人類創生について、少しずつ「ダーウィンの進化論は、違うのではないか」という考え方が浸透しつつあります。
これについて私は、子供の頃から冗談まじりで疑問符を投げかけていました。
「猿から人間が進化したっていうことは、動物園にいる猿も、ある日気がついたら人間になっちゃってるかもしれないってことだよね?」
そんな疑問符に対し、「それはあり得ないよ。もうすでに進化は末端なのだから、猿は猿のままだし、人間は人間のままだよ」という返答もありましたが、「進化の末端かどうかなんて、一体誰が決めるのだろう」と非常に疑問でなりませんでした。
でも、その人の答えが一般的な解答──というよりもむしろ、
「一般的な思いこみ」だったような気がします。
「今、存在するものが『全て』であって、そこから先は何も変わらない」という考え方。
自分たちが進化してきたという事実をさておき、「それは過去のことだ」と固定して考えてしまう癖が、どうやら私たちには備わってしまっていたような気がします。
しかし、それを覆すデータがあちこちで上がり始めました。
エハン氏著作「超入門アセンション&2012」では、「人類の進化の過程に宇宙人の要素があると報じたイタリアの新聞記事」について掲載されています。以下、転載します。
セドリック・フェショット博士の研究グループは、数種類の哺乳類と爬虫類のゲノムに、通常の遺伝メカニズムでは伝達されることのない、遺伝子の水平伝播による異質な遺伝物質を特定した。
遺伝子の水平伝播とは、ウイルスで見られるような、宿主のゲノム内部に外来性の遺伝要素が侵入する現象で、原核生物(※解説)の進化過程では頻発するが、真核生物(※解説)では珍しい。しかし、アーリントン校の研究者たちは、ネズミやオポッサム、コウモリ、さらには哺乳類や爬虫類のDNAに正常な遺伝メカニズムでは伝達できない塩基配列を発見した。
研究者たちは、この異常な配列をスペースインベーダスピン(宇宙の侵略者)と命名し、その奇妙な起源を強調した。これは哺乳類で初めて確認された水平伝播で、1500万年前から4600万年前の間に遺伝子の取り込みがされたのではないかと見られている。遺伝子の宇宙侵略者、スペースインベーダスピンは、DNAに塩基を挿入しただけでなく、染色体の構造に特定の変化を促し、進化の発展をサポートしたのであろうというのが研究者たちの見解だ」(徳間書店5次元文庫「超入門アセンション&2012」エハン・デラヴィ著 P71~72) ここでは人類に特定されていませんが、哺乳類と爬虫類のゲノムにそうした現象が発見されれば、人類にあって当然だろうと思います。
それは科学的証明云々の話ではなく、遺伝の分岐を想定すれば「結果的にそうならざるを得ない」ように思えるからです。私たち人間が、胎児の期間に魚類から始まって、爬虫類やその他それぞれの進化の過程を思わせるような姿になるのは、周知の事実ですしね。
でも、ここでひとつ浮かぶのは
何で、進化の発展をサポートしたのかという疑問です。
そこで、いくつか興味深い意見があります。手元にないので引用出来ないのですが、「宇宙船が天空に満ちる日」を著した渡辺大起氏は「人類を、奴隷にしようとしていた」と記載していました。(奴隷というのは印象の悪い言葉かもしれませんが、要は「サポート的存在」として育成を目的にしていた、ということなのでしょう。)
また、ジュード・カリヴァン博士も以下のような記載をしています。
古代シュメール人の神話には、爬虫類に属するアヌンナキという地球外生物が、太陽系の果てにある惑星ニビルから地球にやってきたと記されています。こうした神話の研究や、与えられたみちびきなどから、彼らは当初、金を掘削するために地球にやってきた、と私は理解しました。急速に悪化するニビルの環境を守るため、彼らは金を必要としていたのです。
最初は自力で金を掘り起こしていましたが、そのつらい労働を肩代わりさせるため、ある時点で、アヌンナキたちは人間を創ることにしました。シュメールの神話にも、聖書にも、そうした「神々」が「人間の娘たち」と交わったと記されています。二○万年前に現代人の人類を形成するにいたる遺伝子の突然の変化も、これによって説明がつくと考える研究者たちもいます。(徳間書店「あなたはスピリチュアルな錬金術師になる」ジュード・カリヴァン/エハン・デラヴィ著) こうした点を踏まえて考えると、「そっか~。人間は労働者だったんだ~」って思えちゃうかもしれませんが──果たして、それはどうでしょうか?
