個性と全体調和が、イコールになる日

────────────────────────
「僕たちの社会では、船上をも含めて、君たちの世界のような軍隊組織の司令士官は存在しない。
僕たちの文明では、指導者や統治組織、統率責任者などといったものは必要ないんだ。僕たちの行動、一人一人の考え、各人の決意は、全て統制のとれた社会構成要素となっていて、常に共同体の意志を反映しているものなんだ。あらゆる決断、行為が、完璧にシンクロしているんだ。コミュニティーのニーズと各人の価値観とのバランスがとれた、完全無欠の協力関係だよ。
積極的に共感を促す社会関係で、僕たちを内包する構造体である揺れる水晶のコンピューターと、全生命体を繋ぐネットワークが実現しているんだ。
そうなると、僕たちは何ら不安を抱くこともなく、同調した状態で活動できるようになる。
僕たちはみんな、個人の完全な自由意志のもと、最善を尽くしつつ、いつなにをするべきか心得ている。いつだってそうなんだ。なぜなら、僕たちは感情や性格などに由来する精神的な歪みには影響されないからだよ。
よって、共同体が遵守する方針と、各人が下す評価や意志決定に相違が生じることはない」

(略)

「・・・・・・けれども、僕たちが結論を出すときのロジックや、各人の思想、生命体としての存在は、社会組織を重んじるばかりに、抑制されたり、無効と見なされたりすることは決してない。
僕たちのイマジネーション、発想、創造性が、自律性や独立性などに欠けているというわけじゃないんだ。
僕たちに与えられている自主決定の範囲は限りがない。けれども、どんな場合でも混乱は起きないし、無秩序な状況に陥ることだってないんだ」


「クラリオン星人はすべてを知っていた」クラリオン星人・スエルの言葉 86~87ページから引用
────────────────────────


 これは、私が体外離脱先で教えてもらったコミュニティのあり方と、ほぼ──というか完全一致しています。(詳しくは過去記事「高次の街の構造」「高次における全体調和は個性を排斥しない」にて。)
 私が目指しているのも、こうした社会のあり方です。
 しかし、これを目指す為にはまず個の確立が大前提です。

 何故、このような人類の進化にとって大切なことが、今の時代まで伏せられていたのでしょうか?
 私が子供だった頃、周りにあわせろ、個性を出すなというのは、割と当たり前でした。
 そんな思い出話のひとつですが──私が7歳だった頃、図工の時間で「こびとの世界を描きましょう」というものがありました。
 「こびとの世界」です。だったら「こびとを中心に描くのが当たり前だ」というのが、当時の私の発想でした。今の私も、同じように感じています(苦笑)。
 クラスメイトの子供達は、いっせいにこびとの世界を描きました。私は絵を描くのが大好きな子供だったので、思う存分こびとの世界をスケッチブックに描いたのです。
 その後、その絵は廊下に貼りだされました。

 ──ところが。
 みんな、私が描いた絵の前で不思議そうな顔をするのです。当時の担任の先生も、私のところに来て「これが『こびとの世界』なの?」そう聞きました。
 私は、大きく頷きました。
 「だって、『こびとの世界』でしょ? そこはこびとが中心の世界なのだから、こびとの生活を描いてみただけです」と。

 何故、みながそのように驚いたのか。
 他の子達の「こびとの絵」は、大きな花を中心に「無数のこびと」が描かれていました。
 しかし、私のこびとの絵は「拡大された葉の上に、対話する数人の普通サイズのこびと」だったのです。

 私にとって、それは違和感ありませんでした。何故、みんなが驚くのかもわからなかったからです。
 それに、「悪いことをした」という自覚もありませんでした。
 ところが、その日──。私は母に「ひどい叱責」を喰らいました。当時姉が同じ学校の六年生にいて、母に告げ口したようなのです。母は、こう言って怒りました。

「どうしてこびとを大きく描くの! こびとは小さく描くのが、当たり前でしょ!」

 私は怒られている理由が分からず、大声をあげて泣きました。
「どうして? こびとの世界を描くのに、どうしてこびとを大きく描いてはいけないの? こびとの世界では、こびとは普通のサイズなんだよ!」
「そんなこと関係ないわよ! みんな小さく描いたのに、どうしてあなただけが大きく描くの! みんなが描いたように描きなさい!」

 これを読んで、小さなお子さんのいるお母さんであれば「そんなことで怒るなんて、あり得ない!」そう思われることでしょう(笑)。
 でも、私が子供の時はそんなものでした。
 高度経済成長期を過ぎた辺り、「専業主婦」が出始めた頃、多くのお母さん達は無意味に教育ママへと走り、しかもそれが「子供の個性を伸ばす教育」ではなく「学校の先生からいい評価をされて、いい大学にいって、いい就職をする為」だけにあったのです。
 もっとも、私の住んでいる地域が特殊だった──というのも、あるかもしれませんが。かなり教育に関して神経質な家庭ばかりだったのです。 

 私達の時代、怒られる原点は大抵「そこ」にありました。
「どうして、あなただけが違うことをするの?」
 ですが、その行為にいったい何の意味があるのでしょうか? 何の問題があるのでしょうか? 私からしたら、こびとの世界をどう描いていいのか分からず、周りを見たあげくに「みんながこう描いてるから、自分もこう描こう」と言って人真似する行為の方が問題あると思うのですが、如何でしょうか?

 そんな子供時代を経ていたせいもあって、私にとって「個性」というのは、とても重大な関心事でした。
 一時期などは、「個性は、突出しなければならない」そう考えたこともありました。私は親の教育に根っから不信感を抱いていたので、ものすごい反抗精神の強い問題児でした。音楽をやっていた時などは、わざと「社会から逸脱するファッション」を追求する為、紫色の口紅、紫色のマニキュアをしていたこともありました(笑)。今でこそ紫色のマニキュアなんて普通にありますが、当時は探すのも大変だったんですよ──。

 「変人である」ということが、「アウトローである」ということが「個性」である──私はそう勘違いしていました。
 それは、「全体に無理矢理あわせようとする社会への、シュプレヒコール」でもありました。私にとって、社会に個性を抑圧されるぐらいなら、愚か者のレッテルを貼られた方が遙かにマシだったからです。

 しかし──それが「そうではないかもしれない」と気づきだしたのが、ここ最近でした。
 一番のきっかけは、体外離脱をして「この地球とは明らかに違う」としか言いようのない文明を見せてもらった時が大きかったです。あの世界には、残念ながらあれ以来一度も行けてはいないのですが、今回このカヴァーロの本を読んだ際、「言われたことと、まったく同じ世界を見てきた自分」にとても驚き、かつ同時に「私が目指している社会は、間違いないんだ」という確信にも繋がりました。

 本当に理想的な社会というのは、個の表現全体調和決して矛盾しない──そう私は確信しています。
 仮にそれでも「全体調和に貢献するなんて嫌だ!」というのであれば、個性が衝突しあうエゴの世界で生きていくしかないでしょうね。
 今の社会がそうでないのは、社会がまだまだ未熟であり、同時に「個性というものを、人が考えて来なかったせい」だと思います。
 正直言って、私の親世代の方で普通に生きてきた方には「理解しがたいもの」かもしれません。
 でも、本当の意味で個性を考えれば、そこにあるのは「エゴの主張」でも何でもなく、「自分の役割や特性を活かして、全体と共に手をとりあうこと」なのだと思えるのです。

 これからの時代、地球もそうした次元に一歩でも近づいてくれれば──と、願ってやまない昨今です。


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公開鑑定は明日か明後日までに公開します。大変申し訳ございませんが、今しばらくお待ち下さい──。


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カヴァーロ新刊「クラリオン星人はすべてを知っていた」

 先日、カヴァーロ氏の著作三作目が徳間書店から出版されました。
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クラリオン星人はすべてを知っていた 創造起源へのタイムトラベル (超知ライブラリー)クラリオン星人はすべてを知っていた 創造起源へのタイムトラベル (超知ライブラリー)
(2010/01/26)
マオリッツオ・カヴァーロ

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 私はネット注文して受け取りにいった翌日、1日で読破してしまいました。400ページ以上あるので読むのは文字通り1日かかってしまいましたけれど、読み終えた後に過ぎる様々な思いについては一言で言い表すことが出来ません。

 この本を「巷で売られているような、単なる宇宙人もどきのチャネリング本」と思ったら大間違いです。タイトルに「クラリオン星人」と出してしまっているが故に頭の硬いエセ・インテリから罵倒される的にもなりそうですが、タイトルや見た目でこの本を評価してしまうのは実に勿体ないです。正直言って私は、宇宙人に関するこの手の本はカヴァーロ氏(以下敬称略)とハワード・メンジャーの本以外、読む気にさえならないぐらいです。
 カヴァーロの物言いがとても文学的、かつ遠回しであるが故に、おそらくつまずく読者も多いと思います。中にはアレルギーを感じる人もいるかもしれません(笑)。
 確かに、本を読み慣れている私でさえ「読みやすい」とは言い難いです(苦笑)。しかし、これはカヴァーロ自身の癖と言う以上の「意図」を私は感じています。おそらく、わざと難解な言い回しにして、読者に考察を促しているという意味で。

 同じ手段を、シュタイナーも使っていました。
 シュタイナーは神秘学に関する書物を書く際は、必ず「読者が客観的に考察出来るよう」わざと難しい言い回しで書いていたと言います。こうした神秘学に関する情報は、読者の方で必ず咀嚼する必要があるというのが、シュタイナーのポリシーだったのでしょうね。だから真理を考察する力のない人には「最初から理解出来ない代物」にしておいたのだろうと、私は感じています。
 カヴァーロの場合も、遠回しな表現をすることで「読者に考える時間を与えている」と、そう思います。勿論、絵画的な情景描写も多いので、想像力に自信がない方には少々辛い部分があるかもしれません。しかし、そうやって頭の中で想像をすることでカヴァーロの疑似体験を思考の中で行い、かつ、ただの体験談として呑み込むことなく「客観的な真実」として見つめることも出来るのです。そういった意味では、「すごく考えて書かれている本だな」と、私はそう思いました。

 この本はそれだけでなく、昨今スピリチュアルで注目されている宇宙人到来的な「救世主崇拝の視点」を表面きって批判しています。
 どういう危機的状況であれ、人類は自由意志と自意識の中で独立の選択をせねばならないという明確な意志が、文脈の中から読み取れるのです。
 私はこうしたカヴァーロの考えに同感です。ここでも何度も書きましたが、私は「外部からの助けは、人類にとって悪影響しか及ぼさない」という考えを持っているからです。どんな場合でも自立支援こそが、最大の助けである──私はそう思っているので。ですから、この本でも「あくまでも尊重されるのは、カヴァーロ(であり、彼が本を書くことでそれを読む読者側)の意志であり、自主性である」ということが随所に書かれているのです。

 前作の「超次元の扉」では、ここまで明確に人類の自立した意志の必要性は描かれていませんでした。前作はあくまでも「カヴァーロの体験」に過ぎず、読者はそれを追体験することしか出来ませんでした。しかし、今回の著作には──これはカヴァーロの意図しないところでしょうが──非常に大きなメッセージが籠められている、私はそう感じました。
 私が今回の著作で最も考えさせられたのが「マルチユニバース」の考え方です。
 多次元宇宙──。
 この考え方自体は、決して目新しいものではありません。すでに十年も前から、ホーキングも唱えている説です。しかし、私はこの説を読んだ時に「あくまでもメインとなる宇宙は今存在する宇宙で、その他の宇宙はサブとして存在するものなのだろう」と思っていました。
 ですが、カヴァーロの本ではそのように書いていません。私達の宇宙は──それこそ、「無数に浮かぶ小さな泡のひとつに他ならない」という解釈なのです。
 私達生命体は世界に数多く存在しており、一人一人、ひとつひとつの命がどれほど尊いものであったとしても、「無数に誕生してくる生命のひとつに他ならない」というのとよく似ています。
 私達は今まで、宇宙は絶対的に「ひとつ」なのだという思いこみの中で生きてきましたが、宇宙でさえもが「多数存在する生命のひとつでしかない」ということを、この本から感じ取れるのです。

 それを感じてしまうと──本当に小さな諍い、もめ事が馬鹿馬鹿しくなりますね(笑)。
 同時に、私達人類が、宇宙という存在を理解するのに如何に自分勝手な解釈を用いてきたかということに気がついて、情けなくなります。
 人類という存在は、どのような時であっても「自己存在」を前提にしなければ、すべてを説明、解釈することが出来ないのでしょう。
「私(わたし)」という概念に固執し、すべてを内包する大いなる世界でさえもその「私」を中心にしなければ論じることが出来ない──。「天動説」から「地動説」へと変わりはしたものの、結局「私」を中心に据えようとする意識は、もう何百年と変わっていないのです。
 それは「私」という個を蔑ろにしろということではありません(「高次元における全体調和は、個性を排斥しない」)。「私」を尊重することと、全体を尊重することは決して矛盾しません。ましてや、真理を重んじようということだって決して矛盾はしないでしょう。にも関わらず、何故真理がこのように「人類中心」に歪められてしまう傾向があるのかというのは──やはり、「エゴ」の部分が大きいのかもしれない、そんなふうにも思います。

