2012年12月21日に、本当に「滅亡する」としたら──

 最近、なかなか更新が出来なくて申し訳ありません。
 慌ただしい時間を過ごしており、記事にしたいことを思いついても、ゆっくりPCの前に座る時間がなかなかもてない状況が続いている次第です。
 4月からは学生生活がスタートしますし、3年間は同じスタイルの生活が続く為、出来る限り早いうちに時間配分を考えたいと思っています。(勿論、看護学生になってからも執筆活動は今までどおり続けていきますが、YOU are EARTHとしてのイベント企画などは、学生という立場により自粛するつもりです。)

 しばらく更新が途絶えている間に、世界では色々なことが起きていましたね。エジプトの叛乱に始まり、紛争が激化する中東──そしてニュージーランドの地震など。
 去年の年明けも自然災害が続いていましたが、今年も同様にそうした幕開けになった感があります。

 こうした世界の問題を、私たちは決して「対岸の火事」で見ているわけには行きません。いつ何時、私たちも「同じような境遇になるか」分からないのですから……。
 精神世界系のライターの中には、そうした事情をあげて「備えを持て」という方もいます。
 それはそれでいいことだとは思いますが、私はどうも、そうした「物質的な備え」は結局のところ「意味がないのではないか」という気もしています。

 本当に大切なのは、「精神的な備え」なのではないか、と──。

 2012年12月21日──あまりにも言い古されたこの日にちですが、私は最近、この日付に「もうひとつの学びがあるのではないか」と思うようになりました。
 多くの方が、「本当に滅びるのか」「一体、何が起こるのか」「その日付は、真実なのか虚偽なのか」といった問題に囚われて来ました。2012年というラインに対して、精神世界に興味がある人達だけでなく、ハリウッドも巻き込んで(笑)、色々な人達が「ホントなのか? どうなんだ?」という注目をしてきたように思いますが──

 もっと「違った視点」で見ることも、出来るのではないか……そんなふうに今日、思ったのです。

 私は先程、「本当に大切なのは『物質的な備え』ではなく、『精神的な備え』なのではないか」と申しました。
 精神的な備え──すなわちは「霊的な備え」です。
 今の時代、本当に様々なことが起こっているのは、誰の目にも明かです。「自分たちの国は、絶対に大丈夫」と、誰もそんなことを断言は出来ません。「必ず危険が訪れる」と断言出来ないのと同じように、「必ず安泰である」とも、同じように断言出来ないからです。

 そうした状況を前に試されるのは、やはりひとりひとりの生き様なのではないか、そんなふうに思えるのです。

 そうですね。こんな例え話は如何でしょうか?

 あなたは、健康診断のつもりで病院に行きました。
 ところが、一度も疑ったことがなかったにも関わらず、癌の末期であることが分かったのです。
 医者からは「余命一ヶ月」を宣告されました。

 さて──あなたは、その一ヶ月間を、どのように過ごしますか?


 よくあちこちで聞くような、例え話です。
 こう尋ねられることで、人は改めて「自分の生き方」を問い直すことが出来ます。
 勿論、「考えることは出来ても、実際直接言われたら動揺してしまって、今とは違った答えになるかもしれない」そういう意見もあるでしょう。
 でも、面白いもので人間というのは「普段から考えていたこと」が現実化しても、普段考えていたことから大きく外れた選択肢を選ばないものだったりします。動揺して、今まで考えていたことと「まったく違う選択肢を選んだ」という場合、その方はさほど真剣にそのことを考えたことがなかったのだと言えるでしょう。常にいつでも「腹づもり」は、思考とその末の決断によって成り立つからです。

 では、この例え話を「もう少しグローバルな視点」で、考えてみましょう。

 あなたは、地球に生きる一人の生命体です。「今までも、これからも、自分たちは生きていく」とそう思っていました。
 ところが、一度も疑ったことがなかったにも関わらず、地球が末期であることが分かったのです。
 地球の寿命が尽きるのは、「2012年の12月21日である」と宣告されました。

 さて──あなたは、それまでの期間を、どのように過ごしますか?