私は、自分という存在が労働者だろうが、奴隷だろうが、召使いだろうが、セバスチャンだろうが、何でも構わないのですが──どうも「労働者として人類を創った説」では腑に落ちない点があるのです。
それは、
「自由意志の存在」です。
労働者や、奴隷にする為人類を創生するのであれば、自由意志など持たせるでしょうか?
自由意志ほど、従わせるのに不適当なものはありません。私がもし「何でもいいなりになる召使いが欲しい!」と思ったら、まず絶対に自由意志は持たせません。
映画「スターウォーズ」に出てくるクローン兵と同じことです。彼らは、優秀な兵士にさせる為「思考力」はあるものの、従属の妨害となる「自我」は除かれてしまっています。その為、戦略を思考することは出来ても、常に「従属」だけしか意識にないのです。
そこから考えても──私は、「労働させる為に人類を創生するのであれば、最初からそうした危険因子は省いているのではないか」と思えて仕方ないのです。
まぁ、遺伝子操作している最中「ついうっかり!」で「あら。何だか反骨精神旺盛な人間になっちゃった」って可能性も否定は出来ませんが(もしかしたら、それが理由で聖書にある「失楽園」に至ったとか──)、遺伝子操作をするような知的生命体が、そんな「うっかりミス」をやらかすものでしょうか?
あれこれ模索をしても、やっぱり「労働者説・奴隷説」に、私は同意しかねるものがあります。
それに、昨日も書いたように「電気的宇宙論」の基盤に立つのであれば、最初から「プラス・マイナス」という二極の磁場がある次元に「従属する存在」を創ろうという方が難儀なように思えます。
プラスもマイナスも、最初から「摩擦」が前提です。従者に「摩擦」があったら、王様は面倒くさくて仕方ないでしょう。王様が命令下す前に、部下達は何だか分からないけれど毎日喧嘩をしている──なんて有様になりかねない状態です。
どう考えても、矛盾が生じてしまいます。
私は、この「プラス・マイナス」という二極の分離と「自由意志」という三点が、
人類の意識進化において、重要な要素を担っているように思えるのです。
もし「プラス」と「マイナス」だけであれば、そこにあるのは「摩擦」「衝突」、それだけです。
しかし、自由意志をそこに投入することで、「摩擦・衝突(対立)」するのか、或いは「融合」するのかが選べるようになります。意志がなければ、反するものはいつまでも永遠に反するだけで、融合には至らないでしょう。融合というのは「意志」があってこそ成り立つものだからです。
だとしたら、人類を創生した存在は、
二極の分離の中で、自由意志をもって融合していく人類の成長を目的としていたのではないか──そんなふうに思えるのです。
もしも労働者として人類を育成していたのだとしたら、最初から「分離のない次元」で行うでしょう。その方が、分離のある次元よりも従順な意識となりやすいでしょうから。
まぁ、もしかしたら
「自由意志で、分離を打ち勝つ程の強い意志をもった『奴隷』が欲しかった!」と言わた日には、「一本とられた!」って感じですが(笑)。
とはいえ、私たちはどう抗ったところで
宇宙の法則からは、絶対的に逃れられません。 逆に言うと、「果てしない自由」って、本当に自由といえるものなのでしょうか?
私には、途方もない孤独と混沌のようにも思えます。
プラスとマイナスという、二つの「地点」を自由意志で行ったり来たりしながら、事象を織りなしていく私たち人類。でも、その自由意志も「宇宙の法則」からは、決して抜け出ることが出来ません。
そう考えれば、私たちはすでに「どんなに自由であっても、宇宙の従属からは逆らえない」のでしょう。
そういう視点で考えたら、「人類創生は、労働者が欲しかった為」という理由も、あながち否定出来ないかもしれませんね(笑)。しかしそこでいう労働者は、三次元的労働者ではなく、
「自由意志を律する力をもった、独立した存在という意味」なのだろうと、私には思えます。
●多くの方に、「真剣な目で地球人類の進化に意識を向けて欲しい」と、強く願っています。ひとりでも多くの方に「人類の意識改革」に向き合って頂けるよう、以下のクリックにご協力をお願いいたします。
エハン・デラヴィ氏ブログ「シンクロニシティ」にて、近日内にネット配信番組レポート予定です。
※今の時代に必要なメッセージが、随所に籠められたDVDです。※
◇メインサイト◇

【参考文献】