時代の夜明け─共生の世界─

 今日、YOU are EARTHの仕事をする関係で、ずっとサイトと向き合っていたところ──ふと、こんなことを思いました。
 国境がある世界地図とない世界地図では、まったく印象が違うと。

 YOU are EARTHのサイトは、すべてデザイン担当の774さんにお願いしておりますが──

 http://you-are-earth.com/index.html

 固定背景なので、スクロールすると全貌が見えますが──受ける印象が違いませんか?
 私のPC前には同じように世界地図が貼られていますが、それは国境が書き込まれています。それだけでなく、海上にまで線が引かれています。
 改めてその両者の地図を見比べた時──私は如何に人間が、エゴイストに世界を支配してきたかを目の当たりにしたような気がしました。

 海って、誰が創ったのでしょう。
 大地は、誰が創ったのでしょう。
 そう考えると、「人間って言うのは勝手に境界線を作って、それを奪い合ったり取り合ったりしていたのか──」と思い直し、何だか滑稽にも思えました。

 かつて、人々は「自然神」として自然を神々に喩えていました。
 私は、実は「それって、一番ありのままに近かったのではないだろうか」そんなふうに思います。
 自然神やアニミズムというのは、自分達は、この星に生きる一員なんだという自覚を芽生えさせるには最も有効な方法だったような気がするのです。目に見えないものに敬意を払い(風は目に見えませんしね)、共に生きようとする姿。
 勿論、そうした信仰の背景には、農耕民族として「自然と共に生きる必要があった」という理由もあるのでしょう。ですが、そのあり方は「もっとも自然なあり方」なのかもしれません。
 自然という言葉──日本語では「宇宙のリズムに即したもの」という意味でも使いますが、大自然に沿って生きることもまた、同じ意味が含まれているのかもしれません。

 勿論、だからといって私は文明を否定はしませんし、必ずしも「原始的な生活がいい」という気もありません。
 でもそれならば──せめてお互いを尊重し合った共存が出来ないものか、そんなふうに思うことが多々あります。
 とはいえ、人間は同類同士でさえ憎み合い、殺し合います。まずは、そこから解決しなければならないのかもしれませんが──。

 最近私は、人間の存在意義って、何だろうということを考えます。
 そんなことは哲学で言い古されていることでもありますが、結局そこが解決されていないから、未だに人間は争い、理不尽な侵略が横行するのでしょう。
 哲学も「学問」という切り離された世界で傍観者を決め込むのではなく、現実世界に根付いて、もっと力強くこれからの未来と絡み合っていく必要があるのかもしれません。

 新たなる時代というのは、すべてがどこかひとつの「ゴール」に向かって集約を目指そうとしているかのように思うことがままあります。私達は、知らず知らずの間に「新たな世界の鍵」を手にして、歩き始めているのかもしれません。
 夜明け前の闇はもっとも濃くて暗いというものの──少しずつ、明るみがさしているのを実感する今日この頃です。


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無縁死も虐待も、すべては「既存システム限界の現れ」

 今日、ネットで情報検索をしていて興味深い記事を見つけました。

NHK「無縁死3万人」に大反響 「他人事とは思えない」コメント殺到 
2010年2月2日(火)19時9分配信 J-CASTニュース

──以下転載──

誰にも知られずに死に、遺体の引き取り手もない「無縁死」が増えているようだ。NHKがこうした「無縁死」の特集を放送すると、「とても他人事とは思えなかった」「精神的に辛くなったわ」といったコメントが巨大掲示板「2ちゃんねる」に殺到したほか、個人のブログにも取り上げられた。

反響を呼んでいるのは2010年1月31日放送のNHKスペシャル「無縁社会~『無縁死』3万2千人の衝撃~」。「身元不明の自殺と見られる死者」や「行き倒れ死」といった国の統計では出てこない「新たな死」が急増し、NHKの調べによると年間3万2000人にのぼる。このうち1000人が身元不明のままだ。

「行旅死亡人」として処理される
身元不明の死者は「行旅死亡人」として処理され、遺族を捜すために性別、身長や外見の特徴、所持品、発見された日時と場所、「餓死」「凍死」など死因を国が発行する「官報」に掲載する。遺体は火葬されて一定期間、行政が遺骨を保管するが、引き取り手が現れない場合には無縁墓地に埋葬される。

番組では「行旅死亡人」として09年3月の官報に載っていた60~80歳代とみられる男性の人生の軌跡をたどる。男性は都内のアパートの部屋でテレビを観ていた時に亡くなったようで、コタツに入り、座ったままの姿勢だった。発見された時には死後1週間以上が経過していて、アパートの大家によると腐敗臭がひどく、テレビと電気は付けっぱなしだった。

大家が保管していた契約書から氏名と仕事場が判明する。男性は給食センターで正社員として定年まで働き、20年間、無遅刻無欠勤だった。退職後は同僚との人付き合いも希薄になっていたそうだ。取材クルーは履歴書に書いてあった出身地の秋田に向かうが、男性の両親は既に亡くなり、家は都市開発で残っていない。親族の墓地が見つかったが、遺骨は無縁墓地に埋葬された後だった。同級生とも疎遠になり、同期会名簿では「消息不明者」の欄に名前が記されていた。