 本来、地球に住む生命だって人類よりも他の生命の方が遙かに多いのに、そうした生命への尊重さえも、私達は軽んじてきてしまいました。一緒に暮らす仲間とも言うべき生命達でさえも軽んじてしまうのであれば、真理だって容易に軽んじてしまうものなのかもしれない──。
 こうしたカヴァーロの本が今になって出版されたのも、きっと意味があるのだろう──そう思います。ここに書かれている多くのことは、もう今から30年近く前にカヴァーロが体験したことの数々です。しかし、それを世に出す為には長い歳月が必要だったのでしょう。それは、カヴァーロ自身の心情もさることながら「読み手である人類の意識」が成長してからの必要性があったからだと、私はそう感じています。

 今後起こる地球の変革においても、この本では触れられています。
 しかし、その変革が「あるか、ないか」ということ以前に、私達はもっと大きな壁を乗り越えなければなりません。
 それは検証云々ではなしに、カヴァーロの言葉を真理として受け止め、自分で解釈をすることが出来るかという壁です。
 人はやたらに「検証」を翳します。勿論、体験したものごとをあらゆる角度で解析したり、考察することは必要です。しかし、「疑いの目から入った検証」ほど、無意味なものはありません。そんなことをしている暇など、時代はもう与えてはくれません。私達は一日でも早く自己意識の改革に努め、現実を凌駕する「新たな真理」を受け入れる為に心の器を広くする必要があるのでしょう。

 私個人から、この本がお薦めであるとは正直言えません。前述したように物言いが特殊だというのと、必ずしも読んだ人が何かを感じ取れるとは言えないからです。誰しもに分かりやすい本とは、決して言えない──そう思います。
 しかし心の中で真理を知ろうとする強い衝動を持っている人や、昨今の精神世界で言われていること以上の何かを知りたいという人であれば、この本は「是非」と言える程、お薦めの本です。「左脳的に理解しよう」とするのではなく、魂の奥深くに響く何かを拾い上げていくことで、「腑に落ちる何か」を感じることが出来るだろう──そう思う次第です。

【追記】巻末に浅川氏の書評文がありますが、その中に「ピラミッドの石が不均等であったことへの疑念」が書かれています。
 ですが私は、それ以前に「カヴァーロ氏が見た7500万年前の地球も、実は多次元世界のひとつに過ぎず、今の地球の時間軸とは違うのではないか」という印象を受けています。
 私達はどうしても「時間」という概念をひとつの流れに見なしてしまうので、過去というと「文字通り、今の時間を遡ったもの」と考えてしまいがちです。しかし、そうした過去こそが「宇宙同様、無数の泡として存在しているのではないか」と私には思えるのです。
 浅川氏の疑問は最もですが、次元という概念をいれて考える場合、そこで言われる過去は「必ずしも私達の時間軸に存在するものとは限らない」と考えた方がいいように、私には思えるのです。この辺りについては、私自身ももう少し考察の必要性を感じています。


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【カヴァーロの前作】

超次元の扉―クラリオン星人にさらわれた私 (超知ライブラリー)超次元の扉―クラリオン星人にさらわれた私 (超知ライブラリー)
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超次元スターピープルの叡智 クラリオンからの伝言 (超知ライブラリー 42)超次元スターピープルの叡智 クラリオンからの伝言 (超知ライブラリー 42)
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マオリッツオ カヴァーロ浅川嘉富

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2010-01-29 | 真理 | トラックバック(0) |

闇の組織よりも、怖いのは個々人の「エゴ」

 一昨日、山川夫妻との打ち合わせ時にこんな質問をされました。
「あなたは、陰謀論についてどう思いますか?」
 「どんな企みも、すべては論をつければ陰謀論になる」──すなわち、それが陰謀かどうかなんて、誰にも分からないだろう、というのが私の答えです。
 確かに、何らかの企みの元で自分達に都合がいいよう策略している人達はいるでしょう。しかし、そんな人達をいちいちあげたら、世の中それこそ「陰謀だらけ」です。マスコミが情報操作している──というのも、ある意味「陰謀論」と見ることも出来るでしょうが、違う視点で言えば「その人(その記事を書く個人)の無知が原因」であることも考えられますし、社会が今まで芯の通った教育をしてなかったからという理由だってあるかもしれない──ただひとつの現象だけを切り出して、それが陰謀か否かと論じること自体、私はナンセンスだと思えるのです。
 しかし、昨今のスピリチュアリストの間ではこの「陰謀論」がやけに幅をきかせているようですね。ですが、それが本当の悪意であるか、ただ単なる「利己欲」から発したものであるかを、いったい誰が見定めることが出来るというのでしょうか?

 よく言われるのは「イルミナティ」という組織です。この手の本は、精神世界系の本でたくさん出版されています。なるほど──確かに、歴史的に起きてきた事象を紐づければ、頷けることも多々あります。
 私は、こういう組織が「ない」というつもりはありません。何故なら、悪にしろ善にしろ、組織化した方が周囲に浸透しやすいのは、当たり前だからです。もしも私が腹黒い人間で、しかも賢くて(苦笑)、すべての支配を目論むとしたら──間違いなく地下組織作りますね。だって、その方が「活動しやすい」から。
 「秘密」という言葉は、人々の中で「強烈な仲間意識」を芽生えさせます。仲間の肩をぐっと掴み、顔を引き寄せ、低い声で「・・・・・・お前は、俺達の仲間だ。全人類に知られていない、究極の優れた人種のメンバーなのだ」な~んて言った日にゃ、説得力があります(笑)。秘密というのは何も「カッコつけ」ではなく、人の心理を操る意味でも絶好の仕組みであるように、私には思えます。

 だから、否定はしません。
 しかし、私は「そうした組織よりも、もっと厄介なものがあるのではないか」と思っています。

 ──人々の「エゴ」、そして「無知さ(狭量さ)」です。

 本来、地下組織だろうが闇の組織だろうが秘密結社鷹の爪団だろうが、ただそれだけの存在であれば恐れるに足りません。
 一番怖いのは、情報に翻弄される民衆──思考をせず、ただ見聞きしたことだけを鵜呑みにする人達・・・・・・。こうした人達が、ある意味一番問題なのではないかと私には思えるのです。
 そうした人は、往々にして「保守的」或いは「攻撃的」です。前者の人達は、日常が「日変(いつでも変わりゆくもの)」だということをわざと見ようとせず、自分の価値観に執着します。対象となるものがどういうものかを思考することなく、安易に攻撃します。相手の言い分と自分の言い分の共通項さえも見いださず、思いこみだけで否定をするのです。

 私がそれを痛切に感じたのは、オウム真理教事件の時でした。
 当時、書棚から精神世界系の本が一斉になくなったという話はブログでも書きましたが、それ以外でも非常に──特に「インド哲学科」の学生に対する警戒はひどいものでした。
 オウム真理教で逮捕された人達が東大のインド哲学科が多かった絡みで、近所で親交のあった大学のインド哲学科学生も、かなり警察から目をつけられていたようです。実際に私の友人は近所の通報で警官が家まで来たことがあったし、職務質問されたという友達も複数いました(まぁ、彼らは格好も格好だったので、仕方ない側面はありましたが──)。
 「ただ、インド哲学科の学生である」というだけで、まるで犯罪者のような扱いを受けたのです。勿論、その年の就職内定率は「最悪」でした。考えられますか(笑)?
 まるで戦時中の頃のような差別が、90年代に入ってからも平気で起きていたのです。

 「オウム事件は特別だよ」──そう言って、笑われる方もいるかもしれません。
 でも、人々の狭量さが当時から変わる理由って──はたしてあるでしょうか? 戦後から変わってないものが──90年に入ってさえも変わらなかったものが、今変われる理由ってあるでしょうか?
 私は、正直言ってこの面に関しては「悲観視」しています。おそらく、「何も変わっていないだろう」と・・・・・・。

 ただ、ひとつだけ希望が持てるのは、当時よりも今の方が、真剣に考えようとする人達が出てきているということです。
 これは一種、ブログやネットの影響力もあるのでしょう。
 どんなに私的な日記とはいえ、自分の日常を振り返って何かを書く──というのは、人の思考にとてもいい影響を与えます。当時はネットと言えども、一部の人達しか使っていませんでしたし、今のように自由な自己表現の場では到底ありませんでした。
 人々は「日記」という日常の中で「唯一自分を客観視出来る場所」を持つことで、少しずつではあるものの「思考する」ことに慣れようとしているような印象を受けるのです。
 「日記程度で、そんな力があるものだろうか?」とお思いの方もいるでしょう。
 ──勿論、充分にあります。
 何故なら、「そんな力があるとは思えない」ものであれば、多くの人がテレビを見る感覚で日記を書いているはずです。しかし、必ずしも皆さん、そうではないはずです。「自分の文章を、どう書いていいのか分からない」「ネタがないから書けない」「何て表現していいのか分からない」ということを言う人は、少なからず周りにいるはずです。実は「日記を書く」という作業だけで自分を客観視した自己表現故、ただテレビを受け身で見るのとは違って「考える作業」というのが絶対に出てくるのです。その証拠に、「三日坊主」という言葉も存在するのです(笑)。楽な作業であれば、誰もが三日以上続けるでしょう──。

 そういう時代になってくれたおかげで、「思考する」という人達は少しずつ増えています。
 しかし、まだまだ8割近くは「保守的」で「攻撃的」な人も多いでしょう。でも、これは何から生じているかといえば、個々人のエゴです。エゴから生じた思いこみから、派生しています。
 私は、本当に「陰謀論」というのであれば、これこそが、陰謀なのではないかと思うぐらいです。思考を放棄し、すべてを鵜呑みにして、保守的な上にきちんと情報を解釈する努力もしない──そのような人達を増えさせたことの方が余程怖いことだし、善人が束になっても敵わないぐらいの「恐ろしい陰謀」だとそう思います。エゴを相手にすることの方が、遙かに厄介で怖いことです。

 本当に恐れるべきことは、陰謀論でも闇組織でも、イルミナティでもなく、人々のエゴであり、思考を放棄する姿勢だと、そう思います。
 それは、誰かひとりが特別に持っているものではない──私達、「全員」が持っているものです
 陰謀論だの何が悪だの言っている前に、まずは「自分のエゴと向き合うこと」の方が大切だと、私は思います。他者を責めたりあら探しするのは簡単ですが、本当に一番怖いのは「自分の無知が故に、諍いを起こすこと」であり、「自らが悲劇を招く一員となること」です。
 遠くばかりに敵を探すのではなく、自分の中に探すべきだ──私はそう思います。そういう姿勢こそが、これからの時代において道を照らす灯火になる──私はそう確信しています。


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【お知らせ】

 本日、YOU are EARTHのサイトがリニューアルしました。
 および──お待たせしました。いよいよ7月3日開催予定、エハン・デラヴィさんのイベントの受付を開始しております。詳しいことは、このブログでも近日お知らせ致します。


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人それぞれの役割

─お知らせ─
昨晩、19:09と19:57に「YOU are EARTH」のサイトから機関誌、およびイベントの申込みをされた方へ。
メールフォームからの送信内容が文字化けを起こしておりました。恐れ入りますがお心あたりの方は、当ブログのメールフォームよりお知らせください。
──────


 昨日は山川鉱矢さん・亜希子さんとの打ち合わせでした。
 来る5月3日、横浜にあります神奈川県民センターにてご夫婦にセミナーをお願いしており、その打ち合わせに行って参りました。(詳細は後日、改めてお知らせ致します。)
 山川ご夫妻は多くの精神世界系出版の翻訳を手がけており、自著も出版されています(詳しくは後述)。精神世界系にどっぷり浸かった方よりも、むしろそうした世界に疑義を抱きつつも、でも「この世には、違う何か法則性があるに違いない」という直感に導かれている方にお薦めしたい本です。とても

 私がご夫妻にセミナーを依頼した経緯は、ご夫妻が「日本の特徴的とも言える価値観の中から脱っし、精神世界へと至る道程を辿った」というところに着眼したからです。
 山川ご夫妻は両者共に東大出で、鉱矢さんは元大蔵省で仕事をされている──いわばエリートでした。しかし、40代を前にして転機が起こり、今までの人生を180度転換するような生き方を選んで、今に至っているのです。

 ご夫妻は戦時中の生まれですが、こうした戦後から今にかけて「精神世界を日本に広めた人達」の中には、ご夫妻のように大きな決断の元歩まれた方も大勢いらっしゃいます。そのひとりとして挙げられるのが、日本で初めてルドルフ・シュタイナーを広めた高橋巌氏。彼は慶応大学の教授という職にいながらにして、「シュタイナーを本気で広める為には、この職を辞さなければならない」と覚悟をし、自ら教授職を擲った方です。唯物主義、金儲け主義、目に見える価値観を追う時代の中で、そうした先駆者達の存在があったことを、私達はありがたく感謝すべきだとつくづく実感します。

