失われた「日本民族の感受性」

 昨日記事にした「家族制度の限界」について、多くの方から感想やメッセージを頂きました。
 誠に、ありがとうございます──。
 ほとんどの方が、私と同じように「既存社会システム」を問題視していることを知って勇気づけられたと同時に、「もっとこうした問題点の的を絞って、理想社会の青写真へと繋げていきたい」そう感じた次第です。
 現在、いろいろと執筆をまとめておりますので、また改めて記事にさせて頂きますね。
 
 さて──今回の記事も、「現代日本における問題点」に多少関わる内容です。

 先日、私は「宮崎駿監督作品が好き」という話をしましたが、最近はDVDの「英語ヴァージョンで聴く」という形式で見ることが多かったりします。(実は、最近まで英語版があることに気付きませんでした。通常DVDのメニューは冒頭に来ますが、ジブリ作品の場合「作品の最後」に来るので、あることそのものを知らなかったのです。)
 私が持っている宮崎作品のDVDは「風の谷のナウシカ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「崖の上のポニョ」、それと宮崎吾朗監督作品の「ゲド戦記」なのですが、「風の谷のナウシカ」「崖の上のポニョ」以外は、すべて外国語ヴァージョンがついています。(「千と千尋」のみはフランス語なのですが、あとは英語です。)
 私は以前から、気に入ったDVDを「日本語字幕」「英語字幕」「吹き替え」「英語オンリー」とすべて味あわずにはいられない性格なのですが、もともと邦画はあまり見ないので、「日本人が作成した映画を、英語で聴く」ということは宮崎監督作品しかしたことがありません。
 ──が、改めてしてみると「色々な発見」があることに驚かされます。

 まず、何よりも驚いたのは無言の回数が減っているということです。
 「となりのトトロ」を観たことのある方はご存知でしょうが、あの作品の中には「無言の場面」が何度か出てきます。例えば、冒頭で郵便配達のおじさんが手を振る場面や、寛太という少年が家族を指さす場面など。それらの場面が、英語版ではことごとく、台詞が入っているのです。
 これは、子供向けだから「態度だけ示すのは分りづらい」ということなのか──或いは、海外においては「無言で指をさす」というのが失礼にあたることだからなのかと、あれこれ思いめぐらせてしまいました。
 まぁ、日本でも決して「礼儀の正しい行為ではない」かもしれませんが──。
 でも、それを改めて見た時に無言で行動をされても、相手の意図を推し量ろうとする姿勢が日本人には「あったのだ」という、意外な発見をした気分になりました。

 また、英語版の方では「間(ま)がなくなっている」という事実にも、驚かされました。
 逆に言えば、日本人が、どれほど間(ま)を大切にしている民族性かということも、実感させられたのです。

 普通に日本語で観ていた時は、宮崎駿監督作品の中にある「間(ま)の多さ」に、まったくと言っていい程気付きませんでした。
 ところが、英語版で観て改めて、「間(ま)が多い」ことを痛感したのです。何故なら、ことごとく、そこに台詞なり音楽なりが入れられていたからです。
 それが顕著なのは「魔女の宅急便」です。
 あの作品はBGM自体一部変えられていたので、特に「作品としての違い」を顕著に感じました。
 「魔女の宅急便」英語版に対する正直な感想を言えば、私は「くどい」と思ってしまった程です。
「この場面には台詞や音楽を入れず、静寂の中で、登場人物の気持ちや予兆を味あわせて欲しい」──と。

 思えば「無言」というのも、とどのつまりは「間(ま)」のことです。
 日本人は「無言」「間(ま)」──「空白」「余白」というものを非常に重んじる特質を持っており、それを顕著にあらわしているのが「宮崎駿監督作品なのだな」と、改めて実感させられました。

