【撮影者】織人文様/Silent Sea 私たちが夜の闇を楽しめるのは、「必ず朝が来ることを、知っているから」かもしれない。
でも、もし…待っても待っても、朝が来なかったら…
時計盤の針は固定されたまま、痙攣したようにジリジリと身動きするだけで、
まるで夜が明ける様子さえなかったら…
あなただったら、どうしますか? 「夜明け前の闇は、一番深い」という言葉、誰もが一度は耳にしたことがある言葉だと思います。
私はこの「闇の深さ」を、身をもって体験したことがありました。
早朝バイトをするために、深夜4時過ぎにアパートを出て外に出た時のことでした。真冬だったので日の出にはまだ2時間近くあり、寒さもいつも以上に感じた程です。
当時はコンビニもそうそうなく、24時間営業しているファミレスも今ほどない時代でした。
ネオンというネオンから灯は消え、辺りは静まりかえり、日中には車通りが多い車道も、まったく通っていない有様でした。遠くで新聞配達のバイクの音が聞こえましたが、普段なら気にも止めないような音が反響しているかのように大きく感じた程です。
星の光に慰めを求めましたが、夜空は曇っているのか何も見えませんでした。
私は駅に向かって歩いていたのですが、恐怖から小走りになっていました。幽霊にあうとか、犯罪にあうかもとか、そんな具体的な恐怖心ではありません。ただただ
深すぎる闇が怖くなったのです。
今でもあの時に感じた怖さは、思い出すことが出来ます。「ただ暗いだけでにぎやかな状態」であれば、そこまでの恐怖心を持つことはないのでしょう。闇と共に静寂が包み込んだ空間というのが、途方もなく怖く感じたのです。(その時の体験談も含めて表現したのが、神様選挙の「
動物だけの世界」です。街が箱庭のようになって、人っ子一人いなくなる…というのは、私が繰り返し見てきた夢の一場面でもあります。)
みなさんも、想像してみてください。
あなたは今、夜の闇の底にいます。
周囲は、あなたにとって見覚えのある商店街です。
行きつけの店、立ち読みに寄った本屋さん、寂びれた喫茶店。
大型ドラッグストア、コンビニエンスストア、瞬きのように変わるパチンコの店頭表示。
街並みから突出したように近代化した駅ビル。
新しい時代と古い時代が混在化した空間。
すべて記憶どおりというのに──周囲には、誰もいない。
車の音も、空を横切るヘリコプターも、救急車のサイレンも聞こえない。
車も人もいない道路はただ縦横無尽に横たわっていて、あなたの行く手を阻むことなく受け入れています。
右に行っても、まっすぐ行っても、眠っている街がただ広がっているだけ。
あなたは歩くことしか出来ず、ゆく宛てもなくただ歩き始めます。
どこから来たかが分かっていれば行く場所も分かるけれど、なぜかその記憶だけがぷっつりと消えています。
あなたは、歩きながらどこから来たのか──そして、どこへ向かうのか答えを求めるしかありませんでした。
周囲の風景は変わっていくけれど、闇は変わることがない。
あなたは遠くに見える看板を目標にして、「あそこまで行けば、何かが分かるかもしれない」そう思いながら歩き続ける。
その看板に近づき、やがて追い越しても、何も変わらない。
風景は変わるけれど、歩き続けることに変わりはない。
もう、歩くことをやめてしまおうか──そう思うかもしれません。
でも、歩くのをやめても何も変わらない──そう気がついてから、「やめること」さえ諦めるしかありませんでした。
疲労があれば、やめることへの言い訳にもなる。
しかし、何故か足は疲れることがありませんでした。
喉も、渇くことはありませんでした。
空腹さえ、感じることが出来ませんでした。
そうなった時、人はどうなるのでしょうか…? 私だったら「廃人になっていそうだな」と、そう思いました。
発狂出来るような刺激もない状態では、人は思考することさえも放棄して、ただただ歩き続けるロボットのようになってしまうのではないか──そんなふうに感じました。
明けない闇…。
それは、もしかしたら
今の時代の象徴なのかもしれません。
常に課題が残された社会、理不尽な事柄、人との摩擦。
便利の追求の果てに、壊れてしまった人々の魂。
先の見えない社会情勢、終わらない紛争。
傷つけられ、再生が間に合わない程に追い詰められた自然達。
こうした時代。
先ほどあげた例のように、自分がどこから来たかも分からず、どこへ行くのかも分からないまま「ただ歩く」だけでは…いつしか廃人になるしかないのかもしれません。
だからこそ、精神世界──スピリチュアルという分野が今の時代これほど注目されるのでしょう。
それは、
「明けない闇の中で歩き続ける人達」に向けて、道しるべを投げかけるものだからなのかもしれません。
「夜明け前の闇は深い」とはよく言いますが、また
「明けない夜はない」という言葉もよく聞きます。
上記した喩え話の人が、もし「明けない夜はない」と信じていたら、誰もいない空間でさえ楽しんで歩いていたかもしれませんね(笑)。
すべては信念や意識が鍵なのだということを、実感する昨今です。
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