 ご夫妻はとても温厚な方で、直感を非常に大切にされている方でした。私は自分自身が疑い深い性格故(苦笑)、フィルターのない清らかな心ですべてを眺めることの出来るご夫妻をとても羨ましいとも思いました。もしかしたら、ある程度年の功もあるのかもしれませんが──。でも、いずれにせよ多くの経験、辛い思い、それを消し去る程の喜びや感動もたくさん体験されたからこそ、あのような透き通る心を持たれたのだと、そう感じました。
 
 ご夫妻はただスピリチュアルなお話が出来るというだけでなく、国際情勢の話なども出来たので非常に嬉しかったです。
 私はやはり、精神世界を突き詰めれば、それは結果的に外部──社会、世界に通じると思っています。勿論、そのまま突き進んで「独覚(さとり)」へと行き着く人もいるのでしょうが、私はあまりそれには興味がありません。すべてがフラクタル理論であることを考えれば、「ひとりが覚る=みんなの覚り」となるのも納得出来ます。
 ですが、頭で納得出来るのと心で納得出来るのはまた違う問題であり、私は愚か者の烙印を押されたとしても、「みんなの覚り」を優先してしまうところがあります。それこそ、地蔵菩薩の境地のように──。

 そういう視点で昨今のスピリチュアル・精神世界の価値観を眺めると、大きく二つに分かれると思います。
 一方は、「すべては決められているのだから、悲劇も戦争の死も、その人の学びとして必要なことだった」という考え方。
 そしてもう一方は、「例え決められていたとしても、この世から悲劇や戦争の死を少なくしたい」というあり方。
 私は言うまでもなく、後者のタイプです。
 しかも、それがただ単に現地に赴いて奉仕活動に従事すれば納得出来るような衝動ではないから、厄介です。仮にそうであったとしたら、私は必死にただアラビア語を勉強し、中東に渡ることだけを目標としていたでしょう。
 ですが、私の中には従来のやり方では、本当に平和な世界は訪れないという、説明のつかない確信があるのです。
勿論そうした確信は、今後人々が意識覚醒をしていくことで緩和はされていくでしょう。でも、「じゃぁ、ただ待っていればいいんだ」と言って、のんびり構えていられるぐらいなら──私はYOU are EARTHの活動などは始めていません(苦笑)。

 自分でも説明のつかない感情としか言いようがありませんが、いずれにせよ私の中には「今までのやり方では、駄目なんだ」という衝動と確信だけがあるのです。だからこそ、自分自身も答えを探しているからこそ、YOU are EARTHの中では様々な講演会やイベントを企画しているのです。それは、ただの利益追求といったことではなく、私自身が誰よりも強く答えを探しているからなのです。本当に万民が幸福になる法則が、あるのだろうかと。

 きっとこれもまた、人それぞれの役割なのだろうな──そう思います。
 山川ご夫妻のように、多くの方々へ意識を目覚めさせるきっかけとなるような役割を持たれている方、また、シュタイナーという当時の日本では受け入れがたい思想を世に広めた高橋氏のような役割の方、みんなそれぞれ、自分の腑に落ちる形での「あり方」を追求し、その生き方を全うしようとされているのだろう──そう感じるのです。
 だとしたら、私は「どうあろう」としているのか──。
 おそらく、私はただ自分が覚ることだけを求めているのではない、そう思います。仮にそうであったら、9.11をきっかけに自分の人生が180度転換してしまうようなことは起こらなかったでしょう。テレビ画面の向こう側に起きた惨劇を眺め、それを対岸の火事としながらも、平和に日常を送れたことでしょう。
 しかし、残念ながら私にはそれが「出来なかった」──。
 そしてまた、ただ海外に渡って国連の活動やNGO的な活動にも参加することも出来なかった。最初はそのつもりでしたが、「国連の中にあるのは、本当の正義なのだろうか」という疑問が、私の足を止めてしまったから。今語られている正義や秩序は人間が生み出したものでしかなく、本当に万民の為になっていないのではないか──そんな疑問が、激しく私を突き動かしていました。

 私は、答えが出るまではずっとそうやって探求し続けるのでしょう。
「万民を幸福にする法則性は、どこにあるのか」と。
 どんなに体験の為この世に生まれてくるということが分かっていたとしても、お腹を空かして泣いている子供を前に「あなたはそれを体験する為、この世に生まれたのだから」と私は言うことは出来ない。「この子は死んだ後、天国のように素晴らしい世界へ行くんだ」そう確信していたとしても、その子の生命がこの世にある以上、私は全力を尽くしてその子を助けようとするでしょう。

 私は、この世にいる以上は「覚る必要などない」──そう思っています。
 そうすることで、他の人の痛みが分からなくなるのであれば、覚りたくなどない。死んだその後、すべてに気づけばそれでいい。
 そしてきっと、それは私が生まれてくる前に選んだ「私の役割」なのだろう──そんなふうにも思っています。


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世の中には、不思議なことなど何もない

「世の中には、不思議なことなど何もないのだよ」

 これは、人気小説「京極堂シリーズ」の中で、京極堂こと中禅寺がよく言う台詞です。辻褄の合わない事象に困惑する友人・関口に向かって、ことあるごとにこう語るのです。
 もっとも、この台詞には二通りの解釈があると思います。ひとつは、人間を中心に据えた視点。すなわち人間の知性を超えた物事など、存在しないという見方。そしてもうひとつは、「不思議なこと」も、受け入れてしまえば「不思議ではなくなる」という見方です。

 私は今まで、前者の意味でしか考えたことがありませんでした。
 京極堂シリーズは、第一作目が単行本になった頃から愛読していて(最近はさすがに忙しくて、あの分厚い小説を読む時間もなくなってしまったのですが──)、好きな小説シリーズのひとつでした。しかし、舞台が昭和30年代という設定で、日本が情緒よりも物質的生活に重きをおくようになりつつあった時代でもあった為、どちらの視点で描かれた作品なのだろうというのが妙に引っ掛かってしまい、作品世界に没頭出来ないこともままあったのです。(まぁ、こんな風に作品における価値観が気になって世界に没頭出来なくなるというのは、ある意味読者としては外道なのでしょうが──)
 ですが、ここ最近その言葉を思い返すごとに、「いや、違う。あの言葉には、違う意味があるんだ」──そう思うようになりました。

 このブログでも何度か書いてきたことですが、私はそもそもスピリチュアル──霊的世界と現実世界を二元化して考えることに異議を唱えています。
 これらは両者ひとつのものであり、切り離して考えることそのものが不可能なのです。
 「私」という存在の中にある「肉体」と「こころ」を切り離して考えるのと同じことです。確かに、物質を組成するものとして見れば、肉体もこころも別のものでしょう。しかし、「私という存在」に内包されているということを考えたら、肉体とこころが「別のものだ」と考えるのはおかしい話です。唯物論者がこころを「脳の電気パルスに過ぎない」と言い切るのはおかしいことですが、また同時に、唯心論者が「心だけに価値がある」と言い切るのも不自然です。肉体もこころも、共にあって共に関係しあうからこそ、「私」という存在が成り立つのですから。
 こころを霊的存在として見ても、同じことが言えます。現実世界を蔑ろにしてまで霊的存在が敬われる必要性など、どこにもないのです。もしもそこまで霊的存在の方が大切なのであれば、私達は肉体を持って生まれてなど来ません。生まれてきた以上、意味があるからこそ、ここに存在しているのでしょう。

 ですが、昨今のスピリチュアルはどうもこの「霊的世界」或いは「目に見えない世界」ばかりを敬い、現実世界とリンクさせようとする試みが非常に薄れているようにも思えます。
 勿論、これだけ科学が発達してしまった現代世界の中で「目に見えない世界を現実世界にリンクさせるには、まずは立証が大切だ」という意見も理解は出来ます。しかし、そのように「立証こそがすべて」という考え方自体が、すでに三次元の枠に閉じこめられている証拠ではないでしょうか?
 本来、立証云々ではなしに、「それがあると仮定したら、何が変わるだろう」という発想の方が大切なのではないでしょうか?
 しかし、多くのスピリチュアル関連(特に宇宙人やUFO関連)の書籍はあれやこれやと写真を掲載するばかりで、「これが事実だとしたら、私達の生活にどんな影響があるだろう。思想にどんな変化があるだろう」という見方はしていません。私はそれが口惜しくて仕方ないことがあります。
 そんなことばかりしているから、目に見えない世界を否定する人達を説得することが出来ないのではないでしょうか。

 もともと、立証するもへったくれも、三次元理論で語ることが出来ない存在を如何に私達が証明出来るというのでしょうか? それ自体が、私は人間の傲慢でしかないように思えてしまうのです。
 そうではなく、本当に大切なのは既存の価値観を覆し、その先を想定しようとする試みなのではないだろうか──私はそんなふうにも思います。

 そう思ってから、上記「世の中には、不思議なことなど何もない」という言葉を思い返す時、そこにはまったく異なった様相が浮かびます。
 すなわち、不思議と思えることも、結局は私達人類がそれを受け入れようとするか、しないかに過ぎないということ──。「受け入れない」という姿勢でいれば、世の中不思議なことは多々あるでしょう。しかし、「受け入れよう」とすれば、その人にとってそれは不思議でも何でもなくなるのです。
 作者の京極夏彦氏がそのような意図で書いたかどうかは不明ですが、私はこの言葉の中に別の意味が含まれていることを知り、感慨深いものを感じました。
 人間は、理性の枠を超えて知性で解決できないものも「あるのだ」という前提に立った時、ある意味無敵になれるのかもしれない──と。
 科学を翳し、すべては人間の知性で理解出来るという人達にとっては、宇宙はそれこそ未知で、不思議な世界かもしれない。しかし、「人間の知性で理解出来ないことも、たくさんあるのだ」ということを受け入れてしまった人からすれば、それはひとつの「現象」に過ぎない──。

 私は、愚か者のレッテルを貼られたとしても、人間の知性に胡座をかいて生きていくようなことだけはしたくない──そんなふうに思う今日この頃です。 


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いずれ消え去る国家概念。

 ここ数日、JALの経営破綻についてあちこちで注目されています。また、その報道のされ方も周囲に及び、JAL社員達の雇用先とか再就職の難しさなど、間接的な記事も多い印象を受けました。
 そんな中、私が興味を持った記事がありました。在日中国人で日本新華僑報編集長の人が書いた記事内容です。

 JAL経営破たんの要因は「メンツ経営」と「親方日の丸体質」

 私がこの記事の中で思わず唸ってしまったのは、「今のJALの姿は、明日の日本の姿ではないのか?」という問いかけです。その言葉を受け、筆者は「これに答えられるのは、どうやら日本人だけのようだ」と締めくくっていますが、果たして現状の日本人が如何に答えられるのだろうと、訝しく思った次第です。
 JALの経営破綻を受けて、逆に大きく伸びようとしているのが中国です。中国人が、逆転の発想や巻き返しに強い国民性があることは先日のブログで書いた通りです。おそらく、多くの方が予測する通り、中国は今後ますます伸びていくでしょう。いつの時代も、不屈の精神を持つ者こそが強いのです。

 先日、エハンさんとメールでやりとりをしていた際、日本の将来に憂慮する私の言葉に対し「日本人の理想と現実には、大きな隔たりがある」という返答を頂きました。
 エハンさんの取材記事を掲載した機関誌(「こちら」にて一部掲載)をお読みになった方はご存知かと思いますが、エハンさんは日本人の精神性を高く評価されている方です。そういう方でも、やはり懸念すべき事項は持っているんだ──と、私も納得せずにいられませんでした。
 日本がこうなってしまったのは、日本人が元来持っていた精神性を放棄してしまったことにある──私はそう思います。
 精神性というのは、その民族にとって「柱」ともなるべきものです。その柱となるものの形に、正しいもへったくれもありません。まっすぐ立とうが曲がって立とうが、柱であることに代わりはないのだから。
 精神性という柱が強固な民族ほど、団結力を発するということも、多くの方がご存知のことでしょう。イスラム教の人達を日本人で見下す人は多いですが、ムスリム達の本当の強さを知らない──私はそう思います。それどころか、そうした精神性の強さを持つ人を見下している「事実」こそを、日本人は恥るべきです。
 勿論、そういった精神性の方向性云々は後々影響はしてくるものの、日本人は、その前提にさえ立っていないということを思い出した方がいいでしょう。精神性の強さをすでに持っていながらでなければ、その是否を論じることは出来ないからです。
  
 自己の軸をなくして、人が個性を見いだせないのと同じように──
 民族の軸をなくして、国民はその民族性を打ち出すのは難しいのかもしれません。

 とはいえ──。
 これだけ時代がややこしくなってくると、こうした現象を単純に一括りして、「精神性を失ったイコール、もうその国は駄目なんだ~」と十把一絡げに判断するのもまた、危険なことかもしれません。
 「日本」という国単体で見ると、その将来は確かに楽観視出来るものではないでしょう。でも、「その代わり」というべき資質が、今の若い人達に育ちつつあるのを感じます。