 この例え話は、まるで「大差がない」ように思えました。
 個人の死と、世界の死。「まったく違う」と思う方もいるでしょうが、私たちは哀しいかな「相対的な世界」の中に生きています。
 すなわち、自分自身が死んでしまえば、世界が死んでしまったも「同じこと」になるのです。人にとっては「自分を通じて」でなければ、「世界を感じる術(すべ)はない」のですから──。

 そう思った時。
 私は「2012年に何があるとか、どんなことが起こるとかそんなことどうでもいいことで、本当に大切なのは、『仮にそうであった場合、どう生きるか』という問いかけなのではないだろうか」と、そんなふうに思ったのです。
 「終わりがくる」と思った時、人はどう生きようとするのか──。その中にこそ、その人の霊性なり生き様が浮かびあがってくるのではないかと、そんな気がします。
 「どうせ終わるなら」と、刹那的に犯罪三昧を繰り返すか──或いは、「旅立つ準備」として、瞑想なりの日々を送るか。
 もしくは、何も変わらず、今までどおりの生活を続けるか。
 たったこれだけの選択肢だけでも、その人の霊性はすでに現れていると思います。少なくとも、刹那的に犯罪三昧を繰り返す人が「霊性が高いと言い難い」のは、言うまでもなく──なので。

 様々なことが世界のあちこちで起きている「今」だからこそ、改めて考えてみる価値はあるような気がします。
 2012年──本当にそれが「人類の区切り」だとしたら、あなたはこれからの日々を、「どう生きるのか」。
 そう自分自身に問いかけてみてください。自分の中にある「意外な自分」や、或いは「決意」に気づけるかもしれません。


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どのような生き方をすることで、アセンション出来るのか?

 時折、「どのような生き方をすることで、アセンション出来るようになるのでしょうか」といった質問をいただくことがあります。
 この答えに、正答はありません。まだそれは起きてないことだから、それに対して「かくかくしかじか、こうすれば絶対に出来ますよ」なんて誰にも断言出来ないはずですし、また、どんなに霊性の高い人であったとしても肉体を纏っている以上は地球上でのルールに従わざるを得ず、そうであれば、常に正しいことを断言出来るとは限らないからです。

 ただ、「こういう生き方が望ましいと、私は思う」という意見であれば、語ることが出来ます。
 イエスでさえ、「かくかくしかじか、こう生きろ」とは言っていません。神を受け入れ、イエスを受け入れ、隣人を愛すという生き方は意識における呼び掛けなので、それを実践するかしないかはその言葉を受けた当人の選択によるものです。仏陀にしろ、他の聖人達にしろ、「こういう生き方しか『ない』」という枠にはまった言い方はしていないはずです。あくまでも、「本人の選択」という余地が残されているでしょう。

 この質問に対する私なりの意見としたら、私であればアセンションをゴールに設定して生きないことと答えるでしょう。
 私が目指すのは、あくまでも「私自身の向上」であり「地球全体の向上」でしかありません。(仮に)アセンション出来たとしても、それは私にとって「自分の行為の末に出た結果」でしかなく、通過地点でしかないからです。

 多くの方が誤解されているようですが、目標というのは「ゴールではありません」。
 新たな世界へステップアップをする為の、スタート地点に過ぎないのです。
 例えば、「いい大学に入ること」を目標にしている人がいるとしましょう。
 それが達成されても、そこが「ゴール」ではありません。それは「新しい生活のスタート」を意味するものでしかなく、また次なる様々な苦難や試練、道程が準備されていて、今までと違った新たな努力も必要になってきます。
 結婚が目標の人も、同じことです。結婚は「ゴールではありません」。そこから先にスタートする「新たな生活」の方が重要で、大切なのです。
 なのに、多くの方は目標に辿り着くことばかりに夢中になり、そこに辿り着いた後に待っている道程については、無関心であるように見受けられます。
 本当は、「そこから始まるもの」こそが大切なのに──。

 ですので、(あくまでも仮に)私がアセンションをするとしたら、私にとってそれは「ゴール」ではありません。
 「新たな霊性のスタート地点」でしかなく、アセンションという現象そのものは、さほど重要なことではないのです。
 むしろ、大切なのは「そこから先」です。
 そこに行き着いたと同時に、私は自分の霊性における「目的」を見出し、即座に次なる一歩を踏み出しているでしょう。(注意※目的と目標は、違います。目標は『標─しるべ─』であり、目的は『的─まと─』。前者は道の途中にある標のようなもので、後者は「その道を歩む為の動機」と考えたら分かりやすいかもしれません。)

 地球の向上──地球人類全体の向上として「アセンション」という通過地点があるとして、それに向けて多くの方が何らかの努力をしたり、向上しようとすることは素晴らしいことだと思います。
 でも、そうした方々に心からお願いしたいのはそれがゴールではないということを、知っておいて欲しいということです。
 時折、スピリチュアル系のブロガーの中に「アセンションしたら神々と同じ世界に行くので、何事もない平穏な世界にいける」と言っている方がいます。ある意味、それも一理あるのでしょうが、そうした平穏なる世界というのは内面が平穏であるからそう感じるのであって、外界的に「平穏」というわけではないと、私は思います。
 何故なら、そうした世界の外界には、私たちのようなレベルの惑星がいっぱいいるでしょうし、互いに殺し合っているような人達が住む惑星もあるからです。
 
