霊の自然進化は起こり得るか?

本日篠崎、ほぼ徹夜状態で「故障気味」です。←って、今回の徹夜はただの自業自得(あえて強調……)なのですが……(汗)。
 今すぐにでも、枕を抱きしめながら布団を頭から被ってしまいたい心境なのですが……明日はエハン・デラヴィ氏との打ち合わせ、及び取材の関係により、今からその準備に取りかかります(って言っても、かれこれ3日間、準備に明け暮れています。何においても、徹底した備えをしないと気が済まないタチのようで((苦笑)))。
 そんなわけで――シリーズ連載「何が世界を狂わせたのか」は一時お休みさせて頂き、今回は(も?)過去記事を掲載します。
尚、エハン氏の取材についてはメインサイト「地球の未来を創造する―LTS講演会企画部―」にて記事掲載、及び音声ファイル(これは録音性能が良かったら、なのですが)にて後日公開致します。楽しみにお待ち下さいませ。

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2008年2月14日 過去ブログ「思考世界」より転載

霊の自然進化は起こり得るか?

 昨日、メールフォームより「質問」を頂いたので、それについてコメントさせて頂きます。

 質問文を要約すると、「時代も変わり世界も変わるなら、救われない地上霊も自ずと進化するのではないか。そうすれば、いずれはすべてが光(浄化)になるのではないか」という内容です。
 それについて、以下のようにお答えします。

 「神秘学概論」宇宙紀の中に、「進化に遅れを取る霊がいた」という記述があります。(注※シュタイナーは「民族魂の使命」の中で「自らの進化を犠牲にした霊」の存在も説いています。そうした自己犠牲的霊とは別に――所謂「落第した霊」の存在を、この神秘学概論では示唆しています。)
 たとえば、土星紀における進化についていけなかった霊は、太陽紀において「土星紀の体験」を繰り返さねばなりません。もしさらに遅れをとって、時代は月紀に進んだにも関わらずまだ土星紀の進化しか経ていなかった場合、その霊は「土星紀→太陽紀→月紀」と、一時期に三段階の進化にチャレンジしなければならなくなります。(まるで大学の単位制度みたいなものですな。学年が進めば進む程、カリキュラムがきつくなる、みたいな((爆)))
 どんなに進化に遅れても、常に「昇級のチャンス(笑)」はあります。しかし、「遅れを取れば取る程、難易度も高くなってしまう」のです。
 よって、このご質問に対する解答としては「進化のチャンスは、常にあるでしょう。しかし、それは『自ずと』という安楽な道ではない」ということです。※だからといって、「遅れを取ると、チャンスが難しくなるんだ!」と怯える必要はありません。これは気が遠くなる程永い時間をかけての話ですし、普通に生きている人であれば、まず(というか、絶対に)問題ないはずです。
 以下、何度か抜粋したシュタイナーの「宇宙紀における未来予測」を、再度改めて引用します。

   後アトランティス期におけるギリシャ・ラテン文化期やそれに続く第五、第六、第七文化期を経験した魂だけが、新たに形成された地球状況に適応していくことができる。その魂は、それまでの諸状況に対応するすべを、身につけてきた。そうでない魂たちは、それ以上先へ進むことができないであろう。後アトランティス期の第五文化期から第六文化期への移行に際して、超感覚的な認識内容に知性の力と感情の力を浸透させた魂だけが、次の大変動後の状況に適応できるであろう。


 ここでシュタイナーも言うように、「対応するすべを身につけていない」場合には、第七文化期末におきる変容に、ついていけなくなってしまいます。(くどいようですが、この言葉だけに怯えないで下さいね。まだまだ数千年先の話ですので。)その上、そこで遅れをとってしまった場合、再度訪れる進化のチャンスは「遙か先になる」ともしています。
 そう考えるに、進化というものの背景には「自己の向上」というものが必ず必要で、自らが気づけない場合「先に進めない」ということになります。
 そうすると、結果的に「自ずと進化する」という見方は妥当と言えない――ということがおわかり頂けるかと思います。

 理論的な部分でお答えすると、こういう結果になりますが――さらに心情的な部分にも以下お答えします。
 この質問は、先日私が「高次と低次、両者を見る必要性」について書いた記事に対する意見(低次の存在も自然と進化するのだから、働きかけは必要じゃないのではないか?)が含まれていたようですが、個人的に「自ずと進化するのだから、何もする必要はない」という考え方――私は好きになれない考え方です。
 常にお腹を空かせ、日々生きることだけに精一杯になっているアフリカの子供達や、いつ隣人に殺されるかわからない恐怖を抱えながら生きる紛争の国の人々。生活保護と介護の二重苦にあいながら、必死に今日を堪え忍んでいるだろう人――そういった人々が仮にスピリチュアルというものに触れあうことなく、この世を恨んで亡くなったとしましょう。(おそらく、地上霊になったケースというのは「社会や時代」に犠牲にあって自我を掴めないまま亡くなった人が多いように思います。)
 そういう苦しみの中にいる霊達を――「自ずと進化するのだから、何もする必要はない」。
 そんなふうに思えますか?
 目の前で飢えて死んでいく子供がいたとして、その子を前にして「大丈夫! 死後の世界は、とっても素敵なところなの!」
 そう言って、ただ見守れますか?
 仮に「死後の世界が素晴らしい」――そう思えても、苦悩する存在を前に「何とかして、苦悩を取り除いてあげたい!」
 そう思うのが、人情というものではないでしょうか?

 私は何も「すべての人」に、高次と低次共に見よと、そう言っているのではありません。
 霊的成長には「段階」があります。低次の世界は、本当に「危険」な要素を感じます。だからこそ、「それに打ち勝てる存在」にしか、そこと触れあう機会は与えられないでしょうし、まだ向き合う強さがなければ、「あえて無理して向き合う必要はない」のです。

 神秘学(霊学)の道を進む際もっとも大切なことは、等身大の自分でいるということです。
 それは過大評価でもなければ、当然過小評価でもありません。その人にあった「霊的感受性」というものは、与えられた時点で自ずと「決まっている」のです。
 ですので、私が「思考世界」で述べたことすべてに「そうか! そうでなくちゃいけないんだ!」と反応する必要はまったくありませんし(私は一番最初に、「鵜呑みにしないで欲しい」ということを述べています)、ご自身にあった道を歩まれることが一番いいと思われます。
 それに実際、私のように考え、自らを神(霊界)の道具として捧げているチャネラーの存在も、私は知っています。
 そういった自覚ある人々が少しずつでも、低次と高次を繋ぐ道標となっていけばいい――私はそのように考えています。

━━━━━━━━━━━(過去記事転載・以上)━━━━━━━━━━━━━━

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【1】「何」が世界を狂わせたのか―犯罪編―

 このブログでも何度も書いてきたことですが――今の時代、誰もが「正しい」という自覚の中で「生きていない」のではないかと、そんなふうに思います。
「何かがおかしい」「何かが、間違っているのでは?」そう感じている人は、多いのではないでしょうか?

 でも、「何が原因」で、「どうすればいいのか」がわからない。

 ただ「反対」することであれば、誰でも出来ます。
「○○、反対~!」。新しい改革案が出れば、矛盾点をついて「反対~!」。
 じゃぁ、それに変わる代替案を出せばいいのに――反対だけして「終わり」。
 そういう人々はきっと、「代替案が出せない」のではなく、「出しても変えられないこと」を知っているのではないか――そんなふうに思う時もあります(ま、中にはただのクレーマーみたいに、闇雲に反対するだけの人もいるかもしれませんが)。

 一体、「何」が世界を、人類を、こんなふうにしたのでしょう?

 以前、「三次元と高次元の差」について記事にしましたが、今回はシリーズとして「三次元の何がおかしいのか」について、掘り下げてみたいと思います。

――――――――――
「何」が世界を狂わせたのか―犯罪編―

 「死刑廃止論」が日本で言われるようになってから、かれこれ10年近く経とうとしています。これについては未だ議論が分かれており、日本の司法における明確な方向性は出されていません。
 しかし、アメリカなどは先んじて死刑廃止について論じており、先日もこのような記事がありました。

 【米で執行失敗 薬物注射2時間で18回】
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091025-00000073-mai-int

 また、中国ではこのような記事もあります。

 【犯罪者に人権なし? 現代版「市中引き回しの刑」】
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091027-00000011-rcdc-cn

 中国の「市中引き回し」については、私の知人が中国に長く留学していた関係で、直接聞いていました。何省に留学していたかは、ちょっと思い出せないのですが――聞いたのはかれこれ10年前の話だったので、「ああ、未だにそうなんだ」と、改めて思った次第です。

 こうした世界的な視点における「罪を犯した人達への対応」というのは、ある種、日本における立場を模索する意味でもすごく重要だと思えるのです。

「じゃぁ、あなたはどちら側の意見なの?」と聞かれたら――はっきり言ってしまえば、「死刑廃止論者」です。
 理由は、「私達人間が、罪を断ずることは出来ない」――罪を断ずるのは、宇宙であり、真理(神)でしかない――そう思うからです。
 私達があえて罪を断ずることをせずとも、必ずや真理はそれを見抜いている。(大体、そんなことを言ったら「時効」によって泣き寝入りした人達の哀しみは、一体どうなるのでしょう? 必ずしも容疑者を逮捕出来ることが、遺族達にとっての哀しみを癒すことに繋がるでしょうか? そうだとしたら、時効でそのままになってしまった遺族ほど、気の毒な方はいないでしょう。)

 勿論、私だって「人の子」です。目の前で愛する者が殺されたら、命を弄ぶように殺されたら、感情が掻き乱され、憎悪に駆られるだろう――そう実感します。只でさえ血の気の多いタイプ故(苦笑)、自分がどうなるかなんて後先考えず、その場で犯人に襲いかかるかもしれません。

 でも――。
 それで相手を殺しても……失われた命は「戻ってこない」のです。

 こんな印象的な記事がありました。掲載は「2008年12月13日 読売新聞」です。
 以下、転載します。

――――――――――――――――――――――
最初は終身刑望んだ母「やっぱり犯人の命をください」  
2008年12月13日7時32分配信

「終身刑を望みます」  
娘を殺害した犯人が逮捕された直後、どんな刑を科してほしいかと捜査官から尋ねられ、久保田博子さん(51)はそう答えた。  

2004年12月12日夜、福岡県飯塚市で一人暮らしをしていた三女の奈々さん(当時18歳)が、アパートへ帰る途中、近くの公園に引きずり込まれ、絞殺された。翌日、離島の的山(あづち)大島(長崎県平戸市)から駆けつけた博子さんと夫の寿(ひさし)さん(52)が対面したのは、今まで見たこともない、苦しげな顔をした奈々さんだった。
 3か月後、土木作業員の鈴木泰徳被告(39)が強盗殺人容疑などで逮捕され、わずか1か月余りの間に福岡県内で奈々さんら3人の女性を殺害したと自供した。
「死刑は当然」と寿さんは考えていた。しかし、博子さんはそう思えなかった。       

◆  奈々さんが難病の膠原(こうげん)病にかかっているとわかったのは、声優になる夢を抱いて島外の高校に進学して間もなくのことだ。入院施設のある養護学校に入り直した。一日80錠の薬の影響で顔は腫れ、大好きだった甘い物も食べられなくなった。  娘を見舞うため、養護学校を訪ねた博子さんは、車いすで懸命に教室に通ってくる筋ジストロフィーや心臓病などの子供に出会う。いつも自分の死を見つめているように感じられた。
 「私は絶対に膠原病を治して、声優になって、重い病気の人を励ましたい」。ある時、そんな決意を明かした奈々さんは04年春、病が癒え、卒業する。だが、仲が良かった難病の男子生徒はその後、亡くなった。
 「長くは生きられないことがわかっていても、悲観することなく懸命に生きていた。そんな子供たちを見て、生きていける命をほかからの力で奪うことに抵抗を感じていました」と、博子さんは言う。           

◆  鈴木被告は幼い2人の子供がいながら、パチンコや酒で借金を重ね、ストレスをためた末、乱暴目的で一人歩きの女性を探し、偶然見かけた奈々さんを襲った。しかし、福岡地裁の法廷では捜査段階で認めた殺意を否認し、「生き続けて、若い人たちに犯罪に走るなと伝えたい」などと訴えた。
 「何でうちの娘を」。傍聴席で、博子さんは叫びたい衝動を何度もこらえた。養護学校を卒業後、手に職をつけるため、飯塚市内の歯科技工士の専門学校に入学した娘は、事件の3週間前に会った時、「今の学校は楽しいけん。ここに来て本当によかった」と笑顔で話していた。クリスマスには思い切りケーキを食べさせてあげたかったのに。
 06年3月9日の第8回公判。博子さんは意見陳述に立った。当初は死刑でなく終身刑を求めた気持ちから話し始めたが、途中から抑えていた感情があふれ出た。
 「私たちは成長した奈々に会えないのに、犯人はさも罪を償っていましたと言わんばかりに、大きくなった我が子に会える。嫌だ、それだけは許さない……。私の心はどこまで醜くなるのでしょう。やっぱり犯人の命をください……」           

◆  12日、今年の命日の夜を、両親は島の自宅で迎えた。地裁、高裁でともに死刑判決が出た鈴木被告は今年2月、最高裁に上告した。  「罪のない子供が親に会えないことを願うなんて、おかしいと自分でも思う。でも、もし被告が無期懲役になることを考えると……」。博子さんは声を震わせた。
 「命の大切さを分かっている妻は、犯人の死を望む自分を責めてきました。こんな思いをする家族をもう出さないためにも、落ち度のない人を殺せば死刑だということを示すしかないと思います」。寿さんは語った。

 (連載「死刑」第2部「かえらぬ命」第3回) より
――――――――(転載以上)――――――――――――


 私はこの記事を、涙なくして読めませんでした。
 しかし、このお母さんが犯人の死刑によって「本当に癒されたか」「本当に苦悩から解放されたか」と言えば――そうじゃないだろうと思います。遺族の方々の苦悩は、その苦悩を体験した者にしか語れない「絶対的な苦悩」だと、私はそう思います。

 ならば、どうすれば解決するのか?
 重罰化?
 それとも、犯人を「同じ目にあわせる」こと?
 いえ――本当の解決法があるのだとしたら、

「社会全体が、『犯罪のない』社会となる」

 これしかないのだと、私には思えるのです。
 また同時に、「魂は永遠であり、どんなに理不尽な死であったとしても、その魂が純粋でかつ罪に穢れていなければ、必ずや救われるのだ」ということを、もっと多くの人に知って欲しい。
 この記事に書かれている奈々さんの死は、本当に痛々しいものでした。しかし、純粋な魂で善良な霊を、宇宙が、高次が「見捨てるはずなどない」のです。
 どんなにこの世で悲惨な死を遂げたとしても、その人が善良であればある程、その死は「終わり」ではなく、「永遠の生の始まり」であることを、もっと多くの人に知って欲しい。

 それこそが、本来「スピリチュアリズム」の目的なのではないでしょうか?
 ただ「天使と繋がれます」とか、「守護霊さまは誰々ですよ~」なんて教えるのではなく、「現実社会の痛みを知り、その中で悶え苦しむ人達に真理――魂は不滅であるという真理を伝えてあげることこそ」が、本当の「スピリチュアリズムの役目」なのではないでしょうか?

