2009年、年末のご挨拶

 色々な出来事のあった2009年も、暮れようとしています。
 感慨深い思い──が抱ければいいのですが、生憎篠崎は明日公開予定のサイトリニューアルや、年明けすぐの取材準備で、ほとんど平日の感覚です(苦笑)。

 でも、それは仕事のせいだけではないかもしれません。
 2009年というのが「1年」という区切りではなくて、2008年から2010年まで続く「3年区切りの年」のような気がするからなのでしょう。
 去年の年末を振り返ると、12月にガザ地区の攻撃があったり、オバマ大統領の就任があったりと、今年に持ち越されるような事件が相次いでいました。
 世界的な経済不況が言われたり、大幅な雇用削減が言われたのも去年の秋以降でしたので、どうも2008年と2009年の境目が明確にならない感が拭えないのです。
 そしてこれは2009年も同じで、今年中に解決しきれてないものがそのまま翌年の2010年に持ち越されていくような思いがあります。

 2010年は果たして、どのような年になるでしょう。
 その予兆を、元旦そうそうに起こる「月蝕」が語っているかもしれませんね。
 色々な問題を抱えた世界ですが、希望の片鱗が見える一年となることを願うばかりです。

 いつもは長文記事が特徴のこのブログですが、今日はこの辺で(笑)。
 明日、新しく「YOU are EARTH」がリニューアル公開されます。公開後こちらのブログでお知らせしますので、楽しみにお待ちください。

 では、皆様。
 良いお年をお迎えくださいませ──。



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霊性と現実問題は表裏一体

 私のすべての活動における根源には、「霊性(スピリチュアル)」が欠かせません。
 これをなくして、何も語れない──そう断言出来るほどです。
 「哲学は、万学の祖」という言葉もありますが、それで言うなら「霊性は、すべての生命活動における土台」とも言えるでしょう。生命が「ただの肉体機能」だなんて、昨今誰も考えません。そこに何らかの作用があることを、多くの人は直感しています。すなわち、生命が霊性の顕現である以上、生命が活動するにおいて「霊性も必要不可欠なもの」と言えるのです。

 先日、「霊を氷山に喩えれば、海面から出ているのが『こころ』として作用し、多くは水面下に隠れている。しかし、どちらを切り離すことも出来ない両者はひとつのものだ」ということを書きました。現実問題も「同じ原理」で成り立っていると私は考えています。
 例えば、「殺人事件」が起きたとしましょう。
 罪なき人が殺されて、犯人は罪悪感さえ感じない人だったとします。
 だからといって、その容疑者に「こころがない」と、断言出来るでしょうか?
 人間、生きている以上は肉体だけが行動することはあり得ません。心神耗弱と言ったところでそれは「判断能力が欠けている」というだけであり「こころが失われたこと」を示しているわけではありません。

 霊というものが大きな海のような集合体であるならば、その一部分である「こころ」も実に様々な様相をしているはずです。些細なことから多くのことを学びとれる優れたこころもあれば、他者の痛みを何とも思わず同情さえ感じないような人もいます。
 それでも──豊かなこころか、ひとかけらのこころかという差はあれど、誰にでも「こころ」はあるのです。
 すなわち、「人にこころがある」以上、それは「人の霊性の顕現」であり、同時にそこから生じた事件、派生した状況は「こころの影響により生じたものだ」と言えるのではないでしょうか?

 政治に関してだって、同じです。
 政治家も人間である以上「こころ」があります。
 彼らが相手にする国民にもまた「こころ」があります。
 しかし、どうも実際の政治の場面になるとそうした「相手にしている人々が、対象としている人々がこころを持つ存在だ」ということが無視されて、利便性、合理性、メリット、そんなことばかりが追求されているように思えてなりません。

 私達は気づかないうちに、「こころ」というものを軽んじて社会を構成してきてしまったのではないでしょうか?
 だからこそ、本来は現実生活や現実問題と表裏一体の関係にあるこころの全体像──「霊性」についてが、まるで特出するようにクローズアップされてしまったように、私には思えるのです。
 スピリチュアル・ブームの波及は、蔑ろにされてきた「こころ」のレジスタンスのようにも思えます。
 その人の個性を否定し、国に従わせたり、親が敷いたレールの上を歩かせたり、ただ学歴、肩書きなどレッテルばかりを求めさせたり、いつだって「こころ」がなおざりにされてきた。それに対する全身全霊を籠めた抵抗が、この「スピリチュアル・ブーム」に象徴されているようにも思えるのです。
 そうでなければ、1995年に起きたオウム真理教の事件から10年も経たないうちに、精神世界の本がこれほどまでに売り上げ部数を伸ばすでしょうか?
 こうしたスピリチュアル・ブームにはまった人達の多くは、面白半分に超常現象を追うような人ばかりではなく、「失ってしまった自尊心を取り戻したい」「自己存在を突き詰めたい」という人達だったように思えるのです。
 勿論(ここでも何度も言っているように)私はスピリチュアル・ブームに対して警鐘を鳴らしている人間です。しかし、そのブームへと行き着いた理由を辿れば必ずしもそれが否定されるわけではなく、むしろ「物質崇拝主義から継続して流れている、ひとつの極端な揺れに過ぎないのではないか」、そうも思えるのです。
 そうである以上、安易にスピリチュアルを否定するのではなく、その現象の背後にあり蔑ろにされてしまった「こころの問題」と向き合う必要があるのではないか、そんなふうにも思えます。

 もっとも、そうは言ったところで昨日、一昨日にも記事にしたように、「そうした大きな揺れも、バランスを保って元の位置に治まろうとしている」ような印象を受けます。
 日本は戦後、バブルが崩壊するまでの数十年間、「物質」ばかりに翻弄されてきました。
 それが今にきて、人々の精神のバランスを取ろうとして過剰にスピリチュアルへと傾いているだけなのかもしれない──今日、ふとそんなことを思った次第です。

 時代の流れは加速しています。
 今は大きく揺らいでいた霊性と現実の隔たりも少しずつ調和がとれてきて、「両者の合致」へと向かおうとしているのではないか──そんな期待を抱く今日この頃です。



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「本質の時代」到来?

 先日階下に行った際、ふと目にしたテレビで「景気が低迷と言われる中で、家電品の売り上げが上昇している」というニュースが流れていました。
 家電品売り上げ好調の理由は「不景気が原因で外食する人が減り、自宅で食事する人が増えた為」と、売り場の人は答えていました。しかも、興味深いことに「自宅で食べるなら、美味しく食べたい」と味に拘る人が多く、決して安価とは言い難い炊飯器などが意外にも売り上げを伸ばしていると言うのです。
 このニュースを見ていて私は「なるほどな、時代がやっぱり変わりつつあるんだな」と思わずにいられませんでした。

 ずいぶん前に私の恩師から聞いた話によりますと、九星占術では「20年ごとの国の運」を観る方法があるそうです。それによると、日本は2004年から「八白土星」の運気に入っているとのこと。
 九星占術の考え方ですと「3→2→1……」など逆行するのが通常なのですが、この国の運を観る方法は「1→2→3」と数が加算されていくそうです(私は九星占術を専門としていたわけではないので、その理由が何故かは不明ですが)。それで言うと1984年~2003年は「七赤金星」の運気となり、まさしく「バブルで象徴される運気」と言えるものです(※七赤金星は「享楽・娯楽」「お喋り」などで象徴されるます。テレビもバラエティが中心になったのは、この時代だったように記憶しています)。
 2004年から入っている八白土星という運気は、「変革」という意味が多分に含まれています。それと同時に、「価値観の転換」なども象徴しているので、上記のニュースを見た時に不思議な符合を納得した次第です。

 1984年~2003年にかけて――。
 この20年のうち、前半はやたらにブランドだの学歴だのファッションだのという「形に拘る時代」だったと思います。
 今の若い世代の方からすれば信じられないことかもしれませんが、流行にあわせて「みんなが同じ髪型、みんなが同じファッションを着る」というのが「トレンド」とされていたのです。
 私が高校生だった頃「女子大生ブーム」が起こり、何故か「みんなワンレン」という現象が起きました。
 それと、「らくだ色のコート(いえ、もっと違う言い方があるのかもしれませんが……私から見たら、あのコートはらくだ色にしか見えなかった)」を着て、ブランドの鞄を持って――という。
 私が一番驚いたのは、学校からの帰り道、横浜駅の前で「ワンレン」「らくだ色のコート」の女性がゾロッッと立っていたのを見かけた時でした。あまりにみんなが同じ格好なので、思わず「やらせか」と思ってしまったぐらいです。今でもその光景を思い返すと、映画マトリックスに出てくる「エージェント・スミス」が過ぎる程です。
 個性よりも、「見た目」「形」「周囲に合わせろ」の時代。
 何故あのような時代があったのか、社会心理学的には何を意味していたのか、非常に興味あります。制服には抵抗があるといいつつ、何故、私服で右倣えするかのように同じ格好をするのか。それは自分が好んでそのファッションを選んでいるのか、それとも「みんなと同じ」であることに安心感があったからなのか――それが分かると、あの時代の特徴やあの時代に青春時代を過ごした人の特徴が垣間見られるような気がしました。
 あの時代には「結婚相手を選ぶ際の3K」という言葉もありました。「高学歴・高所得」……あとひとつ、何だったのか忘れてしまいましたが。人に対してランク付けをする時代――「人が物化(ものか)される時代」の前兆だったのかもしれません。(ちなみに、3Kに対しては必ず上記のものだけを差さず、基本的には頭文字が「K」になるもので特徴的なものが挙げられることが多いです。その代表は、当時バブル経済でアルバイトなども買い手市場((バイトをする側の人が有利))だった為、「嫌がられる職の3K」というのもありました。それは「汚い・きつい・危険な仕事」というもので、楽に流されてしまいやすい七赤金星の運気を顕著に示しているようにも思えます。)

 1995年頃から不景気に入り、今もまだそれを引きずっている状態ですが、私は1984年からの社会よりも「現代の方が良くなっているのではないか」、そう思います。
 それは、経済的に――という意味ではありません。「より良い質を目指すようになっている」という意味において、です。
 今までの文化は「使い捨て文化」でした。でも、本来は「いいものを長く使う」というのが、正しい物とのつきあい方だと思えるのです。
 ブランド品の由来も、そもそもはそこにありました。でも、いつしかそれが「ただのステイタス」に変わってしまった。「ブランド=名前」だけのものとなり、そこに求められる質については重要視されなかったのが、今までの時代でした。
 しかし、2004年から入った八白土星の象徴(※詳しくは後述)は「真理の探求」も含まれているので、人々の意識は「形だけ」「名前だけ」ということよりも、「その内面に含まれた質」に拘る時代になりつつある――そう思えるのです。それが、上記したような「自宅で食事するなら、美味しく食べよう」とか、ひとつの日常動作に対しても「深み」を求めようとする姿勢に現れているのではないか、そんなふうに感じました。
 私は、これらの兆候は「とてもいい動きに向かっている」と思います。日常の些細なこと、生活における小さなことに人々が満足や深みを求めるようになり、使い捨てでないぶん物を大切にし、形だけでなく質に重きをおくような時代になったら、色々なことが変わっていく――そう思えるのです。
 
 私がこうしていろいろブログで発信しながら感じるのも、確かに今、時代は「質の良さ」「本物」「誠意あるもの」に対して着実に反応しつつある、ということです。
 私がネット活動を始めてかれこれ10年になりますが、始めた頃はまだまだそんな状態ではありませんでした。また、2004年頃から急激にブログが普及し、同時に「スピリチュアルブーム」がネットの中にも反映されつつありましたが、見えない世界を現世利益的に利用するようなもの、或いは地に足のついてないようなスピリチュアルブログばかりが先行し、私のような「堅物(自嘲)」は敬遠されるような時代でした。もし、今がその時代――4~5年前であれば、私は絶対に「YOU are EARTH」のような大きな活動に踏み切ろうとはしなかったでしょう。絶対に理解してもらえない――そう思っただろうから。
 しかし、私がこの活動に踏み切れたのも、「明らかに時代が変わり、人々の意識も変わりつつある」のを実感したからでした。私のブログに寄せられるメールや感想なども、その傾向が見られます。時代が変わっている「手応え」を、私は感じています。

 この1年でさらに「アセンション」に対する注目度が高まったように思います。2012の映画が出たからというのもありますが、やはりそれだけ多くの人が「今、時代が変わろうとしている」というのを察しているからなのだとそう思えるのです。
 そう考えると、この不景気も決して悪いものではなく、形や外見ばかりに拘りすぎていた人類に対する警告であり、同時に「ステップアップする為の踏み台でもある」と思うと――そう恐れることもないような気がしますね(笑)。


