私はもともと多趣味ではないので、唯一の趣味であった「執筆」「読書」が仕事となってしまった今、趣味と言えるのは「DVD(映画)鑑賞」ぐらいです。
一度ぐらい「私の趣味は『スキューバーダイビング』です」とか「『ガーデニング』です」とか言ってみたいものですが──運動能力にはまったく恵まれてない篠崎。スキューバーダイビングなんてさせた日には「ホントの意味でのダイビング(※要するに『二度と浮かんでこない』)」になりかねないし、植物音痴でもある為、雑草とハーブの区別さえつかず「これ、カモミールよ!」と言いながら、まったく違う雑草をつきだしかねないという──そのぐらいの
「専門バカ(真理探究以外、何も出来ない)」です。
余談ですが、私が人間性においても尊敬している古雅貴美子さんのブログ「みんなで循環☆健康レシピ」にあった「
ケークサレ」というのも、「初めて聞いた」ってぐらいの情報音痴です。
古雅さん曰く「ケークサレは、最近流行」らしいのですが──(どう聞いても「毛ぇ腐れ」にしか思えませんでした)。
ちなみに「マカロン」のこともつい最近になって知ったぐらいで、それまではずっと「殺虫剤の親戚」か、或いは「消毒薬の名前」だとばかり思っていました──。
そんな篠崎にとってDVD鑑賞は本当に唯一の息抜きで、毎日寝る前に必ず何かしら観ています(ちなみに、テレビはまったく観ません。蛇足が多すぎる上に、欲しい情報をダイレクトに入手出来ない上、CMが集中力を阻害する為気が散ってしまうので)。
今日は久しぶりに「チャーリーとチョコレート工場」を観ていたのですが、その中で「おや?」と思う場面がありました。
この映画作品の中には五人の子供が出てくるのですが、チャーリー以外はみんな「難癖」のある問題児(というか、現代っ子の典型)ばかりだったりします。
そのうちのひとりに「ベルーカ・ソルト」という女の子が出てくるのですが、この子が両親にめちゃくちゃ甘やかされて育ったせいで、
「欲しいものは、何でも手に入れないと気が済まない」という性質だったりします。
そんな執着心から、ウィリアム・ウォンカがしのばせた「ゴールデン・チケット」も父親に命じて手に入れるのですが、この子が
「やたらにペットを飼っている」ことが象徴される場面が出てきます。
その場面というのは、ウィリアム・ウォンカの「チョコレート工場」内にある「ナッツルーム」で「胡桃を分別するリス」を見かけた時のことなのですが──そのリスを欲しいとせがむベルーカに対して、ウィリアムは「売り物じゃないんだ」と言って拒否をします。自分の思い通りにならないと気が済まないベルーカは「自力でリスを奪おう」として──そこからエピソードが進む、という展開なのですが、まぁそこから先については、興味ある方は是非実際の作品でお楽しみくださいませ。
私がこの場面を観ていて感じたのは、
「生命の尊さ」についてでした。
ベルーカは自分が飼っているペットを片端から名挙げしますが、そこには「ペットに対する生命の尊厳」など、欠片も感じさせません(まぁ、甘やかされて育ったという設定だから当然なのですが)。
でも、そういうベルーカのような人というのは──この「ペットブーム」の時代において「多数、いるのではないか」そうも思ったのです。
私が以前働いていた会社の上司が大の犬好きで、その犬好きが高じて「犬のマッサージ師」の資格をとり、現在仕事の傍ら「ボランティアで、犬のマッサージの仕事」をしています。
しかも──それは決して「飼われた犬」ではありません。
里親を待っている──昔でいうところの「保健所の犬」相手のボランティアです。 彼女(すでに今は個人的なつきあいをしているので、上司ではなく三人称で呼ばせて頂きます)曰く、犬にも感情があって、「マッサージをしてくれる相手」というのをきちんと見抜いているそうです。彼女が来るとちぎれそうなぐらいしっぽを振って「マッサージしてして!」って寄ってくるんだそうです。
でも──その犬たちは……里親が見つからなければ、寿命が尽きるまで狭い檻の中にいるか、或いは保健所にいくしかないのです……。
「そう思うと、マッサージしながら涙が出そうになる」と、彼女は辛そうに話していました。
私はもともと「ペット」という言葉の響きが、どうも好きになれませんでした。
それはどうしたところで「人間優位」な言葉で、
人間も動物も、地球から生まれた兄弟なんだという意識を欠けさせるように感じるからです。
ちなみに、私自身は大の動物好きなのですが──ペットは飼っていません。理由は、私自身が「いつ何時、引越ししたり長期取材に出るかわからない」から、その間淋しい思いをさせられないという理由と、もうひとつは「死に別れが辛いから」だったりします。
私もかつてはインコを飼ったり、巣から落ちてしまったツバメの雛を育てていたりしました。ただ、ツバメの雛は育てることが出来ず、助けた二週間後ぐらいに三匹とも死んでしまったのですが(獣医さんに聞いたところ、巣から落ちた雛などは拾わない方がいいそうですね。場合によっては親鳥が連れ戻す可能性があるから、そっとしておいてあげた方がいいということを後から聞きました)。
私は子供の頃から、そうした死に別れが辛くて仕方なくて──未だに生死を達観出来ない自分がいるのだなということを、改めて痛感させられます。
また逆に、「それを達観出来ない方が、人間として生きているうちはいいのかな」という気もするのですが──。
私にとって、動物も「家族の一員」です。
きっとそういう気持ちは、ペットを飼われている方の多くが感じられていることだと思われます。
でも──片方では「商品」として扱われている動物達が数多くいるというのは、誠に哀しいことですね(これは捨て犬、捨て猫という問題以前に、ブリーダーが金儲け主義で仕入れすぎて、処分出来ずに捨てるという裏事情の方が大きいとは思います)。
それこそ、上記「チャーリーとチョコレート工場」に出てくるベルーカのような感覚の子や人もいるとしたら……それは、現代社会の病巣としか言いようがないかもしれませんね。
今、口蹄疫の問題で多数牛が処分されているようですが──私たちは、「共に生きる仲間」として動物達を意識することを忘れてしまっていたような気がします。だからこそ、こういう問題が今になって多発しているのかもしれません。
それは安直に「ベジタリアンがいい」だの「肉食だからいけないんだ」という問題ではなく、
他の生命達と共に、私たちは生きているのだという謙虚な姿勢を思い出すことが最も大切なテーマなのではないかと、そんなふうに思える昨今です。
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