YOU are EARTHに掲載する取材原稿が漸く脱稿し、今日から篠崎は5月に出す執筆本(YOU are EARTHから、新書版で出す予定)の準備に入りました。
なのですが――こういうまとまった本の準備というのは設定や構成を考えるのが一番大変、かつ重要で、PCを前にウダウダ病を発症していたりもします。……この「ウダウダ」から抜けられると、早いのですけれどもね……。(私の執筆ペースは7割ウダウダ、3割執筆です。)
今回のテーマは、2012年「アセンション」に関するものにしようと思っていますが――スピリチュアル分野でそういう内容を書いている方は大勢いらっしゃるし、私自身、スピリチュアル的視点でそれを論じたいわけではありません。
私の姿勢はあくまでも
一元論であり、現実世界と目に見えない世界は「表裏一体のもの」と考えています。なので、私が書く本では
「そうしたスピリチュアルの事象が、どのように現実世界に作用、かつ波及するのか」について掘り下げようと思っています。
ちなみに、今年の秋には「アセンションのラインを超えた世界」について、どんな世界になっているのかを一冊本にまとめようと思っています。この両者は続き物ではないにしろ、互いに関連しあった内容にしたいと思っていますので、興味がおありの方は是非――
……と。
ここまで言って、「まだ設定も出来てないのに、気が早いぞ!」と自分で気がつき、書くのをやめました(笑)。自信をもってお送り出来る設定が組み上がったら、改めて宣伝させて頂きます。
さて――執筆本準備の為に、あれこれ情報を探っていた篠崎ですが……ふと、「1999年と2012年の違い」について疑問に思いました。
このブログでも、「1999年はあくまでも過程でしかなく、時代の変貌に至る前兆に過ぎない」ということを書きました。
では、2012年は――というと……巷では「終末ではなく、始まり」ということが言われています。アセンション説の発端となったマヤ暦では、「最後の太陽」という言われ方をしているそうですが、実際にそれが終末を意味しているか否かということについてはマヤの神官達も言及しているわけではないようで、むしろ終末論について否定しているような話を耳にします。
最も、こうした終末論というのは今に始まったことではありません。日本で言えば、平安時代も「末法の世」として、終末論的なことが言われていました。ヨーロッパでも、彗星などが近づくたびに「人類の滅亡」などが叫ばれていたし、ことさら真新しいことでもなさそうです。
では、何故2012年はこのような注目のされ方をしているのでしょうか。
私が思うに――
世界がグローバル化してから、初めて注目された人類規模の変化だからなのではないかという気がします。
今までは、末法の時代だの彗星による終末だの言われていても、それは局地的なものでしかありませんでした。当時は国と国が今ほど密接な関係になく、政治も分断されており、ましてやインターネットのような情報網がなかったからです。
ですが、今はこうして、ひとつの情報を瞬く間に世界各地へ開示することが出来る。そうなってから注目されているのは、今回のアセンションが「初めて」です。
ここに、何らかの示唆が含まれているように、私は思えるのです。
勿論、だからといって「全世界、全人類隈無くみんながそれを知っているか」といえば、答えはNOです。そして、必ずしもそこまで知っている必要性はありません。少なくとも、上記した時代の滅亡論に比べたら、遙かに今の時代の方がひとつの情報に対する認知度が高いはずですから。
卵が先か、鶏が先かではないですが、「多くの人が情報を知ること」自体に何らかの意味があるのであれば、今の時代にアセンションが騒がれているのは至極納得がいくし、同時に
まるで誰かに仕組まれているかのような巧妙さも感じずにいられません。
では、1999年は何だったのでしょう。
私は、「1999年には、まったく意味がない」という見方には反対です。1999年に向けての10年間は、まるでグローバル化の先駆けとも言うべき事件が多発していたからです。
1989年のドイツ統合、ペレストロイカ、天安門事件――その後もイラク戦争、ルワンダ紛争、バルト三国の紛争など、紛争が世界の脅威になりつつあることを知らしめるかのような事件が相次ぎました。
他にも、エボラ出血熱のようにウィルスや感染が拡大することを示唆するような事件。日本のバブル崩壊に見られる資本主義の揺らぎなどは、すでに1990年代に始まっています。
そう考えると、1999年という世紀末の象徴は1990年代からすでに始まっていて、1999年という世紀末論は
あるひとつの時代の終焉を意味していたという見方が出来るのではないでしょうか。
予言は、ただ象徴されている詩だけに意味があるのではなく、複合的に様々なメッセージが含まれているようにも思えます。それは恰もDNAの如く、立体的な多くの情報が含まれているのではないでしょうか。
だとしたら、1999年の予言も様々な見方をすることが出来、その中には「時代の終焉」という意味が含まれていてもおかしくないと思えるのです。
では、2012年の方は?
私は――あくまでも私個人の意見ですが、
「始まり」を意味しているような気がします。
1990年から始まった流れが「ひとつの時代の終焉」を示しているのは、歴史上明かです。それは、1999年の10年前――1989年に起きた事件に集約されているようにも思えます。この年、日本では昭和の象徴である天皇が崩御され、新たに平成という元号がつきました。ペレストロイカによって冷戦は終わり、ドイツも統合され、第二次世界大戦以後世界全体を揺るがしていた勢力のひとつが、地に堕ちたのです。
これが時代の象徴と言わずして、何なのでしょうか?
2000年以降も、大きな異なる波が来ています。2000年はそれこそ平穏で、オリンピックを見ながらみんな「結局ノストラダムスなんて、嘘だったじゃん」と笑ったことでしょう。
しかし、2001年の9.11で――その平穏は覆されます。
そこから先は、1990年代の流れとは違った――もっと暗中模索の日々が世界を包みました。まるで、ハンドルが利かず暴走した自転車が、すごい勢いで坂を滑り続けるかのように――。
こうした模索が2012年に終焉したとしたら――次に来るのは、明らかに「新たな時代」です。
それがなければ……もしかしたら、絶望的な事態になってしまうかもしれませんが――。
1999年の予言というのは、人類の一大転機における「2012年」への気づきを促す為の、ひとつの過程に過ぎなかったのではないか――というのが、私の考えです。
少なくとも、私達は1999年の時と「違った心構え」でいるのは事実です。「眉唾~」と思っている方が多いのはごもっともですが、そういうふうに思っている方の中でも「何かが違う。何かが、変わりつつある」というのを感じ取られている方も、多いのではないでしょうか。
というよりも、今時の社会情勢を見て「な~んも変わってないよ」って思う方が、感受性的にちょっと問題あるのではないかという気がする程です。
アセンションの問題はスピリチュアル分野においてしか注目されていませんが、本来、社会学的にも、史学的な視点でも、また、人類学的な視点においても、立証出来るもののような気がしています。
私は思想端ではあるものの、好きな分野は社会情勢、国際情勢なので、人間の現実的生活や社会的生活における中で「アセンションという現象の影響」がどう響いているのか――今後、掘り下げていきたいと思っている次第です。
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