闇を見る(2)―個々人における闇―

 昨日の過去記事「闇を見る(1)―9.11の真相はどこに?―」の続きです。

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2009年3月1日 過去ブログ「ひとりの祈りから」より転載

闇を見る(2)―個々人における闇―

 闇は、世界や社会など外部にあるばかりではありません。人間個人の中においてもそれは根付いています。むしろ、私達「個々人における闇」が、社会や世界に影響を及ぼしていると言った方が正しいのかもしれません。「大きなもの」は、より「小さなもの」からの影響を、常に受けているのですから。

 人体を例にとってみましょう。
 私達は普段、何も意識せずに生きていますが、実際は無数の細胞が私達の中で蠢き、生命を維持させる為の働きに従事してくれています。私達はこの「肉体に貢献してくれている細胞達」の働きがなければ、何も出来ません。想い出をつくることも出来なければ、歩くことも、走ることも、生きているというそのものを、体感することが出来ません。

 こうして考えると、「より小さなもの」がどれほど大きなものを支えているのかを痛感します。
 大企業のトップに立つ多くの人達は、「末端」で働いているアルバイトや派遣社員など、非雇用者達のことを軽んじていますが、実際はこうした人達の「土台」がなければ、大企業自体がぐらついてしまうことでしょう。(※追記 2009年11月28日現在、企業のトップ達は自分たちを生き残らせる為、どんどん末端を切っています。今はかろうじてそれで廻って行けても、安易に人件費を削減しようとする企業は、必ずや手痛い目にあうはずです。人は、「物ではない」のですから。勿論、トップに立つ人達にも守るべき家庭があるのは分かります。すなわち、今という時代は「利己」「大義」、どちらを選択するか――問われる時代となっているのでしょう。)

 人間だって、同じことです。癌が「早期発見」で治るようになったのは、医学が発達したからというよりも「他の細胞達に、すでに自然治癒能力があるから」だと、そう思えるのです。早期治療することで、細胞達の治癒能力を最大限に活かし、癌になった部分に対して医学的に治療することが可能になったのだろう、と。
 ですが、もし――もし、細胞に「(人間のような)自由意志」があったとしたら、どんなことになるか――想像してみてください。
 細胞達が怠惰になって、癌細胞の言うがままとなり、増殖の一途を辿っていったら、どうなるでしょうか?
 言うまでもなく、その人は「あっという間に、死に至る」でしょう。
 ……怖いですね(苦笑)。
 細胞は、自由意志ではなく「自然法則」に則っています。だからこそ、どんなイレギュラーなケースに応じてもギリギリの段階まで、生命維持を続けようとしてくれるのです。まったくもって、「感謝☆」です(笑)。

 ですが、私達人間は「細胞」と違います。
 幸か不幸か、「自由意志」を持ってしまっているのです。
 細胞達が怠惰になった例を先程述べましたが、それと同じように、人間は怠惰、かつ傲慢になって、私達を産んでくれた母なる惑星「地球」の生命を、脅かそうとしています。
 でも、もし私達に自由意志がなく、宇宙の法則のみに従っていたら、こんなことにはなっていなかったかもしれないのです。(神が「それを覚悟の上で、自由意志を与えてくれた」のだとしたら――私達はその恩恵に深く感謝しなくてはなりませんね。)

 私達の中にある「闇」を生みだした原因。
 それは、「自由意志」です。
 私達には、「選択の自由」が与えられています。富める国に生まれ、物に恵まれた国であればある程、その自由の領域は広がります。
 しかし、そうした中で私達は――間違った自由(闇)を選んでしまうケースも、多々あるのです。

 では、そうなってしまった際、人はもう一度「正しい選択」に立ち返ることが出来るのでしょうか?
 答えは「YES」――私は、そう思います。 
 先程細胞の例で書いたように、細胞は「自然(宇宙)の法則」に従っているからこそ、自らの治癒能力を高めることが出来ました。
 同じように人間も、「自らの源」へと立ち返り、自然(宇宙)の法則に従えばいいのです。

 冒頭に「小さなものが、常に大いなるものに影響を及ぼす」と書きましたが、私達個人個人の「あり方」は、地球の未来に「直結している」と言っても過言ではないのです。
 だからといって、特別なことをする必要はありません。
 もしも今、「苦しい」と感じていることがあるのだとしたら、それはそのまま「地球の痛み」にも通じているのだと、そう感じてみてください。
 あなたの苦しみはあなただけのものではなく、「地球の苦しみ」でもあるのです。

 私達が「間違えた自由選択」により、地球は危機に瀕し、それと同時に私達もまた「同じように、苦しんでいる」。
 もしも一人一人の苦痛が放たれ、善なる自由意志に辿り着くことが出来たとしたら――きっと地球も軛(くびき)から放たれます。
 その時こそが、もしかしたら本当の「アセンション」なのかもしれません。

━━━━━━━━━━━(過去記事転載・以上)━━━━━━━━━━━━━━


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闇を見る(1)―9.11の真相はどこに?― 

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2009-11-28 | 真理 | トラックバック(0) |

闇を見る(1)―9.11の真相はどこに?―

 私は「二元論」「二律背反」など、対立概念に基づき世界を見たくないという姿勢の人間です。
 かといって、何でもかんでも「すべてに意味があるなら、それでいいじゃない」と、野別幕無しALL OKにするのも理不尽だと感じています。

 「闇は、闇である」という自覚の中、それを受け入れ、かつ闇のもうひとつの側面である「光の側面」を見ることが、本来正しい筋道のように思えるのです。
 スピリチュアルな世界だけに没頭すると、「現実の闇」が見えなくなってしまう。今現在、世界で苦しんでいる人達、不況に苦しむ人達の痛みが分からなくなってしまう。
 それでは、この世に生まれた理由がなくなるどころか、「スピリチュアリズムのあり方そのものに、反してしまう」――そう思えます。
 維摩経に出てくる維摩居士の言葉、「衆生病むが故に、我もまた病む」や、宮沢賢治の詩「まことのことばはここになく、修羅の涙は土に降る」――こういう言葉にこそ、本当のスピリット(精神=霊性)が宿っている、そう思えるのです。

 「現実の闇を見つめる」ということ――。
 それは結果的に、闇の向こう側にある「光」へと繋がる。陰陽図のように両者結びついていて、互いに「ひとつの側面に過ぎなかった」ことを実感する瞬間となる――。

 過去ブログ「ひとりの祈りから」の過去記事「闇を見る―9.11の真相はどこに―」を転載します。

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2009年2月28日 過去ブログ「ひとりの祈りから」より転載

闇を見る(1)―9.11の真相はどこに―

 「地球の進化」――これが、このブログにおけるメインテーマです。
 しかし、進化を謳う以上、より正確に「現実」を踏まえる視点も欠かせません。時代の長所ばかりをターゲットにしていては、足下が疎かになりがちです。かといって、闇に気を取られてばかりいては、第一歩を踏み出す勇気が削がれてしまうでしょう。
 光と闇。この両者を見据えることこそが、「前進における不可欠な要素」だと、私は強く感じています。
 このブログでも、私自身が感じた「光」と「闇」を、カテゴリーとして独立させて連載していきたいと思っております。まず最初に、私が「何故国際分野に転向したのか」、その動機を、綴らせて頂きます。

           ***

 私は現在、アラビア語の習得をしつつ、同時に英語、国際政治や経済界に及ぶ幅広い分野を勉強中です。巷でこのことを話すと、決まって「何故、哲学科から国際分野に転向したの?」と聞かれます。
 ……確かに、一見すると「まるで無関係」な気がします。しかし、私の中には「明確な理由」が存在しているのです。

 それは、2001年に起きた「9.11」がきっかけでした。
 先に挙げたように、私は本来「哲学」に慣れ親しんでいました。同時に精神世界と触れあう機会も多く、宗教紛争にも強い関心を抱いておりました。
 しかし、今まで抱ていた関心など吹き飛んでしまう程の衝撃を、この「9.11」から受けたのです。

 当時、私は主婦業の傍ら、司法書士資格を目指して受験勉強をしている最中でした。
 しかし、この事件をきっかけに自分の価値観が根底から崩れてしまい、「自分はこうしてのうのうと、平和をただ満喫していていいのだろうか?」という疑問に苛まれるようになったのです。
 それ以降、「日常の喜び」というものを、私は感じられなくなってしまいました。どんなに楽しいひと時を経ていても、心のどこかに「こんな時間のさなかにも、世界のどこかで紛争が起きている」という呪縛から、逃れられなくなってしまったのです。「日常の幸福」というものが、あの日を境に私から遠ざかってしまったのです。

 私は当時、「平和に罪悪感を感じるようになってしまった、自分自身を救う意味」で、「9.11の真相」を探るべく情報をかき集めました。
 しかし、どれも似たような情報ばかり。
 何故あれほどの悲劇が起きて、何故多くの人が亡くならなければならなかったのか――何故、あれだけ大きなビルが「まるで積み木を崩したかの如く」粉砕せねばならず、何故それを学者達は予見できなかったのか(仮に予見出来ていれば、消防士達の犠牲はもっと最小限に出来たことでしょう)、そうした私の疑問に対する明確な解答は、何ひとつありませんでした。

 ただ、事件から数ヶ月後、一度だけ「ツインタワーは『爆破』されたのだ」という記事を見かけました。(あまりに一瞬だったので、新聞でだったか、ネットでだったかさえ覚えていません。)その意味が当時の私には理解出来ず、もう一度読み直したいと思った為再び探したものの、結局見つかりませんでした。(再びその記事に出会したのは、7年後――つい先日のことです。)

 そんな疑問を抱く私を取り残したかのようにして、世界は新たな「紛争の渦」に巻き込まれていきました。
 未だ9.11にまごついている私を後目に、イラク戦争によって「さらに多くの人々」が犠牲になって亡くなりました。
 ですが、9.11以降、中東で起きた紛争の多くは「テロを理由とするには、あまりに不釣り合いな程の被害」を及ぼしています。
 これらの戦争には一体、どんな意味が隠されているのでしょうか? 9.11の事件性そのものが薄らいでしまう程、悲惨な現実が突きつけられているのは、何故なのでしょうか?
 まるで、私達を麻痺させて、9.11そのものを『些細なこと』と感じさせようとしているかのような数々の事件は、一体どのような意味があるのでしょうか。

 先述しましたように、私にとって9.11は「人生そのものをひっくり返してしまう程、衝撃的、かつショッキングな事件」でした。
 しかし、年数を経るに従い、「9.11は、その後に引き起こされる悲劇の幕開けに過ぎなかった」ということを実感せずにいられません。
 あれから8年。その間に、中東における紛争の犠牲者は一体どれほどの数でしょうか。少なくとも、9.11事件被害者の数倍、数十倍に至ることでしょう。  

 9.11当時の私の心境は、ただひたすらに「ビルの中で犠牲に遭った人々」および、「その遺族」達に注がれていました。
 崩れ落ちていくビルの中で救援を求めていた人達の恐怖を思うと、私は今でも胸が痛みます。実際に108階にいて、消防署に助けを求めてきた女性の録音再生を聞きました。彼女はこのように、叫んでいました。「床が次々と崩れていくの! みんな、巻き込まれて落ちてしまったわ!」
 高層ビルで仕事をしたことがある人なら、この恐怖をすぐさま想像出来ることでしょう。自分の足下が崩れ落ちていき、共に働いていた同僚や上司が落ちていく姿を目の当たりにした恐怖と哀しみ――それは筆舌し難いものがあるでしょう。

 こうした体験談を聞けば聞くほど、私の視点は「アメリカに同情的」になりました。
 今現在も、犠牲者の方々に捧げる想いは変わりません。しかし、今の私には強く「真実を知りたい!」という想いがあるのです。

 アメリカに同情的だった私にも、当時から拭いがたい疑問が残っていました。
 それは、「高層ビルって、あんなにも脆いものなのか?」という疑問です。
 今までにもビル火災って、普通にありました。しかし、どんな火災であれあのように「木っ端微塵」になってしまった例は他にありません。ジェット噴射が理由と言いますが、それはあまりに根拠薄弱ではないでしょうか? もし仮にジェット噴射がそこまでの高熱であれば、滑走路のアスファルトは溶けてばかりで、でこぼこになってしまっていることでしょう。

 その上――二棟も崩れ落ちるというのが、不可解でした。もしも「ツインタワーは、熱に弱い造りだった」というのが事実であったとしたら、何故、二機目が突入したビルの方から崩壊したのでしょう。熱を理由にするのであれば、突入から時間の経っているビルから崩れる方が自然な気がします。
 それと、「あれだけ空路に神経質なはずのアメリカが、観光機がルートを外れる」ことを許してしまったのか、ということです。管制塔はその頃、一体何をしていたのでしょうか?