 最近私が接する大学生や20代前半の人に、とても広い視野を持った人達が散見されます。
 その人達の視点はすでに国家概念を飛び越えて、「地球」というひとつの集団でものごとを見ているのです。
 彼らは確かに、あまり自国のことへ意識を向けないところがありますが、私は最近の流れを見ていると「もしかしたら、これこそが本当に新たな時代の流れなのかもしれない」──そう思わずにいられないのです。

 先ほど挙げたエハンさんのメールの中で、「もう国という発想自体がナンセンスになりつつある」という言葉がありました。
 それは確かにそうなのでしょう。それこそ、「YOU are EARTH」です(笑)。国という概念は、統治しやすいように生じた発想に過ぎず、ある意味ただの区分けでしかありません。人類が生み出した便宜上のものでしかないのです。
 ずっと前、このブログで「ネイティブアメリカンのとある酋長が言った言葉」を紹介しました。それは、「この土地の一部を売ってくれ」と要求した白人に向かい、「大地はひとつだ。切り分けして売り買いなど出来ない」と言ったという言葉です。
 この言葉は深い意味をついていて、本来、国というのも人間が勝手に仮定して、その一部を独立させただけに過ぎないものなのだということを端的に表しています。
 人間で例えれば、心臓、肝臓、腸、それぞれの器官が独立宣言をあげて、個々バラバラに活動しているようなものです。あわよくば、心臓が肺に侵略したり、腸と胃が戦争をしたり──何とも馬鹿げた話ではありますが、地球を「ひとつの生命体」として考えれば、国家同士の争いなんて同じぐらい馬鹿馬鹿しいものなのでしょう。

 そんなふうに考えると、日本という国そのものの未来が脅かされても、「それは必ずしも悲観されるべきものではない」ことが分かります。
 そこまで言い切ってしまうと批判が来そうですが、でも、これは究極な真実だと思います。言ってしまえば、JALが経営破綻したところで、他の国が大きく伸び、さらに画期的なサービスを提供してくれるのなら、何も嘆くことはないのです。それはそれで、ありがたいことです。勿論、働いていた従業員の方々の苦労を思うとそう言い切ってしまうことも忍びないのですが、言い方を変えれば日本人である以上、誰もが同じ憂き目にあう可能性はあるのです。みな、同じ穴のムジナです(笑)。

 ある意味、日本人は今、特殊な現状に置かれているのかもしれません。
 かつて謳われた日本神話は、すでに崩壊しています。過去である神話にしがみついて、いつまでも「日本は神の国だ」「日本は守られている」と言って現実逃避を続けるか、或いは、厳しい現実を受け入れ、新しい時代に相応しい精神性を生み出すか
 遅かれ早かれ、世界から「国家」という概念は薄まり、能力や価値観に応じた地に移り住み、その地に住む人々の個性に応じた共同体が育成されえるような時代となるでしょう。今はすでにその移行期にあって、それが故に「国家」という意識を揺るがされるような事態が起こりやすいのかもしれません。
 JALの経営破綻は物質界的視点で見れば悲劇かもしれませんが、精神性の視点で見れば「新たな成長をするチャンス」なのかもしれません。どんな悲劇的な報道、情報を目にしてもそれに打ち勝つだけの精神性と意志の強さが、私達日本人には求められているのかもしれませんね。


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人類とウィルスの進化は「似ている」?

 今日は1日、YOU are EARTHの仕事はお休みして(と言いますか、昨日ほとんど片付けちゃったからですが)、5月に出す執筆本の構成、および下書きをしていました。
 タイトルは「夜明け前の闇─現実的見地から眺めた2012年問題─」
 書店に並べられているアセンション本などとは一風違う、あくまでも「現実問題とリンクさせた内容」にするつもりです。でもこれ、自分のところから出すからこそ出来ることであって、出版社を介していたらこんな本まず書けませんね。絶対に「もっとエンターテイメント的な内容にして!」って要求されるでしょうから(苦笑)。

 そんな話はさて措き。
 執筆本の準備をしながら、篠崎はずっと今の時代における意味を考えていました。
「何故、今アセンションが騒がれるのか」「何故、こういう流れになったのか」「これから時代は、どこに向かおうとしているのか」──。
 そういう問題に行き着くと、篠崎は大抵視点を「外」へ置きます。すなわち、「社会の中で生きる自分」ではなしに、社会や人類を作った視点に置き換えてみるのです。まぁ、烏滸がましくも言ってしまえば「神の視点を意識してみる」ということなのかもしれませんが──。
 そうすると、内部に立っていた時には分らなかった疑問点や改善点が、浮かび上がってくるから不思議なものです。

 そうやって思いを馳せると──色々なことが目につきます。
 例えば、もし、私が神の一人として地球を見ていたとして・・・・・・人類の進展に、ある「危惧」を抱いたとしましょう。
 抱くとすれば、それは1900年に入った辺りからでしょうね。科学と技術を味方につけた人類がその知識をシェアすることなく独占し、他の民族を完全に支配しようとし始めた時点で、神の一人である私は「こらマズい」と思ったと仮定します。
 循環の記事にも書きましたが、支配や独占など「流れを止める行為」は、森羅万象の法則に反したものです。それにも加え、「流れを止め続けよう」という執着が戦争を生み出し、核爆弾の開発まで行き着いたのを見たら、ますます懸念は大きくなります。
 こんな時、アダム・スミスじゃないですが「神の見えざる手~」とか言いながら、核弾頭をスッとつかんで隠せちゃったら楽でしょうね(笑)。しかし、それが出来ない以上、人類の自発的気づきに神は委ねるしかありません。

 ここで皆さん、疑問に思うでしょうが──もし視点を神に見立てるとして、その「神と人類を隔てるもの」というのは、いったい何にあたるのでしょう?
 これには諸説、色々な解釈の仕方があると思いますが、私はひとえに空間だと思います。すなわち「次元」ですね。人類と神を隔てるのが「次元」である以上、神は人類に直接的な作用を及ぼせない──と規定します。
 でも、神から人類が生まれた以上、必ずや「共通項」があるはずです。
 それが「意識」であり「こころ」──肉体ではなく目に見えない部分です。
 私が神の一人であったとしたら、この「神の忘れ形見」とも言える人類の一部を使って、現状の危機を知らせようとするでしょう。多くの人は日常の些末な事件に翻弄されてそのメッセージに気づきませんが、一部の純真な心を持った人達は、そのメッセージを捉えることが出来るはずです。「何だか分らないけれど、今、人類はすごく難しい局面へ向かっているらしい」と。

 これは、闇雲に走る車のようなものかもしれません。
 行き先の決まってない列車がポイント毎に線路を変えながら進んでいるも、あるポイントで大きく間違ってしまったが為に、その線路の行き先が「崖になってしまった」としましょう。しかも、列車に乗っている運転手は目の前のレールを見るだけで、自分達の危機には気づいていません。
 もしも、空から列車を見下ろしている存在(神と仮定)がいたとしたら、その先にある危機を知らせようとするでしょうね。「危ないよ、そのまま行くと崖になるよ。進路を変えなさい」と。直感で人類の危機を悟り、それを唱えている人達は、列車の行き先を空から眺めている存在の代弁者なのかもしれません。

 危機はいつでも、目の前に起きているとは限りません。
 また、目の前で起きてしまった場合はおおかた「手遅れ」であることがほとんどです。
 危機は事前に知ることにこそ意味があり、だからこそ昔から「虫の知らせ」という言葉が言われてきたのでしょう。
 だとしたら、今盛んに言われている2012年問題も「虫の知らせ」のひとつなのかもしれません。勿論それは悪いことばかりではなく、「ここが重要なポイントだよ。ここで変わる必要があるんだよ」という知らせなのかもしれませんが。先ほどの列車の例で言えば、崖を目前にして進路を変える「最期のチャンス」なのかもしれません。

 しかし──そこまで究極に追い詰められた場合、果たして「突然の進路変更」というものは起こりえるのでしょうか?
 未来のことはそれこそ予測不能だし、今の私達がまったく予想だにしなかったような展開があり得るだろうことも否定は出来ないので、こればかりはその時になってみないと分らないものなのかもしれません。ですが、こうした「極限まで追い詰められた生命が、爆発的な変化を起こす」という例を、私達は今までにもすでに見聞きしてきているのです。

 その一例が──ウィルス。

 ウィルスは、常に変態を繰り返しています。人間の医学が発達して免疫力をつければつける程、そうした抗体をさらに上回るような生命力のあるウィルスが誕生します。
 フラクタル理論がそうした生命のあり方にも通用するのだとしたら、まさしく「人間の突然変化」はこのようなウィルスのあり方からも類推出来るのではないでしょうか?
 未だかつて、人類の歴史上そのようなことは起こっていませんでした。あるとしたら、それは原始における動物達の進化であって、人類が歴史として把握している間ではそれさえも見受けられません。
 そうした究極の状況下に、あろうことか私達人類が立たされているのだとしたら──これは本当に「大事(おおごと)」です。いったい、どのようにして私達人類はめざましい程の進化を遂げるというのでしょう。

 それもまた本当に色々なことが言われているので、ここで情報をひとつに選択するようなことはせずにおきます。
 でも、こうして「外部の神という存在」を仮定し、その存在に自分の視点を重ね合わせてみることで、今私達が置かれている状況が見えてくるというのは面白い話です。また、「外在神」「内在神」、どちらが正しいかなどということで論争するのもまた「馬鹿げている」ことも見てとれます。何故なら、先に例として挙げたように「外部の存在も、人類に直接働きかけるには人類の内面を活用するしかない」ことを踏まえれば、結果的に外部も内部も関連しあっているので、分けること自体がおかしいという結論に行き着くからです。
 
 人類を乗せて暴走した列車が、このまま突き進んで崖から転落するのか、或いはポイントで大きく進路を変えられるのかは、誰にも分りません。
 「神のみぞ知る」とは言うものの、私は「神でさえも、知らないのではないか」と思うことが多々あります。
 神は直接的関与が出来ない分、人類の自由意志に委ねるしかない。列車に乗る乗客達が異変に気づき、自ら行動を起こさない限り、神でさえも列車の行く末をただ見守ることしか出来ないのではないか、と。
 そう考えると、どれほど「意識改革」というものが大切なことかを、痛感せずにいられません。
 唯一外部から(内面を通じているので、内部からとも言えますが)与えられる気づきに如何に敏感になれるかが、この意識改革にとっても重要な鍵だからです。そして、その「スイッチ」はいつでも押せる状態にあって、私達のこころのあり方次第でONになるかOFFのままかが、決められるのかもしれません。

 スイッチONとなった私達が、免疫力をも凌ぐ力を持ったウィルス同様、あらゆる困難に打ち勝てる強い存在に生きながらにして生まれ変われるのだとしたら──それこそが、巷で言われている「アセンション」なのではないかと、そんなふうにも思えますね。



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何故、日本では2012年問題が注目されないのか?