「画面を見ていて背筋が寒くなった」
番組を観て「将来、自分の身に起こるかも知れないこと」と感じ、不安に駆られた人が続出。放送中、「2ちゃんねる」に複数のスレッドが立った。放送から2日経った2月2日も書き込みが相次いでいる。

「マザマザと事実を見せ付けられて正直参ったよ」「精神的に辛くなったわ」という率直な意見もあれば、「その携帯とインターネットで、ほんとに人とつながっていますか? ということが問われるわな。人間関係が昔よりも薄くなってね?」「今はまだ若いから、年とった時のことなんかあまり真剣に考えられないけど親が亡くなり、友達もどんどん結婚して家庭をもち疎遠になり、老化した不自由な体でたった一人で毎日をすごす…ってのを想像したら鬱々になる」などと将来への不安をにじませる人もいる。

「お隣さん孤独に死んでた」と書き込んだ人もいる。亡くなった男性は30歳代でまじめに仕事をしていたが、遺体は「両親からも別居中の奥さんからも引き取り断られてた」と書かれている。ほかに「50代独身だった叔父が実際に孤独死してるから洒落にならん」という人もいて、身近でも「無縁死」が起こっているようだ。

また、ブログで話題のキーワードをピックアップするサイト「kizashi.jp」によると、「無縁死」に関するブログは番組が放送されるまではほぼゼロだったが、放送後から2月2日までに171件に達した。「とても他人事とは思えなかった」「私自身も『無縁死予備軍』になっていくのかもしれないと思うと、画面を見ていて背筋が寒くなった」などと個人のブログに続々と書き込まれている。

──転載以上──


 こういう「無縁死」という問題は、以前からよくありました。
 しかし、問題は現代では、それが誰にでも当てはまるかもしれない事項になっているということなのでしょう。家族がいるから安心とか、結婚したから安心とか、そんな問題ではなありません。どんなに家庭があったって、隣近所の人が誰か分からない、三軒先の人と会ったこともない──そういう状態であれば、この「無縁死」は決して他人事ではないはずです。

 人々の心は今や「個」だけに向き合い、そこから先の広がりを意識しなくなりました。
 だからこそ、今こうした問題が浮上しているのでしょう。

 少子化問題にしたって同じです。
 「女性が社会に出るようになって、子供を産まなくなった」
 そんなことが原因ですか?
 もし仮にそうであれば、婦人科疾患が原因で子供が産めなくなるような人達が出てくるわけはありません。すべての現象には「隠された意味」と「真理」がある──私はそう思っています。だったら、この現象にも必ず「隠された意味と真理」があるはずです。(本来のスピリチュアルとはそういう現実世界に顕現した現象の背景に隠された、目に見えない真理のことを言うのであって、決して現実世界から切り離された世界を指すのではないというのが、私の持論です。)

 少子化問題。
 介護問題(高齢化社会)。
 無縁死。
 児童虐待。

 これらの問題はすべてひとつに絡み合っていて、決して独立した問題ではない、私はそう感じています。
 これは、今までの家族制度のあり方やコミュニティのあり方そのものに、問題提起を投げかけられているのではないか──そう思えるのです。

 では、どうすればいいのか──?
 私は、やはりここでも「意識の改革が必要だ」と、そう思います。

 少子化問題から言えば──
 何故、「自分の子供」でなくてはいけないのでしょう?
 何故、自分がお腹を痛めた子供でなくてはいけないのでしょう?
 勿論、不妊治療を受けられている方の苦悩は分かります。私は、それを受けても子供が産めない体でしたので。
 でも、だからこそ「子供は血のつながりではないんだ」ということを、受け入れることが出来たのです。
 それよりも、世界中には、子供がいても育てられず、孤児となっていく子が大勢います。
 その子達の代わりの親となるのでは、何か問題があるのでしょうか?
 政府は何故、やたらに子供を産ませることばかりに意識を向け、海外の子や児童虐待を受けて育てられなくなった子の親達の子供を代わりに育てることへ意識を向けないのでしょうか? お金がもらえるからなんて理由で、人が子供を産むとしたら・・・・・・そんな世の中こそ「世も末」ではないでしょうか?(学費や教育費の問題があるから産めないというのであれば、もっと違った改革の仕方があるのではないでしょうか?)

