1月
12日 ハイチ地震(M7.0)
2月
27日 沖縄本島近海地震(M7.2)
27日 チリ地震(M8.8)
3月
21日 アイスランド噴火が始まる
4月
4日 メキシコ地震(M7.2)
14日 中国青海省地震(M7.2)
アイスランド・エイヤフィヤトラヨークトル氷河噴火
16~17日 関東地方各地で大雪
5月
9日 スマトラ沖地震(M7.2)
7月
8日 中国豪雨による洪水災害
※夏は世界的に異常気象。(寒波、或いは酷暑)
10月
25日 スマトラ沖地震(M7.7)
26日 ジャワ島火山噴火
28日 ロシア・カムチャッカ半島火山噴火
11月
5日 ジャワ島ムラピ火山再噴火
12月
22日 小笠原諸島近海地震(M7.4)
ヨーロッパ・アメリカ東部で異常気象(寒波)
“正しい論理”は危ない?~『「金持ち」の不幸、「貧乏人」の幸福 』
海外のジョークにこんなものがあります。
ある精神病院で、入院患者が風呂場で釣り糸を垂れている。
「どうです、釣れますか?」
すると、患者はこう答える。
「釣れるわけないじゃないですか、ここは風呂場ですよ」
風呂場で魚が釣れるわけがない、というのはまさに正しい論理です。しかし、この論理を展開しているのは精神病院の入院患者、つまり狂人。このジョークは「正しい論理を使える人は狂っている」ということを言っています。
「その典型がナチスドイツを率いたアドルフ・ヒトラーでしょう」。そう語るのは、書籍『金持ちの不幸、貧乏人の幸福』の著者・ひろさちや氏。演説であれほどまでにドイツ国民を熱狂させたヒトラーの論理には、欠点はあっても、意味不明なところはありませんでした。しかし、人間らしい当たり前の感覚はなかったのです。
そこが危険なポイントだと、ひろ氏は警鐘をならします。たとえば、1人の人間が1時間かかって穴を掘ったとします。同じ穴を2人の人で掘ったら30分、3人だったら20分を要しました。では、120人で穴を掘ったら、30秒で穴は完成するでしょうか?
120人だったら30秒で一つの穴を掘れるというのは、論理的には間違っていません。しかし、ひとつの穴を120人がかりで掘るなんてできません。論理としてはごもっともですが、人間らしい感覚を持っていたら、「でもね......」となるところです。この「でもね......」が"人間の論理"なのだとひろ氏は言うのです。
ひろ氏は、同書のなかで「正しい論理」ほど、危険なものはないと何度も繰り返します。正しい論理が、必ずしも人間らしい論理とは限らないのです。
藤原正彦「祖国とは国語」より
情報を伝達するうえで、読む、書く、話す、聞くが最重要なのは論を俟(ま)たない。これが確立されずして、他教科の学習はままならない。理科や社会は無論のこと、私が専門とする数学のような分野でも、文章題などは解くのに必要にして充分なことだけしか書かれていないから、一字でも読み落としたり読み誤ったりしたらまったく解けない。問題が意味をなさなくなることもある。かなりの読解力が必要となる。海外から帰国したばかりの生徒がよくつまずくのは、数学の文章題である。読む、書く、話す、聞くが全教科の中心ということについては、自明なのでこれ以上触れない。
それ以上に重大なのは、国語が思考そのものと深く関わっていることである。言語は思考した結果を表現する道具にとどまらない。言語を用いて思考するという面がある。
ものごとを考えるとき、独り言として口に出すか出さないかはともかく、頭の中では誰でも言語を用いて考えを整理している。例えば好きな人を思うとき、「好感を抱く」「ときめく」「見初める」「ほのかに想う」「陰ながら慕う」「想いを寄せる」「好き」「惚れる」「一目惚れ」「べた惚れ」「愛する」「恋する」「片想い」「横恋慕」「相思相愛」「恋い焦がれる」「身を焦がす」「恋煩い」「初恋」「老いらくの恋」「うたかたの恋」など様々な語彙で思考や情緒をいったん整理し、そこから再び思考や情緒を進めている。これらのうちの「好き」という語彙しか持ち合わせがないとしたら、情緒自身がよほどひだのない直線的なものになるだろう。人間はその語彙を大きく超えて考えたり感じたりすることはない、といって過言ではない。母国語の語彙は思考であり情緒なのである。
(中略)
漢字の力が低いと、読書に難渋することになる。自然に本から遠のくことになる。(中略)
読書は過去も現在もこれからも、深い知識、なかんずく教養を獲得するためのほとんど唯一の手段である。世はIT時代で、インターネットを過大評価する向きも多いが、インターネットで深い知識が得られることはありえない。インターネットは切れ切れの情報、本でいえば題名や目次や索引を見せる程度のものである。ビジネスには必要としても、教養とは無関係のものである。テレビやアニメなど映像を通して得られる教養は、余りに限定されている。
読書は教養の土台だが、教養は大局観の土台である。文学、芸術、歴史、思想、科学といった、実用に役立たぬ教養なくして、健全な大局観を持つのは至難である。
