」に活かされている、というだけなのです。
また、「秩序」はありますが、「法律」はありません。
何故なら、「内なる基盤」が確立しているので、わざわざ外的な拘束を作る必要性がないからです。(というか、そういうレベルの人でなければ、神界の1には入れないのでしょう。)

では、「法律がない」のであれば、「司法」もないのか――と言えば……そうではありません。
やはり、市民を導く「中枢メンバー」のような人達は存在します。それは、肉体を考えた場合と同じです。心臓にも、胃にも、肺臓にも、「法律」はありませんが「秩序」はあります。そして、その秩序をコントロールするのが「脳」ですよね。そういった感じで、「脳」に値するような人達が、高次には存在します。

三次元の政治家達は、「市民や末端の生活が見えてない」人達が大勢います。
しかし、高次に行けばそれは「あり得ません」。脳が感知しない組織がないのと同じように、高次の中枢にいる人達は、「全体」を末端――隅々まで把握しています。(だからこそ、高次の中枢に立つ人は人格者であり、かつ宇宙に確実なまでの忠誠を誓える者でなければなりません。)
でも、彼らはさほど積極的に末端の人達と交わるわけではありません。(脳が移動して、足の細胞や手の細胞と対話出来ないのと同じことです。)けれどその分、脳に変わって「末端の人達と交流する存在」がいます。
それが、所謂「大使」のような存在です。臓器に例えれば「血液」とも言えるでしょう。
また、神経組織のように、臓器それぞれに応じた地域の代表者達が、中枢である人々の中に入り、それぞれの地域全体を把握出来るような仕組みとなっています。
だからある意味、末端の人々(本当の意味での市民)は、中枢たる人々と「完全なる信頼」の元に関係性を培っているので、「個人の幸福」に集中することが出来るのです。個人の幸福に集中することが、イコール「全体との調和」に結びつく――というのが、高次のシステムであり、地球が目指すべき未来システムなのです。

アセンション後の地球が至る「政治システム」は――まさしくこのように、「人体構造」と等しいものがあります。
そこにあるのは、完全な「バランス」です。個性だけが突出するわけでもなく、また、全体主義だけが押し付けられるわけじゃない――両者の幸福が「併存して成り立つ」のが、アセンション後の地球のあり方なのです。

今回は、「アセンション後の地球の全体像」について、簡単に概要を触れました。
次回以降、少しずつその詳細を考察していきたいと思います。

【関連記事】
高次における「全体調和」は「個性」を排斥しない
高次元と三次元の差 
高次元の街の構造 


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(3)第六文化期における使命

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【2008年2月18日 ブログ「思考世界」過去記事より転載】

  地上における人間以外の諸事物も変化していく。その変化の仕方も、人類の進化と無関係ではない。第七文化期が終わる頃、地球の状況が根本的に変化するであろう。その変化は、アトランティス期から後アトランティス期への過程で生じた大変動に匹敵するものとなろう。そしてそのあとに生じる新しい地球は、再び七つの時期を辿って進化していくであろう。その時期に受肉する人間の魂は、アトランティス人が低次の段階で体験した霊界との共同生活を、より高次の段階で体験するであろう。

 前回、「第六文化期における使命は、ただ漠然と『霊界』や『霊感』を話題にするのではなく、その背後における法則性をも理解するに至ることにあるのではないか」と書きました。そして、その為にはその期を生きる人々、全員の自覚が必要になってくるのではないかとも述べました。今回は、そこから先の部分――「第六文化期を経た後、第七文化期以降に起こる事象」についての考察を深めたいと思います。

 その前に――。
 もう一度ここで復習、およびまとめをしておきましょう。

 「第六文化期」――これは、シュタイナーがまとめた地球における「時代分け」のようなものです。 正確に言えば、現在は地球紀の第六文化期ということになりますが、この「地球紀」というのが大見出しで、「第六文化期」というのが小見出しのようなものとお考えください。
 この「地球紀」というのは、永い地球の歴史における「第四段階目の進化」にあたります。地球紀に至るまでには「土星紀・太陽紀・月紀」があります。(※注 ここでいう土星、太陽、月というのを、実際の惑星と混同して考えないようにしてください。厳密に言えば完全に関係ないわけではないのですが、今ここでそれを説明するとややこしいことになるので、今の段階では「地球の霊的進化過程を、便宜上土星や太陽で象徴したのだ」とお考え下さい。)
 土星紀における目標は「鉱物の完成」でした。太陽紀は「エーテル体」、月紀は「アストラル体」、そして現在の地球紀では「自我の完成」が目標となっています。
 これらはすべて、人間の本質に対応しています。そうなると、地球紀において自我の完成を成した霊の次なる目標は(霊的進化の過程に準えて考えれば)「アストラル体を霊我に育成すること」であり、その次は「エーテル体を生命霊に育成すること」、その次は「肉体を霊人へと育成すること」と進化形態が続いていきます。そして、その進化に対応するように時代は「木星紀」「金星紀」「ヴルカン紀」へと続きます。

 さて、大きな時代の区切りはこの辺にして――次に「第六文化期」における説明ですが、これはここで何度も言っているように超感覚的認識内容(霊感)を知性と感情でもって理解する時代ということになります。
 その前の第五文化期は、自ら生みだした文明により、人類が自立を推し進める時代――いわば、自我の育成の時代でした。(シュタイナーが1910年代に「今は第六文化期の夜明けにある」と言っているので、現代はすでに第六文化期に入っていると考えられる――ということを、再度付け足しておきます。) 
 先程「土星紀から現代の地球紀に至る流れ」を説明した為、何故、第六文化期が重要な節目になるのかが、何となくでもおわかり頂けたのではないかと思います。
 要は、第七文化期が終わると同時に「自我の完成」を目標にしていた地球紀そのものが終わりを告げ、新たな木星紀へと移行していくからです。
 シュタイナーの言う「第七文化期が終わる頃、地球の状況が根本的に変化する」という、この変化に、応じられるだけの「進化」が、要求されるからです。
 では、ここでいう「進化」というのは具体的にどういうことを指しているのでしょう。
 これはここでも再三書かせて頂いた「物質世界と霊的世界の融合」――要は、物質世界の自我を持ったまま霊的世界の価値観を認識し、かつ、霊的世界の自覚を持った状態で、物質世界を生きるということが、次なる「進化」へのステップとなるわけです。

 ここまで来ると、一般的概念では多少理解し難い分野です。しかし、それは「今現状における科学的知識」では理解出来ないだけであって、時代が進めばそれさえも解決する術が出てくる可能性は高いのです。
 喩えて言えば――現在、聴覚が感じ取る「音」というのが、「波の振動」により伝わるということを疑う人は誰もいません。しかし、それを物理学的に解明するまでは、音は「ただ聞こえる」ということでしか理解されていなかったことでしょう。
 「音は、何で聞こえるの?」と質問されたとしたら、誰しもが「それは空気の振動を耳の鼓膜が感じ取って――」と説明出来ます。しかし、そう解明する前の時代に生きた人々であれば、その質問に「バカヤロウ! 『音は鳴るから、聞こえるんだよ』!」などと、返答したかもしれません。
 また、星空を見上げた際、目に見える星々の光がそれぞれ「異なる時に放った光」であるなどと、昔の人は考えたでしょうか? 私達は普通に、遠くに輝く星の光が「今光っている光ではなく、数十万年前に光ったものが今、この地球に届いている」という考えを受け入れられます。また、どんなに近くにあるよう見える星でも、実際は数百万光年離れているかもしれず、同じように「今」という瞬間に輝く星の光が、それぞれ「違う年数をかけて地上に届いている」ということも自ずと理解出来ます。
 しかし、そうした天文学的知識が浸透しない時代の人々であれば、「馬鹿者。星の輝きは『今、この瞬間』同時に輝いてるんだ」と、そう言ったに違いありません。かつては想像を絶するような出来事も、時代を経れば「当たり前」になることなんて、事象には多々あります。
 人間に与えられた謎は、時代を経るにつれ解明されます。とはいえ、これだけ科学文明が発達したと思われるこの時代においても、まだまだ残された謎はあります。そして、私がここで書く「霊学」――スピリチュアルでも神秘学でも、呼び方は様々であれ――も、その残された謎のひとつでしょう。
 しかし、それさえもが時代の変化と共に「解明」されるかもしれないのです。
 シュタイナーが言っていた「物質世界と霊的価値観の融合」は、まさしくそのことも示唆しています。そして、アトランティス人が低次の段階で体験した霊界との共同生活を、より高次の段階で体験するであろうというこの文言は、まさしく物質世界で自我を取り戻した人類が、再び霊界に戻った状況を指し示しているのです。

 シュタイナーは、この第六文化期における学びとして、感情面と知性における霊界(超感覚的世界)の認識と、要素を「感情面」と「知性」に分けて挙げています。
 知性における、というのは科学的解明などが考えられるでしょう。また、シュタイナーが構築した人智学(アントロポゾフィー)における研究を深めることも、知性を通じた「霊界(超感覚的世界)の認識と言えます。
 では、「感情面」というのは、具体的にどういったことを示唆しているのでしょうか――。

