何故、スピリチュアル分野がカオス状態になっているのか?

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多様化する情報は、一度時系列と共に整理しなければ、混乱が著しくなるだけなのかもしれない。


最近私は「スピリチュアル」という言葉を使うこと自体にも抵抗を感じているのですが、まぁ妥当な言葉がないのでこの言葉に当てはめて書きますが(正確には「第三次ニューエイジブーム」とか、そんな感じの言葉で表現した方が正確かもしれません)、どうも昨今のスピリチュアルはカオス状態に陥っているように思えます。

2012年を境にだいぶ下火になった印象を受けはしますが、その分代わりに「自己啓発」と結びつけたものや「陰謀論+アセンション論」のような分野などが新しく枝葉を伸ばしてきています。
それそのものは、決して悪くはありません。
なのですが、問題はそれをビジネスとしたり、或いは活動の一環として提供する側の人格形成がなおざりにされていることが非常に問題であると、私は思っています。

もう今から14年程前の話ですが、私の友人が「片目(左か右か、今となっては忘れましたが…)から頭にかけての頭痛が取れない」ことに悩まされており、眼科にもかかったのですが原因不明と言われてしまったそうです。
悩んだ彼女はとあるエネルギーワークを行う霊能者の元に訪れ「目から頭にかけて、ひどい痛みがある」ことを訴えたところ、その霊能者は即座にこう言ったそうです。

「そりゃそうよ。あなたの眼孔から頭にかけて、ハムスターの霊がずっとウロチョロ走り回っているもの」

それを聞いて、私も絶句しました。
何故ならその時期、友人が可愛がっていたハムスターを亡くしたばかりの頃だったからです。(その霊能者はその事実をまったく知らなかったそうです。)
その後、その霊能者が眼孔に手を宛ててエネルギーワークをした瞬間──すっかり痛みは「取れた」そうです。鎮痛剤を使っても治らなかったのに、あっという間に治ってしまった、と。

それをきっかけに、その友人はその霊能者の元でエネルギーワークを学ぶことになりました。
ところが──です。
その霊能者は、とてつもなく人格が未成熟で、ワガママな人物だったそうです。

ただ、「実際に能力はある」──それを友人も身をもって体験している。
それ故に「本当にこの人の元でエネルギーワークを続けて良いのか、それともやめた方が良いのか」私に相談してきたことがありました。

私は即答しました。
「『人格』と『霊性』は『イコールでなければおかしい』。人格が未成熟で霊能力を使えるというのは、それはむしろ魔的な力で、正しい霊的な力ではないと思う」と。

人格が未成熟なのに、霊性が高い──仮にそれを大樹で例えるとしたら、根っこが貧弱なのに、幹だけ太くて枝葉を伸ばしている状態です。
そんな大樹は、すぐに倒れてしまうでしょう。

もしも霊性の向上を目指すのであれば、まずは「誰に対しても親切で、誠実である自分」を磨くこと──これしかないと私は思います。
人はやはり霊的な生き物なので、「優しさ」や「誠実」は必ず相手に伝わります。
中にはそうしたことが全く通用しない人もいますが、それはそれ。
そうであったとしても、8割以上の人が「与えられた優しさや誠意に対し、真心をもって返してくれる」私は自分の経験則でそう断言出来ます。

目の前で転んだ人に手を差し伸べることさえ出来ない人に、スピリチュアルを語ってもらいたくはありません。
本来のスピリチュアルは、「身近な人」「目の前の人」に当たり前のように「思いやり」をもって接することが出来る、そこから始まると私は確信しています。

少し話は逸れましたが──「スピリチュアル分野がカオスである理由」について、もう少し掘り下げてみます。

今のスピリチュアル分野を一言でまとめるなら、「クソ味噌一緒」な状態です。(よく使うなこの例え…)
中世ヨーロッパ時代、本来は最も神聖でなければならなかった教会が最も堕落していた時期、或いは、イエス・キリストが登場する前のパリサイ派とされる聖書研究者達が教義だけで何ひとつ信仰を重んじていなかった、そんな時代に被って見えてしまう今日この頃です。

また、このインターネットで簡単に検索出来てしまったり情報を入手できる時代となってしまったが故の弊害ともいえるのでしょうが、ちょっと情報を見聞きしただけで「自分は知っている」と思い込んでしまう人達も増加しています。
もし「霊性の向上」を少しでも望んでいるのであれば、「知っている、分かっている」と思ってしまうことは非常に危険です。
何故なら、「分かっている」と思った瞬間、それ以上、新たな智慧が入って来ることはないからです。
「からっぽ」なグラスに水を注ぐことは出来ますが、「満杯」なグラスに新たに水を注ぐことは不可能でしょう?

