少しずつ、本調子を取り戻してきた篠崎です。
現在は先月1ヶ月間に渡る「遅れた仕事」を波に乗せようと四苦八苦している状態です。3月7日には一通りの目処が立つ予定でおりますのでそれまでの辛抱とは思っていつつも、いやはや──なかなか大変ですね(笑)。
でも、「本当に自分がやりたい仕事で忙しい時」というのは、さほど苦に思ったりしないものです。今はまさにそんな状態なので、楽しみながら、毎日怒濤のスケジュールをこなしています。
現在、溜め込んでしまって随時進めている仕事は、すでに前から企画されていたにも関わらず、なかなか告知に至れなかったものの「企画書まとめ」です。
5月3日に企画している山川鉱矢さん・亜希子さんの講演会企画内容は無事了承頂き、会場での申込みも完了しました。現在、デザイナーの774さんに正式依頼して完成待ちです。
また、エハンさんのイベントに関しても本格的に告知始動しました。いっぺんに二つ大きなイベント告知が重なって「あれよあれよ」という感はありますが(笑)、精神的にタフな篠崎──頑張って乗り越えますv。
さて、そんな怒濤の中にいる篠崎ですが──今日、ふと面白いことを感じました。
「目に見えないもの」が、「当たり前の現実」になる時代 前々から申しておりますように、私の中における物質世界・霊的世界は、「一元論」です。
それは平べったい「統一主義(ワンネス主義)」を言っているのではなく、
「この世はすでに霊的世界が一部顕現しており、物質世界だの霊的世界だの切り分けて考える方がおかしい」というものです。
何度も使っている例なので耳にタコ(いや、目にタコかな)が出来ている方も大勢いるかと思いますが、目に見える世界と目に見えない世界は
氷山のようなものです。海面上出ている部分が「目に見える世界」で、隠れているのが「目に見えない世界」。ですが、どちらもそれは氷山でしかなく、見えている部分、見えてない部分を切り離して考えることがどれほどナンセンスか──すぐにお分かり頂けることと思います。
勿論、だからこそ「目に見えない部分」ばかりを特出して語ったり、そちらにばかり没頭して現実世界がおろそかになるのもナンセンスです。本来、どんなにこの世知辛い現実世界を生きていても、
私たちはいつだって、目に見えない世界に満ちる恩恵の中に守られているのだという感性こそが、大切なのではないでしょうか。
「目に見えないものが、当たり前の現実になる」。
そういうと、変にかしこまって考える方もいるかもしれませんが──何のことはありません。とても単純なことです。それどころか、みなさんすでにそういう体験を数多くしているにも関わらず、既存の価値観における思いこみが「こんなのは気のせいだ」とかき消してしまっているだけかもしれません。
私の身近な例なのですが──私がYOU are EARTHにおける仕事を委託しているデザイナーの774さんとは、よくそういうことが起こります。
私は文章を書いても、絵心は「まったく」ありません。どんなに鮮明なイメージを頭に浮かべていても、それを絵にすることが出来ないのです。
その為、広告に関するイメージなどを774さんに依頼する際、出来るだけ「自分のイメージ」を鮮明にしながらそれを伝えます。
アーティストというのは元来鋭い感受性と、それこそ「目に見えない世界」を如実につかみ取る才能を持っていますが、774さんもまさにそういうタイプの方なのでしょう。私が依頼した内容と
寸分違わぬデザインを、いつも準備してくれるのです。 勿論、絵心のない私は細かく774さんに指示しようがありません。エハンさんの広告に関しても、お願いした一言は──
どぎつい夜明け! これだけです(爆)。
何故、夜明けをどぎつくする必要があったのか──などは、理屈では説明出来ません。浮かんだイメージが、「まさにその一言に相応しかった」としか、言いようがないので。
しかし、774さんはその「たった一言」で、絵を描き上げてくれたのです。
普通、「どぎつい夜明け」って言われただけで、イメージが浮かぶでしょうか(苦笑)? 他のデザイン会社に頼んだら「は? すみませんが、もっと具体的にお願いします!」って突き返されるのが関の山です。
にも関わらず、774さんが見せてくれたイメージ画は、
まさに私がイメージしていたものと、同一だったのです。
おそらく、私がイメージしたものを、774さんがキャッチしたのでしょう。
私と774さんの趣向が似ているというだけなら、それはわからなくもないですが、彼女は本当に多彩な人で「どんなものでも、作品に出来るアーティスト」です。大体みなさん、この私の無茶苦茶な「どぎつい夜明け!」を描いた方が、古雅先生のブログのデザインを作成するでしょうか? 同一人物のデザインとは思えませんよね(笑)。(参考:
みんなで循環☆健康レシピ ※トップのサラダは、774さんが描いたものです。写真ではありません。)
他にも、現在山川夫妻のセミナーに関する広告イメージを急ピッチで進めてもらっていますが、出来るのが楽しみです。何故なら、今までに一度も期待はずれだったものが「ない」から。完全なまでに的確なイメージを、描いてくれるのです。
私が山川夫妻の広告イメージにお願いした言葉は「靄のかかった都会に、光が差し込んでいる。全体的にパステル調」というものです。
──何とも、相変わらず漠然としたものばかり……。
しかし、その一言で774さんが「モデルに使う」と見せてくれた写真の空の色を見て、絶句しました。
これもまた、私がイメージした色と、「まったく同じ」だったからです。
これだけ続くと、もうそれは偶然の域を超えている──そう思います。
そしてこれは、私や774さんが「特別だから」そうなったわけではないと、そう思っています。
誰にでも出来ることなのだ、と。 目に見えないもの、思念にしかないものを「どれだけ信じられるか」で、相手にそれを伝えることが出来る。テレパシーというのは超能力者だけが使えるものではなく、本来「誰もが使えるものなのだ」と、私は思えるのです。
超能力という話をすると、みなが眉をひそめて「絵空事だ」と言うでしょう。
ある意味それは、「超能力」という言葉で「現実から引き離していることが原因」だと、私は思えるのです。
先に挙げたように、「目に見えない世界も、すべて現実世界に顕現している」ことを思えば、私たちは知らず知らずのうちに「目に見えない世界の力」を借りて、生活しているのでしょう。
こうした一元論の立場に立ち返るには、まずは「謙虚になること」が大切なのかもしれません。
形あるもの、目に見えるもの、そうした概念だけでは「もう宇宙の仕組みを語ることなど、不可能なのだ」──そういう思いに立って初めて、私たちは「超能力と呼ばれる力が、当たり前の現実になる」ことを体感することになるのだと、私はそんなふうに思う次第です。
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