映像の技術進歩は、必ずしも喜ばしいことでは「ない」

 昨日、ネットで興味深い記事を見つけました。以下、転載します。

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3D騒ぎが映画をダメにする9つの理由
ニューズウィーク日本版6月18日(金) 14時11分配信 / 海外 - 海外総合

2Dの豊かな表現力を忘れて子供だましの映画が量産されかねない。映像体験を進化させる方法は別にある──

ロジャー・エバート(シカゴ・サンタイムズ紙映画評論家)

 映画は2Dで十分。「もう1つの次元」は必要ない。ハリウッドが雪崩を打って3Dに走るのは自殺行為だ。飛び出す映像は観客の集中を妨げる場合があり、人によっては吐き気や頭痛の原因になる。映画館に高価な投影機材を売り付け、観客から上乗せ料金をふんだくろうとする狙いが透けて見える。

 3D映像は標準的な2Dより明らかに暗い。シリアスな映画には不向き。監督の「撮りたい映画を撮る自由」を縛る。R指定(17歳未満は保護者同伴)などの大人向け映画の観客には、特別料金に見合う満足感はまず与えてくれない。

 マーケティングの観点から見れば、私の考えが「異端」であることは承知の上だ。何しろ3Dはハリウッドに史上最大のドル箱商品をもたらし(『アバター』の世界興行収入は27億ドルを超え、さらに記録を更新中)、ほかにも数々のヒット映画を生んでいる。今年の3大ヒット作『アリス・イン・ワンダーランド』『ヒックとドラゴン』『タイタンの戦い』はいずれも3Dで上映されている。

 それでも、3Dの限界について私と同じ考えを持つ監督や雑誌編集者、撮影監督、映画ファンは少なくない。映画会社の重役たちの中にも今のブームに抵抗を感じている人がいる。

 50年代に一時期話題を呼んだステレオスコープで、3D技術は既に無意味なオモチャであることが分かったはず。ここで異端派の見方を1つずつ説明しよう。

1)もう1つの次元は要らない 2Dの映画を見ているときも、観客の頭の中では3Dの映像が見えている。地平線上の小さな染みのように見えるアラビアのロレンスが、砂漠に馬を駆ってぐんぐん迫ってきたとき、あなたは「あら、少しずつ体が大きくなるよ」と思うだろうか。

 私たちの脳は、遠近法で奥行きを感じ取る。人工的にもう1つの次元を加えれば、平面上の奥行きがあざとい感じになるだけだ。

2)より深い感動を与えることはない 心を揺さぶられた映画を思い出してほしい。3Dにする必要があるだろうか。偉大な映画は私たちの想像力を刺激してやまない。『カサブランカ』が3Dになっても、感動が大きくなることはない。

3)集中を妨げる場合がある 3D映画には、2D画像を左目用と右目用に分離しただけのものもある。その結果、ある物体が別の物体の上に浮かんでいるように見えるが、すべてが平板な印象は否めない。
 2Dでは、焦点を変えることで観客の目を画面上の1点に引き付ける手法がよく使われる。3Dは前景も背景もくっきりとクリアに見せることを狙っているようだが、その必要があるとは思えないし、観客の注意を引き付ける手段を監督から奪うことになる。

4)人によっては吐き気や頭痛を催す 3Dテレビが市場に登場する直前、ロイター通信が眼科学の権威2人に目に与える影響を聞いた。

 その1人ノースウェスタン大学のマイケル・ローゼンバーグ教授によると、「左右の目の周りの筋肉のアンバランスなど、非常に軽い障害があっても、それに気付かずに生活している人が大勢いる」らしい。「通常は脳がうまく調節している」ので支障を感じないが、3D映像を見るという非日常的な体験をすると、「脳に負担をかけることになり、頭痛を起こしやすい」とのことだ。

