分解すればする程、『自己存在』の謎は残る

 早くも暦はGWに突入しましたが、皆さんはこの連休如何お過ごしの予定ですか? 
 私はこの連休期間で溜まっている執筆を済ませ、その他は学校の課題と復習に明け暮れる予定です。ゴールデンウィークならず、「がんばれウィーク」です……(涙)。

 震災の影響による地殻の変動で関東にも大地震が起こるのではないかと言われたり、太陽が突如活動期に入ったり、アメリカで未曾有の竜巻被害が起こったりと、去年よりもまた一段と今年は変動が激しいように感じます。
 ですが、ずっと前の記事にも書いたようにどんなに波が荒れ狂っていても、穏やかな深海の境地でいることは可能だと、そう思います。どこでも、どんな時でも──。
 例えば、喧噪に満ちた都会の真ん中でふと静寂を感じてみたり──或いは、何かに急かされて慌ただしくしていなければならないような時に、ふと「時間が止まっている」ような感覚を覚えることなど、皆さんにも時折あるのではないでしょうか。
 私はそうした「深海のような静寂」こそが、「今」という瞬間の中に存在する永遠を感じている時なのだと、そう思っています。
 以前も書いたように「今に生きる」というのは刹那的に生きるとか、後先考えずに生きるということではなく、「今」の中に存在する壮大な歴史と、永久に続く未来を感じ取ることなのだと、私はそう解釈しています。時間は映画のフィルムのような連続的なものではなく、「一瞬」という中にすべて含まれている──そう感じると、不思議なことに恐怖も焦りも消え、そこにはただ「自分」という存在だけがいるのを感じ取れるような気がするのです。

 そう思った時。
 ふと、疑問に感じました。
 「一瞬の中に永遠を見ているのは、果たして何(誰)なのか」と。
 
 こうした問いの答えを、多くの哲学者、心理学者達が希求してきました。
 もっと分かりやすく言ってしまえば、「『私』って、何ですか?」って言葉に集約出来るかもしれません。
 多くの事件が起きて、様々な哀しい事象が起きて──世界中に嵐が吹き荒れている中、その中に立っている「私って、何なんでしょう」と。
 勿論、ここでいう「私」というのは篠崎単体をさしているのではなく、「みなさん個々における『自己存在』」をさしています。
 ですが、「人間」という言葉で置き換えることは出来ません。それは「私」という内側をみる呼び名ではなく、あくまでも生物学的分類でしかないからです。ここで私こと篠崎が拘っているのは、「私」とは「人間単体」という括りではなしに、相対的空間に閉じこめられている自己存在であるという前提に立ちたいということなのです。

 「私って、何だろう?」

 そんなふうに、皆さんも考えたことありませんか?
 そもそも、今世界で起きている現象を見て「哀しい」とか「何とかしたい」とか、そんなふうに感じている「この私そのもの」って、一体何なのだろう──。「私」というのは、何で出来ているのだろう? マザーグースにあったように、砂糖で出来てたり蜜で出来てたりするのが「私」なのだろうか?

 もう何世紀も前から問われ続けてきた「根源の問題」が、21世紀になった今でも「あやふやなままになっている」というのは、何とも奇妙な話です。
 そもそも「ここを定義しない限り、何も始まらないのではないか」とさえ思えます。
 医学も科学も「魂なんてものは存在しない。前世なんてものもない。すべては脳でつくられる」なんて叫ぶ割には、根源的に「『私』とは、どういう現象なのか」を理論的に証明出来てないから片腹痛いですね。

 とはいえ、私ははなっから西洋医学や科学を否定しているわけではなく、むしろ「見えない世界」を探究する為には、まずは「見える世界」を徹底して探究すべきだという視点に立っています。
 これと同じニュアンスのことをルドルフ・シュタイナーも言っていて、彼は門下生達に、「自然科学」として周囲にあるあらゆるものをスケッチさせることから、神秘世界の勉強をスタートさせたそうです。そして、「植物を描く時は、大地に埋まっている根までも描け」と言っていたのだとか。要するに、目に見える法則性の中にあるものは、目に見えない領域にいっても法則性として残されているから、「目に見える大地の上の植物をきちんと観察出来れば、その法則性から大地の中にある根の生え方も分かるはず」という視点に立っていたわけです。
 私も、シュタイナーのこの言い分が分かる気がします。
 高次元となれば、確かに私たちの次元では想定出来ないようなことも多々あるでしょう。しかし、その法則性は決して今の次元の法則性を逸脱しておらず、ただ「より複雑性が増しただけ」なように思えるのです。

 例えば、タンパク質を合成する「アミノ酸」の分子配列でみてみましょう。
 この配列は二次元的な「一次構造」から始まって、折り重なるような「二次構造」、さらに立体になるような「三次構造」「四次構造」といった段階があります。
 平面的な一次構造と、より複雑な四次構造を比較した場合、四次構造と一次構造の配列が「大きく違うか」といえば、そんなわけではないのです。一次構造の一部が、特殊な結びつきをしたのが高次構造なのであって、一次構造の配列はどんなに高次化しても基盤の中に残されています。

 私たちの次元も「同じような仕組み」なのであれば、私たちの次元における法則性が高次にいけば「まったく関係なくなる」といったわけではないのだと思えます。
 そうした意味でも、この次元(物質世界)を構成している要素を科学的に学ぶというのは無駄なことではないどころか、高次元や目に見えない世界を探究するには「必要不可欠」と言うことも出来るでしょう。ルドルフ・シュタイナーにしろ、スウェーデンボルグにしろ、物理学の権威だった人達がのちに神秘思想や精神世界の代表者となったことを思えば、うなずける気がします。

 私たちはいつでも、この「法則性」の中に生きています。物質世界に生きている以上、どんなに抗いたくてもこの法則性からは逃げられません。
 例えば、一羽の雀が飛び立とうとした時──その雀は「飛びたい」という意志だけで飛んでいるわけでは決してありません。「飛ぼう」という意志が神経伝達物質を放ち、それらが筋肉に作用して飛び立つまでの道程に至るのです。
 また、「飛びたい」という意志も風の向きなどにも影響しているでしょうから(勿論、そんなこと雀にとっては無自覚でしょうが)ここでも大気の法則性に拘束されていることになります。

 私たちの肉体においても、同じことが言えます。
 私は今、PCに向かってテキストを打ち込んでいますが、私が「考えていること」が神経を通じて指先まで届き、その指先を動かす為に上腕の筋肉が動いて、そうすることでこうやって文章を打ち込むことが出来ています。
 造作ない日常的作業のように思えますが、実際この作業に関わる細胞は数え切れない程存在し、それらが一丸となって動くことで、私はこの文章をこうして残すことが出来ています。その作業に関わる細胞、臓器、どれがひとつ欠けたとしても、私はこの記事を書くことが出来ません。
 また、どんなに体が動いたとしても、仮にPCが動いてくれなければ元も子もありません。先程の雀の例と同じように、私たちは「何かひとつの動作をする為にあらゆる法則性を駆使して作業し、かつ、他の法則性との連動によってそれをようやく成し得ることが出来るのだ」ということを実感出来ます。

