最近、全然ブログを更新出来ていませんでした…。
言い訳は致しません。
ええ、致しませんとも。
致しませんが──
あえてさせて頂けるなら(って言い訳したいンじゃん;)、
他の執筆活動に集中していたからです。
勿論、看護師としての仕事もこなしている為「時間がない」というのもありますが、それ以外は11月から再連載予定の小説執筆や、出版本の執筆に時間を割きたいという思いがありまして、そちらを優先しているとどうしても「ブログを書く時間がなくなってしまう」という側面があるのです。
私にとっては、
書籍や小説を執筆する感覚と
ブログを執筆する感覚って、明らかに
別物なんですよね。
前者を書く為には集中する時間や資料にあさる時間が必要で、後者の場合は「何となく気軽に書ける日記形式」みたいな感覚だったりして──(勿論、そうじゃなく真剣に書かれているブログも巷には沢山ありますが)
今の私には、
思考する為に集中したり、資料をあさる時間の方が必要なのかもしれません。(とはいえ、このブログの連載が始まってから「不定期更新」というのは毎度のことですので、長年読んで下さっている方からすれば「いつものことじゃん;」って感じだと思われます…。※いつもあたたかい目で見守って下さり、本当にありがとうございます…)
ちなみに。
ブログに書く程じゃないけど、「何となくつぶやきたかったこと」に関しては、Facebookにてつぶやいております。(Twitterはほとんど告知にしか使っていません。)
もし宜しければ、Facebookの方もご参照ください。※こちらも、あまり頻回には書いていませんが。
【Facebook】
https://www.facebook.com/yura.shinozakiさて──ここから、本題に入ります。
何かひとつの疑問や問題を解決したくてネット検索していると、本当に
様々な視点や価値観の答えに行き着きます。
例えば、「AはBになりえる」という帰結を見いだしたくてその根拠を探しても、
「いや、Aは絶対にAのままでしかない」、或いは
「AはCになることがあっても、Bは絶対にならない」、また、もしかしたら
「Aは絶対的にDである! それ以外、ない!」などなど……。
一体、どれが本当なんだよ──っっ!!と、絶叫したくなることがあるかもしれません。
そうした場合、私は、いつも
自分の直感に従います。例え、その説がどんなに有名な研究者が言ってる説であっても、
例え、その説が学説的に「当然」とされている説であったとしても、
私が
これは違和感がある──そう思ったら、その答えは私にとって「違う答え」ということになります。
そこから導き出せる結果があるとしたら──それは、
ただひとつの真理は、「私自身が見いだし、到達した真理でしかない」ということなのかもしれません。
もちろん、私が見いだし到達した真理に共感してくれる人や、「うん、まさに自分もそう思っていた」と感じて下さる人もいるでしょう。
そうした人達にとっても、それはまた同じく「真理」になり得るのでしょう。
でも、だからといって「私自身と『全く違う答え』を見いだした人達が、真理から外れているのか」と言えば──決してそういうわけではない、私はそう思えるのです。
ここで大切なことは、
真理とは自ら見いだすものであって、学説や有名な研究者がいったという背景で選択するものではないということなのです。
まぁ、分かりやすい例で言えば──
私は、どんなに多くの考古学者が
「ピラミッドは、当時の奴隷達が『えんやぁとっと、えんやぁとっと』と石を運んで積み上げたという学説については、どう逆立ちしても
「同意出来ません」。
「じゃぁ、どうやって出来たの?」と言われて、それに明確に答えられるだけの知識も閃きもまだありませんが、
「違う方法があるはずだ」という自分の直感を裏切ることが出来ないのです。
どんなに奇抜で、どんなに斬新で、どんなに突拍子もない「閃き」だったとしても、自分の直感で「これが真理ではないか」と思ったら、
「それが真理であることを立証するために、様々なエビデンスを検証していく」──こうした作業が、真理探究者の姿勢ではないかと私自身は思っています。
そして、ある意味
「奇抜で斬新で、突拍子もない『閃き』こそ」が、時代を切り開く発明や発見に繋がっていくのかもしれない──そうも思います。
ただ単に「私自身が到達しただけの真理」に過ぎないにしても、その答えを探すために、私は果てしなく探究を続けていきたいと決意しています。
皆さんにも、同じ事が言えると思います。
このブログを読んで下さっている方は、何かしらこの世界や時代に対して疑問を抱き
「本当の答えを知りたい」或いは
「この時代を変えていきたいけど、その答えが見つからない」そう思っている方が多いのではないかと推察します。
私がここで(或いは本で)書いていること、私自身が到達した真理や見いだした答えは
「私の真理であり、私の答え」であって、必ずしも
「皆さんの答えとは限らない」のです。
もし、私が言っていることや書いていることに共感し、同意して下さったなら、それを皆さんの
「真理というテキストの『一文』に加えて頂けた」としたら、私としてはこれほど光栄なことはありません。
真理とは「ただひとつ」なのではなく、
その人それぞれにあるのでしょう。
大切なのは真理そのものではなく、それを探し求めようとする
「求道の姿勢」にこそ、あるのかもしれませんね。
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