 私たちは普段、左右の目で微妙に異なる角度から物を見ていると、眼科学と神経学の専門家であるロチェスター大学医学センターのデボラ・フリードマン教授は説明する。「それを脳で処理して奥行きを認識している。3D映画の立体感は、人間の目と脳の仕組みとは違ったトリックで作られている」

 消費者向け情報誌コンシューマー・リポーツによれば、3D映画を見た人の約15%が頭痛や目の疲れを訴えるという。

5)画面がやや暗い 3D映像システムの父として知られるレニー・リプトンは、現在のデジタルプロジェクターは「(光学的に見て)効率が悪い」と断言している。「光の半分は右目、半分が左目に入るから、単純に明るさが50%減るということだ」。さらに3D用の眼鏡も光を吸収する。

 現在、大半の映画館が3D作品を3~6フットランバート(fL)の輝度で上映している。fLとは、簡単に言えばフィルムを入れていない映写機がスクリーンに投じる光量のこと。アナログ映写機では大体15fLで、オリジナルのアイマックス(大型映像システム)では22fLだった。

6)デジタルプロジェクターを売りたい商魂が透けて見える 3D上映用機材の導入は巨額のコストが掛かるため、当初は映画館が難色を示し、コストの一部を映画会社が負担すべきだと主張していた。これに対して一部の映画会社は、3Dで上映しないなら2Dでの上映も認めないと主張して映画館に圧力をかけた。

 ほとんどの映画館の映写室には、アナログとデジタルの映写機を置くスペースがあるのに、アナログ時代は終わったとばかり、デジタルへの切り替えを迫るセールス攻勢がかけられている。

7)観客は特別料金をふんだくられる 3Dの上乗せ料金はこのまま定着するのか、プロジェクターの元が取れたら無くなるのか。

 特別料金は、親たちの頭痛の種だ。子供は宣伝にだまされて「3Dじゃなきゃ嫌だ」と言い張る。私は『タイタンの戦い』の映画評でこう書いた。「この映画は3D映像として製作されたものではない。5ドルの特別料金を取るために3Dで上映されるだけだ。2Dで見ても十分楽しめると、子供に教えてあげたほうがいい」

 『タイタンの戦い』は『アバター』に続く2匹目のどじょうを狙って、慌てて3D効果が付け加えられた映画だ。3Dアニメに社運を懸けるドリームワークスのジェフリー・カッツェンバーグでさえ、『タイタンの戦い』の3Dは「観客をだますものだ」と酷評した。ちゃちな疑似3Dは金の卵を生むはずのガチョウを殺してしまいかねないと、カッツェンバーグはバラエティー誌のインタビューで語っている。

8)シリアスなドラマに3Dは必要ない かつてアルフレッド・ヒッチコックは3Dで撮影した『ダイヤルMを廻せ!』の出来に不満で、ニューヨークでの封切りでは2D版を上映した。3Dはもっぱらコンピューターで製作する作品に向いているらしい。子供向けの映画やアニメ、そして『アバター』のような作品だ。

 もちろん、ジェームズ・キャメロン監督の『アバター』は別格だ。素晴らしい映画で、オリジナルのアイマックス・システムのスクリーンなら臨場感抜群。それに史上最高の興行収入を挙げている。

 この映画は3Dの広告塔として利用されているが、(特別料金のない)2Dでも成功したのではないだろうか。全米興行収入の史上第2位は同じキャメロンの『タイタニック』で、こちらはもちろん2Dだった。

 それでも『アバター』は3Dをとても効果的に使っている。最初から3D用に計画を立て、2億5000万ドルを投じて完成させたキャメロンは撮影と編集の達人だ。だが、ほかの監督は特別料金を上乗せしたい映画会社のお偉方に3Dを強制されている。

 例えばティム・バートン。『アリス・イン・ワンダーランド』(アイマックス3D版)は、マーケティング担当の重役に無理やり作らされた擬似3D映画だ。なるほど興行収入は文句なしだった。しかし3D効果はほんの蛇足で、追加料金を正当化するための詐欺まがいの行為だった。