どうも巷のスピリチュアリストの中には「分かっている」「自分は覚っている」と勘違いされている方も散見されるように思われます。←本当の覚者は、わざわざ「私は覚っている」とは言わないでしょう。言う必要がないことを知っているから。

また、宗教の歴史も知らずに「スピリチュアルの枝葉部分」ばかりを論じるのもカオスの元凶となっているのでしょう。
それらは、多数出ている「チャネリング本」の影響もあると思います。
私は正直言って、チャネリング本をあまり推奨していません。
例えば、それを「閃き」として捉え、自分の血肉として知識に置き換えて表現している人達は別です(ルドルフ・シュタイナーがその例にあたるでしょう)。
しかし、高次元体の言っていることをそのまま「鵜呑み」にするのは「非常に危険」であると、私には思えるのです。

何故なら、彼らは「高次元体」であって、三次元の体験をしていないのですから。
いわば「理想論」に終わってしまう危険があるのです。

私だったら、「我は〇〇星人である。そなたに知識を与えたい」と言われたら、
「そう。じゃ、まずは『あなたが実際に肉体をもって、三次元を体験して』から語ってちょうだい。イエスや釈迦のように。三次元を実体験して肉体を持った上で語っていない人の言葉に、私は耳を傾けません」と、そうつっぱねるでしょう。(私は徹底した「経験主義」かつ「実存主義者」です。)

スピリチュアル分野のカオス状態の根底には、チャネリング本の普及も端を発しているように思えます。
それを鵜呑みにすることで、人は三次元の仕組みと向き合おうとしなくなってしまった──そこにカオスの種が隠されているような気がします。

勿論、だからといって闇雲に「陰謀論に走れ」というわけではありません。
むしろ、もっと俯瞰的な視点で自分の日常を体感すればいいだけのことなのだと私には思えます。


少し、スピリチュアルとしての「気づき」について整理する必要があるように昨今感じるようになりました。
(本当は小説執筆だけに集中したいのですが……「整理しなければならない」という強い衝動に突き動かされているので、きっと「そうしなければならない時期」なのでしょう。)

実は大学時代に私は「仏教の解脱」について、それを階層別に整理して解析をしたことがありました。
その際に、覚りにおいても段階があり、下層の部分では一段上がってもまた下がりを繰り返してしまうものの、ある一定のライン以上の覚りを経た者はそこから後落ちることがなくなるということを知りました。

スピリチュアルの「気づき」についても、同じことが言えると私には思えるのです。

それを近々、簡単に整理して記事にしようと思います。


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「生きるのが辛い」と思っている人達へ

ここしばらく、私は非常に反社交的になっていました。
もともと社会に背を向けて生きているようなアウトロータイプ故、それを打破しようとして進んだ看護の道。
その仕事の過酷さ故に、あまりに疲れ果ててしまって──ここ数か月……いえ、半年ぐらいは非常に厭世的になっていました。
口を開けば、「山に籠りたい」「出家したい」「無人島に行きたい」云々……。

インターネットで流れるのは、SNSにおける多くの人の日常吐露。
もっと大切なものがあるだろうに。
もっと人間は大きな目的の中で生まれてきたはずなのに。
何故、こんなにも人は「目の前のことだけで、『楽しもう』」とするのだろうか。
そんなふうに疑問に思っていた日々。

だけど──ふと、急に思ったのです。


そういえば、ディズニーランドで「受験勉強している人」って見たことないな、と。


もしくは、ディズニーランドに来ているのに、ベンチで必死に本を読んでいる人も見たことないな、と。
ディズニーランドに行けば、人は「そこでしか体験できないもの」を体験するために、精一杯楽しもうとする。わざわざディズニーランドまで来て、待ち時間に「ソクラテスがさ…」「いやいや、それについてプラトンは──」なんて話す奴もいないし、私だってその場でそんな話は「しない」。

私達が色々難ありに見えてる社会に来ているのも、この「難あり」な体験を満喫するためなのではないだろうか、ふとそう思ったのです。

もしも私が、自分の望み通り山に籠り、廃屋で自給自足の生活をし、毎日瞑想三昧をして、覚りの境地を(仮にね)得たとしよう。
それって、別に「この世」でやらなくてもよくね??
あの世では魂がすべて真理知ってるンだから、単に覚り開くだけなら生まれてくる意味なくね??

急に、そう思ったのです。


私はひがみ根性や嫉妬心等に全く無縁だし、勝ち犬だの負け犬だのそんなことにも興味ゼロなので、正直にブチまけます。

私の人生、「めっちゃ辛ぇぇぇぇぇ!!!!」
波乱万丈すぎ!!!!
もう少し、「ビーチできゃっきゃ☆」とか「草原であはは♪」とか、そんな人生送ってみたいけど、あンまりにも無縁すぎ──!!!!
(いや、そもそもあまりそういうのに興味もないけどさ)

世の中の「どうせ俺(私)なんか…」といじけている諸君!!
SNSで「いいことばっかり」呟いている人多いから、「自分だけが不幸なんじゃないか」と不安に思っている方。

安心してください!!!
私もあなたと同じく、「辛いなぁ~」って思うこと、いーっぱい「あります」。
その辛さを、否定しません!
綺麗ごとにもしません!