※八白土星の時代の特徴※
 八白土星はもともと「高い山(艮)」に象徴されます。盤の方角で言うと「丑寅の鬼門(東北)」に位置している為、「変革」という意味が含まれています(日本の方位学ではやたらに鬼門ばかり忌み嫌いますが、本来鬼門は決して悪い意味だけではないのです)。そこから付随して、「価値観の変革、政権の交代(実際にありましたが)、時代の変わり目」というようなことが言われています。
 また、艮が「高い山」を象徴する為に「高尚なものを目指す=真理の探究」も含まれています。日本のスピリチュアルブームは2004年頃に始まっていますが、実際はその前の時代「七赤金星」の影響を受けていると思われるので(20年の運気故、そうそうすぐ切り替えというものでもない為)、最初の数年間におけるブームは「形だけ」「見た目だけ」の「(エハンさんの言葉を借りるとすれば)スピリチュアル・マテリアルイズム」で象徴されるものだったと言えるかもしれません。
 しかし、本来の八白土星の象意を思えば、こうしたスピリチュアルな分野も「より真理に近い探究」でなされなければならないはずです。現実世界から遊離されたものではなく、しっかり日常や社会問題などの背後に根ざしたものが本来のスピリチュアルと言うべきものだとするならば、2023年までの間に多くの人がそういう真理に気づくようになる可能性は考えられます。
 ちなみに、来年の年運も「八白土星」です。日本にとって来年は、非常に大切な基軸となる年かもしれません。



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YOU are EARTH セミナー第二弾
WHO are YOU 
―あなたが霊的存在であることの証明―

2010年2月6日 横浜にて開催


エネルギーワークやチャネリングなど、外的存在とアクセスする行為が「霊的な世界」という捉え方がされて久しいですが、本来それは「現実 vs 霊的世界」という二元論から派生している誤った考え方です。
真理は「現実=霊的世界」。霊的な特殊行為をしなくても、私達は「ただ生きているだけ」で、充分霊的存在なのです。
それなら、「どうすれば霊的実存」に気づけるか。霊的実存というのは神秘体験ではなく、「ここに在る」という実感に気づくことそのものです。決して奇抜な行為ではないということを、ご説明します。

詳細については「こちら」にて。
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2009-12-29 | 社会 | トラックバック(0) |

「変革」には自発性が必要!

 「アセンションに向けての覚醒、最期のチャンス」と言われていた今年も、あと三日で暮れようとしています。
 「最後のチャンス」などと言われると――ドキッとしますよね(笑)。年末ジャンボ宝くじなどだったら、長蛇の列に混ざっているぐらいの勢いかもしれませんが。
 でも、私が思うに大きな変革は昨年のサブプライム問題、世界不況から始まっていて、今年はその「中盤」といった印象を受けます。逆に言えば今年中に「自覚的な目覚め」が遂げられるか否かで、これからの未来に対する展望も変わるといった意味合いを含んだ言葉なのではないかと、そんなふうに感じていました。

 今年は確かに、世界的に見ても色々な変化があった年だと思います。
 日本では政権交代ですが、世界的には中国が大きく経済発展するなど、時代の流れを大きく変えるような出来事が多々あったような気がします。
 私は大学時代や、仕事先などでも中国人の方と知り合う機会が多かったのですが、彼女達に備わっていた不屈の精神力を思い返すと、今の経済復興は「もっともだな」とそう思います。
 逆境に強いというか、逆転の発想がすごいというか――。
 華僑などでも知られるように、中国人は海外で成功する人も多いですが、日本人は「一企業の社員」として成功しても、その人個人が事業主となって国際的に活動していく、ということが少なかった気がします。日本人の優秀さは「基礎たる地盤がしっかりしている」状態であれば発揮出来るものの、そうでない状態だと「たちまち弱くなる」という脆さがあるのかもしれません。

 民主党が日本の政権を塗り替えた際も、私は何故か「まだ要素が足りない――」そう思っていました。
 その懸念がずっと拭えないまま、今に至っていましたが、先程、たまたま目にしたNHKの「今年のニュース」を見ていた際、その理由がはっきり分かったように思えました。

 鳩山内閣が発足した際、街頭インタビューをしている場面が流れたのですが――多くの方が「変えてもらいたい」「変えて欲しい」「実践して欲しい」というコメントをしていました。「応援します」「協力します」という積極的な発言は、ひとつも見られません。
 それを見た時私は、「ああ。もしかして私が『足りない』と感じていた要素はここにあったんだじゃないか」そう思ったのです。

 すなわち――「自発的意志」
 どんなに政治家達が変わったところで、国民が自発的にそれを協力しようとか、自発的に意見しよういう姿勢がなければ、何も変えられないンじゃないか――そう思ったのです。

 とはいえ、普通の市民は「日常を送ること」や「自分たちの生活を守ること」が何より大切なことだと思います。社会活動家でもないし、一家を支えるお母さんであったりお父さんであれば、守るものの方が大きいのでただただ「受け身で待つしかない」――それが現状だと思います。
 でもそれなら、もっと国民を代表とするような意見を言えるジャーナリストなり、学者なりがいてもいいような気がするのですが、何故かあまりクローズアップされません。
 国民の意志が反映されるのは、「投票」に限ったことではありません。それどころか、投票が必ずしも国民の意志に反映されるかと言えば、そうではないはずです。仮にそれがダイレクトに反映されるのであれば、政権交代は「もっと以前に起こっていただろうから」。
 もし国民の意志が「違った形で反映される」とするならば、それこそがコラムニストの意見だったり、社会学者の意見だったり、より国民に近い側の人達の意見だと思うのですが――あまりそうした意見は見受けられません。
 マスコミはこの場合、全然頼りになりません。「国民の意志とは、逆のことをするのがマスコミ」だと思った方がいいような気がします。マスコミはもはや、国民の代表ではありません。権力者(政治家に限らず)の味方であり、視聴率の味方であり、販売部数の味方でしかありません
 私が期待をしているのは、むしろネットで言論活動をする人や学生の人達なのですが――期待できるような動きが、現状ではまだ見られていないな、というのが私の正直な感想です。

 日本人は優秀である――と言われつつも、「受け身である人がほとんど」のように、私には思えます。
 独創性と自立した精神力で弁論出来る人達が、まだまだ「少ない」――そう思うのです。
 時代を変えていくのに「自発性」「独創性」は必要不可欠です。
 そういった意味で、中国人は優れています。私は昔からこんな性格で、歯に衣着せず物をいうようなことがありましたが、そういう私の性格は日本人の学生よりも、中国人に好かれました。
 世界的な不況の中で、中国の企業主達は「海外の株価が下がっている今がチャンスだ」として、あちこちの株を買い取っているそうです。
 「不況になった。不安だ、困った」と騒ぐ前に、自発的意志で「チャンス」を見出そうとする姿勢に、私は中国人の魅力を感じました。

 勿論、だからといって「日本人も、同じように」って言うつもりはさらさらありません。
 中国人には中国人にあったやり方が、日本人には日本人にあったやり方があるだろうと思えるからです。
 こういうことを書くと「篠崎は中国びいきだ」と言われそうですが、そんなことはありません。(あえて言うなら、どの国に対しても平等な視点でいたいと思っています。)
 自分の国も、大好きです。日本が好きだからこそ、変わって欲しいと思って「厳しく見る」部分はありますが。

 とくに最近、あまりいい傾向にないんじゃないかという危惧も抱いています。
 それは、長く続いた豊かな物質社会が招いた弊害とも言えるものですが、「根拠のない楽観思考に走る傾向が見受けられる」という点です。
 根拠のない不安は論外ですが、楽観思考も同じぐらいに問題です。不安にしろ楽観にしろ、「何かを変えていこう!」という気概を削ぐものだからです。

 「日本は神の国であるから、心配ない」という人もいますが、それを言うなら「どの国だって、神の国」です。
 もう、そういった日本だけを特別視するような神話を信じている時代では「ない」のです。
 国民のアイデンティティとしてみるのであれば、そうした話も大切でしょう。しかし同時に、私達は「地球の一員である」という目覚めが必要です。
 「日本は神の国だから、どんなことがあっても大丈夫。守られているから大丈夫」という根拠のない言葉には、どうぞ惑わされないようにしてください。
 こうした楽観思考に走ってしまうと、現実問題何が起きているのかが見えなくなり、ある日気がついたらすべてを失ってしまうことになります。
 そういう過ちは、戦時中すでに体験しているはずです。マスコミが報道する「日本は勝っている」という情報を信じていた国民の前に突きつけられたのは、「敗戦」。
 あまりにも大きな犠牲を出しすぎてからの、結果でした。国民が真実を知らされていたら、もっと前に止められたかもしれないのに――。

 そのような過ちを二度と繰り返さない為にも、皆さんひとりひとりが自発的に情報を検証し、考察した結果で、ご自身の行動を取られるようになるのが一番だと、私は思います。
 私を含め、ブログで発信されている情報は「あくまでも個人の一意見」でしかないのです。それをどう煮詰め、真実に近い形で呑み込んでいけるかは、みなさんご自身にかかっています。
 とても真実に近い情報、或いは万民に共通する情報を発信しているブロガーさんもいる一方、とても偏っている上にみなを迷妄に陥れさせる危険があるような内容が掲載されているのが「ネット世界」です。

 昨日の記事にも書いたようにアセンションが「ひとつのブラックボックス」なのだとしたら、そこに入るキーワードが何であれ「変革」がテーマであることに変わりありません。
 変革には自発性が必須であるからこそ、今という時代はこれほどまでに情報が錯綜した時代となったのかもしれません。情報の取捨選択は、個々人の独創性を生み出すのに「とてもいい機会」になるからです。
 そうした意味でも、2009年というのは「覚醒最期のチャンス」と言われたのかもしれませんね。


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真理は「現実=霊的世界」。霊的な特殊行為をしなくても、私達は「ただ生きているだけ」で、充分霊的存在なのです。
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アセンションは「ブラックボックス」

 このブログは「2012年の後を模索する」という試みのブログです。(あまりに脱線しまくりなので、「え? そうだったの?」って思われる方が多いかもしれませんが──;)
 勿論、ここで言う「2012」というのは、ただ単なる数字の年号ではありません。「アセンションが起きた後」という想定で挙げています。

 アセンションというのは多くの方がご存知のように、マヤ暦に端を発しています。
 マヤ暦が2012年12月21日までであるということ、および、ホピ族の予言を結びつたホゼ・アグエイアスの著作により注目されるようになりました。アセンションという言葉自体は、キリストの復活を意味する「上昇(Ascention)」から来ており、「キリストが磔にされた後、新しい肉体を持って復活する」という表現から「地球の死と再生」ということが言われるようになったのです。

 しかし、私自身は「こころと物質を斬り離す愚かさ」でも書きましたように、2012年に何が起こるかというのは「取り立てて問題ではない」と考えている人間です。
 それは、「自分がどうやって死ぬか」に拘っているのと、同じことだと思えるからです。
 死は誰にでも訪れるものであり、ひとつの「通過儀礼」です。
 死は一瞬ですが、その先の生は永遠です。そうであるならば、「生きている今」を充実させ、未来に向き合った方がいいのではないか──というのが、私の考え方です。
 「2012年に死ぬかもしれないなら、何もしない」というのは、愚かな考えです。癌を告知された人が、必ずしもみな人生に絶望するわけじゃないことを思い返せば、その愚かさがわかるはずです。告知された後、残された余生を思う存分楽しんだり、残される家族たちの為に「何かしたい」と思うのが「人間のこころ」というものです。

 とはいえ、最近私の中には「アセンションという言葉は知らなくても、すでに人類システムにおける改革に向けて動いている人は大勢いるのではないか」という思いが強くあります。
 今まであった「物質主義」──消費主義だったり、使い捨て主義。富優先の「資本主義」、およびイデオロギー対立の起因となりやすい宗教のシステムなどに亀裂が生じていることを察知している人達は他にも大勢いて、あちこちの分野で「既存概念を切り崩そう」としている人達がいるように思えるのです。
 先日このブログでも紹介した「世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す」を著したジョセフ・E・sティグリッツ博士などもその一人でしょうし、イスラム教の中でも「イスラムは変わらなければならない」という論文を発表したムスリム青年もいます。みな、アセンションという言葉を知らなくても「今、時代が変わりつつある」ことを肌で感じ、行動したり言論活動している人はいくらでもいる──そう思うようになりました。

 だとしたら、アセンションという言葉を知っている人達が「何が起こる」「ああなる」「いや、こうなる」と議論して立ち止まっているなんて、実に勿体ないことではないでしょうか?