 また、そうした個々人の「スピリチュアル」の目覚めだけでなく、同時に「社会システムの改革」も進める必要性があることを私は痛感しています(私の立場は、どちらかと言えばこの「システム改革側」です)。
 外的な法則や拘束などで、もう犯罪は抑制出来ない――誰もがそう、分かっているはずです。 一時期、犯罪の低年齢化、および未成年者の犯罪防止、猟奇的殺人の防止故に「重罰化」を唱えた意見が数多くありました。
 しかし、罰が犯罪を抑制するわけではありません。「死刑になりたくないから、人殺すのや~めた」なんて、そんな簡単な問題のわけはありません。(それどころか、昨今は「自殺したかったけど出来ないから」という理由で、死刑を望む人達もいます。)

 何故、このような「犯罪」に至る経緯があったのか――。
 それは明らかに、「現代社会のひずみ」が原因です。
 ひいては、今までの社会の積み重ね――物質化社会、戦争、あらゆる「歴史の積み重ね」が、今の「現代社会問題」に通じているのです。
 個々人に罪があるのではなく、社会全体に問題があり、今の社会に通じる「歴史」に問題があったからこうなってしまったのだと――私は痛切にそう感じます。

 それはひとえに、勝者・敗者という二律背反。支配者・被支配者、富裕層・貧困層などの二極化――ここに原因があったのだろう、そう思います。
 私達の根底は、ひとつの生命エネルギー「地球というエネルギー」に紐づけられていること、決して誰もが無関係ではなく、目に見えなくても「必ず関連し合っている」ということに気づけば、いつか社会は変わっていくのかもしれない。

 明日、誰かが悲痛な死を遂げ、誰かが、残虐な殺人者となったとしたら、
 悲痛な死を遂げたのは「自分」で、残虐な殺人者となったのも「自分」なのだ――。
 そんな視点に立つことで、もっと「犯罪に対する考え方」が変わるのかもしれない。そんなふうにも思います。

 この問題については、今後も掘り下げていきたい――そう思っている問題です。

【関連記事】
法律のない世界 
高次元と三次元の「差」 

◆お知らせ◆
今後、講演会企画部の活動などでますます多忙になる関係上、コメントに対してレスが甚だ遅れる危険性が高いです。多くのブログでは、書き込まれたコメントに対してブロガーがお返事していないケースも多々見受けられますが、私は基本的に、頂いた質問なりご意見には「きっちり、お返ししたい!」という主義なので、あえてコメント欄の表示を「受け付けない」に変えさせて頂きました(お返事出来ないことが、自分で「プレッシャー」になってしまうタイプ故……)。

もうちょっと手抜きの出来る性格だったら良かったのでしょうが――何卒、御容赦くださいませ。

今後はご意見、ご質問などございましたら、メールフォームのご利用をお願いいたします。日数はかかってしまうかもしれませんが、必ずやお返事致します(メールでしたら、多少日数が遅れても……プレッシャーにはなりにくいので((笑))。何なんでしょう、この差は――)。
基本的に「質問」「ご意見」大歓迎の人ですので、ご遠慮なくお問い合わせください(でも、お返事に日数かかってしまう場合もあるかと思いますが、その点だけ御了承ください<(_ _)>)


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輪廻転生

 先程、書いた記事が――何故か「消えてしまいました」……。
 いくら過去記事転載とはいえ……こういうことは「ショック」ですね……(T_T)。明日になったら、二つ掲載されてるかもしれないけれど、再度投稿します。また消えたら……フテ寝しますが。

 今回は、非常に基礎的ですが重要な内容――「輪廻転生」についてです。スピリチュアルに詳しい方にとっては常識の範囲内かとは思いますが、改めて見つめ直す機会として、是非参照なさってください。

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2008年2月8日 過去ブログ「思考世界」より転載

輪廻転生

 「輪廻転生」という考え方は仏教でこそよく知られる思想ですが、教義上転生を否定しているキリスト教など西洋の人達からすれば、実に理解し難いものだったと思います。
 今から十年程前に「前世療法」を世に知らしめ「転生」の知名度をいっきに上げたアメリカの精神科医ブライアン・L・ワイス博士は、突如患者が想像を絶するような過去を語り始めた時にはかなり混乱したようです。疑念と、同時にそれを突き止めたいという思いの中で、熱心なクリスチャンだったという博士はかなりの葛藤を抱えたことだろうと思います。(詳細は「前世療法 著/ブライアン・L・ワイス博士 訳/山川 紘矢・ 山川 亜希子 PHP文庫刊」をご参照ください。医師という立場から客観的に書かれている分、実にわかりやすくてお薦めです。)
 とはいえ、こうして転生の考え方が広く一般的になった今でも、プロセスそのものが解明されたわけではありません。何故、霊は転生を繰り返してまで向上を目指すのか――ということ自体も、まだ謎に包まれています。
 霊、という背景を自然に受け入れられるようになると、逆に「転生というものは『なければおかしい』」という視点に立たざるを得なくなります。何故なら、「霊はあるけど、人間が死んだらそのまま霊も『消滅』!」という発想の方が遙かに無理があるからです。「それなら、最初から霊なんか不要じゃん」という話になってしまいますし、また「じゃぁ、生まれる時に霊はどこから来たの?」って話にもなります。それどころか、常に地球上の人口を上回る霊が、大量生産の如くして「ボコボコ」湧き出てこなければ理屈が合わなくなってしまいます。 それって、何だか妙だと思いません(笑)? そう考えるぐらいなら、自然界におけるエネルギーが循環するのと同じように霊も循環するのだ、とした方が納得しやすい気が、私にはしています。

 輪廻転生についての詳細はスピリチュアル分野においても実に様々語られており、学術的に分析して掘り下げるというよりは、結構「思いつき」で語られているような節も感じられます。先日ここでもお話したように「同じ民族でしか生まれ変わらない」とか、「同じ遺伝の繋がりでしか生まれ変わらないという極論も見受けられる程です。
 ちなみに、この「遺伝の繋がりでしか生まれ変わらない」という説は、少子化問題を抱える日本において大いに反論の対象です。
 同じ遺伝でしか生まれないのなら、子供が出来ずに途絶えてしまった系譜はどうなるのでしょうか? そもそも遺伝は、どこで区切るのでしょうか? 遠い親戚は何親等まで認められるのでしょうか? ――突き詰めれば突き詰める程、議論の余地はありません。
 また、同じ民族でしか生まれ変わらないというのも、遺伝説と同様です。もし同じ民族でしか生まれ変わらないというのなら、何故「国民の人口推移」というものが起こり得るのでしょう? 同じ民族の中でのみで転生するのであれば、絶対数は必然的に決まってくるはずです。そうなれば、国民総数の爆発的増加も、逆に爆発的な減少も「起こり得ない」ということになってきます。
 もっとも、「民族」に限って言えば「同じ民族に繰り返し生まれ変わるケースが高い」というのは実際「あるだろう」と考えています。
 それは、その民族性における「突出した文化」や「価値観」が「永いこと変わっていない場合」です。イスラム文化圏の人などは、その可能性が高いのではないかと思えます。あれほどひとつの信仰に打ち込めるというのは、ただ「生まれついた環境がそうだったから」というだけでは納得しきれない気もするのです。「変わらない」という歴史の中には、何らかの霊的要因(それらが、おそらくはここでも以前触れた民族魂の絡みもあるのでしょうが)が背後にあるような気がしてならないのです。

 しかしいずれにせよ、霊的世界における法則性は、どうしたところで物質界における私達の価値観では、理解しがたいものであると思われます。
 それよりもむしろ、転生の要因は「霊的特性における」――そう考えた方が理解しやすいのではないか、そう思えます。
 霊的特性における原因――。
 いわゆる「カルマ」です。
 転生を支配するのは、民族でも遺伝でもなく、「カルマ」しかない――そう思ってしまうと、案外すっきり整理出来てしまうような気もします。
 カルマを主体に考えれば、どの民族として生まれるか、どの種族として生まれるか、すべて「自由」ということになります。シュタイナーが言うように「どの種族にもいずれ受肉する」ことを考えると、現代においてはみんな「それぞれに、それぞれの国を経験済み」なのかもしれません。そして、そうやって様々な人が「様々な国の人生を経験済み」だからこそ、「グローバリズム」という発想も生まれてきたのかもしれません。そう考えると、現代の国際問題というものも至極納得出来るではないですか(笑)

 ただ、ですね。
 「カルマ」という法則性を考えた場合、以前から私には「ある疑問」が拭えませんでした。
 それは、「一体誰が、そのカルマをジャッジするのか」ということです。
 仏教における輪廻転生などでは、その行き先を決める閻魔大王のような「裁く存在」がいます。
 しかし、私は霊的世界を追究すればする程、そのような「裁きの存在は『いない』」気がしてならないのです。
 理由は、「裁きの存在がいる = ある一点の法則性のみに霊界が支配されている」ということになってしまうからです。
 もっとわかりやすく言えば、「裁く」という行為そのものが某かの基準を設けなければ出来ない行為であるということです。
 日本でも裁判員制度が注目されつつありますが、その裁判員ということを考えたって「な~んの考えもなしに」では出来ません。ある人は「法律」を遵守しようとするだろうし、ある人は「あくまで義理人情」に従おうとするかもしれないし、方法は様々であれ裁く以上は必ず中心に据えるべき思想がなければ出来ないのです。
 果たして霊界に、そのようなものがあるのでしょうか?
 否。逆に言えば、そのようなものがあるのは、霊界と言っていいのかどうか――私にはそれが疑問だったのです。

 一体、カルマとは「何を基準にして萌芽するのか」。

 さんざん考え倦ねた末、出た結果は――思念なのではないかということでした。
 以前、その考えの根拠になる話を読みました。エドガー・ケイシーが書いた「前世の記憶」に関する書物なのですが(手元にないので、抜粋出来ず……)、その中で「盲目の男性」の前世について書かれていたのです。
 その男性は、前世において戦争で捕らえた捕虜達の「目を潰す」という役目をさせられていた、というのです。それがあまりに辛くて、その男性は捕虜達の目を潰しながら「罪悪感に苛まれた」そうです。
 この内容は、ただ普通に読んでも「あー、この人はさんざん他人の目を潰してきたから、盲目となって転生したんだな」ということで納得出来てしまいます。
 しかし、それではカルマが「平易な善悪論」で終わってしまう。
 そうではなしに――ここでは「罪悪感に苛まれた」というのがポイントになってくるのです。
 罪悪感というのは、人間の感情の中でももっとも魂に浸透しやすい。何故なら、「相手の赦しを得るまでは、その意識から解放されない」からです。解放されないが故に繰り返し繰り返し思い続けることで「目を潰した」という罪悪感が魂に刻み込まれ、カルマとなって来世にて芽吹いたのではないでしょうか。
 だから、もし仮に。
 仮に、その男性と同じ役目についていた人が他にいて、その人は「まぁーったく罪悪感を感じない人だった」としましょう。
 たぶん――カルマとしては、「残っていない」はずです。
 そんなことを言うと、多くの人が「そんなの不公平だ!」「真面目なヤツが馬鹿を見るじゃないか!」と思うでしょうが、そもそも霊界に「真面目なヤツが馬鹿を見る」という発想自体がありません。 「自分が損をする、得をする」という考えはいっさい「ナシ」に、ただひたすらに「罪悪感」と向き合うからこそ、それが「カルマとして萌芽する」のです。
 ぶっちゃけちゃえば、その人にとって「同じ役目をしていた人が、盲目に生まれ変わったか否か」なんてことは「どうでもいい」ことなのです。ひとえに、「自分の罪悪感とどう向き合うか」が、霊的価値観においては重要なことなのですから。
 とはいえ。
 「じゃぁ、どんな悪いことをしても罪悪感さえ感じなきゃいいんだ!」などと、そうは問屋が卸しません。
 何故かと言えば、「思念がカルマを作る」のだとしたら、他人から受けた思念もカルマになるからです。
 例えば、詐欺師でさんざん多くの人を傷つけてきたAさんがいたとして、Aさん自身は「自分が悲しめた人達」を間接的にしか知らないとしましょう。それでもやはり、多くの人が「Aに騙された!」という思念を残していれば、それはその人にとってカルマとして萌芽するはずです。
 だから結果、「悪い人が得をする」なんて、そんな甘い法則ではないのです。でも逆に、何でもかんでも悲観的に捉えてクヨクヨしてしまう人は「火のないところに煙をたててしまう」かのように、要素はなくともたったひとつの思い癖からカルマを作ってしまう可能性は、否定出来ません。
 なので、何にせよ「思考の管理」というのは重要なポイントとなってくると思われます。

