平和という理想のために

           TRRE of PEACE

       私たちがひとつの理想を掲げた時、その理想はすべての人や生命を幸福にするものであって欲しい。
         排斥や犠牲の上に成り立つ楽園など、ありはしないと私は思う。



 あるところに、二人の青年がおりました。
 青年達はそれぞれ理想を持っており、国の未来、世界の未来を共に語り合う仲でした。二人が語る理想とは裏腹に世界は混沌としており、紛争や戦争が世界のどこかでは起きているような状態でした。戦争はますます酷くなる一方で、一般市民であった青年AとBまでもが戦地へ赴かなければなりませんでした。

 そんなある日、戦地で見張りをしていたAとBの元に、敵と思われる男が近づいて来ました。両手をあげ、銃を放りだし、彼は両膝をついてAとBに何かを叫んだのです。

 Aはその姿を見て、構えていた銃を下ろしました。何て言っているのかは分かりませんが、男の態度と表情から「降伏する」と言っているように思えたからです。
 しかし、Bは容赦なく銃を撃ちました。弾丸は男の頭部に命中し、男はそのまま崩れるように倒れました。

「何故、撃ったんだ! 彼には、攻撃する意思などなかった!」

 抗議するAに対し、Bは反論しました。
「何故、銃を撃ったかだって? 敵だからに決まってるじゃないか」

「敵? しかし、彼は武器を持っていなかったぞ」

「武器を持っていなければ、敵ではないというのか? 彼らの思想や主張が、平和を乱しているとは思わないのか? この男ひとりが戦う意思を放棄したところで、戦争が終わるわけじゃない。戦争を終わらせるためには、ひとりでも多くの敵を倒すことの方が先決だろう」

 何も言えなくなってしまったAに向かい、Bはさらに続けました。
「奴らは『がん細胞』と一緒だ。ひとつ残らず消してしまわなければ、平和なんて訪れない。それどころか、ひとり生かしておくだけで他の正常な細胞ががん化するとも限らないんだ。ウィルスも細菌も、体に害するものは排除し続ける──それが、この星の平和には必要なんだ」




 このたとえ話は、今日の帰宅途中ずっと脳裏で繰り返されていた場面の一部から取り出したものです。
 戦場が喩えになってしまっていますが、このような究極な場所ではなくても、こういった葛藤は私たちの日常の中で行われていることのように思います。私の脳裏でこの場面が繰り返されていた理由も、私自身が日常の中で同じような疑問を持つ場に立たされていたからでした。

 ちなみに皆さんはAとB、どちらに共感したでしょうか?

 これは、どちらの考え方が「いい・悪い」というのではありません。しかし、すべてが「ありのままに」と曖昧にされがちの精神世界においても、やはり「宇宙の摂理に沿った方向性」と「そうでない方向性」という境界は明確に存在すると思えるのです。

 そうした視点に立てば私はAの立場に近いですし、また同時にひとりでも多くの人や生命が発展と幸福を享受出来る世界というのが「宇宙の摂理に沿っている」と、そう思ってもいます。
 その基盤となる思想は「調和」であり「共生」
 「他者への侵害をしない」という共通の誓いの元であれば、誰の生も脅かされることはない──というのが宇宙の摂理のように思います。

 先述したたとえ話は戦場という究極の場でしたが、ごく身近を見渡した時に、もうすでにその視点は問われているように思います。

「私は、人間関係なんてどうでもいい。宇宙のことだけ考えていれば幸せなの。そのことだけ考えていたら、周囲の波動に引きずられなくて済むから」
「夫と私は、『生き物』として違いすぎるの。レベルが低い彼とは、とてもじゃないけどやっていけない」

 最近、私の周囲でもこんな言葉をよく耳にします。
 スピリチュアリストは、よく「レベルが違う」とか「波動が違う」という言葉を使いたがりますが、この地球上、しかもこの日本という小さな国の中で「レベルが云々される程の違い」なんて…そんなもの「あるはずがない」です。
 そういう言葉を使う前に、「自分が受容できるアンテナが、狭すぎたのかもしれない」と一考すべきなのではないだろうか──私はそう思います。
 本来、物質的な垣根を取り払って広い視野で、この世を俯瞰的に捉えようというのがスピリチュアルな視点であるはずなのに、あろうことかかえって枠組みを設けて排他的になっている人達も時折いるのが現状です。

 また、「レベル・波動」で括りたがる人でも、大きな理想──例えば「地球のために」という言葉はよく使います。
 しかし、身近にいる他者の苦しみには無関心でいるケースも多々あります。
 とても矛盾している──と私などは思ってしまうのですが、その人達にとっては矛盾と感じないようなのです。
 「平和を理想」としているにも関わらず、命乞いをした相手を銃で撃ち抜き、「奴らはがん細胞だ」と言ってしまえたBのように。

 平和を考える時、私は常に「人間の身体システム」を考えます。
 細胞は、外敵から身を守るために闘うことはあっても、同種である細胞同士を攻撃することはありません。ごくまれにそういうことが起こりますが、それがいわゆる自己免疫疾患です。いわば「正常な肉体」においては起こり得ないことです。
 しかし、今の世界においては、そういうことがあちこちで起きている状態です。地球がひとりの人間であるとしたら、腎臓が肝臓を攻撃したり、膵臓・胆のうの争いが続いていたりで、もうもう──それは致命的な多臓器不全に陥る直前状態だと思います…。
 
 地球を「ひとりの人間」として見ると、戦争が如何に愚かしいことかよく実感出来ます。

 こうした愚かしいことを止めるためには、排斥やレベルといったものの見方をやめるべきだと、私は思います。
「人種が違う、宗教が違う、民族が違う」
 そんな理由で、人はいつでも戦って来たのですから。
 「地球のために」と思う人ほど、身近なことに排他的にならず、より寛大であって欲しい──そう思います。

 そして、争いの渦中に立たされたり、調和の意味を忘れかけてしまいそうになった時は、ぜひ人間の解剖生理を学んでください。
 肉体を守る為に造られたシステム──ホメオスタシスや神経伝達など、調和のとれた仕組みに唖然とすることでしょう。
 私たちの生命が「細胞達の共存共栄で成り立っている」ということを理解できれば、周囲を見る目も大きく変わりますよ、きっと。

(余談)
 がん細胞を正常細胞に戻すことが出来る、という発表が先日ありました。
 「細胞なおもて往生す、いわんや人間をや」ですね(笑)


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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

【篠崎編集担当】


【篠崎の著作本】

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