 しかし──ですね。
 どう考察しても、この「物理的な法則性」から、精神の閃きは「解き放たれている」ように思えるのです。
 精神の中で起こる閃きは、物理的法則性と「まったく無関与」というわけではないでしょう。むしろ連動し合っている部分もあるように思えます。(「マトリクスエネジェティクス」にあったように量子領域を主に考えるのであれば、精神が主で、肉体が従ということにもなり得るでしょう。)
 例えば、「私」という存在を分解に分解しまくって──それこそ「一片の細胞」まで分解して考えたとしましょう。
 私の臓器、筋肉、神経組織とを分け、脳から発せられた「文章を書け」という信号が神経から指先まで届く流れを図式化出来たとしても、どうしたところで「文章を書け」といったその根源の存在を、物質的肉体だけでは証明しきれないように思えるのです。
 「人間のこころは、脳の電気信号だけで生まれる」と、そう断言出来てしまう人がとても不思議でなりません。まるで「天動説が当たり前なんだ!」と信じている人達を見ているかのような、そんな気がしてしまうのです。  

 そうなると、やはり「文章を書けと命じた本体」である「私」という存在は、「一体なに?」という出だしに戻ってしまうわけです……。

 分子構造、DNAの配列、細胞学、臓器と神経の関係性──人間の肉体を「これ以上分解出来ない」という段階まで分解し尽くしても、きっとこの問いは「残されたまま」になるだろう──そう思います。
 それは、「人間の存在を紐解くには、物質的次元を超える必要がある」すなわち「人間存在そのものが、物質的次元を超えたものだから」なのかもしれません。
 様々な問題、様々な事象が起こっている今だからこそ──私たちはもっとも根源的な問題、「私とは何なのか」に立ち返る必要があるのかもしれませんね。


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2011-04-30 | 真理 | トラックバック(0) |

アセンションを「目的」にしてはいけない

 以前、「どのような生き方をすることで、アセンション出来るのか」という記事を書きましたが、時折「アセンションという現象に対する多岐に渡った解釈」に首を傾げたくなることがあります。
 その中でも、私が以前から疑問に思っているのはアセンションすること「そのもの」を、目的にしてしまっている人が散見される点です。
 勿論、アセンションという現象そのものは「個々人における相対的なものでしかない」ので、「これが正しい」というものもなければ「これは間違い」というものもありません。しかし、仮に「アセンションが行われる意味」という視点で考えたら──「アセンションすることそのものを、目的にする」という姿勢は、本筋の目的から外れているのではないか……そう思えるのです。

 例えば──。
 聞いた話に寄ると、アセンションが間近に迫っているため「完全な菜食主義」に転向したり、まるでかつての苦行者のように常人の生活では考えられないような極端にストイック生活を送られている方などもおられるようです。
 ご自身で納得されてやられている以上、私がつべこべ言うのは烏滸がましいことですが──ただ、「アセンションの為に菜食主義にならなくっちゃ!」とか、「アセンションの為に○○しておかなくっちゃ!」というのは、どうもアセンションという現象を、物質的な視点でしか捉えていないように、私には見えてしまうのです。その視点と「震災が来たら大変だから、買いだめしておかなくっちゃ!」という視点は、大差がないように思えてしまうのです。

 先程、「アセンションは個々人における相対的なもの」と書きましたが、その根拠はこのブログで何度も書いたように「この次元において、人は相対でしか存在し得ない」からです。
 例えどんなに気持ちを共有しあったとしても、Aさんの抱いた気持ちとBさんの抱いた気持ちは、(この次元の上では)分離されています。
 しかし、ここ最近言われている「共時性」などが起こっている次元においては、AさんとBさんは「言葉で確信しあえないながらも、精神領域の完全なる融合」が成されている可能性が高いのです。

 私たちは、「今」こうして生きている時点ですでに多次元でも生存しているのです。
 分かりやすく言えば精神的領域は、すでに一部高次元に属しているということになります。それを、ルドルフ・シュタイナーの言葉を借りて表現すれば「エーテル体(植物界=エーテル界)」「アストラル体(動物界=アストラル界)」が人間の生活領域に入り込んでいるという言葉で表現出来るでしょうし、また、スウェーデンボルグの言葉を借りれば、「人間は常に、生きている間もどこかの霊界の市民として生きている」という言葉になるでしょう。

 今回のアセンションは、「肉体がそのまま次元上昇する」と言われている為、「菜食主義に走らなくっちゃ」とか「体を清めなくっちゃ」といった発想に結びついてしまうのかもしれません。
 しかし、どんな時でも、常に主体は「こころ」であり「魂」です。いくら肉体の波動があがるといえども、こころが淀んでいたら決していい変化はないでしょう。「あなたが死んだ後どの霊界に行くかは、『あなたのこころの状態』で決まる」と言われているように、アセンションする場合も死んだ後の霊界同様、こころの状態で決まるのではないか──私はそう思っています。
 そうでなければ、どんなに逆立ちしたところで「ユートピアは築けない」からです。例え菜食主義の人が大勢集まろうと、体の清い人が大勢集まろうと、そこに欠片も思いやりが存在しないのであれば、生まれた世界も今まで同様、争いの絶えない世界となってしまうでしょう。
 アセンションで問われるのは「外見」ではなく、「中身」なのでしょうから──。
 そうである以上、私達は「形だけ」アセンションという言葉に追随するのではなく、「その現象が何故、今の時代において注目されているのか──そして、それが意味するものは何なのか」を考え、「その先にあるもの」を見つめるぐらいの思いで生きる必要があるのでしょう。
 冒頭であげた記事にも書きましたが、アセンションは「ゴール」ではなく、「新たな時代のスタート」なのですから……。

 ちなみに──。
 このようにアセンションへの蘊蓄を語る私ですが、私自身は、自分がアセンションすることに「まるで興味がない」のです。
 それは、私自身が「地蔵菩薩の誓願」を目指しているから──かもしれません。
 地蔵菩薩の誓願というのは、「一切衆生みなが覚った後、一番最後に私は覚ります」というものです。本来であればとっくに如来になれていたはずなのに、地蔵菩薩はそれを拒否して人間界に下り、救済の道を歩んでいる──というのが、この誓願の内容です。

 私は確かに、強く「新たな調和的時代の訪れ」を望んでいます。
 でも、それは「少数の人達だけが到達しても、意味がない」のです。
 願わくば、地球に生きる多くの仲間達と共に──その時代を希求する「すべての人」と共に、到達するのが望ましい。
 だったら私は、「どのような時代が、新たな調和的時代の青写真となるのだろうか」ということの模索に力を入れたい──そう思っている今日この頃です。


◆ツイッターでも紹介しましたが、篠崎が大好きで1日に何度も見てしまう動画「Where the Hell is Matt? 」
 私たちは多くの国々と、多くの人種と共に生きていて、共に笑い、共に喜び、共に分かち合う為に「ここに存在する」。
 それがどれほどまでに尊いことなのかを、思い出させてくれる動画です。

 http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=zlfKdbWwruY 


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現実の中にこそ、神の息吹が潜んでいる

 ここ数日、更新が途絶え気味でごめんなさい──。学校が始まってからというもの毎日が慌ただしく過ぎていくので、ゆっくり読書や執筆する時間が減ってしまっておりました。
 おそらくペースが掴めるようになればだいぶ自由時間も増えると思うのですが、今はまだ入学してから二週間足らずなので、学校生活に慣れるので精一杯といった感じです。
 また、普通大学などと違って看護学校はカリキュラムが「かなり厳しい」です。
 90分授業が朝から夕方までみっちり4コマ。内容も初回授業からいきなりスピードUPする教科がほとんどなので、復習に時間を費やさねばなりません。もっとも、私からすると「アラビア語の学校よりは、まだ楽」のように思えるので(アラビア語は何せ、暗唱させられるのがキツかった──)、今のところ慌てふためくところまでは行かずに済んでます。