 ちなみに、ここに述べた思念は、必ずしも「自分が意識的に出来る範疇」のものを指していません。
 先日お知らせしたような形での「自我」「霊我」という高次の視点における「カルマの萌芽」ということもあり得るようです。
 それは、シュタイナー自身も書いていました。シュタイナーはあまり「輪廻転生」を詳しく掘り下げてはいないのですが(シュタイナーは著作「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」の中で、「前世を知ったところで、神秘学徒として何の意味もない」といったニュアンスのことを書いていることからもわかるように、前世や転生の法則性は認めても、それを掘り下げることに必要性は感じていなかったようです)、それでも「神秘学徒としての行を進めていくうちに、自分と対面する時が来る。その時、どのようなカルマが萌芽しているのかもわかる」としており、私達がこうして今生きている中ですでに「来世の準備は始まっている」という見方をしています。

 確かに、前世に拘りすぎるのは「人生の過去に拘りすぎる」のと同じようにあまり意味を成しませんが、「自分という存在がただ平易に生きているわけではなく、膨大な霊的歴史を刻みこんでここに誕生している」と思うことは、人生の視野を広げる意味でも必要な体験である、そう思っています。
 また、「カルマ」という考え方は、自分の人生そのものを見つめ直すのにも「いい視点」だと思えます。自分がどのような行為を人々に与え、どのような思いを伝えているのか、現実を見直すにもいい機会ですので、一度は「輪廻転生」および「カルマ」についての考察をしてみるのも、悪くないかもしれません(笑)。

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【関連記事】
続・「死の本質」を見つめる
「死の本質」を見つめる

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【参考文献】

前世療法―米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘 (PHP文庫)前世療法―米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘 (PHP文庫)
(1996/09)
ブライアン・L. ワイス

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……今度は消えないでくれ~(願掛け)

WEBサイト版「地球の未来を創造する」公開

 本日、LTS講演会企画部「地球の未来を創造する」、公開しました。

              バナー
                    http://yura-shino.com/

 このサイトでは、ブログの延長線上である「未来の地球像」や「現代日本社会・国際社会において、考えるべきこと」について様々な方にインタビュー、取材した内容などをご紹介します。多角的な視点で現代――そして未来について取り上げ、スピリチュアルな分野だけではない、より多くの人達にとって「私達が向かうべき道」の道標となれる活動を目指していきたい――そのように考えています。

 LTSは(以前も言いましたように)もともとは三人で活動しておりますが、この「講演会企画」に関しては、主に篠崎と麻日さんの二人で動かしています。しかし、メンバーは決して固定なわけではなく、様々な提案、意見を持った方にご参加頂ければと思っております。篠崎は「地球をより良くしたい」というひとつのことしか出来ない不器用人間ですので(苦笑)、「こんなイベントをやったら、地球の未来に繋がるのではないか?」「こんな活動はどうだろうか?」といったご意見などもお待ちしております。そうしたご意見などございましたら、サイトにあります「メールフォーム」にて、お気軽にお寄せ下さい。

 今日は起きてからずっと、PCの前にかじり付いておりますが(寝たのは、朝の6時です……)、実は……まだ熱がろくに引いてません(笑)。こういう事業立ち上げに関わると、そうそう「体調不良だから~」で休めないのが辛いですね。まぁ、酔狂だから仕方ないのですが――。

 そんなこんなで、本当にコメントの承認、レスが遅れてしまっていて申し訳ございません。内容の方は拝見させて頂いておりますので、ひとまず承認のみ致しました。改めて明日以降、お返事させて頂きますので、今しばらくお待ちくださいませ――。

【追伸】メールマガジンは、今日の朝8時に配信設定されております。……明日は篠崎、朝寝坊しよう(笑)

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「痛み」は、人間にとって最大の学び

 昨日は体調不良により、ブログをお休みさせて頂きました。
 もともと篠崎は健康体ではなくて――もう二十数年に渡る間、重度な婦人科疾患を抱えています。今回はそれに加えて発熱が続き、昨日はその高熱に至る前段階で「七転八倒」する激痛を味わっておりました。

 インフルエンザとか、酷い風邪で体験した人もいるかもしれませんが――高熱を出したり、出す前になると「体の全身が痛むこと」ってないですか? 私の場合、そういう症状に陥ることが時たま(って言っても、数年に一度程度ですが)ありまして、昨日はまさに「その状態」でした。
 とにもかくにも、「全身が『痛い』」。
 何て表現したらいいのか分からないぐらい、腕も、足も、背中も、あらゆるところが「ギリギリ」と痛むのです。起きていることは出来ないけれど、寝ていることも出来なくて、呻きながら文字通り七転八倒――その様相に気づいた親が起きてきて、深夜「救急車を呼ぼうか」という騒ぎにまでなりました。

 私はひとり暮らしの経験が長く、大体「何故、こんなふうに体がおかしくなるのか」は自分でよく分かっていました。ひとりで暮らしている最中に、何度か同じようなことがあったからです。
 でも、親は私が「何故、そんなに苦しんでいるのか」が分からなくてとにかくあたふたしていました。
 そりゃそうですよね、唸りながら目の前で転がり廻っていたら、見ている方はたまったもんじゃありません。だから親には、「おそらくもうすぐ、高熱が出る。出てしまえばこの痛みは治まるから、心配しないで」とだけ告げて、ひたすら、痛みと闘っていました。

 痛みと闘う時間――。
 これほど、孤独な時間はありません。
 私は重度の婦人科疾患を永年味わっている分、痛みとは「ライバル」とも言えるぐらい、つきあいが長いです(苦笑)。
 究極の「痛み」を味わったことがある人であれば、その痛みの中で「自分が世界からたったひとり浮き出されている」ような思いを抱いたことがある人もいるでしょう。
 痛みって、それほど「絶対的なもの」なのです。決して「相対的」ではない。
 「絶対的」だけれど――「緩和すること」は可能です。
 それは、西洋医学的治療でもなければ、薬物治療でもない。

 人の「優しさ」と「思い遣り」です。

 人は「思念の生き物」といいますが、その通りだと思います。
 絶対的な「痛み」でさえも、周りの思い遣りや痛みに対する共感だけで、その人を「救う」ことが出来るのです。
 私が昨日味わっていた痛みは、本当に「高熱が出ない限り、治まらない痛み」だと分かっていました。(事実、その後39.4度の高熱を出しましたが――出た後は、そこそこスッキリしてしまうのです。……朦朧としていたので、その時何をしていたのかの記憶はあまり残っていませんが。)
 でも、そこに至るまで「約5時間」。
 私はずっと、苦しみ続けました。
 それは本当に孤独な時間で――世界中で自分がたった一人はじき出されたかのように、ただひたすら痛みと向き合う時間でしかありませんでした。
 痛みに慣れているはずの私でさえも、とても辛い時間――。
 しかし、その中で、両親が私の痛みを気遣い、その痛みを何とか和らげようと必死に努力しているその姿が、私の「痛みによる孤独感」を和らげてくれたのです。

 こういう時、「西洋医学というのは、本当に肉体を『物質』としてしか扱っていない」そう実感します。
 私は去年の秋にも、貧血を起こして帰宅途中駅で倒れ、救急車で運ばれたことがありました。
 その際、救急隊員の人の対応、および行った先の病院の対応が「あまりにも冷酷」で、それ以来、私はいっさい病院というものを、信用しなくなりました。※貧血で倒れて運ばれたのに、病院は「ベッドがない」という理由で、私を追い出しました。その後、神田駅で再び私は動けなくなってしまい、親が横須賀からわざわざタクシーで迎えに来る羽目となったのです。病院の医者よりも、神田駅で私を休ませてくれた駅員さん、駅長さんの方が遙かに優しく、遙かに人道的でした。
 勿論、たまったま私が出逢った救急隊員の人と、病院の医者が不親切だっただけかもしれません。たまったま、巡り合わせが悪くてそういう人と出逢っただけかもしれませんが――少なくとも「病人に不親切で、事務的な人がいる」というのは、揺るがしがたい真実です。そうでなければ、出産間近の妊婦を病院が受け入れ拒否をして、母子共に亡くなるなんて事件、皆無になるはずでしょうから。

 人はいつから、「物質」になったのでしょうね。
 「薬を与えりゃ、何でも治る」そんなふうにしてしまったのは、一体誰なのでしょうか?
 「相手の痛み」「苦痛」に対して、あまりにも無関心で、あまりにも事務的になったのは、一体いつの頃からなのでしょうか?
 「死に逝く者」の孤独感や淋しさを分かってあげることなく、冷たく無機質な病室の中で閉じこめるような、そんな死生観に至ったのは、一体いつのことなのでしょうか?

 私は昨日のような痛みを味わうたびに、「ああ……。痛みに感謝したい」そう思います。
 それはマゾでも何でもなくて(苦笑)、「他者の痛みに無関心になるぐらいなら、生きている価値などない」そう思うからです。
 事務的に患者を見て、相手の痛みを想定しない――そういう人は大方にして、「痛みを知らない人が多いはず」です。もし「病気の苦しみ」を知っているのに相手の痛みを想定出来ないのだとしたら――大変申し訳ないけれど、その人の心は「おサルさん以下」だとしか、言いようがないでしょう。

 痛みを味わい、その痛みを和らげるのが人の優しさであり、共感であることを、私は永年の経験で学ばせてもらいました。
 「痛み」は、仏教で言うところの「四苦」――生老病死に、すべて含まれます。

 生きているから、「痛み」を感じる。
 老いれば、肉体が衰え「痛み」を味わう。
 病になるから、「痛み」が襲う。
 死ぬ前には、「痛み」を通過する。

 すべては「痛み」が苦の根源に存在します。
 しかし、逆に返せば――この「痛み」こそが、学びの過程であると……そうも思うのです。
 肉体がなければ、痛みを感じる必要もありません。そもそも、四苦そのものがなくなるのだから。
 だとしたら、私達が「痛み」を学べるのは……生きているからこそ、なのでしょう。

 昨今のスピリチュアリストは、綺麗事しか唱えない人も少なくありません。
 しかし、現実世界で生きている以上「痛み」からは逃れられないのです。
 そこに「蓋をしてしまう」ぐらいなら、私はその痛みと真正面から向き合い、それを「乗り越える方法」を探したい。
 世の中には、私が味わう痛みなんて比べものにならないぐらいの苦痛を味わっている人達が、まだまだ大勢います。難病に苦しみ、健康から遠ざかって、苦痛と向き合わされている人達も大勢います。そういう人達に表層的なスピリチュアルを唱えて「あなたも神の子供です」「あなたはすでに、光の中にいます」。
 こんな言葉だけで、果たしてその苦痛を緩和出来るでしょうか?
 痛みの直中にいる人達が望むもの――それは、「自分が味わっている痛みへの『共感』」なのです。

 痛みは、人が「肉体を持って生まれている」ことに対する「根底にある原動力」なのです。これを味わうことこそに、肉体を持つ意味があるのであって――そこから目を背けることに意味があるわけではないと、私には思えます。
 痛みや苦痛から復活するたびに、私の中では「もっと真剣に、地球や人類の進化を考えよう」――そんな決意が芽生えます。
 私の病苦は、こうした「人間の進化」に至る為の過程として、天から与えられた最大の贈り物なのだ――私は心から、そう思っています。

【お知らせ】体調不良、および多忙の関係で、コメントのレス・承認が遅れております。申しわけございません。

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誰が国境を引いたのか?

 25日公開に向けて、LTS講演会企画部サイト「地球の未来を創造する」――着々と準備中です。
 ほぼ8割準備が完了しているので、予定通りの日に公開着手出来そうです。
 このブログの主旨である「アセンション後の地球」――私達人類が目指すべき「理想世界」が如何なるものかを、スピリチュアル分野・哲学思想・社会学分野など様々なジャンルで活躍されている方々からご意見を頂戴し、かつ、講演会を実施していく予定です。是非皆様、楽しみにしていて下さいませ。

 そんなこんなで。
 未だ熱の引かない篠崎ですが(ふと思ったンですが、もしかしたら「知恵熱」かも((爆)))、今回のサイトTOP画像になる地球の絵を見つめ――こんなことを考えていました。

「一体誰が、国境なんて引いたのだろう」――と。

 私が「地球」を生まれて初めて見たのは、1977年に開催された「宇宙博」の会場でした。幼少期から私の家には地球儀があったので、地球儀そのものには慣れ親しんでいたものの、「本物の地球の写真」を見たのは、その時が初めてだったのです。
 その衝撃と感動と言ったら――何て表現すればいいのか……筆舌し難いです。ただ、感動と同時に一種の「違和感」があったのは事実です。「あれ……? 地球儀と、何か違う」と。
 地球儀には、最初から「国境のライン」が書かれています。その他にも、何だかんだといっぱい線が引かれていますよね?

 でも、本当の地球に「そんなものは『ない』」のです。
 一体誰が、国境なんてラインを引いたのでしょう?

 そう言えば――以前、こんな話を聞いたことがありました。
 アメリカ大陸が発見されスペイン人達が訪れた際、元々住んでいたネイティブアメリカンの酋長にこう相談を持ちかけたそうです。
「『この土地の一部』を、我々に売ってくれないか?」
 しかし、酋長は「その意味」が分かりませんでした。

「大地は『ひとつ』だ。ひとつのものを、分けることなど出来ない」

 私はこの話を聞いた瞬間、「自分達の歴史が、何を履き違えて来たのか」を痛感したような気がしました。
 国境も、海里も、そんなものは最初から存在しなくて、私達人間が「勝手に決めただけ」なのです。土地売買を持ちかけられた部族の酋長はそれを「深く認識していた」からこそ、その買収に応じなかったのでしょう。
 先日話した、人種の差と同じですよね。肌の色の違いはあくまでも「違い」でしかなく、そこに優劣なんか存在しない。もともと、私達は人類という「ひとつの種」なのだから。
 
 国だって、同じことです。
 確かに、高次にも目的意識に応じた共同体は存在します。しかし、そこに優劣もなければ、「ここから先入るには、通行許可証が必要だ」なんて、そんなことはありません。秩序は「外的に束縛されるべきもの」ではなく、「内的から自発的に発せられるべきもの」だからです。わざわざ通行許可証なんてものを造らなくても、内的秩序に基づき行動すれば、犯罪云々だの必要以上の防衛だのは「必要なくなる」からです。
 もし、人類がそうなれるのであれば――私達に「国境」そのものも、必要なくなるのではないでしょうか? 地球儀に意味のないラインが引かれることなんてなくなり、アフリカ大陸にもまるで「定規で引かれた」かのような国境はなくなり、ひとつの惑星「地球国家」として、みなで手を取り合える日が来るのではないでしょうか?