 これらの疑問は、テロの事件直後からずっと私の中に横たわり、解決されないまま現代に至っています。
 しかし、昨今では「9.11はアメリカの自作自演」という説が強くなっています。
 ですが、それもまた私は容易に頷くことは出来ません。
 精神世界に携わっている人の中には、この事件をまるで他人事であるかのように「あれって、だって自作自演でしょ?」とせせら笑う人もいます。
 そういう考え方が、私は一番「大嫌い!」です。
 愛の反対語は「無関心」――マザーテレサの言葉を思い返さずにいられません。

 大体、自作自演だから、何だっていうのでしょう? あの事件で犠牲となった人達はみな実はスタントマンで、「いやぁ~、今日の役は難しかったなぁ」と言いながら、笑って帰ってくるとでもいうのでしょうか?
 真相は確かに見えていませんが――「多くの人達が犠牲になった」という現実からは、絶対に目を背けてはいけない、私はそう思っています。

 今、私は9.11や紛争に関する書籍を読んでいる最中です。9.11に関しては最近一部の出版社しか扱っておらず(ほとんどが「アメリカの経済崩壊」についてやオバマ氏の書籍ばかりです)、もはや忘れられつつあるも同然です。
 しかし、この事件は「今ある中東紛争を見つめる」為にも、絶対に必要なものだと――私はそう思います。

 同時に。
 私はこの事件の裏に、様々な「陰謀」が隠されているように思えてなりません。
 そして今もまだ、私達は「究極の真実」に気づかないまま、生きているように感じる今日この頃です。
 見かけだけの「真理」ではなく、「未来を見据えた真理」に到達出来るよう、私達は個々人の「判断力」を成長させる必要性を感じる次第です。

━━━━━━━━━━━(過去記事転載・以上)━━━━━━━━━━━━━━

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2009-11-27 | 真理 | トラックバック(0) |

2012年、それは「今」

 14日に公開したエハン・デラヴィ氏取材記事の中に書かれているのですが――「2012年。それはすでに『今』始まっているんだ」という内容があります。
 普通に考えたら「は?」って思いますよね。
 でも、この記事を読み込んで頂ければ、「何故そうなのか」理由が分かって頂けるはずです。

 時間の概念っていうもの自体、実は「相対的」なものなのかもしれない――私はよく、そんなふうに考えます。
 私が「時間が速くなっているのでは?」と感じたのは2005年からでした。私はもともと時間に几帳面な人で、家事にしろ何にしろ、ある一定の時間内に「きっちり」終わらせることが出来る人だったのです。←ズボラなところは、めっちゃズボラなのですが――(汗)。
 その計算がズレ始めたのが……2004年あたりから。「おかしいな。どんどん、時間が速くなっている」そう実感したのは2005年。でも、アセンションだのそんな言葉はいっさい知らない時期だったので、「気のせいだろう」で終わらせていました。
 しかし、時間の感覚はどんどん速まる一方。「あれ? このあいだ花見したと思ったのに、もう向日葵の時期?」「あれ? このあいだ初日の出見たと思ったのに、もう梅雨?」半年、数ヶ月、どんどん感覚は狭まっていきます。そして今年に関して言えば――「初日の出みたの、三ヶ月ぐらい前だよね?」そんなノリです(爆)。

 でも、これっておそらく人それぞれ「感じ方が違う」んだろうと思います。
 時間は「絶対的ではなく、相対的」。
 だからこそ、「楽しい」時間はあっていう間に過ぎ、「いやだな~」って時間は長く感じる。

 だとしたら――。
 「時間」という概念そのものが、私たちの意識に「反映しているだけのもの」に過ぎないのかもしれない。
 そんなものは最初からなくて、便宜上「人が作ったもの」でしかないのかもしれない。
 事実、地球の自転は実際の24時間よりも「ちょいずれている」という話を聞きます。本体である地球が「ちょいずれている」のに、無理矢理「24時間!」って決めたのは誰ですか? 神様ですか? 仏様ですか?
 ――違います。「人間」です。

 だから、エハン氏は取材の中でこう言っていました。
「2012年。それは『今』なんだよ」
 ああ――確かに、その通りかもしれない。私はそう感じました。
 「待つ」ものではない。
 それに「気づくこと」なのだと。

 時間の概念は「相対的」――私はこれが、ほぼ「真実だろう」と確信しています。
 でも、こう反論があるでしょう。「DNAの中には、老化を進めるプログラミングが入ってる。それが『時間』という制限のいい証拠じゃないか」と。
 では逆に聞きましょう。だったら「何故、アンチエイジングという言葉が存在するのか?」と。
 この言葉が存在すること自体、「老いは決して絶対的ではなく、相対的なんだ」という証明ではないのでしょうか?

 「時間」という概念を絶対的ではなく「相対的」として捉えるだけで、すべてのものごとは見方が変わってくるように思います。
 すなわち、「時間」は「外部を流れるもの」ではなく、「内側にあるもの」だと捉える――。そうすることで、多くの物事に対する視点がいっきに変わってくる――私はそのように思うのです。

 もっとも、このような境地は、大乗仏教における維摩経に書かれていた「不二の法門」によく似ています。
 私は維摩経の視点は、非常にしっくり来るものを感じます。この「不二」というのは、すなわち「二元論では『ない』」ということを示すものなのです。
 維摩居士は在家信者であり、現実世界の中からの覚りを重視していたとされ、二つの対立概念を超越した一元論に立ち返る重要性を唱えています。

 結局、アセンションの問題にしても「ここに立ち返るのではないか」と、そう思えるのです。
 時間という概念を「外側」に置くか、或いは「内側」に置くか――実はここですでに、「アセンションの境界線」があるのではないか、そう感じるのです。
 だとしたら……もうすでにそれは「始まっている」。私もエハン氏に取材した後、改めてそんなふうに思いました。
 「形」や「外部」にあるものではなく――すべてが「意識」から生じているのだとしたら……何よりも「意識の気づき」が大切なのだとしたら――。

 2012年という現象に注目されている「今」こそが、実は「すでに2012年なのだ」――と。
  
 でも、仮にそうだとしても――1つだけ、大きな疑問が残ります。
 「何故、そのことに人々が気づいたのが『今なのか』」ということです。
 今まで誰も、「時間が速まっている」なんてことを口にしなかったにも関わらず、何故、今になって「時間が速い」「いや、時間は相対的なんだ。だから意識の視点だけで時間の感覚が変わるんだ」なんてことをみなが言い出したのでしょう?
 これは、ひとつの大きな謎ですよね……。

 時間の感覚に関しては、誰かが言っていたから吊られて「そう思う」というものではないような気がするのです。
 個々人の中における「五感」に等しいぐらいはっきりとした感覚だと思えるので、仮に周りで「時間が速まっている」と騒いでも「そう? 私は全然、10年前から変わらないけど?」という意見があって当然なのに――。

 人類が一斉に「時間という概念」の意識を変える「その瞬間」。
 それさえも「すでに仕組まれていた」のだとしたら――何だか恐ろしい話ですね(笑)。
 自分という存在は、まるで巨大な物語の中に組み込まれた「ひとりの登場人物なのかもしれない」そんなふうにも思えてしまう今日この頃です。


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人間の理想像は「デクノボウ」

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク

決シテ瞋ラズ(いからず)

イツモシヅカニワラツテヰル

一日ニ玄米四合ト

味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジヨウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ

ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ陰ノ

小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ

行ツテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ

行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ

北ニケンクワヤソシヨウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒデリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボウトヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハ

ナリタイ



 有名な宮沢賢治の詩「雨ニモ負ケズ」
 私はいつもくじけそうになる時、この詩を何度も朗読します。
 この詩は公に発表されたものではなく(宮沢賢治の作品のほとんどは、死後評価されたものばかりです。「注文の多い料理店」は自費出版されたもののあまりにも売れなくて、宮沢賢治自身が自分で買い取っていたという逸話もあります)、彼がメモ書きにしていたものを、宮沢賢治の死後、谷川俊太郎(詩人)のお父様が見つけたものです。

 この詩を読んだ時、まず最初に何を感じたのでしょうか。
 私だったら――言いようのない感動と衝動に、心を打ち砕かれていたことでしょうね。

 私は最近、この「宮沢賢治の精神」に繋がるような方との出逢いがありました。
 Ureさんのお父様です。  
 私はUreさんとの出逢いに感謝するばかりでなく、お父様の生き様――エピソードに激しく心を打たれました。何故なら、今の私にとって「とても勇気を授けてくれるエピソード」だからです。

 Ureさんのお父様は、岩手県岩泉町にある「龍泉洞」の発掘者だそうです。
 私は14年前、東北旅行をした際に偶然そのポスターを見かけ、予定外だったにも関わらず「絶対に行きたい!」と無理強いし、3時間かけてその場まで行きました。
 龍泉洞の美しさは――本当に筆舌し難いです。「神秘」という言葉は、まさしくあの場に相応しい。
 しかも、そこを発掘された方の娘さんであるUreさんと出逢ったというのは、偶然では決してないだろう――そう思います。

 私が何よりも心を打たれたのは、龍泉洞を発掘しようと決意した際のお父様――早野隆三さんの生き様です。

 「この2万人の岩泉に、20万人の観光客を呼ぶ」

 そう決意し、人々の物笑いの種になりながらも、その信念を貫き、あれほどまでに美しい場所を人々に提供したのですから。
 しかも、そこには「私利私欲」いっさいなかったのです。
 人は、周りの評価云々ではなく、「信念で行動しなければならない時」というものがあると、私は思います。
 そして、Ureさんのお父様である早野氏は、それを実感されていたのでしょう。
 それがどれほど辛く、苦難な道のりだったか――私は想像するだけで、心が震えます。それをひたすら、黙々と行動された早野氏の生き様に、私はただただ、ひれ伏すばかりです。
 その後の顛末については――詳しくは「龍泉洞・宇霊羅」にてお読みください。
 でも、Ureさんのお父様は――「決シテ瞋ラズ」……この境地に達していたのだろうと推察します。

 私は常々思うのですが――霊性の高さは、必ずや「人格に比例する」――そう思います。
 エハン氏の取材記事にもあったように、「謙虚さ」がキーワードなのだろう、そう思えるのです。
 そして、ガンジーにしろ、マンデラにしろ、マザーテレサにしろ、彼らは自分のことを何ひとつ公言せず、ただ「行動」だけで偉大さを人々に知らしめました。

 人にとって、本当の「素晴らしさ」を語ってくれるのは――言動ではない。
 その人の「行動」であり「生き様」なのだということを、私は改めて実感しました。

 私が宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」を繰り返し読んで思うのは、いつもそのことです。
 人の評価、周りの目、プライド――そんなものは、「いっさいかなぐり捨て」て、何もない「デクノボウ」となれることこそが、本当の理想像なのではないか、と。
 勿論、世の中きっと皆それぞれの目指す「理想像」があるのかと思いますが――私が一番目指しているのは、まさしくこの「デクノボウ」であり、かつ、Ureさんのお父様――早野隆三さんのような生き様です。

 理解する人がたった1%しかいなくても、
 「行動」と「生き様」により、人々は心打たれ、動いていく。
 人の感動は、「理屈」ではなく「こころ」に働きかけるからです。
 「こころ」が動けば、同時にそれが「理解」出来る。
 「あたま」だけで理解しても、「こころ」が動かなければ、それはただの「表面的な鵜呑み」でしかない。

 そして、人の「こころ」を動かす一番の原動力は「生き様」であり「行動」であり――私利私欲を捨てた「デクノボウ」の境地なのだと、私はそう思っています。

【参考までに】
 龍泉洞 
 Ureさんのブログ「龍泉洞」
 (21:32追記)Ureさんが美しい龍泉洞の写真を公開してくださいました!
 これが龍泉洞だ!
 