 少し話は逸れますが。
 昨日、横浜ワールドポーターズで開かれた「すぴこん」に行ってきました。
 今となっては、スピリチュアルに関わる人なら誰でも知っている「すぴこん」ですが、実は私、生まれて始めて行きました(笑)←とにもかくにも人混みが大の苦手故、こういうイベントものは「超苦手!」なのです……。それも、私がふとしたことから協力することになった「スピリチュアル&ヒーリング」グループがこのすぴこんに参加していたので、その絡みで行って来たという、ごくごく消極的な理由による参加でした(笑)。
 一体、どんな感じのイベントなのか――行ってみるまで、まるで想像つきませんでした。神秘的な雰囲気のヴェールとか、結界混じりのロープが張られていたりというのがあるのかと思いきや――全然「普通」でした(笑)。
 かつて私がそういった神秘思想を研究していた時は、それこそ「闇を背負ったような雰囲気で、全身黒ずくめの人」や、「私は特別なのよ」といった優越思想で自分を満たしたがるような人も多くいたものですが、今やもうオカルティズムもスピリチュアルも「一般的な日常」に降りてきているのだなという印象を強く持ちました。お客さんもみな雰囲気の良い方ばかりでしたし、出展者の方もニコニコとしている方が多く、スピリチュアルというのが「決して日常からかけ離れたものではない」というのをイベントに参加することで再認識させられた次第です。
 あちこちのブースを拝見していて思ったのは――「これこそ、感情面でのアプローチだな」と、ひとえにそのことでした。
 それは、こういったイベントの存在こそが人々が、感情面における癒しとしてのスピリチュアル――所謂霊学や神秘学を求めている証明に他ならないのではないか、そんなふうに思ったのです。

 感情面での働きかけというのは、思いの外「大きい」です。
 理念や理性よりも、「ハート」で感じたものというのは、その人の人生に大きな波紋を投げかけます。人は「理論で受け取ったもの」よりも、「ハートで受け取ったもの」の方を「他人に伝えたい」という衝動に駆られるからです。

 世の中は、「知性」だけでは変えられない――。
 知性はあくまで「基盤」でしかなく、本当にそれを変える原動力は「慈愛」に他ならない――。
 私はそのことを、ここ最近痛感しています。
 勿論、知性は無視出来ません。知性の基盤がなければ、せっかくの慈愛はただの根無し草となってしまい、「慈愛」なのか「ただいい人ぶりたいだけ」なのか、その人の判断を曇らせてしまうからです。

 三回に渡って連載した「第六文化期における使命」についてですが、「超感覚的世界の認識を、知性と感情でもって受け入れ」、この両輪のバランスをとっていくこと――そして、そうした中で「人間の背後にある法則性」を理解し、次なる時代に向けて準備をしていく。これが、「第六文化期の使命」とまとめることが出来るでしょう。
 霊的分野において、時代はまだまだ黎明期です。それどころか、今は「知性の霊学」と「感情のスピリチュアル」が多少「分離」してしまっているような印象を受けます。
 この両者が互いにバランスを取りながら、時代の両輪となって進んでいく――このことが、この第六文化期には必要不可欠なのだと、そう私は確信しています。

****************************
(2009年8月26日時点における追記)
この記事を書いたのは1年半ほど前ですが、たった「18ヶ月」という間で、スピリチュアルにおける背景は大きく変貌しました。
転載記事の中では「感情面におけるスピリチュアリティの発達は望ましい」と書いておりますが、現状のスピリチュアル分野においてはこうした「感情面におけるアプローチ」ばかりが先行し、知性における考察がまったくと言っていい程「蔑ろ」にされています。
正直言って、これではこの記事にあるようなシュタイナーの目指す「自我の確立には至れない」――私はそう危惧しております。

この記事を読んだだけでも、「どれだけ私達が『流れの速い時間』に浸されているのか」を実感して頂けることと思います。
「自分」という軸がなければ、まるで滝壺が近づくかの如く速まる時間の中で、私達は「我を見失うだけ」です。
ひとりでも多くの方が見かけだけの情報を鵜呑みにせず、自己で咀嚼し、「自分の知恵」に一歩でも近づけるよう努力して頂くことを、願ってやまない昨今です。

【関連記事】
(1)アセンション情報における不思議な符合 
(1)第六文化期における使命
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(2)第六文化期における使命

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【2008年2月15日 ブログ「思考世界」過去記事より転載】

 「神秘学概論 宇宙の進化と人類の進化との現在と未来より抜粋」

 第五文化期の間に、超感覚的な世界の認識が人びとの意識の中へ流れ込んでいく。そして第六文化期になると、人びとは、以前の諸時期のまだ未熟な超感覚的直観を、より高次の仕方で身につけるであろう。新しい直観は、古い直観とはまったく異なる形式をもつであろう。以前の魂が獲得していた高次の世界知識は、まだ自分自身の知性の力、感情の力に浸透されてはいなかった。霊感によってそれを得ていた。本来の魂は、霊感をもつだけでなく、霊感を理解し、その霊感を自分自身の本性に由来するものにするであろう。自分の魂が他の存在もしくは事物を認識するとき、知性がその認識の妥当性を、みずからの本性によって見出すようになるであろう。
 ――中略――
 地上における人間以外の諸事物も変化していく。その変化の仕方も、人類の進化と無関係ではない。第七文化期が終わる頃、地球の状況が根本的に変化するであろう。その変化は、アトランティス期から後アトランティス期への過程で生じた大変動に匹敵するものとなろう。そしてそのあとに生じる新しい地球は、再び七つの時期を辿って進化していくであろう。その時期に受肉する人間の魂は、アトランティス人が低次の段階で体験した霊界との共同生活を、より高次の段階で体験するであろう。
 後アトランティス期におけるギリシャ・ラテン文化期やそれに続く第五、第六、第七文化期を経験した魂だけが、新たに形成された地球状況に適応していくことができる。その魂は、それまでの諸状況に対応するすべを、身につけてきた。そうでない魂たちは、それ以上先へ進むことができないであろう。後アトランティス期の第五文化期から第六文化期への移行に際して、超感覚的な認識内容に知性の力と感情の力を浸透させた魂だけが、次の大変動後の状況に適応できるであろう。


 途中連載が途絶えたので、再度冒頭に引用部分を掲載しました。
 前回は「第五文化期というのは、霊界から切り離された人類が自我を持つのに必要なプロセスだった」ということを書きました。そして、次なるステップ――再度「霊界に還る」為のステップが、現代の「第六文化期」ということになります。

 そして第六文化期になると、人びとは、以前の諸時期のまだ未熟な超感覚的直観を、より高次の仕方で身につけるであろう。新しい直観は、古い直観とはまったく異なる形式をもつであろう。

 第六文化期というのが、第五文化期を経て新たに踏み出されたステップなのだということを、ここでは示唆しています。(だからこそ、第五文化期と第六文化期は1セットなのでしょう。第五文化期がなければ、第六文化期における進化もあり得なくなってしまうからです。)
 いわば、この第六文化期は「第五文化期における限界を感じた人類」が、育成した自我を持って臨まなければならない時代なのです。
 言われてみれば、現代のあり方はまさにそうかもしれません。シュタイナーが生きていた頃は、これほどまでに彼の著作物がもてはやされることはなかったでしょう。もはや全世界レベルで彼の著作が受け入れられている事実を見ただけでも、第六文化期の傾向が自ずと見えてくるような気がします。
 また、ここでは「新しい直観」も預言しています。それが一体どういうものなのかは、以下のとおりです。

 以前の魂が獲得していた高次の世界知識は、まだ自分自身の知性の力、感情の力に浸透されてはいなかった。霊感によってそれを得ていた。本来の魂は、霊感をもつだけでなく、霊感を理解し、その霊感を自分自身の本性に由来するものにするであろう。自分の魂が他の存在もしくは事物を認識するとき、知性がその認識の妥当性を、みずからの本性によって見出すようになるであろう。

 これは、前々回「霊感が消えた理由」でも書いたことと類似しています。
 要は、シュタイナーは霊的進化において「自我の育成」を重要視しているのです。ただ漠然と霊界と繋がるのではなく、明確な意識と五感を持った状態で再び霊界に参入する――これを、シュタイナーは目指しているように思えます。

 しかし、いざ物質界における感覚を発達させてしまった状況下において、その明確な認識をもって霊界を理解する――というのは、至極難儀なことのようにも思われます。
 ですが、「不可能ではない」――私はそう思っています。
 何故なら、私自身が「その追体験をしている」からです。
 先日、「霊感が消えた理由」の中で「霊感が消失した後、視界がクリアになった」ということを書きました。現在も「クリア」なままなのですが――ここ最近、四十歳以降に起こる「霊界参入」が近づいているせいか(苦笑)、霊視能力が急激に復活しつつあります。(前回書いたような体験も、その一環だったのでしょう。)
 ところが、その見え方が十代の消失する頃までと違って「やたらにはっきり」しているのです。
 勿論、まだ完全な復活ではないので「本物と見紛うことない程はっきりとした白い布が、視界を横切った」とか、「紫色の発光体が、突然光った」とか、「外枠が青色で中が白色の発光体が光った」といった部分的なものではありますが(外枠が青色で中が白色の光というもの自体、物理的に存在しません)、その見え方は十代の頃と「まるで違う」のです。十代の頃よりも、むしろ「クリア」になっているのです。
 もっとも、十代の頃はこうした霊視と同時に「それが一体、どのような存在なのか」も瞬時に感じ取れました。……が、今はまだそこまでの力になっていないようです。
 しかし、私にとって「(自我の芽生えていない)十代の頃に味わったのとは違う感覚」ということ自体が、シュタイナーの言う自我を芽生えさせた人類が得る、新しい直観に通じるものがあるのではないか、そう思えるのです。

