ここ最近、私はほぼ「確信」に近い状態で「異次元(高次元)」の実在を感じています。※詳しくは「
既存物理学における次元の考え方への疑問」もご参照ください。
それは特別にチャネリングだの、薬草を飲まなくたって、
考察を深めることだけで、誰にでも出来ることです。 事実、ルドルフ・シュタイナーはそういったものにいっさい頼らず、あれだけの優れた霊視をしていました。
ただし、その為にシュタイナーは
徹底して、三次元の物質構造を理解しようとしたのです。
例えば、目の前に「鉛筆」をおいて、五分でもいいからそれに意識を集中させます。おそらく常人であれば、1分もしないうちに雑念が入り、鉛筆に対しての意識はほとんど削がれてしまうでしょう。
しかし、その雑念に囚われることなく──彼は「ひたすら」、鉛筆が「どういった工程を経てここにあるのか」「どんなルートでここまで来たのか」「この素材となった樹はどこにあって、樹齢何年なのか」など、そのようなことまで徹底して考えたそうです。
自然に生える草花を見る時も、
「ただ花を愛でるのではなく、その花の地中に隠れた根がどのようになっているのかまで、想像を及ばせよ」と言いました。
──すさまじい洞察力ですよね(笑)。現代人には、受け入れられない性質かもしれませんが……。
シュタイナーが常に言っていたことは、
「認識の果て(三次元の認識)を超えることは、洞察によって可能である」ということでした。
私もそれには、深く同意します。
むしろ、機械や薬草に頼ってしまうことの方が「危険」のように思えるのです。
何故なら、すでに「生まれつき、高次元へ体外離脱してしまう体質の人」というのも世の中には存在するからです。
そうした人たちからすれば、そういう体験は「日常的な普通のこと」でしかなく、特別なことでも何でもありません。それを「特別視してしまう」という時点ですでに「エゴ」が働いている証拠だし、そんなエゴの働いた状態で「人工的な高次元に行こう」なんて言ったって、行ける場所はたかが知れてしまうだろう──私はそう思うのです。
そこまで高次元に拘るのであれば、
「まずは自分の意識レベルを、徹底してあげることの方が先決」だと、私は思えるのです。
それはとっても単純なことです。「嘘を吐かない」とか「約束を守る」とか、「人に誠実である」とか──そんなごくごく日常的で、些細なことばかりです。
でも、残念ながら「高次元に行く!」だの「僕は高次元に行ったんだぞ!」と公言している方々の人間性が「決してイコールではない」ところが……どうも私は「あなたの見てきた次元は、ちょっと違うのでは?」という気がしてしまうのです……。
絶対に、
人間性と次元は「イコール」です。高次元に行ったという人がお金に意地汚かったり、異性にだらしなかったり、人に不誠実であったり「するわけがない」と、私は思えるのです。
それは(次回作に細かく説明してありますが)
「次元の組成が周波数(振動数)から生じている以上、同じ振動数(高次元なら、そこと同じ意識の振動数)の者でなければその場に存在することさえ不可能になるからだろう」と、私は考えています。
次元は複数にまたがって存在する為、意識レベルの周波数が「高ければ高いほど」行ける場所も高くなります。
しかし、意識レベルが低ければ、当然行ける場所も低いのです。
とはいえ、低いからといってそこが「地獄のような場所か」と言えば──そんなことはないでしょう。
スウェーデンボルグは、
「悪霊ほど、善霊のフリをする」と言っていました。これは、世の中と大差ないですね(苦笑)。本質というのは決して見た目ではわからず、時間をかけて──或いは、ふとしたきっかけが原因で「暴露されてしまうもの」なのだと思えます。
私自身はもともと「検証・考察タイプ」なので、「直感を受けたからといって、すぐにそのまま情報を公開する」ということが嫌いな人です。どのような直感や体験も、すべて「自分で検証し、『公開出来る』と判断したもの以外」は、公にすることがありません。
しかし、私自身には上記したような異次元体験が複数ある為──だからこそ、自分自身の中で「徹底して、その事情を考察しよう」と試みている次第です。
勿論、既存の物理学や知識だけでは、紐解けないことも数多くあるでしょう。しかし、それは「時代においてはやむを得ないことだ」と、私は思っています。
でも、「やむを得ないから諦める」というのは、また全然話が違います。私はどんなに「この先の未来において、また時代において真理が流転したとしても、今の自分の全力を尽くして『自分が体験した高次元のシステムについて』を考察、検証したい」と強く願っています。
私は数々のUFOコンタクティーの本を読みますが(何故なら、彼らの見てきた異世界が、私の見てきたものとほぼ同じだからです。私自身が、自分の体験の裏付けをしたくて、彼らの本を読みあさっているのだろうと思います)、いつも思うのは
「ただの体験談」として語られるだけの時代は、もう終わったということです。
以前はアダムスキーや、或いはハワード・メンジャーぐらいしかいなかったにも関わらず、少しずつ彼らと同じような体験をしている人たちがあちこちに出てきています。(もっとも、歴史的にみても「ダントツですごい!」と思えるコンタクティーは、マオリッツオ・カヴァーロですが。6月に出版される文庫本でも、数多くカヴァーロの文献を引用しています。彼の言っていることと、物理学者の言っている内容が複数一致していたので、どれだけカヴァーロの体験がすごいことだったのかを読者のみなさんも改めて実感出来ることと思われます。)
私たちはもう、「既存の科学で証明されている、されていない」といった権威主義を捨てて、「まだ何も言われてないけれど、でも、こういうことはあるかもしれない」という謙虚な姿勢の中で、様々な現象を見つめる時代に差し掛かっているのだと思えます。
どんな時代においたって、新たな真理を唱える人はみな「クレイジー扱い」されました。ガリレオはもとより、ライト兄弟にしてもそうだし、アインシュタインだってそうです。
アインシュタインの言葉、
「その時代において『クレイジー』とされない発明なんて、何の価値もない」──私はそのとおりだと思います。
何でも鵜呑みにして、付和雷同的に情報に振り回されるというのも問題ではありますが、自分自身でしっかり咀嚼し、ひとりひとりが考察出来るようになれば──科学は今までと違った「新しい進展の仕方」をするのかもしれませんね。
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