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2009年12月12日 新宿にて開催


根拠のないアセンション論などではなく、現実問題、およびそこから派生した考察に基づいた対談を予定しています。今や、「不思議な現象」というのは誰もが体感する「普通のこと」となっています。それだけ、時代の加速化が進んでいる証拠でもあるのでしょう。
私自身の体外離脱体験は、ただ「体験すること」を目的にしていたのではなく、「新たな時代を創造すること」を目的にされていたのだということを、最近痛感する次第です。
お時間のある方は、是非ご参加くださいv
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2009-11-24 | 真理 | トラックバック(0) |

「終わりなき日常」は巨大なマトリックス

「終わりなき日常を生きろ」

 この本は、オウム真理教事件をきっかけに、何故このような事件が起きたかを社会学者・宮台真司氏がまとめた本です。
 オウム真理教については、1989年に起きた坂本弁護士事件や、教祖の麻原彰晃の選挙活動で、もうずいぶんと長いこと注目はされていました。また、「朝まで生テレビ」などでも出演したことがあり、新たなカルト教団として絶賛されたこともありました。
 ですが、その周辺には血生臭い事件も多く、サリン事件に至るまでもいろいろな意味で注目された宗教団体です。

 しかし、よもやあのような「東京の地下鉄」を巻き込む大規模なテロ事件を起こすとは、誰も予想だにしていませんでした。
 私は当時大学に通いながら、医療系出版社でアルバイトをしていたのですが、一報を聞いた時は何が起きたのかまったく理解出来ませんでした。バイト先は豊島区の大塚だったので「場所が離れていたから、誰も被害にあわなくて良かったけど……自分たちもどうなっていたか分からないよね」と、社員の人に話しかけられたのを憶えています。
 そして、その本当の容疑が「オウム真理教」であったことが分かった途端、人々はアレルギーを起こすかのように宗教拒否、精神世界分野への拒否反応を示しました。
 そんな中、「何故、このような事件が起きたのか」――それを詳細に分かりやすくまとめ、かつ「このような事件が二度と起きないように」として書かれた本が、この「終わりなき日常を生きろ」です。

 この作品における要旨としては、「オウム真理教に入信する人のほとんどは、終末論を信じていた。すなわち、毎日続く日常に閉塞感を憶え、それを『終わらせてくれる』のがオウム真理教だと信じていた。しかし、日常は果てしなく続く。その日常を受け入れて生きていくことこそが、人間にとって必要なことだ」というものです。
 当時はちょうどバブル経済崩壊から三年後あたりで、就職氷河期とも呼ばれ、物質主義の華々しさが一転し、何を信じていけばいいのか人々が混迷している時代でした。その中で、そうした「この日常を、受け入れなければならない」という宮台氏の叫びはセンセーショナルで、当時の多くの学生達に受け入れられました。

 しかし――勿論、反論もありました。
 まぁ、世の中有名になった著名人に対して反論する人々は少なからずいるものです。しかし、もっとも私の中で印象的だった反論者は、「トランスパーソナル心理学」の代表者でもある「諸富祥彦氏」の反論でした。

 当時の私は、宮台氏の意見に同意しつつも――どこかで「別の答えがある」、そう感じていました。
 そして今――当時から14年経て漸く、その答えが見えつつあります。

 宮台氏の意見の何が、私の中で抵触したか。
 それは、「日常とは、社会システム論から派生している」ということです。
 すなわち「日常を生きろ」というのは、「日常」というシステムに準じるあり方でしかなく、個性から派生した日々ではない――あくまでも「マトリックスを受け入れろ」というのと、同義語なのです。
 それは「間違ったあり方だ」と、今の私は確信しています。
 残念ながら、諸富氏の反論については書籍を立ち読みしただけだったので、細かくは詳細をあげられませんが、今は彼の反論の方が正当性がある――そう感じています。

 オウム真理教事件が、何故起きたのか。
 今であれば、理由が明確に分かります。
 信者の多くは「個性を抑圧された教育の被害者」でもあったのです。
 あの宗教団体に参加していたほとんどの人が、東大のインド哲学科や医学部、理学部など、俗に言う「エリート」ばかりでした。
 何故、そのような人達がオウム真理教に魅せられたのか。それは、彼らが「終末論の先にドラマを提供したから」ではなく、「個性という目覚め」を提供していると、そう受け取ったからに違いありません。(たとえそれが、方向性の間違えたものであったとしても。)
 また、オウム真理教の中に目立ってあったのは(これは、どの宗教団体にも総じてあるものですが)「選民思想」です。
 すなわち、「自分たちは、選ばれし者である」ということ。
 この罠に、とかく人々は陥りやすい。とくに、「個性を抑圧され、自分というものを鑑みる機会が与えられなかった人達」にとっては。
 オウム真理教が信者に提供した夢はまさしくこうした、「個性を抑圧した社会からの解放」であり、自分が選ばれた者であるという優越を感じることで、コンプレックスを乗り越えるという不健全な形での「個の派生」だったのです(今の時代でもそれを引きずっているのは、言うまでもありません。「アセンション」という言葉の中で、「自分たちは選ばれている」と言ってる人達が周りにどれほどいるか数えてみれば、一目瞭然でしょう。本当に選ばれた人というのは、「不言実行」です。何も言わずに、ただただ「行動」だけでそれを知らしめているはずです。)

 この本には、1995年に起きた阪神・淡路大震災の時も、多くの学生達が「ボランティア」に行ったという記載がありました。しかし、それは彼らが「非日常に憧れていた」のではなく、「自分が何か、役にたてるのではないか」という「個性の役立ち」を求めていたからなのだと、私には思えるのです。決して、物見遊山ではなかっただろう――と。
 何故なら、人はそんなに「変化」を好む存在ではありません。もともと変化よりも「安定」を好む人々が、何故、そのような行動をとるかと言えば、「『私』という存在に通じる何か」を求めていたからに過ぎない――すなわち「個性」に応じた活動を求めていたからに過ぎないのです。

 「終わりなき日常を生きる」ということが、何故間違っていたのか――それは、今の現代日本社会を見れば、一目瞭然です。
 あれほど宗教叩き、精神世界叩きがあったにも関わらず――今はどうですか?
 あちこちに、当時以上のスピリチュアリズム、精神論、ものすごく蔓延していませんか?
 それは、彼らが「終末論」によって「ヒロイズム」的発想を刺激されたからでも何でもありません。

 そうではなく――「自分という『個性』を見出したい」その思いが強かったからに過ぎないのです。

 個性を無視した日常――ただのシステム論は、いずれ崩壊します。今や、すでに崩壊しつつあります。「取り替え可能な社会」なんてものは、もうすでに滅びの一途を辿っています。いえ、それが滅ばずに個性を無視して社会が存続するのであれば、残念ながらこの世に希望は持てません。

 2012というキーワードは、終末論のように見えつつも実は「暗号なのではないか」と私は思っています。
 要するに、システム論的に「外部の規律に依存していた人達」のスイッチを入れ替え、「自発的に生きられるよう切り替える為の暗号」
 内面的気づきに至れない限り、いつまでたっても世界は変わりません。それこそ、「終わりなき日常を生きる」だけです。

 でも、人間はそんな「平たい存在」ではないはずです。
 もっと奥深く、もっと多様化で、もっと複雑で――そして、もっとも「感性がある」。
 システム的に存在する「日常」を、ただただ毎日、終わりなく寿命が来るまで生き続けるか――
 或いは、自発的目覚めに至って、「日常」を自分を中心軸に据えられた「自常」に変えられるか――
 すべては、みなさん個々人の「気づき」にかかっているのでしょう。



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終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫)終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫)
(1998/03)
宮台 真司

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「宮台真司」をぶっとばせ!―“終わらない日常”批判「宮台真司」をぶっとばせ!―“終わらない日常”批判
(1999/01)
諸富 祥彦トランスパーソナルな仲間たち

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映画「2012年」

 映画「2012年」が明日から封切りされます。
 私は12月12日のセミナーの参考とする為に、観に行く予定ではいます。
 ただ、この監督の映画作品、私はあまり好きではありません。Amazon風に言えば、「インディペンデンス・デイ」は☆★★★★、「ザ・ディ・アフタートゥモロー」は☆☆★★★、っていう程度の評価です。
 特撮技術は素晴らしいですが、あまりにも内容が短絡的な上、「ハリウッド映画の定番」といった感じなので――今回も、なかば「ブーム」に乗ろうとしているだけなのではないかなと、最初から穿った目で見ている私です(苦笑)。

 そもそも、根本的に「アセンション」を間違った捉え方をしているような気がしてなりません。
 予告編ムービーも見ましたが……やはり「物質的概念」としての捉え方しかしていないように思います。
 私が思うに、崩壊はすでに「起こって」いて、それは「人間の意識内部」における崩壊――とどのつまりは「既存システムの崩壊」なのだと、そう捉えています。
 文字通り「世界が滅びる」とか「カタストロフィーが起こる」という示唆ではない、「既存システムに依存していた人達における、内面的価値観の崩壊」であり、同時に「再生」なのだと、そう思えるのです。
 だからこそ、確かに「既存システム(企業の肩書き、雇用、就職云々)」に頼り、自分の意識で何かを決意し、覚悟して生きていくということが出来なかった人にとっては、これからは厳しい時代になるかもしれませんが(事実、就職難の波はすさまじい上に、時給の低下も著しいです。都心の時給も、大体今から20年前ぐらいの相場まで落ちました)――逆に「自らの意志で決定し、目標意識の中で生きよう」とする人にとってはむしろ「いい時代」になっていくはずです。

 ここでも何度も書いたように、「二元論」という考え方そのものが、すでに限界に来ているのです。
 だから逆に言えば、「変にスピリチュアリズムばかりを主張し、瞑想しなければアセンション出来ない」といった言い方をする人達もまた、違った意味で「二元論」に落ちた人であり、「物質主義」と何も変わりはありません。形が違うだけで「同レベル」です。
 そうではない――もっと「一元論」としての立場が、本来は正しい「アセンションの解釈」なのです。
 だからこそ、「光しか見ない(世の中のいいことしか見ない)」という立場も私は「否定」します。何故なら、それもまた「二元論(光しか見ない)」だからです。
 本来は「世界の光、闇、両者を共に見ることこそが正しいあり方」であり、「どちらか一方」では駄目なのです。
 物質主義だけでも駄目だし、また、スピリチュアリズムだけでも駄目。
 それらは「コインの裏表」のように、「同じひとつのものなのだ」という視点が、今後私達に求められる視点ではないかと、そう思うのです。

 例えば――。
 今の政治、社会問題、福祉、何から何まで――すべては「私達のかつての思念の反映」であるとするならば、「今の私達の意識レベル」が変わることで、未来も大きく変わるはずです。
 思念が現実化するというのは、皆さんも身近で何度も感じているはずです。それをただ認識していないだけで。
 こんなこと、体験したことありませんか? 
「何かあの人、嫌な感じだ」――初対面でそう感じ、実際つきあった後、やっぱり人間関係がこじれる、ということが。
 そうなった時、このように思いませんか?