 私達は、ただ漠然と「霊界」や「霊感」を話題にするのではなく、その背後における法則性をも理解するに至るだろう――それが「第六文化期」の使命なのではないでしょうか。
 だとしたら、私自身にこうした霊視能力が復活するのは非常に有り難いことです。何故なら、実体験をもってそれを分析することが出来るからです。研究者にとってもっとも嬉しいことは、自らが「実験体となれること」――これに他ありません。
 時代と個人というのは、常に「呼応」しています。シュタイナーも「世界史は、個人において繰り返される」と言っているように、時代の動きはただ全体を包括したまま流れていくわけではありません。その流れには必ずといっていいほど、似た傾向が「個人において、すでに反映」されているはずなのです。
 だとしたら、第六文化期――第七文化期の変容を乗り越える為に重要な過渡期になるだろう第六文化期における鍵は、他でもないその期を生きる人々、全員ということになるでしょう。
 誰か特別なカリスマが必要だったり、或いはイエス=キリストのような自己犠牲を必要としたり、もしくはひとつの宗教の下に集結することでも何でもない。
 要はひとりひとりの自覚が必要となってくる――私にはそのように思えます。その為には、もっと霊学を理論的に――かつ一般の方々がわかるような形で噛み砕き伝えていくこと、それが先決なのではないか、そう考えています。


※後半部分、第六文化期以降の変容については「(3)第六文化期における使命」で考察します。
****************************
(2009年8月25日時点における追記)
上記の中で、「霊視能力が、復活しつつある」旨記載しておりますが、それから半年もしない間に私の霊能力は、急激に復活を成し遂げ、むしろ以前にも増して強くなった気がします。しかも、十代の頃のような霊視よりも遙かに、「体外離脱能力」の回数が激増しました。
自我を育成し終えた私が体験する体外離脱は、誠にリアルなまでの情報を与えてくれています。すべては、こうなるように自分で「設定して生まれてきている」――そんなふうに思えてならない昨今です。

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(1)第六文化期における使命

先日、「ハワード氏とベンジャミン氏における符合について、過去記事をUPする」とお知らせしましたが――
……すみません。どうやら過去記事、「削除」されていたようです……orz←というか、「自分で削除しちゃってた」;
そんなわけで、急遽――予定を変更し「シュタイナーが触れていた『第六文化期』についての考察」を以下転載します。一年以上前の記事ですが、今でも当てはまる部分はあると思われますので、参考としてご活用頂けますと幸甚です。

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【2008年2月11日 ブログ「思考世界」過去記事より転載】

 「神秘学概論 宇宙の進化と人類の進化との現在と未来より抜粋」

 第五文化期の間に、超感覚的な世界の認識が人びとの意識の中へ流れ込んでいく。そして第六文化期になると、人びとは、以前の諸時期のまだ未熟な超感覚的直観を、より高次の仕方で身につけるであろう。新しい直観は、古い直観とはまったく異なる形式をもつであろう。以前の魂が獲得していた高次の世界知識は、まだ自分自身の知性の力、感情の力に浸透されてはいなかった。霊感によってそれを得ていた。本来の魂は、霊感をもつだけでなく、霊感を理解し、その霊感を自分自身の本性に由来するものにするであろう。自分の魂が他の存在もしくは事物を認識するとき、知性がその認識の妥当性を、みずからの本性によって見出すようになるであろう。
 ――中略――
 地上における人間以外の諸事物も変化していく。その変化の仕方も、人類の進化と無関係ではない。第七文化期が終わる頃、地球の状況が根本的に変化するであろう。その変化は、アトランティス期から後アトランティス期への過程で生じた大変動に匹敵するものとなろう。そしてそのあとに生じる新しい地球は、再び七つの時期を辿って進化していくであろう。その時期に受肉する人間の魂は、アトランティス人が低次の段階で体験した霊界との共同生活を、より高次の段階で体験するであろう。
 後アトランティス期におけるギリシャ・ラテン文化期やそれに続く第五、第六、第七文化期を経験した魂だけが、新たに形成された地球状況に適応していくことができる。その魂は、それまでの諸状況に対応するすべを、身につけてきた。そうでない魂たちは、それ以上先へ進むことができないであろう。後アトランティス期の第五文化期から第六文化期への移行に際して、超感覚的な認識内容に知性の力と感情の力を浸透させた魂だけが、次の大変動後の状況に適応できるであろう。


 先日、「シュタイナーが生きていた頃は第五文化期の末だったので、今は第六文化期に入っているだろう」ということをお話しました。
 もっとも、それは私の独断でしかありません。しかし、私自身の中では「今が第六文化期」ということにつき確信があります。第二次世界大戦後の世界の動きが、十五世紀から二十世紀前半に至る第五文化期の流れと格段に違うというのが、歴史的に明らかだからです。
 上記の引用部分を読んで頂いてもわかるように、シュタイナーは「第五文化期」と「第六文化期」を「1セット」として扱っています。第五文化期における「知性的発展」がなければ、第六文化期に定めた目標に到達出来ない――そう言っているかのようです。

 とはいえ。
 上記あげた抜粋部分は、いわゆる未来のことです。俗に言う「予言」にも含まれてしまう部分なので、疑念の拭えない読者の方もいらっしゃることでしょう。
 予言というものに人は惹かれつつも、心のどこかで胡散臭げに見てしまう部分は否めません。かくゆう私自身も、予言というものにはまるで興味がないし、それどころか遠ざける節もあったりします。
 しかし、仮にそれが「将来を生きるにあたって、必要なアドバイス」であったとしたら、遠ざけてしまうのは勿体ない。
 「地球が滅ぶ~」だの「核戦争が起きる~」だの、ただ顛末だけを騒いでそれを防ぐ為に何をすればよいのかを示唆しない予言であれば、耳を貸す気にならなかったでしょう。しかし、シュタイナーの予言は結果だけを示唆するのではなく、「そこに行き着く過程」をも説明しています。だからこそ私は、ただ「胡散臭い」と退ける気にならず、「そこに未来の社会に至る知恵が含まれているのではないか」という思いで目を向けてしまうのです。
 実際、シュタイナー自身この「神秘思想による宇宙進化論」を説いたことで高く評価はされたものの、反面「ものすごいバッシング」を受けたのも事実です。
 現代のように自由な思想を広げられなかった時代において、地球紀だの後アトランティス期間だのと言ったところで、夢物語に過ぎなかっただろうことは想像に難くありません。
 しかし、私達はいろいろな時代を経て――科学の発展もほんの数十年の間で体験してきた中において「非現実という一言で、すべてを退けることが出来ない」というのを実感しています。コンピューターが自家用車と同じように「一家に一台」もしくは「家族一人につき一台」なんて時代になるとは、夢想だにしていませんでした。
 鉄腕アトムがテレビで大流行していた頃にも、まさか「二足型ロボット」が登場するなんて、大人達は思っていなかったに違いありません。しかし今や、科学はそこまで追いついていて(それも、日本におけるロボット技術は世界的にも評価が高い)まるで人間のようにしなやかな動きをするロボットまでいる始末。ホント、それこそ「アトム」だって夢じゃないのです。もしかしたら、ドラえもんや「四次元ポケット」だって出来るかもしれない。←そらさすがにないか。
 そうした「予想もしなかったことが現実になる時代」の中で、シュタイナーの説いた未来論を、巷の予言と十把一絡げにして「アヤシイ!」と退けてしまうのは些か勿体ないのではないでしょうか。頭ごなしに拒否するのではなく、その信憑性と向き合う時代――否、向き合える時代になったのではないか――私はそんなふうに思っている次第です。

 では、前置きはこの辺にして――考察に入っていきたいと思います。上記抜粋した部分を、一部ごとに抜き出しながら検討していきます。

 まず冒頭部分。「第五文化期の間に、超感覚的な世界の認識が人びとの意識の中へ流れ込んでいく」については、超感覚的――いわゆる「霊学的世界観」が、人々の認識に含まれるようになる、ということを指し示しています。
 かつての人類――アトランティスに生きた人達などは、霊界と繋がっていました。しかしそれは、例えて言うなら「産まれたばかりの赤ん坊が、まだ霊界と繋がっている」というレベルのものに近かったようです。霊界と繋がっていれば、自ずと叡智を得ることが出来る故、文明的な発達が望めただろうことは理解出来ますが、実際その発想のほとんどは「霊界と繋がっているが故」のものだったと言えます。
 シュタイナーは講演録「民族魂の使命」の中で非常に興味深いことを言っていて、霊界と繋がっていた人類は一度その懐から離れ、自らの力で物質界を歩き、再び霊界との繋がりを復活させるプロセスが必要だったというのです。
 所謂、この「自らの力で物質界を歩く」時代というのが、まさに第四文化期から第六文化期にかけて――ということになります。
 第四文化期(イエスの時代前後あたり)はまだその前のアトランティス時代を多少引きずっていたものの、第五文化期に入り科学文明がどんどん発達していくに従って、人類の自立はますます促進されました。これがいわば、「神(霊界)の懐から離れる」という――通過儀礼のようなものなのでしょう。(ちなみに、私はこの流れを象徴的に描いたのが、旧約聖書の「失楽園」なのだろうとそう考えています。)
 そしてついに、今の時代――「神なき時代」へと至ります。
 宗教が消え去ったわけではありませんが、私達はその真髄を問われるような事件を多く目にしています。パレスチナ問題然り、宗教紛争然り、カルト教団によるテロ行為然り――。
 神というものが一体何なのか、宗教は人に何を及ぼすのか、人が生きるにあたって必要なことって本当は何なのだろうか――そんな根源的な問題が、私達の目前に突きつけられています。
 それはある種、「霊界との繋がりを復活させる」為の、「予習」のようなものなのかもしれません。事前に課題を出され、次のステップへ進むまでに勉強しておくよう、今の社会は私達に対して問題提議をしているのかもしれません。
 そしてそれらを包括する答えを得られたとしたら――それこそが「第六文化期における目的の一端」であったのだろうと、そんなふうに思える次第です。


