世の中には、不思議なことなど何もない

「世の中には、不思議なことなど何もないのだよ」

 これは、人気小説「京極堂シリーズ」の中で、京極堂こと中禅寺がよく言う台詞です。辻褄の合わない事象に困惑する友人・関口に向かって、ことあるごとにこう語るのです。
 もっとも、この台詞には二通りの解釈があると思います。ひとつは、人間を中心に据えた視点。すなわち人間の知性を超えた物事など、存在しないという見方。そしてもうひとつは、「不思議なこと」も、受け入れてしまえば「不思議ではなくなる」という見方です。

 私は今まで、前者の意味でしか考えたことがありませんでした。
 京極堂シリーズは、第一作目が単行本になった頃から愛読していて(最近はさすがに忙しくて、あの分厚い小説を読む時間もなくなってしまったのですが──)、好きな小説シリーズのひとつでした。しかし、舞台が昭和30年代という設定で、日本が情緒よりも物質的生活に重きをおくようになりつつあった時代でもあった為、どちらの視点で描かれた作品なのだろうというのが妙に引っ掛かってしまい、作品世界に没頭出来ないこともままあったのです。(まぁ、こんな風に作品における価値観が気になって世界に没頭出来なくなるというのは、ある意味読者としては外道なのでしょうが──)
 ですが、ここ最近その言葉を思い返すごとに、「いや、違う。あの言葉には、違う意味があるんだ」──そう思うようになりました。

 このブログでも何度か書いてきたことですが、私はそもそもスピリチュアル──霊的世界と現実世界を二元化して考えることに異議を唱えています。
 これらは両者ひとつのものであり、切り離して考えることそのものが不可能なのです。
 「私」という存在の中にある「肉体」と「こころ」を切り離して考えるのと同じことです。確かに、物質を組成するものとして見れば、肉体もこころも別のものでしょう。しかし、「私という存在」に内包されているということを考えたら、肉体とこころが「別のものだ」と考えるのはおかしい話です。唯物論者がこころを「脳の電気パルスに過ぎない」と言い切るのはおかしいことですが、また同時に、唯心論者が「心だけに価値がある」と言い切るのも不自然です。肉体もこころも、共にあって共に関係しあうからこそ、「私」という存在が成り立つのですから。
 こころを霊的存在として見ても、同じことが言えます。現実世界を蔑ろにしてまで霊的存在が敬われる必要性など、どこにもないのです。もしもそこまで霊的存在の方が大切なのであれば、私達は肉体を持って生まれてなど来ません。生まれてきた以上、意味があるからこそ、ここに存在しているのでしょう。

 ですが、昨今のスピリチュアルはどうもこの「霊的世界」或いは「目に見えない世界」ばかりを敬い、現実世界とリンクさせようとする試みが非常に薄れているようにも思えます。
 勿論、これだけ科学が発達してしまった現代世界の中で「目に見えない世界を現実世界にリンクさせるには、まずは立証が大切だ」という意見も理解は出来ます。しかし、そのように「立証こそがすべて」という考え方自体が、すでに三次元の枠に閉じこめられている証拠ではないでしょうか?
 本来、立証云々ではなしに、「それがあると仮定したら、何が変わるだろう」という発想の方が大切なのではないでしょうか?
 しかし、多くのスピリチュアル関連(特に宇宙人やUFO関連)の書籍はあれやこれやと写真を掲載するばかりで、「これが事実だとしたら、私達の生活にどんな影響があるだろう。思想にどんな変化があるだろう」という見方はしていません。私はそれが口惜しくて仕方ないことがあります。
 そんなことばかりしているから、目に見えない世界を否定する人達を説得することが出来ないのではないでしょうか。

 もともと、立証するもへったくれも、三次元理論で語ることが出来ない存在を如何に私達が証明出来るというのでしょうか? それ自体が、私は人間の傲慢でしかないように思えてしまうのです。
 そうではなく、本当に大切なのは既存の価値観を覆し、その先を想定しようとする試みなのではないだろうか──私はそんなふうにも思います。

 そう思ってから、上記「世の中には、不思議なことなど何もない」という言葉を思い返す時、そこにはまったく異なった様相が浮かびます。
 すなわち、不思議と思えることも、結局は私達人類がそれを受け入れようとするか、しないかに過ぎないということ──。「受け入れない」という姿勢でいれば、世の中不思議なことは多々あるでしょう。しかし、「受け入れよう」とすれば、その人にとってそれは不思議でも何でもなくなるのです。
 作者の京極夏彦氏がそのような意図で書いたかどうかは不明ですが、私はこの言葉の中に別の意味が含まれていることを知り、感慨深いものを感じました。
 人間は、理性の枠を超えて知性で解決できないものも「あるのだ」という前提に立った時、ある意味無敵になれるのかもしれない──と。
 科学を翳し、すべては人間の知性で理解出来るという人達にとっては、宇宙はそれこそ未知で、不思議な世界かもしれない。しかし、「人間の知性で理解出来ないことも、たくさんあるのだ」ということを受け入れてしまった人からすれば、それはひとつの「現象」に過ぎない──。

 私は、愚か者のレッテルを貼られたとしても、人間の知性に胡座をかいて生きていくようなことだけはしたくない──そんなふうに思う今日この頃です。 


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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

【篠崎編集担当】


【篠崎の著作本】

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