「ほら! やっぱり嫌な予感が的中した!」と。

 でも、そうではない――「予感」だったのではなく、その時感じた「思い込み」が、そうした嫌な事象を「逆に引き起こしていた」のだとしたら?
 人は「予感」と「思念の引き起こし」を別々に考えてしまいがちですが、実際は「同じこと」なのです。
 「こうなるんじゃないか」「ああなるんじゃないか」そう思っていたことが、「ただ現実化している」というだけのこと。
 「私が今、これに『このように』引っ掛かっているっていうのは、何かあるのかしら?」
 そう思ったら――現に未来、それは「実際、起こるでしょう」。
 そのぐらい、思念というのは如実なまでに現実化していくのです。ただ、それを人がそう把握していないというだけの話で。
 勿論、「まったく予想外の出来事」というのも多々あります(現に私が今やっている活動も、そうです。まったく予期していないまま、気がついたらこうなっていました((笑)))。そういうのは、思念の引き寄せとはまったく別の意味で、理由があるのかもしれません。

 世の中には「説明出来ないこと」だって、沢山あるのです。
 それをすべて「理解できる」とするのはただの傲慢でしかないし、愚かな人間の足掻きでしかありません。バベルの塔ではないですが、天に向かって矢を放つようなものです。
 だからこそ、2012年に何があるかは――正直言って私にも分かりません。(というか、もし「分かる!」と断言している人がいたとしたら、ちょっと注意した方がいいと思います。)
 でも、「何があるか」が重要なのではなくて、「自分はどうするか」の方が重要なのです。それは、エハンさんが取材記事の中でも言っていた通りですし、私もずっと常々そう感じていて、この活動に至っています。
 私は「生き残る」ことが目的ではないし、生命の存続を目的にもしていない。
 しかし、「恐怖に怯えて生きるよりも、1%の希望に賭けて生きた方が遙かにいい」――それが私の姿勢です。
 もしも大きなカタストロフィーが起きたにせよ、その後にあるのは「再生」であるということは断言出来ます。
 だとしたら、その再生にかけて「今、ここで」何かを始めることの方が遙かに大切だし、遙かに意義のあることではないでしょうか?

 映画の予告編は「ショッキングな場面」ばかりが流れていましたが、結末としてどういう風に持っていくのか――それはちょっと期待してみようかなと思っています。

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スポイルされた人智学(アントロポゾフィー)

 未だに篠崎の眼精疲労は、良くなる様子がありません(涙)。
 一番辛いのは……クリックする場所が良く見えなくて――間違えて「記事を消してしまうこと」です。(実はこの記事……二回目です……orz)
 こんな状態ですので、今日はもう一日目を休ませる時間とさせて頂き、明日以降、メールマガジンの発行をさせて頂きます。

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2008年2月22日 過去ブログ「思考世界」より転載

スポイルされた人智学(アントロポゾフィー)

 シュタイナーを研究すればする程、ある種の「壁」に突き当たります。
 それは、一般的に理解されているシュタイナーの印象と、主軸とされる人智学(アントロポゾフィー)の間に生じた深い溝についてです。
 日本においてシュタイナー教育は非常に盛んですし、子育て中の篠崎姉(哲学にはまるで無縁)でさえも「シュタイナー」の名は知っています。英才教育など幼児教育に力を入れているお母さん達であれば、おそらく少なからずはシュタイナーの名前を知っているはずです。
 一方、オカルティスト(私はこう呼ぶよりも、純粋に「哲学者」と呼びたいのですが――)としてのシュタイナーも有名です。しかし、その印象は教育方面におけるシュタイナーとはまるで別様に解釈されている側面も高いです。(事実、シュタイナーがこうした神秘学について論文を書いていることを知らない知人も複数いました。)
 農業や芸術といった方面でもシュタイナーの評価は高いですが、その基盤に存在する人智学(アントロポゾフィー)の影は「薄い」――私にはそう思えてなりません。
 本来であればすべての活動の基軸となるべき思想であるにも関わらず、何故、これほどまでに重要視されていないのでしょうか。

 その原因について、いくつか考えることが出来ます。
 まずひとつめは、人智学(アントロポゾフィー)樹立当時すでに、その深遠なる思想を理解出来る仲間達が少なかったという可能性です。
 シュタイナーはもともとブラヴァツキー夫人が立ち上げた神智学協会に参加していましたが、意見の食い違いにより協会を脱会した後、人智学(アントロポゾフィー)協会を立ち上げています。
 神智学協会における姿勢というものは、シュタイナーが目指した「自我を持ったままでの超感覚的世界の認識」というよりは、やはりどこか浮世離れした「純粋なる超感覚的世界の追究」――仏教で言うところの「小乗的」、或いは「出家主義」的印象が拭えない節もあります。
 一方、シュタイナーの目指したものは先に挙げたような形で「感覚(現実)的世界」での歩みを無視して行うことは出来ず、これは仏教で喩えると「大乗的」であり「在家的立場」と言えるでしょう。
 しかし、往々にしてこうした「霊的行と日常生活との両立」が困難極まりないことは、言うまでもありません。シュタイナー自身も、仲間達が現実問題ばかりに追われてなかなか人智学(アントロポゾフィー)を追究出来ない姿勢に、迷いも抱いていたようです。(シュタイナーの著した「人智学指導原則」やアントロポゾフィー協会に向けて書かれた書簡を読むと、様々な試行錯誤の跡が窺えます。)
 確かに、これだけ情報豊かな時代、および自由な発想が出来るようになった現代であっても、シュタイナーの霊的宇宙論などは「難解」と思われて仕方ない側面もありますし、霊的行を著したとされる「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」に書かれた方法も、そうそう容易く出来るような代物ではありません。
 そう考えると、今から百年ほど前に生きる人々にとってはもっともっと「難解」だっただろうことは、想像するに難くありません。

 理由のふたつめとしては、イデオロギー的なものです。
 先日ここでもお知らせした「人種差別問題」などにおけるような、そういった背景がある中で、「人智学(アントロポゾフィー)を強調する」ことがかえって「宗教の教義と錯覚される危険性がある」と考えたのではないか――ということです。
 実際のところ、シュタイナーが病床につきながら執筆したとされる「人智学指導原則」の中で、そのような誤謬をうむと思われる箇所はありません。しかし、偏見に満ちたフィルターで読み解けば、どんな文章でも誤解に至る危険は伴います。
 また、ヨーロッパではどうかわかりませんが、日本においては「人智学(アントロポゾフィー)を前面に出すことで、怪しい新興宗教と勘違いされる危険性」というのは自ずとついて廻るでしょう。
 日本人はとかく「宗教問題」や「カルト教団」といった問題にアレルギーを持っています。しかし本来、このアレルギーこそが、新たなカルト教団問題を生み出していることに、ほとんどの人が気付いていません。
 何かしら思想めいたことを言えば、「ああ、あの人は宗教者だ」「きっと勧誘されるに違いない」だのと耳を塞いで思考しようとしないからこそ、教義が本物か偽物かも判断出来ずに騙されてしまう人が出てきてしまうのです。
 要は、「教義内容を検証せず、鵜呑みにするような人達を作ってしまう」という背景に、この「日本における宗教アレルギー」があるような気がしてならないのです。マスコミや教育の現場が「宗教的情報を遮断しよう」とすればする程、協議内容を検証する思考基準がなくなってしまうからです。
 本来「きちんと思考しよう」とすれば、その教義に根拠があるのか、或いはそうでないのかは、一般人であってもすぐに判断出来るはずなのです。そうした思考する基盤自体が、過剰なアレルギー反応故に今の日本においては揺らいでしまっていると、言わざるを得ないでしょう。

 勿論、人智学(アントロポゾフィー)は宗教ではありません。
 私自身が読んで感じるのは、やはり「哲学書のひとつ」だということです。
 何故なら、シュタイナー自身は一度も「信じれば救われる」なんてことを言っていないからです。
 前回のブログで「まずは信じる」ことを薦めましたが、これは「そうすれば救われる」ということを言っているのではなく、「傾聴する謙虚さを持てる」ということを言っているのです。日本人はそのあたりを混同しやすいのですが、「傾聴する」ことと「鵜呑みにする」ことは、「まったく別もの!」なのです。
 シュタイナーも、神秘学における講演録の中で何度も「傾聴の必要性」を説いていますが、「鵜呑みにしろ」とは一度も言っていません。むしろ、著書「神智学」の中ではその姿勢を咎めてさえいます。
 この「鵜呑みにさせない」こと自体が、「哲学書であることの証明」に他なりません。何故なら、読者の自主性や思考性なくして、読み解くことが出来ないからです。
 しかし、宗教書は違います。
 宗教書は、まず何はともあれ、信じることを薦めます。そして、祈ることを薦めます。そこに、思考の余地はありません。思考することは、「神を疑うこと」になるからです。

 本来、人智学(アントロポゾフィー)――私がここで何度も言ってきた「霊学」のことでもあるのですが――は、万学の基盤となるべき、根幹の思想だったはずです。
 だからこそ、シュタイナーは教育学、医学、農学、芸術、政治学、経済学、さまざまな分野でこの人智学(アントロポゾフィー)を基軸にしながら枝葉を伸ばしていったのでしょう。
 本来、こうしたすべての学問における理論――グランドセオリーともいうべき思想は、なくてはならないもののはずです。ところが人類は、科学の発達に伴い枝葉部分ばかりに注目し、その根幹に何があるのかを見失いつつあります。だから社会が複雑化していくにつれ、心の空洞化が起きてしまうのではないか――私にはそう思えてなりません。

 もし、これからも人類が地に足のついた発展を望むのであれば、今いちど自分達の立つ位置を見返し、「自分達の思想基盤」というものを考える必要性があるのではないか――私はそう思っています。
 私達がもたもたしていたところで、時代は待ってなどくれません。国際化の波はどんどん広がっていき、グローバリズムの是否を問う暇もなく、人種の混合と拡大は進んでいきます。
 その上、地球環境だって待ってはくれません。(※先日、映画「EARTH」を観に行って来ました。それについての感想は、また後日改めて。)
 私自身は、そうした思想基盤になりうるものとして「人智学(アントロポゾフィー)」を重要視しています。
 しかし、みんながみんなそうでなくてはならない――というのではありません。思想も信条も、すべては自由です。しかし、唯一の条件――それは、「狭い範囲の人々のみ優遇される思想」ではあってはならず、「これからの国際社会を受け入れられる、耐えられる思想」という条件さえクリアしていれば、どんな思想でもOKだと私は思っています。(裏を返せば、ごく一部の民族のみの救済を語る教義は、その見直しがはかられるだろうことを願っています。)

 「第六文化期における使命」でもさんざん書きましたが、自我の育成に必要なのは「基盤となる思想の構築」です。
 このブログを読んで下さっている皆さんが、皆さん自身の価値観や心情に応じた「哲学」を構築して頂くことを、心から願っております。


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2009-11-19 | 真理 | トラックバック(0) |

新時代における「スピリチュアリズム」のあり方

 最近、毎日のように「新たな時代の『スピリチュアリズム』のあり方とは、果たしてどのようなものだろう」ということを模索しています。
 エハン氏の取材内容を読んで下さった方は、「既存スピリチュアリズムのあり方に問題がある」というのを実感したことと思われます。しかし、私の立場は「だから無意味」という立場ではなく、「それにも意味があったんだ」という捉え方をしています。

 要するに、「次なるステップに至る為、『必要な過程だったのだ』」という意味で。

 昨日の日記で、痛烈(笑)に「宗教アレルギー」の世相批判をしましたが、私自身、宗教が「決して正しい」と思っているわけではないのです(思ってたらとっくに、どこかの宗教団体に属してます。無宗教であるというのは、それなりのポリシーと信念があるからです)。
 でも、「そこを経なければならない(宗教という組織を時代が経なければならない)過程」があったからこそ、こういう「既存宗教のあり方」があったのではないか――そう思えるのです。