 今ではキャメロンまでが『タイタニック』の疑似3D化を計画している。そういえば3Dドキュメンタリー映画『ジェームズ・キャメロンのタイタニックの秘密』は、沈没したタイタニック号をキャメロンが個人的に撮影したものだった。3D版『タイタニック』は3D用に作られた本物ではないが、キャメロンなら過去の誰よりもうまく「擬似3D」を作りそうだ。

 それでも私は言いたい。『タイタニック』はそのままで素晴らしい映画なのに、なぜ余計な手を加える必要があるのか。歴代興行収入2位の作品でもうひと稼ぎしようという魂胆が見え見えだ。

 私は以前、マーティン・スコセッシのような監督が3Dに取り組んだら、3Dに対する評価を変えるかもしれないと言った。絶対にそんなことはないと高をくくっていたのだが、そのスコセッシが児童文学『ユゴーの不思議な発明』を3Dで映画化すると発表した(11年公開予定)。映画を知り尽くし、その可能性にほれ込んでいるスコセッシなら、自分のニーズに合わせて3Dをうまく使うはずだ。

 私が敬愛するウェルナー・ヘルツォーク監督は、フランスの先史時代の洞窟絵画を取り上げたドキュメンタリーを3Dで撮影している。古代の洞窟のくぼみをより鮮明に映し出すためだ。

 自分の作品はあくまでスクリーンの平面にとどまると、ヘルツォークは言った。つまり、映像が飛び出すわけではないということだ。観客は絵画と同じ空間にいるような錯覚を抱き、先史時代の芸術家と同じ目線で絵画を味わえる。

9)ハリウッドは危機を感じるたびに新技術に頼ってきた トーキー、カラー、ワイドスクリーン、ステレオ音響、そして3D。要するに、最新技術によって家庭ではできない体験を提供するということだ。

 ブルーレイディスクやHDケーブルテレビの登場で、家庭でも映画館に近い体験ができるようになった。3Dは映画館と家庭の差を広げたが、今度は家庭用3Dテレビが再び差を縮めるかもしれない。

 ハリウッドに必要なのは、家庭での体験より格段に素晴らしい「極上の」体験、特別料金に値する体験だ。私は以前から、マキシビジョン48という映像方式を高く評価してきた。既存の映画技術を使うが、1秒間に48コマ(48fps)で撮影し、ちらつきのまったくない映像を提供する。

 今の映画は24fps。トーキー映画初期にアナログ音声を乗せるにはそれが限界の速度だったからだ。だがマキシビジョン48は48fpsなので、画質は2倍向上する。

 私はマキシビジョン48も、少し前の方式であるショースキャンもこの目で見た。どちらも非常に素晴らしく、スクリーンが「3次元への窓」の役割を果たす。映画好きが見たら、3Dのことなど頭から消え去ってしまうだろう。

 私は3Dという映像方式に反対しているのではない。ハリウッドが3Dで塗りつぶされてしまうことに反対なのだ。3Dのせいで、大手映画会社の路線はアカデミー賞に値する映画作りから遠ざかっているような気がする。スコセッシやヘルツォークは大人の映画を作るが、ハリウッドは先を争って子供向け市場に殺到している。

 大手映画会社はストーリーと作品の質に対するこだわりを失いつつある気がする。今は何でもかんでもマーケティング優先だ。

 ハリウッドはあらゆるタイプの映画に使える、過去のどんな方式よりも圧倒的に優れた映像方式を必要としている。マーケティング担当重役の言うとおり、観客は家庭では味わえない極上の体験を映画館に求めている。しかし、探している答えは3Dではない。

【転載元】http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100618-00000302-newsweek-int

