篠崎は現在、文庫本出版の情報収集の為に2012年に関するあらゆる文献、およびその反論・肯定論にあたっています。
「映画2012」の影響もあってか、あと2年後に迫った2012年に一体何が起こるのかを知りたがっている人が、ここ急激に増加しているようにも思えます。
書籍でも沢山、こうした2012年関連、およびアセンションに関わる著作は出回っていますが、残念ながら「チャネリング」を主流とする本が9割方で、その論拠は非常に曖昧です。
チャネリングは、このブログで以前からも書いていますように、その情報を100%鵜呑みにするのは非常に危険です。
とはいえ、その方法を否定はしません。何故なら、チャネリングを元に素晴らしい芸術作品や建築物を残したルドルフ・シュタイナーのような人もいるからです。
しかし往々にして、こうしたチャネリングと純粋な「閃き」の境界は不明瞭です。(閃きは「天からの授かりもの」だと、私は思っています。)チャネリングという名称を使わずに「閃き」とした方が誤解もないし、情報の混乱も防げるのではないか──そんなふうに思うこともままあります。
私が現在行っている作業は、「チャネリングによって書かれた内容」と、「現実的に起きている物理現象、気象現象、および社会経済問題」を照らし合わせ、そこにリンクさせていこうとする試みです。
どんなに「これは素晴らしい、絶対的な確信だ!」と思える啓示でも、必ずや三次元的情報においての検証は必要不可欠です。
「何を言う! 高次元の情報を、こんな三次元ごときで証明出来るか!」
そう反論する人もいるでしょう。
そうです、それは事実です。私も前の記事で書いたように、
「次元を超える問題は、三次元の知識だけで必ずしも証明されない」というのは確かな話です。
しかし、
証明できないから検証する努力を放棄するという姿勢は、まったくの別物です。 私は、精神世界に起きている現象と物理的現象は「表裏一体である」と考えています。そうである以上、自分自身に閃きとして起こったことは、何かしら物理的現象として現れているか、その予兆があるはずなのです。
たとえば、俗に言う「フォトンベルト」などは、私はラヴィオレット博士の提唱した「銀河ウェーブ」に相当するものだろうと思っています。
勿論、これらは必ずしも同じものとして一致するわけではありません。前者、フォトンベルトの提唱者は「チャネリングにより受けた」といい、後者、ラヴィオレッテ博士はあくまでも物理学の研究成果によってこの銀河ウェーブを発見したからです。(銀河ウェーブとフォトンベルトに関する詳細については、時間の都合上割愛します。)
勿論、微妙に違いはあります。前者は「プレアデス星団にある光の粒子」とされ、後者は「銀河の中心部から」とされていて、それは天文学的な位置で推測する限り「ズレ」が生じてしまうのです。
しかし、だからといって「前者はウソだ!」と退けるのもまた早計です。
何故なら、高次元では時間や空間の概念がないので、指定された場所もまた「必ずしも三次元の位置とは限らない」からです。
またもや「三角錐(さんかくすい=底が円で、とがった形のもの。真横から見ると三角に見える)」で例えてみます。しかも、それが透明な素材で出来ていると想像します。
三角錐の頂点が灯るような仕組みになっているとしましょう。底である円の部分だけからみると、それは「中心」で光っているように見えるでしょう。
でも、ある人は円ではなく「三角形」が真理だと思っていたとします。そうすると、その人は中心が光っているのではなく「三角形の頂点が光っている」ようにしか見えません。
「円の中央が光っている」
「いや、違う。三角形の頂点が光っている。」
「違う。そもそも、宇宙は円だ」
「そうじゃない。宇宙は三角形だ」
この両者の食い違い──実は、「どちらも正解」です。
底から見れば「中央」だし、三角形側から見れば「頂点」に見える、だから「視点を全体的に向けると、どちらも同じことを言っている」のです。
私は、フォトンベルトと銀河ウェーブに限らず、「精神世界で言われていること」と「物理学的に言われていること」が、どちらも共にこの「円錐の過ち」をしているように思えてならないのです。
2012年問題には、他にもいろいろなことが言われています。
そもそも、私は
2012という数に拘っている時点で、間違っているのではないかと思うこともあります。
私は色々調査を進めるにあたって、
時間、空間という概念そのものが三次元の限界枠で、それをとっぱらわない限り思考は自由にならない──そう感じ始めています。
だとしたら、年号だの日付など、そんなものに拘っている時点で「すでに私たちは、真理から遠ざかりつつあるのではないか」そんなふうに思えてきたのです。
1999年の予言も「外れた」という人が多数いますが、私は「実現した」と確信しているひとりです。(この辺りについては出版される本に詳しく記載されていますので、そちらでご参照ください。)
多くの人が「1999年7月7日」という時間の指定に囚われすぎていますが、予言やこうした未来を知らしめる言葉にとって大切なのは
むしろ「象徴や本質」であって、文章の上っ面に書かれた文言のほとんどは「無意味なものだ」と私は思っています。局所ばかりに拘ることで本当に大切だったメッセージを見落とすというのは、もっての他だと──そう思えるのです。
2012年というのも、私は同じように感じます。
何が起きるかが大切なのではない、
そうした現象やメッセージを前にして、「私たちに何が出来るかを考えることの方が、遙かに大切なのだ」と。 少なくとも、今や世界全体が「既存システムではどうにも行き詰まってしまう」ことはみなが理解し、実感しているはずのことなのです。
そうした現実問題を切り離して、2012だのアセンションだのを唱えることは「絶対に出来ないはず」なのです。
現実も精神世界も
すべてはひとつです。どちらを切り離して考えることは出来ないし、また、どちらかだけを重視するのも過ちです。
両方を見比べ、その中で「隠された真理のパズルピースを見つけ出すこと」こそが、これからの人類にとって必要なことなのだ──強くそう感じている次第です。
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