 すなわち、「どんなものにも『間違い(失敗)』はないのだ」というのが、私の姿勢です。
 この二元論的社会概念も、支配・被支配階層を生み出した不平等な世界観も、貧困層から抜け出せない人々を生み出すよう作られた資本主義も、戦争も、紛争も――何もかも「間違い」なのではなく、「次なる段階に至る為の、過程」だったのではないか、とそう感じるのです。

 だとしたら――。
 この二元論的世界における「大いなる問題」とは何か――と言えば……。
 答えはそのまま。

 「二元論」です。

 善か、悪か。白か、黒か。光か、闇か。勝ち組か、負け組か。英雄か、罪人か。
 そうした「二つの側面」におけるクローズアップそのものが、現代世界における問題をすべて積み重ねてきているのです。
 戦争にしたって、そうでしょう。
 貧困にしたって、そうです。
 問題はどんなに複雑化多様化しているように思えても、実はその糸をずっとずっと辿っていけば――結果的には「分離(二元論)」に行き着くのだというのを、私は実感しています。

 でも、そうではない――すべてはどんなに「多角的」に思えても、それは「ひとつのものの象徴」に過ぎないのです。
 エハン氏の取材記事内にあったように、「目の見えない人達が、象のあれこれ一部分を触りながら、『これが口だ』『これは鼻かな?』」と言っているようなもので、結局は「象」というひとつの存在を触っているに過ぎない。

 もし、世界的な問題、様々な問題を考えていくのだとしたら、意識を「一元論」的に持っていく必要があるのだと――そう実感します。
 しかし、ここで誤解をしていただきたくないのは、それはただ単に「ワンネス」という一言で括られるものではない、ということです。

 みんなが個性を持ち、
 みんなが独自の自我を持ち、
 みんなが個別の主張、個別の信念、個別の思想を持っていながらも、
 それでも「結果的にひとつなのだ」という視点に立つこと。

 そうでないと――とんでもない「過ち」……それどころか、「二元論」よりももっと最悪な地獄となってしまうからです。

 みんなの個性を抑圧して、ひとつの主義に従わせ
 表現の自由を認めず、すべてに検閲が入り、
 少しでも周囲と違ったことをすれば、犯罪者とされてしまい、
 そして――「システム的にひとつなのだ」という「一律的ワンネス主義」。

 こうなってしまったら、世の中「終わり」です。
 このブログでも何度も言ったとおり、「高次における全体調和は、『システムからは派生していない』」――あくまでも「個性から派生している」のです。
 だから、「個性が絶対的に重要」であり、かつ「個人の目覚めが、絶対的に最優先される」のです。

 何故、今多くの人が「自分探し」だの「自分が分からない」だの言ってる方が多いか――お分かりですか?
 実は、日本が気づかないままに「システム論」に陥っていたからです。
 「恥の文化」と言われていた日本は、いつの間にか「朱に交われば赤くなる」的に、周囲と迎合することばかりを強要する教育を優先させ、個性を育てるよりも「周囲に協調させることばかり」を優先してしまったからです。
 だから「ゆとり教育」も結果的に失敗してしまいました。何故なら、その「ゆとり」を教える教師の世代が「ゆとり」を知らなかったからです。本当の意味でゆとり教育をするのであれば、もっと事前に教育理念を明確にすべきだった――「ゆとり教育」が導入される前から、私はずっとそのことを叫び続けていました。「そうでないと、ただの無意味な奔放教育にしかならないよ」とそう叫んでいたのです……が、誰もそんなことは提唱せず。
 結局「私が思った通りになっちゃったなぁ」って感じです。(私が酷く憤りを感じるのは、こういう時です。何で私のような平凡な人間が気づけることを、知識人としてふんぞり返っている人達は「気づけないのか?」と。知識人として印税もらってるんだから、もっとまともに「頭使って叫んでよ!」と、そう思います。)

 では、「個人の目覚め」「個人の自覚」は如何様に出来るかと言えば――エハン氏も言っている通り、「方法論ではない」のです。
 例えば、私はリアルなまでの体外離脱体験を多数繰り返していますが、この体験をみなさんにどんなに指導したくても「出来ません」。もともと私はそれを誰かに教わったわけでもなく、生まれついた時からの体質だった――としか言いようがないからです。

 また、神秘体験も同じことですよね。
 中には、同じものを同じ場所で目にすることもあります。私は子供時代、友人と一緒にUFOを目撃しましたが、こういうのは本当に「同じものを、同じ体験で共有出来るもの」です。
 しかし、神秘体験――それも瞑想や離脱といった体験は、そうそう人と共有できません。勿論共有出来る人もいますが、共有出来ない人は「何で出来ないんだ!」というところで不満を感じるのではなく、「方法論ではないのだ」ということに気づいて欲しいのです。

 方法論ではなく、どうやって人々に「目に見えない世界」を提示していけばいいのか――いくらでも説明のしようはあります。(ただ、説明したからといってご自身が腑に落ちるか落ちないか、は別問題です。それは皆さんそれぞれの考察力によるので――)
 もしかしたら、「新たな時代のスピリチュアリズムのあり方」とは「まさしく、それなのではないか」――そう思っています。
 要するに、現実世界――普通に生きている人達も、酸素を感じるように、肌で感じるように、目に見えない世界との絆を取り戻せる「一元論」的な世界。それこそが、新たなる時代なのではないかと、そう感じるのです。

 そういう意味でも、私は「霊感ありません」「瞑想しても何も分かりません」、そういう人達にひとりでも多く分かりやすいよう、「目に見えない世界」を伝えていきたい――そう思っています。
 そしてこれは、ある意味で「アセンション後」の世界に、充分「必要な意識」だと思えるのです。
 私自身は、リアルな体験を通じて何度も目に見えない世界との交信や、実際にその世界を体験してきました。
 勿論、それは「証明」出来ません(笑)。「方法論ではないのだ」ということを、先程も言いましたように。
 しかし、私はそうした体験を通じて「目に見えない世界の存在」を100%確信しています。
 だからこそ、私はそれを「三次元の文献」の中から紐解いて、かつて偉大な書籍を残してくれたルドルフ・シュタイナーやスウェデンボルグ、直感的に導かれていたとしか言いようのない科学者達の理論に基づいて、今後説明していく術を探していくことが出来るのでしょう。
 何故なら、それは「(見えない世界について)確信を持っている者にしか、出来ない役割だから」――私はそう、感じています。

【追伸】
 ここ連日(エハン氏の取材が終わってからだから――約2週間以上に渡って)目を酷使した為か、ひどい眼精疲労で、ほとんどろくに文字が読めなくなってしまいました。(視力が下がったわけではなく、ただ単に眼精疲労が原因です。もともと私は眼圧が高く、医者から「失明の危険があるので、目の酷使には充分注意してください」と言われていたンですけどね~((苦笑))←笑って誤魔化す。)
 ですが、ブログの更新やメルマガの発行に関しては続けていきたいので、メールのお返事、メッセのお返事ついては――ごめんなさい、出来ない場合も多々あるかもしれませんことを、どうぞ御了承ください。
 また、そんな事情によりきちんと読み直しが出来ていないので、もしかしたら誤字・脱字などもあるかと思いますが(それはいつものことかな;)御了承願います。
※今日は半日目を休めていたので、昨日よりは回復しました。1日半日だけでも休むようにしていれば、すぐに回復すると思いますので、今しばらく御了承願います。


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2012年問題、アセンション、体外離脱先で得た体験を元に「未来の地球予想像」を語る「対談セミナー」を行います。

「2012年『後』・地球の未来を創造する」
2009年12月12日 新宿にて開催


根拠のないアセンション論などではなく、現実問題、およびそこから派生した考察に基づいた対談を予定しています。今や、「不思議な現象」というのは誰もが体感する「普通のこと」となっています。それだけ、時代の加速化が進んでいる証拠でもあるのでしょう。
私自身の体外離脱体験は、ただ「体験すること」を目的にしていたのではなく、「新たな時代を創造すること」を目的にされていたのだということを、最近痛感する次第です。
お時間のある方は、是非ご参加くださいv
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地球の未来についてご提案、ご意見などがありましたら、是非コミュニティに参加して頂ければと存じます。(分野は問いません。医療分野、社会分野、教育分野など、様々な視点で「地球の未来」および「理想的な社会・国家」を探求したいと思っています。お気軽にご参加ください。)
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「地球の未来を想像する」公開しました。

 メインサイト「創造する」の姉妹版……というよりも分身であるサイト「想像する」が、本日公開となりました。

imagination.jpg
「地球の未来を想像する」

 予想以上に画像データの処理が大変で時間がかかってしまいましたが、何とか無事完成です。まだ若干修正の余地はありますが(絵画展示場の画像ファイルに「戻・次」を入れなかったこと。完成してから「あっ、しまった;」と気づきました……)、それは少しずつ手をかけていこう――そう思っている次第です。

 また、本日から「地球の未来を創造する」「想像する」共に、「LTS講演会企画部」から独立し、「YOU are EARTH」という団体名になりました。文字通り「個人意識の独立」「個々人が地球という生命体を支えているという目覚め」を支える活動を展開していきますので、今後ともよろしくお願い致します。

 今回、この「YOU are EARTH」として活動を集約するにあたって、いろいろと考えさせられることがありました。
 まず、「精神世界」「スピリチュアル」「アセンション」こうした言葉を十把一絡げに「アヤシイ!」と捉える人達がいるのだ、という事実。
 これがどれほど理不尽な差別であるかは――1995年、オウム真理教事件があった時、タイムリーに「インド哲学科」に所属していた私は、痛いほど実感しています。
 あの頃、「インド哲学科」というだけで学生がどれほど差別を受けていたか、皆さんご存知ですか?
 私のクラスメイトの自宅には、近所からの通報により警察が来たそうです。その他にも、何人もの同級生が警察に呼び出されたり、職務質問などをされていました。

 ただ「インド哲学科の学生」というだけで――ですよ? 勿論、オウム真理教に関係していた学生は、誰ひとりいませんでした。
 でも、私はそのことを「オウム真理教のせいだ!」とは思っていません。
 むしろ、「ひとつの事件ですべての問題をごちゃまぜにする世相に問題がある!」そう思っています。
 ゲームにハマっていた子供が猟奇殺人を犯したら、「ゲームのすべてが悪い」!
 ネット犯罪が増えたら、「ネットのすべてが悪い」!