 一体、私達に根付く「何」が、このような問題を引き起こすのでしょう?
 それはやはり、外的規範ばかりに振り回された「利己(エゴ)」がそうさせているのだろう――そう思います。
 私達は「自分」を省みることなく、あまりにも「外」からの締め付けに無防備でした。法律、規律、為政者達の押し付け――そうしたものに、あまりにも無頓着で、自分たちの力で考えようとして来ませんでした。
 でも本来、私達ひとりひとりには、「何が正しいのか」を察するだけの洞察力が「眠っているはず」なのです。私達のDNAが「生存」の為に何が必要で何が不必要かを分別出来る能力があるのと同じように、私達個々人も、「何が私達の未来において必要で、何が不必要か」それを選別出来る力が「必ずあるはず」です。だからこそ、今や時代はこれほどまでに「精神論」を重要視し、「資本主義的物質価値」に疑義を投げかけ、使い捨ての文化に疑問符を投じているのではないでしょうか?

 私達個々人がもっと「自分の本質」に立ち返り、そして、「個性は排斥や衝突を生まず、互いにその個性を活かして協力しあえるものなのだ」という視点を持ち、今立っているこの「大地」が――例にあげた酋長の言うように「ひとつなのだ」ということを思い出せたその日が来たら、私達はいつしか、「国境のない地球儀」を見ることが出来るようになるのかもしれません。

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(3)霊学的人間の考察

 ここ最近忙しいせいなのか――どうも風邪がすっきり治りません。今もまだ、熱が38度台から下がらない状態です。下がらなくても、「やらなくっちゃならンことは、やらなくっちゃならん」ので、頑張るしかないのですが(苦笑)。
 私が「肉体」がなくなったら何を一番喜ぶかと言ったら――それはもう「健康を気にしないでいい」ことを喜ぶでしょうね(笑)。疲労もない、眠気もない、空腹もないなんて言ったら、24時間年中無休で、喜んで駆けずり回っていそうです。←って、「雪やこんこん」の犬じゃないんだから……;

 なんて……実はそんなくだらない与太話しか出来ないぐらい、ちょっと「ヨレヨレ」だったりします(汗)。連載ものだったので、今回も過去記事掲載となりますが何卒ご勘弁下さいませ。
 「霊学的人間の考察」は、今回で最終回となります。明日以降は再び本題である「理想世界の探究」について記事にしていきたいと思っております(体調が治れば、ですが)。

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2008年2月6日 過去ブログ「思考世界」より転載

 今回も前回の続きで、「アストラル体と自我について」を考察します。

◆アストラル体◆

 アストラル体は、よく「幽体」などという言い方もされています。ただ、言葉で理解してしまうよりは、その言葉が指し示す「本質」で理解した方がわかりやすいでしょう。
 著書「神智学」の中でシュタイナーは、人間を三つの本質に分けています。「体・魂・霊」という三元素ですが、アストラル体はこの「魂」の部分にあたります。(※前回説明しましたように、肉体はエーテル体を切り離しては存在し得ない為、この三元素は「体」の中に「肉体+エーテル体」が含まれているものと考えられます。)
 この「アストラル体」と「魂」が「同じ本性を示している」ということについては、「神秘学概論」の中でも示されています。

 眼の前の対象を意識化するのは、アストラル体の働きである。しかしその意識を永続的なものにするのは、魂なのである。しかし今述べたことからもすぐに分かるように、人間の中にはアストラル体と、意識を持続的なものにする働きとが、深く結びついている。したがってこの両者をも「アストラル体」と呼ぶことが出来る。

 また、魂もただ漠然とした塊なわけではなく、その作用によって三つの作用に分かれています。
 「感覚魂・悟性魂(或いは心情魂とも言うそうですが、ここでは悟性魂で統一します。)・意識魂」という三つの作用です。
 「感覚魂」というのは、いわゆる五感のようなものです。物質界の中に存在する上で感じる知覚のことを「感覚魂」と言っています。
 一方、この「悟性魂」というのは、魂が知覚された印象を受け取るだけでなく、それをさらに「意識上に働きかける」という作用をします。
 例をあげると――火のついたストーブに手を触れてしまい、「あちっっっっ!」という印象を感じるのは「感覚魂」の働きであり、その経験を踏まえて「もう絶っっっ対、触らね!」って思うのは「悟性魂」の働きというわけです。
 ちなみに、この両者には「記憶」の作用もあります。ですので、一度触れてしまった記憶をもとに、触らなくても「ストーブの熱さ」が感覚の中で再現されるし、また、「もう絶対触らねって、あの時思ったっけ」といった形でその時の気持ちも再現されるのです。
 ここまでですと、魂の働きはまだまだ外界(物質界)のみに支配されており、霊的作用としての思考などは絡んできません。そうした働きが見られるようになるのは、第三の本性である「意識魂」にあたります。

 人間は、みずからの内に、神的なものを見出すことができる。なぜなら、人間のもっとも根源的な存在部分は、神的なものからとってこられたのだから。このように人間は、みずからの中の神的なものを通して、魂の第三分肢を獲得する。アストラル体を通して、外的な意識を獲得するように、自我という、みずからの中の神的なものを通して、自分自身についての内的な意識を獲得する。それゆえ、神秘学は魂のこの第三分肢を「意識魂」と呼ぶ。

 上記抜粋したように、「意識魂」というのは先に挙げた「感覚魂」「悟性魂」と働きが大きく異なります。意識魂というのは、要は「外界と、私という存在の境界」を示すものでもあり、ここに人間の個性とも言うべき霊性が生じてきます。
 先の例を再び使いますと、熱いストーブを触って「あちっっっっ!」っていう印象を持つのは、まずすべての人に共通されたことでしょう。さらに「もう絶っっっ対、触らね!」っていうのも、多くの人に共通しているはずです。
 しかし、意識魂に生じる反応は、個々人で分かれます。例えば、「他の誰かがうっかり触って火傷しないよう、柵を作っておこう」という思いに至るかもしれないし、「この場所に置いておくと、食べ物が痛んじゃうかなぁ」なんて心配するかもしれないし、もしくは「触っても熱くないストーブを発明したい!」という発想に至るかもしれない。そこから先に生じる心の作用はその人独自のものであり、その人それぞれの自由なのです。
 外界に限定されず、「私」という領域で思考されること――これが「意識魂」というわけです。

 そうなってくると、魂の本領はほぼ「意識魂」に集約されている、とも言えるでしょう。
 第三の本性である意識は、もっとも霊界の作用を受けやすい箇所でもあります。こうしてみると私達は、外界から「感覚魂・悟性魂」を通じて受ける印象霊界側からのインスピレーションを「意識魂」が受けることによって生じた思考の両者をうまく調和しながら「生きている」のだということが、何となくおわかり頂けるかと思います。
 そして、この第三の本性は、次なる要素である「自我」へと、切れ目なく繋がっていきます。

◆自我◆

 自我に対する考え方については、東洋哲学と西洋哲学においては大きく隔たりがあります。
 仏教を代表する東洋哲学において「自我」というのは妨げとなるものです。禅などにおいても「自我を徹底的に滅却していく」ことを目標にします。そして、それが取り払われた奥に光る「存在そのもの」こそに意味を見出すのです。(余談ですが、「空」というのは「無」と違います。よく多くの方が勘違いされてしまっているのですが、「空」というのは「いっさいがゼロ」というのではなく、「『何もない』というものが『ある』」状態なのです。……なんのこっちゃ、という感じではありますが――)
 一方、西洋哲学においては「自我」というものに徹底的に拘ります。デカルトの「我思う、故に我あり」もそうですし、パスカルの「人間は考える葦である」もそうですが、要は「思考する自我」というものを立脚点にして、神との繋がりを探ろうとするのが西洋哲学のスタンスなのです。
 東洋も西洋も、その意味においてベクトルは真逆の方向を向いています。しかし、方法論は違っても「行き着く先は同じ」なのです。地球を東に向かって開拓しても、西に向かって開拓しても、いずれ出会すのと似たような感覚かもしれません。

 多くの西洋哲学者が「自我」を追究したのと同じく、シュタイナーにおける「自我」も同じように重要な立脚地です。(ニューエイジとして東西の神秘思想が折衷してからは、どちらを選んでもあまり関係ないような状態になっています。でも、個人的に現代人は「自我の追究」から入った方がわかりやすいし、社会に適応しやすいのではないかと、そう思っています。)
 感覚魂や悟性魂から生じた印象に支配されるのではなく、人はこの「自我」によって完全にアストラル体を支配しなければならない――シュタイナーはそのようにも述べています。

 人間は、この作業を通して、一層高次の段階へ至る。それを通して、人間存在の新しい諸本性を生じさせる。今のところ、その新しい諸本性は、隠されたものとして、人間に開示されているものの背後に存在している。しかし人間は、自我による魂への働きかけによって、開示されている魂の中から、隠された魂を現出させることができる。人間は、アストラル体にまで自己の働きかけを拡大することができる。そして自我がアストラル体を支配し、みずからをアストラル体の隠された本性とひとつに結びつける。そのようにして自我に支配され、変化させられたアストラル体は「霊我」と呼ばれる。

 ここでいう自我を、「エゴ」とイコールにしてしまうのは誤りです。この自我は「私という存在の管理者」たるべき存在です。なので、今現在、私が――皆さんが感じている「自分自身」というのも、自我とイコールにはならないかもしれないのです。
 あえて言えば、「ハイユアーセルフ」と呼ばれるものとイコールかもしれません。
 いわゆる「高次元の自分」であり、「外界に纏わる欲望や衝動に惑わされていない状態の自分」と言うことも出来るでしょう。
 この「高貴な自我」に焦点を合わせ、アストラル体を完全に支配するようになることが理想であると、シュタイナーは言っているわけです。

◆アストラル体と自我の関連性◆

 ここでもう少し、アストラル体と自我について掘り下げてみましょう。
 シュタイナーは、肉体を「鉱物界」、エーテル体を「植物界」と共有しているように、アストラル体を「動物界」と共有しているとしています。
 先日、「生命がないのが鉱物」で、「意識がなく眠ったままの生命が植物」と申しましたが、これを動物に置き換えると「自我がなく、本能のまま生きるのが動物」と言い換えることが出来るでしょう。「自我」は、自然界において人間だけに与えられた特性なのです。
 また、アストラル体は「対象を記憶する」ことは出来ても、それを「統括する」ことが出来ません。先に挙げたストーブの例で言えば、「ストーブは熱い」ということと「触って熱かった」ということは記憶出来ても、その前後の記憶とその対象の記憶を「関連させて記憶する」ことが出来ないのです。所謂「学習能力」とも言えるでしょう。(注※迷路の中にいるねずみが漠然と道を記憶していたり、パブロフの犬現象などは本能に随するものであり、いわゆる「感覚魂」や「悟性魂」の働きです。ここで言う学習能力には含みません。)
 さらに言えば、アストラル体というのは「快・不快」が支配する領域であるともされ、幼児期に子供が「快・不快」をもっぱら表現するのも、この「アストラル体の成長期だから」とされています。
 そうなると、アストラル体のメインの働きは、感覚から生じた経験と、それに対する快・不快がメインであり、それらの経験をストックする場所――と言うことも出来るでしょう。

 それに反して、自我は先程も言いましたように「個である私」であり、背後の霊界と通じている箇所でもあります。
 もし仮に、ここでいう自我が霊界や霊性などを「持っていない」のだとしたら、人は「外界から受けた印象だけ」で生きていくことになり、閃きも直観も、まったく「起こり得ない」ということになってしまいます。
 自我は、アストラル体の低次部分である「感覚魂」や「悟性魂」を通じて得た体験を「意識魂」で濾過した記憶と常に向き合っています。意識魂が高ければ高い程、自我との差は生じなくなり、自我によるアストラル体のコントロールというのもさほど難易度は高くないことでしょう。
 しかし、子供の成長期間を超えた後でも「快・不快」だけに囚われている場合、自我とアストラル体の溝は深まってしまいます。その分、人間性全体を通しての成熟は遅れをとることとなるでしょう。
 思考がよく「あちこち飛び」まくったり、夢が「何の脈絡もなく切り替わったり」などというのは、アストラル体の作用です。自我というのは、それに対して規則性や法則性を見出します。なので、自我が発達している人というのは、行動や言動に主旨一貫している側面が強く、アストラル体の方が発達して自我が追いついてない場合には、思いつきの行動が多かったり、好き嫌いが激しい、などといった傾向が強く表れることでしょう。
 アストラル体と自我の差を明確に示そうとするならば、アストラル体は「快・不快の表現や、感覚による反応や行動」というのに対し、自我は「感情から生じるいっさいを、統括せしめんとする働き」とまとめることが出来ます。

◆人間を人間たらしめるものは?◆

 三回に渡って霊学的に人間を考察してみました。
 とはいえ、霊学的な「人間の定義」というのは一括りで表現出来るものではなく、あらゆる要素や要因が絡まりあった複雑な存在とも言えます。その為、今回説明した「肉体・エーテル体・アストラル体・自我」だけですべてを包含することは出来ません。しかし、様々な外的要素――眠りや、死、霊界、民族、人種、社会についてなど――を経ることで、さらなる深みにまで考察が行き着けるのではないかと、そんなふうに思っています。

 ちなみに、前回脇に措いておいた「人間を人間たらしめるもの」という問いの答えですが――それは「肉体・エーテル体・アストラル体・自我」の四元素がすべて作用しあった状態であり、かつ、外界による影響をも含んだ状態である、そう言えるでしょう。
 霊学を学べば学ぶほど、人間が「個として存在するのではなく、常に外界や周囲の人と連動しあって生かされているのだ」ということを、実感せずにいられません。

 
参考文献「神秘学概論 訳者・高橋巌 ちくま学芸文庫」 
      「神智学 訳者・高橋巌 ちくま学芸文庫」
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【関連記事】
(1)霊学的人間の考察 
(2)霊学的人間の考察 

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【参考文献】
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(2)霊学的人間の考察

