家族制度の限界

 今から三年ほど前の話です。
 当時、私は派遣社員をしていました。もっとも、フルタイムで働いていたわけではなく、当時からすでに執筆や研究の時間を設けていた為、14時までのハーフタイム勤務をしていました。ですので、まだ日の沈まない明るい時間帯に帰宅していたのです。
 私はいつものように、自宅に向かって帰り道を急いでいました。真っ昼間の人通りのない時間帯──ふと見ると、市営住宅からひとりのおじいさんが歩いて来るのが見えました。年齢は、80後半ぐらいでしょうか。足取りが覚束なかったので、私は何となく気になり、そのおじいさんの行き先を目で追っていました。
 すると私の不安が的中し、道路を横断して歩道に行こうとした最中、車道の真ん中で転倒してしまったのです。
 私は慌てて、おじいさんの元に走り寄りました。時間が真っ昼間だったのが幸いして、車通りはまったくなかったものの──それだって危険です。

「大丈夫ですか?」

 呼び掛ける私の顔を見たおじいさんの表情を……私は、一生忘れることは出来ないでしょう。
 驚きと、喜びと──同時に「哀しみ」の混ざった、とても複雑な表情だったのです。

「だ、だいじょうぶです……」

 かすれるような声で、おじいさんは言いました。
 私はおじいさんの手を引いて歩道まで連れて行くと、そばにあった花壇の脇に座らせました。
「どこも痛くないですか?」
「だいじょうぶです……だいじょうぶです……」
 おじいさんは、ただただ、その言葉のみを繰り返しました。

 私は、今までにもこういう場面に出くわしたことが何度かありますが、大抵、転倒した相手は「照れ笑い」を浮かべるものです。おそらく、私が逆の立場でもそうすると思います。すっ転んだ自分を自嘲するように笑って、みっともない姿を見せたことに対して誤魔化そうとするのは心理的に当然の働きです。それは、老いも若きも関係なく「大抵の共通項」でした。

 しかし、そのおじいさんはいっさい、笑わなかったのです……。

 それどころか、まるで久しぶりに人と話したかのような──そんな戸惑いを感じさせるような表情でした。
 私はそのおじいさんのことが気になりながらも、もともと過干渉が苦手なタイプ故、おじいさんに「少しここで休んで、立てるようになってから動いた方がいいですよ」とだけ呼び掛けて、その場を立ち去ろうとしました。消え去りそうな声で「ありがとう……」と言われたので、そのまま会釈して、再び私は家に向かって歩き出したのです。

 私の家からその場所までは、ほぼまっすぐの一本道でした。私は数分歩いたのち、何か気になって──ふと、おじいさんのことを振り返りました。
 すると──もう数分以上経っていたにも関わらず、おじいさんは「じっと」、私のことを見つめていたのです……。きっとその数分間、遠ざかる私のことを見つめ続けていたのでしょう。
 私は、胸がぎゅっ……と詰まるような感じがしました。

 ──もしかしたらこのおじいさん、「ひとり暮らし」なのかもしれない。

 とてつもなく複雑な想いが、私の中で駆けめぐりました。
 でも、私には「何も出来ません」。
 私がもっと積極的な性格なら、再びその場に戻ってあれこれ世話を焼くことも出来たでしょうが──そこまでの勇気が、私にはありませんでした。ただただ、そのおじいさんの「せつなそうな瞳」だけが、心に焼き付いているだけなのです。

 今でも、そのことを思い出すことが多々あります。
 その市営住宅には「ひとり暮らしの老人が多い」というのも、聞いていました。もともと市営住宅などの公営は、「ひとり暮らしの老人」が優先されるところはあるので、まぁ当然といえば当然なのかもしれません。
 あのおじいさんは、一体どうしただろう──そんなふうに思うのです。
 もし、これがすべて私の思い過ごしで、実は家には家族がいっぱいいて、とても愛されている存在だった──というのであれば、私もかなり気持ちが楽になります。
 でも──そんな人は、まず「あのような哀しそうな目」はしていない、そう思えるのです……。

 私は、自分自身がもともと孤高を愛するところがあって、「ひとり暮らし」を淋しいと思ったことなどは一度もありません(むしろ、「ひとり暮らし推奨派」です。と言いますか、若いうちに一度はみんな「ひとり暮らし」を経験した方がいいとさえ、思っています)。
 きっと老人になっても、静かな山奥に住んで、たったひとり「死と今までの生」を見つめながら死んでいくことを望むだろう──そう思います。「真理探究者」というのは、心の奥で宇宙との繋がりを求め、静寂を追い続けるようなところがあるからです。
 しかし、「世の中のみんなが、私のような人間」のわけはありません。

