昨今、精神世界分野では「○○の隠謀」や「隠謀論」といった書籍があふれかえっています。
しかし、私はこうした隠謀論という考え方そのものが
嫌いです。
このブログでも何度も言っているように、隠謀論というのは
「世の中の事象に対して、一部の人達に責任をなすりつける説でしかない」私はそのように考えているからです。
例えば、仮にアメリカや──その他、国の組織としてではなく、「世界を我が者にしよう」と企む集団があったとしましょう。
私は、それそのものは否定しません。イルミナティ、フリーメイソン、どんな名前のものであれ、そうした組織は「存在するだろう」と思っています。
しかし、その人達は最初から「我々の隠謀によって、人類を無知蒙昧にさせてやろうぜ」的な悪意を抱いていたわけではなく、あくまでも
自分たちだけが得をしたい、支配したい、独占したいという
誰もが当たり前に持っているだろうエゴが、ただ単に肥大化して組織化しただけに過ぎない──そう思えるのです。
隠謀論をまことしやかに唱える執筆家は大勢いますが、いつも私が疑問に思うのは
「それならあなたは、もしもそうした『すべてが思い通りになる誘惑』を前にした時、自ら拒否するだけの心の強さがあるのですか?」ということです。
私は、「隠謀論」という言葉に陥っている時点で「それは難しいのではないか」そう思えます。
本来、地球上に起きているすべての事象には、
私たち全員に責任があるというのが、私の考え方です。遠い国で起きている戦争も、環境の悪化も、私たち人類全員に関わる問題であり、人類として生きている以上
自分にも責任はある──いつもそう思っています。
しかし、隠謀論の提唱者にある思想は、「今地球がおかれている問題は、○○によって起こった」という
被害者意識的発想と、電気的次元特有の
対立の発想から出ているとしか思えません。それはまるで、戦争の責任を「一部の軍人達にきせること」によって誤魔化そうとしている──そうした矛盾を引き起こしているのと大差ない気がするのです。
第二次世界大戦時、家族を失い、愛する人を失い、すべてを失った人達の痛みは「戦犯の処刑」によって癒されたでしょうか?
いえ、決してそうではないはずです。そうした傷は絶対に癒されるものではないし、誰かが「責任を負ったから」といって解決するものでもない。
陰謀論説も、それと似たようなものだと思えるのです。
陰謀を明かそうとすることで、この世の中が良くなるとでもいうのでしょうか? 闇にシフトすればする程、その人の意識も闇にとらわれるのではないでしょうか。指輪物語に出てきた「賢者サルマン」のように。
むしろ「隠謀論」としてどこかに「悪の組織」を作り上げることは、
人類全体の調和を脅かす排斥行為に繋がりかねない、そうとさえ思えます。
仮に隠謀論者側に荷担していた人達がいたとしたって、その人達が特別に遺伝的な「悪」を有していたわけではない。私には、そう思えます。
私たちと大差ない人類のひとりが、肥大化したエゴと暴走した野心故に心を見失っただけであるのであれば、彼らはただの「弱くて脆弱な人類のひとり」に過ぎないのではないでしょうか?
確かに、「自分だけが独占したい、支配したい」とするエゴの集団はあるでしょう。その中の一部に、地球全人類に関わる真理を覆い隠そうとしている人達がいたとしても、不思議はありません。
でも、それを言う前に
社会そのものが、エゴ丸出しの集団がいっぱいいる事実にも気付くべきです。実は「黒幕がどこにいるか見えない」だけであって、私たちが無意識のうちに「荷担させられている危険」だってあるはずです。
その危険を避ける為に出来ることは、隠謀論として安易に架空の組織や、或いは某国のことを批判するのではなく、もっと大局的な目で人類を見つめ、自分の芯を「しっかりと」地球に根ざすことなのかもしれません。
どこどこの隠謀だの、社会や国の衰退を誰かの責任に押しつけるのではなく、「では、こうした流れにどんな運命が示唆されているのだろう」ということをしっかり見つめることの方が遙かに有意義です。
精神世界分野で隠謀論肯定派は大勢いますが、私は「否定派」を貫きます。
世の中の問題というのは、平易な善悪で簡単に二分割出来る程、単純なものではないのです──。
●多くの方に、「真剣な目で地球人類の進化に意識を向けて欲しい」と、強く願っています。
また、毎日の記事を書く為の「大きな励み」になっていますので、クリックのご協力をお願い致します。(いつも押して下さっている皆様、本当にありがとうございます。)



◇メインサイト◇