 最近、ますます時間の流れが速くなっているような気がします。……それとも、私が「カメ」になっただけでしょうか(苦笑)。
 それはさて措き――メールマガジンの発行なのですが、本日を予定していたものの、来週の日曜日に昨日お知らせしたLifeTherapyStation講演会企画部「地球の未来を創造する」サイトを立ち上げることが決定しておりますので、「それなら、その日に併せて発刊した方がいいだろう」という結論に達しました。
 来週に持ち越してしまう分、充実した内容をお送りしたく思っておりますので、今しばらくお待ちくださいませ。

 ではでは、昨日の過去記事の続きを掲載いたします。
 このシリーズではシュタイナーの言う「肉体・エーテル体・アストラル体・自我(霊体)」を解説しています。今回は肉体とエーテル体について、明日は「アストラル体と自我(霊体)」についての解説となります。
 ちなみに、今回の記事の中で私自身の霊感について触れていますが――この記事を書いた頃はまだ明確に霊感が復活していない時期でした。著しく復活したのがその年の夏以降でしたね。明確な体外離脱をし始めたのも、ちょうどその辺りからです。
 以前の体質に戻ってしまう前にこういう記事を書いていたというのは、虫の知らせというのか、何というのか――不思議な思いが過ぎる次第です。

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2008年2月1日 過去ブログ「思考世界」より転載

(2)霊学的人間の考察

 前回は人類進化の背後に「高級霊達の関わり」があることを示しました。また、そういった存在をどのように解釈すればいいかの一案を提示しましたが、今回はその際に出てきた「肉体・エーテル体・アストラル体・自我(霊我)」について、掘り下げていきたいと思います。

◆肉体◆

 肉体は霊的概念からすればもっとも低次のものであり、かつ「感覚世界(物質的世界)の体験を得る為には、必要不可欠なもの」とも言えます。
 シュタイナーは、この人間の肉体にあたる部分を「鉱物」に例えています。「人間の物質体とは、人間が鉱物界と共有する部分のことである」とし、生きている間はこの肉体に様々な高次からの働きかけがあるけれど、死と共にそれは離れ、鉱物界における本質の姿に肉体は戻る――と書かれています。
 確かに、この「死と共に、肉体は鉱物化する」というのは、「他者(或いはペットなど)の死」に立ち会った経験がある人であれば、自ずと想起されることと思います。

 私も、21歳で祖父が亡くなった時にそれを実感しました。
 普通、親族が死んでも「亡くなった直後から、死後硬直起こすまで」というのは、相当近い関係でなければそうそう立ち会うことが出来ません。しかし、祖父は私が子供の頃からずっと一緒に暮らしていたし、亡くなったのも病院ではなく家でだったので、死の直後から火葬場に行くまで、私はずっと祖父のそばにいることが出来たのです。
 初めは温もりのあった祖父が、次第に冷たくなっていき、やがては硬直していく姿を、私は何とも言えない複雑な心境で見つめていました。命の軽視化が進む今の時代にこのようなことを言うと不謹慎と叱られそうですが――それでも、肉体という存在が滅びるまでの過程に「神秘」を感じずにいられなかったのです。
 この頃は、私が幼少期から持ち続けていた霊感が突如消えてしまった直後でもありました。その為、肉体の背後にある霊的な作用にどのようなものが働いていたのかまでは残念ながらわかりませんでしたが、それでも肉体の作用を見ているだけでそこに働くだろう力作用は充分に感じられたのです。(私はものごころついた時から、すでに肉体のない存在と何度も遭遇していました。オーラというのも、普通誰でも見えるものだろうぐらいに思っていた程です。このブログの最初の方で書いた「ぼやけた世界」というのは、当時の私が見ていた視界を感覚的に表現したものです。しかし、霊感は突如21歳の時になくなってしまいました。同時に、世界のすべてが「はっきりとした輪郭で」捉えられるようになったのです。――この体験談や、当時の私が抱いた疑問についてはおそらく霊学においても重要なポイントとなりそうなので、いずれ詳しくお話しようと思っています。)

 「そこにいる。けれど、『もうここにはいない』」
 遺体と共にいると、そんな言いようのない感情に駆られます。
 そういった体験を通じて、私達は肉体が人間の本質では「ない」ということを、否が応にも実感せざるを得ません。
 では、一体何が人間の「本質」なのでしょうか?
 人間を「人間たらしめるもの」とは、一体何なのでしょうか?
 その問題は一旦脇に措いておくとして、次の要素「エーテル体」に移りたいと思います。

◆エーテル体◆

 以前の記事にも書きましたが、この「エーテル体」というのは、物理学でいうところのエーテルとは意味合いが異なり、いわば「生命」とも言うべきものです。

「肉体の中で崩壊に抵抗している、隠された働きを観察できるのは、高次の直観力だけであるが、開示されたものだけしか対象化できない通常の判断力もまた、隠されたものをその諸作用の中に、はっきりと見てとることができる。そして諸作用は、人間が生きている限りでは、鉱物の素材と力が生み出す形態の中に現れている。この形態は、肉体が死に至ると、次第に失われ、そして生命のない鉱物界の一部分になってしまう。生きている間、物質の素材と力に、肉体を崩壊させないように働きかけているものは、「エーテル体」または「生命体」と呼ばれる。」

 しかし、ただの「エネルギー」というわけではなく、シュタイナーは「独立した本性である」としています。

「エーテル体は肉体同様に分節化されているが、肉体よりももっと複雑に分節化している。肉体においては、各部分が互いに区別されているのに対して、エーテル体においては、すべてが互いに生きいきと融合し合っている。」

 もっとも低次の部分にあるのが「肉体」で、その次段階にあるのがこの「エーテル体」です。このエーテル体がなければ、先にあげたように肉体は「鉱物の本質に戻ってしまう」わけで、生きる行為そのものが出来なくなってしまいます。
 このエーテル体を、シュタイナーは「植物界と共有している」としています。肉体が鉱物で、エーテル体が植物。この二つで、自然界のものはほとんど含まれることになります。
 鉱物は、霊体が凝縮し、そのまま生命を維持することが出来なかったもの――ともされています。(そう考えると、「パワーストーン」の意味がよくわかります。パワーストーンは「生命を持たなかったが為に、その力を維持することが出来た」とも解釈することが出来るでしょう。)
 そして植物は、エーテル体はあるもののそこには「魂(アストラル体)」がなく、だから「常に眠った状態」とされています。
 これは人間においても言えることで、人間の睡眠状態というのは、アストラル体が離れてしまって「肉体とエーテル体しかない状態」のことを言います。(このことについては、「眠り」について記事にした際、詳細に触れるとします。)

 ちなみに。
 よくオーラを見る人が「肉体のオーラ」とか「霊体のオーラ」とかいう言い方をしているのを耳にしますが、おそらく、肉体のオーラとされるのがこの「エーテル体」なのではないかと、そう思います。(霊体のオーラというのは、アストラル体と自我を包括したものなのかもしれません。)
 オーラというのは、基本的にコロコロ色が変わるものではないようです。だから、「○○している時はこんな色」「××している時はあんな色」と、状況によって変わる色を告げる人は、おそらく「エーテル体」を見ているのではないかと、そう推測しています。
 だからおそらく、「死の前には、オーラが黒になる」というのも、このエーテル体のことを見ているのかもしれません。エーテル体が肉体から離れようとする際に発する色が、たまたま「黒」になったのでしょうね。


※次回、残る二つの本性「アストラル体」「自我」について記事にします。

(参考文献)「神秘学概論 訳者・高橋巌 ちくま学芸文庫」
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(1)霊学的人間の考察 

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(1)霊学的人間の考察

 9月時に募集した「無料公開鑑定」で当選されたKさんの鑑定結果を、本日公開致しました。

 【総合占術サイト・霊性の指針】 ※「鑑定例」にてUPされています。
  
 Kさんはご主人と死別し、それ以降「スピリチュアル」の世界へと目覚めたそうです。人間にとって愛しい存在との死別は誠に辛いものですが、そうした中で「この世が有限であり、霊性は不滅である」ことを実感されたという方は少なくありません。こうしたお話を聞くたびに私は、「人の関係というのは決して生きている間に限定されるのではなく、心の繋がりが深ければ深い程『永遠に結ばれる』のだな」と実感せずにいられません。

 Kさんとご主人は非常に深い霊的関係にあった方なのですが(詳しくは鑑定例をご参照ください)、このように「ある何らかの目的を深める為に、互いに約束しあって生まれてくる」ということはよくあるケースです。お二人のように、深遠な智慧に至る為の出逢いもあるかと思えば、逆に憎悪しあうことによって「赦す」ことを学びのテーマとする人達もいるでしょう。
 出逢いと別離は決して偶然、無意味さの中で行われることではなく、私達個々人が「目的をもって選んでいることなのではないか」――そんなふうにも思えます。

 「人間の霊性を知る」ということは、ただ「死ぬ心構え」をたてるだけではなく、「今を生きる私達にとっても、とても重要なもの」なのだと私には思えます。それはただの精神論ではなく、私達が培ってきた科学的視点、歴史的視点においても深くリンクしているものだ――そう思えるのです。

 さて――今日はちょっと時間が差し迫ってしまった関係で、再び過去記事を掲載いたします。これもブログ「思考世界」からの転載ですが、シュタイナーの理論において霊学を掘り下げておりますので、是非ご参照くださいませ。

※注意 2年近く経つ関係上、多少情報が古くなってしまっている部分がいくつか見受けられますが、大筋において修正すべき部分はないと判断した為掲載いたします。何卒、御了承くださいませ。

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2008年1月31日 過去ブログ「思考世界」より転載

(1)霊学的人間の考察


◆人類進化の背景にみる、霊的作用◆

 先日お知らせしたように、今回から少しずつ「シュタイナー理論に基づいた人間の考察」について、まとめていきたいと思います。

 「人間」という存在を考えた時、一番最初に浮かぶ疑問は「どこから来て、どこへ向かおうとしているのか」ということではないでしょうか。
 私達は概要的に人間の進化過程を知ってはいますが、その詳細たるを理解はしていません。世界のあちこちに文明が栄え、時代と共に衰え、かと思ったら民族の移動に従って伝播し、新たな文化と融合し、また廃れたりを繰り返す――その経緯や流れは何となく把握出来ても、「文明自体が起きたきっかけ」や、「何故、突如そこに巨大な文明が誕生したのか」「どうやって、それほどの知恵を見出したのか」「文明を築くまでに至る言語や思考の発達過程」などについては人類学史、また考古学史上においても多くの謎を含んだままです。
 しかし、私は「霊学」を根本から理解する為には、こうした「歴史的背景から捉える必要がある」と、そう思っています。何故なら、人間の進化に働きかけた「目に見えない力」こそが、霊学の対象となるべき高級霊達(通称名は何でも構いません。天使でも、菩薩でも、精霊でも。)なのではないかと、そう考えているからです。

 では、何故そう言えるのか――それは、当初は同じ条件下にいた「太古の時代に存在した動物達」の中で、何故私達人間のみがこうして進化を遂げたのか、その時点からして本来は偶然性で片づけられないと、そう思っているからです。
 人間となるべき猿人と、そうならなかった猿達との間に生じた運命の差とは、果たして何だったのでしょう。一説では、猿人となった猿達は環境の変化により住処だった森を追われ、高原で暮らさなければならなくなった。その為、守られていた森の環境とは違い、自分達で生き抜く知恵をつけなければならなかった為に、進化を遂げたと言われています。
 では、その猿達は何故森の住処を出るような運命下に置かれたのか――逆に、何故普通の動物達に訪れるような「淘汰の運命」を彼らは辿らなかったのか。突き詰めていけばいく程、疑問は湧き出てきます。
 言語はどのようにして誕生したのか。ある日突然、繰り返しの擬音の中に「意味」を彼らは見出したのか。それとも、何らかの法則性が働いて、整然とした言語体系が突如誕生したのか。それは語学に携わり、個々の言語が担う「文法の個性」を実感すればする程、不思議に思えてくるものです。
 私はこれらの疑問の背後には、それを統括するべく存在した「力」、いわば霊的作用がなければ説明つかないのではないか――そう思っています。

 先日のブログでも少し触れましたが、言語の付与については「能天使(※ここではシュタイナーに倣って天使という言葉を使っていますが、それがどういったものかは個々人の想像にお任せします。ですが、必ずしもイメージ通りの天使、というわけではないことだけ念頭に措いてください。)」の役割が大きいようです。
 人類の言語付与に、能天使が関わる――これを一般的に理解しようとすると、かなり無理があると思われます。この部分を明確な物質界での言語に置き換えることは、現状では不可能でしょう。なので、私は「以下ような解釈」をしています。
 このブログ立ち上げの頃にも書きましたが、まず「思考が化学元素のように存在する世界」を想定します。
 たとえば、みなさんが「ヴァーチャル」の中で(ゲームにあるような感じで)模擬世界を造ろうとしているとします。その際、「今、人間は○○という段階に入った。次の進化に至るには××をしよう」などと考える「思考だけしかない」世界があると想像してみるのです。(ちなみに、私達人間は低次元のことも同時進行で考え得ますが、そういった雑念が高次の段階では「いっさい入らないだろう」ということも想定しておく必要があるでしょう。)
 「思考だけしかない」ので、それらは「思考の形状」で分離したり、融合したります。似通った意志は融合し、そうでないものは反発しあう。そして、その「類似したひと塊の思考」の働きを取り出して「能天使」「権天使」などと名付けてみる――といった具合に、です。
 もっとも、これはすごく平易な形での想定なので、実際はこれをもっと複雑化し、かつ秩序だった構造になっている、ということは予測しておく必要があると思いますが、大体のイメージはこれで掴めるのではないかと思います。