 ひとりは、淋しい。
 孤独は嫌だ。

 そう思っている人の方が、おそらく9割以上なのではないでしょうか?
 だからこそみな、結婚生活を望み、家族を求め、生活の中に「賑わい」を求めるのでしょう。

 でも──私はそうした家族制度こそが、結果的に「ひとり暮らしの老人」を増やしてしまうのではないだろうかと、そう思うのです。

 マオリッツオ・カヴァーロの一作目「クラリオン星人にさらわれた私 超次元の扉」に、高次元人(クラリオン星人)の「結婚生活」について書かれた箇所があります。
 

 彼らの惑星での結婚には、結婚式はない。婚姻関係は、知的、霊的、物理的な類似性のうえに成り立つ。カップルの間で、常に発展し続ける周波数に差異が生じたときには、平和裡に結婚生活は終結する。いずれにせよ、子供たちはコミュニティーに保護されているのだ。(P233)  


 実は、私自身もこれと同じことを離脱先で見てきました。もっとも、私の場合は「聞いた」のではなく、私をガイドしてくれた男性の息子が「一時的に帰宅している」というのを知り、「もしかして、どこか寄宿学校のようなシステムがあるのだろうか」と推察したのですが(ちなみに、妻と思しき人もいませんでした)。
 異次元とは違いますが、同じようなニュアンスのことをスウェーデンボルグも「霊界の結婚」として書いています。(と、言いますか──最近私は思うのですが、スウェーデンボルグが見たのは((17世紀当時の水準において))霊界とされていただけで、実は「異次元」なのではないか──と思っています。むしろもっと極論を言ってしまえば、「今まで精神世界が言ってきたような『霊界』というのは、本当は『ない』のかもしれない」とも考え始めています。このあたりはすべて「一元論」の中で物理的に説明が出来ますので、いつか改めてブログで((或いは次回作で))解説する予定です。)

 もともと、高次元には「老い」がない──とも言います。「死」はあるようですが、老いることなく「別次元」へと移転するのみのようです。
 だとしたら介護福祉とか、そんな問題は「高次元にないから、わからない」っちゃそれまでになっちゃうのかもしれませんが──。
 私自身は、どうすれば、こうしたひとり暮らしの老人の孤独や、児童虐待などの問題が解決するのか、そういう社会的な問題に対しても「高次元システム」の中にヒントがないかを、ずっと探しているのです。
 先程も言ったように、高次元では「老い」がないのだとすれば、老人に対する問題というのは最初からないのかもしれません。しかし、平和裡に結婚生活が破綻しちゃう家庭に生まれた子供は「悲劇」ですよ(笑)。いくらお父さんお母さんが「平和裡」であったって、子供は「たまったもんじゃありません」。
 そう考えると、おそらく高次元には最初から、家族制度というものが存在しないのかもしれません。
 独立個人が「大前提」な次元故(最近、何故「高次元では独立個人が前提」なのか、見えてきた気がします。それは高次元が光子を原子としているので、最初から「独立している((電子のように分離していない))」からなのではないかと、現時点では推察しています)、「家族制度」を持つ必要が、もともとないのだろう──そう思えるのです。
 勿論「教育」は必要ですので(それどころか、おそらく惑星のほとんどは教育従事者になっているだろうと私は思いますが)そうしたコミュニティはありますが、すべてが「コミュニティ」で担っており、逆に言えばその惑星にいる人類、全員が兄弟であり親子のような関係性になっているのかもしれません。

 だとしたら。
 私たちの次元におけるこうした「ひとりぐらしの老人の問題」や「児童虐待の問題」も、もっともっと「地域全体」或いは「コミュニティ」の中で対応していく必要性があるのかもしれません。
 そうすれば、年老いた息子・娘が、さらに年老いた両親を介護する為に仕事を辞め、その後再就職出来なくなる──という哀しい出来事も、起らなくなるはずです。
 すべては「家族」という「狭い領域」だけで責任を負わせ、解決させようとする「今までの社会システムそのもの」に、問題があったのかもしれない──私はそんなふうに思います。
 もっと互いにいたわり合うような関係性を、社会全体が担えるようになったら──私が会ったような「哀しい目」をしたおじいさんを、ひとりでも少なくさせることが出来るのかもしれません。


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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

【篠崎編集担当】


【篠崎の著作本】

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