 解剖学は二度目の受講になりますが(一回目は高校時代。当時は「基礎医学」という名前でした)精神世界の探究をしてから改めて解剖学を勉強すると、その「深さ」に溜息が出ます。
 高校生の頃にやった基礎医学は本当に退屈で──ただの暗記教科としか思えなかったのですが、魂の働き、霊性──或いはシュタイナー理論に出てくる人間の分析などを踏まえて解剖学を見直すと、「何故、科学者はこれほどまでの神秘を前にして、『魂なんてものはない』と言えてしまうのだろう」とかえって疑問になりました。
 学校に入る前はを想像していたのです。
 先日紹介した「マトリックスエネジェティクス」の中にもあるように、今や「治療の最先端(と、断言してしまっていいのかは分かりかねますが)」と言えるのは、目に見えない量子フィールドに直接働きかけると言ったものだったり、或いは東洋医学的に「人間の全体像を包む、目に見えない気に働きかける」と言ったものが注目されています。
 西洋医学は人間を分解して部分的に扱い、「人間ひとりの全体像」として見ることは少ないです。その為、病院に行けば胃腸科、泌尿器科、内科、脳外科など、「その臓器単体」の科にかからなければなりません。(勿論、大きな病院やがんセンターなどでは、いくら内科の患者さんとはいえ合併症などが起きた場合に、他の科の医師も一緒に参加して治療を模索するといった場面もありますが、まだまだ全国すべての病院に波及しているわけではありません。)

 なのです、が。
 解剖学をやっていると、「何故、そのような部品的診察になってしまうのか」ということの方が「謎」に思えるのです。
 どんな臓器だって、必ず「連動」しています。それは、細胞の動きひとつとってもそうです。どの臓器、どの細胞にしても、「単体」で動いているものはありません。みんな関与しあって、互いに協力しあって(勿論、臓器と細胞に協力の意図はないでしょうが)「人間という個体」を創り上げているのです。
 それはあたかも、人間が創り上げる社会と構造が似ています。
 要するに、ここでもフラクタル理論なのです。
 人間の体には細胞が60兆個あると言われていますが、それは例えば60兆いる人間が、ひとつの星に住んでいるようなものと思うことも出来るような気がします。

 細胞、臓器の働きを知れば知る程、それが「人間が創り上げる社会とよく似ている」ことが分かって、面白く思えます。唯一違うのは、細胞や臓器には「自己がない」ということぐらいです。まぁ、そのおかげで人間は細胞や臓器のストライキにあうことなく、無事に生きていけるわけですが。(しかも、細胞・臓器は戦争もしなければ、紛争もない──。本当にありがたいですね((笑)))

 「臓器、細胞に着目してしまうと、魂や霊の存在が否定されるのではないか」と思える人もいるかもしれません。
 いえ──。むしろです。
 臓器や細胞の働き方がどんなに人間社会の構造に似ているとはいえども、臓器と細胞によって人間の意志が存在するという証明にはなりません。
 臓器も細胞も、人間から切り離されてしまえば「ただのモノ」に変わるのです。臓器がムズムズ動いて歩き出したり、人間の細胞が勝手に増殖していくことはありません。
 多くの科学者や医学者は「脳に、人間のこころが存在する」と言いますが、脳だって臓器のひとつです。脳に「こころが存在する」というのであれば、脳を人間から切り離すと「勝手に動き出す」とでも言うのでしょうか? 

 臓器も細胞も、そこに見えない力が働かなければ、決して「人間として、動き出さない」──そう思えます。
 動き出す以外に、思考も、感動も、何も生じることがないでしょう。
 それはあたかも、PCの「部品だけ」が転がっているのと同じことです。
 部品を組み合わせることで、「PCの本体」は出来るでしょう。しかし、プログラミングがされない限り、本来のPCの働きをすることは出来ません。
 でも、その「プログラミング」を、PCは「自ら」出来るのでしょうか? 部品が組み上がった段階で、PCは勝手に「ウィーンうぃんうぃん……」と唸りながら、自分でプログラムするのでしょうか。
 そうではなく、プログラマーがPCに命を吹き込みます。
 だとしたら──人間も、同じような仕組みなのではないでしょうか?
 PCにとってプログラマーが「命を吹き込む」のであれば、人間にとってのプログラマーというのは、一体誰なのでしょう。
 そして、PCに書き込まれた情報と同じように、人間に刻み込まれた情報は、一体誰の手によって──そして、どこから送られて来たものなのでしょう。

 そんなことを考えていると、医学はまだ何も、人間の神秘を解き明かしていないじゃないかと、そう思えるのです。

 私たちが「当たり前だ」と思って生活していたものを、改めて分解していくことで、かえってその存在意義や「それが存在することへの神秘」に気付かされます。
 精神世界とは真逆にありそうな解剖学の中に、「神の息吹」が見えてくるのです。
 いえ──おそらくそれは解剖学だけではないのかもしれません。
 私たちがこうして生きている「空間」そのものの中に、多くの息吹が含まれているのでしょう。要は「それに気付くか、気付かないか」──その差だけなのかもしれません。


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↑先週の土曜日、篠崎宅に届いた野菜BOX。……相変わらず写真の撮り方が下手くそでゴメンナサイ──;


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2011-04-18 | 真理 | トラックバック(0) |

魂の衝動で動く

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 昨年4月・イギリス/コーンウォールのリトリート中の写真(撮影者:井上貴子さん
 

【お詫び】4月15日記
女川の地名表示を誤って掲載しておりました。岩手県と表示してしまっていたのですが、正確には「宮城県牡鹿郡女川町」です。
被災地の方に対して、とても失礼なミスをしてしまいましたこと、深くお詫び申し上げます……。
ご指摘下さった方、誠にありがとうございました──。


 エハン・デラヴィさんことJ.Cガブリエルさんが、ついに宮城県の女川町に到着しました。
 3月29日に日本入りして、約2週間に渡る日本縦断の旅。途中バイクがオイル漏れしたりなど様々なことがありましたが、避難所に救援物資を運ぶことも出来ました。

 私は、今回エハンさん(どうしてもやっぱり「エハンさん」という言い方に慣れてしまっているので、こちらで表記します。ご本人の許可も頂いているので──)がされたことは、本当に素晴らしいことだと思いました。今回の企画は完全チャリティなので、エハンさんの利益になることはまったくありません。何のメリットも求めず、ただ魂の衝動のままに、今回の巡礼ともいえる道程を果たしたのです。

 エハン・デラヴィと言えば、多くの方にとって「ああ、あの2012年論の──」という印象だと思われます。こういう括りは不適切かもしれませんが(というよりも、本人が嫌がるかもしれませんが)「精神世界系作家」という認識が、ほとんどだと思います。
 正直、最近私にとってこうした「肩書き」は、「あまり意味がないんじゃないか」と思えるようになりました。誰だって、「何かになろう」と思った時、それはすでに「肩書きの一部」になっているような気がするからです。
 要するに「肩書き」というのはその人が努力した結果であって、本当に大切なのは結果である肩書きよりも「なりたいとする思い」──すなわち魂の衝動なのだと思うのです。

 そうした意味で、エハンさんは「魂の衝動」のままに、「自分が出来ること」を追求したのだと思います。
 私はこうした生き方が本当の霊的な生き方のように思えます。
 霊的な生き方というのは決して机上の空論でもなければファンタジーでもなく、現実─リアリティ─の中で如何に霊性の声を実践していくかということなのではないかなと、そんなふうに思えるからです。

