5月3日、山川ご夫妻の講演会が終了しました。
60名会場ほぼ満席の状態で、来て頂いた皆様には多少窮屈な思いをさせてしまったことが心残りですが、皆様楽しんで頂けましたら何よりです。
山川鉱矢さんも亜希子さんも、ご自身の特色とは少し異なる「元気のない日本に喝」というタイトな(笑)テーマだったにも関わらず、十分にそのテーマを活かした講演をなさってくださいました。(私が何故そのようなテーマを選んだのかといえば、何よりも
「個人の生き方そのものが、社会や国、そして惑星全体に影響する。国の問題は決して政治家達の問題だけではなく、個々人の生き方や意識の在り方がダイレクトな程影響しあっている」という考え方を是非ご夫妻にお伝え頂ければ──という心からの願いでした。)
本当に山川鉱矢さん、亜希子さんに心から感謝です。
後日、YOU are EARTH内でも写真付きでレポートをUPしますので、今しばらくお待ちください。
さて、話は変わりまして──。
最近私は、今まで以上に国際情勢や海外の記事に目を通す機会が多くなりました。
私は
「個人の問題は必ずや社会や国に反映している」という見方をするので、社会記事、国際情勢、海外における問題は、同時に
今という時代を生きる人達の個人レベルにおける問題も投影しており、結果、「今、この地球という惑星の中で起きている問題の投影になり得る」と、そう考えているからです。
そうした中で今の私が痛烈に感じていることは、
なんて時代の栄枯盛衰が速いのだろうということでした。
私がこのブログで、中国の経済的な成長について評価してから──おそらく3カ月も経っていないと思います。
しかし今や、上海万博におけるマナー低下など、中国の(中国人達における、と言った方がいいのかもしれませんが)精神性(先日、マナーはイコール「人間性である」という記事を書いた表現そのものですが)を問われる記事が散見されます。
しかも、それが日本の記事だけでなく英国BBCなどの記事でも見かけられるということは、世界的に「中国におけるマナー」というものを注目しているということにも繋がるのではないか、そのようにも思えます。
また、ギリシャの経済問題についても然りでしょう。
私はイギリスに滞在していて、「日本のYahooなどにおける記事は、やはりどうしてもダイレクトなほど他国のことを書いているわけではない」ということを痛感しました。まぁ、それは日本に限らず「どの国も」なのですが──時差、或いはマスメディアの報道する姿勢というかポリシーの違いなのか、どうしても他国のことが顕著なほど見えてくるというわけではないようです。
私たちがアイスランド噴火の空港閉鎖で足止めを喰らった時も、BBCなどで一面TOP扱いの報道をされた内容が日本で報道されるのは、大抵半日から1日は遅れていましたので。また、最初の数日間は「空港が閉鎖された」という情報だけが報道されたものの、「それがどれほど深刻な状況になっているか」というのを日本で報道されたのは、二~三日経ってからのことだったようですし。
そうした意味で考えても、ギリシャにおける問題は日本や諸外国で報道されているよりも、現地の状況はもっと深刻な可能性が高いです。ネットがこれだけ普及しているにも関わらず、私たちはまだまだ「望遠鏡で世界を覗いている」かのような状況が続いているのは、何とも歯がゆいことですね。こうした問題にとって「もっとも大きな障害」となっているのは「言語の壁」だというのは明らかですが──これさえなければ、もっとダイレクトに現地の状況、そこに置かれた人々の痛み、気持ち、すべてが分かるようになるのだろうと思うと、何だかとても哀しくさえ思えてきます。
「自分たちの状況が恵まれていることに気付く」──これは本当に、素晴らしく大切なことだと思います。
また、どんなに辛い状況に追い込まれている人達の存在をしっても、その人達がどれほどの状態にあるのかを私たちが知る術がない(先ほども言ったように、言語の壁故に限界があるなど)場合、あれこれ気を揉んでも仕方がない部分が確かにあります。
遠く離れた異国の者がそれを気にして、あれこれ論じ、机上の空論を翳すのは「ただのお節介」でしかなく、どんなにそれが「自分たちだけでなく、世界全体に幸せが波及してほしい」という願いから来るものであっても、それはただの干渉に過ぎないだろう──そうも思えます。
しかし、
目に見えない諸外国に生きる人達のことを、「思い遣る」ことは出来るはずです。
私は現在、ライターとしての執筆、その他「YOU are EARTH」の講演会企画などだけを生業にしているので、おそらく普通の会社員や派遣社員に比べたら「自由に時間が設定できる」という強みはあります(その分、締め切り前は体調不良だろうが、休日だろうが1日の残業換算10時間だろうが、そんなもの関係ないという究極な場面もありますが──)。
ですが、私は出来る限りこうした「自由な時間」を、「今」という時代を生きる出来るだけ広い人々──世界に生きる人々がどのような現状にあるのかを推察し、これからの未来の地球における想像(イマジネーション)から至る創造(クリエーション)に至ることが出来ればと、真剣に願っています。
インターネットに国境はないとはいえ、「言語の壁」という国境まがいのものが存在する以上、なかなかここを打破することは難しいです。一部の人達にとってそれは難なくクリア出来るものであっても、多くの人達にとってそれはゆゆしき問題として常に横たわっているはずです。
もし本当に地球規模で何か意識をするのであれば──勿論、フラクタル理論で考えれば「個々人の幸福」を考えるだけで充分ではあるとはいえ──もっと言語という国境を外した状態で「どの国に住み、どんな環境で生きている人でも、ネット環境さえあれば誰とでもやりとりする場」が必要だと、そんなことを痛切に感じるようにもなりました。
何か、方法があるかもしれない──。それを、しばらく模索するつもりです。
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