YOU are EARTH。
この名前は、そもそも
「人間ひとりひとりは、みな地球の細胞である」という考えに基づいています。
勿論、人間だけに限ったことではなく地球上に生きる全生命──動物、植物、あらゆる命達も同様に「地球の細胞だ」というのが、私の考え方です。
全生命が「地球の細胞」であるとしたら、「私たちが地球」であり──「地球が生命の総体=地球は生命である」と置き換えることが出来ます。
地球は、私たち同様に「生きている」──私は、そう考えています。(詳しいことは、
「YOU are EARTH」機関誌第一号をご参照ください。)
そうした視点で見てみると、人間の在り方や人類の歩んできた軌跡にも「地球の姿」が映し出されているような気がします。
例えば、現在地球は「瀕死の状態である」と見る人達がいます。そうしたことを地理学的な視点で研究するのも大切ですが、別の視点で
「私たち人類や他生命達が、現在どのような危機的状況におかれているか」ということから類推することも可能なのではないでしょうか。
私たち人類は、今や既存システムの行き詰まりを感じています。社会は閉塞感に満ち、この先をどのように歩いていけばいいのか──その青写真でさえも不透明です。
どのような学術的見解よりも時代の方が先に先にと進んでしまい、また、ひとつの現象に対する終焉が非常に速くなっている。
これは、明らかに私たち人類の構築してきた社会が
「新たな展開を余儀なくされている」──そのサインのようにも思えるのです。
同時に今、絶滅に追い込まれている動物達、植物達も沢山存在します。彼らもまた、人類と運命共同体として、新たな転換期に差し掛かろうとしているのでしょう。
そうした現象をすべて紐づけるとしたら──それは、
生命ある地球の転換期というべきものなのだと、私には思えるのです。
先日、ハイチで大地震が起きたばかりだと思ったら、またもやチリで巨大地震が起きました。同日に沖縄でも地震がありました。
また、日本海側──富山県や石川県で、「リュウグウノツカイ」という深海魚が次々捕獲されるという現象も起きているそうです(
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/yomiuri-20100227-00568/1.htm)。
こうした現象の数々は、地球の息吹を感じさせるものであり、また、「何かしらの予兆」を窺わせるものでもあります。私たち人類が未来への青写真を見つけることなく右往左往している間に、地球の方で「あっさり」答えを出してしまうのかもしれません(苦笑)。
ただし、こうした現象を悪戯に怖がるのは良くないと、私は思っています。
人間、不安を数えればキリがありません。
「近々、大型地震が起こるかもしれない」「地軸がゴロンと、おへそを曲げてしまうかもしれない」──。
未来に何が起るかは、誰も明言出来ません。
しかし、何が起ころうと、今確かな事実が「ひとつだけ」あります。
それは「今」、私たちが「生きている」ということ──。
未来、我が身に起こることを不安に思うよりも、
大地震の情報を聞いて「いつ、日本にも大型地震が起こるだろう」と不安がるよりも、
「今」、生きている中で精一杯のことをしていれば何も心配はない──私はそう思います。
人間の命は、肉体の生を終えることで消滅してしまうような、そんなちっぽけなものではない。この世しか存在しないのであれば、宇宙は「こんな遠大な計画」を企ててまで、人類を生み出したりしません。
逆に言えば、こうした複雑な時代を選んで生まれてきたことこそに、「意味があるのだろう」と。
「目に見えるもの」だけを追っていれば、巨大地震も異常気象も、ただ恐ろしいものでしかありません。
しかし、「目に見えない背景」──私たちは地球の細胞であり、そして、
「地球が生きているからこそ、何かしらの予兆としてこうした現象が起きているのだ」と思った途端──恐怖がなくなるのは、私だけでしょうか(笑)。
今まで人類に痛めつけられ、その存在さえ軽んじられていた時代が長く続いたにも関わらず、今に至るまで優しく私たちを守ってくれていた地球──。
視点を人間中心主義から外し、この惑星とひとつに被せることで──あらゆる物事が違った角度で見えてくる。
私はそんなふうに感じる次第です。
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