 介護問題で言えば──
 老いた子供が親を面倒みなければいけないシステムには、明らかにほころびがあります。
 しかし、物質化と富しか追求しなかった当時の社会(今の介護問題は「現代」から派生しているのではなく、その前段階の社会のツケが廻ってきていると私は感じています。決して「今が不景気だから」という理由だけではないでしょう)では、そうした未来の社会に対して想定が出来ていなかった。(それは、今の政府もそうでしょうね。根本的に日本は政治のあり方を変えない限り、本当に未来は厳しいものとなるでしょう。目先のことしか考えず、10年先、20年先を見据えた政策を、いったい誰がたてているのでしょうか? もし政治家の方で「日本の未来社会はこうなる!」という青写真を書いて出版したとしたら、間違いなく私はその人に一票投じます※内容にも寄りますけどね。)
 
 無縁死だって、そうです。
 そもそも無縁墓地──っていう言い方自体、おかしくないですか? とても故人に失礼な言い方です。
 本来、人間は生きている以上誰とでも縁があるはずなのに、それを「引き取ってくれないから無縁」とか「お墓がないから無縁」とか、そういうものの見方自体、どこか問題があるのではないでしょうか?(とはいえ、これは今の金儲け主義的寺院にも多々問題があります。言ってしまえば、こうした諸問題の多くは今までの社会システム、そして、それを培ってきた宗教のあり方にも問題があるのであって、何の力のない庶民達が巻き添えをくっているようなものです。)

 児童虐待も、そうです。
 どうして、親だけが子供を見なければならないのですか?
 どうして、その子の責任を周りの大人達も、意識的に見てあげられないのでしょう?
 「子供を育てるには精一杯で、他の子まで見ている余裕はない」──それはそうだと思います。
 だったら、託児所・保育所など、子供達を他に見る「大人達」をもっと増やせばいいのではないでしょうか?

 人の関係性が希薄になった──それは、確かにそうなのでしょう。
 しかし、私は希薄になったのは、意味があるからそうなったのだと思っています。
 それは、要するに今までのシステムのあり方では、まずいんだよということ。
 もっと違った、新たなシステムのあり方が必要なんだよ──という意味なのではないか、そう思えるのです。

 私達は「家族」という枠組みを外し、「民族」という枠組みを外して(そのアイデンティティを守るのは大切なことなので、それは別個です)、そして「国」という枠組みを外し、みんながつながりあっているということを改めて思い出す必要があるのではないでしょうか。
 上記の記事で「救いだな」と思ったのは、「他人事とは思えない」という意見が多かったことです。
 それは確かに「自分もそうなるかもしれない」という考え方があったのは勿論でしょうが、逆を返せば「その人の痛みを、自分の痛みと同じように感じられた人も多かった」ということに他ならないような気がするのです。

 こういう番組の放送は、本当に大切だと思います。
 こうしてみんなが「今のあり方」と向き合って、自らの力をもって考えていくのが新しい時代のあり方と言えるでしょう。
 無縁ではなく、本当は「誰でも有縁」なのです。既存の宗教は高いお金を教祖に払うことばかりを要求し、何故、このように最も基本的なことを教えてこなかったのか──理解に苦しみます。
 誰でも有縁であることに気がつけば、戒名も墓石も「何も必要ないんだ」ってことに、気づけるはずだから──。

 私が目指す新たな時代のコミュニティは血縁・民族・国といった枠をこえた、心のつながりです。
 こうした問題が浮上してくるのは、今、時代が産みの苦しみを経ている最中だからかもしれません──。


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本音で生きる

 今回は、篠崎にしては珍しく感情的な内容かもしれません(笑)。

 以前、子供の頃の悩みでも書きましたが──何故人は、本気で生きられないんだろう、そう思うことが多々ありました。
 「本音で生きたら、人間なんてろくな生き物じゃないから世の中がグチャグチャになる──」そう言う人もいるでしょうね。(知ったかぶりな人ほど、善意を憎むものですから──)
 でも、ホントにそこまで人間って、最初から「悪」でしょうか? 
 性善説・性悪説ではないですが、生まれた瞬間から人は「誰かを殺そう」と思うものでしょうか? 
 もしそうなら、歯が生えたと同時に母乳をあげているお母さん達は、我が子から殺意を感じるのではないでしょうか?

 世の中を悪くさせているほとんどのことは、すべて「環境」から生じている──そう思います。
 環境というのは、「肉体を持っている」という条件も入ります。何故なら、私達は肉体がなければ、本音でしか生きられないから。肉体こそが、「嘘をつける為の隠れ蓑」でしょうからね。

 私は極力、人と接する時「本音」を伝えようとします。
 違和感があればそこを正直に伝え、不満も正直に伝えます。
 でも、今までそれで揉めたことはありません。「正直者はバカをみる」という言葉は、エゴ的に正直さぶった人だけのことを指す言葉であって、本来「正直にあろう」とする人は決してそうはならない──そう感じることが多いです。むしろ、私の誠意に信頼を寄せてくださる方も多かったです。

 しかし、世の中は何故か「嘘」ばかりが蔓延し、その上、その嘘を信じて「真実を見ようとしない」人も多いです。
 また逆に、「自分をかばう」一心で相手に言い訳をして、決して本音を伝えてくれない人もいます。

 最近、私にもそういうことがありました。
 「本音かどうか」って、意外に人は見抜いているものです。
 私はチャネリングという言葉が好きではないし、自分がチャネラーだなんて欠片も思ったことはないので(リモコンを手にしてテレビをつけ、「私ってチャネラー!」って巫山戯て言ったことはありますが)、本当に「直感」としか言いようがないですが・・・・・・大抵、その人の「本音」はすぐに見抜いてしまいます。
 この勘は誰しも持っていて、それを変に理性で押し曲げたり、或いは言い訳して誤魔化してしまうかのどちらかなのでしょう。或いは、情に流されてしまうか──の。私は、情に流されて直感を押し曲げてしまうことは、今までにも多々ありました。

 心って・・・・・・超能力なんかなくても、充分伝わります。
 その人の真意がどこにあるかも、大抵みんな分かります。
 どんなに体裁のいい言い訳をしても、それが言い訳だって見抜くものです。ただ、相手を尊重する為に「言い訳を聞き流す」だけで──。

 にも関わらず。
 何故、人は本音を隠すのでしょうか──?