 「あなた方は『馬鹿』ですか?」と、本気で聞きたくなります。

 以前にも書きましたが、あの当時、精神世界系の本は一斉にと言っていいぐらい、書棚から姿を消しました。
 まるで、感染率の高いウィルスのようです(苦笑)。ひとつの考えが、瞬く間に「真実」と思い込まれ、吹聴されていく。
 何故、自分で検証し、何故、それを考察して「真実か否か」の答えを自分で出そうとしないのか――疑問でなりません。

 私は、友達からの助言もあって「地球の未来を想像する」の活動と、「創造する」の活動は別個にしようかと悩みました。
 また、他の協力者さんからも、「由羅さんは、『宗教家』ですか? もしそうでないのなら、無宗教の旨を書いておいた方がいいかもしれない」と助言いただきました。
 どれほど日本が「宗教アレルギー」かを、誰よりも自分がタイムリーに体験している分、その言葉は非常に重みのあるものでした。 

 しかし――あえて言います。
 私は「無宗教」ではありますが、宗教に対しての偏見は「いっさいありません」
 だからあえて、「宗教とは関係ないという提示を『しない』」という姿勢を貫いています。

 「人種差別は悪いことだ!」と言いながら、何故、「思想で差別」をするのでしょうか?
 勧誘がしつこいから?
 そういう意見もあるでしょうね。でも、勧誘のしつこさで言えば「セールス」も「押し売り」も大差ありません。
 お金を騙し取るから?
 だったら、「おれおれ詐欺」の方がよっぽど酷いんじゃないですか? それよりも、通販などで詐欺めいた仕事をしている人達だって数多くいるんじゃないでしょうか。

 私がここで言いたいことは「宗教を庇っている」のではありません。 
 「何故、自分で検証、考察しないでものごとを闇雲に否定するのか」ということなのです。
 私は今までにも、多くの人達から宗教の勧誘を受けましたが――全部「論破」しました。
 自分の信念が固ければ、そして、自分の軸がしっかりとしていれば、どんな宗教勧誘者でも「必ず」理解してくれるものです。(ヒステリックに逆ギレし、電話を切ったおばはんもいましたが((苦笑)))
 もしそういう軸を理解出来ない宗教勧誘者なら――「あ、こいつはただの押し売りだな」で、相手にしなければいいだけです。
 本当に大切なのは、「自分の信念」であり「軸」です。それを育てることなく、何でも「あれは駄目」「これは駄目」という社会に、私は酷く憤りを感じています。

 そういう私の姿勢を理解してくれる人は――今の時代ではほとんど少ないだろうなと、そう思います。
 アヤシげなスピリチュアルはとびつきが良くても、私のように理論的で信念を持って活動している方がかえって敬遠されるのが「今の時代」なのかもしれません。そこまで人間は「システムに飼い慣らされた羊となって、いいのだろうか」――いつもそう思います。
 まるで、映画「マトリックス」ですね。
 ある意味、システムに「飼い慣らされて生きていた方が、楽」なのかもしれない。先日記事にも書いたように、一度マトリックスから出たものの、「再度、戻りたい」と願うサイファのように、「自我意識を高めて独立した生き方を目指す」ことの方が、倍以上のエネルギーがいるものなのかもしれません。

 でも、それでも――私は、「その道が正しい」ことを信じて、突き進んでいきたい、そう思います。
 絶対に、今のままで時代は良くならない。悪くなっても、いい方向には変わらない。変わっていく為には、自覚的意識の中で、「自分」というものを実感しつつ、そして、自分を包む「大きな生命体=地球」を感じることが大切なのだ――そう毎日、日々実感している昨今です。

※お知らせ※
またもや、メールの返信が遅れております(T_T)。申しわけございませんが、今しばらくお待ちください。


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情報多様化の中、何を信じればいいのか

 昨日「メインサイト」にて公開した「エハン・デラヴィ氏の取材記事」、色々な方から感想をいただき、誠に感謝しております。結構辛辣に「現存スピリチュアル」を批判しているので、個人的には批判がいっぱいくるのではないかと「ドキドキ」でしたが、でも、「私自身が同じ立場」なので「批判がきても、『反論するのみ』」って感じではありますが(笑)。←大学時代、よくディベートに参加していたので、反論は慣れているし、かなり打たれ強いです。

 ……ンが、しかし。
 肉体の疲労には弱い篠崎――(爆)。
 今日たっぷり寝た割にはどうも疲れが取れておらず(というか、こなす仕事が多すぎるのと「完全にお休みな日」がないからですね。もう二ヶ月間は「休日」がありません)、今日も少し早めに休みたいな~って思ってます(といっても、すでに22時ですが――)。

 そんなわけで……今日も過去記事。
 1月31日に掲載された記事からの抜粋ですが(何度も言っておりますように)、当時は「アセンション否定派」だったので、頭から「そンなのナンセンス!」って言ってます。そこだけは、かなり大きく変わった点ではありますが――その他の部分については……まったく私の考えって「変わってないんだなぁ」ってつくづく思いました(苦笑)。

 まぁ、それが私にとって「自分の軸」であり、「信念である」ということなのでしょう――。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2008年1月31日 過去ブログ「思考世界」より転載

情報多様化の中、何を信じればいいのか

 最近、本当にこれでもかというぐらい「スピリチュアル」に関する情報があちこちに溢れまくっています。
 もっとも、シュタイナーの言う「第六文化期」の目的を考えるに、至極当然のことと思えます(※先日、本を読み進めていく中で「今はすでに、第六文化期に入っているかもしれない」と思ったのですが、実際「神秘額概論」の中でシュタイナーも「現在、第六文化期の夜明けにあたり――」と言っているところを見ると((その頃が1900年代初頭))やはり今は第六文化期に入っていると思われます。あくまで推測ですが、おそらくは第二次世界大戦後、アメリカにニューエイジが発祥したあたりに、その境があるような気がします)。

 第六文化期における目的は、ここでも何度か書きましたが「超感覚的認識内容を、知性と感情で理解すること」にあります。いわば物質的価値観と霊的価値観の融合ともいうべきものであり、二元論として対立していた両者が「一元論」に戻ることに目的を定めています。

 その後、第七文化期末に訪れる大きな変容に向けて、第六文化期ではこの目的を達成せねばならない――そう概論には書かれています。

 もっとも、それはシュタイナー論に限られたことではなく、世界全体を包む「思想の流れ」として考えても、ごく当たり前のことと言えるでしょう。
 産業革命後に訪れた「唯物的価値観」に行き詰まりを感じた人類が次に求めるのは、「その背後にある法則性」であっても不思議ではありません。その上、それが平易な「宗教性」や「神への信仰」として戻るのではなく、新たな概念の誕生として成立するだろうことは、想像に難くありません。
 だからこそ、今は既存宗教への回帰ではなく、新たな思想基盤であるスピリチュアルや霊学が注目されているのでしょう。

 とはいえ――今はまだ「黎明期」です。
 このスピリチュアルに関わる「情報の氾濫」も、黎明期の特徴と言えるでしょう。
 もっとも、私自身はこの状況に対して悲観視はしておらず、むしろ「次なるステップに進む為には、必要な段階である」と、そう見ています。
 ただ、そう気楽に構えてばかりいられない側面もあります。
 ここでも何度か書いたように、目に見えない世界――スピリチュアルの世界は、時折「思考の逸脱」を起こしてしまう危険があるからです。
 そうならない為に必要なのは、何よりも自分自身の考察力です。そうでなければ、ただ情報に踊らされ、スピリチュアルや霊学にとってもっとも大切な「霊我の育成」が損なわれてしまうからです。

 人は、何かと言えば「新たな事実」に翻弄されがちです。
 例えば、今まで歴史的に伝えられてきたことが、「実は違って、○○だった」というのが判明したとしましょう。多くの人は、その新たな発見が真実なのかどうかの検証をする前に「新たな事実」だけを真実として、鵜呑みにしてしまいます。
 事件においてもそうです。「真相は○○だった」とされれば、それが本当に正しいのか背後を調べることもなく、「そうか、そうだったのか」と呑み込んでしまう。
 人は何故か「後から発見されたものの方が、信憑性が高い」と思い込む癖があるのです。
 しかし、それは危険な錯覚です。確かに、それが真実である可能性も否定はしません。しかし、「検証の余地がある」ということさえも念頭から外してしまったら、それこそ真理から外れてしまいかねません。

 昨今のスピリチュアリストは、この錯覚に陥っている人も多々見受けられます。
 「新たな真実を信じるな!」と言っているのではありません。「それを視野に入れながらも、検証の余地があることを念頭に措いた方がいい」ということです。そうでないと、次から次へと覆される「真実」という言葉に、結果翻弄されてしまいかねないからです。
 勿論、検証といったって歴史学者でもなければ考古学者でもない、社会学者でもなければ名探偵でもないのに、「どうやってすればいいのさ!」と思われるのは当然です。
 ここでいう検証というのは、「真実を突き止めろ」というのではなく、「慎重になる」ことを指摘しているだけです。
 そして、その「慎重さ」を産みだしてくれるもの――それこそが「思考力」なのです。

 先程「第六文化期」の目的について書きましたが、こうした新たな進化の為に必要なのは、何よりも個々人の自主性です。
 要は、「どんなに情報が溢れていても、自分にとって『何が正しいのか』を見極められる目を育てる」ということです。
 ここでポイントなのは、「自分にとって『何が正しいのか』」ということです。他の誰も、その基軸にはなっていません。神を基軸にもしていなければ、宗教を基軸にしているわけでもなく、先生を基軸にしてるわけでも、友達を基軸にしてるわけでも、三軒隣の小母さんを基軸にしているわけでもありません。

 あくまで、「自分自身」です。

 スピリチュアルや霊学を前にして必要なのは、こうした自分の信じる道は、自己で責任を持つという姿勢である――私はそう、考えている次第です。

 最近、どこもかしこも「アセンション」で、このブログにも「アセンション」の検索ワードで来る方が大勢います。
 私は、シュタイナーの唱える第七文化期末(あと数千年先)の変容を指示し、「2012年にアセンションは起こらない派」なので、来て頂いた方は「期待外れでごめんなさい」って感じですが――(笑)。
 正直言って、私にとってそれが起こるか起こらないかは、「些細な問題」でしかないのです。
 しかし、中には「どうすればアセンション出来るだろう」「アセンションに乗り遅れない為には、どうすればいいのだろう」と真剣に考えている方も大勢いるだろうと思われます。
 そういった方達に私が唯一言いたいことは、「仮に(仮に、ね)何もなかったとしても、それで落胆しないように」ということです。
 このアセンション・ブームにも、私は「霊的な意味がある」と思っています。そこに何かしらの目的が存在するから、これだけ注目されているのでしょう。だから、それが「事実ある、ない」といった短絡的な二元論に「陥って欲しくない」――そう願っています。

 こんな話があります。
 「南無阿弥陀仏」を唱えると極楽浄土に行ける――と唱え続けた親鸞は、弟子からこのように聞かれたそうです。
「もし、それで本当に極楽に行けなかったら、どうするのですか?」
 その問いに、親鸞はこう答えたそうです。

「それなら、地獄に行くまでよ」

 この答え、私は非常に親鸞らしく――また、物質世界で暗中模索の中霊的真理を探ろうとする私達へのメッセージでもあると、そう思っています。
 親鸞のこの姿勢は、「盲信」ではありません。
 もし親鸞が「盲信」していたとしたら、弟子の問いに「そんなはずはない! 極楽は必ずある! 何を言っとるのか!」そう怒ったに違いないでしょうから。

 しかし、親鸞は「なかったら、地獄に行く」――その可能性を視野に入れつつも、自分の教えの「責任」を自分に担う勇気も持っていたのです。
 それこそが、自分の思考力を信じることであり、かつ思考した結果に責任を持つということでしょう。
 私達がこれから第六文化期を生きるにあたって必要な姿勢――それは、この親鸞の言葉に集約されていると、私はそう感じている次第です。

━━━━━━━━━━━(過去記事転載・以上)━━━━━━━━━━━━━━


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エハン・デラヴィ氏の取材記事掲載

 本日、メインサイト【地球の未来を創造する】で、31日に行われたエハン・デラヴィ氏の取材記事を掲載しました。
 先日もお伝えしましたように――3時間に渡る取材故、非常に「長い」です。じっくり読み込みたい方は是非、機関誌の発行をお待ちくださいませ。今月末には発行予定ですv

 尚、LTS講演会企画部の支部【地球の未来を想像する】は……事情により「17日公開」に延期となりました。
 今日、第一回目の掲載にご協力いただいた「アトリエ・ソル」の主宰者、伊藤ハル伽さんから11枚「地球の未来想像図」を頂いたのですが――。

 もう……すごい
 ハンパじゃない
 子供の感性って、「何て素晴らしいんだろう!」と――思わず泣きそうになりました(笑)。

 子供って、「子供というだけでスピリチュアルな存在なんだ」ということを、深く実感しました。子供は大人が思っている以上にものごとを深く見ているし、悟っていたりする。「子供だから」って目線で「絶対に見ちゃいけない」――そう思いました。
 それどころか、そういう感受性豊かな子供達を「大人の偏見」「社会の偏見」が「どれだけ潰していることか」――そう思うと、口惜しさもあります。

 この「アトリエ・ソル」で絵を描いてくれた子供達は……自閉症だったり、何らかの知的障害を持っている子供です。
 しかし、魂の純度――精神性の純度は、いっさい「そんな肉体的な拘束」なんて飛び越えてあるんだというのを、実感させられました。
 私達大人が子供から学ぶことって「たっっっっくさん」あります。
 年齢だけで、何も決められません。肉体や物質的な「形」がどれほど宛にならないものなのかを、今日、私は身をもって体感させられました。

