早いもので、明日は
エハン・デラヴィ最後のイベント「2012ルネッサンス─時代の夜明け─」です。
もう半年以上前から(正確には去年、機関誌の取材をしてからなので──8カ月前からか;)準備していましたが
「あっっっ!!」という間でした。
その間、ただ
「あっっっ!!」と声を出していたわけではなく──本当に
色々なことがありました。
嬉しいこと、楽しいことは勿論ですが……辛いことも、たっっっっくさんありました。
いつも疑問なのですが、成功哲学や自己啓発系の本って
自分はこぉんな苦労なく成功したんだよ~という話が多いように思うのですが(私は哲学や人間の思想に絡む本は、自分の志向にあうあわない関わらず、ひととおりすべて目を通す主義なのでザッと読み通した中、そういう印象を受けました)、
そんなことありませんって! 苦労のない成功なんてあり得ないし、仮にあったとしても、それはむしろ
「苦みのない珈琲」みたいに味気ないものでしかありません。 むしろ、
過程における苦労や辛さ、努力が「あるからこそ」成功の喜びがひときわ大きく、感動も大きくなるのではないかとさえ、私は思えるのです。
今だから書けますが、私は去年の10月から今に至るまでのこの8ヶ月の間に、「ノイローゼ」になるまで自分を追い詰めた時期がありました(もうだいぶ前ですが)。
私は他者に弱音を吐かない(っていうか、意地っ張りだから吐けないンですよね;)主義なので、たったひとりで悶々としつつ──「自殺」という文字が脳裏を過ぎったことさえあった程です。
ですが、今はその時のことを思い返すと
「ああ。あれって試練のひとつだったんだな」そう思いました。
「さぁ、お前は『どちらを選ぶ』?」と。
お前の信念か?
周りの意見か?
さぁ、どちらを優先する──?
私は
自分の信念を選びましたが──それで
「大正解だった」と確信しています。そうでなければ、私が今味わっているような充実感を、絶対味わうことがなかっただろうから──。
だから、その時関わった人達、みんなに心から感謝しています。
私の
「選択という試練の場」を提供してくれたのだなと、そう素直に思えたので。(不思議なのですが、ひとつの学びが終わると、人間関係そのものもガラッと変わりますね。もっとも、今の私は「真理探求」だけに集中したいので、
どのお誘い、他者様の紹介についても、すべてお断りさせて頂いています。今は真理とだけ向きあいたいので、何卒ご了承願います。)
人って、不思議なものです。
書籍や講義だけでなく、人はやっぱり「人から」学ぶものなんですよね。
人から学ぶ──すなわち
「経験から学ぶ」という意味でもあるでしょう。
子供の頃、父親(物理教師。私とは
犬猿の仲です。※私は確かに戌年ですが、父は申年ではありません。って、関係ないか;)から
「賢人は歴史(父がここで言いたかったことは『ただの歴史』ではなく、要するに『書物』などの文献のことを示していました)から学び、愚人は経験しなければ学べない。だからお前は後者の愚人(バカ)だ」と言われたことがありました。
当時まだ12歳ぐらいでしたが、私はその時はっきりと、
「それなら良かった(笑)。私は、バカでいいから、経験で学んだ方が遙かにいい。経験しなければ、人に教え伝えることが出来ないからね。本読んだ程度で知ったかぶりするようなヤツになるぐらいなら、痛い思いしてでもその辛さを人に伝えられる道を私は選ぶ!」と
皮肉たっぷりに言い返し、
親子げんかに発展した──ということがありました。(父親にとって私は、未だに「理解不能な存在」みたいです((苦笑))。子供時代から私は、言い回しが「理屈っぽい」ところがあり、結構そんな私を嫌う教師も多かったですね。※何故か全共闘世代で活躍していたという先生達には、可愛がられていました……)
「賢人は歴史から学び、愚人は経験からしか学べない」 いいんじゃないでしょうか。私は今でも、後者の「愚人でありたい」そう思います。
それに、
「本当に賢人が歴史(知恵)から学んでいるのなら、とっくに世の中は良くなってなくちゃおかしい」とさえ思います。
「私は、すべてを知っている賢人だ」──そう思った途端、
知識はその人の頭の中に「何も入ってこなくなります」。
コップだって同じことですよね?