 この世で友人を欺いて、あの世にいって再会した時、どうするのでしょうか?
 この世では誤魔化せても、あの世でばれて──それでいいのでしょうか?
 とどのつまり、「肉体があれば、なんでも誤魔化せる」という思いがそこには見え隠れしているように、私には思えるのです。
 そういうことが友人との間で起こると・・・・・・私はすべてを捨てて、山に逃げ帰り、二度と里に下りたくなくなります(苦笑)。

 「どうせ誰にもバレやしない」という言葉──それは違います。
 絶対に、欺けない「目」が、そこにはあります。
 それは──自分自身
 誰かを欺いた時、その人は「相手」だけでなく、自分をも──もっともつきあいの長い自分でさえも、欺くことになるのです。
 そういう生き方、私は「したくない」ですね(苦笑)。
 
 それでも、世の中は嘘が満載です。
 でも、一番問題なのは本音で生きる大切さを教えない教育にあるような気がします。
 そして、嘘を吐くことは、結果的に相手だけでなく自分をも裏切り、すべてを失うことになるのだと。
 いったい、誰がそのような大切な教育をしてきたでしょうか?
 偏差値を尊重し、化学記号と方程式は教えても、人生の教訓は誰も教えてなどくれません。

 オウム真理教問題の時に得たもっとも大切な教訓を、誰もが忘れています。
 それは、個性を大切にすることを、どれだけ社会が蔑ろにしてきたかということです。
 だからこそ、オウム真理教の問題直後にはあれほど精神世界の本が姿を消したのに、今は当時よりももっと危険な言葉が満ちあふれている。
 みんなが求めているのは、ただの非現実ではない──この苦しい現実世界を生きる自分の、存在意義に他ならないのだと、私には思えるのです。

 皆さん。
 「本音」で、生きてみませんか?
 バカにされてもいい、損をしたっていい。
 魂に──霊性に忠実でいれば、必ずや報われる。
 勿論、救ってくれるのは神様でありません。宇宙の──地球の分身である「自分自身」です。
 本音で生きれば、絶対に「自分は自分を『裏切らない』」──。

 天国とは、その人の「心のあり方」の問題だ──その言葉の意味が、今、心に染みて実感出来ます。



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2010-02-06 | 真理 | トラックバック(0) |

【YOU are EARTH】スタッフ募集

 久しぶりに二日ほど、更新が出来ませんでした。
 YOU are EARTHの仕事を溜め過ぎちゃって(汗)──今日になってようやく、一区切りつきつつあります。(その為、メールのお返事が著しく遅れています。近日中にはお返しいたしますので、今しばらくお待ち下さい。)

 さて、今回は「求人のお知らせ」です。
 YOU are EARTHで現在スタッフを募集しています。その紹介に入る前に──まず、「今、私が感じていること」を書かせて頂きますね。

 正直言って──私は、YOU are EARTHの活動を「始める」なんて、予想だにしていませんでした。
 去年の今頃は勿論、このブログを開設した時だって考えていませんでした。
 当時私はアラビア語の学校に行っていましたし(今はあまりの忙しさに、休学申請しました)、アラブ人も、そしてアラビア語の響き、音、勉強も大好きでした。初級を終えたばかりだから勉強の必要性はまだまだあったし、学校生活は楽しかったし、「このままの人生で生きていられれば、何の問題もないじゃないか」そう思っていました。
 そこを卒業した後は、NGOなりに参加して、中東の地に赴く予定でした。そこで、平和に関する活動を実体験した後は、どこか海外の国際関係学に関する大学院へ進学し、一生涯、平和の探求をする予定でした。
 この人生がそのまま進めば、私は何の問題もないどころか──既存の社会システムの中に生き、普通に暮らしていたことでしょう。

 ところが──。
 私はあろうことか、現存の国連のあり方、今ある途上国救援がどこまで本当に機能しているのかなど、その辺りのことがとても気になり始めてしまったのです。
 「正義」を翳していても、その本質が「正義」でなければ──それは、形を変えた「支配」でしかない
 そのことに気がついてからは、私は自分が「どうすればいいのか」分からなくなりました。

 日本から、遠くの国々のことはほとんど見えません。
 だからこそ、自分で「どう結論づけるのか」を模索したまま──同時進行で気がついたら、「アセンション問題」に触れあうようになっていました。