 そんなわけで――。
 この素晴らしい絵を即日に編集なんて「勿体ない」。もっとじっくり、この子達の個性を活かした形で掲載したい。そう思ったので、公開を17日に延期した次第です。公開の際にはまた改めてお知らせしますので、今しばらくお待ちくださいませ。

 それにしても――本当にここ最近、素晴らしい出逢い、素晴らしいきっかけが「いっぱい」溢れています。「時代の幕開けは、もう間近」――今日UPしたエハン氏の言葉じゃないですが、すでに「光の波」は到達しつつあるのかもしれない、そんなふうに思いました(^^)。

※ごめんなさい; 篠崎今日は「徹夜明け」なので(爆)、ひとまずお知らせまで☆ 



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スピリチュアルの二極化

 現在、篠崎14日公開予定の「地球の未来を想像する」の準備に追われています。同時に、急遽14日に打ち合わせが入った為、「ねぶた祭りもびっくり!」ってぐらいの「てんやわんや状態」です。←って、どんなだよ;
 14日公開――とはいえ、打ち合わせの関係上「夜」になると思います。「エハン・デラヴィ氏の記事」もメインサイトに公開予定ですので、楽しみにお待ち下さいませ。
 尚、この取材記事は正直言って「WEBで見切れる内容ではない(あまりにも深いし、速読出来るものでもない)」ので、機関誌第一号として販売もします。WEBでは掲載されないエハン氏の写真や、その他、WEB、ブログでは掲載されない記事も含まれておりますので、是非ご利用下さいませ(詳しくは後日、改めてお知らせ致します。)

 さて……そんな地獄のさなかの篠崎(苦笑)。すみません……、ブログ記事まではさすがに手が廻りませんでした。過去ブログ「思考世界」からの転載をしますが……改めて読み直して、「これだけ著しく変わったスピ業界。何故、『この部分』だけは変わってないのだろう」と思わず首を傾げてしまっていました。
 2008年1月1日の記事なので(って、そんなめでたい時に何、真面目くさいネタ書いてンでしょうね)、約2年前の内容です。しかし、中には「今も……大差ないかもしれない」そう感じる方がいらっしゃるかもしれません。

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2008年1月1日 過去ブログ「思考世界」より転載

スピリチュアルの二極化

 ここ最近のスピリチュアル動向を見るに、幾分「二極化」の傾向にあるような気がしています。
 純粋にリベラルな視点で見ればそれは悲観するようなことでもないのですが、ただ、このまま進んだ場合の方向性が漠然としているが故に、一抹の不安を感じていたりもします。

 ちなみに。私がここで定義する「スピリチュアル」は、「オカルト」と別枠で解釈しています。
 「え? 何がどう違うの?」と思う方も多いかと思いますが、スピリチュアルは「一個人に対する霊性(個性を伴う内面)に則した哲学」であると定義しています。ですので、超常現象などを対象とするオカルトとは質を異にしている――そう私は解釈しています。
 確かに、スピリチュアルもオカルトも「内的思索」か、或いは「外的現象」かの違いだけと見れば、それこそ親戚同士のようなものです。しかし、それを混同してしまうと本来スピリチュアルが目的とする「霊性を認めることによる人生の向上」「生きる目的の探索」が二の次にされてしまいます。
 死後の世界はスピリチュアルにとって「切っても切れない論題」ではありますが、あまりに「死んだ後、こんな世界に行くんだ」だの「あんな次元にあがるんだ」だの外的現象ばかりを問う人は、オカルト分野に「おいきなさい」と、どこぞの門番同様送り出したくなります。
(余談ですが、ウパニシャッドの「梵我一如」でも知られるように、「宇宙」と「我」は一体です。死んだ後の世界が知りたいという方は、それがどんな世界なのかの情報ばかりを追い求めるのではなく、自己を見つめることが一番手っ取り早いように私には思えます。「自己を深く探ること」はイコール「宇宙を知ること」にも繋がるはずです。)

 スピリチュアルの主体は霊性ですが、それと同時に「今、この人生を如何に生きるか」を問うものでもあります。
 そして、ここ最近それが「二極化の傾向にある」――そう私は感じている次第です。 
  
 もっとも、それは今に始まったことではなく、スピリチュアルが注目され始めた頃から少しずつ兆候はあったように思います。
 もともと、日本にスピリチュアルという概念はありません。この言葉自体は、スピリチュアルカウンセラーの江原氏が広めた言葉です。
 しかし、本来日本人は非常に精神性の深い民族故、この言葉は「あっ」という間に浸透しました。ただ、如何せん精神性は深くても、どこか「現世利益的傾向」も強い現代日本人――どうもスピリチュアルの概念が違う形で浸透しているような気がしなくもない昨今です。(ちなみに、それはアメリカ人的成功哲学の影響も強いと思われます。)

 先日、「スピリチュアルの簡易化」について触れましたが、私が昨今感じる二極化は「スピリチュアルを簡易に解釈しようとする派」「あくまで学術的に掘り下げようとする派」の分岐です。(ちょっと長いので、前者は「お手軽派」。後者は「勉強派」と仮名します。)
 個人的に私は、「お手軽」だろうが「勉強派」だろうが、その差は「ない」と思っています。仏教も「唯識三年、倶舎八年」と言われる程習得に時間がかかる学術系があるかと思えば、「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで成仏しちゃう(さらに悪人もOK!)という浄土真宗のような教えもあります。でも、前者(法相宗)を学んでいる僧侶が「ナムアミダ~」と唱える庶民を捕まえて「ずっる~い!」って文句を言うわけでもなければ、庶民が法相宗の僧侶を捕まえて「勉強なんかして、馬っ鹿みたい!」と言うわけでもありません。
 個人的見解を述べれば、今後スピリチュアルは「多様化が完全に分岐するだろう」と思っています。より日常に近いセッションに関するものもあれば、「お手軽派」もあり、そして「勉強派」もあり、という感じで。

 それそのものは決して悪いことではないのですが――。
 私が危惧しているのは、「勉強派があまりに少数」だということです。
 本来、宗教なり哲学、他文化が浸透する流れは、「高度→簡易化」という流れが存在します。先に挙げた仏教に関しても、日本に入ってきた時はそれこそ一部の僧侶達が中国古典と向き合いながら、努力を重ねて広げて行きました。法相宗は仏教の「論」にあたる部分ですが、これも日本仏教でも古い時代に誕生しています。
 民衆に仏教が浸透したのは鎌倉仏教以降のことで、かなり後の時代になってからなのです。
 民衆に浸透する――イコール「簡易化」は、常々「時代の後半に起こる」というのが通常の流れでした。
 しかし、この「スピリチュアル」に関しては、最初に「簡易化」から始まってしまっています。
 勿論、それは社会の体制など時代の背景が影響しているので一概に言えませんが、最初に「お手軽派」から入ってしまうと、それをのし上げて「勉強派」に転じて行くのには二倍のエネルギーが必要なのではないか、私にはそう思えるのです。

 ちなみに。
 私自身は、「勉強派推奨」の一人です。
 だからこそ、この「思考世界」は「スピリチュアルではなく、『霊学』」と拘っていたりします。
 英国にはスピリチュアルの公的機関における講座なりがあるようですが、残念ながら日本にはありません。とはいえ、もし霊学を本当に「アカデミックな学術機関」として捉えるなら、ただ霊学だけをすればいいってなもんじゃありません。何故なら、霊学は「生きた学問」であり、「現実の世界に直結した学問」だからです。
 現実を無視した霊学であれば、「学問」という名を返上せねばなりません。学問は主観では成り立たず、客観的視点で切り分けてこそ「学問」と呼べるのですから。
 そうなれば、当然「ふつ~に歴史」も勉強する必要がありますし、「ふつ~に経済」を勉強する必要もあります。もし「そんなんヤダー」っていうのなら、「スピリチュアル技術専門学校(ってのが、あると仮定して)」のようなものも出来るかもしれません。
 学問と言う以上は、他分野との比較が重要です(私がシュタイナーを学ぶのは、それが理由です。彼が「聖者」ではない、他分野を学んだ「学者」だったからこそ、彼の論理に正当性があるのです。)。大学の一般教養のような形で学んだ後、専門分野として「霊学」というものがあったとしたら――これは本当に理想的です。
 ……って、現代の日本においてはほんと~に「理想」で終わっちゃいますが……。

 タイトル「スピリチュアル二極化」としましたが――現時点ではそう言い切れない程、「勉強派」は少数です。
 神智学や、シュタイナーの人智学に進む人も、途中で「教育論」に転じるか、或いは「修行系」「宗教系」に傾くかしてしまい、厳然たる「霊学」として残っている人はあまりいないのが現状かもしれません。

 かつて「哲学は万学の女王である」と言われた時代がありました。
 しかし、私は本来その「哲学」の部分に「霊学」が当てはまっていいはずだと思っています。(そんなこと言ったら、哲学者に殴り殺されそうですが――)
 すべての学問において「人間の思考が中心に据えられる」のであれば、それは「霊性が中心」であるのと同義です。本来、霊性の中ですべての現象を紐解くのが理想的であるはずなのです。(ちなみに、それ故私は哲学だけでなく、「国際政治学」「経済学」にも手を広げています。)
 シュタイナーがいい例です。彼は自らの人智学を基盤に建築、芸術、教育――晩年には経済論にまで言及していました。あまり浸透はしませんでしたが、理想社会に対する社会論を構築していたこともあります。
 思考がしっかりしていれば、どの分野の学問も網羅出来るはずなのです。私は、そこまで霊学が確立すればいいのにと、心から願ってやみません。

 「お手軽」は決して悪くありませんが――やはり社会や時代を構築するのに「知識」や「知恵」は必要です。
 でも、日本のスピリチュアルがそこまで行き着くのは――まだ当分かかるのかもしれません。


(2009年11月12日追記)そして、今も「まだまだだな~」と(笑)
━━━━━━━━━━━(過去記事転載・以上)━━━━━━━━━━━━━━


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「闇」を知る

 14日公開予定、エハン・デラヴィ氏の取材記事の中に「マザー・テレサ」のことが出てきます。エハン氏談に寄れば、最近になってマザー・テレサのプライベートレターが発見され、それが本になったのだとか。
 その内容は――筆舌し難い程「苦悩に満ちていた」そうです。

 でも、多くの人はマザーテレサの「清い部分」しか知らないでしょう。葛藤や苦悩、困惑、それらをほとんどの人には知られていない。
 だけど、私はそういった「闇の部分」はとても大切だとそう思うのです。すべてが「バランス」で出来ているのなら、「光だけで出来た世界」なんて存在し得ない。どこかでバランスを保つ為に、「闇の部分」が必要なのではないか――と。

 だから、私は綺麗事ばかり言うのが好きではないし、自分も「そんな人間になりたい」とは思わない。私が目指すのは「最も無力で、弱くて、惨めで」そして「人の痛みが分かる人間」です。
 感傷的にならないことって、素晴らしいことですか? 「感傷的にならない人間ほど、波動が高い」という人もいますが、「だったら、今すぐ人間やめれば?」と私は言ってやりたくなります。
 何の為に、人は「こころ」を持って生まれたのですか?
 それは、相手を思い遣る為であり、愛する為でしょう?
 その中では、当然哀しみや痛みはつきまといます。それを否定し、淡々として生きることって「魅力的なこと」ですか?