 アセンションは、「ブラックボックス」のようなものかもしれない──今日ふと、そんなことを思いました。
 子供時代、「ひらけポンキッキ」という幼児向け番組がありまして、その中でよくこのブラックボックスが出てきました。
 例えば、分かりやすい例をあげたとしたら──ブラックボックスの左側から入った「羊」が、右側から出てくる時には「毛を刈られていた」とします。中にあるのは──バリカン、と言っていいのでしょうか? いずれにせよ、羊の毛を刈る何かが入っているはずです。

 アセンションも、似たようなものかもしれません。
 資本主義、物質主義、消費主義──弱肉強食とでも言うような侵略の姿勢、弱者を踏みにじる無慈悲、そうした今までのあらゆる人類の特徴が、「アセンション」と書かれたブラックボックスを通過することで、「まったく異なる特徴」になる、という。
 個性の完全確立と全体調和、精神と現実世界の共存、共生、すべてとシェアする寛大さ──ブラックボックスの右側からは、このような特徴が現れるとします。
 箱の中に入っているのは「何」なのか──確かに、興味はありますよね(笑)。
 もしかしたら、その箱の中に入っているのは「すでに、私たちが持っているもの」なのかもしれない。
 例えば、「意識」という名のもの。
 この意識の中に隠された「何かしらの作用」において、ブラックボックスがうまく機動するのかもしれません。でも、もしかしたらそうではない違う要素のものかもしれない。
 でも、私は「その箱の中にあるもの探し」をしなくても、「右側から出てくるもの」を意識さえしていれば──「自ずとブラックボックスを通過できるのではないか」、そんなふうにも思っています。

 そうはいっても、左側と右側──かなり「大きい」ですよね(苦笑)。
 これほどまでの180度転換がいかにしてなされるのか、そんな思いもなきにしもあらずです。
 でも、世界のあちこちで「既存システムの綻び」を直感し、自ら動き出している人達のことを思えば、「決してあり得ないことではないんだ」とそう感じます。すでに動いている人がいる=「それは実現可能なことなんだ」という証明だと思えるからです。

 2012年まで、あと約2年。
 マヤ暦の日にちは約3年ですが、その3年を「私たち個々人が如何に過ごすか」で、その後の地球の運命も大きく変わってくるのかもしれません。
 生前の生き方が、死後の生に大きく影響するのと、同じように──。



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YOU are EARTH セミナー第二弾
WHO are YOU 
―あなたが霊的存在であることの証明―

2010年2月6日 横浜にて開催


エネルギーワークやチャネリングなど、外的存在とアクセスする行為が「霊的な世界」という捉え方がされて久しいですが、本来それは「現実 vs 霊的世界」という二元論から派生している誤った考え方です。
真理は「現実=霊的世界」。霊的な特殊行為をしなくても、私達は「ただ生きているだけ」で、充分霊的存在なのです。
それなら、「どうすれば霊的実存」に気づけるか。霊的実存というのは神秘体験ではなく、「ここに在る」という実感に気づくことそのものです。決して奇抜な行為ではないということを、ご説明します。

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「闘い」は、どこまでが正当と見なされるのか

 先日、ノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領の演説に篠崎が激怒したことは、このブログ、および12日のセミナーでも触れましたので、ご存知の方は多いかと思います。
 篠崎は9.11をきっかけに人生が180度転換した人間ですが、イラク戦争を境に中東で先進諸国が如何なることをしてきたか――パレスチナ問題が何故引き起こされたのかを知るに至り、「マイノリティの主張が、如何に都合良くねじ曲げられているのか」を実感しました。
 それでアラビア語を勉強し始め、イスラム教やイスラム史についても研究していきたい――そう思っているような人間故、アフガニスタンを「国まるごと悪」とでも言いたげなあの発言に、本当に腹が立ったのです。
 そして、何よりも「正義の為の戦争がある」という言葉が、私の中で怒りを爆発させました。
 「正義の為の戦争なんて、あってはならない」――それが、私の主義だからです。
 どんな闘いであっても、肯定されてはいけない。私はそう、思っていました。
 しかし、ここに来て少し思い悩むようにもなったのです。

 そのきっかけは、ジャレッド・メイスン・ダイアモンド博士の「銃・病原菌・鉄(文末に参考文献掲載)」を読んだことにありました。
 ジャレッド・ダイアモンド博士は、この著作で「何故、征服者である白人種族とその他の種族達に分かれたのか」――とどのつまりは「支配・被支配の二極化が何故起こったのか」を、あらゆる視点で言及しています。
 その中で私が上記の問題を考えるに至ったのは、「ポリネシア人種族の滅亡」について読んだからでした。

 図書館で借りた資料の為今手元になく、詳細を記載することは出来ないのですが、その上記著作の中で「無抵抗だったある種族が、元は同じ血筋だったポリネシア人達に、数日の間で虐殺された経緯」が書かれていたのです。
 ポリネシアやミクロネシアの周辺は、小さな島があちこちにあります。ニュージーランドからほど遠くない場所にあったその島は、狩猟を中心に生きていたものの、自然に畏敬を感じ、全体が調和しながら生きていたそうです。
 しかし、僅か離れたニュージーランドから、かつて祖先は同じ種族だった者達が突然攻め込んできて、女、子供構わず、その島に住んでいた人達全員を虐殺してしまったそうです。その上、人肉まで食したという記述もあります。
 虐殺された側にしてみれば、「何故、そのような攻撃を受けたのかまったく分からなかった」でしょうし、同時に、攻めこんだ側にしてみれば「我々は部族の慣習に従って、殺したまでだ」とそう説明するだろうと、ダイアモンド博士は述べていました。

 無抵抗主義――。
 その本を読んだだけでは、虐殺された人々が本当にそうした思想の元で、潔く命を差し出したのかまでは分かりません。――いえ。私が読んだ限りではむしろ、「闘うだけの武器がなかったので、やむなく滅ぼされる道を選ばざるを得なかった」ようにも読み取れました。

 その人達の文化は、おそらく今や途絶えてしまっていることでしょう。伝統も、言語も、虐殺されたこと、侵略されたことで、残ることなく地球上から消滅したことでしょう。
 以前、ニール・D・ウォルシュの「神との対話」を読んでいた時、「攻めてこられた時も、闘ってはいけないのか」というような問いかけに対し、神が、「本来高次の視点でいれば、闘いするよりも滅ぶ道を選ぶだろう」というような主旨のことが書かれていましたが――私はその言葉とポリネシア人に起きた悲劇を思い返し、どうも釈然としないものが残りました。

 例えば、人間に置き換えた場合。
 人間の肉体を維持しようとして様々な組織が働いていますが、外部から細菌などが入ってきた際、それを排除しようとする「白血球」の働きがあります。
 免疫組織というのは、とどのつまりは「外部からの侵略者」に対して「防備しよう」という働きです。
 この免疫組織がなくなったら――肉体が維持出来なくなるのは、言うまでもありません。

 侵略された場合にそれを防御しようというのは、これこそが「正当化された闘い」なのではないか――私はそう思ったのです。
 ニールの「神」に物申すわけじゃありませんが(そんなの烏滸がましくて、出来ません;)、「みながみな、侵略された際にただただ命を投げ出す」だけでは、それもまた神の摂理に反しているのではないかと、そう思えるのです。
 もし、この世が「神の巨大な実験場」なのだとしたら、罪のない人達が暮らす中突然現れた侵略者に虐殺されてTHE ENDばかりであったら――何の学びにもなりません。
 侵略する側も「侵略行為」を反省する機会が与えられないことになるし、殺されていく側も(仮に、高尚な意志を持った中で天国に召されたとしても)何もメッセージを残さないまま、この世から消えていくことになります。
 勿論、そうした人達の偉大なストーリーは後世の人に影響はします。
 ですが、それでみんながみんな「無抵抗主義」に陥ったら――この実験場に「善なるもの」が残らなくなってしまう。
 それもそれで滑稽な話のように、私には思えたのです。
 そんな無意味なことを、この世を設定した創造主がするのでしょうか?

 この世の存在意義を見出すとしたら、私は「苦悩と葛藤」だと、そう思います。
 葛藤があるからこそ、この世に「生きる意味がある」んだと、そう思えるのです。
 だとしたら、善なる者も自分たちの善を貫くことだけを目指すのではなく、「侵略で力づくにさせようとする者達」に抵抗をすることだって、決して悪いことではないのではないか――そのポリネシア人の話を聞いて、そんなふうに思わずにいられませんでした(と言いますか、そのポリネシア人の場合ただ単に武力がなくて虐殺されたのだとしたら、とても気の毒なことではありますが――)。

 勿論、和解を目指す為に話し合いを持とうとするのは大切なことです。
 でも、本来「正当化される闘い」があるのだとしたら――「自分たちの国が侵略された場合に限る」のではないか、そう思ったのです。
 そういった意味では、アフガニスタンへ「侵略」してるのは、アメリカの方です。
 どういった事情を連ねるにせよ、他国まで出向いて関係ない人達の生活を脅かし、戦争を仕掛けるというのは「侵略」以外の何者でもない――私はそう思います。(仮にアフガニスタンの人達がそれで武器を持ったとしたら……私は否定出来ないと、そう思います。いえ、もしかしたらここではすでにポリネシア人達に起きた悲劇同様、圧倒的な武力の差があるのかもしれませんが。)

 欧米人の歴史は「侵略の歴史」でしたが、今でもそれは引き継がれているとしたら、あまりにも悲しいことです。
 オバマ大統領も、それならばせめて免疫組織を見習って、自国の防衛のみに徹して欲しいものだと――つくづくそう思う次第です。


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銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎
(2000/09)
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「こころ」と「物質」を切り離す愚かさ

 昨日ブログで毒を吐いたものの、まだ「グツグツ」はらわたが煮えくりかえっている篠崎。←執念深いヤツ……。
 昨日も書きましたようにロシア人少女の件が最も頭に来たものの、行き着くことは「否定派はもとより、肯定派も真剣に『目に見えない世界』を論じる気がないのではないか」という点なのだと思います。(勿論、今回出演されていたエハンさんは違いますが。)
 そこには、「目に見えない世界」に対する畏敬の念もなければ、「生かされている」という謙虚な姿勢もない。「この世には、人間が認識出来るもの以外存在しない」とでも言いたげな、非常に傲慢な姿勢のように思えてなりません。

 以前このブログでも書きましたが、本来スピリチュアル(霊性)というのは「すでに現実世界に顕現されているものであって、それそのものを特出して論じるのはおかしい」のだと、私には思えるのです。
 それが、私がここでよく言う「一元論」です。
 「こころ」も「もの」もひとつなのです。互いにそれが共存しあっているのが現実の世界であって、物質だけが存在しているわけじゃありません。勿論、唯心論だけでも方手落ちです。

 超常現象だのオカルトだの、そういう現象のみを取り沙汰すことよりも、大切なのは「人間が霊的基盤の上で成り立ち、今を生かされていることに気づくこと」だと、私には思えるのです。
 2012年の問題にしたって、然りです。
 ポールシフトが起こるとか、フォトンベルトに突入するとか、何が起こるかなんてさほど重要なことではない、私はそう思います。
 人間に置き換えたって同じことですよね? 
 自分が交通事故で死ぬかとか、通り魔に刺されて死ぬかとか、頭から看板が落ちてくるだとか、いちいちそんなことを気にして人は生きていないですよね? 
 「どのみち、人はいつか死ぬ」のだから、「今」を精一杯生きることの方が大事。
 これは地球だって「同じこと」です。
 「何が起きるか」を論じるよりも、「現代は明らかに人類の過渡期であって、私達が意識的に何か行動を起こす必要のある時代なんだ」ということに気づくことの方が、今の私達にとって最優先されるべきことではないでしょうか?
 エハンさんは、そういうことを終始言っています。
 番組の中ではエハンさんが太陽のことに触れた後、勝手に「太陽フレアの件」だけを抽出し、まるでエハンさんが「それだけしか言ってない」ように編集されてしまっています。しかし、本来エハンさんが言いたいことは、そういうことではありません。それは、エハンさんのブログにある「独立個人」という言葉からも窺い知れますし、私が取材した記事を読んで頂ければすぐに納得出来るでしょう。(「こちら」で一部掲載しています。)

 私達人類は、今まで外枠に囚われ過ぎていました。
 国家に依存し、社会に依存し、肩書きに依存し、学歴に依存し、中身は「何もない」空っぽの状態で、フワフワと生きてきた――それが、今までの人類です。
 国が戦争をすると言えば、周りの意見に従い、平和を望めば非国民扱いされ、いざ戦争に負けてみたら今まで敵国だったはずのアメリカの思想にどっぷり浸かり――。(よく思うのですが……今の日本を見て、戦地で亡くなった方々はどんな気持ちでしょうね。霊やこころを否定する人は、こうした戦地で犠牲になったり国の為に闘った兵士達の思いも無下にしているように思えて、嫌な気持ちになります。←だって、幽霊懐疑的なら、慰霊塔にお参りもしないわけでしょ? あれだけ超常現象を頭こなしに批判しておきながら、「いや、僕は慣習でお参りしますよ~」なんて言った日にゃ、私は「ぶっ飛ばします!」

 しかしそうではなく、内側の意識をしっかり固め、「自分の軸」をしっかり持った上で社会や世界と調和しあえるようになることこそが、これからの人類に与えられた課題だと、私はそう捉えています。
 なので、そういった意味で言えば私の立場は――(あえて某番組を例にあげるなら)否定派では勿論ありませんが、肯定派ともまた違います。
 ああして「その現象だけを取り沙汰すこと自体、本来の霊性を誤認している」ように思えるからです。