 「魂の衝動で動く」時、人は「自分の行為の成果を、他人には求めなくなるもの」なのだと思います。
 純粋な思いで「被災地に役立ちたい」と願い、ボランティアに向かった人達──或いは、自分も被災しているのに、避難所生活を送られている方々の力になりたいとボランティアをする現地の人達。
 魂の衝動の中で動いた人達にとっては、その行為がどう受け取られようと、そんなことは「些細なこと」のように感じるような気がします。
 仮に、前回の記事にあげたお兄さんのように、ボランティア行為をする人達に対して好意的に見てくれない人を前にしても、「魂の衝動で動いた人」は動じないだろう──そう思います。何故なら、自分のしている行為そのものが「自己実現」に直結しているので、脅かされようもないからです。
 例えて言えば、多くの人達にとって「生きる」という行為は「魂の衝動」です。だから、他の人から「お前、何で生きてるんだよ。お前が生きてるの見ると、イライラするんだよ」と言われても、「はぁ、さよですか……」しか言いようがないと思うんですよね。
 仮にその言葉を真に受けて「そうか! 私なんか、生きてちゃいけないんだ!」と思うとしたら──それは、ひとえに「生きるという行為そのものが、魂と直結出来ていなかった」ということのような気がするのです。

 今回のボランティアも、同じことのような気がします。
 魂の衝動ではなく、「他者からの評価」を期待しての行為であれば、辛いことがあった時にへこたれて投げ出してしまうかもしれません。
 しかし、「魂の衝動により、突き動かされた行動」であれば、その辛ささえも「糧」だと思うことが出来るでしょう。私たちが生きていく中で辛いことがあったとしても、そうそう投げだそうとしないのと同じように。

 そう考えると、結局こうした状況で問題となってくるのは、自分がしようとしている行動は、果たして『どこ』に根をはっているのかということなのでしょうね。
 魂に根をはっていれば、その芽は大きく育ち、やがて大樹になるかもしれませんが、もしも「周囲の意見や、人々の評価」に根をはっていれば──やがて時代の流れが変わった時に、その芽は育つことなくせっかくの種を腐らせてしまうかもしれません。

 エハンさんがこうして使命を達成出来たのは、確かに多くの方々の協力があってのことです。応援した人達、声援を送り続けた人達の存在が、確かにエハンさんの(ただでさえパワフルな((笑)))魂に火をつけたのは事実です。
 でも、もしも反対者がいたとしても、エハンさんはきっとこの使命を「やり遂げた」──そう思います。
 何故ならそれは、エハンさんが魂の衝動の中で、動いたからです。

 私は今回、エハンさんと福島に物販を運ぶ件で、何度か相談を入れていました。
 しかし、私自身は学校が始まってしまった理由により、それを達成することが出来なかったのです。
 そのことを、私は今でも恥じています……。
 私が福島入りを決意したのと、エハンさんが被災地入りすることを決意したのは、ほぼ同時期でした。しかし、私は日常における様々な拘束によってそれを達成出来ず、かたやエハンさんはそれを実行し、達成したのです。
 
 今回、「魂の衝動で動く」というメッセージは、誰よりも自分自身に向けて、反省の意を籠めた言葉なのかもしれません(苦笑)。
 でも、私は必ず行こうと決意しています。
 放射能について、私は恐れていません。「そこに人がいた」以上──何の罪もない人達が、生活と幸福を奪われてしまった事実がある以上、私は恐れることなく、必ず向かいたいと思っています。
 それはこれからの未来、「原発を使わないでいい方法」を模索するのに、絶対に必要なことだと思うからです。

 見えない恐怖に怯えるぐらいなら、その恐怖に立ち向かい、克服する道を選びたい──私はそう思っています。


【エハン・デラヴィさんことJCガブリエルさんの活動ブログ】
http://hopebook.jp/

【お知らせ】すみません; まだ一部の方へのメールレスが遅れております。近日内に返信しますので、今しばらくお待ちくださいませ。

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(続)辛くても、全体を見なければならない

 篠崎の旧知の友である麻日さんが、非常に興味深い記事を掲載していました。

 受止めるってこと
  http://ameblo.jp/asahi-suntree/entry-10857984228.html

 この記事は、とある福島の男性の言葉(麻日さんの記事内にリンクがあります)について触れたものです。
 リンク先の記事を読んだ私の素直な感想は「こう感じる人が、いて当然だ」というものでした。
 被災地にいる人達が感じた恐怖は、私たちにとって計り知れないものです。このお兄さんが言うことは「もっともだ」と思うし、深い傷になってしまうのもやむを得ない──そうも思います。

 でも、「だからこそ」──私だったら「厳しいことを言うだろうな」と、そう思いました。
 以下、麻日さんのところで私が書き込んだコメントを転載します。

■いい記事の紹介を、どうもありがとう──

 こんばんは、由羅です。ちょこちょこ覗いてますよ~(笑)。

 すごく考えさせられる記事の紹介、どうもありがとう。私は、ここに出てくる「お兄ちゃん」とやらの気持ちは、よく分かる。
 分かるからこそ、私だったら「厳しく発破をかける」と思った──。

 私には「果たしてこのお兄さんが欲しいのは、優しさや愛情なのだろうか?」と疑問に思えるんだ。
 このお兄さんが望むのは、「独り立ちして、生活を立て直すこと」であり、それが出来ない現状に対してどうしようもない憤りを抱えているのではないかと、私の目にはそう映った──。

 「立ちたくない」と思っている人を無理に立たせることが復興の本当の目的ではないから、このお兄さんのように頑なになってしまった人には、「何もしないでおく」のが一番いいのかなとも思う。
 ただ、私がこのお兄さんに発破かけるとしたら、「みんながみんな、自分と同じ境遇だと思ったら、それは『甘え』ですよ。一刻も早く復興したいと望んでいる人達だって大勢いるし、幼子を早く安全の地で育てたいと思っているお母さんだっているはず。あなたの視点だけで、すべてを決めつけることは出来ませんよ」──そう言うかな。
 傷ついている人に「厳しいことをいう」というのは、自分も「それ以上の傷」を負うことになるけれど、その覚悟を「背負うことだけ」が、私にとって「このお兄さんに出来る、唯一のことだろうな」と、そう思った。



 今回の震災でもっとも大きな課題があるとしたら、それは人間はひとりで生きているのではないということを、学ぶことにあるのだと、そう思います。
 このお兄さんの痛みは、よく分かります。でも、やはりそれは「個人的な痛み」でしかありません。
 子を失った母の痛み──愛する人を失った人の痛み──被災地には、多くの「痛み」が存在していて、それをみな心の奥深くに抱え込みながら「今」という瞬間を生きているということも、このお兄さんは目を向けた方がいい、私はそう思いました。
 ただ、それは必ずしも時間で解決出来るものではないので、このお兄さんの「底力」にかかってくるかもしれませんが。

 皮肉なようですが、「個人的な痛み」から立ち直れるかどうかは、「個人の力」に頼るしかありません。
 誰も手を差し伸べてくれるわけではない、自分の力で、立ち上がるしかないのですから。

 私も、自分が何か辛いことがあると、誰にも相談することなく「ひとりでじっくり、向き合おう」とするタイプですから、このお兄さんが言うように「復興復興って、うるさいんだよ」と思ってしまう気持ちも分かります。「じっくり自分に、考える時間をくれよ」というのも、正当な意見だと思えます。