※(2)第六文化期における使命に続く
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(2)アセンション情報における不思議な符合

昨今のアセンションにおける情報の中で、共通して言われているのが「霊界の消滅」です。
私がこのことを知ったのは、浅川嘉富氏と坂本政道氏の対談本「5次元体験の超衝撃」(以下参照)でした。しかも、この霊界の消滅というのは「ただ消滅している」のではなく、「アセンションを前提にした消滅だ」というのです。
地球は「三次元」にあります。浅川氏著作「アセンション 最後の真実」によると、かつて宇宙人たる高次元の人々は「三次元の地球」を見つけ、そこに移住しようと決意します。
しかし、次元が違うので降りようにも降りられません。
そこでまず、「三次元である地球の仲介所」として「フォーカス35」という空間を作りました。それから徐々に次元の周波数を下げていき、「フォーカス27」を作り、そこから地球へと働きかけをしていったというのです。しかし、人間として生まれ転生を繰り返している間に、「人間の思念によって作られた世界」が出来てしまいました。それらが、フォーカス23~26の「幽界」だそうです。

これ、非常に面白いことに「シュタイナー」も同じ理論を説いていて、また、シャーロックホームズで有名なコナン・ドイルが晩年霊界探究に傾倒し、その結果霊界通信で知ったという内容も同じような仕組みとなっています。参考までに、コナン・ドイルの内容を以下簡易書きします。

――――――――

【幽界】※次元が低い方から順に書いていきます。
(1)邪悪で自己中心的な欲望のみの世界
(2)邪悪性はないが、低級な煩悩から抜けきれない者が集まっている世界
(3)何事も思うがままに叶えられる世界

【霊界】
(1)知的理解の世界
(2)直感的覚りの世界
(3)形体なき存在への準備(神界への準備) ※神界へあがる資質の不足する者は再生する。

【神界】
(1)宇宙の進化活動への参加の初期
(2)宇宙的存在としての普遍的な愛の活動
(3)ニルバーナ・涅槃

【2012年 アセンション最後の真実】から参照
――――――――

如何でしょうか?
これと似た内容がシュタイナーの「神智学」にも書かれていますので、興味のある方はご参照ください。

ちなみに、人間は必ず、上記の世界の「どこかしら」と繋がりを持っています。ご自身で「あ、ここに何か縁がありそう」っていうものが、何となくでもお分かり頂けると思われます。
ちなみに、「神界(1)」の段階は、すでにある程度人間の学びを終えた人で「入っている人達」もいると思われますが、(2)以上の人はまず今世に転生していることはないだろうと思います。だから、もし「私、絶対『神界の2』だわ!」「僕は『神界の3』だな」と思われる方は――まず台所に行って、氷のいっぱい入った麦茶を飲んで、頭を冷やしてから「じ~っくり!」、考えてみるようにしてください(笑)。

ここでひとつ興味深いのは、「何事も思うがままに叶えられる段階」というのが、実は「幽界レベル」だということです。
以前流行った「引き寄せの法則」などは、まさしくこのレベルだと思われます。ここで象徴しているのは、「何でも自分の思い通りになるということが、必ずしも高次なわけではない」という証明に値している――そう思います。(逆に言えば皆さん、「何でもあなたの思い通りになれるわよ」という心理学や成功哲学は、この幽界の領域から出られない危険がある――と思った方がいいかもしれません。)
むしろ、「自己的理解」を脱して「全体に調和」することこそが、宇宙の真理であり目的であるのだろう――そう実感する次第です。
ただし、だからといって浮き足だって「高次に行くぞ~」と表面的な善行を積むのは無意味です。何故なら、肉体捨てたら「どうせ、すべてバレる」んですから(笑)。
バレる嘘は、最初から吐かない方が「賢明」です。
それよりも、「等身大にあった、自己の確立」というのが大切になってきます。おそらく皆さん、上記の例の中で「何となく、ここっぽい気がする……」という居心地の良いレベルがあったことと思います。そこのレベルが、皆さんにとって「縁のある(繋がっている)領域」ということになるのでしょう。

さて。先程「霊界の消滅」という話をしましたが、「地球がアセンションする(三次元でなくなる)」為に、レベルの低い幽界(坂本氏の言葉を借りるならフォーカス23~26)が、少しずつ消えているそうです。
実はこれ、私自身がまったくそういうことを聞いていない頃、体外離脱した際に「何もない空間」に行ったことが何度かありました。「無」というのではないですが、辺り一面霧が立ちこめていて、「かつて存在していたのだろうけど、今は存在していない」ということだけが実感出来たのです。
それがどういう意味か、当時の私にはまるで分からなかったのですが――「霊界の消滅」という言葉で「ああ、なるほど!」と実感しました。(※私は体外離脱した際、必ずしも高次元に行くわけではありません。ガイドに案内されて地獄((おそらく幽界1))のようなところに行ったこともあれば、霊界と幽界の境に行ったこともあり、また、ここで何度か書いたように高次元((他の惑星))に行ったことなどもあって、行く先々は決まってないという感じです。)

しかしこれ、実はとても「深刻で恐いこと」なのです。
先程、「人間は誰しもが、必ずどこか霊界に繋がっている」ということを言いましたが、この「源」が消滅してしまうことを想像してください。
自分の根っこを失ってしまい、肉体は翻弄され、思考の基盤を失ってしまうのです。最近、妙にキレやすい人が増えたり、衝動的な殺人(先日も、酔った知人の顔面にコンクリートを落とすなんて、信じられない事件がありましたが)、大量殺人、鬱病になる人の増加や自殺など、こうした「霊界の消滅」に裏付けられているように思えてならないのです。

「お、おいおい……。霊界消すンなら、一緒に地球アセンションしてくれないと、やってらんないよ! これ以上、社会が暴徒と化したらどうすンだよ!」って思った人は――私だけじゃないはずです……。

その上――この現象と同じような状況を、実際に生きながらにして霊界で目の当たりにした人物がいるのです。
それが、エマニュエル・スウェデンボルグ(スウェデンボルイという表記もあり)です。
彼は1757年に行われた「最期の審判」を、霊界で見てきました。その状況を、このように表現しています。

「霊界3」
*212ページから引用*
 「善行の太陽の光は暗くなり、信仰の月も、もはや光を放たなくなっていた」
 太陽であるべき意志側の良きものがなくなった結果は、月としての信仰の光でさえ、地上から消えていたわけである。こういう状況は、当然霊界の様相も変えざるを得なかった。心に太陽も月もなくなった人間の霊が、霊界に増加したからである。

*215ページから引用*
 ②最後の審判が霊界で行われる理由
 最後の審判を、ひと言で言えば、それぞれの霊に霊界での最終的な「住居地」を振り当てることである。そして、それぞれの霊の「住居地」は、その霊の善悪高低などの性格要素に応じて決められる。
 したがって、最後の審判には、まずその霊の本当の性格が明らかにされなければならない。これが、最後の審判が行われる理由である。

 ――引用以上――

スウェデンボルグは18世紀の人なので、表現にはやはり限界があり、必ずしも現在を生きる私達にピンと来るものではありません。しかし、こうした「一斉の霊格整理」というものが、後のアセンションにおける「霊界消滅」とほぼ同義であると感じるのは、私だけでしょうか?