 茶道にしても、確かにそうですね。広い茶室でも、使うのは「ほんの片隅」です。全体を敷き詰めるようなことは、まずしません。片隅でありながらも、「その倍以上ある空間」の余白を楽しむという精神的特徴が、日本文化の中にはあるのかもしれません。
 植物に関する感性も、そうかもしれませんね。盆栽も、みっちり花が植えられているわけではなく「微細な空間」を重要視しています。最近はアメリカ風の「ぎっちり埋め込み式アレンジメント」が流行りですが──可愛いとは思うものの、個人的には、あまり好きではありません。それであればむしろ、茶道にあるような「野に咲く花を、一輪だけ飾る」という感覚の方が、私は好きです。

 「なんとなく」軽い気持ちで、見慣れている宮崎監督作品を英語で観たものの、これだけ民族性の差が出るのかと、改めて驚きました。
 同時に、「こうした間(ま)が、今の日本社会に果たして『あるだろうか』」と、首を傾げた次第です。
 むしろ、「逆になっている」──そう思います。
 だとしたら、現代日本社会が「病んでしまう」のも無理はない──そう思えました。もともと風土にあった民族性が失われ、違った土壌のものが入って来てしまえば、その地が病むのも当然のような気がしたのです。それこそ、アメリカに生息していたブラックバスを日本の湖に放したところ、日本の湖にもともとあった生態系が崩れてしまったという例のように。

 間(ま)──無言──空気、すべては「音」に反映されます。
 かつての日本人は、とても音に敏感でした。それは、松尾芭蕉の俳句に色濃く描かれています。

「閑かさや 岩にしみいる蝉の聲(せみのこえ)」

「古池や 蛙(かわず)飛び込む水の音」


 非常に「静寂が描かれた句」だと、私は思います。
 もし、そうした「音の敏感さ」「音に対する繊細さ」が元来日本人になければ、どんなに松尾芭蕉が素晴らしい俳句を残しても「なんだよ、じっみな俳句だな~」で終わってしまったはずです。音に対する繊細さをかつての日本民族も持っていたからこそ、松尾芭蕉の俳句は評価されたのだと、私はそう思えるのです。

 それが──今はどうでしょう?
 人の生活を脅かすような騒音の数々。爆竹のようなバイク音を鳴らす暴走族や、深夜勤の人やお母さんがようやく寝かしつけたばかりの赤ちゃんのことさえ思い遣らないような「うるさい宣伝カー」、何の意味があるのかよくわからない「選挙宣伝カー」など、音に対する冒涜があちこちに溢れんばかりです。

 無音──静寂というのは、とどのつまり「間(ま)」とイコールなのだと、私は宮崎駿監督作品のDVD英語版を見て、つくづくそう思いました。
 本来、日本人はとても繊細で、感受性の鋭い民族だったのだろう──と、そう思えるのです。
 間(ま)を大切にし、静寂を愛し、季節を感じて、自然を尊ぶ──それこそ宇宙の律動にあわせた生き方が、日本人の精神性そのものだったのです。
 しかし、今はそれが完全に、失われてしまいました。
 だからといって海外に同調出来ることもなく、非常に中途半端な状態で国際社会にぶら下がっているのが「今の日本なのではないか」──ふと、そんなふうにも思いました。

 日本元来の良さは「間(ま)」──すなわち物と物を繋ぐ空間──伝導体(プラズマ)の意識──だったと思えるのです。
 もしもそれを取り戻すことが出来たら、日本はもう一度、生まれ変わることが出来るのかもしれませんが。

 「忙しすぎる日本人」というのは、「日本人の良さ」を見失っているのだと私は思えます。(って、私も聴いていて耳が痛いのですが;)
 ふと立ち止まり、深呼吸して──今、「自分が立っている場所を味わう」──そんな余裕を取り戻すことが、まずは今を生きる「現代日本人」全員にとって、第一優先なのかもしれませんね(笑)。←自分含(苦笑)。



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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

【篠崎編集担当】


【篠崎の著作本】

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