 ここで皆さんにご理解頂きたいことがあります。
 世の中のマスコミが、2012年を変な形に歪んで吹聴しているせいで、2012年・アセンションという言葉を聞くと「アレルギー」を起こす人達が多いそうです。
 しかし、私が言っているのは他力本願で地球をどうにかしてもらうということではなく、自分達が意識的に目覚めることで、世界を変えていく原動力にしたいということなのです。
 それから、日本人の中で「アレルギー(思いこみに関するアレルギー・宗教アレルギーなど)」という言葉はすごくよく聞きますが──もし、意識改革をしたいなら、まずは「そこ」から変えてください。
 アレルギーというのは、とどのつまり自分の中に免疫力が過敏に反応してしまう症状です。
 肉体の症状とまったく同じように、精神のアレルギーも同じ現象で起こります。「保守的思考」が過剰な免疫反応となって、すべてを十把一絡げに否定するのが、今ある2012年問題アレルギーの原因だと、私は考えています

 私はおそらく、普通に生活する人達の3倍以上は多くの情報に触れていますが、一度もアレルギーを起こしたことがありません。
 何故なら、精神の免疫力を強くするよう、鍛えているからです。
 方法は簡単です。たったひとつの情報だけで、自分でジャッジしない──ただそれだけです。多くの書物を読み、情報を探し、そして何よりも「自分なりに考察し、自分の疑問点をもった中で物事に対峙する」それだけでいいのですから。

 私の前で、「精神世界とか~、ああいうのって~、私アレルギーだから駄目なのよ~」と言ったとしたら、私はその場で「ああ、この人は情報をきちんと知る為の努力を放棄しているな」と問答無用で思ってしまいますので、知人・友人の皆様はご注意を(笑)。

 話は脱線しましたが──。
 私がYOU are EARTHを活動するに至ったのは、ただただ純粋に「地球の未来の為に、自分達は何が出来るのだろう」という模索からでした。
 勿論、まだ答えは出ていません。(だって、活動開始して3ヶ月程度ですから;)
 でも、それは「私ひとりが出す答えでは『ない』」と考えています。
 YOU are EARTHの活動に参加してくださる「多くの方」と一緒に、考えて頂くことだと思っています。

 地球は、誰かひとりのものではなく──「みんなのもの」であるというのは、私が言わずとも多くの方が分かっていることと思います。
 それは、容易いエコ活動とか、電気をマメに消すとか──そんなレベルの問題ではありません。
 「意識のあり方」の問題だと、私は思えるのです。

 そして、それは「すぐ」身につくようなものでもないでしょう。
 多くのことを学び、見聞きし、自分で考察しながら、手探りで進んでいくものなのかもしれません。
 今や、YOU are EARTHも大きくなって、スタッフは8名となりました。「地球の未来を想像する」は新たに「教育部門」として生まれ変わり、今は「精神部門」と両輪で動いているものの、今後、「国際部門」「環境部門」の設置も考えています。

 私一人の手に負える団体ではありません(笑)。
 私は元々「経営者タイプ」ではないので(苦笑)、本来は「考察する」「調査する」「研究する」のが専門です。その為、私では賄えない部分を、現在スタッフさんに賄ってもらっているような状態です。

 ある意味、肉体の臓器みたいですよね(笑)。でも、これぞ「新たな時代の組織のあり方」だと思っています。
 社長や代表者がふんぞり返っている時代は、もう終わりです。そうではなく、活動に参加する人々みんなが独立した意識をもって、全体調和を成し得ていく──これが、新たな時代のシステムだと、私はそう思っています。
 私は、もしかしたらYOU are EARTHで、「新たな時代における社会システムの縮図」を探しているのかもしれません──。

 現在は「営業」として募集していますが、参加するスタッフさんは基本的に皆さん全員「企画」に参加出来る資格があります。
 バイトだから、派遣だからと、重大会議に参加出来ないような、そんな既存の会社のあり方とは違います(笑)。口だけ「派遣さんは大事だから~」と言いながら容赦なく派遣切りをするような企業にもなりたくないと思っています。
 ただ、なにぶんにもまだ「生まれたばかりのホヤホヤ」です(苦笑)。
 そんな「生まれたばかりの組織を、みんなと一緒に立ち上げていくんだ」という気概のある方、是非、ご参加をお待ちしています。(尚、今回の募集要項は篠崎とタッグを組んで活動することが多い立場故、大変申し訳ありませんが女性限定とさせて頂きました。男女問わずのスタッフ募集も今後行う予定ですので、その際は是非、男性の皆様もご検討ください。) 

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天界の音楽

 今日は仕事があまりに溜まりすぎたので(汗)ブログをお休みするつもりでしたが──どうしても書きたくなったことがあったので、皆様にご紹介します。

 YOU are EARTHにスタッフとしてご協力頂いている方に、ヴァイオリンを弾かれる方がいらっしゃいます。
 オーケストラなどにも参加されているので、本格的なクラシックを長年されているような方です。
 その方とお話をしていたら……諦めたはずの「かつての夢」が再び頭をもたげ、激しく心を揺さぶるようになってしまい、その頃のことをついつい思い出してしまっていました(笑)。

