個性の尊重こそが、「全体調和」へ至る道

 今までの価値観の中では、社会や国などを尊重する「全体調和」をはかるには、「個性を排斥するしかない」と考えられがちでした。
 そうした考え方は独裁国家において顕著に表れていたと、そう思います。人間が「国の歯車」だけになってしまい、個性を抑圧し、周囲にあわせることこそが美徳とされていました。
 それは、第二次世界大戦前後の日本も同じでした。
 ──いえ。ある意味、つい最近まで日本はそうした風潮があったかもしれません。

 「個性を大切に」ということが教育関係者の間で言われるようになって久しいものの、その言葉が言われ始めた1980年後半は「では、何が個性なのか?」「個性というのは、奇抜で突出したものでなければならないのか?」ということさえも曖昧なまま、ただ言葉だけが流布されていたような印象を受けます。
 本来、個性というのは誰にでもあって、「没個性」なんてこと自体あり得ない話です。(仮にそんなことを言う人がいたとしたら、「それを言う本人の感性が鈍い」だけです。相手の個性を感じ取るだけの感受性がない、というだけのことで。)
 また、「どの個性がいい」ということもありません。「隣の芝生は青く見える」といいますが、本来個性は「その人の役目(自分が『こうありたい』と思う姿)」に応じてあるのであって、どんなに他者と比較したところで意味はありません。「自分が、どうありたいか」でしかないからです。

 数年前、「自分探し」という言葉が流行りましたが──自分というのは「探すものではない」、「決めるもの」だというのが、私の姿勢です。
 そもそも「自分探し」という時点で、本来の自分を「外側」に探してしまっています。それじゃ、眼鏡を頭にかけたまま「私の眼鏡、どこいった?」と探しているのと同じことです。自分は探すものではなく「自分で決めるもの」であり、「自分で気づくものだ」と、私はそう思うのです。
 そして──この「自分である」ということこそが個性であると、私は思っています。何も奇抜である必要性もなく、また、変人である必要もない──ただただ「自分である」というだけでいい。
 だから本来、「個性を活かす」というのは、「自分らしさを出す」というだけの簡単なことだと、私は思うのです。
 すごく単純で、しかも素朴なことでしかないのだ、と。

 しかし、こうしたごくごく自然で素朴なことさえも「許されない時代」がありました。
 今にして考えれば、本当に恐ろしいことですが──それが当然のように行われた時代が、今まで長々と続いてきました。
 そして、そうした個性の排斥の生み出した結果が──今の社会問題に直結する、私はそう思えるのです。
 
 1990年代前半。日本は「カルト宗教ブーム」とも言えるぐらい、多くの新興宗教活動が行われていました。「朝まで生テレビ」などでも、そうしたカルト宗教家や研究者を集めた議論などが行われたこともありました。
 しかし、それがいっきに終息したのが──ここでも何度か記事にした「オウム真理教による地下鉄サリン事件」。これをきっかけに、急激な勢いで新興宗教の活動は社会の舞台から姿を消したのです。
 その代わりに出てきたのが・・・・・・サブカルチャーブーム、とでも言うのでしょうか。(私は見ていなかったのですが)アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」などが大ヒットとなり、ここから「アダルトチルドレン」という言葉が急激に広がりを見せました。

 私はこの両者の時代、どちらにおいても「共通項」と言えるのが──排斥された個性を取り戻そうとする働きだったと思えるのです。
 前半のカルト宗教ブームでは、いずれにせよみなが「今、ここにある」という現実を受け入れられず、それを宗教の中に垣間みて、また、後半のサブカルチャーブームでは、「アダルトチルドレン」という言葉によって、「現実を受け入れられない自分を、肯定する」という作用が働きました。
 また、2000年代前半は、「自己啓発」或いは「セラピー・ブーム」。そして、後半は90年代前半のカルト宗教ブームを凌ぐ程の「スピリチュアル・ブーム」。
 これもまた、同じように「個性を求めようとする人達の声」が投影されているように、私には思えるのです。

 個性とは──「自分である」という最も大切な基軸です。
 これを失われたら、誰だって「おかしくなります」。
 でも、これを平気で奪ってきたのが「今までの日本社会」だったのでしょう。だからこそ、人々は命を軽視するようになって安易な殺人に走ったり、猟奇殺人に走ったりなどが繰り返されたのかもしれません。

 2008年あたりから、また少し様相が変わりました。
 もっとも、この2年間の動きは、上記例にあげた20年間の比にならないぐらい、動きが速く感じられます。
 それに、1997年に神戸で起きた酒鬼薔薇事件からずっと続いた「少年による猟奇殺人」が、ここ2年ほどの間で減少しているように思うのは私だけでしょうか? 1997年から2000年代前半にかけては「また?」って首を傾げたくなるぐらい立て続けに起きていたのが、ここ最近はまったく目にしなくなった気がします。マスコミが騒がなくなった──ということはまずないでしょうから、おそらく「事実、ここ数年『起きていない』」のでしょう。

 今、少しずつこうした「個性の大切さ」──そして「自分は、こうありたいんだ」ということを決められる人達が増えてきている、私はそんなふうに感じることがあります。
 これもまた、ある意味時代が変わる黎明期を象徴しているのかもしれません。
 本来、こうした「個性の尊重」は、「全体調和(世界平和)」に至る大前提です。個性の尊重があるからこそ、他者への思いやりや同情が生まれ、また同時に、「みなと調和していこう」とする精神も生まれるのですから。
 個性の確立はもとより、それを大切にするという精神が広がることで、大きく時代も変わっていくのだろう──そんなふうにも思う次第です。


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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

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