ここ数日、「アセンション後」について考察していて、いくつかの情報が提示されました。
その前に――まずは、今回のアセンションによって「分かれる方向性」について、以下箇条書きにします。
(1)カルマを解消し、他惑星(他次元)に帰還する魂
(2)次元上昇果たした地球に残り、新たなシステムを構築する魂
(3)まだ解消していないカルマがある為、同じように地球に近い三次元惑星に転生する魂
(4)原始的な木星に転生し、1からやり直す魂
(5)消滅する魂
【参考】浅川嘉富氏 著作本より部分抜粋
他、「大艱難を生きたまま乗り越え、地球はポジティブな人々とネガティブな人々の両者に分断される」という説もあるようですが――私はこれってナンセンスだと思います。
そもそも、ネガティブな人々が残ってしまう時点で、「まったくもって、次元上昇の意味ないじゃん」と。それでは、今まで繰り返し行われてきたアトランティスの滅亡、ノアの洪水、そういった大災害と大差がなくなってしまいます。
「次元上昇」という以上、そこには「三次元とは異なる法則性が入り込むのだ」と考えた方が自然のように思えるのです。
このブログで焦点を絞っているのは「(2)地球で新たなシステムを構築する」というケースです。
このケースに値する魂は、どこに所属することになるのでしょうか? 先日挙げた「コナン・ドイルの霊界通信」から抜粋してみましょう。
――――
【幽界】
(1)邪悪で自己中心的な欲望のみの世界
(2)邪悪性はないが、低級な煩悩から抜けきれない者が集まっている世界
(3)何事も思うがままに叶えられる世界
【霊界】
(1)知的理解の世界
(2)直感的覚りの世界
(3)形体なき存在への準備(神界への準備) ※神界へあがる資質の不足する者は再生する。(フォーカス27)
【神界】
(1)宇宙の進化活動への参加の初期
(2)宇宙的存在としての普遍的な愛の活動
(3)ニルバーナ・涅槃
――――
これで見てお分かり頂けますように、「霊界(3)」の段階でもまだ「転生の必要がある」ということになります。
すなわち――2012年(それが確実にその年かどうかは、断言しかねます。早くなる可能性だって、否定は出来ませんので)の時点で「霊界(3)」に位置している人達は、冒頭に書いた「(3)まだ解消していないカルマがある為、同じように地球に近い三次元惑星に転生する魂」になる可能性が高い、ということです。(勿論、これは本人の自由意志も尊重されることと存じます。しかし、霊体は肉体よりも遙かに謙虚で「自己の学習を最優先する特質がある」ということを、念頭に措いて頂ければと存じます。)
そうなると、地球が次元上昇した際に残る魂のレベルは、自ずと「神界(1)宇宙の進化活動への参加の初期」に値するのではないかと、個人的には感じています。
それを裏付けるかのようにして、あちこちの本では「銀河連盟」が「地球の参加を、心待ちにしている」といった文言が見受けられます。これはまさしく、「地球がそうした『初期段階』に入れることの示唆」なのではないかと、そう感じる次第です。
そうなった場合、教育・政治・福祉、すべてのシステムが「現存する三次元の形とは変わる」ということを、まずは意識する必要性があります。何故なら、「宇宙の進化活動」というのは決して個人の利己的心理では行えるものではなく、「全体の調和」に対する尊重なくして、あり得ないからです。
ちなみに――。
皆さん、冒頭に挙げた「(1)~(5)」の中で、「自分はどこに行きたい」というのがありますか(笑)? 多くの方は(1)を選ばれるのではないか――と思うのですが……中には謙虚な方もいて、(3)や(4)を選ばれる方もいるような気がします。((5)を選んだ方。……早まってはいけません。謙虚にそこを選ばれる時点で、すでに消滅の可能性はないと思われますので――)
ちなみに、私は(こんなブログを開いているぐらいですから((苦笑)))、すでに(2)を選択しています。
確かに、自分に母星があるのであれば――帰りたいです、素直に(笑)。故郷に帰りたいと思うのが人の本能であるのと、同じですので。
でも、きっと……自分は間違いなく(2)を選ぶだろうという確信と、およびそれだけの信念が、自分の中には存在します。(もし同じように(2)を選ばれた方がいらっしゃいましたら、是非お気軽にご連絡ください。協力しあって、未来を模索していきましょう!)