 篠崎は十代から二十代前半にかけて、音楽に命を賭けていました。
 ピアノは子供の頃からやっていましたが・・・・・・クラシックピアノには致命的なことに、私は手が小さい上に「指が短い」んですよね(苦笑)。
 オクターブでさえも届くのがやっとで、和音を急いで弾こうとするとオクターブが届かなくなることさえありました。

 そんな致命的な欠点から私はクラシックピアノを断念せざるを得なくなり、「作曲」の方へと意識を向けました。
 当時はまだポップスが主流だったので、ピアノ弾き語りなどをしながら(作詞・作曲をしていました)ライブなどもしていたのです。
 でも、本当にやりたいのは楽曲だったり、純粋な作曲でした。その為に音楽理論を学んだり、当時通っていた音楽学校の「特待生」ということで、アメリカに一ヶ月間留学したりもしていたのです。

 私が留学していたのは、カリフォルニア──学校はロサンゼルスにありました。
 私以外にも三名の留学生がいて、お世話役兼通訳の方が、毎日私達を学校まで送り迎えしてくれていたのです(個人レッスンだったので、通訳はひとり必ずつきました)。

 当時、私は19歳でしたが──その頃の私は、社会のすべてを憎んでいる、いわば「怒りの塊」でした。
 でも、本当に憎んでいたのは社会ではなく、「自分自身に」だったのかもしれません。どことなく伏し目がちで、何かに対して怒りを表すかのように、いつでも口を閉じていました。
 当時の私は、つきあっていた男性と親友の両者に、裏切りに近い行為をされた直後でした。いえ──本当は当人同士に「裏切り」の気持ちはなかったのでしょうが・・・・・・当時の私はそう受け取っていたのです。
 ──誰も、信用出来ない。
 それが、私の心に巣くっている怒りの原動力でした。
 日本もバブル真っ盛りで、人のこころの価値を歌う音楽よりも、恋愛や軽いノリの音楽がもてはやされていた時代でした。
 そんな社会にも私は馴染めず、かといって自分が最も求める「こころや精神の価値」は蔑ろにされていて、何に感情をはき出せばいいのか分からないような状態だったのです。

 そんな私にとって、音楽は本当に「命そのもの」でした。

 私はピアノ曲がメインでしたが、ピアノを弾いて歌っていると──本当に自分がその場からいなくなって、どこか違う世界に行っているかのような感覚を味わうことが多々ありました。
 ピアノと向き合っている時だけが、「生きている時間」──そして、それ以外は私にとって「死んでいる時間」でした。

 そんなある日のこと。
 とてつもなく「大きな転機」が──私に訪れたのでした。

 私達がホームステイしていたのは、カリフォルニアの片田舎でした。山奥で隣家まで行くのに10分は歩くぐらいの、とても静かな場所だったのです。
 私はもともと都会が大嫌いな人なので、こうした自然溢れる環境がホームステイ先というのもすごく幸せでした。思う存分ピアノを弾いて、全身で歌っても、苦情なんて来ませんもの(笑)。勿論、防音設備なんかありません。する必要がないので(笑)。

 私にとって、生まれて初めて「最も幸福」といえる時間を過ごしていた──そんなある夕方のことでした。
 私がいつものようにピアノを弾いていると、何か違和感を感じたのです。
 顔をあげると、外が「真っ赤」に染まっていました。
 何事かと思って飛び出したところ──見事な夕焼け
 世界に存在するすべて、あらゆるものが朱色のヴェールに包まれたかのような、そんな感じです。私の目に赤色のセルロイドでもまとわりついたかと思うぐらい、すべてが朱と金色に彩られていたのでした。

 私は絶句して、その場に立ちつくしました。
 こんな美しい光景を見たのは、生まれて初めてだったからです。

 私は何かに呼ばれるようにして、そのまま夕焼けの中を歩いていきました。しばらくすると大きなポプラの樹があったので、その下に腰を下ろし、ただただ呆然と朱から紅へ、そして淡い紫へとグラデーションに変化していく空の様相を眺めていました。
 
 すると、その時──。

 どこからともなく、「メロディ」が聞こえたのです。
 とても美しいメロディでした。心の安まる、暖かな音色。ストリングスのようにも思えましたが、ちょっと違うような気もします。
「誰か友達が練習しているのかな?」
 そう思ったのですが──耳を澄ますと、聞こえないのです。
 気のせいかと思い、再び私は意識を夕焼けに向けました。
 するとまた、聴こえてきたのです。

 もしかしてこれは・・・・・・この世の音楽ではないのかもしれない。

 何の抵抗もなく、そんな考えが浮かびました。
 そんなことが起こってもおかしくないぐらい、その夕焼けが美しかったからです。その夕焼けこそが、この世のものとは思えないなら、この世のものとも思えない音楽が聞こえても不思議はない──そう思ったのです。

 だから私は、五感を使うことなく、心でそのメロディを聴こうと思いました。
 再びポプラの樹にもたれ、夕焼けを眺めながら──心でメロディを聴いた・・・・・・

 ──その時でした。

 パリ────ン!と、私の中で何かが「割れる」感覚がしました。
 一瞬で私は意識を覚まし、飛び起きるように体を起こしたところ──世界のすべてが一瞬にして凝縮し、ポーンと私の心の中に飛び込んできて、瞬時にぶわっっと広がったような感覚に襲われたのです。
 何が起きたのか、説明はつきません。
 ただ、その場にあったのは「途方もない感動」でした。