 私は元々哲学、宗教を学術的に研究していた側の人間であるせいか、スピリチュアル分野、精神世界に関してもアカデミックな視点を求めるところがあります。
 しかし、最近の精神世界・スピリチュアル分野に関しては情報の増加、多様化はあれども、そこにどれほどの信憑性があるかを探究し掘り下げようとする書籍は、あまりお目にかかれていない気がします。

 今日、長引く風邪からついに覚悟を決め病院に行ってきたのですが、待合室で待っている間、5次元文庫から出ているエハンさんの新刊「宇宙人&2012超入門」を読んでいました。
 少し話は逸れますが――毎度毎度思うことですけれども、こうした超心理学分野の情報を提供しようとする出版社側の方に、2012年問題やその他諸々の超心理学系、精神世界系情報を「正しく読者に伝えようとしていない姿勢」が垣間見られるように思えるのは私だけでしょうか? 某番組の肯定派、否定派ではないですが、肯定派の方も最初から「否定派の株をあげる為に存在している」かのような状態。この新刊はUFO研究家である竹本良さんとの対談本ですが、何故、もうちょっと真剣に一般市民が手にとって思慮しやすいタイトルにしなかったのか、口惜しいものがあります。かえってこういうタイトル(「宇宙人&2012超入門」って背表紙、普通はみんな手に取りづらいですよね?←ちなみに私も、人から借りた本です。)で打ち出すからこそ、読者達はことさらにこうした情報を蔑視するのではないでしょうか――と、ここで嘆いても仕方ないので、話を戻しますが。
 その本の中で、「2012年問題は、諸外国と比べても日本はほとんど注目されていない」ということが書かれていました。
 確かに、諸外国で売られているUFO関連の本などは、日本で目にするそれよりも、非常に深く書かれたものも多いです。マウリッツオ・カヴァーロの本などは、それこそ文学的な様相も匂わせていますが、読者にショッキングなものを提供しようとしているのではなく、カヴァーロ氏が体験したことを、彼自身も「真理を知りたい」という欲求の元で書いているのがよく分かります。

 要するに、日本人に欠けているのはその部分「真実を知ろう」とする探究心なのかもしれません。

 先日、エハンさんとお逢いした際、私は「12月23日のTVタックル」について、文句を言いました。「あれは、あまりにも酷過ぎる。低俗どころの話ではないレベルの番組でした」と。
 するとエハンさん曰く、そういう思惑はすべて「編集スタッフ」にあるのだとか。
 すなわち、編集スタッフの方が視聴者をバカにしていて、「どうせこういう内容を流しても、視聴者は理解出来ない」と、編集しまくっているそうなのです
 政治家と同じです(笑)。今の政治家は、国民の目を恐れるようになりましたが(選挙における一票の重さを、ようやく理解するに至ったのでしょう)、ひと昔前でしたら、政治家などは国民をバカにしきっていました。選挙の時だけ頭を下げ、公約なんてまったく無視。それが、10年ちょっと前ぐらいまではまかり通っていたのが日本社会です。おそらく、欧米諸国に比べたら数十年遅れていることでしょう。

 目に見えない世界への探究についても、日本はまだまだ「そのレベル」です。情報発信する側が勝手に視聴者のレベルをランク付けし、視聴率が取れるものしか流そうとしない。
 真剣に覚悟を据えた活動の出来る、骨のあるメディアってのはいないものなのでしょうか? このままでは、このブログは「地球の未来を創造する」どころか、日本の愚痴で埋まってしまう(苦笑)。
 もっとも、私は番組編集スタッフよりも遙かに、視聴者の方が「賢い」ことを実感しています。少なくとも、このブログを読んで感想を送って下さる方の多くが、自分の思考で咀嚼し、情報を取捨選択出来る方々であることを確信しています。視聴者を見下して勝手にランク付けするような番組は、今に痛い目にあうぞと、負け犬の遠吠えチックに吠えたてる今の私ではありますが(笑)。

 ――さて、文句だけ言っていても仕方ないので。
 こうしたマスコミの姿勢、保守的な人々の多い島国という様々な条件が重なって、日本はどうも「真理に到達しよう」というよりも、「何事もなく、ことなかれで行こう」という姿勢が目立っているような気がします。
 昨日の日記「新たな時代は「循環」~」でも書きましたように、どんなに保守的になったところで、必ずすべては変わっていくのです。だったら、無闇に変化を拒否したところで、まったくもって意味がありません。
 私達は今、変化のさなかにいるというのに、それを無理に「変わるものか!」と言いながら、足を踏ん張っている状態のようなものなのかもしれません。日本でこうした問題が注目されないのは、ある意味日常を柔らかく受け入れているという意味もあるのでしょうが、そうした「日常(日の常―常に変わらず)」に固執するが故に新たな時代の真理に目を向けようとしない姿勢が出来てしまったというのも、否定は出来ないでしょう。

 本来、「日常」ではなく「日変」なのです。
 昨日と今日は、どんなに同じに見えても「まったく同じではない」。いつだって日々変化しているということを、私達はもっと思い出す必要があるような気がします。
 変化を自発的に受け入れ、自らの意志で人生をクリエイティブしたいという発想に行き着いた時、人は変化を恐れなくなります。
 そうなると、人の意識はごく自然に「時代の変化」を感知するようになり、2012年の問題に対してももっと開かれた姿勢へと変化していくのでしょう。そうなった時、書店を見たらどれも何だかアヤシげな本ばかりというのは――あまりにも悲しすぎです。
 もっと、ひとりでも多くの人にこの問題を「エンターテイメント」としてではなく、責任と覚悟をもった姿勢で、真理探究に臨んで欲しい――そう強く願う次第です。


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新なる時代は「循環」がキーワード

 困ったことに、風邪がなかなか治ってくれません(涙)。
 土曜日に39度台まで発熱してしまい、翌日が打ち合わせだった為気合いで平熱まで下げたはいいですが、完治というほどではなかったみたいです……。
 昨日も本当は打ち合わせが入っていたにも関わらず、前日深夜3時から体調が悪化。明らかに「高熱の出る前兆」を感じたので急遽予定を延期してもらい、半日静養していました。23時過ぎにようやく落ち着いたものの、今度は酷い咳で――。普段使わない腹筋が、こき使われまくりです……。一体、いつになったらこの風邪は治ってくれるのでしょうか……(溜息)。

 そんな愚痴は、さて措き。
 先日告知を開始した「西山いずみさん」とのトークイベントですが、早速お申し込み下さいました方、誠にありがとうございます(謝)。
 おそらく、以前から篠崎のブログを読んで下さっている読者の方には「えっ? 何か意外!」って思われている方も多いのではないでしょうか(笑)?  確かに、私自身も「異色コンビ」だなぁ――とは、思っていますです、ハイ。
 とはいえ、前回「西山いずみさん取材記事、掲載」にも書きましたように、いずみさんとは言葉の形、表現の仕方は違えど、根本的なところは「同じ」だと私は感じています。また、見る視点もいずみさんは個人をベースにしていて、私は時代や世界をベースにしているという方向性の違いはありますが、立ち位置は一緒であるが故に話の軸がブレないというのも実感しています。
 むしろ、「どんな話題が飛び出すんだろう……」と、私自身が楽しみにしているところもあります(笑)。
 同じ価値観、同じ立ち位置、同じ視点の人達で話し合うのもまた楽しいものですが、まったく違う視点で話しあうと、かえってひとつの問題が多角的に掘り下げられて、新たな発見に繋がったりもするものですからね。
 今や、私達はすでに既存の価値観では「飽和状態」になっているようなものなのでしょう。まったく違った視点、違った価値観、斬新な発想でもって、目の前にある「混沌」という名の障壁を打ち破っていかなければならないのかもしれません。

 今回のトークイベントでテーマとなっている「循環」ですが、思う以上に深いテーマであると私は感じています。
 このテーマがイベントの中心になることが分かって以来、私はずっと「循環というものが、時代の中でどのように働いてきたか」を考えていました。
 しかし、考えれば考える程、循環――サイクル――は、歴史上効果的に働いてきたとは言い難いものを感じるのです。

 循環、ということを考えた時、一番最初に浮かぶのは「自然のサイクル」です。自然界はすべて、この「循環」で構成されていると言っても過言ではありません。雨から水に至る循環もそうですが、命のあり方も「循環」です。樹は季節の廻りに応じて新芽を伸ばし、実らせた果実は動物達や小鳥達の食糧となり、そして、枯れた葉は地に落ちて樹の肥料と化す――。人間の命も同じ。自然から産まれたものはすべてが「循環」で成り立っている。
 循環を維持させる為には、「動き続けること」が大切です。そう言われてみれば、自然の営みの中で「静止しているもの」なんて、まったくないかもしれない。鉱物だって、目には見えなくても細かな動きがあるのでしょう。そうでなければ、岩の風化なんて起こり得ませんから。

 しかし、人間は「止」に拘ります。
 循環させることよりも、自分達が営利を得ること――変わらないこと、止まっていることを好みます。
 また、歴史の流れを振り返るに、いつでも「止」に執着することが、人間の悲劇を生んでいることが見てとれます。自分達の権威をいつまでも維持させようとしたり、自分達の栄華だけをいつまでも守ろうとしたり――そうすることが、常に悲しい戦争や殺戮を生み出してきました。
 しかし、皮肉なことに――「保守しよう」という愚かな抗いが、かえって「流転」を強いる結果となっていたりします。「栄枯盛衰」「諸行無常」なんて言葉は、まさしくそのものですよね。
 「変わりたくない」としがみついたところで、人間は自然に逆らえない。宇宙の法則には、従わざるを得ない。無駄にエネルギーを輩出し、哀しみを生み出し、それでも結局「変わらざるを得ない」のであれば、何故、自ら進んでその波に乗ろうとしないのでしょうか?

 もうそろそろ、人類だって気づいてもいい頃だと思います。
 「変わらないものなんて、何もないのだ」と。そうすれば、先進諸国として胡座を掻いていた大国も、「自分達もいずれは退く立場なのだ」ということを理解出来るでしょう。一部の国だけが恩恵を被るなんていうのは万象の法則に反していて、本来はみなに平等な循環が望ましいということが分かれば、核ミサイルだの戦争だの、それがどれほどくだらないものか、理解出来るはずです。

 結局、そうなると時代が変わる為には、意識改革しかないというところに行き着くのかもしれません。
 人間の意識は、ダイレクトに時代へと繋がっています。むしろ、個々人の意識が時代に投影されると言っても、過言ではありません。ひとりひとりが、富の独り占めなんて馬鹿馬鹿しい、全体に還元してこそ意味があるんだということに気づけば、世界の流れもまた変わっていくのだろうと私は思います。

 循環というのは、世界レベル、生命レベルでもそうですが、個人レベルにおいても非常に重要なテーマです。
 例えば――最近の世の中は「デフレ」の傾向にあり、みながお金を出し渋っています。でも、本来お金は「流通するもの」です。貯蓄しようとばかりするのは「止」の考え方で、まったくもって意味のない――自然の法則に反した考え方です。
 親である方の多くは「お金を子供に貯めておこう」と、一生懸命になるでしょう。それが、今までの美徳と考えられていたから。
 しかし、実際のところ「お金をかえって貯めておくことの方が、子供にとって害になることがある」ことを、みなさんは無意識に知っているのです。(ここで私があげなくても、多くのワイドショー番組がそういう悲劇について多々報道しているのですぐに思いつくかと思います。)
 でも、「美徳」という言葉から解放されず、不況の中にありながらも「お金を貯める」ことばかりに意識が向いてしまう――そんな人も、いるのではないでしょうか?

 そこに拘るよりも、「何故、今が不況と言われているのか?」その理由を考えた方が、遙かに有意義ではないでしょうか?
 考えてもみてください。数年前も今も、紙幣の製産は変わらないのです。スイスの中央銀行で調整しているとはいえ、急激に先進諸国全部が崩れる程の調整には本来至らないはずです。
 では、何故このような世界不況が起きているのでしょう?
 大戦前にあった世界恐慌の際も、一部の投資家、銀行家達が丸儲けしていましたよね? あの時と現代は規模が違うといえども、システムは「同じ」だと思います。
 ちなみに、大戦前の時はユダヤ銀行家達が大設けしていました。今は誰なのか、わかりません。わかりませんが、絶対に「羽振りがいい人達」が必ず世界のどこかにいるはずなのです。でも、誰も尻尾を出しませんね(笑)。

 循環が滞っている場合、必ずや「それを止めようとしている力」がどこかで働いているはずなのです。
 私は、自分の通帳を眺めるよりも、世界を眺める方が――「誰が景気の循環を止めているのか」に意識を向ける方が遙かに意義があるし、遙かに社会にも役立つと思っています。
 もっとも、私は経済に関しては専門でやっていないし、知らないことも多々あります。とはいえ、今度は経済専門家となると「既存システム」に飼い慣らされた人も多いでしょうから、あまり役立ちません。斬新な視点と直感を働かせることの出来る、パイオニア的な経済学者が日本にいればいいんですけれどもね。アメリカのジョセフ・E・スティグリッツ博士みたいな人が(笑)。

 これからの時代、「循環」を意識せずして、安心した人生は歩めない――そう思います。従来のシステム、既存の価値観ともいえる「雇用の安定」「貯蓄の安定」「不動産の安定」――それらはすでに、崩壊したと言っても過言じゃありません。不動産の神話は、バブル時代ですでに終わってしまっています。
 お金の安定も、これから先は微妙でしょう。明日突然、万札が百円の価値になってしまうかもしれない――。雇用が不安定となったのは、今さら言うことでもないでしょう。
 私達は「その場に止まる」という価値観を捨て、常に前進するという意識を取り戻すべき時代に来ています。そのきっかけとなるのは「循環」へと意識をシフトすることでしょう。そういった話についても、21日には触れたいと思っています――

 ――が。
 篠崎ひとりだと小難しい話ばかりになってしまうので、いずみさんに柔らかいお話を入れてもらいながら、多くの方に分かりやすい展開となるよう進めて行きたいと思っています(笑)。

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見えないところで、泣いている人々

 今から書くことは、16日、本当にあった話です。
 場所は、東京の白金高輪──住宅地としては、高級と括られる地域です。その地域にある託児所で働く女性Aさんが、実際に体験した話を今からご紹介します。

 皆さんは、この話を聞いてどうお考えになりますか?

