ずっと前のことですが、
危機的状況に追い込まれた際、人は自分の直感と判断力に従うしかないということを記事にしました。
それはスイス(もしくはフランスだったかもしれません。ちょっとその辺りは記憶が曖昧です)で起きたケーブル火災を例にして説明しましたが、これから先、そういう判断を迫られることは多々多くなってくるのかもしれないと、そんなふうに思うこともままあります。
私たちはどうしたところで、情報にある程度は頼らざるを得ない部分があります。
先日あったチリ地震の際にも、東京湾に面した私の街では、何度も警報が鳴り響きました。大型地震に対しては必ずしもそうした予報が出来ないとはされているものの、仮にそれも可能になったとしたら、私たちはその情報を信じ、何らかの対処をしようとすることでしょう。
そうなった時に最も怖いのは、「パニック」です。
情報だけを盲信して自分や自分の家族のみを生き残らせようと、エゴを丸出しにしてしまう人。或いは、そうした人達を見て憤りに駆られる人。様々な反応が、一番問題視されるものかもしれません。
先日、映画「2012」の感想として「人間はあそこまで生に執着するとは限らないし、必要以上に家族だけを助けようとするのも、かえって家族愛の度を超したエゴに成り果ててしまう」ということを書きましたが、それが決して架空の物語とは言えない事態になってしまう可能性も否定は出来ない──そう思います。
究極に追い詰められた人間がする反応としては、いくつかのパターンが考えられるのではないかと、私は推測しています。
ひとつ目のパターンは、ただ闇雲に生きようとする人。
ふたつ目のパターンは、周りや情報の言うがままに任せる人。
みっつ目のパターンは、そんな中でも冷静になって、自分の直感と判断力に従える人。
このパターンのうち、二つ目のケースで印象的な事件がありました。実際に韓国で起きた、地下鉄火災の現場が報道された時のことです。
多くの人達は、我先にと地上目指して逃げていたにも関わらず、一部の人達だけが燃えさかる地下鉄の中、ただ黙って、じっとシートに座っていたのです。
周囲は火の海となっていたのですが、彼らの顔は穏やか──というよりも、「周りの反応を窺い見ている」といった感じでした。なすがままに今を受け入れているというよりも、「次に指示があるのを待っている」という様子だったのです。
車内放送で、「問題はありませんので、今しばらくお待ち下さい」と言ったその言葉を信じ、そこから動かず、電車が動き出すのをただひたすら待っていたのでしょう。問題はないと放送した車掌なり駅員は、すでに逃げ出していただろうに──。
車外では阿鼻叫喚が響き渡り、炎の轟音が響く中、彼らは身じろぎもせずにその場にいる他数名の人達の表情を互いに見あいながら、ただ黙然と座っていました。
その姿は一瞬映し出されただけでしたが、多くのことを見ている側に考えさせるきっかけとなりました。
彼らはあの後、助かったのでしょうか? 駅に設置されていた防犯カメラが捉えた映像でしたが、その後のことまでは結局報道されなかった為、その顛末までは分かりませんでした。
人の判断というのは、思いがけない考えや結論に至るものです。
状況が究極であればある程、それは予想だにしない方向性へと辿り着くのでしょう。冷静になってから「何で自分は、あのような行動をとったのだろう」と疑問に思うようなことも、多々あるかもしれません。
しかし、こればかりは自分がどのような行動に出るか──本当に、その場になってみなければ絶対に分からないのだろうと、私はそう思っています。
ケーブル火災の例を挙げた時も、みなが山頂目指して逃げたにも関わらず、「炎は上に向かって移動するので、下に向かった方が安全だ」と冷静に判断した人のみが生き残ったという記事を紹介しました。
究極の状況になればなる程、「みながこうしているのだから、同じようにすれば安全だ」と、人は思いがちです。
日本人はよく「赤信号、みんなで渡れば怖くない」などとも言いますが、究極の事態にそれは通用しません。
どんなにみんなが渡っていても、「自分は渡らない」という勇気を持つことも必要だと、私には思えるのです。
こうした究極の状況下において、信じられるのは自分の直感であり判断力なのだと、私はそう思います。
皆さんにも例外なく、そうした「直感」はあるはずです。
「何だかわからないけれど、これはやめた方がいいかもしれない」「何となく、この人とはあまり深いつきあいをしない方がいいかもしれない」──そうした直感はある種、自分の閃きのひとつでもあるので、理性で抑えることなく「そのままを受け入れた方がいいのだろう」と、最近の私はそう思います。
なんて、言いながらも──。
今まで篠崎は、そうした閃きが起こっても、常に理性で押し殺していました(苦笑)。
「いやいや。人をそんなふうに疑うのは良くない」「もしかしたら、これは私の考えすぎかもしれない」と。
しかし、往々にしてこういいう直感は後から「当たっていた」ことが判明しました。それ以来、私は「自分が少しでも違和感を感じたものには、あまり手を出さないようにしよう」とつくづく学ばされた次第です。
直感や閃きというものに関して、脳生理学や心理学では明確な答えが出せていません。それどころか、「思いこみ」という範疇で括られてしまうことも多いでしょう。
しかし、私たちは究極になればなる程、そうした勘が鋭く働くことがあるというのは、今まで危機を乗り越えてきた人達の体験談でも明らかです。
世の中にはアカデミズムな分野では解明されてないことも多く、また、人間という存在さえも完全に理解されていない以上、一見根拠がないような閃きや直観も「信じるに値する素晴らしいサイン」であることを、私たちは知っておく必要があるのかもしれません。
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