水が満杯に入ったコップに、さらに水を注ごうと思いますか? 絶対「空の方」或いは「もう少し容量の入りそうなコップ」にいれるはずです。
それと同じことだと、私は思えるのです。
私は愚人と言われることは、何とも思いません。むしろ、
「自分は無知である」ことを常に自覚し、もっともっと、新しい智慧を吸収したい──そう思っています。
ところで。
話は、まったく変わりますが。
このイベント前に──何と、篠崎は
大病(?)を患ってしまいました(苦笑)。
実を言うと、二日前の30日──私は突然の腹痛に襲われ、6時間痛みに耐え抜いた末、ついに我慢出来なくなり、救急車で救急病院に搬送されたのです。
原因は不明ですが、おそらく
「大腸内の炎症だろう」とのことでした。要するに大腸の襞が炎症をおこし、盲腸みたいに腫れてしまう──という。
白血球の数値が異常上昇し、熱が38度から引かず、激しい痛み──間違いなく「炎症だ」と断言されました。
しかもその場で、
「即入院」を言い渡されました。
しかし、私が
この状況下で入院出来ないだろうことは、きっと皆さんもお分かり頂けると思います。
それで私は、
「絶対に入院は困る!」と駄々をこね──先生と20分以上交渉した結果、
●死んでも文句言わない。
●薬はきっちり飲む。
●暴飲暴食は絶対にしない。
●自己責任ですべて管理する。 という条件で、釈放(?)されました。
母親が救急車に同乗していたので、母も診察室に通されました。
先生からひととおりの説明を受けた後、私からも「先生はここまで言ってくださっているのに、私が入院を拒否しているのだから、これは私の自己責任だ。今、私が入院するわけにはいかないんだ」と説得したところ──さすがに、母は涙を浮かべていましたね(苦笑)。
「どうして、こんな子になったのかと──自分でも不思議なのですが……」と
「こんな子扱い」されてしまいましたが(苦笑)、ひとまず入院は回避出来ました。
私はかなり精神力がタフなので、気合いをいれると集中力が持続するのですが──抜けた時が怖いですね。5日に再診の予定が入っているのですが、まぁ、その時の状況に任せようって感じです。
余談ですが。
私が点滴を打っている最中、母が私にこう告げてきました。
「実は一昨日……あなたのお茶碗を
割っちゃったのよ。その時、すごーく嫌な予感がして。きっと、この病気のことだったのね──」
「………………」
──って、私の「お茶碗」割っただと!!
(ど~りで最近、見かけなかったはずだ)
聞いてないぞ、そんな話!! と、突っ込もうと思ったのですが(こういうことにならなかったら、黙ってるつもりだったようですね──絶対)、母の気持ちを考えたら、責めることも出来ませんでした。
愚人は、経験から学ぶ──。
いや。むしろ、
経験ほど、素晴らしい教師はいないそう思います。
私は(前も書いたように)自分が病弱な分、同じように病気の人の痛みを分かち合えることが出来るので──。
それこそが
人間らしい生き方なのだ──私はそう思う次第です。
◆お知らせ◆
(1)7月1日、23:59をもちましてエハン・デラヴィさんのトークイベントの受付を終了いたしました。
沢山のご応募、誠にありがとうございます。(現在、228名様分受付完了しております。)
今日、エハンさんブログ「シンクロニシティ」を更新しておりますので、もし「キャンセル待ち希望」などの方がおりましたら、ブログ「シンクロニシティ」の方で詳細をご確認ください。
(2)11月3日、篠崎のトークイベント「メタモルフォーゼ─今こそ、変容の時─」を企画しています。
詳細は近々掲載予定ですので、今しばらくお待ちください。
(3)本日から篠崎は東京で前泊する関係で、ブログの更新は3日、4日とお休みを頂きます。
5日には簡単に講演会レポートを致しますので、楽しみにお待ち下さいませ。 ●多くの方に、「真剣な目で地球人類の進化に意識を向けて欲しい」と、強く願っています。
また、毎日の記事を書く為の「大きな励み」になっていますので、クリックのご協力をお願い致します。(いつも押して下さっている皆様、本当にありがとうございます!)3日4日の不在中も、押して頂けますと幸甚ですv


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