ここ三日間、自分のペースが取り戻せない篠崎です(苦笑)。
おそらく、ブログを読んで下さっている読者さんの中には「篠崎にしては短い記事が続いているな。何かあったのかな」と疑問に思っている方もいたかもしれませんね。
事情はお話出来ませんが、まぁ、「ひとつのヤマ場は越えた」ということだけ、お伝えしておきます。
最近思うのですが、人が何か決断したりする時は、周りの意見や評価よりも、まずは
「自分の心にやましい点がないか、どうか」が重要なのかもしれない──そんなことを実感しています。
もしやましさがなければ、天は必ずや導いてくれる──。
どんなに酷い目にあっても、どんなに悲惨な目にあっても、真理に忠実であろうと生きる者は必ずや導きの光が見えてくる。誰に理解されなくても、目に見えない存在達は必ずやそれを見ていて、助け船を出してくれるものなのだろう、と。
何か問題が起こった際、自分の信念にただ向き合えば──自ずと、道は開かれる。
どんな嵐の中でも、ただ耐えてじっと自分の声と向き合っていれば、いずれ嵐は遠ざかる。
もめ事の中にあっても、ひたすら冷静さを保ち続ければ、人は必ずや嵐の雲間を発見出来るものなのでしょう──。
人間として地上に生きる以上、様々な人達と接触して生きていかなければなりませんが、どんなに話し合いしたくても「最初から立ち位置と見え方が違う場合、話し合いは平行線上にしかならない」ということはままあります。
先日書いた「フィルター」のように、私たちは気づかないだけで、沢山の思いこみ、偏見の中で判断をしているのですから。
自分でそれに気づく謙虚な姿勢を持ち、かつ「いかにその偏見を取り払う努力をするか」ということが、本来はとても大切なことなのかもしれません。
目に見えている部分は、宛てにならない。
如何に私たちは、「目に見えている部分を超えて、その人の本質を見抜けるか」──これこそが、大切な学びなのでしょう。
私はまだまだ、修行中の身です(苦笑)。
●多くの方に、「真剣な目で地球人類の進化に意識を向けて欲しい」と、強く願っています。ひとりでも多くの方に「人類の意識改革」に向き合って頂けるよう、以下のクリックにご協力をお願いいたします。
【予告】
近日中に、エハン・デラヴィさんがネット配信している「2012ルネッサンス」のレポートを紹介します。
エハン・デラヴィのトークイベント、申し込み受付中です。
◇メインサイト◇