 私達はいつだって、「霊的存在の働き」を自覚しています。
 一番分かりやすいのは「こころ」です。
心は、物質ではありません。それは、目に見えないからというだけでなしに、「物質から派生したものではないから」です。
 こころが「脳の電気信号で生じる」という一世代以上前の考え方しか論じられない科学者は、すでに現代の科学からは取り残されていると言っても過言ではないでしょう。
仮に「電気信号で生じる」というのなら、こころの働きは「誰しもが同じ」になって当然です。100歩譲っても、兄弟姉妹や遺伝的に近しいものは、必ずやその電気信号の派生に共通項が見られるはずです。

 しかし、一卵性双生児にしたって「心の働きがまったく違う」のは、誰が言わなくても分かることです。
 「似ている」と「同じ」では、意味が違います。信号というのは法則性のあるもので、そこから導き出される結果は「常に同じ」でなければならない。
 PCで考えてみれば、一目瞭然です。
PCは、様々な人が使い、どんなアレンジをしていたところで、「ひとつのプログラム」に対して出てくる結果は「一緒」です。何故なら、これこそまさに「信号から派生している」からです。

 人間は、そんな単純な生き物でしょうか?
 そうでないことぐらい、子供だって知っています。

 「こころ」は、霊体で言えば「現実世界に触れている部分」で、氷山の一角のようなものです。
水面下に現れている氷山はほんの一部で、その下が海底深くで繋がっていたりしますが、その「目に見えない氷山の下部分」が霊体と言っていいかもしれません。霊体と心は「海面から見えるか、否か」の違いでしかなく、実際は同じ「ひとつのもの」です。

 スピリチュアル(霊性)も、それだけを特出して取り沙汰せば目的を違えてしまいます。
本来であれば、「物質も霊性もひとつであり、現実世界はその両者が混在した世界なんだ」という見方が一番正しいのだろうと、私は思えるのです。
しかし、その土台となっているのは物質ではなく「霊性」です。
だからこそ、意識改革――人々の視点や価値観、心のあり方を変えることで、現実世界も変えていくことが出来るのだろうと、私はそう思うのです。

 今はこの「心と物質」を切り離した二元論が主体となる時代の終末にきていると、私はそう思っています。
そして同時に、「今、それに気がつかないと一人歩きした科学に人類は呑み込まれてしまうだろう」――そんな危機感も抱いている昨今です。


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モラルなさすぎの番組「超常現象Xファイル」

 ――注意――
 本日篠崎、いつになく「超激怒MODE」です。
 激辛トーク、および罵詈雑言が飛び交う危険がありますので、気分が落ち気味の方、或いはあまり刺激を受けたくない方は見ない方が無難かと思われます(苦笑)。



 昨日寝る前に「ビートたけしの超常現象 Xファイル」見ましたが――やっぱり、私が冒頭30分だけで感じた怒りは、妥当でしたね……(溜息)。
 一番腹が立ったのは、透視能力があるというロシア人少女に対する「扱い方」です。
 彼女は、自分の能力に胡座をかいているようなエセ能力者ではありません。無料で診断をして、なおかつ自分も内科医になる為勉強をしているような人でした。
 何故、内科医になろうとしているのか――おそらく、自分の能力に医学の知識をプラスアルファすることで、人の役に立ちたいと思ったのでしょう。それで実際に医大に通っているのだから、大したものです。
 そんな素晴らしい志を持つ、罪なき少女に向かって――何ですか、あの番組構成!
 コケ下ろす為に、わざわざ日本に呼んだんですか?
 あれは超常現象を検証云々とか、そういう問題以前に「番組モラルがない」としか言いようがないですよ。
 相手は18歳の少女ですよ? 日本でこんなことしたら瞬く間に問題になるだろうに、ロシアの遠くの地であればいいとでも言うのですか? このことが彼女の傷になって、将来に影響したらどう責任とるんですか? しかも、わざわざ日本まで呼んで――。(彼女が日本嫌いにならないことを、祈るばかりです……。)

 本来、こういう番組についてこそ、「モラル」を追及すべきじゃないですか? 

 多くの人は「あんなエンターテイメントに、真剣みを要求しちゃ駄目だよ」って言うでしょうね。
 でも、ゴールデンタイムの3時間特番ですよ?
 子供だって見るでしょう?
 子供に向かって、「これはエンターテイメントだから、気にしなくていいんだよ」って言うんですか?
 私が子供だったら、困惑している少女に向かって大の大人(おっさん)がコケ下ろすような場面を見たら「可哀想」っていう気持ちでいっぱいになります。不快な感情しか持てませんよ。
 それを「エンターテイメントだから」で終わらせて、いいのですか?

 私はビートたけしさんは好きですが、あの番組だけはいただけませんね。(ってか、そもそもあの番組ではたけしさんって、「おまけ」でしかないように思えるのは、私だけ?)
 大体、議論もまともに出来てないで、何が「検証」なんですか?
 心霊写真を冒頭に持ってきて、「わぁ~」「きゃぁ~」「怖い~」だの騒いでおきながら、そっちの検証は「いっさいせず」、おどろおどろしいアナウンスやテロップ流して助長させて、やってることが矛盾してない?
 「検証」と謳ってる以上は、そういう写真も検証したらどうなの?
 大体、「幽霊には懐疑的です」なんて言ってるゲストがいるんなら、そこで懐疑的になる理由を検証すべきじゃないの?
 そういう写真についてはいっさい検証せず、少女の能力については検証ですか?
 馬鹿も休み休み言って下さい。
 あまりに腹が立ったので、私の相方でもある麻日さんに文句を言ったところ、彼女も「あのロシア人女性の件は、ひどかったね。いじめにしか見えなかった」と言っていました。
 そう思ったのは、麻日さんだけじゃないと思いますよ。私だって、そう感じましたもの。

 ああいう場面を平気でゴールデンタイムに流しておきながら、「イジメ問題をなくそう」なんて、朝日テレビは二度と言うな!

 もともと嫌いな番組でしたが(今回は、エハンさんの絡みで見ていたものの)――よりいっそう嫌いになりました。
 あの番組構成は、明らかに意図的でしょ? でもまぁ、ただの意図的――っていうのであれば、メディアなんてもの自体そうなのだから、諦めています。 
 でも、自分たちの思惑を通す為に、少女に対してあのような番組の構成をするのは意図の範疇を超えています。「悪意」としか言いようがない。

 そういった点では、ケーブルテレビの普及は救われますね。ナショナル・ジオグラフィックチャンネルとか、アニマルプラネットチャンネルとか、為になる情報の詰まった番組がいろいろありますし。(何て言っても、忙しくてそっちもあまり見られないのですが――;)

 少なくとも、私はこの番組「もう二度と!」見る気ないです。
 地デジになるのは、そういった意味ではいい傾向かもしれません。レベルの高い他チャンネルに視聴者が流れていって、モラルの低い番組は淘汰されるべきです。



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2009-12-24 | 社会 | トラックバック(0) |

「ディベート」を知らない日本人

 今日、エハン氏が出演されるTVタックルが放映されるとのことで、最初の30分間は見ていたのですが――あまりに低次元なディベート内容にうんざりしてしまい、中断しました。
 姉に頼まれてビデオで収録中故、後ほど要点のみ絞って見ようとは思っています。(CMも含んでまともに3時間見るのは、とてもじゃないけど時間が勿体ない。)

 イギリスなどでは日本よりも遙かにスピリチュアルが浸透している為、こうしたTVなどで行う心霊現象否定派、肯定派のディベートも普通にあったりするそうです。
 しかし、日本の場合「ディベートのルールも知らないような人達」がゲストで出ているって、一体どういうことなのでしょう? 
 否定派の松尾貴史氏は俳優だから仕方ないにしても、大槻教授は教授職にありながら、あんな稚拙な言論しか出来ないって――どういうことでしょうね。しかも名誉教授って……。名誉を頂く程の誉れ高い研究、何かされてましたっけ?

 ホラー作家の山口敏太郎氏は、とても鋭い視点の問いかけをしていました。大槻教授が「スピード違反を測定する装置で警察が取り締まるのは科学的ではない」という主張で裁判しているというのを、私は山口氏の意見で初めて知りました。
 「測定器が科学的じゃない」って意見、多くの方が「えっ? 何で」って興味を持ちますよね。
 勿論、私も持ちました。
 だって、「科学者が言う『科学的じゃない』っていうのは、何を根拠にそう言うのだろう?」って疑問に思いません?
 すると、大槻教授の言った言葉。
「どんな装置だって誤差がある」

 ――へ? 
 そ、そんな安易な理由で、「科学的じゃない」なんて断言しちゃって、しかも裁判までやっちゃうの??(個人的には、たぶん大槻教授がスピード違反か何かで捕まって、それをゴリ押ししたくて「科学的じゃない」ってごねてるだけなんじゃないかと、穿った見方までしてしまいましたが――)
 
 その理由を逆手に取り、山口氏は「だったら、教授が今までそういった装置を使って『科学的じゃない』と否定してきたことは、矛盾になりますよね」と切り返しました。
 これは、誰が聞いたって山口氏が言うように「矛盾」ですよね。
 考えても見てください。教授が作った装置なんてものは、法律で使われる根拠もない程、また、誰が論証に使えることもないぐらい、「狭い範囲」でしか使われてない代物ですよ?
 かたや、スピード違反の装置は、法律上それを使用させるにあたって検査や実験は何十回とされたことでしょう。
 大槻教授の作っている装置って、そこまで予算使って実験出来るのでしょうか? どう考えたって、国家予算が絡んでない限り「無理」ですよ。

 この山口氏の指摘は、誰が見ても明らかな指摘です。反論の余地はない。 
 しかし、あろうことか大槻教授は「矛盾じゃない」と言って、開き直りました。

 …………。
 ――何だかあまりに子供じみていて、気の毒にさえ思いました……。

 こういう、誰が聞いても明かな矛盾を「矛盾じゃない」と言ってしまえる人が名誉教授であるという事実に、私は懸念さえ抱きます。
 世の中には、もっと素晴らしい研究活動をしているのに助教授の称号しかもらえない人だっているにも関わらず、一体何をもって「名誉」というのでしょうね……。彼に名誉教授の称号を与えようと決めた方に、是非意見を伺いたいぐらいです。

 それはさて措き。
 この番組の中であまりにディベートが軽んじられているのには怒りを通り越して、呆れてしまいました。
 しかし、これはこの番組に限ったことではないような気もします。

 日本における「ディベート」って、何かひとつの意見に対して「否定派、肯定派問わず、新たな境地に達しよう」という視点じゃないから、不毛に思えて仕方ありません。
 最初から「俺、ずっと否定派」「私、絶対肯定派」で論じて、何の発見があるのでしょう?
 ただの意固地な言い合いに過ぎないじゃないですか。
 ディベートというのは互いの共通概念を確認しあった後、その上で「さらなる視点」を求めて意見を言い合うことです。相手を徹底的に責めるのがディベートなのではありません。言い合いでも何でもなくて、「新たな発見を見出そう」とするものです。ヘーゲルの言う「アウフヘーベン(止揚)」の視点とも言うべきものであり、「正」と「否」の意見を乗り越えた新しい地点を探るものでもあります。

 しかし、日本はメディアだけでなく、政治でも同じことが繰り返されているから嫌になります。
 本来、与党も野党も関係なく、「本当に国民にとっていい道は何なのか」を模索すべきです。しかし、実際は国民なんかそっちのけで、与党は議席を確保するしか考えず、野党は与党をひきずり下ろすことしか考えない。
 これが本当の民主主義だというのなら、私は鼻で笑ってやります。
 そもそもマイノリティが無視されている時点で、全然民主主義じゃないでしょう。マイノリティの意見を汲み取り、かつ、その中で統合的な視点を持ち、多数派、少数派の意見の折衷案を探るのが民主主義じゃないですか? 今の日本は明らかに「与党主義」でしょう。与党になったものが「勝ち」。

 ……いえ。正確には「マスコミ主義」かもしれませんね。
 いざ与党側に立っても、首相になれば叩かれて――おそらく今に、「将来、絶対になりたくない職業は?」というアンケートに対して「日本の首相」と書く人も出てくるのではないかと思う程(そんな奇特な人は、そうそういないかな)。

 こういう政治も、元を正せば「真剣に議論の出来ない国民性」にあるような気がします。
 議論というと、「闘わなければならない」「勝たなければならない」そういう視点で見ている人が多いのではないでしょうか。
 私は今までに複数回ディベート経験をして来ましたが、反論されることで卑屈になる人も結構いました。おそらく「反論=人格の否定」と受け取る人が多いのでしょうね。
 そんな貧弱な精神で「いいのか!」と、叫びたくなることが多々ありました。
 反論というのは、否定とは違います。「あなたの意見は、私の視点から見るとこう聞こえる。それについて、あなたはどういう意見を持っているのか、教えて欲しい」という姿勢なのです。すなわち、そこにあるのは「相手を負かそう」という姿勢ではなく、「お互い持っている意見を出し合って、さらに新たな意見へと到達しようよ」という相互扶助の関係性なのです。
 なのに、それをどうして闇雲に「否定」「闘い」と受け取るのでしょうか。