 でも、問題は「彼一人の問題」ではなく、「多くの人が絡んでいる問題だ」ということなのです。

 彼の意見を読んで憤慨し、ボランティアや復興の活動をやめるという人には、私だったら「どうぞ、やめてください」と言うでしょう。そんな生半可な気持ちでするのは、かえって被災地の方に失礼です。誰だって読んで「いい気持ちはしない」でしょうが、「これが現実─リアリティ─なんだ」と認める強さが、私たちには求められているのでしょう。
  
 被災地の人も、そして、今こうして平穏な生活を送れる私たちにとっても必要とされる視点は、局所だけを見ず、全体を見るということなのだと思います。
 辛さからくる一時の感情で揺れることはあったとしても、絶えず広く視野を広げる努力を続けていれば、常に真意で行動が出来る──私はそう思っています。
   

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「今を生きる」という言葉の、本当の意味

 今日はJ.Cガブリエルさんの講演会「これからだよ、日本は!」でした。

201104091554000.jpg
★「希望の本」を抱くJ.Cガブリエルさん。……画像が粗くて申し訳ありません;  

 ……なのです、が!
 (-_-;)あろうことか篠崎、電車を乗り違えてしまいまして──気がついたら千葉方面まで運ばれて行ってしまっていました。(しかも乗ったのが「快速」だったので、間違えたことに気付いてもなかなか止まってくれない──((泣)))
 慌てて引き返したものの、1時間の遅刻……。主催のP.P.Pプロジェクト様には、本当にご迷惑をお掛けいたしました……(猛省;)。

 私が入った時には、ガブリエルさんが熱く語られている最中でした。あのパワーは、今の日本にとって必要だなと本当に思います。また、大本眞基子さんによるルーミーの詩の朗読は本当に素晴らしく、自然に心に染みこんでくるような感じでした。
 ルーミー自身は男性ですが、大本さんによる朗読を聞いて改めて「ああ、きっと女性としての感性を持ち合わせていたんだな」と感じました。(ある意味、詩を書くという才能そのものが、性を超越している部分があるのかもしれませんが──)
 大本さんの朗読によるルーミーのCDが発売されるそうですが、今から楽しみにしている次第です。

 以前からガブリエルさんは「今を生きる」ということを繰り返し言っておりますが、この言葉を誤解されている方も中にはいらっしゃると思います。
 真理というのは如何せん「どのようにも解釈出来る」ことが多く、「今を生きる」というのもそのひとつだと実感します(逆に言えば、真理に近い言葉ほど「どのような解釈も出来る」という側面を孕んでいるようにも思います)。
「今を生きる」というと、多くの方は「今という瞬間を実感する」と解釈されるかと思われます。「過去もなく、未来もなく、あるのは『今だけ』なんだ」──と。
 確かに、その解釈も一理あると思います。しかし、本質の「今だけ」という意味は、もっと奥深いもののように思えるのです。

 私たちは、どうしたところで時間を「一本の繋がった長いフィルム」のように解釈しがちです。
 昨日の続きは「今日」であり、今日の続きは「明日」であると、そう思いこんでしまっています。
 しかし、それは「脳が勝手に記憶の中で改ざんしただけ」であり、決してそれが「時のあるがままの姿」ではありません。

 時というのは「事象」ではなく、「概念の中にしか存在しないもの」なのだと、私には思えるのです。

 概念から「時」を解き放った時──まさしく、そこに残るのは「今」というこの瞬間しかありません。
 でも、時間を概念から解放した場合、未来も過去も『今』という瞬間に含まれてしまうのです。
 要するに「今を生きる」というのは、「今という瞬間しかない」という意味ではなく、すべてを含蓄した『今』という意味なのでしょう。意識を「今」に焦点をあてた時、私たちは刹那主義になるのでもなく、また、未来を放棄したわけでもない──「未来も過去もひっくるめた『今』しか、存在しない」ということを実感出来るのだと、そう思います。

 これは説明するよりも、実際皆さんに「今」に意識を集中して瞑想して頂いた方が分かりやすいかもしれません。
 その時、「未来も過去も脳内の産物でしかなく、その萌芽はすべて『今』の中に潜んでいる」ということを噛みしめて頂けると、私のこの拙い表現による説明の意味がお分かり頂けると思います。
 そして、そのことを実感出来ると、「時間も空間も存在しない」という本当の意味も実感出来、如何にこの「今に生きる」という意味──「今しかない」という意味が深いかが掴めるような気がします。
「今に生きる」というのは、未来を否定することでも、過去を放棄することでもありません。
「今、ここに存在する」ということは、同時に「未来と過去」両者と共に存在する──という意味なのでしょう。

「今しかない」という言葉は、絶対的な実存を示す言葉なのだと、私には思えます。

 ある意味、私も「今に生きています」(笑)。
 ですので、未来に不安もなければ、過去に後悔もありません。「今を生きている」限り、未来は常に共にあり、過去はいつでも「やり直せるから」です。
 繰り返しになりますが、ここでいう未来は「継続的な未来」とか、「継続的な過去」ではありません。「継続的」と思うと、人は「タイムマシーンで過去に戻って、過去をやり直して──」と考えてしまいがちです。
 でも、実際には「今の中に、過去が含蓄されている」ので、仮にタイムマシーンが出来たとしても、絶対に「今、自分が生きている時間軸の過去に戻ることはなく、並行して存在する別次元の過去にしか戻れないのだろう」と、そう感じるのです。(「過去を投影すること」は出来ると思います。何故なら、今という空間の中に、過去の記録が含まれているので。)

 J.Cガブリエルさんは「これからは、今人(イマジン)になることが大切だよ!」と言っています。
 それは「刹那的になれ」ということや、「後先のことを考えるな」ということではありません。そうではなく、「今」という瞬間に、過去も未来も、世界も地球も、すべてがみんな『含まれている』という意味なのだ──私はそう、解釈しています。


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2011-04-09 | 真理 | トラックバック(0) |

真実は「明らか」にさえなれば、すべてが解決するのか?

 前回の記事以降、何だかんだと言いながら「隠謀論」についてあれこれ思いを廻らせております。
 それは、隠謀論で言われているのが真実なのかということではなしに、隠謀論者の存在意義という側面で考えていました。すなわち、「社会の隠謀を暴く側の正義とは、一体どのような正義だろう」ということです。
 行き着いた答えは、その正義とはひとえに、真実を明かすべきとする視点であり、同時にこれ以上の悪事をさせないという姿勢なのでしょう。
 今までに至る歴史において起きてきた様々な悲劇が、もしも「人の手によって、引き起こされたもの」だとしたら、その黒幕を知ることによって「これ以上の悲劇を食い止めよう」そういった主張が根源にあるのだろう、と。
 ただ──私はどうも、そこに「引っ掛かり」を感じているのです。
 要するに真実が明かされたからといって、すべてが解決するのかというところに、疑念を持っているのです。

 例えば、ある街で「通り魔殺人事件」が起きたとしましょう。
 しかも、それが定期的に連続して起きているということが分かりました。
 でも、誰が犯人かわからない──住民の人達は、不安な日々を過ごしていたとします。「早く犯人を見つけて欲しい。早く平和に過ごしたい」当然、そう思うでしょう。
 そしてある日、犯人が捕まりました。その犯人がすべての犯行を自供したので、謎の「通り魔連続殺人事件の終止符」は打たれました。

 ああ、よかった──!