大局観は日常の処理判断にはさして有用でないが、これなくして長期的視野や国家戦略は得られない。日本の危機の一因は、選挙民たる国民、そしてとりわけ国のリーダーたちが大局観を失ったことではないか。それはとりもなおさず教養の衰退であり、その底には活字文化の衰退がある。国語力を向上させ、子供たちを読書に向かわせることができるかどうかに、日本の再生はかかっていると言えよう。
アメリカの大学で教えていた頃、数学の力では日本人学生にはるかに劣るむこうの学生が、論理的思考については実によく訓練されているので驚かされた。大学生でありながら(-1)×(-1)もできない学生が、理路整然とものを言うのである。議論になるとその能力が際立つ。(中略)
これと対称的に日本人は、数学では優れているのに論理的思考や表現には概して弱い。日本人学生がアメリカ人学生との議論になって、まるで太刀打ちできずにいる光景は、何度も目にしたことだった。語学的ハンデを差し引いても、なお余りある劣勢ぶりであった。
当時、欧米人が「不可解な日本人(inscrutable Japanese)」という言葉をよく口にした。不可解なのは日本人の思想でも宗教でも文学でもなく(これらは彼らによく理解されつつあった)、実は論理面の未熟さなのであった。少なくとも私はそう理解していた。科学技術で世界の一流国を作り上げた優秀な日本人が、論理的にものを考えたり表現する、というごく当たり前の知的作業をうまくなし得ないでいること。それが彼等にはとても信じられないことだったのだろう。
日本人が論理的思考や表現を苦手とすることは今日も変わらない。ボーダーレス社会が進むなか、阿吽の呼吸とか腹芸は外国人に通じないから、どうしても「論理」を育てる必要がある。いつまでも「不可解」という婉曲な非難に甘んじているわけにはいかないし、このままでは外交交渉などでは大きく国益を損なうことにもなる。
数学を学んでも「論理」が育たないのは、数学の論理が現実世界の論理と甚だしく違うからである。(中略)
現実世界の「論理」とは、普遍性のない前提から出発し、灰色の道をたどる、というきわめて頼りないものである。そこでは思考の正当性より説得力のある表現が重要である。すなわち、「論理」を育てるには、数学より筋道を立てて表現する技術の修得が大切ということになる。
これは国語を通して学ぶのがよい。物事を主張させることである。書いて主張させたり、討論で主張させることがもっとも効果的であろう。筋道を立てないと他人を説得できないから、自然に「論理」が身につく。読書により豊富な語彙を得たり適切な表現を学ぶことも、説得力を高めるうえで必要である。
日本人が口舌の徒になる必要はないが、マイクをつきつけられた街頭の若者、スポーツ選手、芸能人、などが実質のあることをほとんど何も言えないのを見るにつけ、国語教育について考えさせられる。
現実世界の「論理」は、数学と違い頼りないものであることを述べた。出発点となる前提は普遍性のないものだけに、妥当なものを選ばねばならない。この出発点の選択は、通常情緒による。その人間がどのような親に育てられたか、これまでどんな先生や友達に出会ったか、どんな本を読み、どんな恋愛や失恋や片想いを経験し、どんな悲しい別れに出会ってきたか、といった体験を通して培われた情緒により、出発点を瞬時に選んでいる。
また進まざるを得ない灰色の道が、白と黒の間のどのあたりに位置するか、の判断も情緒による。「論理」は十全な情報があってはじめて有効となる。これの欠けた「論理」は、我々がしばしば目にする、単なる自己正当化に過ぎない。ここでいう情緒とは、喜怒哀楽のような原初的なものではない。それなら動物でも持っている。もう少し高次のものである。それをたっぷり身につけるには、実体験だけでは決定的に足りない。実体験だけでは時空を越えた世界を知ることができない。読書に頼らざるを得ない。まず国語なのである。
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ヒ素を利用して生存=新細菌、米国の塩湖で発見―地球外生命探索に影響も
時事通信 12月3日(金)4時17分配信
生物が生きて増殖するのに使う主要な6元素の一つ、リンの代わりにヒ素を利用する細菌が、米カリフォルニア州の塩湖「モノ湖」で初めて見つかった。米航空宇宙局(NASA)などの研究チームが論文を2日付の米科学誌サイエンス電子版に発表した。生物の概念を変える発見であり、地球外生命を探索する際にも視野を広げる必要があるという。
モノ湖はサンフランシスコの東方、シエラネバダ山脈の麓にある。湖水は塩分濃度が高く、アルカリ性で、人間など通常の生物にとって有毒なヒ素が多く含まれている。
湖底で発見された新細菌は、大腸菌と同じ「ガンマプロテオバクテリア」のハロモナス類に属し、「GFAJ―1」株と名付けられた。リンは遺伝情報を担うDNA(デオキシリボ核酸)やたんぱく質、脂質の主要な成分だが、リンが全くない環境で培養すると、代わりにヒ素を取り込んで利用し、増殖することを実験で確認した。