 私は、実は「天使」というものにすごく否定的な人間です。
 存在は認めます。しかし、「頼りたくない」っていうタイプなのです。
 世の中ではすごく天使を頻回に呼ぶそうですが――私からすれば、「人間の痛みを知らない天使に、何が出来るんだ?」と疑問になります。
 だから祈る時は、決まって「イエス・キリスト」に祈ります。
 彼は、壮絶な苦悩と痛みと、罵倒の中で生き――そして、十字架にはりつけられたのだから。
 私は、「私の力」で生きる為に、イエスの勇気を分けて欲しい――そう思って祈ります。都合のいい祈り方は、絶対にしません。利己的に祈るぐらいであれば、よっぽど「想像(イマジネーション)」の方が重要ですし、リアリティがあります。(だから私は、一度も「地球の為に、祈りましょう~」とは呼びかけていませんよね? 祈りよりも、想像の方が「遙かにパワーがある」からです。何故なら、後者は「リアリティの追及」だから。)

 マザーテレサは、闇を知っていた。
 そして、ネルソン・マンデラ(南アフリカ初の黒人大統領)もです。
 彼は、27年間投獄されるという地獄の中にありながらも、発狂することさえなく、ひたすら「信念を貫いた」のです。

 光ある活動をもたらす人は、必ず「深い闇」も抱えているのです。
 それが、宇宙の真理でもあるから。
 そして、神が求める「人間の理想図」も、そこにあるのだと思います。決して、苦労なく、綺麗事だけで生きることを目標としているわけじゃない。
 勿論、「身近な平和」「ささやかな幸福」に生きる人達がいて当然です。私の友達も、みんなそういう「身近な幸せ」を尊ぶ人ばかりです。

 でも、仮にもスピリチュアリストとして「自分は高次な存在だ」と思っている人達がいるのであれば――是非、私はその方々にお聞きしたい。

 物質が豊かな国に生まれ、何一つ不自由なく、お金はあって、受けたい時に「スピリチュアルセミナー」だのを受け、「きゃぁ~、私って実は大天使だったのねぇ」だの「私は特別な人だったンだわ~」とわきわきして終わる一生。
 逆に、貧しい国の中に生まれ、すべてに拘束され、常に闇と葛藤を心に抱えながらも、必死に未来に希望を託し、信念を貫き、平和を目指して努力を積み重ねていく一生。


 果たしてどちらが、本当のスピリチュアリストでしょうか?
 少なくとも、マザーテレサもマンデラも、「前者じゃなかった」ことだけは、間違いないでしょう。

 スピリチュアルは、「霊性」です。「形」ではないのです。
 形でない以上、そこには「光の反対側」にある「闇」も存在するのです。それを受け入れてこそ、「霊性全体」だからです。

 スピリチュアリストを名乗る以上は、負の想念を否定したり闇から目を背けてはいけない――私はいつも、そう思います。


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【公募】地球の未来を「想像する」

11月14日に、メインサイト「地球の未来を創造する」の姉妹サイト「地球の未来を想像する」を公開します。
創造と、想像
先日、この二つの言葉が「どれほど重要な意味を持つか」書きましたが、まずは「未来を創造する」為に、前提として「想像する」ことが必要だと、私はそう思うのです。
ちなみに、私の中に「未来の地球想像図」はあります。政治システムにしろ、金融システムにしろ、教育システムにしろ、それらはある程度あるのですが――

……忙しすぎて、原稿にまとめられない……orz。
「あともうひとりぐらい、『自分』がいたらなぁ(T_T)」って、いつも思います。そうしたら、そいつにいろいろな仕事を任せ、私は原稿書きに集中出来るのになぁ――と。←あ、あともうひとりに「勉強」させなくちゃだから、あと二人必要か~。

そんな愚痴はさておき。
この姉妹サイトである「想像する」の方では、みなさんの中にある「地球の未来予想図」――こんな社会であって欲しい、こんな世界であって欲しい、家族のシステムはこんなのが理想じゃないか――様々な意見を募集し、それをサイトにてご紹介します。

イラスト、文章、何でもOKです。一言「世界平和」なんてのもOK!

詳しい内容については、サイトが公開されてからまたお知らせします。ひとまず、皆さん「一言」でもいいので、何か「こんな社会はどうだろう?」「こんな世界はどうだろう?」というものがありましたら、まず第一弾として、公開の14日までにお寄せ頂けると幸いです。(メールフォームからお送りくださいませ。)



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日本人が「鍵」

 本日またひとつ、インタビューの為の質問(取材記事)を完成させました。
 しかし、今回は一冊読み込んでの質問だった為、とても文字数が多くなってしまいました……(涙)。今週末には公開予定ですが、非常に長くなってしまう可能性が高いので、「ネット上で読むのウザッ」って思った方は、是非、機関誌の方をご利用ください。
 とはいえ――。
 先日取材したエハン・デラヴィ氏のインタビューも、A4用紙フォントを11ポイント、きっっちきちにプリントしても「27枚」になっちゃったし――これ……私、どうやって冊子にするつもりなんでしょうかね(号泣)。LTS、まだまだ資金がないので「冊子は最初、手作りの予定」なのですが――A4で手作りしたくても「中綴じ」にすることを考えると、A3でプリントせねばなりません(二つ折りにするので)。私のプリンターはA4までしかプリント出来ないので――どう転んでもA5サイズにしかならず……そうなると、「はたして、ホチキスで止まるのだろうか」という不安が、なきにしもあらずです。

 もう、すべて「天に任せます」(爆)。←「こういう実務的なことを任されても、困るんだけど(天の声)」

 そんな余談はさて措き。
 麻日さんのブログでも書かれていましたが、今回、エハン氏のインタビューの中で「日本人は世界的に見ても特別な民族」と言われました。
 その理由は、麻日さんも書いているように「袖触れ合うも多生の縁」――これが理解出来る感性を持っているからだ、と。
 一期一会に近いものも、感じさせますね。でも、確かに日本文化というのは「非常に繊細で、感受性が豊か」だと思います。

「古池や 蛙飛び込む 水の音」
「静けさや 岩に染み入る 蝉の声」


 こうした「静寂」に対する感性も、本当に素晴らしいと思います。
 これは決して、松尾芭蕉がただ優れていた――っていうだけではありません。だって、どんなにそう書かれていたとしても、「ああ、何て素晴らしいんだろう」って感じる心がなかったら、現代まで残らなかったでしょう?
 「心揺れ動かされたもの」って、絶対に後世まで残るんだと、そう思います。それは逆に言えば、「それを後世まで残した民族の特徴でもある」と、そう思うのです。

 そういう意味で、確かに日本人の感性って「素晴らしいな」――とは、思う……の、です、が。

 (-_-;)蝉の声が岩に染み入るのを防ぐかのように響く、宣伝カーの音。騒音。車のエンジン音
 古池に蛙が飛び込んだぐらいじゃ聞こえないぐらいの喧噪。
 一体全体、日本の良さはどこに消えちゃったんでしょうかね……。
 前回、メインサイトの第一回目インタビューアとなってくださった中島さんが仰ったように「Made in Japan」の哲学があって欲しい――本当にそう思います。しかも、それを願っているのは私たち日本人だけじゃなく、むしろ「外国人」だったりするんですよね。

 「日本人が『鍵』」

 精神世界の人達は、よくそう言います。エハン氏も、そう言っていました。エハン氏は30数年も日本に住んでいる上、四国で巡礼などもしているので、日本の悪いところも良く知っています。
 でも、「やっぱり、日本が鍵なんだよ」と――そう言うのです。
 実はエハン氏だけではなく、「アミ・小さな宇宙人」を書いたエンリケ・バイオス氏も「日本びいき」だと聞いています。ベンジャミン・クレーム氏も日本を高く評価し、かつ「日本が鍵になる」そう言っています。ゲイリー・ボーネル氏も日本をかっていますしね。
 疑い深い篠崎は――「え~。それって、日本人が主張しない上、馬鹿単純で、しかも金持ってるからってだけじゃないの?」そんなふうに思っていたのですが――そういうわけじゃないんだなと、最近になって私もそう思い始めました。
 やはり、「意味があるのだ」と。

 私はアラビア語を勉強している中で、多くのムスリム達と出逢いました。
 私が何故、アラビア語を勉強しようと思ったかと言えば――それは9.11がきっかけでした。ずっと9.11を追い続けた私でしたが、ある日、ふと「私が本当に見聞きしている情報は、正しいのだろうか」と、疑問に思ったのです。
 それで、イスラム教に絡んだ情報を調べていくうちに「本当にイスラム文化を知る為には、アラビア語を知る必要がある」――そう思って、勉強することを決めたのです。
 日本の中では一部、イスラム教やアラブ人達に対する偏見があるようですが――実際に彼らと接してみるとわかりますが、アラブ人というのは非常に人懐っこくておおらかなんです。その上、「アッラー」を絶対的に信じ、アッラーの教えであるコーランとハーディス(ムハンマドの言行録)を忠実に守り、1日5回、祈りを捧げます。その「信仰の強さ」には、圧倒されるものを感じます。日本人にはない強さですよね。
 もし、日本人に「あなたは何教ですか?」とアンケートをとってみたとしたら……おそらく6~7割の人が「無宗教です」って答えるのではないでしょうか。
 勿論、私もそうです。
 というよりも、私は「自分の信念に基づいて」、どこの宗教にも属さないという姿勢を貫いています。あえていえば、私は「宇宙教」であり「地球教」なので(笑)。
 「コンタクト」という映画、皆さんはご存知でしょうか? 以前このブログでもちょろっと触れたかと思いますが、この映画は「CETI(高度宇宙生命体)研究科学者」である女性が主人公の話です。その中で、すごく印象に残る言葉がありました。

「世界の9割の人が、神の存在を信じている」
 
 「えっ? それ、日本も含めて?」と、率直に私は思いました。
 日本人は、もう本当に「八百万(やおよろず)」です。神棚はあるわ、仏壇があるわ(って、家がそうなんですが)、クリスマスはするわ、ハロウィンはするわ……唯一ないのが、イスラム教の「ラマダン(断食)」ぐらいでしょうか。
 ここまでやおよろずとなった日本に、本当に「信仰」って存在するのだろうか――私はすごく、疑問でした。

 でも、同時に――。
 そうか……。だからこそ、「日本が鍵」なのかもしれない――そうも思ったのです。

 世界的に見て、日本はある意味非常に「ニュートラル」なのだと感じます。
 しかし同時に、それは「諸刃の刃」でもあります。
 とてもフレキシブルでありながら、逆に言えば脆弱。
 だからこそ、引き籠もり、ニート、自殺問題などが、後をたたないのかもしれません。

 外部からの統制――すなわち、外部における宗教がないというのは、「内なる自己」を育てるには絶好の場なはずです。
 勿論、人間は「自分で自分を創った」わけではありません。私が「私から」生まれてきたわけがないのと同じように、アダムも「アダムから」は生まれないでしょう。
 すなわち、絶対的に「創造主」は存在します。
 しかし、それが「象徴」であり、「宇宙そのもの」だとしたら――地球が生命体であるのと同じように、宇宙が生命体で、意識も、こころもある存在たったとしたら――それこそが、「神」と言える存在なのではないでしょうか。
 仮にそうであったとしたならば――私たちが自己意識の中で「宇宙」という絶対的な神との繋がりを思い出せば、すぐにでも目覚めは起こるはず。
 自分の足で、立ち上がることが出来るようになるはずです。
 外から来る神をいつまでも待ったところで、きっと神は来ないでしょう。

「到来を待つ」のではなく、「存在に気づく」――そこがポイントなのではないでしょうか。 

 だとしたら、日本人の民族性がある意味「新たな時代の鍵となる」というのは、すごく分かる気がします。他の民族ではすでにアイデンティティが確立しすぎているので、転換に時間がかかるかもしれない。その上、とてもロジックを重んじるのですぐには目覚めに到達しないかもしれない。
 しかし、そこはさすが「日本人」。とても感動しやすいし、共感しやすいし、ある意味においては単純かもしれないけれど、ある意味においては「純朴」とも言えます。

「一度目覚めたら、日本人は『早い』」――そう言ったエハン氏の言葉の意味は、そこにあるのかもしれない。編集した記事を読み返しながら、改めてそう感じた私でした。 



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エハンさんの取材パート2

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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

【篠崎編集担当】


【篠崎の著作本】

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篠崎 由羅

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【インタビュー本第二弾】
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