 住民の人達は、みな、ホッと胸をなで下ろすでしょうね。「これで、平和に暮らせる」と、みながそう思うでしょう。
 ところが──それから半年もしないうちに、またもや「連続通り魔殺人事件」が起きてしまいました。
「どうして? 犯人は捕まったはずなのに!」
 みんなが、そう思いました。でも、結局犯人は「別の人物」でした。
 どんなに犯人を捕まえようと、どんなに検挙率をあげようと、結局、その街に平和は訪れませんでした。
 何故なら、犯人の逮捕が、「犯罪をなくす解決方法とは限らない」から──。

 隠謀論も、結局これと「同じこと」のように思えるのです。
 仮にこれで、ある日突然誰かが「9.11は自作自演でした! 実は僕たち『イミルナティ(※例え話なので、文字をちょっと変えてみました)』が犯人でした! はい、そうです! 日本におきたすべての震災も僕たちの仕業です! 僕たちのおじいちゃんが、第二次世界大戦をしました! 金融システムを生み出したのは僕たちのひいじいちゃんで、保険のシステムを作ったのは僕たちのひいひいじいちゃんです!」
 ……と、自供したとしましょう。

 ──果たして。
 これで、本当に平和になるでしょうか?

 私は「決してそうならないだろう」と思います。仮に第一の闇が暴かれても、第二・第三の闇が生まれてくる──その繰り返しでしかないだろうと思えるのです。
 企みは「暴かれたから、解決する」というわけではありません。何故なら、企みは『結果論』であり、過程ではないからです。
 言い換えれば、そうした結果を生み出そうとする「背景」があるからこその企みなのであって、背景がなくならない限りいつまでも繰り返されるから。
 そして、その背景とはこの次元特有のエゴであったり、支配欲であったり、傲慢であったり、私たち人類の欠陥であることも多いでしょう。
 だとしたら、逆を返せば背景となっているこの次元特有の精神性が向上すれば、同時にこうした企みも自然消滅してしまうということになります。

 私は、前回の記事にあったカヴァーロさんのメッセージにおける真意は「そういうことだろう」と解釈しています。
 要するに、私たちが今の段階の精神レベルのまま普通に暮らしている中で、いきなりすべてが明かされるというわけではない──私たちの精神レベルが高次に至った段階で、自ずとすべてが明らかになるという意味なんだろうと、そう解釈しています。
 何故なら、「真実というのは、明かすにも段階があるから」です。
 準備が出来てない者に明かしてしまうことで、かえって「毒」となる危険もあります。
 そうである以上、すべての真実が明かされる時は、「明かされる側の私たちも準備が整っている状態になっている必要があるのだ」と、私には思えるのです。

 だとしたら──。
 今、あれこれ隠謀論を翳すのは、かえって「停滞を起こしかねない」ような気もするのです。
 確かに、隠謀を明かす必要がある時代も「ありました」。ですが、「もうすでに、そうした時代は終わったのではないか」と思えるのです。必要以上に重箱の隅をつついてばかりいたら、宇宙の波に乗り遅れかねません。
 「いずれすべてが明かされる」のであれば、「今、出来るフォロー」に専念した方が遙かにいい。東北大震災が「隠謀」であるなら──リビアの空爆が「隠謀」であるなら、そんな黒幕なんか「目もくれない」ぐらいの勢いで、みんなでフォローすることを考えた方が遙かにいいのではないかと、そう思えます。

 隠謀、企みを疑う時、自ずと人のこころは「分離」します。
 疑念は調和を生まず、背反だけを促進させます。
 今はもう、すでにそういう時代ではない──そんな気がするのです。分離が生じかけているところに、全身全霊で「調和」を見出す──このことの方が先決なのではないでしょうか。
 まだまだ時代は不安定で、課題も山積みだからこそ、決して諦めずに「地球全体で手をとりあう」という理想を追い求めるべきなのかもしれない──そんなふうに感じる昨今です。



 ★明日、篠崎も伺う予定です。
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☆「これからだよ 日本は!」
被災地に『希望の本』を届けるJ.C.ガブリエル(旧エハン・デラヴィ)氏を応援しよう!
2012年問題のパイオニア。意識研究家のJ.C.ガブリエル(旧エハン・デラヴィ)氏が日本の窮地にカナダから急遽駆けつけてくださいました。氏が携えるのは『希望の本』。女川市と縁のネルソンから、九州、大阪、金沢、東京…被災地の皆さまへの応援メッセージをつないでいきます。オートバイにまたがって、被災のど真ん中に希望を届けるJ.C.ガブリエル氏の活動をみんなで盛り上げていきましょう。
□東京講演「これからだよ 日本は!」2011年4月8日(金)、9日(土)
□あなたのメッセージをお待ちしています。※2011年3月28日~
J.C.ガブリエル氏blog 
■お申込・お問合/支援HP・東京講演主催:PPP.プロジェクト
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2011-04-08 | 真理 | トラックバック(0) |

マオリッツオ・カヴァーロさんからのメッセージ

 「クラリオン星人はすべてを知っていた」「アセンション量子転換のすべて」でお馴染みのマオリッツオ・カヴァーロさんからのメッセージです。
 翻訳者であるやよしけいこさんの元に、「日本にいる読者へのメッセージ」として送られてきたそうです。編集部の方から許可を頂いたので、以下転載します。

皆さんに対する深い愛情と兄弟としての思いやりの気持ちを抱きつつ、私は常に皆さんの傍らに控えています。
この悲劇と困難の時が一日でも早く終結するよう、心から祈っています。
以下、読者の方々や編集部、そして日本での辛い日々に苦悩し、悲劇や犯罪のない新世界を心の中で望んでいる全ての人々に対して、銀河系連盟から送られたメッセージを届けます。


間もなく、”量子の大洋”から正義と平和、

友愛的調和に満ちた新時代が、

地球の民衆のために誕生するでしょう。

銀河の源泉からは輝ける曙光が届き、

権力者たちの不正や弾圧、

偽りからあなた方を解放するのです。


闇と苦痛から地球人を解き放つ新時代は、

時空の小径から人々を連れ出し、

他のスターピープルたちと共存する

古代のコズミックファミリー(宇宙の家族)への回帰を促します。


正義と調和の時代が訪れつつあります。

やがて、あなた方の希望は叶えられ、

至福への大願は成就されるのです。


 このメールをもらった時、私はちょうど失意のどん底にいました(苦笑)。
 今回の震災を経て、私たちは気付かないうちに「成長をしていた」ように感じています。誰かが困っていれば率先してみんなで助け合おうとしたり、身内・他人の境界なく、互いに思い遣ったり──。
 今、J.C.ガブリエルさんも、私たち日本のためにバイクに跨って日本を縦断してくれています。「今こそ、みんな立ち上がる時なんだよ!」と呼び掛ける為に。
 みんなが今、心をひとつにしようとしています。本心で──誠意の中で。

 なのですが……。
 私を失意に追いやったのは、いわゆる「隠謀論説」でした。
 おそらく数人の方もすでに目にしていると思います。「東北大震災は、人工地震だった」という意見を。
 私が哀しかったのは、それを事実だと思ったからではありません。今、みんなで心をひとつにあわせようとしているそんな時に、「そのような配慮のないことを言う人達が存在するという事実」に、失意したのです。
 本来、起こった事象が隠謀だろうが何だろうが「そんなことはどうでもいい!」はずです。現にそれが起こったことで苦しんで、困っている人達や哀しい思いをした人達が沢山いるという事実そのものの方が、遙かに「重い!」──そう思えるからです。