 さて、このような形で「働きかける意志」――大天使、能天使や権天使達は、人類の誕生ばかりではなく、常に歴史の背景にも存在しています。
 こうして言語や知的能力を発達させてきた私達人類ですが、そこに行き着くまでの過程は並々ならぬものだったと思われます。人類史上もっとも最古とされる類人猿の発見は400万年ほど前ですし、よく名の知れている北京原人だって50万年ほど前、新人とされるクロマニヨン人だって4万年と、気が遠くなる程昔です。(余談ですが、北京原人の頃すでに言語は存在し、儀式のようにして人間の脳を食べていた――という説もあります。)
 しかし、実際に文明の経過が見られるのは5500年ほど前あたりからで、それこそ文明が出来てからの歴史の方がまだまだ浅いと言わざるを得ません。
 もっとも、これは「ただ進化してきた」というのではなく、霊的進化形態も物質界と同じように「段階」が存在するのです。
 このあたりの地球進化について、シュタイナーは「神秘学概論」「アカシャ年代記」などに執筆しています。
 そこに書かれた内容が、必ずしもこの物質界における進化とイコールになるとは限りません(何故なら、物質界に現象化させる為には、霊界における「現象化」が必要だからです。私が思うに、この二冊に書かれた進化の過程は実質的なものというよりも、霊界における「設計図のようなもの」なのではないかと推測しています)。しかし、当てはめていくと充分納得出来る形で符合しているのです。

 これら人間の進化の過程は、「人間の本質が進化する過程」であるとも言い換えられます。
 ひとつは「肉体」。そして、それに繋ぎ止められる形で存在する「エーテル体(これは物理学で言われるエーテルとは違うものです。生命力と考えた方が、わかりやすいかもしれません)」、思考・精神を司る「アストラル体」、そしてもっとも高次でその個を統括する「霊我」です。

 このあたりも、一般的な解釈をしようとすると、難しいかと思われます。また逆に、スピリチュアルに詳しい人でも、ファンタスティックな形(天使は天使として、私達と同じ人間のように人格をもち、個体のように存在する――みたいに)で理解してしまっている方にとっては、わかりづらく感じられるかもしれません。
 ここでも私流の解釈をご紹介しますと(あくまで私自身の解釈です。ご自身で「違う」と思われたら、ご自身の閃きを優先なさってください)、霊界を「海」のようなひとまとまりの液体として捉えます。 その液体は、「思考の元素」によって出来ている世界です。
 そこに、異質なものが少しずつ誕生します。それは、水の中で突如生まれる氷塊のようなものです。水だけしかなければ、そこに何があるかも掴みづらいですが、氷塊となることで「見えるもの、触れるもの」になります。
 その氷塊の周辺には、氷塊を包む海に通じる形での液体が淀んでいます。しかし、氷塊に近い分、その液体も純然たる液体とは「少し異質」です。喩えていえば、色彩の「グラデーション」のようなものです。すべてが「白」のところに、突然出来た氷塊が「黒」だったとして――その黒から白に至るまでの間には「黒→濃い灰色→灰色→淡い灰色→白」という変化が見られるでしょう。
 それら周りを包んでいる「灰色の部分」が、エーテル体であったり、アストラル体であったりするのではないか、そう私は考えています。(この「人間の四元素」については、また後日改めて記事にします。)

 そして、これら「肉体・エーテル体・アストラル体・霊我」を高級霊達の力により発達させていく過程こそが、この「人類における膨大な進化の過程」なのではないか――私はそう考えています。
 それは、人類を発芽させるきっかけを産んだ高級霊達がいかにして物質界に受肉していくかを探る、ひとつの試行錯誤だったのではないか――私はそう考えている次第です。

━━━━━━━━━━━(過去記事転載・以上)━━━━━━━━━━━━━━
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メールマガジン第一号の発行が遅れております。
19日には発刊予定ですので、今しばらくお待ち下さいませ。


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2012年を「ゴール」にしてはいけない!

 本日、篠崎は鑑定文執筆、および「サイト準備」に追われておりました。
 と、言いますのも――ブロ友である麻日さん、およびウルさんの三人で結成している「Life Therapy Station」内に、新しく「講演会企画部」を発足させたからです。
 この企画の主軸は篠崎の管轄でして、今月末までにはサイト公開に踏みきる予定でいます。活動の目的は――勿論、このブログタイトルと同じ「地球の未来を創造する」為。
 サイトに掲載する記事、企画する講演会、セミナーに関してもすべて「私達人類が、如何に意識改革をすることで世界を変えて行けるのか」をテーマとしています。

 昨今、スピリチュアル分野では「2012年アセンション」の話題で持ちきりです。
 確かに、今はとても時代がスピーディになっていますし、10月に入ってから急激な変化が身の回りに起きていることを実感されている方も、多いのではないかと存じます。
 しかし、私が声を大にして言いたいのは「2012年が、決してゴールではないのだ」ということです。

 アセンションに冷ややかな目を向ける人達は、みな口を揃えてこう言うでしょう。
「今に見てごらん。2013年になったら、騒いでいた人達が一斉にいなくなるから。1999年『ノストラダムス』と同じように」

 誓って言います。私は「いなくなりません」。
 何故なら、私のゴールは「2012年」ではないからです。
 そうではなく、「地球が新たに生まれ変わること」が、私にとってのゴールです。
 「2012年」が「アセンション」なのではありません。
 「地球が新たに生まれ変わること」――「人類の意識改革」こそが「アセンション」なのです。それが訪れない限り、私はずっと「如何にすれば人類が変われるのか」――その答えを探し続けるでしょう。

 アセンションを、「ただの予言」と同じ扱いをしてはいけない――私はそう思います。
 何故なら、このように多くの精神論者達が「変革」を唱えているのには「意味がある」からです。ただの思いつきや、商売稼ぎの為にやっているわけではありません(ま、そういう人も中にはいるかもですが――)。
 スピリチュアルに関わったことがない人の中にも、2005年前後に何かを感じ、「人類は、ここで変わらなければならない」――そう思った方が少なくないはずです。それは、私達がどんなに個性が千差万別であったとしても「人類」というひとつの枠組みにおり、かつ、「宇宙の子供」であることの証明だと私は思うのです。「頭」だけが人類の変革を感じ取っているのではなく、細胞レベルで――DNAレベルで、「今、ここで私達は変わるべき時なのだ」、そう感じ取っているのだろうと、私はそう思えるのです。

 だからこそ、物質的価値観に囚われて、ただのブームとして「アセンション」を捉えて欲しくない――私はそう思います。
 私が今回、講演会企画部を立ち上げ「地球未来創造」の為に別サイトを設ける一番の目的は、そこにあります。今はまだ浮き足立っている「アセンション」という現象を、もっと現実と結びつけ、リアルに向き合って行けるような情報を、皆さんに数多く提供したいからです。
 篠崎の頭だけでは限界がありますので(笑)、それを、著名人の方々やブログなどで活躍されている方々のお知恵を借りて、皆さんに情報提供していきたい――そう思っています。

 詳しいご紹介については、また公開後に改めさせて頂きます。

【関連記事】
「理想世界探究」と「意識改革」は同時進行必須!
アセンションを「ブーム」で終わらせない為に
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階層世界が理想的平等であるというパラドックス

 ここ数日、慌ただしい日が続いております。今日は週末ですが――先日も書きましたように「休日こそ、『やることが溜まってる』篠崎」……。「やっと週末だね~♪」と笑顔で言う学友達を前に、苦笑することしか出来ませんでした――orz。
 まぁ、「自分で決めた道」ですからね(笑)。思う存分、突き進むのみですv。

 さて、今回は「階層世界」について以前書いた記事をご紹介します。「階層」と聞くと、あまりいい印象を受けない人が多いかもしれません。どこか「差別的なイメージ」がこの言葉の裏に隠されているような気がしてしまうからでしょう。
 しかし、本来「差」というのは「個性」であって、決して「優劣ではない」のです。「勝ち組」とか「負け組み」とか、とかくこの世は競争が大好きですが、勝つって何を指すのでしょう? 負けるって、何を指すのでしょうか?
 私は「成功哲学」に反旗を掲げる人ですが(成功哲学という概念そのものが、資本主義を基盤にしているからです)、いっぱいお金を稼いで、プール付きの豪邸に住んで、メイドをいっぱい雇って――でも、死んだ後に何を持って行けるのでしょう? 霊界で「俺はこれだけ世の中で成功していて、有名人で、新聞にもいっぱい掲載されて、めっちゃスゴイんだぞ~!」と言っても通用しません。

 以前「体外離脱」の話の際に触れましたが、高次の尺度は「愛」であり「こころ」だからです。(※だから、どんなに教養があってもそれを愛やこころに結びつけて智慧に転換出来ていなければ、まったくの無意味でしかありません。)「死ぬ前、俺は会長だったんだ!」とふんぞり返っても、そこに「愛」も「こころ」もないどころか、現役時代同僚を蹴落としての出世だったり、心と裏腹に口裏だけ合わせる表面的な人だったり、家族・友人誰に対しても誠意を籠めたことがいっさいなければ、まったくもって霊界では「無価値」です。
 「こころの状態が、死んだ後の霊界に直結している」という話をこのブログでも書きましたが、例で挙げたような人が「天国と結びついている」とは、きっと誰も思わないことでしょう。(事実、そういう例((富める者が必ずしも天界に行けるわけではなく、あくまでも心根が重要だという例))はスウェデンボルグの著作に沢山記載されています。※参考までに、再度文献を下部に掲載します。)

 優劣の視点、勝ち負けの視点。
 そういった「外的価値観」に囚われている以上、私達は「本当の幸福」というものに至ることは出来ないでしょう。そういった外的価値観を超えて「自分の個性」というものに立ち返って初めて、人は「霊的成長の一段階」に至れるのかもしれません。

 ――って。少し話は逸れましたが(私は本当に、脱線が多いですよね;)。
 以下、過去記事「階層世界が理想的平等であるというパラドックス」について転載します。

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2008年1月6日 過去ブログ「思考世界」より転載

階層世界が理想的平等であるというパラドックス

 一口に「平等」と言っても、一体どういう状況を「本当の平等」というのか――掘り下げて議論されたことは未だかつてありません。
 それどころか、全てを横並びにさせて「はい、みんな一緒!」と、個性も何もかも打ち消すような平等を掲げて善人面する人達までいる始末。一時期言われた「一等賞もビリもない徒競走」ほど、子供達のやる気を削ぐものはないでしょう。
 本来であれば、「ビリが良くない」という発想ではなく、「ビリだってOK!」の視点に立てるような教育が必要なのではないでしょうか。ビリと言ったところで、ただ単に「5人走った中で、5番目だった」というだけの話ではないですか。「ビリ」だの「ブービー」だの「劣等意識を排斥しよう」とする視点そのものが「差別を助長させている」と、私は常々危惧しております。

 女性の権利についても同様です。
 男性、女性としての「肉体差」を弁えず、何でも「男女平等」とするのは、むしろ男女という個性を蔑ろにした言動であると、私はそう思っております。もし本当に「男女が平等」で、その役割や立場にも「差が生じない」というのであれば、何故わざわざ神は「男と女」を作ったというのでしょう。
 男と女に適した役割、働きがあるからこそ、必要性に応じて「性差」が出来たというのであれば、その差を考慮しない平等というのは、かえって男女の個性を踏みにじるものなのではないかと、私は思います。(注※同一性障害の人や同性愛者の方などは、この「男女の良さを踏みにじるケース」に値しません。むしろ逆に、彼ら彼女らは「肉体と霊性のギャップ」という、もっとも深い性の学びを経験している人達だからです。そういった深い事情を洞察せずに同性愛を頭から否定する人の方こそが、「男女という外枠だけに囚われている」、そう思えます。)
 戦後、やたらに平等が唱えられるようになったものの、それが「無闇矢鱈な権利の主張」に過ぎない気がして、私は怪訝視せずにいられません。

 かたや、霊界は「絶対的な階層世界」であるとされています。
 この件については以前このブログでも触れましたが、霊の質を「物質の元素」に置き換えればわかりやすいでしょう。善行や博愛、より神に近い思考形態の霊はその質も「軽く」なり、執着や欲、より物質的世界に近い思考形態の霊は「重くなる」と仮定した場合、そこには必然的に「分離」が生じます。
 そうやって、霊性の質によって何層もに分かれたのが「霊界」なのです。
 そこは絶対的な「差別」の世界ですが――しかし、物質界で言うような問題は起ころうはずもありません。
 何故なら、「そこに優劣が存在しない」からです。
 逆に言えば、一体「差別の何が悪いのか」。
 差別という言葉に特殊な感情を上乗せして、それを「悪」と判断するのは、あくまで人間の感情に過ぎません。
 ある人の肌が黒くて、ある人が黄色くて、ある人が白かったとして――その差は厳然としたものであるけれど、そこに優劣を持ち込んだのは誰でもない、「人間」です。
 差が「差」としてあるだけならば、それは「個性」と言えるもののはずです。
 いわば、霊界の階層世界は「霊の個性」とも置き換えることが出来るでしょう。そこに優劣を持ち込んだところで、何の意味もない。天上近くにいった温かい空気に向かって、床を流れる冷たい空気が「温かい空気が、俺達を見下している!」って言うようなものです。そんなことしたって、まるで意味がありません。

 とはいえ。
 スピリチュアリストの中でも「○○は魂のレベルが低い」「私は魂のレベルが高い」だの、ど~でもいい会話をしている人達も少なくないという話を聞きます。
 本来のスピリチュアリストであれば、「階層は差でしかなく、優劣は存在しない」ことを重々承知しているはずです。もし、皆さんの周りで「あなたは魂のレベルが低いから~」などと言ってる人を見受けたら、「あ、エセ・スピリチュアリスト発見」ぐらいに思って、聞き流してしまいましょう(爆)。

 霊界の階層は「絶対的差別世界」ですが、それはただ単に「棲み分け」でしかありません。
 むしろ、秩序だった形態を保とうとするならば、「差別」というのは避けて通れないものなのです。「神はひとつ」と言えど、それは「様々な働きをする個性をした霊の集合体」なのであって、「一色に統一されたものではない」。そこに「優劣」という物質界の特徴を持ち込めば、当然おかしなことになってしまいます。
 この現実の世界においても、「差は『個体差』でしかなく、そこに優劣はないのだ」という霊界の視点に立てるようになれば――理想的な社会が築けるのかもしれません。……が、そういう視点に人類が立てるようになるのは、果たしていつのことだろうと、そんなふうに思う今日この頃でありました。

━━━━━━━━━━━━━(転載以上)━━━━━━━━━━━━━━━━━━

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この世に「ユートピア」は実現出来るか?
法律のない世界

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【参考文献】
エマニュエル・スウェデンボルグの霊界〈1〉死後の世界は実在するエマニュエル・スウェデンボルグの霊界〈1〉死後の世界は実在する
(2000/01)
エマニュエル スウェデンボルグ

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エマニュエル・スウェデンボルグの霊界〈2〉人間は、霊界に支配されているエマニュエル・スウェデンボルグの霊界〈2〉人間は、霊界に支配されている
(2000/01)
エマニュエル スウェデンボルグ

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エマニュエル・スウェデンボルグの霊界〈3〉人類の未来はどうなるのかエマニュエル・スウェデンボルグの霊界〈3〉人類の未来はどうなるのか
(2000/03)
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「理想世界探究」と「意識改革」は同時進行必須!