 今日の番組を観ていて情けなかったのは、山口氏が「これはディベートなんです」という主張に対し、否定派が一気に「引け腰」になった点です。
 だったらあなたは、「高いギャラもらってる癖に、一体何しに番組出ているの?」って感じです。 
 仮にそういう姿勢を番組側も了承しているのだとしたら、最初からあの番組は「肯定派をやり込めて、面白がってる低俗番組」に過ぎません(って、「最初からそうだ」と言われてしまえば、ぐうの音も出ませんが;)。

 気分が悪くなったので冒頭30分だけ見て中断しましたが、寝る前にまた見直した際、少しでも為になる情報が残っていることを祈るばかりです。
 エハン氏のトークは後半のようなので、一抹の不安を抱きながら(TVっていうのは、ホントに都合がいい程編集でねじ曲げてしまうものなので。番組の主旨が最初から「((番組の言葉を借りるなら))オカルト肯定派」を叩く目的で作られているのだとしたら、エハン氏が本当に言いたいことの10分の1も視聴者には伝わらないでしょうから)見ようと思っています。
 すべてを見終えましたら、明日改めて記事にしようと思っていますので、楽しみにお待ち下さい(あまりに怒り狂って記事に書く気力さえ萎えちゃってたら、ごめんなさい;)。


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真理は「現実=霊的世界」。霊的な特殊行為をしなくても、私達は「ただ生きているだけ」で、充分霊的存在なのです。
それなら、「どうすれば霊的実存」に気づけるか。霊的実存というのは神秘体験ではなく、「ここに在る」という実感に気づくことそのものです。決して奇抜な行為ではないということを、ご説明します。

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2009-12-23 | 社会 | トラックバック(0) |

偉大な物語の結末

 篠崎は、映画「ロード・オブ・ザ・リング」が大好きです。もう何十回……いえ、三桁に至るぐらいは繰り返し観ています。
 何故それほどまでに、繰り返し観るのか――この映画の中に、今の時代における「重要なメッセージ」が籠められていると、そう実感しているからです。

 原作者のJ・R・R・トルーキン(1892-1973)は、自分の物語に「寓意」をつけられることを嫌ったそうです。
 寓意をつけられることで、読者の感想や印象に対して「制限」かけるのが嫌だったのでしょう。そうしたトルーキンの配慮は功を奏し、時代が変わった今になっても、読む人達それぞれの中での「解釈」が可能となっています。
 こうした原作者の意図は、映画を作成したピーター・ジャクソン監督にもしっかり受け継がれている――そう思います。この映画作品の中では多くの登場人物が、自らの役目に赴いて生きていく。何度観ても、この映画からは違った感動と学びがあります。

 この作品の中で好きな台詞は沢山ありますが、中でも一番大好きなのは、「二つの塔」の終盤に出てくるサムの台詞です。
 サムは、指輪を滅びの山に運ぶという重い使命を担ったフロドを献身的に支えます。サムがあれほどの信念を持っていなかったら、絶対にフロドの使命は達成出来なかっただろう――そう思います。アラゴルンもレゴラスも格好いいですが、私個人的にはサムを「準主人公」に位置づけたいぐらい大切な立場だと、そう感じずにいられません。

 この台詞も、指輪の悪に翻弄され、心が弱りつつあるフロドの意志を再認識させてくれる程の力を持っています。
 人間の国ゴンドールの指揮官であるファラミアに捕らえられたフロドとサムは、連れて行かれたオスギリアスでオーク達(敵)の攻撃に遭います。
 指輪を探す幽鬼(ナズグル)の罠に堕ちようとしたフロドを、サムが身をもって守りますが、指輪に意志を乗っ取られたフロドは、あろうことか親友のサムに斬りかかりました。
 正気に戻ったフロドがその場で崩れ落ち、蹲ったまま「僕には出来ないよ、サム(I can't do this, Sam)……」と呟き――その後、サムの台詞が続きます(※吹き替え版の台詞を、日本語訳に代用しています。その為、一部原文と違う箇所もありますが、御容赦ください)。


【サム】
 ええ。酷すぎます。
(I know. It's all wrong.)

 ここにいること自体、間違いです。
(By rights, we shouldn't even be here.)

 ……でも、「ここ」にいる。
(But we are.)

 まるで偉大な物語の中にでも、迷いこんだような気分ですよ。
(It's like in the great stories, Mr. Frodo.)

 闇や危険がいっぱい詰まっていて、その結末を知りたいとは思いません? 「幸せに終わる確信がない」から。
(Full of darkness and danger they were.And sometimes you didn't want to know the end , because how could the end be happy?)


 こんな酷いことばかり起きた後で、どうやって世界を元通りに戻せるんでしょう?
(How could the world go back to the way it was when so much bad had happened?)

 でも、夜の後に必ず朝が来るように、どんな酷い闇も永遠に続くことはないです。
(But in the end, it's only a passing thing this shadw.Even darkness must pass.)

 新しい日がやって来ます。太陽は前にも増して、明るく輝くでしょう
(A day will come.And when the sun shines, it will shine out the clearer.)

 それが人の心に残るような、偉大な物語です。
(Those were the stories that stayed with you that meant something.)。

 子供の時読んで理由が分からなくても、今ならフロド様、何故心に残ったのかよく分かります。
(Even if you were too small to understand why.But I think, Mr. Frodo, I do understand.I know now.)

 登場人物達は、重荷を捨て引き返す機会はあったのに、帰らなかった
(Folk in those stories had lots of chances of turning back, only they didn't.)

 信念を持って、道を歩き続けたんです。
(They kept going because they were holding on to something.)



【フロド】

 その信念って、何だい?
(What are we holding on to, Sam?)



【サム】

 この世には命を賭けて戦うに足る、素晴らしいものがあるんです。
(That there's some good in this world, Mr.Frodo.And it's worth fighting for.)




 私はこの場面が大好きで、つい繰り返し観てしまいます――。

 「愚痴は忍耐力のバロメーター」にも書きましたが、私は愚痴が大嫌いです。
 言うのも聞くのも前から好きではありませんでしたが、この難しい時代に突入して、尚更嫌いになりました。

 こんな時代に生きていれば、誰にだって不安はあります。
 でも、その不安ばかり見て状況を嘆いたところで、一体何が変わるのでしょう? 
 そんなところにエネルギーを使うぐらいであれば、「前進するために、何でもいいから努力すべき」です。
 愚痴を言わなければ、ストレスの捌け口がない――というのは、「甘えの構造」です。その意味を理解するには、今、皆さんが持っている不安を、誰かに思う存分「ぶつけてみた」ことを想像してみればお分かり頂けると思います。
 言ったところで、何かが解決するでしょうか?
 「ああ、スッキリした」と思うかもしれませんが、そこから先、何を得られるのでしょうか? 
 言われた方の気持ちはどうでしょうか? 自分はスッキリしても、相手に不快な思いをさせて――それで、本当に自分もスッキリ出来るものでしょうか?

 愚痴を言いたい気分になったら、「ロード・オブ・ザ・リング」のサムとフロドを思い返して見て欲しい――そう思います。 
 私だって、不安な時はあります。辛いことも、苦しいこともあります。
 でも、絶対にそれを外には出しません。自分の中で抱え込み、その不安を真っ正面から直視して、解決策を模索します。
 愚痴は、一種の「コミュニケーションツール」なのかもしれません。愚痴が愚痴を呼び、不平不満を言い合うことで「お互いの絆」を認識するという――でも、それは「間違ったコミュニケーションのあり方」です。相手の愚痴を聞きたがる人の心理の奥底には、「あら、誰々さんも不安なら、私も大丈夫ね」という安直な優越が横たわっている――私はそう思います。

 人間にとって必要なことは、一時の気休めではなく、「本当の意味での解決」です。
 そして、本当の解決は「新しい発想」に行き着くことです。不安だけを見つめるのではなく、「今、自分に出来る最善のこと」を模索し、実践することが大切なのだと、私にはそう思えるのです。

 この時代を生きる私達は、誰もが「フロド」であり「サム」なんだと、私はそう思います。
 ロード・オブ・ザ・リングの中に出てくる様々な登場人物が、各々の個性に応じて役目を果たしたように、私達ひとりひとりにも、各々の個性に応じた「役目」が、与えられていると、私にはそう思えるのです。
 それを愚痴などに費やしてしまったら、本当に勿体ない――。
 少しでも、自分に出来る努力をしていけば、必ずや「道は開ける」のです。サムが「酷い闇も永遠に続くことはない」、そう言っているのと同じように。

 私達がいる「偉大な物語の結末」は、まだ誰も知りません。
 それは、今を生きる私達が「演じている最中」だからです。
 その結末がどうなるのか、知りたいと思いませんか?
 幸せに終わる確信がなくても、「幸せに終わらせようと努力すること」なら出来ます。
 私達が残す「幸せ」は、無駄にはなりません。新しく生まれてくる生命達に、受け継がれるからです。
 だからこそ私は、世界の夜明けが来ることを信じて――自分がすべきことをただひたすらに突き進めて行きたい、そう思っています。


【お知らせ】
 ピーター・ジャクソン監督の最新作「ラブリーボーン」が1月29日から公開されるそうです。この作品は、14歳で何者かに殺された少女が天国に逝ってからの物語。ストーリーと予告編を見ただけで、とても気に入ってしまいました。絶対観に行きたい、そう思っています。

 「ラブリーボーン公式サイト」


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内側を探るも、外側を探るも、結果的には「同じ」

 ここ三日間ほど体調を甚だしく崩していた関係で、ブログの更新が滞ってしまいました……。
 今日は、何とか復活しています。が、あまりにやることが溜まってしまっているので、現実逃避したい反面(苦笑)――体調が復活した以上逃避は出来ないので、「ああ……、休んでいられた頃が懐かしい――」なんて思いも過ぎり、複雑な気分です。

 とはいえ、この三日間「何もしていなかった」わけではなく、むしろ試行錯誤と考察の「嵐」でした。
 私がこの三日間に至る前までずっと試行錯誤していたのは、「外在神」と「内在神」における考え方の差違でした。
 欧米諸国から派生した政治システムは「外在神」に由来しており、その為、「外枠からの働きかけ」というのがとても多いです。
 例えば「寄付」の考え方ひとつを見ても、そうだと思います。貧しい国や人々を見た場合、「自助努力」を育てる方向に向かうよりも、「お金を寄付する」という考え方(これはイスラム国家でもそうだと思います)。
 最近は考え方もだいぶ変わってきて、「自助努力を支えよう」というNGOなども増えてきましたが、歴史を振り返るに「外側からの援助」というものが非常に多く、「共同体のひとつと見なして、共に歩こうとする姿勢」には欠けていたように思えるのです。

 では、今度「内在神」という考え方ではどうでしょうか?
 日本を歴史的に振り返った際、こうした「内在する神への信仰」が重んじられていたかと言えば、決してそんなことはありません。浄土真宗にしろ、浄土宗にしろ、「極楽は外在するもの」という考え方です。自分が内面に極楽を抱えているという発想であるならば、「ナムアミダブツを唱える」という発想にはならないはずです。
 そうである以上、実は日本も古来から「内在神であった」という考え方は否定せざるを得ません。
 また、日本人は非常に「空気に敏感」です。言い方を変えれば付和雷同的特徴が、日本人には眠っています。(このあたりのことについては、山本七平氏「空気の研究」などをご参照頂けますと、実感出来るかと思われます。)
 こうした付和雷同――情報を鵜呑みにしてしまうという姿勢は、全然「内在神」という考え方とは相反します。言ってしまえば、日本は古来から「日本オリジナリティではあったものの、欧米諸国と変わらない『外在神』を信仰していた」ことになるのです。

 だとしたら、この「内在神」という考え方を掘り下げていったら、どうだろうか。これは、新たな思想システムに至る為の着眼点のひとつにならないだろうか――。
 私はそう思い、あれこれ模索して行き着いた結果は――「これだけでも、足りない」ということでした。

 要するに、「外在」だろうが「内在」だろうが、「それひとつの視点だけでは、意味を成さない」ということです。

 この「内在」「外在」という言葉は、ここでも何度か紹介した伊勢白山道のブログで良く使われています。
 白山道の本やブログ内では、「内在神が、森羅万象に行き着く」という解釈をしています。それは、元を辿ればインド古来からある哲学、ウパニシャッドの「梵我一如」と同じ発想であり、決して真新しいものではありません。
 では、こうした「内在から森羅万象に行き着く」という視点に立ったインドの修行者達がどこに辿り着いたか――と言えば、「隠遁生活」。俗世を辿り、外界からの刺激をすべて断って、「至高の境地を得る」というものでした。
 白山道内の記事では、そうした俗世否定ではなく、「肯定」をしています。それを「日常への感謝想起」という言葉に置き換えています。