 私は、隠謀論などを目にするたびに、ふと思うことがあります。
 「本当の悪って、一体何だろう?」と。
 悪だと決めつけているのはその人の主観でしかなく、浅はかな思考の産物に過ぎません。もっと大きな視野で見た場合、例えそれが隠謀で企てられたことであったとしても「結果的にその道程を経て、大いなる調和に行き着いた」としたら──それは、果たして「悪」と言い切れるのだろうか、と。
 結局ある意味、隠謀論を掲げる人達も「企てを成功に導く為の片棒を担いでいることになるのではないか?」と、そんなふうに思えるのです。
 いつの時代においても「風評」は、いい意味でも悪い意味でも影響力が強いものです。
 なのである意味「反対論者」は、反対している事象に対しての「協力者」になってしまい兼ねない──要するに「隠謀だ!」と騒ぎたてることによって、かえって隠謀の企てを促進させてしまっている──そんな矛盾が隠されているような気がします。 

 カヴァーロさんのメッセージにもあるように、いずれは「すべてが明かされる時代になる」──私はそう確信しています。
 しかしそれは、誰かが誰かの行為を糾弾したり、暴いたりするような、そんな力づくのものではないはずです。まるであぶり出しされるかのように、じわじわと自然に、そうした悪事は滲み出されていくのではないかと考えています。
 私たちが案ずるまでもなく、すでに新たなる時代は訪れているのでしょう。新しい時代では人々みなが「すべてとの繋がり」を取り戻す為、嘘や隠し事が出来ません。そうすれば、よもや企み自体が通用しなくなります。

 私が苦しんでいる時に来たカヴァーロさんからのメッセージは、タイムリーな程、私のこころを立ち直らせてくれました(笑)。
 宇宙規模の後ろ盾がある以上、私たちは安心して立ち上がり、理想に向かって力強く前進出来る──そう思います。
 「自分の弱さ」に、反省です(苦笑)。誰が何を言おうとも、それはその人達の自由です。そこに囚われてしまったのは、ひとえに「私の弱さが原因」でしかありません。
 もうあれこれ悩まず「新たなリアリティ」を創造する為、立ち上がって歩きだそう──そう改めて決意した次第です。 


【マオリッツオ・カヴァーロさんの著書】
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(2009/02/26)
マオリッツオ・カヴァーロ

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クラリオン星人コンタクティが体験した アセンション[量子転換]のすべて 宇宙人の人類DNA大変革プログラム (超☆どきどき)クラリオン星人コンタクティが体験した アセンション[量子転換]のすべて 宇宙人の人類DNA大変革プログラム (超☆どきどき)
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救急医療のある病院、自宅介護している家、交差点の信号が停電することにより、命を落とす方々が増えています。
助けられる命さえもが助けられない事実ほど、哀しいことはありません。
計画停電を出来るだけ回避出来るよう、健康で支障のない方は積極的な節電にご協力頂きますよう、お願い申し上げます。
私も率先して節電生活を送っています。是非、篠崎と一緒に、節電ライフを送りましょう。


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風評被害にあった農作物を購入しましょう!

 Twitterにて、「風評被害にあった農家をサポートするSHOPや企画がある」という情報を頂きました。以下、そのうちの一部を紹介します。

茨城農産物サポートプロジェクト
 http://www.gokigenfarm.org/0141831
  ※ここでは2000円の野菜BOXを配送しています。(送料込みで2840円)
   篠崎も早速購入しました。中身は一定ではないようです。
   福袋みたいで、何が入っているのか楽しみです(笑)。

「買い控えを吹き飛ばせ! 福島・茨城の農家を応援しよう」
 サイトURL:http://kotsukaikan-marche.jp/
 詳細PDFファイル:http://kotsukaikan-marche.jp/pdf/release_110331.pdf
  ※こちらは直接販売です。有楽町駅前なので、東京近郊の方にとっては利用しやすいかもしれません。5月8日まで毎日開催しているそうです。
★【ブロガーの方へお願い】ひとりでも多くの方に呼びかける為、上記のURLをブログなどでご紹介頂けますと幸いです。この記事へのトラックバックや直接リンクでも構いません。

 上記紹介しましたURLは、色々調べた中で特に分かりやすいところのみをピックアップしました。後日もう少し掘り下げて調べてみて、新しい情報が入り次第またこちらでお知らせ致します。
 風評で出荷が出来なくなることほど、農家の方にとって哀しいことはないはずです。放射能の影響を恐れる気持ちも分かりますが、それで言うなら「もっと有害なものを、私たちは知らずに食している可能性だってある」のです。(年輩の方であれば、その代表的事件とも言える「森永ヒ素ミルク事件」がご記憶にあるかと思います。参考までに→「こちら」)
 情報で見えるものばかりを恐れる癖に、隠されたものには無頓着でいるということの方がよっぽど危険だということを、風評に怯えてばかりの人には是非知って頂きたいものです。
 勿論、こうした購入サポートだけで問題が解決するわけではありません。上記で販売されているものは、「出荷が本来問題ないのに、風評の被害によって買い控えされてしまっているもののみ」だからです。
 実際には原発近くによって放射能に汚染されてしまった田畑が、もっと多数あることでしょう。その方達は再びその土地での農業を営めない可能性も高いですから、国側はそうした人達の生活についても考える必要性があると思います。

 それ以上に、もう二度と同じ過ちを繰り返さない為にも、原発は廃止の方向性で考えた方がいいとさえ思います。
 何度も書いたことではありますが、「過剰供給されすぎた便利」をひとりひとり節約することの方が、原発によって産み出される悲劇よりも「何十倍、何百倍もいいはず!」です。
 国も電力会社も、この教訓を絶対に忘れることなく、今後の対応を考えていって欲しいと願う次第です。

(お知らせ)ツイッターをされている方は、#Buy_Tohoku、或いは #p2pfarm で、茨城や福島方面の農作物購入に関する情報が共有出来ます。


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辛くても、全体を見なければならない

 先月の11日に起きた震災から、私は自分の中で揺れ動く「何か」を感じていました。
 被災地にいる方々があの日に体験したエピソードは、本当に胸が張り裂けるようなものばかりです。それだけでも痛みとなるのに、福島では人類が過信してしまっていた力によって、震災の痛みだけでなく放射能の不安や、一部心ない人々による偏見という痛みまで背負う羽目となってしまいました。
 そうした記事に触れるたび、私は「今、自分が出来ることは何だろう」ということばかり考えていました。根本解決にはあまりにも長い時間がかかるだろうし、かといってそれまでに何もしないでいるということ自体、とても歯がゆかったのです。

 私がこのような状態に陥ったのは、決して今回が最初ではありません。
 2001年におきた9.11の時にも、今とまったく同じ状態になりました。
 私にとっては起きた事件が他国だろうが自国だろうが、そんなことは関係ありませんでした。「今、自分がここに生きている以上、私が出来ること、私が考えられることは何だろう」ということばかりに、意識をシフトしていたからです。
 9.11の時は今ほど国際情勢に明るくなかったので、紛争に関わる本やイスラム文化、中東の歴史に関わることを徹底的に調べ尽くしました。
 そして今回、私は「2012年に纏わる書籍」について、再び読み返しを進めています。
 報道も今は震災がメインになっていますが、実際には中東の情勢も揺れ動いています。もう今となっては、精神世界に興味ある・なしに関わらず、誰もが「時代が何か、変わりつつある」ことを自覚しているはずです。「今ある既存の考え方ではナシに、新たなスタンスを構築しなければならない」ことも、感じ取っていることと思います。
 被災地にいる方々にしてみれば、まるで時が止まったかのように、まだ哀しみの渦中にいることでしょう──しかし、普通に生活を送れている私たちは、彼らの哀しみと痛みを感じながらも、今、地球全体で何が起ころうとしているのかを感じる必要もあると思えるのです。