さて、話を戻しまして――。
私は今までの体外離脱の中で、何度か高次の街並みを見てきましたが――その街並みで共通して言えるのが(何度も書いたように)「個性を活かしたままの、全体の調和」でした。
高次にも、立派に「個性」があります。高次に自我がない――なんていうことはあり得ません。充分に彼らも「自己」を持ち、意志を持っています。ただ単に、それが「全体の調和」に活かされている、というだけなのです。
また、「秩序」はありますが、「法律」はありません。
何故なら、「内なる基盤」が確立しているので、わざわざ外的な拘束を作る必要性がないからです。(というか、そういうレベルの人でなければ、神界の1には入れないのでしょう。)
では、「法律がない」のであれば、「司法」もないのか――と言えば……そうではありません。
やはり、市民を導く「中枢メンバー」のような人達は存在します。それは、肉体を考えた場合と同じです。心臓にも、胃にも、肺臓にも、「法律」はありませんが「秩序」はあります。そして、その秩序をコントロールするのが「脳」ですよね。そういった感じで、「脳」に値するような人達が、高次には存在します。
三次元の政治家達は、「市民や末端の生活が見えてない」人達が大勢います。
しかし、高次に行けばそれは「あり得ません」。脳が感知しない組織がないのと同じように、高次の中枢にいる人達は、「全体」を末端――隅々まで把握しています。(だからこそ、高次の中枢に立つ人は人格者であり、かつ宇宙に確実なまでの忠誠を誓える者でなければなりません。)
でも、彼らはさほど積極的に末端の人達と交わるわけではありません。(脳が移動して、足の細胞や手の細胞と対話出来ないのと同じことです。)けれどその分、脳に変わって「末端の人達と交流する存在」がいます。
それが、所謂「大使」のような存在です。臓器に例えれば「血液」とも言えるでしょう。
また、神経組織のように、臓器それぞれに応じた地域の代表者達が、中枢である人々の中に入り、それぞれの地域全体を把握出来るような仕組みとなっています。
だからある意味、末端の人々(本当の意味での市民)は、中枢たる人々と「完全なる信頼」の元に関係性を培っているので、「個人の幸福」に集中することが出来るのです。個人の幸福に集中することが、イコール「全体との調和」に結びつく――というのが、高次のシステムであり、地球が目指すべき未来システムなのです。
アセンション後の地球が至る「政治システム」は――まさしくこのように、「人体構造」と等しいものがあります。
そこにあるのは、完全な「バランス」です。個性だけが突出するわけでもなく、また、全体主義だけが押し付けられるわけじゃない――両者の幸福が「併存して成り立つ」のが、アセンション後の地球のあり方なのです。
今回は、「アセンション後の地球の全体像」について、簡単に概要を触れました。
次回以降、少しずつその詳細を考察していきたいと思います。
【関連記事】
高次における「全体調和」は「個性」を排斥しない高次元と三次元の差 高次元の街の構造 ※多くの方に、アセンション・ブームとしてではなく「真剣な目で地球人類の進化」に意識を向けて欲しいと願っています。ひとりでも多くの方に読んで頂けるよう、以下のクリックにご協力をお願いいたします。

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私は出来れば(2)ですかね…「何かをやりたい」と感じるその「何か」の中身はまだハッキリと確立してはいないのですが
何せ発展途上なもので
そんな発展途上な部分を、麻日さん(師匠)にサポートしてもらってます…大正解です(笑)
なんだかこれを読んでるうちに講義を受けたい気持ちになりました
すみません; 昨日は体調不良だった為、更新、および返信が出来ませんでした……。
> 私は出来れば(2)ですかね…「何かをやりたい」と感じるその「何か」の中身はまだハッキリと確立してはいないのですが
>
> 何せ発展途上なもので
これから伸ばせばいいだけのことですよ(^^)
焦って「何をするか」を探すよりも、「私は地球の未来の為に、生きたいんだ」と焦点を絞るだけで、自ずと道が開けていくような気がします。
答えはきっとそらさんの中にすでにあって、そらさん自身が「そこに辿り着く」ことを、答えはじっと待ってくれているのだと――私はそんなふうに思います。
> そんな発展途上な部分を、麻日さん(師匠)にサポートしてもらってます…大正解です(笑)
ああ、やっぱりそうなのですね(笑)。
文章の雰囲気から「もしかして、そうかな?」って思ったもので――。
> なんだかこれを読んでるうちに講義を受けたい気持ちになりました
私はあまり、講師向けの性格ではないンですよね~(笑)。
かつては色々、講座などを開いたこともあるのですが――講座って「受動的」ですよね?
こうした精神的探索に必要な姿勢って「あくまでも自発性」であり「能動性」なので……本来はこうしてブログなり、本なりを通じ、「読まれた方が、ご自身の中で考察し、自分の思考力で咀嚼する」というのが一番望ましい姿勢のような気がしております。
知識は、「血となり、骨となる」ことで初めて「知恵」となれるので――。
最も――これだけ情報過多の時代となると、なかなか「どれが自分に向いているのか」を選ぶのって、大変ですよね。
でもきっと、だからこそ「自分自身の思考力が培えるのではないか」と、そう思います。
そらさんも、ご自身の中にある「芽」を、いろいろな文献や情報に触れ「選択」しながら、模索されることが一番近道のような気がします。
それがきっと、「一番の講義」なのではないかな――と(笑)。