 しかし、私は色々と模索し、実践した結果、「これだけでも、答えにならない」ということに行き着きました。
 何故なら、今や世界規模、国際規模で情勢が変わっているにも関わらず、日常だけに感謝を捧げると結果的に「保守的な視点」ばかりが育ってしまい、「自分の日常と接しない(縁のない)外部のことには、無関心になる危険」があるからです。それでは、前述したインドの修行者と変わりがありません。
 少し前の日本であれば、そういう視点でもやっていけたでしょう。
 でも、すでに「時は遅い」のです。
 そんな保守的な視点でいたら、間違いなく日本は地球規模で流れる改革から外れてしまい、取り残された国となってしまいかねません。
 「日本は大丈夫」「自分たちは大丈夫」という思い上がった視点でいれば、その分、他国の宗教や思想を受け入れることさえ出来なくなってしまいます。

 私はこの三日間試行錯誤した結果、「外在だろうが、内在だろうが、どちらにも欠点はあり、どちらにも利点はある。その両者を見据えていくことの方が、一番正しい森羅万象へ行き着く道だろう」という解答に至りました。
 今はもう「一国」を取り沙汰しているような時代ではありません。
 地球全体を意識し、「自分たちは、その一部なんだ」という感覚になれることの方が大切です。
 幸いにも、海外ではすでにそうやって地球視点でものごとを論じられる学者も出てきています。先日ご紹介した「世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す」の著者ジョセフ・E・スティグリッツや、人類史を追い続け、その中で「世界の不平等を暴き出そう」としたジャレッド・ダイアモンド博士のような人もいます。
 彼らの素晴らしいところは、スピリチュアル的視点をすでに「研究分野に内包している」という点です。

 最近私が思うのは、スピリチュアルというあり方は「特出すべきもの」ではなく、「どの活動にも内包されていなければおかしいもの」なのだと思えるのです。そればかりを特別なもののように拝み、そこからの指針に頼ってしまうことはおかしいことなのではないか、と。
 私はよく「一元論」という話をしますが、それは「価値観の一元論」ではありません。「物質」対「霊性」という概念に対して、二元的に分離してしまっていることに対する「一元論」です。価値観の一元論を説いてしまえば、それは危険な「統一主義」に陥ります。私が大嫌いな、一律支配主義です。
 私があげている一元論というのは、「現実的な活動、現象、すべてに霊的作用が及んでいて、それらは決して背反しない」という視点です。そうした意味で考えれば、霊的なものばかりを抽出するのもまた不自然です。それは言ってしまえば、「唯物主義者」を裏返しただけのものだからです。
 スウェーデンボルグや、シュタイナーの時代であれば、それでも良かったでしょう(何故なら、あの時代は霊的分野が宗教によって歪められたり利用されている側面があったので、真理を知らせる必要があったからです)。しかし、時代が変わろうとしている中、スピリチュアルの奇抜な現象ばかり追い求めてしまうのはもはや時代錯誤になりつつあるようにも思えるのです。

 私達は霊的な情報、スピリチュアルに関する情報を沢山見聞きしている分、それをもっと現実的な側面に落とし込み、現実問題と向き合った中で理解していく必要があるのだと、そう思います。
 国際問題にしろ、社会問題にしろ、すべては背景に「霊的真理」が内包されています。
 外在する神、内在する神、そのどちらから行くかというのは方法論に過ぎず、どの道を辿ったところで欠点はあり、利点もある――だから、自分にあった方法が一番いいのだろう、というのが私自身の答えです。ひとえに「外在なので駄目」とか「内在だけがいい」とか、そんな杓子定規的答えにはなってはいけないし、そういう杓子定規的な視点こそが、支配・被支配という差別的発想の一因にもなっているのです。

 方法論を超えて、神の「居場所」を頼ることなく、
 自分たちの力で模索し、その中で「道」を探し出す――
 それが、今を生きる私達全員にとっての「究極の課題」なのかもしれません。



※お知らせ
「霊性の指針」無料公開鑑定が遅れております。ごめんなさい; 今しばらくお待ちください――;


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2009-12-20 | 真理 | トラックバック(0) |

地球の運命は、個々人の「意志」が握っている

 昨今、2012年が近づいているせいもあってか、あちこちで情報が錯綜しているようですね。あまりに色々な視点でものごとが語られているので、情報を発する方は、今まで以上に慎重になる必要性を感じます。
 インターネットやブログは、私達の間から「時間」の概念を取り払いました。
 今までは遠くの国で事件が起きても、それが報道されるまでに数日の間が必要でした。しかし、今ではそれがネットで配信されれば瞬く間に伝わります。
 勿論、その国の言語を習得出来ているか否かにも寄りますが、英語で発信されたものであれば、ほぼ全世界が一瞬で受け取れることでしょう。ネットに慣れ親しんでいる世代からすればあまりピンと来ないかもしれませんが、「新聞の切り抜き」を夏休みの宿題に出されたような篠崎世代(30代後半)からしてみれば、あまりにスゴイことです。大体、私は「新聞」を朝読まなくなった程です。何故なら、朝刊の内容は、その前日の「夜」にネットで読んでしまっているから。

 「まるで、勢いよく漕ぐ自転車に乗っているみたいだ」――今日、ふとそんなことを感じました。

 自転車は、最初に漕ぐ時は努力がいります。地面を蹴って、バランスを保ちながら、ペダルを漕がなければなりません。
 そのうち勢いがついて、漕がなくても自然に自転車は動いていきます。気がつけば景色がいきおいよく流れていき、頬に当たる風も心地よい――。

 その状態であれば、まだいいです。
 しかし、そのうちどんどん加速していった場合、景色はいきおいが良すぎて見えなくなり、向かい風が強くなって目蓋も開けられない状態になったら……どんなことになってしまうのでしょうか。

 「現代」という時代は、もはやその状態。
 「勢いよく、自転車が勝手に走っている状態」なのではないかと――そんなふうに思うことがあります。
 「このままでは、まずい。どこかにぶつかる!」そう思うも、もし、脳がそのように命令を下したところでハンドルがうまく動かなかったらどうでしょう。それどころか、「勝手に」ハンドルが切られていたとしたら――。
 もしくは、そのままの勢いで進んでいったら、実は道の向こうが「崖」だったら、どうなるのでしょう。

 私はそう考えたら、とても怖くなりました。

 「情報」というのは、自転車を動かす「ハンドル」のようなものだと思います。うまくバランスを保たないと、それこそ自転車を暴走させてしまいかねない。
 私達の自転車――「地球」という自転車のハンドルを動かしているのが「私達の意志」だとしたら、私達ひとりひとりが明確に「今」を認識しないと、誤った方向に向かうのではないか……私はそのように感じることがままあります。
 すべての生命を乗せた自転車のハンドルを任されている私達が、それを失敗してしまったら――これほど美しい惑星と様々な生物達を生み出してくれた存在に、それこそ申し訳がたちません。

 何が真実なのかを、見極める目。
 それは、「個々人に頼るしかない」――私はそう思います。
 「外部から宛がわれた真理」など、ありはしないのです。真理はつねに「こころ(心裏)」にあり、真理に至る為には、多くの真実を経なければならない。そういった意味では、情報は本当に「命」です。情報がなければ、私達は何一つ「判断出来ない」からです。
 情報は「判断材料のひとつ」でもあります。しかし、それを盲信してしまえば、自転車のハンドルを「誤った方向」へ向かわせてしまいかねません。

 ずっと前の記事で、「自己責任は自発的に発することにこそ意味があって、他者から要求することは出来ない。他者へそれを要求した時点で、その人は自分の責任を相手へ『責任放棄』したことになる」と書きました。
 それは、こうしてブログを書く人達全員に言えることだと、そう思います。
 でも、だからといってブロガー全員に「その自覚があるか」と言えば――必ずしも「そうではない」でしょう。
 何故なら、ネット世界は「匿名」だからです。匿名というのは、責任感を希薄化させる傾向があります。
 勿論、私も匿名ではありますが、私の場合はこの名前で活動を始めてもうすぐ10年になろうとしています。そうである以上、たとえ身分証明書がないとはいえ、私の中ではそれが「確固とした自我の一部」になっているのです。ですので、安易な発言をしようなんて、まったく思いません。(いえ。もしかしたら、本名で言論活動していない分、篠崎由羅としての方に重みを感じているかもしれない、というぐらいに――)
 ですが、そうした責任感を欠片も持たずにコロコロとハンドルネームを変えたり、最初から「匿名開き直り」で言論活動している人は、如何なものかと思うケースもままあります。
 人気ブロガーとして有名な人の中にも、「あまりに情報を無防備にさらけ出しすぎではないか?」と疑問に思う人もいます。ましてや有名人、かつての偉人と呼ばれた人達に対して、独自の判断で評論するという姿勢は論外です。その人の活動、および言論をすべて挙げ連ね、比較した上で自分の意見を述べるのならばいいですが、ただ勝手に「この人のレベルは○○」とランク付けするような情報を、鵜呑みにすべきではありません。
 正確ではない情報を鵜呑みにした結果、その人を高く評価している人物と諍いになってしまう危険もあるからです。評論や言論をする側は、その対象となる相手や事物に対して研究家と等しいぐらいに真剣に向き合ってこそ、すべきと思います。そうでない限りは、絶対に軽率なことを言うべきではありません。

 これだけ情報が溢れている中、みなさんにひとつだけ忠告出来ることがあるとしたら――「ご自身の中で違和感を感じたものには、絶対に近づかないでください」ということだけです。
 信じられるのは、「自分の良心だけ」です。
 それは、他者を信じるな――ということではありません。
 どんなに他者を信頼したところで、「他者自身ではない限り、自分のフィルターを通じて認識した、相手の投影像」に過ぎないのです。他者の言論を「本物」にさせる為には、まず、自分自身の中でそれを咀嚼し、「自分の血と肉にさせて初めて」そうすることが出来るのです。そうなった時には、その言葉は「他者のものではなく、『あなた』の言葉」になります。

 何だか、まわりくどいですね(笑)。
 分かりやすいように例をあげて言いますと――。
 篠崎を例にあげましょう。篠崎が、ここで「1+1は2なんだよ」と言ったとしましょう(レベルが低すぎる例で、すみません;)。
 でも、みなさんはそれを「いや、違う。実は3なんじゃないか?」とか、「いやいや――。実際あそこで篠崎が引用したのは『+』じゃなくて、『-』なんじゃないか」と思ったとします。
 そこで違和感を持ったら、絶対に「俺ぁ、絶対答えは0だと思うけど、まぁ、こいつが言うなら2なんだろうな」と、自分の直感をねじ曲げてまで、信じないでください――ということです。
 さんざん検討した結果、「そうだな。確かに、2かもしれない」――そう思ったら、そこで出た結果は「篠崎の答え」ではなく、「みなさんの答え」なのです。堂々とそれを宣言して構いませんし、いちいち「篠崎が、こう言ったから」と言う必要はありません。

 「この世に100%の真理はあり得ない」でも言いましたように、外部の真理は決して「100%ではない」のです。もし、何かひとつでも違和感を感じたら、そこは決して受け入れない――そうやって試行錯誤しながら、考察力を伸ばしていくことが必須なのではないかと、私は実感する昨今です。
 そうでなければ、勢いよく進んでいく自転車をコントロール出来なくなってしまいかねないからです。

 私が最も恐れるのは、「情報が一人走りして、過ちが起きてしまう危険」です。
 「そんなことは、起こり得ない」――そう思いますか?
 いいえ。充分に「あり得ます」。
 現に、私達はそういう事件を多々目にしているではないですか。昨今の例で言えば、アメリカ――9.11が起きた直後、ビン・ラディンの顔写真が報道された後、まったく関係ない人が「ビン・ラディンに似ていた」という理由だけで殺された事件がありました。
 日本でも、北朝鮮のテポドン問題があった際、朝鮮学校の制服(チマ・チョゴリ)を着ていた女子高生が、立て続けに制服を切られるという事件がありました。
 これらの事件は、決して大元の事件と直結しているわけではありません。しかし、少なくとも「情報が端を発している」のは事実です。「慎重」になるのと、「闇雲に防衛しすぎて、相手を攻撃する」のでは、根本的に意味が異なるのです。

 本当の意味での防衛は、「自分が情報に惑わされない」――これに尽きる、そう思います。
 常に冷静(霊性)に――そして、自分の奥深くに眠る心裏(真理)の動きに耳を澄ましていれば、絶対にその情報が正しいか否か、判断出来るはずです。

 余談ですが。
 先日、オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞した日に「ノルウェー上空に怪光が走った」と、話題になりましたね。

 http://www.youtube.com/watch?v=rkx7myyAk4s

 私は正直言って、あまりいい気持ちがしませんでした。
 何故なら、その時にオバマ氏が言った言葉が、平和とはとても縁遠いものにしか思えなかったからです。私は正直言って、「あの映像は、昨今の2012年問題にかこつけて何かの宣伝効果を企んだのではないか」という穿った見方さえした程です。

 みなさんに、お伺いします。
 今、あなたの目の前に「見目麗しい宇宙人」が降りてきて、「あなたの隣に住む人は悪魔です。世界の為に、彼を殺してください」――そう告げたら、どうしますか? その呼びかけを遠ざける程の、意志力をお持ちでしょうか?
 突然そう言われても、さすがにみんなYESとは言いませんよね?
 でも、もしその宇宙人が狡猾で、とてもフレンドリーに接していて、私達の「絶対的な信頼」を得た後に、じわじわと洗脳してきたら……どうでしょうか?