 Aさんの働く託児所に、とある女性が訪れました。時刻は11時半──お昼前のあたり。その女性は年齢こそは判明しないものの、顔中アトピーのような湿疹に覆われていて、それを隠す為なのか大きなマスクをしていました。最近商店街の外れに越してきた人だそうで、まだあまり周囲ともうち解けていない様子でした。
 女性は、Aさんに向かってこう言いました。

「すみません、オーナーはいますか?」
 生憎とその時、オーナーは不在でした。
「すみません、今はいないのですが──」
「そうですか」
「私で良ければ、承りますが?」

 女性はしばらく躊躇っていましたが、やがて重い口を開きました。
「実は、義母が具合が悪くて──病院に連れて行ってあげたいのだけど・・・・・・お金がなくて」
 Aさんは、その女性がオーナーにお金の相談をしにきたというのが、すぐに分りました。オーナーとその女性は、ある程度顔なじみだったからです。
 かといって、勝手に金庫をあける訳にもいきません。その上、Aさんも悲しいことに、電車賃しか持っていませんでした。
「ごめんなさい。私も貸してあげたいのだけど──持ち分がなくて。交番へは、行ったのですか?」
 すると、女性は首を横に振りました。
「交番は、勿論行きました。ですが『生活費を貸すお金はない』と、断られてしまって。商店街の知り合いのところも廻ったのだけど、全部断られてしまいました──」
 Aさんは、その女性が嘘をついているわけではないというのが、直感で分ったそうです。そして、本気でお金に困っているのも。何故なら、しばらくお風呂に入っていないような体臭が、その女性から臭ったからです。
 結局、お金を渡してあげることも出来ず、そのままAさんは女性と別れたそうです。しかし、Aさんはとても気になっていたことがありました。

 それは──女性の手に握られていた、小さな新品の石鹸。

 おそらく、お金を貸してくれた人に「せめてものお礼」として、その石鹸を手渡すつもりだったのでしょう・・・・・・。その石鹸を握りしめたまま、女性は去って行きました。


 皆さんは、この話を聞いてどのように感じましたか?
 Aさんは非常に気が咎め、私に「自分は何も、あの女性に出来なかった・・・・・・」とこぼしてきました。
 しかし、それは仕方ない──私はそう思います。
 人は誰だって、精一杯生きています。その場で思いつかないこと、してあげたくても出来ないこと、そんな後悔をたくさん背負って、私達は日々生きているのだから。

 ですが──そういう後悔を言い訳にしてはいけない人達もいます。
 公的な任務につく人達です。
 私は、その女性を商店街の人達が拒んだのは、まぁ仕方ないと思います。
 しかし、公民とも言える警察官が「生活費は貸せない」って門前払いをしたというのは、どういうことですか?!
 私が、東京都の白金高輪、しかも16日の11時半と明確に記事に載せたのは、抗議の意味もあるからです
 貸せない、というのは仕方ない──百歩譲りましょう。しかしそれならせめて、何かしらの対処は出来たのではないですか? それを、何の情報も与えずに門前払いというのは、一体どういうことなのでしょう?

 こういうことを記事にすると、心の渇いたひねくれ人間が「きっとその女性は常習犯で、だから警察が相手にしなかったんだ!」そういう人もいるでしょうね。

 ──だったら、何なんですか?
 常習じゃなかったら、どうするんですか?
 常習だとかそうじゃないとか、そういう問題じゃないでしょ。現に困っているからこそ、その人はAさんの託児所まで石鹸片手に訪れているのだから。
 何故そうやって、自分が知りもしない可能性だけを翳して、人の痛みを無視するようなことが言えるのでしょう。

 私はこういう話を聞くたびに、この国に幻滅します。
 先日も、私を幻滅させたニュースがありました。派遣村のニュースです。
 まとまったお金を渡したことで、三割が外泊したと報道された途端、多くの人達がまるで「ほらみろ! 派遣村なんか意味がない。ああいう人は、所詮そういうレベルなんだ」と言っていたのに、私は心底腹が立ちました。

 考えても見てください。
 三割ですよ?
 残り七割の人達は、どうなるんですか?
 たった三割の為に、七割の人達の苦労や努力は報われなくなるんですか?

 そんなの、間違ってる! そう思いませんか?

 それに──私は、三割の人達の気持ちも・・・・・・分らなくもないです。
 彼らは、罪人でもなければ、何をしたわけでもない。
 普通に今まで生きてきて、突然社会が不安定になったが為に、職を失っただけなのです。
 彼らだけに責任があるのではなく、社会にだって、責任あるはずではないですか? 

 あのニュースに「ほらみろ!」といった方々。
 是非、あなた方に私はテント生活を体験して欲しい!
 それで、年越しをしてみて欲しい。
 惨めな気持ちの中で暮らし、先行き不安の中でいて──少しぐらい、息抜きしたい・・・・・・そう思わないのですか?
 そういう人達の痛みを、何故感じられないのですか?!

 日本は、このまま「見えないところで泣いている人々」のことを無視して、存続出来るのですか?
 マザーテレサが言った言葉、「日本は、日本にいる貧しい人達のことを考えて欲しい」──この言葉の重みが、どこまで伝わっているのでしょう?

 私は・・・・・・日本の先行きが、とても不透明に感じて仕方ありません。人間にとって大切な情や、思いやり、痛みを知ろうとする心が失われてしまったら──その国は終わりです。
 この記事を読んで、上記の女性の痛みを──Aさんの苦悩を分って下さる方がいることを願う次第です。


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2010-01-19 | 社会 | トラックバック(0) |

鬱病社会からの脱出

 近日「YOU are EARTH」で公開予定の西山いずみさん取材記事ですが、この中で「鬱病は誰にでもある」という言葉が出てきます。
 昨今、「鬱病社会」と言われるぐらい鬱病患者の数は増えていますが――本当に鬱病って「病気なのだろうか?」と思うことがままあります。
 勿論、深刻な鬱病があるというのも、かつて医療関係で仕事をしていた私はよく分かっています。しかし、最近の社会を見るにあまりにも簡単に薬を出し過ぎなのではないかという思いが拭えないのです。

 私の知人で、こんな例がありました。
 その家は、お父さんが某テレビ局の有名アナウンサーで、家庭的にも裕福な暮らしをしていました。家はどちらかと言えば躾のきっちりした家で、二人の娘さんにもご両親は教育を惜しまない人でした。
 二人姉妹のうち長女の方はとても綺麗な方で、それこそモデルにいても不思議はないような人でした。その上才色兼備だった彼女は有名私立大学に入学、その後も一流企業で秘書をやったりなど、華々しい人生を歩んでいました。
 一方、妹の方は非常に大人しく、どちらかと言えば地味な雰囲気の人でした。勉強もとりわけ好きではなく、高校も十人並みの高校を出て、大学受験に失敗し、自分が望んでいた大学ではない進路へと進みました。
 私はこの姉妹両者を知っていますが、妹の方は色々と挫折を味わっているものの、「人生、親に敷かれたレールだけを歩いていていいわけじゃない」ということを悟っている人でした。彼女は無言の中で両親へのシュプレヒコールを掲げ、自分の生き方を探していたのです。周りからアウトローと呼ばれていたものの、自分の人生を切り開きたいと必死に藻掻き、様々なコンプレックスを抱えながら、それでも必死に我が道を模索しているような人でした。
 彼女の前には、大きな壁がいくつも連なっていましたが、そこを打破出来れば「本当の意味で自から輝ける、魅力ある人物になるだろう」と、私は期待していました。
 ところが――去年、その妹さんが「重度の鬱病に罹っている」という話を聞いたのです。
 実家で暮らしていたそうですがお父さんとうまく行かず、そうした家庭の軋轢が社会生活にも影響をして仕事が出来なくなり、ついには会社もクビになってしまいました。
 今、その妹さんは完全に薬漬けとなってしまい、家から一歩も出ない状態だそうです。もう誰ともコミュニケーションを取らなくなり、たった一人で籠もることが多くなったのだとか――。

 この話を聞いて、皆さんは「これは鬱病だ!」そう思われるでしょうか?
 私は、そうは思いませんでした。
 私がその妹さんと会ったのは、かれこれ6年ほど前の話ですが――確かに人見知りをするシャイな方で、人受けはあまり良い印象はなかったものの、その分「内側」に持っている意志の強さは並ならぬものでした。社会や周囲と迎合し、それをそのまま受け入れられる人達にしてみれば彼女の中にある「言葉に表現出来ない鬱屈した想い」は、理解出来ないかもしれません。しかし、「この人の生きる社会が、今の現代社会でなければ――もっと違う人生があったかもしれない」、そう思えるような可能性を秘めた人でした。

 社会に迎合出来ることが、正常の証なのでしょうか?
 周囲と何の問題もなくいられることが、正常なのでしょうか?
 もしも社会が狂っていたら、そんな狂った社会に迎合出来る人と、それに反発する人、一体どちらが正常なのでしょう?

 私は、その妹さんのことを思うと胸が痛みます。
 この問題――誰が悪いわけでもない。お父さんには勿論、お姉さんにだって罪はなく、妹さんの中で肥大したコンプレックスを、どう発散していいのか分からなかったに過ぎません。
 唯一問題があるとしたら、そういう事実関係を調べることなく安易に薬を処方し、彼女を薬漬けにしてしまった精神科の医者に問題がある――私はそう思います。

 今ある鬱病の問題の多くは、こうした「事実関係を大して調査もせず、簡単に薬を出す病院側」にもあるのではないでしょうか?
 昨今注目されている「SSRI―抗うつ剤―」は、その副作用が自殺を増加させるだけでなく、大量殺人への衝動に繋がるなどで多くの医療関係者から批判が寄せられています。アメリカでは、この薬に関して使用しない方向性でいる州などもあるのに、日本ではこの薬が簡単に処方されているそうです。
 「自殺国家」と騒いでいながら、何故、こういう「精神疾患と薬処方の関連性」についてはあまり注目されないのでしょうか?

 私は、鬱病になってしまう人の気持ちはよく分かります。私自身、一歩間違えば先程挙げた妹さんのようになっていたかもしれないからです。
 生まれついた家族と相性が悪いと、それだけでハンデを抱えたようなものです。親の価値観と自分の価値観が合わず、親がそうした子供の価値観を受け入れることが出来なくて否定するばかりになった場合、その子の人生は他の子の人生よりも、遙かに遅れてスタートラインを切ることになります。
 そういう問題から派生した諸々のことを、ただ単に「鬱病」で片づけてしまっていいのでしょうか? 単に薬を処方するだけで解決させて、いいのでしょうか?
 中には、職場や会社で自分の人生が見出せず、登社拒否のようになって、そこから鬱病診断される人もいるかもしれません。
 しかし、自分の人生に疑問を持つというのは、その場が合わないだけであって、他にもっと違った場があるかもしれない。逆に「今」という時期が合わないだけであって、少し時間がたてば合うかもしれない。

 現代日本は、人々から自分を知るという生きる上で大前提の機会を奪っておきながら、迎合しないと薬漬けにしてしまう――それはあまりにも、個性の冒涜ではないでしょうか? 
 経済面では先進諸国と呼ばれていますが、内面は全然先進的ではない――むしろ、「周りに迎合すること」を強要する古臭い社会主義のようにしか思えません。

 誰にでも鬱はありますが、その言葉だけで解決しないことがあるのも、私は分かります。自分自身が生まれついた家族の「ハンデ」を抱えている為、どうしたところで「人生において、マイナスされている」ような思いが拭えなくなるのは仕方のないことだというのも、よく分かるのです。
「親を大切に」「親孝行をしよう」――そんな世間一般の言葉さえもが、自分自身を苦しめ苛む言葉であることを、私自身が一番よく知っています。
 自分がハンデを感じ、そこが理由で鬱になってしまう場合は、「それが自分にとって、不要なものだからだ」という考え方をするのもひとつの手だと思います。不要なものを抱え込んでいれば、いずれそれは負担になる。その人それぞれに応じた役目があるにも関わらず、世間の一律的な価値観を押し付ければ、個性は蔑ろにされて当然です。
 今の社会における鬱病の増加は、社会が、一律的価値観を押し付け過ぎている現れなのではないかと、そんなふうにも思えるのです。

 アメリカでは、鬱病の初期患者には薬処方をせず、カウンセリングや運動を薦めるなどして、リフレッシュをさせているそうです。
 日本も、もっと鬱病の人達に対する理解と、初期患者に対する対処の仕方を変えるべきではないでしょうか? 少なくとも、私の周りにいる「鬱病患者」とされる人達の共通項は、「みんな、自分の中にある何かを変えたかった人」です。そこを励まし、立ち上がらせることの方が大切なのであって、安易に薬を出してしまうことの方が問題なのではないでしょうか?