────────(転載以上)──────────


 私も、この記事内容に同感です。
 「アバター」は私も観ましたが、正直言って「内容に深みのある映画」とは、残念ながら思えませんでした。
 映像は確かに綺麗です。パンドラのような「シャーマニック的な世界」というのが実際にあるかもしれない、という希望を視聴者に抱かせることも可能でしょう。
 しかし、やってることは結局、映画「ランボー」とかと大差ないじゃないか──ただの「開拓→侵略阻止→交渉場面さえない安易な戦争突入」といった、露骨なまでのハリウッド映画でしかないと、そう思いました。
 それだったら遙かに「タイタニック」の方がいい作品だったし、いろいろと考えさせられるものもありました。キャメロン監督は一体全体「どうしちゃった」のでしょうね? 同じ監督の作品とは、到底思えなかった程です。

 映画は「娯楽に過ぎない」──そういう意見もあるでしょうね。
 しかし、「娯楽」と呼ばれるテレビの普及は、人類にどのような影響を及ぼしたでしょうか?
 ただ情報を鵜呑みにし、考察しようとしない「思考力のない人類を量産しただけ」に過ぎないのではないでしょうか?
 映画にも「同じ轍を踏め」と、そう言いたいのでしょうか?

 私が「映画好き」なのは、ドラマよりも、映画の方が時間が凝縮されている分、テーマ性が濃く現れるからです。
 メッセージ性もテーマ性もない映画は、「栄養価のない、ただの駄菓子」に過ぎません。(勿論、どんなにメッセージ性の含まれた映画でも、そこに意義を見いだすか否かは視聴者次第ですが。)
 私の場合、アバターは3DではなくDVDで観たので分りませんが、仮に3Dで見たとしても──内容よりも「映像美」への感心だけで終わってしまったでしょうね。(そもそも、私は3D自体あまり好きではありません。ディズニーランドのアトラクションなどでよくありますが、どうも見ていて「気持ち悪くなってくる」のです。私はものを観るときに集中して見る癖((たぶん、まばたきとかもほとんどしてないと思いますよ))があるので、3Dだと「乗り物酔い起こした感じ」になるんだと思います。)

 タイタニックを3D化するという話が上記載っていますが──私も「無意味」だと思います。
 あの映画の魅力は、命の危機を目前にした人達が、一体どのような行動をとるかという伏線が魅力的なのであって、氷山にぶつかった勢いだの、船がおれる迫力だの、そんなものに意味があるわけではない──そう思うからです。

 それに、上記の記事にあるように、私たちは充分「遠近感」で映画を楽しんできました。
 しかも、その「遠近感の錯覚」によって成り立つ映像というのも、沢山あるのです。
 ロード・オブ・ザ・リングなどはその典型例で、ホビット族をやった四人の俳優達は、いずれもみな「普通に大人の背丈」をした青年です。しかし、実際にガンダルフやアラゴルンと並ぶと、「子供並みに小さく」見えてしまいます。
 ほとんどの場面は子役を代用したり、或いは「巨大ロボット」を使ったりもしていましたが、一部の場面については遠近法を使って、人間達とホビット族の身長差を、視聴者に錯覚させていたのです。
 どういうことか説明しますと、遠くに「ホビット族のフロド」を立たせ、手前にガンダルフを立たせます。そうすると、通常であれば遠近法で「遠くにフロドがいる」というのが分るのですが、何故かフィルムにすると「フロドとガンダルフが隣同士にいて、フロドだけが小さく見える」という錯覚を、見ている側が起こすのです。
 ピーター・ジャクソン監督は、そうした手腕をあの映画の中で沢山披露していました。3Dじゃなくたって、監督の工夫次第で、いくらでも素晴らしい映画は創れるはずなのです。

 私も、映画の3D化には「歓迎していません」。
 一部の映画がそうするのは構いませんが、「全部が全部そうなる」のは反対です。何故なら、私が映画に求めるのは「メッセージ性」であり「テーマ性」だからです。
 勿論、娯楽を求める人がいるのは構いませんし、おそらく、人口比率的にも「テーマ性」を映画に求めるなんて人は1割に満たないことでしょう。
 しかし、それでまたもやマイノリティの意見が無視され、映画が「ただの娯楽化」してしまうのであれば、私はもうホントに、この次元での息抜きが全てなくなりそうです(苦笑)。