 勿論、本当に次元の高い霊性になると、こうした発展段階にある惑星の惨状を「ひとつの生命の反応」として捉える場合もあるでしょう。私たちが大自然における動物達の自然淘汰──狩るもの、狩られるものの関係を見た時に、胸が痛んだとしても「これは自然における摂理で、仕方がないんだ」と感じるように、大宇宙の中で起きる惨劇も「宇宙の摂理」として受け入れている次元レベルもあると思います。
 しかし、そうした次元の霊性は、この次元における肉体周波数が合わない故に、まず「転生することはない」でしょう。ですので、肉体を持ちつつ、同じ地球上の仲間である人達の不条理な死や理不尽な迫害をみて「心も痛まない。自分はそれらを達観した神だから」というような人は──霊性が高いのではなく、その「逆」を疑う必要性があると思います。

 少し話が逸れましたが──。
 もし、「どのような生き方をすることで、アセンション出来るのか」ということを考える機会がありましたら、逆説的にアセンションした後に、自分はどう生きたいのかを考えてみるといいような気がします。
 先に挙げたように、アセンションは「ゴール」ではありません。新たな「スタート地点」なのですから。
 その地点を通過した後、どうなっていたいのか──それを考えることで、自ずと「自分の霊性が目指しているもの」を知ることが出来ると思います。

 ちなみに、私の場合は──。
 おそらく「今と大差ない」気がします。
 私は、三ヶ月ほど前の記事に書いたように、医療従事者として途上国や紛争国の援助をすることを望んでいます。(その為に受験勉強期間に入ったわけですが、ありがたいことに先日、学校から「合格通知」を頂きました。ひとつの目標は通過しましたが、これからは新たな生活と新たな努力のスタートです。)
 それは、理不尽な迫害や不平等を受け続けてきた人達と「共に成長したい」という強い願いがあるからです。
 私が仮にアセンションしたとしても、今と同じように「争いの続く惑星や不平等な惑星(今の地球のような惑星)」に貢献したい──そう思うと思います。
 おそらくはそれが私自身の霊性のレベルなのでしょうし、そこから私が学べることがいっぱいあるということなのでしょう。それ以下のもので満足するつもりも、また、それ以上のものを目指すつもりも、私にはありません。あくまでも等身大の「今、必要なこと」をして生きていくまでです。

 さて──。
 あなたはアセンションした後、どのような生き方をしたいですか?


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「エゴ」と「自個(自分の個性)」の違い

 最近実感することが多いのですが、どうも「エゴ」「自己」を混同している方が散見されます。
 エゴというのはいわゆる「我欲」です。支配欲、独占欲はもとより、「評価されたい」という欲や「注目されたい」という欲、「いい人だと思われたい」というのもエゴに含まれるでしょう。
 私はこのブログを始め、リアルな場においても「エゴは出来るだけ削いだ方がいい」ということを話していますが、そうすると「自己も、なくさなければならない」と思ってしまう人がいるようです。
 が、これは「とんでもない間違い」です。
 自己は、いわば「自分を成している霊性」とも言えるもので、これをなくしてしまうことは不可能ですし、また逆に「これをエゴとしてしまう」と、他者との境界が曖昧になってしまうだけでなく、自分の意見が見えなくなってしまい「根無し草」のようになってしまいます。この状況を例えて言えば、流れの速い河で、溺れるように流されていくのと似ているかもしれません。「想念の蠢き」が速い現在は、人々の想念がまさしく「河の流れ」と同じようなものですので、自己をなくすことにより、周囲の人々の想念に流されてしまいがちになり「河(想念)で溺れている」のと同じ境遇を作り出してしまうように思えます。