 日本が鬱病社会、自殺社会から脱出するには、そうした精神的病の多くが「長期に渡って培われた価値観の影響」だったり、「周囲が価値観を押しつけている」ことにあるのだということに気づく必要があるでしょう。どんなに新薬が開発されたところで、鬱病は治りません。
 こころの病は、物質で治すことなど不可能です。こころを薬で頼って治らせるという発想自体――人を「物」と見ている証拠のように思え、同時に、「そういう社会だからこそ、鬱病はなくならないんじゃないか」そんなふうにも思う今日この頃です。


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2010-01-16 | 社会 | トラックバック(0) |

1999年と2012年の違い

 YOU are EARTHに掲載する取材原稿が漸く脱稿し、今日から篠崎は5月に出す執筆本(YOU are EARTHから、新書版で出す予定)の準備に入りました。
 なのですが――こういうまとまった本の準備というのは設定や構成を考えるのが一番大変、かつ重要で、PCを前にウダウダ病を発症していたりもします。……この「ウダウダ」から抜けられると、早いのですけれどもね……。(私の執筆ペースは7割ウダウダ、3割執筆です。)

 今回のテーマは、2012年「アセンション」に関するものにしようと思っていますが――スピリチュアル分野でそういう内容を書いている方は大勢いらっしゃるし、私自身、スピリチュアル的視点でそれを論じたいわけではありません。
 私の姿勢はあくまでも一元論であり、現実世界と目に見えない世界は「表裏一体のもの」と考えています。なので、私が書く本では「そうしたスピリチュアルの事象が、どのように現実世界に作用、かつ波及するのか」について掘り下げようと思っています。
 ちなみに、今年の秋には「アセンションのラインを超えた世界」について、どんな世界になっているのかを一冊本にまとめようと思っています。この両者は続き物ではないにしろ、互いに関連しあった内容にしたいと思っていますので、興味がおありの方は是非――

 ……と。
 ここまで言って、「まだ設定も出来てないのに、気が早いぞ!」と自分で気がつき、書くのをやめました(笑)。自信をもってお送り出来る設定が組み上がったら、改めて宣伝させて頂きます。

 さて――執筆本準備の為に、あれこれ情報を探っていた篠崎ですが……ふと、「1999年と2012年の違い」について疑問に思いました。
 このブログでも、「1999年はあくまでも過程でしかなく、時代の変貌に至る前兆に過ぎない」ということを書きました。
 では、2012年は――というと……巷では「終末ではなく、始まり」ということが言われています。アセンション説の発端となったマヤ暦では、「最後の太陽」という言われ方をしているそうですが、実際にそれが終末を意味しているか否かということについてはマヤの神官達も言及しているわけではないようで、むしろ終末論について否定しているような話を耳にします。
 最も、こうした終末論というのは今に始まったことではありません。日本で言えば、平安時代も「末法の世」として、終末論的なことが言われていました。ヨーロッパでも、彗星などが近づくたびに「人類の滅亡」などが叫ばれていたし、ことさら真新しいことでもなさそうです。

 では、何故2012年はこのような注目のされ方をしているのでしょうか。
 私が思うに――世界がグローバル化してから、初めて注目された人類規模の変化だからなのではないかという気がします。
 今までは、末法の時代だの彗星による終末だの言われていても、それは局地的なものでしかありませんでした。当時は国と国が今ほど密接な関係になく、政治も分断されており、ましてやインターネットのような情報網がなかったからです。
 ですが、今はこうして、ひとつの情報を瞬く間に世界各地へ開示することが出来る。そうなってから注目されているのは、今回のアセンションが「初めて」です。
 ここに、何らかの示唆が含まれているように、私は思えるのです。

 勿論、だからといって「全世界、全人類隈無くみんながそれを知っているか」といえば、答えはNOです。そして、必ずしもそこまで知っている必要性はありません。少なくとも、上記した時代の滅亡論に比べたら、遙かに今の時代の方がひとつの情報に対する認知度が高いはずですから。
 卵が先か、鶏が先かではないですが、「多くの人が情報を知ること」自体に何らかの意味があるのであれば、今の時代にアセンションが騒がれているのは至極納得がいくし、同時にまるで誰かに仕組まれているかのような巧妙さも感じずにいられません。

 では、1999年は何だったのでしょう。
 私は、「1999年には、まったく意味がない」という見方には反対です。1999年に向けての10年間は、まるでグローバル化の先駆けとも言うべき事件が多発していたからです。
 1989年のドイツ統合、ペレストロイカ、天安門事件――その後もイラク戦争、ルワンダ紛争、バルト三国の紛争など、紛争が世界の脅威になりつつあることを知らしめるかのような事件が相次ぎました。
 他にも、エボラ出血熱のようにウィルスや感染が拡大することを示唆するような事件。日本のバブル崩壊に見られる資本主義の揺らぎなどは、すでに1990年代に始まっています。
 そう考えると、1999年という世紀末の象徴は1990年代からすでに始まっていて、1999年という世紀末論はあるひとつの時代の終焉を意味していたという見方が出来るのではないでしょうか。

 予言は、ただ象徴されている詩だけに意味があるのではなく、複合的に様々なメッセージが含まれているようにも思えます。それは恰もDNAの如く、立体的な多くの情報が含まれているのではないでしょうか。
 だとしたら、1999年の予言も様々な見方をすることが出来、その中には「時代の終焉」という意味が含まれていてもおかしくないと思えるのです。

 では、2012年の方は?
 私は――あくまでも私個人の意見ですが、「始まり」を意味しているような気がします。
 1990年から始まった流れが「ひとつの時代の終焉」を示しているのは、歴史上明かです。それは、1999年の10年前――1989年に起きた事件に集約されているようにも思えます。この年、日本では昭和の象徴である天皇が崩御され、新たに平成という元号がつきました。ペレストロイカによって冷戦は終わり、ドイツも統合され、第二次世界大戦以後世界全体を揺るがしていた勢力のひとつが、地に堕ちたのです。
 これが時代の象徴と言わずして、何なのでしょうか?
 
 2000年以降も、大きな異なる波が来ています。2000年はそれこそ平穏で、オリンピックを見ながらみんな「結局ノストラダムスなんて、嘘だったじゃん」と笑ったことでしょう。
 しかし、2001年の9.11で――その平穏は覆されます。
 そこから先は、1990年代の流れとは違った――もっと暗中模索の日々が世界を包みました。まるで、ハンドルが利かず暴走した自転車が、すごい勢いで坂を滑り続けるかのように――。
 
 こうした模索が2012年に終焉したとしたら――次に来るのは、明らかに「新たな時代」です。
 それがなければ……もしかしたら、絶望的な事態になってしまうかもしれませんが――。

 1999年の予言というのは、人類の一大転機における「2012年」への気づきを促す為の、ひとつの過程に過ぎなかったのではないか――というのが、私の考えです。
 少なくとも、私達は1999年の時と「違った心構え」でいるのは事実です。「眉唾~」と思っている方が多いのはごもっともですが、そういうふうに思っている方の中でも「何かが違う。何かが、変わりつつある」というのを感じ取られている方も、多いのではないでしょうか。
 というよりも、今時の社会情勢を見て「な~んも変わってないよ」って思う方が、感受性的にちょっと問題あるのではないかという気がする程です。

 アセンションの問題はスピリチュアル分野においてしか注目されていませんが、本来、社会学的にも、史学的な視点でも、また、人類学的な視点においても、立証出来るもののような気がしています。
 私は思想端ではあるものの、好きな分野は社会情勢、国際情勢なので、人間の現実的生活や社会的生活における中で「アセンションという現象の影響」がどう響いているのか――今後、掘り下げていきたいと思っている次第です。


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メディアの怖さ

 昨日は朝6時まで仕事をした後、再び寝込んでいました(苦笑)。しかし、目処をたてていた仕事はすべて完了したので、達成感はありましたね。今日もまた、今から続きに取りかかる予定です。

 私の一日の日課として、毎日起きた後必ずネットでひととおりのニュースや、ブックマークしている社会学者などの記事を読みます。テレビは見ている時間がないのでネットで確認するぐらいなのですが――見ていると疑問に思うことも多々あります。
 例えば――「情報の偏り」。
 私は、どちらかというと国際記事を良く読みます。しかし、日本の記事に比べて国際情勢については、非常に書かれ方が「簡易」です。しかも、とても曖昧な情報も多く、そこから先の真実を知りたいと思っても、後日情報は「ない」ことの方が多いです。
 先日私が見かけた記事で、非常に気になっており、かつ「メディアの怖さを端的に表したもの」があります。 以下、転載します。

******************

コーラン焼き捨て?抗議デモで6人死亡
1月13日22時50分配信 読売新聞

 【カブール=酒井圭吾】アフガニスタン南部ヘルマンド州で12日、国際治安支援部隊(ISAF)兵士がイスラム教の聖典コーランを焼き捨てたとして、住民約1000人が抗議デモを起こし、アフガン治安部隊がデモ参加者に向けて発砲した。

 同州知事の報道官によると、少なくとも市民6人が死亡、8人が負傷した。

 アフガン・パジュワク通信によると、発砲にはISAF兵士も加わっており、この兵士が部族長の民家内の捜索を行っていた際、コーランを焼き捨てたという。これに対し、ISAF報道官は、「そのような事実はないが、調査は行う」と述べ、死者は1人とした。

 同州は旧支配勢力タリバンの影響が最も強い地域で、AP通信はタリバンが虚偽の情報を流し、市民を扇動した疑いに言及している。 .最終更新:1月13日22時50分

******************


 文章というものは怖いもので、たったこれだけの短い情報の中でも、人の心理を掴むポイントが複数含まれていたりします。
 まず、タイトル「コーラン焼き捨て?デモで6人死亡」という文字なのですが、これを読むと、読み手の意識はその記事に「何だろう?」と惹きつけられます。
 そして「何故、このような事態になったのだろう」と読み進めていくうちに、「ムスリムにとって命とも言えるコーランを、焼き捨てた」ということが分かります。
 これだけでは、情報の真偽がまだ読み手には伝わりません。しかし、文末にある「AP通信はタリバンが虚偽の情報を流し、市民を扇動した疑いに言及している」――この1文が入ることにより「ああ、なんだ。結局、タリバンの仕業なんだ」で落ち着いてしまう読者も多いことでしょう。
 しかし、実際はこの騒動につき誰も「真実は知らない」のです。
 あくまでも「疑いに言及しているだけ」なのです。
 にも関わらず、その一文が入ることで「この騒動が、アフガニスタンの内輪もめ」的印象に括られてしまい、そこから先の真実を誰も要求しようとしなくなります。
 
 もし、世の中の事件が多かれ少なかれこのような手で無理に収束させられていたとしたら――末恐ろしい……私はそう思わずにいられません。

 メディアは、一部分のみをカットして報道、放映することが普通です。
 しかし、それがどんな悪意のないものであれ、クローズアップされた部分を見た視聴者達に与える影響は過大です。
 そのいい例が、もうずいぶん前になりますが――柳澤元厚生労働大臣が言った言葉「女性は産む機械発言」です。
 私も、最初この言葉を聞いた時は「馬鹿なことを言う人もいたものだ――」そう思いました。
 しかし後日、偶然「その講演内容の前後数分間を治めたフィルム」がテレビで流れているのを目にした際「おや? 待てよ」と思ったのです。
 全体の流れを聞いてみると、柳澤元厚生労働大臣は決して「女性を産む機械だ」と蔑視して言ったわけではなく、街をひとつの工場に例え、その中で役目をそれぞれ機械に置き換えていただけだったというのが分かったからです。
 私は即日、情報の危険についてブログで書きましたが――もう数年前の話なので、当時は今よりも「情報の危険性」についてあまり反応は良くありませんでした(苦笑)。
 もし、あれが機械に置き換えられることなく、普通に「女性は、子供を産む役目がある」だけだったら――あそこまで大きな問題になっていたでしょうか? たまたま「街を工場」に置き換えたが故にああなってしまったのでしたら、私は正直言って「気の毒だな……」と思います。(大体、「女性は子供を産む機械じゃない!」って憤慨するのも、どうかと思います。私はそれで言うなら、重度の婦人科疾患が故に子供を産めない「壊れた機械」ですが、そんなこと気にしたことは一度もありません。そんなちっぽけなことでガタガタ騒ぐ前に、もっと他にやるべきことがあったンじゃないかい、抗議した女性議員の皆さん――と、私は言ってやりたい。そんな抗議で少子化問題が改善されるぐらいなら、とっくに改善されてますって。)

 こういうことは、テレビだけでなくとも多々あります。
 確かに、そういう報道をするマスコミも問題ですが――結局、情報を鵜呑みにしてしまう国民にも、問題があると、私には思えます。
 私は、何かニュースなどで場面が出されると、「全貌の流れは、どうなっているんだろう」ということが気になって仕方なくなることがあります。
 記事で読むよりも、ニュースなどは映像で流れる分、インパクトが強いです。そうすると、意図しなくてもその情報に左右される危険があるので、私はニュースに関しては、すべて「文字媒体で見る」ということを心がけています。それでも、上記アフガニスタンの問題のように、文章の流れに気をつける必要性はありますが。

 これだけ情報が氾濫した社会。「じゃぁ、何を信じたらいいの?」と、多くの方は疑問に思うと思われます。
 それは、ひとえに「ご自身を、信じてください」としか、言いようがありません。
 「真実を知りたい」という目で記事を追っていると、どんな報道のされ方をしていても違和感を感じることって多々あります。そういう時はご自身の違和感に従って、他に情報を探していくのです。そうすると、「あ、こっちの方が私にしっくりくる」という情報に、必ずや出逢えると思うので――。