「ツイてね~!!!」ってこと、いっぱいあるし(笑笑)。
職場のドライバーさんから「え~!! 篠崎さんが受診にあたると、絶対残業が発生するンだよなぁ」と「もってない女」扱いされ、
私が「〇〇さん、今夜あたりが峠になりそうです…」というと施設長から「やめろよ~! いっつもそうやって死神宣告するの! 篠崎さんが言うと必ず当たるんだもん!」と忌み嫌われ、
挙句の果てには、同僚看護師から「明日休み?」と聞かれ「ううん、仕事だよ」というと、「良かったぁ!! 篠崎さん休みの日はいっつも雨降るから! じゃ、明日は晴れるね!」妖怪アメフラシ扱いされ── 

それでも、篠崎は毎日元気に「凌いでます」!!!!
施設で増加しつつあるモンスターファミリーに理不尽なクレームつけられても、笑顔で交わしてます!!(陰で「くそったれ!!」って叫べばいいのです。同情してくれる人は必ずいるから。)


でも、「これが『生きてる』ってことなんだ!」ふと、そう思いました。


世の中が歪んできているとか、異常気象とか、
某国が何考えてンだか分かンね~とか、
SNSが炎上して、会ったこともない人にケチつけられたとか、
そんな社会でも、「体験するために、今、ここにいる」のです。
その体験から目を背けて、ゲームに没頭しても山に籠っても天の岩戸に籠っても「ま、それは個人の自由」ですが、

せっかくこの「三次元」に生まれてきたンですもの!
この「三次元でしか味わえない苦痛」も味わいましょうよ!


でないと、死んでから「あ~。三次元でしか味わえなかったものを、もっと味わえば良かった」そう思うに決まっています。
自分は幾度となく体外離脱をしましたが、行った先の世界のほとんどは美しく、三次元で味わえない程輝かしいものに囲まれていました。だったら、三次元でしか味わえない「汚れちまった悲しみに(…って歌があった気がする)を存分に味わいましょうよ。

最近、「ストレス社会」とよく言われているけれど、私はその理由のひとつに「辛いと思う感情に無理矢理蓋をして、綺麗ごとでごまかそうとしているから」なのではないかと思うことがままあります。   
クソ味噌一緒といいますが、クソはクソです! 味噌ではないです。(お食事中の方、ごめんなさい;)

辛い体験は「辛い!」として、ストレートに認め、変に「愛」だの「ギフト」なんて言葉でごまかさず、「神様のクソったれ! こんな思いさせやがって!」ぐらいに吐き出し、そして、明日を元気に生き抜く──それが人間みなに与えられた使命なのかもしれない、そんなふうに思います。

今、エハンさんはアイスランドを裸足で巡礼しているようですが、いいですね──私も同行したかった。
だって、「裸足で歩き続ける」ンですよ。
まさしく「生きている」っていうことです。

でも、残念ながら私の戦場は自然ではなく、「人間の現実社会」にある。
だから、私はそこを裸足で巡礼します。
それは「素足」という意味ではなく、「素の魂」という意味で。

この記事を読まれている皆さんにも、必ずや「辛いことのひとつや二つ」はあると思います。(「いや、まったくないし!」っていう方は別にそれはそれでいいのですが。)
でも、その「辛さ」こそが、あなたがこの世に生まれてきた目的であり、意味かもしれません。
俯瞰的な魂の視点でみれば、「何だ。この『辛さ』こそが、私が生まれてきた意味であり目的だったんだ」と気づくことが出来るでしょう。

地球のアセンションが起こるとするならば、この三次元における体験を俯瞰的に見つめることが出来て「初めて」成しえるものであると思います。
現実を無視して良いのなら、あなたは最初から「ここにはいない」。
現実から浮遊したスピリチュアル的な思想よりも、三次元を「くそまみれ、泥まみれ」で生きぬいた人の方が、「この時代に生まれた意味」を味わっているように思えた今日でした。

さて、明日も「くそまみれ、泥まみれ」で生きていきましょう!!
ストレスに負けそうな人。
社会が辛くて仕方ない人。
うつ病になりかけている人。
心が折れそうな体験をして、どうしていいのか分からずネットサーフィンしている人。

私もあなたと共に、三次元の沼地を歩きます!!
恐れることなく、共に歩みましょう!!
ここは「地球」という名の「テーマパーク」なのですから。
そのテーマパークを「思う存分、体験しましょう」!!



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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

【篠崎編集担当】


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