地球におけるアセンションも、「地球が次元上昇」することによって、自ずと霊格(霊性)が顕わになります。←だ~か~ら、偽善行為は「無駄」なんですよ~☆(詐欺罪の適用は、ないと思われますが。)等身大で自分を磨くのが、何よりも「一番」ということになります。

でも、万が一「幽界」などの低い階層と結びついていた場合、どうなっちゃうでしょうか。霊格が顕わになるのであれば、その源が消えてしまっている以上――自ずと、魂は「消滅」してしまいます。※先日発売された浅川氏の本によると、現在、坂本氏は対談時の意向を変えて「魂は消滅しない」としているそうですが――これは、坂本氏自身の論理を根底から覆すものであり、また同時に矛盾をはらんだものとなってしまいます。私自身が体外離脱で「消失した空間」を目の当たりにしているし、事実、霊媒師の人達の多くが「霊界が消えてきている」のを実感していることを裏付けするとすれば、消滅する魂が出てくるのは必然であると、言わねばならないでしょう。

また、スウェデンボルグは自分が見た「最後の審判」の影響は「数百年かけて、地上に現れる」と言っています。
ある意味、アセンションにおける「先駆けの事象」を、スウェデンボルグは霊界で見せられたのかもしれません。

そうした意味で考えれば、昨今社会的に起きている様々な事件、心理的現象は「霊界の消滅に由来がある」と考えることが出来ます。
だとしたら、今の私達に必要なことは――何でしょうか?
少しでも「調和」を意識し、霊格の向上を目指すことだと――私はそう思います。
時間は、どんどん速くなっています。夢中でブログ書いてたら、あっという間に2時間なんて経っちゃいますよ。←自分に向けての自虐的言葉。
今の等身大の自分で出来る「調和」とは何だろう、等身大で出来る「平和への活動」って何だろう――そういうことをまず何よりも「行動に結びつけていく」ことこそが、霊格向上の大切な第一歩と言えるかもしれません。

※次回は、今年3月に亡くなったUFOコンタクター「ハワード氏」と、国際的活動を展開する「ベンジャミン氏」の符合についてご紹介します(前ブログ「ひとりの祈りから」の転載)。

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【参考文献】

5次元体験の超衝撃―フォーカス35 (5次元文庫)5次元体験の超衝撃―フォーカス35 (5次元文庫)
(2009/01/09)
坂本 政道浅川 嘉富

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エマニュエル・スウェデンボルグの霊界〈3〉人類の未来はどうなるのかエマニュエル・スウェデンボルグの霊界〈3〉人類の未来はどうなるのか
(2000/03)
エマニュエル スウェデンボルグ

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心霊写真を撮った際の心構え

最近、心霊写真を撮る人達が多発しているようです。
それは、霊界の一部が消滅し、戻るべき場所を見失った霊体達がこの世への未練を残し(或いは、死をまったく自覚出来ない状況で)彷徨い歩いているが故のようです。
スピリチュアリストとして出版している人達の中には、「こうした心霊写真を撮るのは、撮った人達の『負の想念』が現実化しただけだ」などということを言う人もいますが――それは違います。
だって、みんなで楽しくキャンプをしている最中、家族旅行をしている最中、一体誰がそんな「負の想念」で写真を撮りますか? こうした写真を撮る人達は、ほとんどが「突発的事故」を起こしたかのような偶然性で、想像だにしない状況下で撮ってしまっているのです。

私は今まで、心霊写真の鑑定を何度かしてきましたが、共通して言えることは「撮った本人には、まったくそうした負の想念がなかった」――いわば、「予期もせずに、偶然撮ってしまったケースが高い」ということです。撮った方の霊的波長が非常に高く、迷いでている念が「物質化現象」を起こし、それで「偶然撮れてしまった」というだけなのです。(ですので、そういう発言をするスピリチュアリストの方は「本当に霊的な世界のことを、熟知されているのだろうか?」と疑問に思う次第です)。

こうした写真を撮ってしまった場合、何らかの特殊な行為(御祓いや供養など)が必要になるのは「ごく稀」です。
ほとんどのケースは、「たまたま映りこんでしまっただけ」に過ぎません。
特に、真正面を見ていない霊体の場合は、ほぼ心配ないです。
真正面を見ている場合は――御祓いや供養などが必要になることもあります。
人間で考えたって、同じことです。何かを主張したい場合、「後ろを向いたまま」で、主張はしませんよね? 真正面から相手を見据えて、主張するはずです。これと同じで、「真正面から顔が明確に分かる程の写真」というのは、何らかの強いメッセージが籠められています。その為、それなりの対処が必要になるのは事実です。

にも関わらず――。
そうした「無害」な心霊写真を必要以上に恐れ、ちょっとした不運をすべて「あの写真のせいだ!」とするのは――大きな間違いです。これは、安易に低級霊を敬うのと同じぐらい、危険な行為です。
幽霊とはいえ、「人格を持った個性」なのです。自分とはまったく関係ないことを、「あんたのせいだ」って言われたら――私達人間だって、腹が立ちますよね? 霊だって、それと同じことなのです。
それどころか、無害だったはずの霊を「邪悪な霊」に変えてしまう危険もあるのです。
どのみち、霊よりも「生きている人間」の方が生命ある分「エネルギーが強い」のです。だから、無力になってしまった幽霊を悪戯に怖がったりするよりも、まずは「冷静」に現象と向き合うことをお薦めします。

今回私がした鑑定も、非常にはっきりとした霊体でした。
三秒ほどの間に連続して撮られた写真だったのですが、二枚目よりも三枚目の方が、「物質化」が進んでいます。その証拠に、三枚目は「くっきりと影」が映っていた程です。

何故このような現象が起きるかと言えば、写真を撮られた方の霊的感受性が鋭い場合、その波長が「死を自覚していない霊体」と共鳴し、「物質化する働き」が起こるからです。所謂「三次元化」です。
この方のケースの場合、映っている霊体は「死をまったく自覚していない霊」だったので、撮った人に災いを招くような存在ではありません。なので、特に御祓いや供養といったものは必要ありませんでした。(こうした写真を見るにつれ、私は「死の本質を、生きているうちに学んで欲しい」ということを痛切に感じます。生きているうちにしか、死の本質は学べないのです。そうでないと、このように迷える霊はどんどん増える一方です。)

心霊写真を撮ってしまった場合、まず何よりも大切なのは(先に挙げたように)「闇雲に恐怖心を抱かないこと」です。
私達だって、肉体を持っているだけの話で「霊体と何も変わりはない」のです。真正面から映りこんで何かを主張しているようなケースでない限り、変に恐怖を抱くのではなく、冷静になることが大切です。
それから、「とにかく手元に置きたくない」という一心で、無闇に御祓いをお願いするのも危険です。何故なら、その「依頼先」が、本当に真摯な姿勢で御祓い、供養をしてくれるとは限らないからです。
理由もなく「形だけ」で御祓いされる方は、たまったものじゃありませんよね? それこそ、御祓いではなく「厄介払い」です。

霊体は念とはいえ、「個性をもった人間」と変わりはないということに気づき、彼らの個性を尊重してあげてください。
そこを蔑ろにして無意味に怖がったり、逆に敬うような姿勢は「危険極まりない」です。
念という意味で言えば、私達だって「念の塊」です。
でも、もしも「あなたはただの、念だから」って言われたら――どう思います? 蔑ろにされた気分になりませんか? 「私は『私』なのに」――そう思いませんか?
幽霊だって、同じことです。
彼らの個性や、迷うに至った経緯を、しっかり見つめてあげることが大切です。
昨今のスピリチュアルは「天使」はすぐ敬う癖に、自分達に近い兄弟である「幽霊」は疎んじるから不思議ですね。本来、手を差し伸べるべきは「困っている兄弟達」である幽霊のはずなのに……。

霊体と人間は、「肉体があるか、ないかの差でしかない」そう受け止める必要性があります。
その上、幽霊として出現する存在は「非常に三次元に近い」のです。そうした意味で、人間にある特徴が「彼らにもある」そう思って間違いはないでしょう。

これと逆のケースにあたる、危険な実例を挙げましょう。
それは、とある神社を撮影した写真でした。そこには、モヤのような筋が幾重にも入っていて、数枚の写真ほとんどにそれが映り込んでいました。
その神社は、「パワースポット」として有名な場所でした。その写真を撮られた方も、そうしたパワーを受けたくてその地に訪れたようですが――

実は、パワースポットというのは「非常に危険な場所」でもあるのです……。
本来、ただでさえ「霊的純度の高い地」だったのが、現在無闇に「パワースポット」として崇められてしまったが故に多くの人達が訪れるようになった為、そうした人達の「念」が籠もってしまっているケースが多いからです。
この神社のケースも、それに近いと言えるでしょう。
そこで撮られた写真を、その方は「神様が歓迎してくださったんだ」と、そう解釈されていました。
しかし、そこに映っていたのは――いくつものショットに分かれた、「生け贄の儀式」でした……。
こうしたことを言うと、多くの方は「え? 神社に何で、そんな儀式の写真が映るの?」と疑問に思うことでしょう。
実は、歴史に伏せられているだけで、残虐な儀式というのは日本でも数多く行われていたのです。事実、私の地元には「夫婦橋」という橋があって、それはあまりに氾濫する川を抑える為に、夫婦を「人柱にした」という伝説が残されています。
日本の民俗史を学ばれた方であれば、日本がかつて「村」を守る為に、残酷な行為をしてきた人達もいるということをご存知でしょう。「道祖神」というのも、あれは旅する者達を守る為に作られたのではなく、「村の結界」として建てられたものなのです。

そうした歴史を踏まえて考えても、神社において「生け贄の儀式」があったとしても――不思議ではありません。
勿論、その写真は決して撮った人に災いをもたらす意味で撮られたわけではなく、「自分に起こった理不尽な行為」を知ってもらいたくて、映りこんだだけの話なので、これもまた御祓いなどは特に必要ないだろう――私はそう判断しました。
しかし、そうした背景のある写真を誤読して「神様だ」と敬うのは――安易なチャネリングでご紹介した実例と同じように「危険」です。

余程霊体が真正面から映りこんでいるケースではない限り、どんなに心霊写真が撮れたとしても「忘れた方がいい」――私はそう思う次第です。ただでさえ霊界と人間界の境界が薄れつつある今、無闇な恐怖と敬いは、かえってその人自身に影響を及ぼしかねません。
何よりも、「冷静に捉える」ことが、一番大切です。

※今回も緊急性を感じたので、連載を変更してUPしました。次回、スウェデンボルグの「霊界消滅」について検証したいと思っております。

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安易なチャネリングは危険!

