昨今、表層的スピリチュアルブームが進んでいるせいか、やたらに「前世」を知りたがる人が多い印象を受けます。
勿論、退行催眠などを好奇心から受けてみたいとか、自分の別側面を見てみたい──というのはOKだと思うのですが、
必要以上そこに囚われるのは危険だと、私は思っています。
何故なら、前世はどんなに記憶がないとはいえ、言ってしまえば
ただの過去です。
みんな「覚えていない」から「知りたい」と思うだけであって、もしその前世の記憶を最初から持っていたら──わざわざそれを知ろうとするでしょうか?
1年前に自分が何をしていたのか、5年前に自分が何をしていたのか、ふと思い出して感慨に耽る──ということはよくあることですし、そうしたところから人が成長していく、というのも理解は出来ます。
しかし、
「1年前の自分は『ああ』だったのに!」「5年前、私はこんなことをしていたのに!」そんなふうに言ったところでどうにもならないというのは、皆様も想像して頂ければすぐにご理解頂けると思います。
「過去を生きるな! 今を生きろ!」と言いますが、まさにその一言に尽きてしまいます。
前世は、あくまでも「過去でしかない」。
言い方を変えれば「かつて私たちが歩んだ、別世界のパラレルワールド」に過ぎません。
本当に大切なのは
「今の人生」であり、そして、これから積み重ねていく
「未来への土壌」なのです。
それに、前世というのは実は
今の人生、すべてに凝縮されている側面があります。
なので、自分の人生や今の自分をよ──っくよく観察すれば「自分の前世」が何となく見えてくるものです。
ちなみに私も、一時期は退行催眠や前世リーディングをしたことがありました。
私自身が何も説明しないにも関わらず、言われたことのほとんどが──
・チベットの高僧
・日本の僧侶(しかし、真理の本質は今の仏教界にないと断言し、自ら旅の僧侶となって全国を行脚したそうです。)
・有名な陰陽師(これを聞いたときはさすがに「ホントかよ?」って疑っちゃいましたが──。)
・宗教の弾圧が酷い頃の医者(免罪符に反旗を翻し、教会批判をあちこちで唱える革命家でもあったようです。西洋医学で当時流行していたペストを治療しようとしたのですが、教父達から仕事を奪われ、結局死に追いやられたそうで──。)
・キリスト教がローマの国教になる前の、初期の伝道者(これまた、石打ちの刑にあって斬殺されたそうです。) ──などなどでした。
正直言って、
「なぁんだ。全部、私の今の人生に凝縮されちゃってるじゃん」と思って、あまり新鮮な驚きを感じませんでした。
確かに、上記の前世は自分にとって意外でも何でもありませんでした。そうでなければ、幼少期から聖書や宗教書を読んだりすることもなかったでしょうし、出家願望が根強くあっても
「一門に下ることは、真理に反する。真理は、どこにでも存在する」と根強く思っていたところがあったので、自分の前世のほとんどが「神や真理に尽くしていた」と言われても不思議はありませんでした。
でも、「だから何なのさ」ってのが、私の本音です。
仮に私が上記の前世を知らなくても(聞かなくても)、私の人生は
何ら変わらなかったでしょう。
要するに、前世は
自分が記憶してなくても、絶対に霊性のどこかで記憶しているものなのです。だからこそ、前世自分が体験してきたことや、「これだけは絶対にいけない」と思ったことは、無意識に自分で避けることが出来るものなのだと私は思うのです。
先程挙げたように、私は子供時代から「出家願望」が強かったのですが、それを絶対にさせなかった理由が「一門に下るのはおかしい」という思いからです。
そんな思いを、私が子供時代の体験でどうやって学べるというのでしょう?
10歳程度の子供が「一門に下る」という意味だって、分かるわけがないのですから。
これはもう、教育がどうとか、親の影響とか、そんな理屈で治まる代物ではないと思います。(ちなみに、私の両親は今時の典型例とも言える「不信心者」です。)
前世をわざわざ知らなくても(勿論、先程も言いましたように「興味本位で知ってみたい」という方は決してお止めしませんが)、
本来、私たちは充分無意識にそれを自覚しているはずなのです。 それから──前世を知ることへの
もうひとつ、大きな弊害があります。
それは、昨今「にわかチャネラー」とでも言うべき、ちょっとした思いつきと「本当のお告げ」の区別さえつかない人達があっちこっち闊歩しているからです。
そういう人は、思いつきだけで本当にありもしないことを言ってのけます。事実私も、「私は前世、天使だったって言われたの~」と浮かれている人達を何人か目にしてきました。
……が、私は何も言いませんでした。いちいち水を差すこともないことですし、無意味にその人を傷つける必要もないからです。
でも、「そういうことを平気でいってお金を取る自称チャネラー」への怒りだけは、今でもあります。
本当に「かつて天使だった人」であれば、そういうことは容易に口に出さないどころか、「他者から言われなくても自覚しているはず」だからです。
本当に使命ややるべきことがあってこの世に転生している人は、
絶対にそれを公言したりはしません。 間接的な言葉の中で、そして、心に訴えかける説得力のある言葉でもって、さりげなく人々を導いていくことでしょう。
イエス・キリストや、マヤの伝承に残っているビラコチャなど、偉大な人々は確かに自ら公言してきましたが──
彼らのレベルは、「何を言わなくても」誰もが直感的に理解出来るほどの偉大さでした。
そういう「本当に素晴らしい人達」というのは、何を言わなくても、その「存在感」だけで伝わってくるものなのです。
にも関わらず、自分は「偉大な存在なのだ」と公言する人は、最初から「存在感で語れない」から、口で代わりに語っているのに過ぎないと、私は思います。
存在感で語れないのであれば、
行為で語るべきだと、私はそう思います──。
少し話は逸れましたが。
そういう「にわかチャネラー」の存在も多いので、安易に前世を知ろうという試みは出来るだけ避けた方がいい──そう私は思います。
それに、前世がどうであれ──
今の人生に、変わりはないのですから。 前世がクレオパトラだったから、明日からクレオパトラのような人生が送れるわけでもないし、ソクラテスだったから、明日から急に哲学に目覚めるわけでもないのです。
必要なのは
「今の自分は、どうこの人生を生き抜くか」──それに尽きると、私はそう思っています。
【追伸】ようやく少しずつ、返信を開始しました。かなり溜まってしまったので、時間がかかると思いますが、ご容赦ください。●多くの方に、「真剣な目で地球人類の進化に意識を向けて欲しい」と、強く願っています。
また、毎日の記事を書く為の「大きな励み」になっていますので、クリックのご協力をお願い致します。(いつも押して下さっている皆様、本当にありがとうございます。)


※近々、このトークイベントを主体とする内容の記事を連載予定ですので、是非お待ち下さいませ。

◇メインサイト◇
