子供を「親の所有」ではなく「世界の共有」へ

 「親孝行」「親子愛」という言葉の妄想から未だ解き放たれない日本でこういうことを書くのは、まだまだ早いかもしれません。
 しかし、前々からずっと理不尽に思っていたことなので──少しずつ記事にしていきます。

 私は以前から何故、親が子供を育てなければならず、子は親の面倒を看なければならないのか、疑問でなりませんでした。
 こういうことを言えば、おおかたの人が「当たり前だろう、産んで育ててもらったのだから」と言うでしょう。しかし、私が言いたいのはそうした表層的な疑問ではありません。何故、親とか子という絆ばかりに頼り、もっと広い視野での関係性を講じないのだろうということなのです。
 例えば──Aさんは、親に恵まれなかったとしましょう。両親はいるものの、Aさんの教育には熱心ではなく、それどころか自分達の道楽や享楽に耽るのみ。Aさんはその中で苦労と闘いながら、それでも必死に自分で自分の人生を歩んでいました。けれども、Aさんが中年期を越えた頃、両親が相次いで病気に。今度はそれを、Aさんが介護しなければなりません。Aさんは自分の才能や資質を満足して探究したり、伸ばすことさえなく、気がつけばもう晩年期となってしまっていました。親の苦悩に始まり、親の苦悩で終わる──そんな一生涯。
 こういう喩え話は──実は「例え」ではなく、「実際にあちこちで、ある話」なんだと思います。社会の表面に浮上しないだけで、「子供が親を看るのは当たり前」という概念に縛られたまま、どこへ訴えることも出来ず、ただ闇に葬り去られてしまっているのでしょう。
 私はこういう話を聞くと、居たたまれない気持ちになります。
 スピリチュアリストなどが良く口にする「どんな環境も、その人が選んで生まれてきた」なんて、口が裂けても言えません。
 「環境を選んで、生まれてきている」──それは確かに、そうなのでしょう。
 しかし、それは辛い逆境の中で堪え忍んでいる人から発する言葉であれば重く意義あるものとなりますが、のほほんと平穏な生活を送っている人が言ったところで、ただ「善を押しつけているだけ」に過ぎない、そう思うからです。
 相手の受けている痛みに目を向けることなく、ただ舌先三寸で綺麗事を言ったところで「何の慰みにも、解決にもならない──」私はそう思っています。

 こうした不公平感はある種、恵まれない国に生まれた魂と豊かな国に生まれた魂との「差別感」と似たものなのかもしれません。しかし、こうした「所有感」と言いますか──「境界概念」こそが、社会に大きな閉塞感をもたらせているように思えるのは、私だけでしょうか。

 境界概念──。
 すなわち、「○○の国」「○○の家庭」といった、限定された枠。
 ここに拘り続ける以上、未来は伸びることなく凍結してしまうのではないか──そんなふうに思えるのです。

 おそらく、人類がこれから先も地球で豊かに未来を築いていけるなら、まずはこうした人間として生きる基本原則となってしまった様々な概念を取り払う必要性があるでしょう。
 そんな概念は挙げれば山ほどありますが(例えば、ここに挙げた「親子関係における限定枠」もそうですが、「犯罪を犯した者は罰するのが当たり前」という概念もそうでしょう。何故「更正」ではなく「罰する」なのでしょうか?)、結局は固定化されたものこそが、安定であるという発想が定着してしまっているからなのかもしれません。

 今まで世界は戦争が繰り返されていて、最近の大戦が終わってからまだ65年しかたっていません。
 それどころか、小さな紛争は未だに繰り返されている始末。
 こうした状況下にあると、人は「固定化された安定こそが、理想の環境」と思ってしまうものなのかもしれません。
 しかし、人類はそうした古い学びの殻を破って、今こそ「新しい世界に旅立つ準備」に取りかからなければならない時代に突入した──そう思えるのです。
 
 戦争や紛争というものは、明らかに境界概念や所有欲から発せられています。
 日本を見たって、すぐに分かります。日本があちこち藩として分れていた頃は、戦争が絶えなかった。しかし、ひとつの国になったら「何でそんなバカバカしいことをしていたのだろう」と逆に首を傾げたくなるはずです。
 諍いは「最初に分離ありき」だと、私は思います。
 諍いがあったから、分離した──のでは、ないはずです。

 もし、そのようにして地球から国境がなくなったとしたら──その時こそ、すべてにおける「正当な循環」が行われるのかもしれない、そう思います。
 そうであれば、私が冒頭に書いたような疑問、理不尽で不当な差別などは、当然なくなっていくのでしょう。
 私は、子供というのは親だけが育てるべきだの、子供は親孝行するのが当たり前ということ自体、すでに旧い考え方になっている──そう思います。
 それは、これだけ児童虐待や子供を育てられない親が増えているところからも、窺えます。
 何故知識人達は、そうした現象をみて無理に旧知の知識や情報にあてはめようとするのでしょう。
 そうではなく、そうした考え方が、今はもう限界に来ているという証拠なんだという発想には行き着かないものでしょうか?