 ──ひとりじゃないよ。

 そんなふうに呼びかけられたように思いました。
 私は気がついたら、ボロボロ涙をこぼしていました。泣いている自覚もなく、ただただ涙が溢れていたのです。
 その時私は、生まれて初めて「生命の神秘」を感じ取ったのです──。
 
 陳腐な言葉や表現で、あの体験は語り尽くせません。
 ただ、ひとつだけ明確なのは、あの体験がなければ、今の私は存在しなかったということだけです。
 すべてを憎んでいた私は、その日を境にいなくなりました。留学から帰った後、みんなが私の変化に驚いたぐらいです。

 あの時聞こえていたメロディーが何だったのか──私には分かりません。
 でも、あれだけ美しい夕焼けと美しいメロディは、この世に存在しない。きっと「天界の音楽」だったんだろうな──そんなふうに思っています(笑)。


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この世の学び

 子供の頃、私には誰にも解決出来ない──途方もない悩みがありました。
 それは、私の考えが、みんなに筒抜けだったらどうしようという悩みです。

 ・・・・・・・・・・・・。
 これを読んで鼻でせせら笑った人は、たぶん少なくないかもしれませんね(笑)。しかし、私が子供時代(4歳~9歳ぐらいにかけて)は真剣にそのことで苦悩していたのです。
 私の両親というのは変わった人で(どの家庭も一長一短はあると思いますが、私の両親を知っている人でさえも大抵「変わっているよね・・・・・・」と言う程のレベルです。勿論、「悪い意味」で)、その変わった教育方針をあげればキリがないのですが、私が「筒抜けだったらどうしよう」と悩む一端となった原因は「両親が、大人の都合を子供に押しつける」というところにありました。
 子育てをしているお母さんであれば、子供という存在は親が思う以上に「色々なことを考えている」というのを知っていると思います。
 私に子供はいませんが、私自身が子供の頃「大人の不理解」に悩んで生きていたので、「子供は決してあなどれない」ということを実感して分かります。しかし私の親は、「子供は、所詮子供」という典型例の人だったのです。

 だから私は、親のご機嫌をとる為に「嘘」を言う必要がありました。
 勿論、正義に反する嘘ではありません。ちょっとしたご機嫌取りに近い──世間で言うところの「お世辞」と言われるものではありますが、それを親に向かって幼児の頃から言わなければならなかったのです。
 これは、子供にとって残酷なことです・・・・・・。
 子供という存在にとっては、親って「世界」なのですから。
 親は大人ですから、社会があったり友達社会があったり、世界は広いです。
 でも、子供には「家族」だけが世界であり、親元が「帰るべき故郷」なのです。その子供が親に本音を話せないというのがどれほど辛いことか、私は自分の身をもって実感しています。(とはいえ、私は「インナーチャイルドをヨシヨシしましょう」という考え方は疑問です。何故なら、子供の中には生まれついてすでに霊的に大人な人も大勢いて、そういう人が幼少期に辛い思いをするのは「必要があるからだろう」と思える為です。「誰にでも癒されてない子供の部分がある」というのは、ある意味押しつけがましい考え方にも思えます。「そういう人もいるだろうし、そうでない人もいるだろう」というのが、本来正しい考え方ではないでしょうか。)

 そして私はいつしか、自分の心と裏腹な言葉を言うたびに罪悪感を感じるようになり、「何故、口に出した言葉で人は翻弄されるのだろう」ということを考えるようになりました。
 
 口に出したものは、「耳に聞こえたもの」であり、
 形になったものは、「目に見えたもの」。
 何故、三次元に現れないものに人は目を背け、その本質に意識を向けようとしないのでしょうか?

 そりゃ、確かに話をしている中での「多少の誇張」はあるでしょう。でも、子供の時の私はそういう「誇張」でさえも「嘘」のように感じてしまっていたので、何を話せばいいのか分からなくて本当に困惑しました。
 子供達の間では、明るくてリーダーシップのある子供だったようです。子供というのは正直な存在で、嘘がないから、自分も本心が言えて楽だったのを覚えています。気に障るようなことを私が言えば、同い年の友達はみな文句を言いました。「ごめんね」と謝れば、すぐに手をとって仲直りしてくれました。

 しかし、私が最も嫌いだったのは「大人を相手にすること」でした。
 当時の私は大人が「大嫌い」で、ほとんど喋らなかったのを覚えています。
 そもそも、「子供扱い」されることも嫌でした。「○○ちゃん、××よねぇ~」なんて語尾を伸ばして話しかけられると「イラッ!」としたものです。子供の時から理屈っぽかったせいで子供なりの正論を翳しても、「あ~、そうなのぉ~、すごいでしゅね~」だの、もしくはキレられて「子供が大人の話に口を出すな!」と怒鳴られるのが関の山なので、大人という生き物をいつしか私は苦手になってしまったのです。(余談ですが、私は宮崎駿監督の映画「崖の上のポニョ」に出てくる子供達が大人と同等の扱いをされているのは、とても素晴らしいと思いました。宗介が両親を呼び捨てにしていることを怪訝に思った大人もいるでしょうが、私は「正しいあり方」だと思います。親はたまたま先に生まれただけで、そこに権威を持ち込む必要はないというのが私の考えだからです。権威があってもそこに「親子の愛」がなければ、親子関係など無意味です。宗介と両親は権威こそはありませんが、立派に「親子の愛」がありました。大切なのはそっちの方だと、私は思っています。)