 先日、「イスラーム銀行」についての講演会に参加してきた――ということをご紹介しました。イスラーム銀行というのは「利子がない」ということを事前にお話しましたが、そうはいったところでまだまだ改善点、問題点は沢山あり、すぐにも日本で実行出来るかと言えば「難しいだろう……」というのが私の感想でした。

 以前触れたように、歴史においても「理想的な社会システム」というのはありました。しかし、どんなにそれが一見「素晴らしいシステム」に思えても、必ず失敗しています。(成功例がないのは、現代社会を見ればお分かりのとおりです。)
 何故、失敗してしまうのでしょう? 明け暮れる戦争や飢餓に疲れ果て、一縷の望みをかけて民衆達が啓蒙家に賛同し、命をかけて革命を起こすのに――何故、失敗してしまうのでしょうか?
 勿論、「革命」という力の法則がそこに働いたから――という考え方も出来ます。でも、一番の理由はやっぱり「理想的なシステムを構築出来る程、人間の意識が進化していないから」
 ここに尽きるのではないでしょうか?

 私は現在、語学学校に通いながら、国際政治、様々な紛争問題、経済問題について独学しています。しかし、どんなに「学問の上では常識とされること」でも、その背景に「霊的な関連性」を垣間見なければ意味がありません。それこそ、机上の空論で終わってしまいます。
 何故、「国際政治」という枠組みが人間に必要だったのか?
 何故、これほど多くの戦争が繰り返されてしまうのか?
 何故、平和・平等が謳われるようになっても未だアフリカでは飢餓が続き、不当な搾取が続くのか?
 これらの答えは、決して学問的には得ることが出来ないのです。
 何故なら、究極に言えば――

 人間とは、何なのか。
 ここが見出せない限り、上記の答えには辿り着けないからです。

 じゃぁ、人間って何なんでしょう?
 進化した猿でしょうか?
 でも、猿って泣きませんよね。「イッツァ・スモールワールド行って、感動して泣いちゃったよ~」なんて猿、どこにもいませんよね。(いたらスゴイぞ……)
 では、パスカルが言う「考える葦」なのでしょうか?
 考えるだけじゃ、一番人間にとって基本的な「愛」――こころが、欠けてしまいそうな気がします。

 きっと、人間という存在は「定義づけ」が出来ないものなのでしょう。
 逆に言えば、「自分が人間をどう定義づけするか」で、その人の生き方そのものにも影響するのかもしれません。「自分が、人間に何を期待し、何を失望しているのか」――それを知るきっかけとも言えます。

 では、みなさんだったら、どのように人間を定義づけしますか?
 ちなみに私は、「神(宇宙)の子である」――そう定義づけしています。
 人間の肉体を、「ミクロコスモス」って言うケースがありますよね。その理由――私は、「人間の肉体が、秩序に基づいているから」だと、そう思います。
 細胞やDNAのメカニズムほど、「秩序だったものはない」――そう思います。これぞ、本当に天体や惑星の動きと同じようなものだとそう感じます。事実、人間は月の動きに作用されていますよね。それは宇宙に「共鳴している」からなのだと、そう思えるのです。私達人間が宇宙の子供(分身)でなければ、何故、共鳴するのでしょうか?(ちなみに、シュタイナーは「天文学で観察する『宇宙』は、神の肉体である」そう言っていました。「どんなに神の肉体を研究しても、神の本質には触れられない。人間が肉体だけの存在でないのと、同じように」と。)

 勿論、それは人間に限ったことではなく、地球上にいる生命すべてに言えることでしょう。私はいつでも、早春になって芽吹く桜を見て「何故、きっちり季節が分かるのだろう」と感動します。私達人間は季節のリズムに鈍くなり、昼夜もごっちゃになっているというのに、植物はちゃんと太陽の動きを察しているのですから。
 もっとも、この「動植物との歴然とした差(自然のリズムに逆らえる)」というものこそが、実は人間に与えられた最も豊かな恵みであり、同時に、最も大きな試練でもある「自由意志」と言えるでしょう。
 本来、この「自由意志」がなければ、私達も動植物達同様に自然の律動に従って、ごくごく平和に過ごし、争いもなく、競争心も抱かず、ふつ~に生きていたことでしょうから。

 私が冒頭に書いた、「何故、素晴らしい理想的社会システムが実現しなかったか」――この理由を一言で言ってしまえば、「人間に自由意志があったから」
 これに尽きるのかもしれません。
 自由――というといい印象しかないかもしれませんが、言い方を変えれば、
 嫉妬する自由。
 野心を抱く自由。
 欲求を満たそうとする自由。
 いろいろな意味で「利己」に通じるものさえも肯定してしまうのです。

 では、創造主たる神は、何故そんな厄介なものを植えつけたのでしょう? 私が創造主だったら、そんな面倒なことしませんね(笑)。
 でも、もしここで「自由意志」を人間に与えなかったら――どうなるでしょう?
 おそらく――スターウォーズに出てくる「クローン兵」みたいになるでしょうね(笑)。どんな命令にも「絶対的」な存在。クローン兵の創造主(依頼主)は「ダース・シディアス」だったので、彼の命令には絶対に逆らうことがありません。

 そうであるとしたら――。
 私達は、なんて素晴らしい恵みを与えられているのでしょう。

 やはり私は、「人間は特別な存在だ」――そう思わずにいられません。
 何故なら、この世において「自由意志」を持っているのは、人間だけだからです。
 にも関わらず、私達人間は今までその自由意志を「怠惰」に、そして「強欲」に使うだけでした。今ここでそれを改革していかなければ、理想の世界はいつまでたっても実現出来ないどころか、私達を守ってくれている愛しい地球さえをも滅ぼしてしまいかねません。

 だからこそ、私は「理想世界の探究だけでは、意味がない」そう思っているし、同時に、「学術的な研究だけでは、何も見えて来ない」。そう思うのです。
 歴史全体を通じ、現在の学術分野で何が説かれているかを知り、同時に、それを霊性の視点で感知する必要があります。
 それは、私達ひとりひとりの「意識改革の必要性」であるとも言えます。
 以前は、「革命」によって血を流し、力で奪うことによって、政治を変えようとしていた。
 しかし、これからはそうではなく「個々人の意識改革」によって、それを行う必要性があるのでしょう。

 それは、決して拘束的な法律でもなければマニフェストでもない、「個々人によって見出された秩序」に基づいています。それを経なければ、どんなに理想的なシステムを生み出そうとも、どんなに万民に平等なシステムを創り出そうとも、結局は徒労に終わってしまうでしょう。

 昨今、スピリチュアル・ブームと言われるようになって久しい中、本当に大切なのはこの「意識改革」であり、個々人が「何故、ここに存在しているのか」「何を目的にして、自分はこの世に生まれたのか」を改めて認識し直すことだと、そう思います。
 本当に理想的な未来社会では、決して外側からの押しつけはありません。だからこそ、自分の足で立って、自分の頭で考え、心で感じ、共に行動するような人間に成長することこそが、私達には求められている――そんなふうに感じる昨今です。

【お知らせ】
 「J’s批判」のtanpopoさんが、ご自身のサイト「Made in Japan【我の哲学】」で、篠崎のことをご紹介くださいました。(紹介文はこちら
tanpopoさんこと中島さんの言う「Black ball」については、「J’s批判・神と人との関係」にて解説されていますが、誠に的を射た表現だと思いました。
この「Black ballを鍛える方法の重要性」については、篠崎も痛感しています。日本民族が精神性豊かな国でありながらも、どこか方針を間違えてしまったのは「鍛える方法を間違っているからだろう」と、私自身も思っているからです。近々、この辺りについてもまた改めて記事します。


【関連記事】
「法律」のない世界 
アセンション後・コミュニティについて 
「地球は心と魂の戦場」宇宙人が残した言葉より 

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メールマガジン発行のお知らせ

結局三連休はバタバタと過ぎ去ってしまい、目標としていたものの半分もやりきれなかった感があって――ちょっとショックを受けています(苦笑)。
時間というのは、本当に難しいものです。昔は予定したものを時間通りにこなせるというのは「当たり前」の感覚だったのですが、最近は「押して押して……」の繰り返し。ラッシュ時の通勤電車が混雑により遅延した結果、どんどん駅に人が溢れかえってしまうのと似たような感覚かもしれません(苦笑)。

さて――今日もまた、お知らせです。
このたび、篠崎「メールマガジン」を発行することにしました。
「地球の未来を『創造する』※略して『地球未来創造』」では、理想の世界像探究(2012年後に訪れる世界の創造)をメインに記事にしていきたいと思っておりますが、メールマガジンの方では、それに付随したイベント紹介、講演会紹介なども行っていきたいと思っています。
ブログという方式は、どうしても「テーマごとの関連性」で記事を紹介するのが難しいので、メルマガを通じてテーマごとに「関連記事」をいっきに掲載、その解説を載せたり、篠崎がお薦めのサイト、ブログなどをコメント付きでご紹介したりなど、ブログだけでは紹介しきれない情報を掲載していく予定です。
(購読は無料です。)
ブログでは紹介しないようなこともここで紹介することもありますので、もしよろしければ以下、メールマガジンにお申込み頂けますと幸いです。(ちなみに、第一号は今週末までに発刊予定です。……審査用に使った創刊号のバックナンバーがエラくデザイン総崩れで、ガックリです。テキストファイルで送信された内容とまったく違うから不思議ですね;)

◆ご希望の方は、左側「プロフィール」のフォームより、お申し込みください◆
※尚、メールマガジン内では「スピリチュアル」および「哲学・思想」系のブログの方のみに限り、ご紹介するコーナーを設ける予定です。「自分のブログを宣伝して欲しい」というご希望がありましたら、お気軽にお申し出ください。詳しい内容につきましては、中旬発行予定の「第一号」で改めてご紹介します。

お知らせついでに、今後の予定なのですが――。
現在、エハン・デラヴィ氏の本を数冊読破中です。この方は「意識改革」をモットーに「人類変容」を唱えている人ですが、この「意識改革による独立個人」という考え方が、偶然にして私の「個」という考え方にとてもマッチしていたりします。
非常に興味深いので、実際に逢って「これからの人類変容を、どのように考えているか」「どのようにすれば、理想的世界の未来を人類は造り出すことが出来るのか」これらをインタビューしてきたいと思っております。

11月に学校が三週間のお休みに入る為、その頃行くのを目処に読書を進めています。
そういったインタビュー情報に関しましても、こちらでお知らせしていきますね。

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この世に「ユートピア」は実現出来るか?

 昨日、篠崎は「イスラム金融」の講演会に参加してきました。この概念は20世紀に入ってからのもので、また、日本で講演されるのも「初めて」という代物です。
 この「イスラム銀行」の大きな特徴は「利子がない」ということです。「不労所得」をコーランで禁じているが故に、銀行側が利子において「儲ける」という概念がないのです。勿論、そうである以上、債務者が「巨額な利子のみを払い続けなければならない」なんて問題もないですし、「借金に借金を重ね、利子が膨大に膨らむ」ということもありません。グレーゾーンは撤廃云々の問題以前に「存在しない」のです。←「ゼロ」だから(爆)。
 イスラム文化圏というのは、本来非常に利他主義な文化なのです。昨今ではテロ事件や紛争が表立ってしまっているので、どうしても偏見が広がってしまっている印象を受けますが、そうした背景は宗教や思想とはほとんど関係なく、民族同士の衝突、政治的背景の思惑の方が影響していたりすることが多いです。

 私自身は今までずっと、「理想世界」を探究してきましたが、やっぱりどうしたところで「人の意識改革」が推し進められないと本当の理想には到達出来ないだろう――そんなふうに感じています。私が見てきた高次の世界では「個性と全体の調和」が成立していましたが、ああいう世界に現レベルの人間が「ポン!」と放り込まれても、絶対にそこを「理想郷だとは思えないだろう」、そう感じるのです。

 現在、それをさらに掘り下げていく為に、草案を練っている最中です。こちらでも少しずつ発表していきますので――今回はそうした「ユートピア」に関する過去記事をご紹介致します。(「またかよ;」と思われた方、ごめんなさい;)

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2008年1月30日 過去ブログ「思考世界」より転載

◆この世に「ユートピア」は実現出来るか?◆

 前回「霊界の階層世界は『理想的平等』である」を膨らませた続編です。

 90年代に入ってから、日本は少しずつですが「共生」という概念を意識するようになってきました。
 91年にバブル経済が崩壊し、それまでの物質至上主義が揺らぎ始め、真なる平和というものはどんなに目の前の暮らしを向上させたところで得られないという事実に多くの人が気付き始めたからなのかもしれません。
 しかし、本当にこの「共生」「地球全体における平和」というものが意識され始めたのは2000年に入ってから――9.11事件やイラク戦争などで「理不尽な生活環境を強いられている人は、世界中にたくさんいる」ということを、報道を通して多くの人の意識に浸透し始めたからなのではないかと、そのように私は考えています。(91年にもアメリカはイラクと戦争しておりますが、当時の日本はまだバブル経済の煽りを受けており、そこまでの着眼点に立てる人々自体が少なかったように思います。)
 その関係からか、インターネットにおける活動でも「世界を視野にいれたコミュニティ」や「平和活動」に関するコミュニティが数多く存在するようになりました。そういったコミュニティの存在は日本人の意識がよりグローバルへと向けられている証拠であり、(たとえそれが、まだ現状的には表層的なものであれ)喜ばしいことであると、私は思っております。