 とはいえ、私もネットの記事で被災地にいる方々の状況に触れる度、その心がくじけそうになることが多々あります。「今だからこそ、全体を見なければならない」と思う反面、「まずは、日本における被災の傷が癒えてからにすべきではないか」とも思い、その両者の間で私の心は大きく揺れ動いているのです。
 ですが、昨日の記事や冒頭にも書いたように、やはり本当の意味で日本が立ち直るには、しばらく時間が必要でしょう。その間にも刻一刻と情勢は変わっていき、時代の変化も進んでいきます。哀しみに立ち止まってばかりいるのではなく、この体験を経て「改めること、対処すべきことは何か」を、私たちは考える必要があるのだと思えるのです。

 既存のシステムを打破する為には、今存在している学識だけでは困難でしょう。それを超えた──今私たちがいる次元を超えた知識こそが必要なのだと、そう思えるのです。
 精神世界という言葉は、どことなくファンタスティック──或いは幻想的、幻視的に聞こえる言葉ですが、でも、本来「精神こそが、すべての基盤である」ことを思えば、実はこれほどまでのリアリティは、存在しないのではないかとさえ思いました。
 問題は、私たちの次元においては個々人が「相対的な存在」であり、精神的な融合が成されていません。だからこそ、個々人の体験を外的世界における現象で検証するしか方法がない為、精神世界で言われていることが必ずしも「真実である」とは言えない点にあるのでしょう(勿論、本人には虚偽を言っているつもりはないでしょうし、逆に言えば「ちょっとした表現の違いだけで、誤解されてしまっている」というケースだって中にはあると思います)。
 しかし、そういった問題点を除けば、本来「リアリティ」として基盤にあるべきは「精神世界分野」でなければいけなかったのではないか──そんなふうに感じる昨今です。

 そう考えると、今起きている「すべての現象」に対して、何かしらの意味があるように思えるのです。
 そして、基盤となっている精神世界において「今、私たちが創造すべき新たなリアリティは何か」を模索する必要があるように思えるのです。

 今、日本全体が自粛の傾向にある中で──しかも、多くの方々の苦悩が今尚存在している中で、私がやろうとしていることは、不謹慎極まりないことなのかもしれません。
 しかし、どんなに辛くても時はその場にとどまることはありません。そうである以上、哀しみのみにシフトするのではなく、「全体を見る」ことも大切であり、また同時に「全体を見て将来的にどうしていくかを考えることで、再び起こる哀しみを防ぐことも出来る」と、私は考えている次第です。
 

★おしらせ★
 J.C.ガブリエルさんが4月1~3日に九州でイベントを行います。1日は1時間半の講演会、2・3日は1DAYセミナーだそうで、リモートビューイングやシャーマニズムについてをたっぷりトークして頂ける機会です。
 詳しくは「こちら
J.C.ガブリエルさんのブログ



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助けられる命さえもが助けられない事実ほど、哀しいことはありません。
計画停電を出来るだけ回避出来るよう、健康で支障のない方は積極的な節電にご協力頂きますよう、お願い申し上げます。
私も率先して節電生活を送っています。是非、篠崎と一緒に、節電ライフを送りましょう。


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いつか再び、立ち上がる日の為に

 東北太平洋沖地震から、20日あまりが過ぎました。早かったのか、或いは長かったのか──もはや時間の感覚さえもないような気がします。それと同時に、被災地にいる方々にとっては「○日の経過」というのさえもはや何の意味も成さないのだろうと思うと、どんな言葉も陳腐に思えてしまう程です。

 先日も、世界の人達の祈りをここでご紹介しましたが、おそらく多くの日本人が、世界各国の人達が日本を応援し、また助けてくれていることに感動していることと思います。先進諸国のみならず、東南アジアやアフリカ諸国など、自分たちの生活も貧しい中で生きている人達が「日本の為に何かをしたい」と言って物資を送ってくれるその気持ちが、本当に嬉しいしありがたい──そう感じている方も多いのではないでしょうか。
 今はまだまだ多くの問題が残されている為、日本が今までのように立ち上がって世界中に御礼が出来るようになるには、かなりの時間がかかると思います。
 でも、世界にいて日本を助けてくれる兄弟達に、せめて感謝の気持ちだけでも伝えたい──そんな気持ちを抱いているのは私だけではないはずです。(政治家の方々も公の場で、援助してくれる国々に対しての感謝を述べて欲しいとさえ思います。他国から届く物資や、義援金がどれほど送られているかは、みなさんご存知のはずです。被災地にいる方々や、国民が直接言えないその「気持ち」を、菅首相にはもっと汲み取って頂きたいものです。心ある一国の代表者であれば、まず国民に向かって激励し──そして、国民を代表する言葉として、他国に謝意を伝えているでしょうから。)

 勿論、多くの方々の支援があっても──応援があったとしても、被災地にて身内を亡くしてしまったり、大切な存在を失ってしまった方々の痛みを埋められるものではないでしょう。
 本当にこればかりは──どんな慰めの言葉さえも無力であると、思わずにいられません。
 しかし、それでも多くの方々の優しさや思い遣りがそこに集まれば、痛みが癒えなくても「希望は生まれる」と、そう思います。荒れ果てた大地に再び緑が蘇るように、いつしかまた幸福が芽吹いてくるように。どんな暗闇でも、明けない夜はないのですから──。

 そして、いつしか。
 いつしか再び、日本が立ち上がることが出来た時。
 きっと日本は、今まで以上に世界に向けて「思い遣り」を発信することが出来るようになるでしょう。今、世界が日本に向けて多くの優しさを送ってきてくれているのと同じように。
 そしてそれと同時に、資源が枯渇しつつある世界に向けて「新しい生活スタイル」を、日本は提案出来るようになるかもしれません。

 日本は原爆を投下された国でありながら──多くの人達がその中で命を落とし、そして未だにその影響が残る国でありながら、今度は原発によって再び人々の生活が脅かされるという皮肉な目に遭ってしまっています。
 最近は計画停電が実施されることも少なくなりましたが、私は今でも節電生活を送っています。
 何故なら、不便に感じないから。
 むしろ、今までの方が過剰供給だったとさえ思っています。
 夜は暗いのが当たり前です。なのに、今までは街中で星を見ることも出来なかった。それが今では、節電の影響なのか、見える星の数が以前よりも増えた気がします。
 思えば星明かりがない夜の方が、本来は不自然だったのでしょう。

 先進諸国でありながら徹底的な節電をして、それが日本の「新しい文化スタイル」となった時──。
 ある意味、「資源の尊さ」を最も切実に訴えられる立場になるような気がします。
 資源の確保ばかりに奔走するのではなく、「限りある資源を、どのように分かち合うか」ということで模索した方が、遙かに有意義です。そうすることで、私たちが「この地球から様々な恵みを与えられ、それを利用して生かしてもらっていたのだ」ということを思い出すことでしょう。
 シェアの精神があるところには必ずや調和の姿勢が生まれます。そうしたところには絶対に争いの思想や、支配の思想も生まれて来ません。そしてゆくゆくは、「何故、人々はかつて争っていたのだろう」という疑問を抱く日が、来るかもしれないのです。

 そうなれるのには、まだまだ時間がかかりそうですが──「大丈夫。まだまだ希望の種はある」そう確信し始めた昨今です。

 
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 詳しくは「こちら
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□東京講演「これからだよ 日本は!」2011年4月8日(金)、9日(土)
□あなたのメッセージをお待ちしています。※2011年3月28日~
J.C.ガブリエル氏blog 
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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

【篠崎編集担当】


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