 分かりやすいよう、例を挙げてみましょう。
 あるAさんという女性がいました。
 Aさんは以前から他者の意見に流されてしまいがちなところがありましたが、「他者の意見を何でも受け入れる自分は、善人である」という錯覚にも陥っていました。
 「他者の意見を受けいれる自分は善人」というのはひとつのジャッジであり、これは「エゴ」に通じるものです。ですが、Aさんはそのことに気付いていないようでした。
 「エゴはいけない=自分を持ってはいけない=他者の意見を、何でも受け入れなければいけないと勘違いしたAさんは、あらゆる人々の無理難題を受け入れ、それがうまく行かないと毎日のように愚痴や不平不満を言うようになりました。
 人との関係というのは反射鏡のようなものなので、自分がエゴから接した相手から汲み取れる関係性も、同じように「エゴから派生したもの」になりがちです。Aさんはその渦中に、入り込んでしまったのです。
 苦しい状況に追い込まれれば追い込まれる程、人は「その状況から脱したい」と強く願うものです。ですが、そういった状況からの根本脱出を試みる為には、まず自分自身を省みることが必要でしょう。
 しかし、Aさんはそこから逃れる為に多くの不満を排出し、周囲の人や環境が自分の苦難を生み出していると非難することで「少しでも、自分の負担を軽くしよう」と計りました。その結果、ますますエゴに雁字搦めになっていってしまったのです。

 本来、こうした図式から抜け出す為に必要なのは、他者の意見ではなく自己の意志です。
 自己は、エゴに通じていません。
 私たちは、この世に誕生する際、「あるひとつの目的意識」を持って生まれてきています。この世に生まれる以上、どんな人であれこの世で果たすべき自分なりの目的があるはずです。
 そして、その「目的を達成する為の意志」こそが、自己なのです。
 これが「エゴにイコールとはならない」というのは、何となくでもお分かり頂けると思います。
 「自己」とは、そこに虚栄心や欲など「負のおかざり」がつかない純粋なエネルギーであり、
 「エゴ」はそうした目的意識のない、いわば「負のおまけ」でしかない
のです。
 もっと分かりやすく言えば、「自己」はひとつの方角を指す「エネルギーの方向性」であり、
 「エゴ」は、「方向性がない、ふき溜まったどんよりしたもの」と言う感じでしょうか。

 Aさんのケースの場合、「ふき溜まったエゴ」に翻弄され、「純粋なエネルギーの方向性を見失ってしまった」のです。
 勿論、これはどんなに明確な目的意識を持っている人でも、状況や場合によって一時的に方向性を見失うことは多々あります。
 しかし、「自己(目的意識の方向性)」を明確に持っている人であれば、どんなにふき溜まったエゴが暗雲をもたらしても、雲の上では、道を指し示す星がいつも照らしていることを知っているので、遅かれ早かれいつしか道に戻ることが出来るでしょう。

 最近、どうもこうした「自己とエゴの境界が分からず、想念の速さに翻弄されてしまう人」が多々見受けられる気がします。
 もしかしたら、「自己」という漢字から受ける印象も良くないのかもしれません。ここでいう「自己」は己(おのれ)に属させようとさせる支配心を言うのではなく、あくまでも「個性」──いわば「自(分の)個(性)」です。おなじ「じこ」という読み方なら、自己ではなく「自個」と書いた方が意味が煩雑にならなくていいのかもしれません(笑)。

 もし、自分が「他者との境界を見失っている」或いは「何かに翻弄され続けている」ような状況下に陥ったら、自分自身に、問いかけるのが一番だと思います。

 自分はこの状況下で、どうしたいのか?
 自分はここから先、どうなりたいのか?
 自分が信じているこの意見は、本当に自分の意見なのか?


 神は、人々すべてに宿っていると言われています。
 そうであるならば、「自分」を蔑ろにすることはイコール「神を蔑ろにすること」にも繋がりかねません。
 日本人は特に、「自分」というものに否定的な傾向がありますが、日本民族の持つ「伝導体気質」を活かしつつ自己ならず「自個」を持つのは、充分に可能なはずです。
 自個がなければ想念に流され、ふき黙ったエゴのエネルギーに呑み込まれてしまいかねません。情報の展開が早く、同時にこれだけ多くの情報網がある時代だからこそ、明確な「自個」を持ち、エゴとの境界を認識しているのが大切だと思える昨今です。 

【お知らせ・1】
 受験の状況はだいぶ落ち着いて来たのですが、別件で急激に多忙になってしまい、一週間ほど更新が空いてしまいました……。
 おそらくこの状況は3月末頃まで続くと思われますが、出来る限り時間をとって更新を続けていきたいと思っています。
 また、小説サイトのINDEXでお知らせしたとおり、多忙になってしまった関係で日曜日、週一回の更新に変更させて頂きました。ただし、3月末までの予定がかなり過密スケジュールの関係で、この時期だけは不定期(隔週更新になる、など)になる可能性が高いです。こちらはまた予定が決まり次第、小説サイトの方でお知らせ致します。


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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

【篠崎編集担当】


【篠崎の著作本】

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