一昨日、篠崎はDVDで映画「2012」を視聴しました。
しかし、あまりの稚拙さと短絡さに、観ていて気分が悪くなった程です。
そもそも、この映画を作成したローランド・エメリッヒ監督は「インディペンデンス・デイ」や「デイ・アフター・トゥモロー」などを制作しており、ディザスター監督第一人者とされています。両者共に視聴しましたが──感想は、「2012」と同等。メッセージ性の無さに、溜息を吐きたくなった程です。
まぁ、CG効果などは確かにすごかったですが──「あそこまでやる必要性が、果たしてあるのだろうか?」と疑問でした。完全なお遊びエンターテイメントに過ぎません。
この映画に、理念や思想はあったのでしょうか?
私には「悪戯に視聴者を怖がらせるもの」でしかなく、サスペンスやホラーに匹敵するレベルでしかないように思えました。
まぁ、こうしたテーマを映画作品にするのは否定しません。しかし、するならばせめてもっと、視聴者側に希望、或いは何か考えさせるメッセージを与えるものにして欲しいものです。
ただ──。
ひとつだけ、この作品で考えられることがあるとすれば……私たちは、こうした危機を感知した際、
「どのように生き、どのように死と立ち向かうか」ということ以外に何もない──そう思います。
嘘か本当か知りませんが、事実映画と同じように「エリート救出作戦」なるものがあるとも聞きますが、「好きにすればいい」そう思います。
本当の人間性がIQや試験で決まると思ったら、大間違いです。そんな人類の生き残りなど、どうせたかが知れています。今までの人類と同じ過ちにはまり、「何の為にあれだけの犠牲者が出たのか」を教訓とすることなく、何度も同じ轍を踏む結果となるのでしょう。
似たような映画で、今から10年以上前の作品「ディープインパクト」の方が、遙かに私的には共感出来るものでした。
これは惑星の接近によって、地球上の大陸ほとんどが津波に襲われるというものでしたが──主人公のジャーナリスト(名前忘れました;)は、生き残る為の「方舟乗船チケット」を手に入れます。
しかし、彼女は生きたいと願う自分のライバルに自らチケットを譲り渡し、自分は乗船の拒否をします。そして、彼女は対立していた父を赦し、父と肩を抱きあいながら、津波に呑まれていきました。
人間の価値は、この映画が語るように「どれほど長く生きられたか」ではなく、
「如何に生きたか」ではないでしょうか?
「2012」では、主人公が家族を守ろうとする姿が過度に描かれ過ぎているせいか、かえって強烈なエゴを感じて不快な気分にさせられました。
本来であれば「美しい家族愛」と思えそうなところを、あまりに家族を守ることだけに執着している姿を見ることで、かえって「家族愛も、度が過ぎればただのエゴとなる」ということを思い返さずにはいられなくなるのです。
多くの人達の犠牲、痛み、死が「そこにはあったのだ」という謙虚さがまったく感じられず、そうした意味でも「人間の心理や絆を、表層的に描いた作品」としか思えませんでした。
もし、このような事態が予測出来たとしたら──果たして、人はどうするでしょうか?
これは、余命告知に近いものがあると思います。
この映画のようにパニックになって、逃げ惑う人もいるでしょう。でも、多くの人は冷静に自分の時を見つめ、愛する者達と時間を共に過ごそうとするか、或いは自分の人生を見つめ直す時に使うかもしれません。
何故なら、それは「自分の寿命を知りたい」とする人々の心に、すでに現れているからです。
自らの終わりを知ろうとする人たちに、どうして「生の執着」があるでしょうか?
みんながみんな「生に執着しているわけではない」──私はそう思います。
地球の危機に、ちっぽけな人類が生き残って何になるのでしょう?
地球の細胞であり、地球を母とする存在であれば、共に生き、共に滅びるのが道なのではないでしょうか?
悪戯に死を恐れ、生に執着することは果たしてどれほど意味のあることなのでしょう?
子供を持っているお母さんであれば、子供を危機にさらしたくない──そう思うでしょう。
気持ちは痛い程わかりますが、私たちは等しくみな「死の危険」に曝されています。
どんなに平和な時代であっても、必ずや人は死に逝く。これだけは、絶対に避けられないのです。
だったらむやみに死から逃避するのではなく、そこに向き合い、生命の本質を考えた方が──或いは、愛の本質を考えた方が、遙かに有意義ではないでしょうか?
こうした映画を観ると、決まって思い出すエピソードがあります。私が中学生の時、英語の教科書に載っていたエピソードです。
それはタイタニック号の話で、「子供を連れた母親」の為に、救命ボートに乗船していた女性が「席を譲った」というものです。
彼女は、席を譲る際にこう言ったそうです。「私には、子供がいません。ですのでどうぞ、この席を使ってください」と。
後から調べたところ、その女性は「学校の教師」だったそうです。
どんなに我が子がいなかったにしたって、彼女にだって家族はいたことでしょう。夢だってあったことでしょう。しかし、自分の席を譲れたその女性の「生き様」にこそ、私は
「死を前にした人々がする行動」に対する真の学びがある──そう思いました。
誰もがエゴ丸出しなわけではない、誰もが自分ひとり助かりたいわけではない。
「いざという時に命を差し出せる勇気と思い遣りが、人間の中にはあるのだ」と──。
こうした娯楽映画が出ることで、かえって人の意識が恐怖に包まれ、死を闇雲に恐れるようになることが私は本当に口惜しいです。
人はそこまで愚かで、無力な存在ではないはずです。
恐怖は人の心を麻痺させ、そこから先を考えさせようとしない麻薬のようなものです。このような作品の描く恐怖に心奪われ、真理から目を背ける人がひとりでも減らないことを、心から祈るばかりです。
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