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(1)アセンション情報における「不思議な符合」

2012年を三年後に控えたせいか、アセンションに関する書籍が非常に多数出版されています。
きっと多くの書籍を読まれた方もいらっしゃるかと存じますが、こうした情報の中に「一貫した符合」があることに、お気づきでしょうか?
私はアセンションだけでなく、そうした符合を「ルドルフ・シュタイナー」の霊的宇宙論、および「スウェデンボルグ」の霊界探索からも感じている次第です。
今回は、そうした「書籍」を参考にアセンションに符合している情報をご紹介しようと思います。

その「前置き」――と言っては何ですが。
実を言いますと、私は去年の年末まで「アセンション否定派」でした。
私は従来、神秘学の概念に関してもルドルフ・シュタイナー或いは神智学、スウェデンボルグといった「科学的視点を踏まえ、論理的な表明が出来る人」の書物でなければ受け入れなかったからです。
まるで浮き足だったような「これから人類はとっても素敵なところに行けるんだから、それまで我慢してればいいだけよ~」だの「みんな、素敵なところに行けるのよ~」といった表層的楽観主義が私はどうしても受け入れられませんでした。その為、アセンションに懐疑的だったのです。

しかし――昨年末、「たけしのTVタックル」を見ていた際(もともと私はTVを年に数回も見ない人なので、本当にテレビをつけたのは偶然とも言うべきものでした)、クラリオン星人の写真が紹介され……

それを見た私は、直感的に「これは本物だ!」そう思ったのです。
※勿論、だからといってこれを読んでいる皆さんに私の考えを押し付ける気は毛頭ありません。皆さんのお考えに従い、ご判断ください。

それ以降、私はまるで「取り憑かれた」かのように情報を検索し、様々にクラリオン星人のことを調べました。それまで手につけたことがない「アセンション」に関する本を、週に3冊は読破するという猛烈なスピードで読みこなし、今に至るまで何十冊読んできたかわかりません。
勿論、私がただ単に「クラリオン星人」の写真を見てそこにハマるだけだったら――UFO研究家や宇宙の高度知的人類に向けての興味で留まっていたでしょう。

そうではなく、私が「180度掌を返したように、アセンションを受け入れるようになった」のは……
自分自身の「時間の変化」を、感じたからです。
それを感じられている方って、どのぐらいいらっしゃるのでしょうか?
私は2005年から「妙に、時間の流れ方が早い……」そう感じていました。
しかも、それが年々「早まっている」から不思議です。
私はもともと「時間に正確」な人間で、どんなことでも「ある一定の時間内」に行動する予定をたてて動いています。
ところが、この計算が「徐々にずれてきた」のが2005年からなのです。
しかも、2008年に至っては本当に「すさまじい早さ」だったと――そう実感したのです。
ただ時間が早いというだけなら、人は「ボ~っ」と過ごして終わっちゃいます。
しかし私の場合、「時間が早くなっている」という現象に矛盾するかのように、「ものすごく濃密で、変化の早い一年間」を送っていたのです。

こうした「自分の変化」が、「2012年に何かが起こる予兆なのではないか」そんなふうに直感させたのです。
私は「自分の変化」を説明するかのように、アセンションに関する本を読みあさるようになりました。すると、不思議なことに「100年以上前に生きていたシュタイナーやスウェデンボルグの言っていること」といろいろな符合が見えてきたのです。
以下、それらを部分的にご紹介します。

――――――――――

【1】地球の後は「木星の時代」?

昨年の10月末、「クラリオン星人のコンタクター」であるマウリッツィオ・カヴァーロ氏が日本に来日し、浅川嘉富氏と対談。および講演会が開催されました。
その際、カヴァーロ氏は「地球人の全員が、アセンションした地球に住めるわけではない。その一部は木星に移り住み、1から出直すことになる」という趣旨の話をしています。

しかし、これと同じことを「ルドルフ・シュタイナー」も言っています。
シュタイナーは霊的宇宙論の中で「土星紀・太陽紀・月紀・地球紀」という区分をし、さらにルネサンスの時代から「第五文化期に入っている」と述べています。
すなわち、シュタイナーの時代は「地球紀・第五文化期」ということになります。
シュタイナーは地球紀が「第七文化期」まで続くとしており、そして、その第七文化期の終わりが――誠に「アセンション」と言っている内容がほぼ「同趣旨」なのです。

私は以前、シュタイナー理論を深める為に「人智学協会」に参加していたことがありました。そこでも、私は「2012年に『アセンション』という現象が起きるということが盛んに言われているが、シュタイナー理論でみるとどう感じるか?」という質問をしたことがありました。
答えは「いつかは起こるだろうけど、『まだ早い』」というものでした。
私も、そう思っていました。
私は、現在は「第五文化期」はすでに「終わっている」という確信がありました。(協会内にいて、あまりそうした情報を考察しない人達の多くは、私の意見に反論しました。しかし、講演録の中で実際にシュタイナーは1900年明けてすぐのあたりに「今は第五文化期の『末』にある」と、そう言っているのです。それから100年経た今もまだ第五文化期であろうはずがありません。ルネサンスから1900年までは確かに一連の流れで括れますが、戦争を挟んだ後に訪れた人類の変化は、ルネサンス~1900年の流れとは「雲泥の差」とも言うべき違いがあるからです。)
ただ、だからといって「第六文化期」がすぐに終わる――とは、思えなかったんですよね。

シュタイナーは、第七文化期の終わりに、以下のようなことが起こると示唆していました(引用したいのですが、手元に本がないので記憶を頼りに書かせて頂きます)。

「人類は『善』と『悪』が、くっきりと分けられてしまうだろう。善なる人々は新たな世界に、しかし、悪は闇に閉じこめられるだろう。今回の分離は、今までの分離と比べものにならない。闇に堕ちた人々の敗者復活の機会は、当分ない」

そうした上で、シュタイナーは「地球紀の後に来る」のを「木星紀」だと――そう述べたのです。

カヴァーロ氏の言う「木星に転生する」という内容と、シュタイナーの提示した「木星紀」。
偶然にしては、あまりに出来すぎた一致です。

それから、シュタイナーの言う「霊的宇宙論」の区分が今ひとつ曖昧だった私ですが、カヴァーロ氏の本を読むことで「明確な線引」をすることが出来ました。(カヴァーロ氏の本については、以下ご紹介します。)

【土星紀】太陽系が生まれる前の時代(この辺りは、まだ検証がしきれていません)。

【太陽紀】太陽系に、木星と太陽という二つの太陽があった時代。木星が太陽でなくなった時点で、太陽紀は終わった模様です。

【月紀】「もともと、地球には月が三つあった」とカヴァーロ氏は言っています。そのうちのひとつはすぐに落ちてしまい、残る一つが落ちた際「地球に災厄が起きた」とも話しています。※また、浅川氏の著作本によると、宇宙からの来訪者は月の周辺ぐらいに「フォーカス35」をつくったとされています。これもシュタイナーの言論に似通っていて、アストラル界は「大体、月の範囲ぐらいまで」と言っている講演録もあります。(余談:私も体外離脱した際、ずっと上まで昇っていって、月の周辺に「膜」のようなものがあるのを感じたことがあります。人間はフォーカス27で転生するので、その時の私はまだ35まで入れなかったのかもしれません。)

こうした情報を比較するに、どうやら「木星紀」というのはカヴァーロ氏が言うように「木星に人類が移住し、そこで三次元的歴史が繰り返されること」を指し示しているように感じてなりません。
ただ、引っ掛かったのは「第七文化期は、もう訪れているのか?」ということでした。

それについては、何とも断言しようがありません(それを本当に断言出来るのは、シュタイナー本人だけでしょうから)。
ただ私が感じるのは――「時間の流れが速まっている」、ここに「すべての解答がある」ような気がします。
頭でっかちに、「第五文化期がルネサンスから1900年前半まで続いたなら、第六文化期も同じように400年ぐらい続いて当然」という考え方は、ここでは「用いることが出来ない」――私はそう思います。

時間は「速くなっています」。
きっとそれは、ルネサンス時代と今を比べただけでも「明確なぐらい違うだろう」、そう思います。
だとしたら、今が「第七文化期の末」に向かっていると言っても――不思議はないのです。


※次回は「霊界が消滅している」という件について、スウェデンボルグの著作をもとに検証します。

【関連記事】
2012年 アセンション 最後の真実  

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【参考文献】
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高次における「全体調和」は、「個性」を排斥しない

先日、私が体外離脱した際に見てきた「高次元」のシステムについてご紹介しました。
今回は、このシステムについてもう少し掘り下げたいと思います。

「個性」というものを考えた時、通常皆さんは何を考えるでしょうか?
「個性的」というと、「どこか人より突出している」とか、「目立つ」とか――或いは「変わり者」などという捉え方をされがちなのが物質界(三次元)です。
しかし、本来「個性」というのは誰しもにあるもので、「没個性」などという言葉自体成立し得ないものなのです。にも関わらず、どうしてこんなにまで「個性」ということを強調されるようになってしまったのでしょうか。