 はっきり「NO」と言い切る強さが、みなさんにはありますか?

 正直言って、私は「分かりません」。私は、自分がそれほど強くなれるか、自信がありません。ある意味、その弱さが人間の魅力であり、また、欠陥にもなる――諸刃の刃とも言えるでしょう。
 人間はそれほど、「情に脆い生き物」なのです。常にいつも、心を律していないと、情に惑わされて我を見失ってしまいかねません(情報は、まさに「情」の「報」です。日本語とは、よく出来ています)。

 この殺伐とした時代の中で、宇宙人や「神の見えざる手」の到来を待つ人達は大勢いるようです。
 そうした人達には大変申し訳ないですが、私はそれを「拒否」します。
 何故なら、「外部からの呼びかけに明確な判断をつけられる程、人類の意志が成長していない」ように感じるからです。
 本当に大切なのは、「私達個々人の、明確な意志の目覚め」です。サナギから蝶になる為には、自分が熟成して殻を破っていくのが正当なのだと、私にはそう思えるのです。
 その力が臨界点を超えた時――地球は本当の平和に向かって、歩き出せるのかもしれません。

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―あなたが霊的存在であることの証明―

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真理は「現実=霊的世界」。霊的な特殊行為をしなくても、私達は「ただ生きているだけ」で、充分霊的存在なのです。
それなら、「どうすれば霊的実存」に気づけるか。霊的実存というのは神秘体験ではなく、「ここに在る」という実感に気づくことそのものです。決して奇抜な行為ではないということを、ご説明します。

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「他者の痛み」が分からなければ、世界平和も実現しない。

 今日は一日、やることが天こ盛りだった篠崎ですが――朝、目にしてしまった記事により一気にテンションが下がってしまい、予定は一転――「試行錯誤」で暮れてしまいました……。

<宮城死体遺棄>84歳自宅近くの山林に 容疑で長男を逮捕 

 この記事、目にされた方も多いかと思います。
 どういう印象を、持たれたでしょうか?
 私はとにかく……ただただ「辛い」――そう思いました。この息子さんはお母さんの遺体のそばで、蹲っているのを発見されたのです。その姿を想像して、あまりの痛々しさに胸が苦しくなったのは、私だけではないはずです。

 私がこの記事を読んだ後、mixiでも同様に記事が掲載されていました。みんな、どのような反応をしているのか興味を持った為、ざっと日記の冒頭を目に通したところ、半数が同情、半数が批判――中には中傷に近いものもありました。
 「年金暮らしっていうことは、息子が殺したんじゃないか」という意見もありましたが――考えてもみてください。殺人犯が、自分が埋めた遺体のそばに蹲っていますか? どうしてそんなことを考えられるのか、私には疑問です。
 この親子がどのような生活をしていたのか、そんなことを私達他者がとやかく言える筋合いはありません。大切なのは、「他者の不幸を知った時に、どれほど自分も同じ痛みを味わえるか」ということです。

 私は、「本当のスピリチュアリティとは、そういうことだ」と思います。
 天使も、悪魔もへったくれも、関係ない。
 「どのような心持ちで、現実世界を生きられるか」ということに尽きる――と。
 12日のセミナーの際、「霊」というのを「海面から出ている氷山」と、「水面下に隠れている氷山」の例で喩えました。すなわち、「海面から出ている氷山」というのは、現実的に顕在する私達の「こころ」であったり「感情」で、水面下に隠れている氷山が「霊的な存在である」と。

 もしも、海面から出ている氷山の部分で「他者の痛み」を感じられないのなら、
 水面下に隠れている氷山も、その痛みを感じられないはずです。
 みんなが同じように神の一部を内在させていたとしても、
 そのレベル、その大きさはマチマチです。
 だからこそ、世界には未だ紛争が続き、
 理不尽な殺戮、一部の富裕層による不平等な支配が続いているのではないでしょうか?
 みんながみんな、イエスだったり釈尊と同じレベルの神を内在させていたら、
 この世はとっくに平和になっていたはずです。


 その「バロメーター」とも言えるものが……私は「他者への痛みを、どれほど感じられるか」ということだと、そう思います。
 それを鈍らせてしまえば、こころが鈍るのと同じように、霊的なレベルも低下するのみです。

 ノーベル賞経済学者であるジョセフ・E・スティグリッツという人が書いた、有名な本があります。
「世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す」(以下、参考文献として掲載)
 この本の中に、「いつまでも世界が不均衡のままである理由」が端的に書かれています。以下、引用します。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(第一章 不公平なルールが生み出す「勝者」と「敗者」 61ページより引用)

 さらに悪いことに、経済のグローバル化を舵取りする先進国では、世界共同体を機能させるのに不可欠な共感が国民のあいだに育っていない。もちろん、トルコの地震や、エチオピアの飢饉や、インドネシアの津波――これらの映像をリビングで観られるのもグローバル化のおかげ――の報に接すれば、われわれは被害者たちに同情するし、実際、世界じゅうから救いの手がさしのべられる。しかし、必要とされているのは、それより高いレベルの共感なのだ。
 国民国家の発展にともない、国民ひとりひとりは互いの絆を感じてきた。ここで問題となるのは、グローバル化が進展しても、このような国家にたいする忠誠心がことんど変化しなかったことだ。この相違を最も劇的に示してくれるのが、戦争だろう。アメリカ国民は、米軍兵士の死者数を一ケタまで正確に数え続ける一方、その五○倍にのぼるイラク人犠牲者の推定数が発表されても、ほとんどなんの感慨もおぼえない。アメリカ人が拷問を受ければ、全米で怒りが沸騰するだろうが、アメリカ人が拷問を行っても、反戦運動家が声をあげるぐらいで、多数派はアメリカを守るために必要な措置であると擁護するだろう。こういう非対称性は、経済の領域でもみられる。アメリカ国民は国内の雇用減少を嘆きこそすれ、自分たちよりはるかに貧しい国々で大幅な雇用増加が起こっていることを、けっして祝福したりしないのである。 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 これは決して、アメリカだけのことではありません。
 私達日本人も、同様に反省すべき点が多々あります。
 それどころか、日本人の場合はこういうことを指摘出来る知識人さえいないということを、恥じるべきではないでしょうか?

 この後、ジョセフ氏は「もっと世界的な視点に立ち、世界共同体の一員として思考する必要に迫られるだろう」と綴っています。ここで言う世界共同体の意味が、一部の富裕層だけに有利で、しかも統一主義的な「形だけの押し付けシステム」ではないことを、充分ご理解頂けることと思います。

 本当に必要な意識改革は、個々人の個性を尊重し、アイデンティティを尊重した上でこそ、調和としてなされるべきです。
 そして、その個性の尊重は、「自分とは異なる共同体の人の痛み」を、自分の痛みと同じように感じられるこころが必要なのです。

 以前、このブログでも紹介しましたが――もう一度、ここで繰り返させて頂きます。
 映画「ルワンダの涙」、そして、「ルワンダ・ホテル」
 両者、1994年に起きた「ルワンダ紛争」の実話を元にした映画です。この二つに、とても象徴的な場面がありました。

 まず、「ルワンダの涙(原題:Shoting Dogs)」では、BBCの報道記者だった女性が、主人公の青年ジョー(国連技術学校の教師)に向かい、こう言います。(概略の紹介になりますが、御容赦願います。)
「私は、ボスニアの紛争を取材していた時、毎日毎日泣いていた。それが、ここではちっとも涙が出ないの……」
 それを聞いたジョーは、こう言いました。
「――心が、あまりの凄惨さに麻痺してしまったからではないか?」と。  
 しかし、その女性記者は首を横に振ります。
「ちがう。もっと最悪よ。……ボスニアの白人女性の遺体を見ると『これが母親だったら』と連想したの。でも、ここでは違う。死んでいるのは、『ただの黒人』。――人間は、自分勝手な生きものなのよ」

 この女性の言葉は、とても皮肉で――かつ正直であり、懺悔に近い言葉にも思えました。
 同じように、「ルワンダ・ホテル」を取材したBBCのカメラマンも印象深い言葉を言います。
 そのカメラマンは、自分の身の危険を冒してまで、虐殺の場面をカメラに治めました。当時、「虐殺はない」という報道を裏返すきっかけとなったのです。
 そのイギリス人のカメラマンに、ルワンダ・ホテル支配人であるポール(フツ族)は、「ありがとう。君のおかげで、世界が僕達を助けに来てくれる」と礼を言いました。
 しかし、そのカメラマンはただ苦笑します。

「これで、世界が君達を助けに来てくれると思うかい? テレビを見ながら『怖いね』――そう言って、ディナーを続けるだけの話さ」

 この二人の言葉を、私達は絶対に聞き捨ててはならない――そう思います。
 日本人は島国だったせいか、あまりにも国際情勢に無関心すぎる気がします。
 いえ――国際情勢だけではなく、「目に見えないものに、無関心すぎる」ように思えるのです。
 それは、ある意味仕方ないことかもしれません。日本のマスコミは「売れるもの」にしか反応せず、本当の正義の為には動かないからです。そういった意味で、日本はとても稚拙なジャーナリズムしか持ち合わせていないとしか言いようがありません。

 地方の人は、東京駅周辺に住むホームレスの人々がどれほど多いかを知らず、
 都心に住む人は、地方にある過疎化した地域の閑散さを知らず、
 みな、互いに国にありながらも、「知らない世界」に属しているかのようです。

 昨日の記事にも書きましたが、「井の中の蛙」のままでは、絶対にこのまま時代を乗り越えられません。
 大海を知るということは、同時に「大海の辛さを知る」ことでもあります。
 管理された熱帯魚の水槽に生きているうちは楽ですが、その管理が解かれ時、熱帯魚達はどうなるのでしょう? 自分たちで生きていく力を、持てるのでしょうか?

 私は、まだ日本が「管理されている間」に、日本人ひとりひとりが他者の心に敏感になり、世界の現状を知って、自ら立ち上がる為の「強いこころ」を育てる必要がある――そう思います。
 日本人には優れた感性があることを、海外に住む多くの人達が認めているのです。「共感力」は、本来、日本人が最も優れた民族のはずです。その私達が、井の中の蛙のまま、海水で死んでしまうなんてことは、あってはなりません。

 情報をただ鵜呑みにして、「右向け右」で一斉に右を向くのではなく――自分の内面から「本当に正しいか、どうか」を感知出来るよう、私達は成長していく必要性があるのでしょう。
 そのバロメーターは、「他者への思い遣り」――痛みを感じる「こころ」だと、私はそう思います。

 機会があれば是非、二作の映画「ルワンダの涙」と「ルワンダ・ホテル」を視聴なさってみてください。

 
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【参考文献】

世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す
(2006/11)
ジョセフ・E. スティグリッツ

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この世に100%の真理は「あり得ない」

 昨日、新宿にて行われた「2012『後』地球の未来を創造する」セミナー、無事終了しました。
 ご来場頂いた皆様、本当にありがとうございます。それから、宮城県からお越し下さって篠崎の大好物「萩の月」をお土産に下さったS様、誠にありがとうございました。柔らかい甘さが、疲れを心地よく取ってくださいました(笑)。

 今日は篠崎、午前中は企業化に関する打ち合わせで不在だったのですが、午後からは少しゆっくり休みました。黒点も出ていたせいなのか、あれこれと思考を廻らせるのに良い一日だったと思います。(寝ている時以外、始終私の脳みそは考え事をしていますが――((苦笑)))。
 考えていたのは、これからの活動内容。セミナーや講演会の方向性、および「自分はどうありたいのか」「自分が何をしたいのか」という根源的な問いかけ等。
 昨日もさんざん、「今まではシステムや外部の情報に翻弄される時代でしたが、これからは『自分自身で目覚め、生きていく時代になる』」ということをお話したのですが、それはみなさんに限らず、私自身も同じです。
 私は自分が特別だと思ったことなど一度もないし、(昨日も話しましたが)鬱っぽくなること(いや、あれは立派に「大鬱」だ;)だって多々あります。自己嫌悪に陥って、頭から布団被ったまま自分に向かって「バカバカバカバカバカバカバカ篠崎のクソバカ!」と連呼することもあります(苦笑)。←子供かよ;
 みっともない生き方なんていっぱいしている私ですが、でも、それでも「生かされている」。それでも「いいんだ」「そんな私で、いいんだ」と、思えるのです。