 本当に素晴らしい映画は、3Dなんかで観る必要さえありません。
 私が大好きな映画「コンタクト」──以前も少しご紹介しましたが、私は自分が弱気になったりくじけそうになると必ずこの映画を観て、自分を励まします。
 この映画には美しい宇宙のCGが数々出てきますが、主人公のエリーが次元を超える場面、星々に触れる場面──これらを、視聴者である「私たち」も一緒にさわる必要性が、どこにあるのでしょうか?
 私たちは、映画を観ている時点ですでに主人公と同一化しているのです。主人公の体験を疑似体験し、主人公の気持ちを味わっています。
 それを成すこと自体が「想像力(イマジネーション)」というものです。
 それさえもなく「3Dじゃなくちゃ、楽しめない」となったら──人間に「想像力」が存在する必要性さえ、なくなってしまいます。

 余談ですが、先日「なるほどな~」と感心させられる記事を見かけました。
 宮崎駿監督作品「風の谷のナウシカ」がBlue-Ray版になる──という記事だったのですが、最初の試写会の際、宮崎駿監督は「色をただギラギラさせているだけで、あれは創作者に対しての冒涜だ!」と批判したそうです。
 その後、再度作成し直したものに関してはOK出たそうですが──条件として「色の塗り違い(当時はセル画作成なので)に関しては、あえてそのままにする」というものを出したそうです。
 私は「さすが、宮崎駿監督だな」と感心しました。普通の監督だったら、「色の塗り違い、訂正しておいて」と言うでしょう。しかしそこを「あえて」、そのままにしたのです。
 その気持ち──私は分る気がします。
 当時はセル画作成で、一枚一枚、アニメーター達が時間に追われながら必死に色を塗っていました。私は小学生の時アニメが大好きで、一時期「アニメーターになりたい」と思ったこともあったのですが、当時高校生だった姉から、開口一番こう言われたのです。

「アニメーターって、めっっちゃ仕事がきつい上に、すっごい安月給なんだってよ!」

 ──誓って言いますが、それが理由で諦めたわけではないですよ(笑)。
 ただ単に、「私は『作品を楽しむのが好きなだけ』で、創る側になりたいわけじゃない」ことが分ったから、やめただけです(逆に言えば、「製作の裏側を見てしまうことで、純粋に作品を楽しめなくなるのが『嫌』だったから」です。なので、今でも「メイキング」は滅多に見ません。その後、純粋に映画を楽しむことが出来なくなるので。──ロード・オブ・ザ・リングに関しても「メイキング、見なければよかった……」と後悔しましたし;)
 そんな苦難の中で製作していれば──多少の色の塗り違いなんて、いくらでも出てきますよ。(実際私も、「風の谷のナウシカ」を見ていて色の塗り違いに気付いているぐらいですし。)
 でも、宮崎駿監督はそれを「治さないで欲しい」と言ったのです。
 それはきっと──当時の面影を、技術の進歩によって消してしまいたくない、そんな思いからだったのではないかと、私は推察しています。さすがは世界に通用する監督だなと、そう思いました。それに比べて、ただ興行成績ばかりに拘る理念のない映画監督は、「ビジネスマン」と大差ありません。

 技術の進歩が、必ずしも人類に幸福をもたらすとは限らない──映画の3D化はその典型例だと思えます。
 安易な娯楽技術の進歩は、人間から「想像力」「思考力」「考察力」を奪います。パスカルの言った「人間は考える葦である」という言葉──これさえもが通用しなくなるのであれば、人間自体の存在価値さえなくなってしまいます。
 ますます、人類の二極化が進んでいるのではないか──そんな不安を抱かせる昨今です。


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2010-06-19 | 映画 | トラックバック(0) |
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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

【篠崎編集担当】


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