 私には4歳半離れた姉がいるのですが(二人姉妹です)、姉は長女気質もあったのか大人と仲良くするのが得意で、子供と一緒に遊ぶのは私の役目と、ほぼ二分割されていました。大人達の間で私は「すごくおとなしい子」で、しかも幼少期からすでに「変わり者」というレッテルを貼られていましたね(苦笑)。

 そんな私がふと、こんなことを思ったのは──確か、7歳ぐらいのことだったと思います。
「人間はいつ、嘘ということを覚えるのだろう。そしてそれに、いつからそのことに罪悪感を感じなくなるのだろう」──と。
 
 嘘そのものが悪いわけでは、決してありません。
 しかし、嘘そのものではなく嘘をつこうとする動機に問題があるのかもしれない──そう思うことがままあります。

 この世に嘘が存在する理由──それは簡単です。「肉体があるから」です。
 また、「光と影」が存在するから──とも言えるかもしれません。影(ダークサイド)では、何かをやってもオープンになることがありませんから。肉体も、そういった意味では「影」と言えるでしょう。よくスピリチュアルでも「霊体は光で、体こそが霊体の影だ」なんていう説もありますが、もっともなことなのかもしれません。
 
 もしもその影がなくなって、すべてが「表沙汰」になったとしたら──世の中は、いったいどうなるでしょうね?

 アセンションがもしも起これば、波及的にそれは実際そうなることでしょう。
 何故なら、「嘘や偽り、隠し事が存在する世の中は、決して平和にならないから」です。もしもアセンションという「この世の理想化」が起こるのであれば、隠し事が出来なくなるのが大前提でしょう。
 これは、一見「楽園」のように見えるかもしれませんが──それは、表層的な部分でしかないでしょう。おそらく、多くのものごとが「カオス」へと包まれるはずです。勿論そこから少しずつ光が広がり、嘘や偽りなどが消失していく可能性はあるかもしれませんが──そこに行き着くまでの時間は長いことかかることでしょう。

 だとしたら「何故?」、私達はそのような「嘘や偽りの世界」に生まれ落ちたのでしょうか──。

 課題を学ぶため──そういう人達も多いでしょう。
 でも、それ以上の「意味」が、あるのかもしれません。

 ここから先は、私の「空想」としてお聞きください。
 ある人が、ふとこんな風に思いました。
 「僕たちがいる世界は、本当に素晴らしい。とても美しいし、みなが愛し合っている。これと正反対な世界があるとしたら、いったいどういう世界だろう」
 どんなにそれを想定しても、最初からその人に「疑念」が存在しなかったので、想像することが出来ませんでした。仲間達とあれこれ相談したところ、ひとりの友人がこう言ったのです。
 「今、僕たちが感じている幸福を『逆さま』にすればいい。愛しているのなら『愛していない世界』。美しいのなら『美しくない世界』。そんなふうに──」
 「しかし、それが想定出来ないからこうして話し合っているのではないか」
 「勿論、僕たちはそれを知ることは出来ないだろう。神でさえも、体験からしかそれを推し量れない。だからこそ、『そういう世界』を作ればいい」
 「でも、どうやって?」
 仲間達の疑問を前に、彼は手を翳しました。
 「僕たちは個々別々でありながら、ひとつに繋がっていることを知っている。それが根源的な信頼へと繋がっているのも事実だ。だったら、その絆を分離させてしまうことで、違う世界が出来るのではないだろうか?」

 そんな提案から、「光と闇」をその人は分けました。
 最初から、そこには「光」しかなかったから、みなはひとつの根源を知ることが出来たからです。それを切り離す為に、闇──影が必要だったのでした。
 そこから先は、とても簡単でした。闇や影から派生したものは倍数的にふくれあがり、やがて人類を生み出し、「根源的な信頼」を断ち切られた人々は困惑しながら、その糸をたぐり寄せなければならなかったのです。

 そこまでであれば、普通の実験に過ぎませんでした。
 しかし、そこから先に起こったことは──世界を創った彼らにさえ、想像を絶するものだったのです。

 闇は、決して闇だけで存在せず、そこには「光」を内包している──ということに、彼らは気づいたのでした。
 人間は人間という枠の蒙昧さを超えて「根源的な光」に至った時、最初から光しか知らなかった存在よりも「より強固で大きな信頼」を取り戻すことが出来たのです。


 ──そうやって人類が、「新たな存在」として成長することがアセンションであることを、願ってやまない私です。


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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

【篠崎編集担当】


【篠崎の著作本】

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