これはある意味「主張」と絡んでいるかもしれません。
主張も本来であれば、その人の「あり方」を示すもので、決して対立概念ではありません。しかし、この世の多くは「主張」をすれば大抵の場合「論争」が起きます。「あなたの考えは○○ね。でも、私は××なのよ」という姿勢を、受け入れられない人が多いという傾向が見受けられます。
だから、争いが嫌いな人達は自ずと「主張」を遠ざけることとなってしまい――最終的には「自分の考え」と「他者の考え」の区別がつかなくなってしまいます。

高次元は「階層社会」だということを述べましたが、階層というのは「異なるものの排斥」では決してありません。自らの自由意志に従い、「自ずと居場所を定める」という意味です。
ですが、もし三次元のように「主張はただ、論争を巻き起こす」という考えを持っていたり、「個性を強調する為には、がむしゃらに目立たなければならない」なんて考えのままでいたら、高次元に至ることなど到底出来ません。

調和は、決して「個性を排斥する」ということではないのです。
むしろ、「絶体的な個の確立」があってこそ、「全体の調和」とそのバランスがなし得るのです。

それは、私達の細胞を見たって同じことです。細胞が「細胞として確立」していなければ、組織そのものを支えられません。宇宙にしてみれば、私達は「ひとつの細胞」と同じことなのです。細胞として確立していなければ、宇宙という全体を支えること自体、不可能となってしまいます。

私が体外離脱して高次を探索する際には、決まって「ガイド」とも言うべき存在がついてくれます。彼らが共通して言っていたことは、「街の構成は、人々の目的意識に応じて成り立っている」ということでした。
何度も繰り返し書いてきましたが、まずは「目的意識の確立」が大切です。
自分が何をしたいのか――自分が何者なのか、どんな考えを受け入れどんな考えを拒否するのか――そうしたことが自分で把握出来、かつコントロールして初めて「個の確立」は成立するのでしょう。

「個の確立を否定して、全体だけを優先する」という考え方は、三次元にも存在します。
それは、現在の「共産主義」です。
本来、共産主義というのは「平等を唱えた、理想的な社会基盤」となるはずでした。しかし、そうした姿勢を打ち出したほとんどの国が壊滅的になっているのは――世界史的に明らかです。
本来理想的であったはずの思想が、何故そのように転落してしまったのでしょう。
それは、「個の尊重なく、全体だけを優先してしまった」からです。
誰だって、自分を蔑ろにされた状態で「周りのことだけを考えろ」って言われたら――不満はたまりますよね。「人を『もの』として扱っている証拠」だと、そう思います。

ですが、高次においては「それがない」。
「神は全体を愛する」という言葉と、「神はあなた(個人)を愛する」という言葉が、矛盾なく並列するのが高次なのです。
そこには贔屓も優劣もない――果てしない調和と平等だけがありました。「均衡を保つ」ということが、自然と出来ている印象を受けました。

もっとも、今の三次元で「それを目指せ」と言われたら――絶対に「無理」と言わざるを得ません。
それは、今の社会状況を見ても窺い知ることが出来ます。
最近、20代後半~30代前半の人達の「鬱病」が増加傾向にあります。
生命エネルギーの増幅(生命エネルギーは愛と同義語で、すなわち宇宙の真理とも言うべきものです)は、自己の確立が曖昧だった人達にとって「混乱」を助長させる働きもしてしまうようです。

それは、次なる次元においては「個の確立が前提条件」だからなのだと、そう実感します。新たな次元に移行する前に、「その準備の必要性」を促されている――私はそう実感しています。
もし、地球が新たな時代を迎えたとしたら、その時は私が見た高次元の街並みと同じように「目的意識」のもとに人々は集結し、確立した個の基盤において、社会を構成していくだろう――そんなふうに思う次第です。

【関連記事】
高次と三次元の「差」
高次の街の構造
アセンションに向けて準備するなら「自己の確立」が最優先

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「死の本質」を見つめる

今日は外出していた関係で疲労困憊状態だった為、ブログはお休みするつもりでしたが――何だかとっても「書く必要性」を感じて、キーボードを打っています。(昨日といい――こんな日ばかりですね((苦笑))。高次元の統制における記事は半分以上書きあがっているのですが……後回しばっかり;)

ここ最近、「人間の恐怖の根本は、『死の本質を認めていない』ことにある」――そう感じます。
また、もし「本当の不幸」があるとしたら――それは、生活の苦でもなければお金の苦でもなく、「死を受け入れられない苦」なのではないか……そんな気がするのです。

「死」を受け入れないということは、正しく「生」と向き合えないということ。
また、死を闇雲に恐れ生にしがみつき――或いは、死の本質に向き合わず「生を蔑ろ」にして生きることもまた、同じように「苦」なのかもしれない……そう思います。

とはいえ、いきなり「死んでもみんな、霊界に戻れます! だから心配しないでください!」と言われても、多くの人は納得出来ないことでしょう。「目に見える世界が『現実』である」ということに、慣れすぎてしまったから。

まずは「目に見えることを『疑うこと』」から、入った方がいいのかもしれません。

記憶というのは、本当に曖昧です。
その上、とても「主観的」。
私達が目にしているものを「現実」と受け入れられるのは、「他者との記憶照合」があるからだけに過ぎません。そのいい例が、「目撃証言」などでしょう。ちょっとでもそれらしい情報が入ると、人は「あ、私もそれを見たかもしれない」と思ってしまう。

「一見は百聞にしかず」と言いますが――実は「一見」でさえ、あてにならない。

精神世界や哲学でよくあげられる例ですが――人は、「洞窟の中にいれられ、壁に映る『影』を自分と思い込んでいるだけ」と言う言葉があります。
みなさんが生まれた時からず~っと洞窟の中にいて、その壁に映し出される影を見つめて「自分だ」と思い込んでいることを想像してみてください。壁に映る様々な影をみて、あれやこれやと論議を交わします。
何故、論議を交わすか――それは、人には本質的に「真理を知りたい」という本能があるからです。
しかし、どんなに影を見て論じたところで、それは「影」でしかない。本当の姿はもっと立体的で、自由で、彩やかな姿なのに――そこを見たことがないから、誰も気づけない。

この洞窟を、「さなぎ」として例えてみましょう。
5次元文庫などで執筆されているエハン・デラヴィ氏は「さなぎは蝶に変化する時、内臓が解けて、もうれつな苦しみを味わう」と述べています。その「苦しみ」を経て、蝶になることそのものが、アセンションである――と。
「死」も、それと同じことだと思います。
必ず誰しもが通過する道。その門は、決して誰も避けることは出来ない。偉大なマスター達も、そこは決して避けられなかった。

死の本質は「門」にあるのではなく、「その向こう側」を受け入れることにある――そう思います。
それを「受け入れること」は、誰にでも可能です。「想像するだけ」でいいのですから。

「自分の命は、今ここにある生だけでなく、永い歴史を経て積み重ねられてきたのだ」

そう想像するだけで、「今を生きる」ということが少しでも変化するのではないでしょうか?
もし、「そんな想像自体が難しい」というのなら、最近見た「夢」を思い出してください。寝ている最中に見る「夢」です。
その夢の中では、どんなに理不尽な展開になろうと、どんなに現実では考えられないようなことがあろうと、「自分の存在」を疑ってなどいないはず――。
夢の中では「自分の存在」を疑っていないのに、何故、「死の向こう側にある自分の存在」を疑うのでしょう?
夢の中にいる時は「夢が現実」と記憶が認識していて、目が覚めている時は「そこが現実」と記憶が認識しているからだけに過ぎません。
いつでも人というのは「今、そこ」にあることしか認識出来ていない――そのことに気がつけば、その「向こう側」へ想像力を膨らませることも、出来るのではないでしょうか?

私がここであえて、霊的な知識や体験を紹介しなかったのは「死の本質を受け入れるか、受け入れないかは、これを読まれている『あなた次第でしかない』」からです。
私は幼少期からの離脱体験により、普通の生活を送る人達の数倍、数十倍、死と向き合ってきました。自分の体験を理解したくて、多くの書物を読み、哲学書に触れました。ですから、そうした知識をここで伝授することは出来ます。

しかし、どんなに「知識」を披露したところで、「死の本質を見つめるか、見つめないか」は個人の選択でしかありません。あえてこの回ではそうした情報を出さず、「ご自身の想像力」で、死の本質に触れて頂きたい――そう願う次第です。

ただ、あえて断言するとするなれば――。
「死の本質を見ない」ということが、間違いなく「苦に繋がる」ということは確かです。
日本の医療において、「癌を家族に宣告するか、しないか」で論議しているということこそが、「死が苦に繋がっている」何よりもの証拠です。本来、「死」を知るのは人にとって「最大の権利」です。「どのように生きるのか」を決めるのが、最大の権利であるのと同じように。
死は、生の「違う表現」でしかないのです。
それを冷静に見つめる機会を家族が奪うということが、どれほど酷いことか――ましてや、余命幾ばくもない中でずっと「大丈夫! 治るから」という言葉だけで無理に治療に縛られ、やりたいことも全う出来ず、死んだ後にそれがわかったら――どれほど悲しむことか。

「死の本質」を見つめるということは、当人だけでなく「遺族」も癒すものなのです。

日本では今まで、死がタブー視され続けていました。それどころか、贖いや罪の償いと思われてしまっている。自殺大国という現状が、「日本人がどれほど、死に向き合っていなかったか」を物語ってしまっています。
もし、どんなに辛い死に方でも――本人が「死の本質」を理解して死に逝くのであれば……その先に待つのは幸福な世界でしょう。しかし、本質を理解せずにさまざまな執着や恐怖の中で死に逝けば――その先にあるのは辛い世界となることでしょう。
自殺者は決して、死の本質とは向き合っていません。向き合っていたら、「自殺することが過ち」であることに気づくからです。

スピリチュアル・ブームと呼ばれて久しいにも関わらず、多くの書物は「死」における本質を語っていない――そう感じます。「死の本質」を知るということは、大きな「意識改革の起爆剤」でもあるはずです。
まずは自己存在について掘り返し、死の「向こう側」にあるものを想像してみることをお薦め致します。

※この記事を読んで、僅かにでも「死に向けて、想像力が広がった」という方は、エマニュエル・スウェデンボルグの「霊界シリーズ」、或いは浅川嘉富氏の「アセンション 最後の真実」を読まれるとさらに知識が広がることと存じます。

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安易な「チャネリング」は危険!