 私も、今の時代を生きるのに暗中模索です。情報が氾濫している中で、「何が真実なのか」を自問自答しています。
 時代が変わる前には、必ずやこうした「洪水」とも言える現象が起きるのでしょう。ある意味、今は「情報の大洪水」に浸っている時代なのかもしれません。その中で、真実を見極めることが出来る目を磨くことが、今、私達が情報の津波を乗り越える為に必要なことなのかもしれません。


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2010-01-14 | 社会 | トラックバック(0) |

地球の既視感(デジャヴー)

 昨日はここ連日の徹夜で疲労が溜まっていたせいもあるのか、一気に体調を崩してしまい、寝込んでいました。
 今日も今日で寝込んでいた為、仕事は溜まってしまい……今から頑張ります(涙)。
 予定より半日遅れではありますが、私がその間せねばならなかった前提の仕事を、YOU are EARTHのデザイン部門を担当してくれている774さんがすべて終わらせてくれた為、半日遅れだけで済みました。でなければ――絶対、締め切りに間に合わなかったことでしょう……。
 仲間の支えと助けに、心から感謝する次第です――。

 このブログを長く読んで頂いている方はすでにご存知かもしれませんが、篠崎はあまり健康体ではありません(苦笑)。毎月、何かしら故障を抱えています。
 だから「肉体に無理はさせられない」と思いつつ、精神的には「アスリート」な人なので、ついつい無茶をしでかしてしまいます(余談ですが、私は中学生の頃「箱根駅伝」に出るのが夢でした((笑))。長距離ランナーとしては、1学年女子だけでも300名近くいるマンモス校の中にいながらにして必ず、上位10位内に入っていたので。スポーツは苦手ですが、走るのだけは「大好き!」なのです。……もっとも、当時は女子大生の駅伝なんかなかったのですが――)。

 でも、「病気とつきあう」というのも、悪くはありません。私の場合は重度の婦人科疾患の為、毎月必ず酷い目にあいますが、その分、他者の痛み、病気で苦しんでいる人の痛み、人生を思うように生きられない人の痛みに敏感になれます。
 人の痛みに鈍感になるぐらいなら、私は、自分の体を何度傷つけてでも、痛みをいつも感じていたい――そう思います。

 今日も――正直言えば、本調子ではありません。
 まぁ、病み上がりなんてのはこんなものですし、それに仕事はまだまだあるので、寝てばかりもいられません(笑)。
 でも、あまり今日のブログ内容は「キレがない」上に「内容もない」かもしれませんが(苦笑)、「篠崎体調不良」ということで、どうぞお許しください――。


 私は大抵、寝込むと頭の中で色々な思考世界が広がります。
 昨日と今日はかなり容態が悪かったので、そうそう思索までには至りませんでしたが、まるで夢を見るような感じで、様々な現象が脳裏に過ぎっていました。
 夢――。
 そうですね、夢……だったのかもしれない。
 その時の私は、眠気も混ざってぼんやりしていたので、夢として見ていたのかもしれません。
 それにしても、不思議な夢でした。

 昨晩の私は激痛と嘔吐を繰り返した為、肉体は衰弱しているものの、まる一日食事はしていない有様。しまいには、意識が朦朧としてきました。
 鎮痛剤が効き始めたあたりで少し楽になり、意識が眠りにつこうとしている中――色々な光景が頭に過ぎり始めたのです。
 例えば――「人々の営み」。
 家族が家で食卓を囲う様子や、笑っている様子。家路に向かう男性の姿。行き交う人々の流れ。
 雑踏の駅中。流れるように行き交う電車。そこから吐き出されては、入り交じる人々の群れ。
 そういう光景が、私の脳裏をずっと過ぎったかと思うと――今度は、まったく違う風景へと飛びます。
 都会ではなく、今度は郊外。家々を阻むように、その間には田んぼや畑が広がっていて、それでも、まるで灯火にように家の窓に明かりが灯っている。
 そうかと思うと、今度はどこか発展途上国のような場所――食べるものもない子供達が、ただ力なくその場に蹲っている。
 彼らは「待っている」のではない――。何かを待っているから蹲っているのではなく、「蹲ることしか出来ないから、そうしている」。
 声ではなく、閃きでもない――でも、誰かにそう教えられたような感じでした。
 その場面から、今度はまるでアメリカのような雰囲気の、賑やかな大都会に飛びました。人々の幸福そうな笑顔と反して、蹲っていた子供の笑みのない表情が、脳裏に刻まれます。

 この夢は、場面が切り替わるだけではなく、その夢が「同時並列して存在している」ことが分かりました。
 要するに――最初に見た雑踏(これは明らかに日本でした)と、郊外の光景、食べ物がなくて蹲る子供、おおらかに笑う人々の姿は、「同時刻に起きた出来事」とでも言うように重なって記憶として存在するのです。
 私達は、この美しい星の上で、無数のドラマと無数の出来事を繰り返していますが、そのひとつひとつが「地球の記憶」として空間に刻まれているのかもしれない――そんなふうに思わせる夢でした。

 私が見た夢はただの夢ではなく、地球がかつて見た光景、既視感(デジャヴー)だったのかもしれない――。
 地球が空間に刻んだ記憶を、私達今を生きる人間が、夢として見るのであれば――想像を絶する程壮大な、相互関係ですね(笑)。

 そんなふうに思った私は、「地球が、人々の生活を意識したらどういうふうに見えるだろう」――そんなことも考えてみました。
 それは――例えて言えば、大きな部屋の中に何千、何万、何億ものモニターがあって、そこから様々な景色、人々の営み、あらゆるものが映し出されているようなものなのかもしれません。
 私達がそんな部屋に行ったら、すべてのことを把握出来ず混乱するでしょう。もしくは、一番気に入った画面だけを、ずっと追い続けるかもしれない。あまりに多くの情報を一瞬にして整理出来る程、私達人類の脳は発達していないからです。
 しかし、地球はもっと規模が大きい。
 全体の中で「何が起きていて、何があるのか」を把握していたとしたら……すごいことですよね。

 無数にある様々な出来事、様々な事象を見つめていると、やがてそれは「星空」のようにも見えてきます。
 満天に広がる星を見ていると、ある場所は閑散としていて星が少なく、ある場所は密集していてすごく明るい部分があったり――それはまるで、私が見た夢のようです。
 地球も、もしかしたら私達が星空を見上げるような気持ちで、地上に生きる私達の営みを見守っているのかもしれない。
 私達の起こす小さな行動ひとつひとつも、全体に向かえばそれは素晴らしいハーモニーになる。どんな出来事も、全体の生命が織りなすハーモニーの中に含まれた一音に過ぎないのかもしれない……。

 私はYOU are EARTHや、それに付随する他の活動においても、いつだって地球の未来、世界の現状に意識を走らせていますが、時折こうして、私達を包む地球の気持ちを意識しながら、大きく物事を見ることも必要なのかもしれない――そんなふうに思うこともあります。
 もしも、今の世界の現状を地球が眺めたら――ちょっと変わった星空に見えるでしょうね。戦争を起こしているところ、絶えず命が脅かされている地域は、きっと真っ赤な星が輝いているように見えるでしょう。
 「ああ――。あそこではまだ、戦争が繰り返されている……」
 そう思いながらも、地球は自分が為す術ないことを悲しく思い、同時に「それも人の世の摂理」として、受け入れている部分があるのかもしれない――。
 「変えていくのは、人でしかない」――と。

 どんな悲劇と思えることであっても、時が流れている以上「未来」はあります。
 そうである以上、私達は悲劇をただ「悲劇」として嘆くのではなく、どうすれば改善されるのか、どうすれば良い未来になっていくのかを、真剣に考える必要があるのでしょう。
 未来は投げ遣りにしていても来ますが、それはハンドルを操作しないで乗り物を走らせるような行為で、とても危険です。
 その「ハンドル」が私達の意識や思考にあるのであれば、それを駆使することで、良い未来へと辿り着くことが出来るかもしれない――。

 地球が人の世を、星空のように見上げた時、
 戦争のあった地域、哀しい事件が繰り返された地域が、まるで星団のように美しく輝いていることを、私は願ってやみません――。

  
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エゴと自己の境界線

 まだまだ取材音声おこし地獄が続いている篠崎。締め切り日である13日まで、徹夜を覚悟しました(笑)。息抜きもかねて、夜食用にクッキーを買いに行った後、その帰り道にふとこんなことを思いました。

 「エゴと自己の境界線って、どこにあるのだろう――」

 よく巷では、「エゴは良くない」と言われています。
 でも、「エゴが如何なるものか」までは、あまり言及されてないように思えるのです。
 エゴというのは、分かりやすく言えば「自己中心」であり「自分さえよければいい」という考え方。
 でも、その境界を分けるということはとても難しく、本来は「こっちがエゴ」「こっちは自己」ってきっちり線引出来るものでもないような気がします。
 しかし、エゴというのは結構目につく機会も多いです。そこらじゅうに「エゴがある」と言っても、過言ではないぐらい。

 例えば――。
 先程買い物に行ったのは近所の大型スーパーだったのですが、閉店間際にも関わらず、お総菜がいっぱい残っていました。
 こういう光景を見ると、私はいつも悲しくなります。アフリカや中東では、お腹を空かせて苦しんでいる子供達が大勢いるのに……かたや私達は、無駄に食べ物を廃棄しているのですから。
 それは、企業ばかりの責任ではありません。私達国民にも、責任があると思います。勿論、私個人にも。
 何故なら、そういう光景を目にしているのに、なかなか行動を起こせていないから(ただ、現在はYOU are EARTHの活動において、その問題をどう対処していこうかを模索している段階です)。

 これは企業のエゴであり、消費者のエゴの結果でもある――そう思います。
 エゴでされた行動は、必ずや地球上のどこかにそのしわ寄せが来るものです。エゴが結果的に、バランスを欠かせる原因になるのだろうと、そう思えるんですよね。

 また逆に。
 「助け合い」をしているように見せかけて、実は「エゴの行為」というケースもあります。
 以前、このような記事をネット上で見かけたことがありました。
 「着なくなった服が沢山あるので、勿体ないから途上国の人達に寄付したいと思います。どなたか、方法を知りませんか?」と。
 それに対して、このようなレスがついていました。
 「自分が着なくなったような服を押し付ける行為は、相手にも迷惑だと思いませんか? 今はそうした物資供給のボランティアは少なくなっています。物資よりも、彼らは生活する知恵が必要なのです。だから今では、自立支援型のボランティアが増えているのです」

 私はこの返答に、とても納得しました。
 「着なくなった服が勿体ない」――この時点で、それはこの人の「エゴ」です。自分で処分したくないから、「それなら寄付した方が、気持ち的に楽だ」というものでしかありません。それは、レスをつけた方の言うように「迷惑な行為」でしかないと思います。
 仮に「何を言うの! 私の服はシャネルで、すっごい高くて、1回も袖を通していないのよ!」という反論があったとしましょう。
 ――途上国に生きる人にとって、シャネルの服って必要でしょうか?
 いい服、悪い服という問題でなしに、本当の助けというのは相手の立場にたって考え、相手の視点で必要なものを考える行為ではないでしょうか? そうではなく自分の都合で「助ける」というのは、エゴから生じたものでしかない、私はそう思います。

 私はYOU are EARTHにおいて最も厳しくしているのは、その点です。
 私は、自分自身でも常にエゴから生じた活動にならないよう、気を配っているようなところがあります。勿論、手伝ってくれている方や、協力頂く皆さんにそこまでの視点は必要ありません。しかし、少なからず「エゴを認めない」という姿勢でいないと、YOU are EARTH内では活動を制限しよう――私はそう思っています。
 私は、自分が人から悪く思われたり、陰口叩かれることは何とも思いません。他者からどう思われようと、「地球の為に生きる」というその目的意識を濁らせてしまうことの方が、遙かに問題だからです。

 そして――そういう思いに立つと、ふと、気がつくのです。
 純粋な程、「地球の為に何かをしよう」と思った時、
 そこにあるのは、エゴではなくて「自己」になるのだ、と。
 どんなに全体へと意識を向けても、完全に個性がなくなるなんてことはありません。個性が消失して、全体だけの意識となることも、まずありません。
 地球の未来、地球に生きる全生命、すべての躍動に一体化しようとしても、「私」という個の存在は、消えてなくならないのです。

 これが「自己」なんだな――私はそう思いました。

 ここに辿り着く為には、そうしたエゴのフィルターを取り除いていくことが必要なのでしょう。
 エゴの罠は、いくらでもあります。「自分を良く見せたい」「自分が注目されたい」「自分が偉いと思われたい」「自分が成功したい」――。
 この「自分」という文字をどかして、「他者」或いは「地球」に入れ替えた時、エゴのフィルターは消え、自己の軸へと絞られていくような気がします。

 「エゴか、自己か」
 ジャッジしている間は、答えが出ないものなのでしょうね。


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2010-01-10 | 真理 | トラックバック(0) |
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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

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