 私が目指しているのは「デクノボウ」の境地であって、
 立派な聖人君主では、ないのだから。

 さて、そんなデクノボウの私ですが。
 ふと「いや、デクノボウってある意味『何にも染まらない境地』とも言えるかもしれない――」そう思いました。
 私は今まで、多くの思想、哲学者の本を読んできました。幼少期はそれこそ聖書物語から始まって、十代の頃はニーチェとキェルケゴールにはまり(大体、哲学を齧る人の王道ですね)、そこからさらにプラトンに戻ってギリシャ哲学を網羅した後、今度は仏教の経典へと飛び――あらゆる本は目にしました。(何故私が「インド哲学科に進んだか」と言えば、その頃はすでにほとんどの西洋哲学を網羅していたのですが仏教の知識はほとんどなく、「それなら、大学で専攻したら短期間でより深く習得出来るかも知れない」という、ちと手抜きな計算もありました((苦笑)))

 また、ただ知識だけで得るのは不満足だった私は、実際に禅寺(臨済禅)に赴き、禅の指導を受けました。
 それどころか命知らずなことに、新興宗教が盛んだった時代、実際にある有名教団に飛び込んだこともあります(名前は伏せておきます)。
 当時、私は19歳でした。机上の空論だけで治めるのが大嫌いだった私は(また、年齢が年齢だけあって恐いもの知らずだったせいもあり)、「宗教団体などにいる人達は、どのような気持ちや動機でそこに所属するのだろう」ということを自ら知りたくなり、飛び込んでいったわけです。

 なのですが、私が参加した教団の人達(横浜支部の人でしたので、他支部の人はどうかわかりません)みなさん、とても「善い人」でした。
 本当に純真な程、そこの教義を学ぼうとしているのがよくわかったのです。彼らに、悪意のいっさいはありませんでした。「仲間愛」というのは、本当にここでしか学べないのではないかというぐらい、心根が優しい人達だったのです。
 なのですが――「ひとつだけ」、私が受け入れられないことがありました。

 「排他思想」です。

 要するに、「他の宗教は駄目だ」という考え方。
 ○○を信仰している人は、地獄に堕ちる。
 無宗教の人は、みんな天国に行けない。
 私達の信じている神だけが「本当の神」だ。

 私は、こういう考え方が「大嫌い!」です。
 その一部を抜かせば、その支部にいた人達はみな「人格的には素晴らしい人達」でした。バブルの絶頂期にあっても、いっさいブランド品の「ブ」の字もいわず、3Kと言われる仕事でも喜んで励み、人の嫌がることを率先してやるような人達でした。
 しかし、私は「自分たちだけが助かる=選民思想」というのだけは、絶対に「認められません」。
 いえ、「何があっても、認めません」。
 仮に今後天変地異が起こり、心根の正しさも何も関係なく無差別に人々が死に、「その信仰を持っているという理由だけ」で、或いは「その国に生きているという理由だけ」で私がもし生き残るというのであれば、容赦なく私は神に向かい「他の人々と平等に、私の命も奪ってください」と嘆願するでしょう。私は「自分が生き残るための信仰なんていらない」し、「自分が特別であるが為の信仰なんて、願い下げ」です。
 
 その「たったひとつの欠点」があったが為に、私はその教団を離れました。
 その後、数ヶ月間は大変でした(笑)。ひっきりなしに手紙が送られてきて、「戻ってくるように」と言われましたが、私はその返答に対し、自分が数ヶ月間考え、出した結論を丁寧に、それこそ便箋十枚ぐらいに渡って書いて送ったら――その後は、いっさい音信不通となりました。
 やっぱり「いい人達だったな」と思います。これがまかり間違って「オ○ム真理教」だったりしたら、私、殺されていたかもしれませんモンね(苦笑)。←ちょうどその頃、表沙汰にはなっていませんでしたが教団から脱ける信者がリンチで殺された――という事件が後から発覚していたので。

 そんな私ですので、いろいろな人の本を読み、共感しても、「100%は受け入れません」
 何故なら、肉体を持っている以上、どんな人であれ、この世に100%純度を保った真理を下ろすことなど出来ないからです。
 肉体を通じた表現というものには、どんなものでもフィルターがかかっています。
 私だって、沢山フィルターがかかっています。まずは「篠崎由羅」というフィルター、女性というフィルター、日本人というフィルター、経験した職歴、学歴のフィルター、現代人というフィルター、などなどなど。
 それは、私に限らず「みんながそう」です。
 シュタイナーにも「フィルター」があります。彼の本を10冊も読めば、決して彼が人類差別者でなかったとしても、多少は「白人優越思想」的印象を受けてしまう文言が出てきます。
 スウェーデンボルグにしたって、生まれた時代が二百年以上前ですから、「キリスト教絶対主義」の視点がどこかに残っています。

 誰だって、この「肉体として存在するが故のフィルター(拘束)」からは、逃れられません。

 でも、それを「理解しているか、していないか」で、だいぶ答えが変わってきます。「思想を提示する人達が持っているフィルター」を理解した上で、「では、自分は何を求めるのか」を決めればいいのですから。

 私はここのブログでも、また、昨日の講演会でも「伊勢白山道の視点は、純真なる和風スピリチュアリストである」というようにご紹介しました。
 しかし、私は白山道氏もまた同じように「100%の真実では『ない』」と感じています。
 私自身は自分が9.11をきっかけに人生が展開してしまった為、その事件をずっと今まで追ってきて――そして、アラビア語とイスラム文化の研究に辿り着き、さらには「地球全体規模の平和」を求める活動へと至りました。
 ですが、白山道氏の言動の中には、そうした世界視野を感じさせるものが、まだまだ少ないように思えたのです。
 もしも、「他国のことなんか、関係ない。日本のことだけ考えればいい」というのであれば――それは、私が嫌いな「排他思想」と同じことになってしまう。
 「井の中の蛙 大海を知らず 天の深きを知る」と言ったところで、今や国境や民族という概念が薄らいでいくなか、大海を知らないままでは井の中の蛙はその塩分にやられて死んでしまうことでしょう。

 どんな人でも、必ずや「誰かの意見、情報」というものに触れて、それを指針にしようとします。
 それは、私も同じです。
 また、私が誰かに向けてそうしているように、私の意見を指針としてくださっている方もいることでしょう。

 しかし、ここで皆さんにご理解頂きたいのは「外部のどこを探しても、100%の真理は存在しない」ということです。
 必ずや、その人の、その民族の、その時代背景の「フィルター」がかけられているからです。
 でも、「たったひとつだけ」――100%とは言わないまでも、「純度の高い真理」が存在します。

 それは――あなたの「中に」あるのです。

 どんな知識人、どんな活動家の意見も100%鵜呑みにせず、必ず、「自分のフィルター」を通して、自分色で解釈してください。
 他の人の100%が、他の誰かにとっては15%かもしれないし、30%かもしれないし、80%かもしれない。
 真理は「外部」にあるのではなく、「みなさん自身の内部にしか、存在しない」のです。

 自分にあった知識を真理と受け止め、受け入れられないものは「受け入れなくていい」。
 もし、自分の中で「いや……これ、やっぱり違う」と思ったら、そう気がついた時に修正すればいいだけの話です。
 これからの時代、師が「自分自身」になる時期がやってきます。情報は「利用すべきもの」であって「翻弄されるべきもの」であってはならないのです。

 盲信と鵜呑みが、命取りの時代となります。
 それを避けるには、「出来るだけ多くの人の情報に触れる(大海を知る)」ことがいいと思います。(その機会をひとりでも多くの人に得て頂くため、私はこうした講演会企画を展開しています。)
 これからの蛙は、「大海を知ってこそ、天のさらなる深きに至る」のです。



 井の中の蛙

 大海を知り

 よって、「天の摂理」に感応す――
 





※昨日のセミナーの模様は音声興しして一部サイトにUPします。今しばらくお待ち下さい。

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2009-12-13 | 真理 | トラックバック(0) |

2012年特集:太陽黒点と太陽霊光による粛清

 ここしばらく大人しかった黒点が、9日から復活しました。http://swc.nict.go.jp/sunspot/
 でも、まださほど大したことはないですね。先月のちょうど今頃も、同じように十数個黒点が現れていたので、多少時期が被っているのかもしれません。10月末の一週間に現れた数百のレベルに比べたら、まだまだ数十分の1です。

 伊勢白山道のブロガー、リーマン氏は、9月の満月期であった9月9日から、旧暦の9月9日(実際の暦では10月26日)までが「地球のバルドゥ期(四十九日)」だった――と言います。これは年に数回あるそうですが、生きている間に四十九日を過ごすという変わった時期です。
 その上、面白いことにこの10月26日を脱けた前後ぐらいから、いっきに太陽黒点が数百まで上昇しました。それが31日頃まで続きます。決して無関係ではないと思えるのは――私だけでしょうか?

 太陽黒点が人間に影響することと、太陽霊光が人間に影響することというのは、また違うようです。
「太陽霊光って何よ」と思われる方もいらっしゃると思いますが――私も、何とも説明のつきようがありません(笑)。強いていえば――「生命力を与えるエネルギー」であり、「生命そのもの」でしょうか。草木に太陽の光が当たって光合成を起こし、芽がみるみるうちに成長していくのも、ただ単に「草木に光合成の力があるから」という理由だけではありません。物事が何か作用を起こす場合、片方だけの理由でもって、影響力はありません。ですから、光合成を受けることで成長するというシステムの裏には、「太陽エネルギーによる何らかの力」が含まれているのだと私は思います。
 それこそが、「太陽霊光」なのではないでしょうか。

 また、確かにここ最近の太陽は「異様に眩しくて、透き通っているなぁ」って感じることがあります。
 その上、太陽が出ている、出ていないでは温度差が極端に違いますよね。篠崎の部屋なんか、ハンパじゃない日当たりの良さなので、日中晴れている日だと室温が平気で「28度」までいきます(11月下旬で、ですよ?)。ここまで異常なのは、正直言って今年が初めてです。

 太陽の霊光は、肉体に影響するというよりも「人間の霊体」に影響するようです。
 黒点は直接肉体に影響するようですが、いわば霊光の方は「黒点の活動開始になる前に、人間の心の準備をさせておく」といった感じでしょうか。いざ黒点活動にスイッチが入ってしまったら、それまで私達が抱いてきた不満、思い、いろいろなものが「表面化」します。そうなるまでの成長を、霊光が促してくれているのかもしれません。

 こういう現象に注目されるようになったのも、もしや2012年の影響なのかもしれません。こういうことは今に始まったわけではなくて、もうずっと昔から存在し――たまたま、この時代において「注目に至った」というだけなのかもしれません。
 しかし、そうは言ったところで世界中諸処問題を抱えているのは新聞の見だしを見れば明らかだし、世界中のどこもが、その国の特徴において「限界」に至っている印象を受けます。
 先日、ノーベル平和賞の授賞式で「アフガニスタンの戦争を正当化したオバマ首相」の記事を読み、私は深く溜息を吐きました。
「ブルータス。お前もか」といった心境です。

 どんな状況であれ、「正当化される戦争なんか、あり得ません」
 考えてもみてください。アルカイダが今、アメリカに何か仕掛けましたか? 静かなものじゃないですか。
 しかも、アルカイダはすでに「200名」しかいないのです。200名相手に何が戦争ですか!
 その為に、アフガニスタンの市民がどれだけ苦しめられているのか、「あんたは知っているのか」とオバマ大統領に叫びたい気分です。
 アフガニスタンは厳粛なイスラム法に則っている為、同胞への忠誠にいい加減な欧米人には「まったく理解出来ない世界」でしょうね。しかし、ひとつの国のアイデンティティ、イデオロギーに対し、国で介在するなんて馬鹿げたこと「いい加減やめろ!」と、私は叫びたい。

 ガザ地区への攻撃には何のコメントもせず、アフガンの戦闘行為は正当化ですか(苦笑)。
 ですが、もう何も申しますまい――。
 太陽黒点が、どのようにそれらを判断しているのか、すべてはそこに委ねるとしましょう。


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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

【篠崎編集担当】


【篠崎の著作本】

アセンション真実への完全ガイド―2012年のイベントホライズン (5次元文庫 し 2-1)アセンション真実への完全ガイド―2012年のイベントホライズン (5次元文庫 し 2-1)
(2010/06/09)
篠崎 由羅

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【第Ⅱ部に篠崎の質問文が一問一答形式で掲載されています】
クラリオン星人コンタクティが体験した アセンション[量子転換]のすべて  宇宙人の人類DNA大変革プログラムクラリオン星人コンタクティが体験した アセンション[量子転換]のすべて 宇宙人の人類DNA大変革プログラム
(2010/10/31)
マオリッツオ・カヴァーロ

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【インタビュー本第二弾】
クラリオン星人から日本人へ 緊急ハートサポート  YKAM 2012:宇宙創造者からの救いの手(超☆ぴかぴか) (超☆ぴかぴか文庫 3)クラリオン星人から日本人へ 緊急ハートサポート YKAM 2012:宇宙創造者からの救いの手(超☆ぴかぴか) (超☆ぴかぴか文庫 3)
(2011/09/22)
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