まだ現在も、4歳甥っ子との同居生活が続く篠崎(笑)。
昼間階下に行こうものなら捕まって離してくれず、仕事にならないので(子供にどんなに「私は自営業でね、お家で仕事しているんだよ(滝汗)」って説明しても、そうそう理解はしてもらえません; 家にいれば誰だって「遊び相手」です;)、甥っ子が寝ている時に仕事をし、甥っ子が起きている最中は「寝る」という、
昼夜逆転の生活をすることに決めました。(寝ているというのが分かると、起こすことまではしないので──)
しかし・・・・・・それでもそうそう、うまくは行かず(涙)。
今日も深夜3時に起きて、この時間まで仕事をしていましたが・・・・・・酷く泣き叫ぶ声がしたので、仕事を中断せざるを得ませんでした。
慌てて降りていってみたところ、どうやら父親(甥っ子にしてみれば祖父)に叱責されたようなのです。
公園に連れて行っていたものの、水たまりで甥っ子は遊びたがって──それを祖父が止めたにも関わらず、甥っ子がそれをはねのけて水たまりに入ったことで、祖父が「叩いた」らしいのです。
──事情は分かります。
私の父親は元教師ですが、高校の教師を目指したのも「子供が嫌いだから」という理由な程の人で──私が子供だった頃も、休日にどこかへ連れて行くなんてことがなかったような人ですから。もともと、子供が苦手なのです。親らしいことを、したことがなかったから。
でも、命に危険なことをしたならともかく、ただ水たまりで遊んだだけで叩かれてしまったら、子供は怯えて当然です。ましてや、男の子なのだから──水たまりで遊びたくもなるでしょう。「悪いことを叱る」のと、「ただ大人の都合で叩く」のでは、根本的に意味が違います。私の父が「後者」だったのは──言うまでもありませんでした。
甥っ子があまりに興奮して泣きやまないので、私はただ黙って、じっと抱いていました。
何も言わずに、「泣かないの」とあやすこともなく、「思う存分、泣かせてあげよう」──そう思って、ただただ、抱きしめていたのです。
すると、ようやく落ち着きました。ある程度落ち着いたので、私は仕事に戻ろうと思ったら──
──今度は、離れてくれなくなりましたが・・・・・・orz。←それでゲームにまでつきあわされた徹夜明けの人;
甥っ子が小さいながらも、色々なことを我慢しているのが、私にも分かります。
大人の都合の狭間に立たされ、母親が不在な理由も、何故自分が母の実家にいるのかも、子供心に分かっているのでしょう。
私はそんな甥っ子が、とても不憫に思えます・・・・・・。
辛い思いをしている子供は、きっと世の中大勢いる。だから、甥っ子をひいきするつもりもないのですが──やはり、私の目の届くところにいる以上、甥っ子の満たされない想いはしっかり受け止めたい──そう思いました。
興奮して泣きじゃくる甥っ子を抱きしめながら、ふと、私はこんなふうに思いました。
愛の本質は、何も変わらない──と。
愛には、色々な言い方があります。「慈愛」「異性愛」「欲愛」・・・・・・友愛、親子愛、などなど。
でも、それらはただ「形が違う」だけで──「愛の核にある部分は、すべて同じなのではないか」、そう思ったのです。
多くの人は「愛にはそれぞれ、種類がある」──そう思っているかもしれません。
でも、本来、異性に向ける愛だろうが、夫に、妻に向ける愛だろうが、子供に向ける愛だろうが──すべての源は「ひとつ」なのかもしれません。
それは、
言葉にならない、想い。 私が甥っ子を抱きしめていた時、何も「考えていませんでした」。
「徹夜明けなのに~」とか、「早く泣きやまないかな~」とか、
或いは「何でこんなに泣いてるんだろう」とか、「よしよし、泣かないの」とも──
何も思わず──そこにあったのは、
ただただ、包み込む想いだけでした。
愛って、そういうものなのかもしれません──。
理屈でもなく、言葉でも定義出来ず、
ただ「感じ取るもの」。
ただ「そこにあるもの」。
そう言えば、今から十年以上前に、こんな質問をされたことがありました。
「あなたは、どうやって愛を知ったの?」 私が「愛を知っている」のかどうかは、分かりません。愛って、概念ではないし定義出来るものでもないから。
ただ、私は
途方もない感動を体験して知っていたし(詳しくは「
天界の音楽」にて)、
愛は無形のものでしかない──そんな想いはありました。
だから、私はこう答えました。
「私が愛を知っているかはどうか、わからない。でも、私が無性に感動するようなことは、今までに何度かあった。それは、大地から芽吹く草の芽を見た時だったり、暖かな日差しを頬に受けた時だったり、静かな風の音を聞くような時──つまりは、『地球に愛されている』ってことを感じた時、かな」 その答えはあまりに抽象的すぎたようで、相手に伝わっていなかったようですが(笑)。
でも、私は甥っ子をただ抱きしめていた時に「同じこと」を感じました。
愛は、
「ただある」ことであり
「ただ包む」ことであり──
「相手の存在に対する、全肯定なのだ」と──。
そう考えると──。
泣きじゃくる甥っ子のように、幼くて愚かな私達人類を、地球はいつでも、優しく包み込んでくれているのかもしれませんね(笑)。
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