
※もう10年以上、篠崎の部屋に飾られているこの絵。
この絵は光と闇がバランスを保っていることに気づいて下さい。
あれよあれよと言う間に、気がついたらすでに師走を迎えていました。
今年末で篠崎由羅としてのスピリチュアル活動を終えるというのに、もうあと10日足らずになってしまいました; こりゃ予定していた記事、全部は書けないかな──と懸念を抱きつつも、
最期のひとあがきとして、出来る限りの力を振り絞って書いていきたく思っています。
本日、ある人気スピリチュアル系の書籍が届いたので、それを読んでいました。
タイトルと著者名は公表しませんが…おそらく「いい人」だというのは感じました。
しかし、
今やスピリチュアルという業界ほど、混沌としたカオスの世界はないと改めて再認識させられる結果となりました。
読者の皆様も、感じたことがあるのではないでしょうか?
ある著者は「Aが正しい」と言い、他の著者は「AではなくBが正しい」と言い、その他の著者は「AもBも違って、本来はCとなるべきなのだ」という。
これじゃ統制もへったくれもありゃしませんがな。
スターシード、ライトワーカー
(※軽作業員ではありません)、たやすく使われている言葉ですが、一体どれほどの意味があるというのでしょうか?
確かに、もうここ10年以上、「光と闇の闘い」については問い沙汰されています。
一番最初に「魂の戦争」について語ったのは、江原啓之氏です。彼はもう11年以上前に、魂に纏わる戦争が起きていることを示唆していました。
それから、(おそらく日数の関係で、記事には出来ないと思いますが)肉眼的に天使を見ることができるローナ・バーンさんも、グラハム・ハンコックさんとの対談で
「今は神vs魔との闘いが起きている。トロフィーは、私達の魂だ」ということに言及しています。
ISが事実上壊滅し、一時期ほど戦争状態の悪化が見られないように思えたところで、内面的な闘いは確かに続いています。
例えば、それは
国民の愚民化です。
このブログでも何度も書いたように、もしも私が悪の総統であるとしたら、戦争を起こすよりも
「国民に娯楽を与え、自由にさせ、ある程度の義務を与えることでやり甲斐を持たせ、ただ日常に埋没するように仕向けるだろう」と書きました。
若者は遠く離れた地での実際の紛争や飢餓などには目もくれず、パソコンという仮想空間の中での戦争に没頭する──仮想空間の中で「違った自分」を味わせることによって、現実を変えていこうという気概を奪おうとする。そうすることで、いくらでも世界は牛耳れるだろう──そう言いました。
皮肉にも、それは現実に起きています。
それでは、真実とはどこにあるのか? 何を信じればいいのか?
思考力や洞察力がある人は、誰でも不安に思うことでしょう。
私が言えることがあるとすれば、
この現実でさえ仮想空間だということです。
信じられるのは──ただ「自分の直感のみ」です。
そうした時に、人は「自分が高次元の考え方をしているかどうか」と囚われがちです。
しかし、5次元だの8次元だの12次元だの
3895とんで245次元だろうと、
そんなこたど~でもいいのです。
例えて言えば、あなたが中学三年生と同等の知識や経験しかないのに、新たな物理学の公式を出そうとディスカッションしているような研究員の仲間になりたいと思うでしょうか?
私だったら、なりたくないです。
年相応に、そして経験相応に進んでいくことを選ぶでしょう。
私は、はっきりと確信しています。
私達──少なくとも、今、この時代に生を受けている人達が生きている間にちまたで言われているような「アセンション」は
起こりません。
とはいえ、「今」という瞬間に過去も未来も凝縮されていることを考えれば、意識のあり方次第で「アセンション」は可能ですが…集団的にそれが出来るというのは、まだ先のことになると私は考えています。
ただし──「カオスの時代」は訪れるかもしれません。でも、それはある意味で言えば「学びの期間」であり、本当の意味でのアセンションに繋げるための「橋渡し」と言えるでしょう。
地球が本当の意味で目覚めるための、きっかけと言えるかもしれません。
マオリッツォ・カヴァーロ氏が対面したクラリオン星人は、
「今から30年後に地球は太陽の異変によって環境に打撃を受け、それはしばらく続くだろう」と告げられました。
カヴァーロ氏がそれを聞いたのは、1986年です。すなわち、30年後とは
2016年です。
ここから、火蓋が切って落とされたのです。
また、シュタイナーは地球紀の終わりについても言及しています。
ですが、それはまだ何世紀も先のことだろうと言われています。
そして──今、スピリチュアリストと注目されている方々には、残念ながら前提となる哲学も、思想も、宗教も、歴史の情報もありません。どこか他のブロガーの二番煎じとされる情報を流布しているだけで、非常に根拠薄弱です。
光と闇の闘いは「もうずっと昔から続いている」のです。
スウェーデンボルグは、17世紀に光と闇の闘いを目にしました。しかし、
それは闇が一方的になくなればいいというものではなく、「ある程度のバランスをもって保つこと」を義としていたそうです。
考えても見て下さい。
人間の体は、完全に無菌状態でしょうか?
違いますよね?
そうではなく、
免疫力によって常在菌と共にバランスを保っていることによって、健康が維持できるのです!やたらに無菌、無菌というようになってから子どものアトピーやアレルギーが増えたことから、押して知るべし、ですよね。
すなわち、
光と闇があってこそのワンネスだということを、忘れてはなりません。
光と闇の闘いは、
バランスを保つことを目的にしているのであり、どちらかを滅ぼすことを目的にしているのではないのです。
機会があればご紹介しますが、私は数多くの「体外離脱体験」をしてきました。
それは臨死体験に近い程、素晴らしい世界を垣間みるような体験でした。
だからこそ、私は全く死を恐れてはいないのですが──そんな体験をしてきた私でさえも、今、目の前で助けを求める人達に手を差し伸べたいと思っています。
私の覚りやアセンションが後回しになろうと、そんなこと知ったこっちゃありません。
アセンションがしたいのであれば、私は最初からこの世に生まれては来なかったでしょう。
私がこの世に生まれてきた目的は、ひとえに
「人類救済」です。…って言うと大袈裟ですが、まぁ、もっと端的に言えば
「人助け」です。
もうこの10年間で何度もここに書いたことですが、私がモットーとしているのは
地蔵菩薩の誓願です。
「〈わが名を唱える人を苦から救う〉という誓願をたて,梵天,夜叉,狼,閻魔などさまざまの姿をとって衆生を導く。《地蔵菩薩本願経》によると,かつて二王がいて,一王は自ら悟ってから衆生を救おうと考え,一王はまず衆生を悟らせてから自らも悟ろうと考えた。前者は一切智成就如来,後者は地蔵菩薩である。」
考え方は自由です。一切智成就如来の考え方も「あり」です。
要は
「自分は、どうありたいか」それだけだと思います。
ただ、「闇はすべて排せよ」という考え方が宇宙の秩序に当てはまるのかどうかは──皆様にご一考頂きたく思います。
●多くの方に、「真剣な目で地球人類の進化に意識を向けて欲しい」と、強く願っています。
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