昨日の「
恐怖に打ち勝つ」という記事に、少し関連するかもしれませんが──。
今日、私は
「とても嫌なこと」がありました。
詳細については、私以外の個人にとってもプライバシーにも関わる為書けませんが、簡単に言えば、最初のきっかけは
「私自身のプライバシーを侵害されたこと」が原因でした。
しかし、実際のところはもっと根の深い問題であることが後から判明し、
場合によっては法にも引っ掛かる問題であることが分りました。まぁ、とどのつまり「窃盗罪」なのですが──それ自体は、私が直接的な被害を受けたわけではありません。
ですが、それが「自宅内」で起きたことだった為、私は即、自室に「鍵」をつけることにしました。
泥棒でしたら、ある意味「不運」ということもあるでしょうが──今回の場合は常時その危険がある状態なので、私は急遽、その処置をする決意をした次第です。(どのみち、あと半年もしたら家を引越す予定なので、それまでの辛抱ではありますが──)
せっかく気分良く執筆の仕事がはかどっていたというのに、いっきに「奈落の底」に突き落とされた気分でした(苦笑)。
今日は徹夜明けだった関係もあって疲労もたまっており、「少し寝てから、仕事をしよう」と思って──息抜きにDVD、「ロード・オブ・ザ・リング」の三作目「王の帰還」を見始めました。
私が持っているDVDは「スペシャル・エクステンデッド・エディション版」なので、上映ではカットされた部分がかなり入っています。その為、当時の映画の冒頭でも入っていたのかはわからないのですが──私が観ている「王の帰還」冒頭には、
「何故、純粋な民だったスメアゴルという青年が、指輪に魅せられてゴラムになったか」が描かれています。
スメアゴルは、その日、デアゴル(原作を読んでいないので、これが弟なのか友人なのかは不明ですが──)と一緒に釣りを楽しんでいました。その際、デアゴルが誤って湖に転落してしまい──その湖の底で「指輪」を発見するのです。
デアゴルは一瞬で指輪に魅せられましたが──それは、スメアゴルも同じでした。最初は冗談半分の奪い合いが途中から本気になり、最終的にスメアゴルは、デアゴルを殺してしまいます。
指輪はスメアゴルのものとなりましたが──スメアゴルは殺人の罪で追放され、そしてゴラムとなったのです。
私は、スメアゴルであったゴラムが──とても気の毒でした。
誘惑に勝てなかった──ある意味「恐怖に勝てなかった」のと同じ意味があるかもしれませんが、それが故の顛末に、同情の念を禁じ得ません。
そして、それを見ながら──私は今日、自分に起きたことを振り返って考えていました。
罪を犯す人は、必ずしも「その人だけの責任」なのでしょうか?
それをさせてしまうだけの要素を作ってしまう環境にも、問題があるのではないか──私はそう思ったのです。
人は、誘惑に弱い存在です。
スメアゴルとデアゴルが、指輪の誘惑に負けてしまったように、人は簡単に「誘惑」という罠に引っ掛かってしまいます。
だから、目の前に──すぐ手の伸ばせるところに「お金」があれば、黙って取っていってしまったとしても……文句は言えないのではないか、と。(これ、海外では「文句言えない」です。管理してない方のミス──と言われてしまいます。)
本来、そうなった場合その責任を出来るだけ早めに追及して、
「これ以上、その人が罪を重ねないようにすること」こそが、本当の思い遣りではないでしょうか?
そういった意味で、私は「防犯」というのはとても大切だと思います。それは、
自分を守る意味だけでなく、相手に「罪を犯させない」という意味においても必要なことだと、そう思えるのです。
にも関わらず、それを有耶無耶にして誤魔化して──後で文句だけ言うなんていうのは、言語道断だと思います。相手が若い子であれば尚更のこと、これ以上「過ち」を繰り返さない為にも、
はっきりと叱責することが、大人の義務であり役目である──私はそう思います。
しかし、最近の親──いえ、私の親世代なので、すでに祖父母世代でしょうか。
何故か「面倒くさがって」そういうことを叱責したがりません。
その子の将来がどうなったとしても、「自分には関係ない」と言いたいのでしょうか?
もしくは、「今の子は、キレて何するかわからないから何も言いたくない」とでも言うのでしょうか?
でも、そうさせたのは
一体、どこの大人達なのでしょう? マスコミも評論家も、さも自分は無関係を装って「今時の子は、すぐキレる」と言いますが、
そういう社会を作ったのは「そんなコメントをしているあなた達、大人じゃないんですか?」と、私は聞きたいぐらいです。
ロード・オブ・ザ・リングにおける「指輪」を作ったのは、冥王サウロンですが──
「誘惑に弱い若い世代」を作ったのは、現在40~60代の「大人達」です。
冥王サウロンはそもそも「悪の権化」なので責任の取りようもないですが(っていうか、支配したかったわけですしね;)、本来であれば若い子達の批判をする前に、
もっと大人達が反省すべきことがあるのではないか、私はそう思わずにいられませんでした。
徹夜明けの上に、ちょっと気分的に滅入る事件だったので、かなり感情的でお見苦しい記事となってしまいましたが。
責任を放棄する前に、もっと大人達は「自分たちの行為を省みる必要性」があるのかもしれない──40歳目前に控えた自分も含め、そう思わずにいられない事件でした。
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