 とはいえ――。
 地球全体における「平和意識」はまだまだ黎明期であり、非常に危ういバランスに措かれていると言えるでしょう。
 時間をかけていくことにより解決する問題かもしれませんが、実際は「時間をかけただけでは必ずしも解決出来ず、そこに意識改革を併せ持つ必要があるだろう」と、私は考えています。

 そもそも、「孤立した国家としてではなく、全体を見つめた統制を成そう」と試みたのは、今に始まったことではありません。
 古代まで遡ればローマなども統制のひとつと言えるでしょうが、「独立した国家を維持したまま、全体を統制させる」という形で国際政治が誕生したのは、今から約三百年前のヨーロッパに端を発しています。
 当時、ヨーロッパは戦争に明け暮れてばかりいました。放置しておけばすぐに戦争を始めるような状況下の中で、様々な思想家達が「どうすれば平和な世になるだろうか」ということの模索を繰り返していたのです。
 そして三十年戦争の後に誕生したのが「ウエストファリア条約」です。
 しかしこれはあくまでも「戦争における外的処置」でしかなく、内的な和平を求めるようなものではありませんでした。言ってみれば、常に喧嘩ばかりしているご近所さん達に向かい、「この溝は○○さん宅の敷地内にある」「この柿の木は××さん宅のもの。しかし、こっちの壁から出ている柿については、△△さんが食べてもよし!」と、便宜上の決まりを定めたに過ぎないのです。
  
 国際政治とは、あくまで国家間における外交手段でしかないのか――或いは、各国という個体を包みこむ全体の統制という形で理想を追い求める方法なのか、未だ世界に結論は出ていません。

 ――と。
 ここまで読んで、皆様は「おいおい、どこにスピリチュアルが絡んで来るんだよ……」とお思いかもしれません。
 実は、私自身はこの「国際政治のあり方」そのものを、スピリチュアル的な視点で解釈することが可能なのではないか、そう思っているのです。
 いわば、前回書いた「霊界の階層世界」と同じです。
 人類が経てきた永い歴史の中で、幾たびも私達は同じ問題にぶち当たってきました。
 それは「本当の平和って、何だろう」ということです。
 これだけ価値観が多様化し、様々な文化、文明を目の当たりにしてきた私達は、今更ながら「すべてが統一されるのが理想的社会だ」などと、思ってはいないはずです。「ひとつの神」を崇め、「ひとつの文化」を営み、「ひとつの政党」に任せ、「ひとつの貨幣」だけを使い、「ひとつの幸福」だけを求める――そんなものが「ナンセンス」であることなど、誰もが知っています。(※もっとも、それは私達日本人における特殊性、とも言えるかもしれません。宗教がより深く浸透している国の人々からすれば、「ひとつの神」の方が当たり前かもしれないのです。そう思うと、私は「何ていい国に生まれたんだ!」と思わずにいられません。)
 勿論、どんなに多様化されていても「神はひとつだ」とされています。
真理においても同様です。
 しかし、それは断片的にしか見えない一部分を取り上げて「ひとつだ」と言っているのではなく、多様な側面すべてを併せもった上で「ひとつ」としているのです。同じ「ひとつ」という概念でも、前者と後者では雲泥の差です。
 前回あげた「霊界」においてもそうです。その階層は実に細かく分かれており、そこには明確なまでの差が存在します。しかし、その階層別々をとって「霊界」と呼ぶのではなく、それら「すべてをひっくるめて、ひとつの霊界」として存在するわけです。

 霊学を推奨し、生き方そのもので実践しようとしている私は、「霊界における真理を実践することこそが、人間社会にとっても自然体なのではないか」と、そう思っています。
 それはいわば「宇宙の流れに、社会全体が乗る」のと同義であると考えています。
 霊界が「細かな階層ごとに分かれており、その差が明確であるにも関わらずひとつの霊界として存在する」とのならば、人間の世界においても同様に「細かな国に分かれており、様々な文化、価値観、宗教概念が存在していても、『ひとつの国家』として成り立つことは可能」だろうと、私は思っています。
 そして、そういった「異なる種々の人々」を包括した中でバランスをとっていくことこそが国際政治の果たす大きな役割であり、それこそが「ユートピア」である――私はそう考えているのです。

 とはいえ。
 それを形として作り上げるのは大して難しくないかもしれませんが(国連という組織も、あるわけですし)、一番最優先されるのは「異なる種々の人々を互いに受容出来る程、人類の意識が改革されること」かもしれません。
 哀しいかな、未だ世の中は「自分と異なる人を排斥しよう」とする働きが強くあります。
 それは何も社会に限ったことではなく、身近な人間関係においてもそうでしょう。ちょっとでも自分と違う部分を相手の中に見つけると、それを自分の思い通りに変えようとしたり、相手の一側面を無視しようとしたりする人もかなりの数存在します。

 もしも本当に世の中の「ユートピア」を求めるのであれば、まず何よりも「異なる価値観を受容すること」――ここから始めなければならないでしょう。
 まだまだ、ユートピアへの道のりは遠そうです(笑)。

━━━━━━━━━━━(過去記事転載・以上)━━━━━━━━━━━━━━

【関連記事】
「法律」のない世界
高次と三次元の差
高次の街の構造

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高級霊は、必ずしも進化を求めない

明日からは「三連休」ですね。
でも、「世間の連休は『仕事』」の篠崎……orz←平日は学生(大学卒業後、社会に出てから再び進学したので、39歳の身空で学生((爆)))。
この連休も、やることが天こ盛りです(涙)。

実は現在、このブログの連載記事として「進行中のネタ」があるのですが――ちょっと原稿の準備が間に合いませんでした。なので、今までの過去記事の中からいくつか「紹介したい記事」などもあります関係上、今回はそれを掲載します。

前もってお断りしておきますが――「手抜き」じゃないですからね(爆)!!

※ただし、記事掲載時から1年9ヶ月程過ぎている関係で、若干記事内容が古くなっています。それほど、この1年の間で「スピリチュアル」における分野は大きく様変わりしたからです。「2008年1月現在のスピリチュアル分野が、どのようなものだったか」を思い出しながら記事を参照して頂けると幸いです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2008年1月28日 過去ブログ「思考世界」より転載

 昨日、大変嬉しいメールを頂きました。このブログ(当時ブログ※思考世界)を読んで頂いた読者の方から感想を頂いたのですが、そのメールを読んで改めて私は「現実世界と霊的知恵との融合の必要性」を感じ取った次第です。

 かといって、篠崎は霊的知恵のすべてを現存する科学や医学と結びつけ、「どうだ! 霊学は科学的なのだ!」と言ってのけるつもりはありません。
 哲学がイコール科学にならないのと同じで、霊学も科学や医学とイコールにはなりません。何故なら、土台はあくまでも土台でしかなく、根が幹になったり枝になったりすることは「あり得ない」からです。

 しかし、「実証されてないなら、それは応用の余地もない」というのは、それも違います(そうであればエジソンもアインシュタインも、あれほどの発見をすることが出来なかったでしょう。科学も出だしは「発想(閃き)」でしかないのですから。また、東洋医学だって「応用できない」という話になってしまいます。民間療法なども常に「結果から原理を推測していく」ことしか出来ないのです。)。
 霊学は科学と「言い切れない」。しかし、「応用の価値がある」――私はそういう立場に立っております。

 ですが、如何せん「霊は最初から存在する」と、完全にスピリチュアルに偏った人達が意見する内容では、唯物的社会観と霊的価値観の狭間に立つ多くの人達を説得することが出来ません。
 物質的世界と霊的価値観の狭間に揺れる大勢の人達が待ち望むのは、「完全に『信じている』とは言い切れないけど、でも、『そうなのかもしれない』と思えるような理論」なのでしょう。
 おそらく、ほとんどの方が「スピリチュアルだけの理論では眉唾。でも、現在ある価値観だけでは行き詰まりを感じている。それを橋渡しするものとは、一体何だろう」という段階で立ち止まっている方が多いのではないでしょうか。
 私は出来るだけ、そうした「既存価値観の人々」や「一般的生活を送っている人達」が「どのように霊学への門戸を開いていけばいいのか」といったことに触れられるような記事を、書いていきたいと思っています。それだけでなく、「ニューエイジ的スピリチュアルの分野は詳しくても、学術的な分野(哲学・宗教・歴史学・社会学など)はまるで知らない」というスピリチュアリスト歴の長い人達をも満足させられる内容にしていきたいと、願っている次第です。

 *****

◆高級霊は、必ずしも進化を求めない◆

 現在篠崎はルドルフ・シュタイナー著「民族魂の使命(※参考文献以下掲載)」を読破中ですが、なかなかに興味深い内容が散見されます。(ちなみに、この本を読み出したきっかけは「シュタイナーが人種主義者だった」とする説の真偽を探る為ですが、今のところそう思えるような箇所は見受けられませんでした。もしかしたら、訳者の方が手を入れられたのかもしれませんが、全体を包む中にそうした「人種差別を感じさせる空気」が読み取れないので、私はやはり未だに「人種主義者だった」ということには疑義を感じずにいられません。今年中には独語原本も入手し、訳してみようと思っていますので、詳しい結論についてはもうしばらくお待ちください。)

 シュタイナーは人間として存在する「人格霊」以外に、それをサポートする高級霊として「天使」「大天使」「権天使」「能天使」などの存在を説いています。また、この「権天使」「能天使」というのは、土星紀や太陽紀において「進化からおいていかれてしまった高級霊」としています。
 しかし、シュタイナー曰くこの「進化についていけなかった」という理由について「落第した女学生のように見なすなら、大変な誤りを犯している」のだとか。←女性としては、この喩え――ちょっと引っ掛かるものがありますが(笑)。
 これらの高級霊達が進化を遂げなかった理由は「自らがそこに留まることで、人間をより発達させる役割を担う為」だったというのです。少なくとも、この能天使(実際は今の大天使よりランクが上)がいなければ、地上に言語は存在しなかっただろうとされています。   

 これは、なかなかに興味深い内容です。
 霊的次元においても「退化」が存在するというのは、一種非常に科学的な冷徹さを感じさせますが、それが「自ら望んでの退化」となると話は別です。
 霊的次元における「自主性」の存在をそこには感じさせますし、それより何より何でもかんでも進化するのがいいのだとする価値観はやはり物質的世界のものに限定されるということを、実感せずにいられないからです。

 篠崎は以前から、「地蔵菩薩の誓願」というものに惹かれていました。
 地蔵菩薩と、もうひとり別の菩薩が一緒にいた時、釈迦如来が現れて二人に向かい、「二人とも、よくここまで精進した。ここで晴れて、如来となるが良い」と告げました(※菩薩というのは、如来の一歩前。如来が一番格上とされている。) 
 もうひとりの菩薩は大層喜び、如来となることを快諾しますが、一方、地蔵菩薩はそれを退け、「私は大衆全員が覚ったあと、一番最期に覚ります」と言って、菩薩の地位のまま留まり、この地を救済する為に残った――というお話です。
 権天使や能天使なども、まさにこの地蔵菩薩と同じ立場と言えるでしょう。

 私自身も、自分の進化や個人的生活の喜びに興味がありません。「真実は流転するが、真理は流転しない(2008年1月20日掲載記事)」でも書きましたが、個人的な楽しみというものは、もう十六歳の頃から欲求自体を感じなくなってしまっているのです。
 その分、私の中で常に蠢いている衝動は「真理を知りたい」とする欲求や、「世界がどこに向かうのか」「人類の行き着く先はどこなのか」といったことだけです。
 そんな私なので、巷の「アセンション」に興味も湧かないのでしょう。ぶっちゃけ、「私が進化しようが、しまいが」そんなこと「どうでもいい」のです。

 私が常に考えているのは、世界の「現実」と「未来」です。
 最近は「ザ・シークレット」などで引き寄せの法則が大流行ですね(2008年1月時)
 いろいろな方が引き寄せの法則について語っていますが、中には「世界の戦争とか飢餓とか温暖化とか、そういったものを気にしちゃうから、悲惨な現実を呼びよせちゃう。そういうのを『気にしないようにすればいい』!」という発言を平気でする人もおりますが、そういう人は根本的に「引き寄せの法則を勘違いしている」そう思います。
 「見ないから呼び寄せない」というのは、あくまで個人の領域でしかない。世界の法則において、それは「成り立たない」のです。ただ単に「見ないことで呼び寄せなくなった」のはその本人の視界に過ぎず、世界に対してその人がやっている行為はむしろ「臭いものに蓋をした」だけに過ぎない。

 見ようが見まいが、「現実は存在する」。
 そうである以上、それを「回避する方法を引き寄せる」ことの方が、余程正しい「引き寄せの法則」なはずです。
 世界の現実から目を伏せて、自分達の進化だけを尊ぶ人達と一緒に昇天するぐらいなら、私は「この次元に残る」――そう断言したいぐらいです。 
 私は明らかに、「自ら望んで、進化を拒否する」タイプ――権天使や能天使タイプなんだろうなと、この本を読んでいてそう感じました(苦笑)。 

━━━━━(過去記事転載・以上)━━━━━━━━━━━━━━━━

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総合占術サイト 霊性の指針」、おかげさまで現在待機鑑定人数が4名となっております。7名になった時点で窓口を一旦休止させて頂きますので、お急ぎの鑑定で検討中の方がいらっしゃいましたらお早めにお申し込みください。(尚、9月募集分無料公開鑑定記事は、15日に掲載いたします。掲載の際には、改めてこのブログでもお知らせします。)

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【参考文献】

民族魂の使命民族魂の使命
(1992/08)
ルドルフ シュタイナー

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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

【篠崎の著作本】

アセンション真実への完全ガイド―2012年のイベントホライズン (5次元文庫 し 2-1)アセンション真実への完全ガイド―2012年のイベントホライズン (5次元文庫 し 2-1)
(2010/06/09)
篠崎 由羅

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【第Ⅱ部に篠崎の質問文が一問一答形式で掲載されています】
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【インタビュー本第二弾】
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