他にも書きたいことがいっぱいあるのですが――あまりに危機感を感じた為、緊急でUPすることにしました。

最近、スピリチュアルブームの影響か、チャネリングがもてはやされています。
……が――私はそのことを「非常に危惧」しています。
しかも、ただ「知恵を得る」というだけであればいいのですが、そこに営利が伴う場合――セッションやリーディングで使う場合には、本当に危険が伴います。

――何故なら、そこに「物質界の概念」が含まれるからです。
そもそも「営利」という概念が高次にはないにも関わらず、それを目的に繋がろうとするとその時点で「歪み」が生じるのです。

ルドルフ・シュタイナーは「意識的な超感覚世界(高次)とのアクセスは可能だ」と言っていますが、また同時に「50代を過ぎてからでないと、そうした神秘主義に関連した教師や指導をすべきでない」とも言っています。
それは、あまりに若いうちからそうした世界とアクセスすると現実世界が疎かになるばかりでなく、「人間関係の切磋琢磨」を学ぶことなしに、基盤が気づけない根無し草になってしまうからです。
すなわち、「グランディングが出来にくくなる」という状態です。

私は、自分自身が幼少期から「体外離脱」を通じて、かなり明確でリアルな霊的体験を繰り返してきたので、その危険性がよくわかります。
今はアセンションを前にしているので、余計浮き足だってチャネリングに走る人達が増加傾向にあるのでしょうが――本当に危険な行為なので、ご一考されることをお薦めします。
これは、前日の日記でご紹介した浅川氏の著作本でもはっきり書かれていることです。スピリチュアル、精神世界などの第一線で活躍している人達が口を揃えて「安易なチャネリングは危険だ」と言っているのには、意味があってのことなのです。

その実例を、お話しましょう。
私はとあるヒーリングルームで働いている自称チャネラーの方と、深く関わっていた時期があります。私は自分に「明確な霊感」を実感していつつも、それを人前で言うようなことは決してありませんでした。私の育った時代はそうした能力を「怪訝視」する時代だったので、絶対に口には出せなかったのです。(事実、自殺者の霊に三ヶ月に渡ってつきまとわれた時には、本当に苦しくて怖くて仕方なくて、泣いて父親に助けを求めました。……が、返ってきた言葉は「お前は頭がおかしい。精神科に近いうちに、行った方がいいだろう」――それだけです((これは不思議でも何でもありません。当時はそういう時代なのです))。結局、私を救ってくれたのは同じように霊感を持った姉の友人でした。その人は私が幼少の頃から、私の霊感を見抜いていたそうです。)

しかし、今は「霊感がある」と言えばチヤホヤされる時代。
それどころか、「お金」になってしまう時代です。
その自称チャネラーの方も、それまでは霊感などというものは決してなかったどころか、「霊体験」さえまったくない人だったのです。オーラソーマを齧ったり、それこそ「チャネリング講座」「ヒプノ講座」をちょこっと齧った程度だったそうです(そのことは、後から聞いたのですが)。
ところが、そうした「チャネリング行為」をしていると――自ずと、霊が「寄ってきてしまう」のです。
勿論、そうした場合に寄ってくるのは「浮かばれない霊」です。
事実、私はそのルームで「浮かばれない女性の霊」の写真を撮りました。明らかにその女性は浮かばれていなかったのですが――そのチャネラーの人は、それを見抜くことが出来ませんでした。それどころか、その女性の霊を「聖母マリア」と読み違いをしたのです。

それが「どれほど危険なことか」――想像出来ますか?
浮かばれない霊は自分が「敬われている」と感じたその時点で、上に向かうこと(霊界に還ること)を放棄し、その場にしがみつきます。
いわゆる「地縛霊(その地に縛られる霊。自殺者の霊がその場所から離れられなくなるなどが典型例)」です。
そうなれば、似たような霊をもっともっと、さらに集めてしまいます。想像するだけで、身の毛もよだつ状況です。

そういう人は、決まって「私は、光としかアクセスしないから」と言います。でも、それは熟練者であったとしても「難しいこと」なのです。
しかも、初心者であれば尚更です。私はそれこそ、30数年間霊感とつきあっています。そうなって初めて、「この周波数以上の情報以外、アクセスしない」という訓練がなし得ました。
現実の世界に置き換えて、考えてみてください。「いい人とだけ、交流を持つこと」って出来ますか?
中学生、高校生の頃は、それこそ「誰が自分と合っていて、誰が合っていないのか」わかりません。でも、経験を経るうちに「波長」というものが少しずつ分かってきます。それと同じことです。
ちょこっと本を読んで、ちょこっと講座を齧った程度の人が、一定周波数以上のチャネリングをすることは、非常に困難なことでもあるのです(勿論、中にはそうした知識がまったくないのに、ある日目覚めてしまうケースもあります。が、そういう場合にはかなり明確でリアルな体験として訪れることが多いです)。

しかも、そういう人が安易にチャネリングした結果で、「あなたの人生はこうなります」と人にアドバイスする怖さを、考えてみてください。
言われた方は「そうか! 私は○○になるんだ!」そう思っちゃいますよね?
でも、実際は「まったく違う道」だったら――どうしましょう。責任を持てますか?(こうしたチャネリングで「リピーターお断り」というケースには、くれぐれも気をつけて下さい。本当に能力のある人は何度リーディングしたところで、新鮮な情報を与えることが出来ます。最初からリピーターを断るというのは、実は「自分の能力に自信がないから」なのです。)

私が他者にチャネリングを勧めないのは、自分の実体験で「その怖さ」を知っているからです。
しかし、「安易にチャネラーの道に進んだ人」ほど、容易に人に「チャネリング」を勧めます。
そういう方々には、まず「ルドルフ・シュタイナー」および「スウェデンボルグ」の本を「熟読してください!」と言いたいです。
二人の本には、「安易なチャネリングの危険性」が、くどい程書いてあるからです。
事実、驚異的な霊感を持っていたスウェデンボルグでさえ、天使の姿をした悪霊に悩まされ、シュタイナーも「善を気取る悪霊の怖さ」について語っています。

また、今の時期は「特に!」チャネリングは要注意です。
浅川氏、およびヘミシンクなどで有名な坂本氏は、「霊界の一部が、消えかかっている」と言っています(面白いことに、スウェデンボルグは今から200年近く前に、霊界で「最期の審判」が行われ、霊界の一部が消滅する様を見ています。その現象が、今この世に現れているのは何とも皮肉で――かつ必然とも言うべきものですね)。

しかし、まだ完全に幽界は消えたわけではありません。その為、行き場のない霊や自分の住む場所が消えかけている霊達は、やにむに人間界とアクセスしたがっています。
そういう霊に妨害されて、本当の高次とアクセス出来ない危険があるのです。無線も、曇った日や天候が悪い日には思うように繋がりません。それと同じ現象になっているのです。

まずは、そうした霊界の仕組み、および霊的な知識の基盤をしっかり確立してから、向き合うことが大切だと思う次第です。
霊的な知恵は確かに素晴らしいし、誰しもが欲しがって当然のことです。
だって、「故郷の知恵」なのですから。むしろ「霊界(宇宙)と繋がりたい」と思うことの方が自然です。
しかし、それは歴代のマスター達が書物でいっぱい情報を残してくれています。まずはそこを通じ、そして、自分自身の確立をした上で「改めて向き合うことを、お薦めします。

**********************************
※参考までに、スウェデンボルグの著作を以下ご紹介します。このシリーズは「1~3」まであるので、是非全巻読まれることをお薦めします。1では身近な霊体験を、2ではそれを時代背景などに基づいて、3では宗教概念も含めた形で解釈されています。スウェデンボルグは1668~1772年に生きていた為、どうしてもキリスト教的背景が濃いですが(それでも、この時代に書かれたとは思えない程の斬新さです)、今の世でも充分理解出来る内容、かつ、深い知恵を授けてくれます。
スピリチュアルや精神世界分野に「まだ触れたことがないけれど、もっと霊的世界のことを知りたい」「死の本質を知りたい」という方にも、是非お薦めです。

エマニュエル・スウェデンボルグの霊界〈1〉死後の世界は実在するエマニュエル・スウェデンボルグの霊界〈1〉死後の世界は実在する
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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

【篠崎の著作本】

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【第Ⅱ部に篠崎の質問文が一問一答形式で掲載されています】
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【インタビュー本第二弾】
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(2011/09/22)
マオリッツオ・カヴァーロ

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