ヒ素は、元素の周期表で窒素やリンと同じ15族に属し、化学的性質が似ている。昔から農薬やネズミ退治の薬、毒薬に使われてきたのは、細胞内に容易に取り込まれ、さまざまな酵素の働きを阻害するためだ。しかし、研究チームはヒ素が毒にならず、リンの代わりになる細菌が存在すると予想し、探し当てたという。
地球上の生物が使うリン以外の主要元素は水素、炭素、窒素、酸素、硫黄の五つ。周期表の初めの方に位置し、宇宙や地球での存在量が多いため、生物が利用するようになったと考えられてきた。
NASAはこの発見の意義について、日本時間3日午前4時からワシントンの本部で記者会見を開く予定。
NASA発表の新型細菌に批判的な見方も「地球外生命体を語れない」-米誌
サーチナ 12月3日(金)11時22分配信
米航空宇宙局(NASA)は2日(日本時間未明)、ワシントン市内で記者会見し、生物に不可欠と考えられていたリンの代わりに、有毒なヒ素を摂取して生命を維持できるバクテリアを発見したと公表した。
この新型のバクテリアは、米カリフォルニア州にある塩湖のモノ湖で発見された。NASAは「太陽系内での生命体における今後の探索で、より広範囲で多様に、未知の生命体について考慮すべき」だと発表している。
今回の発見は、NASAが事前に会見の予告を行っていたことから米国のメディアでも話題となっていた。米ニューヨークタイムズは「ヒ素を摂取し生存するバクテリアは、生命の常識を覆すかもしれない」というタイトルで報じ、誰も予測しなかった生命体が、宇宙のどこかに存在する可能性の展望が開けたと報じている。
一方、米科学誌「ナショナルジオグラフィック」のブログサイトでは、ミネソタ大学の生物学者、マイヤー(PZ Myers)氏が、この発見に対する批判的な見解をつづっている。同氏は「発見された新型のバクテリアは、厳しい環境に適応したバクテリアから派生したものであり、地球外生命体について語れるかは疑問」と指摘している。
また「生物は驚くほど幅広い範囲で生息できることが判明したというが、我々はすでにそのことを知っていた。これは予測されていたような世界を揺るがす大ニュースではなく、ささやかな生命の物語と言えるだろう」との見方を示している。(編集担当:田島波留・山口幸治)
NASAが「地球外生命体」発見? ネットでは「宇宙人」を期待
J-CASTニュース 12月2日(木)20時2分配信
米航空宇宙局(NASA)が「宇宙生物学上の発見」について記者会見を開くと発表した。発見の詳しい内容は明かされていないが、ネット上では、会見の出席メンバーの研究内容などから、その内容を類推。「地球外に生命体が発見されたのではないか」「宇宙人?」などと様々な憶測が広がっている。
会見が開かれるのは、2010年12月2日16時(米国東部時間、日本時間では12月3日4時)で、目的は、「地球外生命体の証拠の探索に影響する宇宙生物学上の発見について議論すること」。「宇宙生物学とは、宇宙での生命の起源、進化、分布、将来に関する学問です」とも説明されている。
発表内容について説明されているのはこれだけだが、5人の登壇者の名前も発表されている。登壇するのは、NASA本部宇宙生物学プログラムディレクターのメアリー・ボイテク氏、NASA宇宙生物学研究員のフェリーサ・ウォルフサイモン氏、生物科学者のパメラ・コンラッド氏、応用分子進化財団特別研究員のスティーブン・ベナー氏、アリゾナ州立大学教授のジェームズ・エルサー氏。
この5人のバックグラウンドは、酸素を使わずに光合成を行うバクテリアなどの研究をしていたり、火星探査機の研究をしていたり、生物の進化の過程における化学反応を研究していたりと、様々だ。
■土星の「月」で光合成が行われていた?
比較的有力な見方が、ブロガーのジェイソン・コットケ氏の「土星の惑星『タイタン』でヒ素が見つかったのではないか。そして、ヒ素が光合成に利用されているというバクテリアの化学的証拠も発見したのでは」との見方だ。ニュースサイト「ゴーカー」やフォックスニュースでも、この見立てを支持する論調だ。
また、技術サイトの「PCワールド」は、「進化生物学や水生細菌といった、何か水と関係のある発見があったのでは」と予測。ネット上では「UFOが見つかったのではないか」との声もあるが、そのような報じ方をしているメディアは、現段階では見あたらない。
NASAは09年11月には、火星から飛び出して地球の南極に落下した隕石について、「隕石に生命の痕跡らしきものがある」と発表。専門家の間でその妥当性をめぐって議論がくり広げられている。今回の発表は、さらに議論に一石を投じることになりそうだ。
(Yahooニュースより転載)
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