 時代はすでに、新しいシステムを感知して少しずつ変わってきています。
 こうした「親子の問題」「親の倫理観が問われる時代」というのは、決して親となる世代の問題だけではなく「新しく社会システムを見つめ直しなさい」という合図なのだと、私は思えるのです。
 今までの価値観では、どうしても「子供は親の所有」という概念が強かった。そうではなく、もっと地域や共同体が、積極的に子供と触れあい、子供の教育を「親だけに委ねない」というシステムを考えていく必要性があるのだと、そう思います。

 そして──ゆくゆくは。
 私は、子供は「親元から離れ、その子の才能に応じた教育機関で育てられる」ことが最も理想的である──そう考えています。
 これは「教育が変わらなければ、国も変えられず、未来も変わらない」で書いたことにも繋がりますが、本来子供というのは未来を担う存在であり、世界の共有エネルギーだからです(あまりこういった物質的置き換えは好きではないのですが、妥当な言葉がなかったので──)。
 子供の個性に応じた教育をするには、親だけでは不足してしまいます。その道の専門家とも言うべき教育者達が、別途行うものなのだと──そう思えるのです。
 今は時代が速くなっているので、今までは大差なかった親世代と子供世代の考え方が、まるで天地の差のようにどんどん開けてしまうでしょう。そうした時、親は自分の生活と別途に子供の教育に携わることは、難しくなってしまいかねない。
 「少子化問題」を注目する前に、「今、すでに生まれてきている子達の教育について」も、もっと考えていくべきなのではないでしょうか? 少なくとも、今までの方針では通用しないぐらい、感受性の鋭い魂がどんどん生まれてきているのですから。(5歳以下の子供を持つお母さんであれば、そのことが何となく実感出来るかもしれません。)

 私達は一日でも早く、「自分達を縛ってきた旧い法則性」に気づき、そこを打破して、「新しい時代の風」を取り込む必要性がある──ここ最近、強くそのことを実感しています。


【お知らせ】

 先日、「循環」について記事にしましたが(「循環こそが、時代を変える!」)少しずつ、篠崎の中で掘り下げが進んでいます。
 今回の記事も「所有概念の打破」がテーマになっていますが、私自身が今の時代を見るに、やはりそれがひとつの鍵になっているように思えてならないのです。
 また、それは社会レベルだけではなく、個人レベルにおいてもそうです。とどのつまり、「エゴ」というのは所有したいという思いにすべて結びついているようにも思えるからです。(所有は、形あるものとは限りません。名誉欲や目立ちたいという欲も、結局は「自分が評価を得たい」という──これも立派な「所有欲」です。)
 日本社会だけでなく、世界──すべてを腐敗させてしまうのが「所有=止」というあり方。
 これを大きく変えていくには、「循環=流」を熟知する必要がある──私はそう思って、ここ数ヶ月試行錯誤を続けています。

 今、少しずつ「方向性」が見えてきています。
 世の中の問題点は「複雑そう」に見えても実は「単純」で、すべてを突き詰めればひとつの問題点にしか行き着かないということが、思索の結果行辿り着いた答えです。
 そして、その「ひとつの問題点」こそが──「所有=止」。

 それを打破する為に、私達はどういう「意識」でいるべきか、どういう「行動」をするべきか、「何を青写真」とすればいいのか──この辺りについて、3月21日にはトークしていきたいと思っています。
 また、私自身は参加者の特典本原稿も執筆しなければなりませんが、この準備も今すでに、少しずつ着手しています。(原稿の準備をしながらの方が、トークのテーマもまとまりやすいからです。)
 結構、大がかりなテーマです。さすがは我らが顧問・未来派コーチの西山いずみさん(笑)だけあって、最も今の時代に必要で、かつ、最もみなが見落としがちなテーマをもってきたなぁ──って感じです。

 循環は、ただ単純に「サイクル」と考えるだけでなく、その本質は非常に「奥が深い」です。
 それどころか、「すべての生命に平等な社会」を目指すには、「循環なくして、何とする」というぐらい基本的なことです。逆に言えば、「それが基盤になっていない既存システムの社会」は──時代が進むにつれ、完全に膠着するか、或いは壊死するか・・・・・・どちらかしかないでしょう。

 今まで私が主体でやってきた講演会やイベントとは「まったく違った意気込み」で、今回は臨む──その覚悟でいます。


 

 ※参加者特別限定冊子には、「循環」をテーマにした「理想未来世界の青写真」についても掲載しますので「これからの時代が、どのように変化するか」興味のある方にお薦めです。
 私も、具体的に「理想未来世界の青写真」を記事にするのは初めてなので──少しドキドキしています(笑)。



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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

【篠崎編集担当】


【篠崎の著作本】

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