「脳みそは頭だけじゃない、こころにもあるもので、その『ふたつ』を動かすことが大切なんだ」 そんなニュアンスのことが、児童文学「アミ 小さな宇宙人」に書かれていましたが、私は「まさにその通りだ」と思います。
現代人はとかく「頭」ばかりを使いたがります。何でも合理的にすることばかりを意識して、人のこころへの配慮が欠けてしまう──そういう場面を目にすると、本当に哀しくなることが多々あります。
頭は、本来
「こころよりも、スピードが早い」のです。よく「頭の回転が早い」なんていいますが、それは頭ではなく「こころ」で考えているからなのだと私は思います。
頭の使い方とこころの使い方は違います。そしてまた、「どんなに頭が良くても、こころが未発達の人」というのは、往々にしてわかるものです──。
また、「こころだけが発達する」ということもあり得ません。両者はひとつの動きを担っているので、
「こころだけが発達して、頭はおざなりになる」ということはないのです。
しかし、頭だけが発達して「こころではない『感情』だけが暴走する人」というのはよく目にします。その人は決してこころが発達しているのではなく、ただエゴから派生した感情だけが爆発しているのに過ぎないからです。
面白いことに「自分は頭がいい(学歴がいい)」「自分は仕事が出来る」と思いこんでいる人ほど、感情的になりやすいというのは皮肉なことですね。
以前私の職場にもいたのですが、その人は「自分は仕事が出来る人」だと勘違いしていました。確かに機転は利くのですが、
配慮がないのです。
自分がどんなに先々仕事を進めても、それに追いつけない他の仲間達のことなど気にもとめません。それを私が咎めたところ、
「私はこれだけ仕事が出来るのに、何で私が『出来ない人』に合わせなければならないの!」と逆ギレされました。
仕事とは、決して「ひとりでやるものではない」ということを、その人は理解出来ていなかったようです。
これはもう「こころが発達していないいい証拠」とも言えるでしょう。「キレる」というのはこころの作用ではなく「感情の作用」でしかないからです。
私はよく耳にする
「それって、常識的にあり得ないでしょ!」って言葉も嫌いです。
それは、ただ単なる「頭の思いこみ」に過ぎず、本当に相手の立場を思い遣った言葉ではないからです。
そもそも「常識」って一体何ですか? 誰が決めたのでしょう?
その常識がもし通用しない世の中だったら、どう言うのですか? 常識の概念って、一体何なのでしょう?
みんな、自分が思いこんで「これが常識だ」と決めつけた杓子定規だけで、すべてのものごとを決めつけているに過ぎないのだと、私には思えることがままあります。
「こころ」を発達させると、自ずと「頭」も冴えてきます。
私自身はむしろ、「こころと頭は、本来同じ働きをしているのではないか」と思うこともあります。
「じゃぁ、こころってどこにあるの?」と、多くの方が疑問に思うでしょうし、今の脳科学では「脳みそにある」と言われていますが──私は「違う」と思います。
こころは、
「ハート」。
胸の部分にあるのだと、私は思っています。
それは、感動する映画を観ればすぐに分かります。
感動して「ぐっっっ」と詰ったとき、頭が詰りますか?
「ぐっと胸が詰った」とは言っても「ぐっと前頭葉が詰った」とか「側頭葉が詰った」とは言いませんよね?
医学的に証明はされなくても、
こころは「胸」の部分にあるのだと、私はそう思っています。
だからこそ、これほど脳みそにストレスを抱えている昨今、感動したりこころを解放することが大切なのだろうなと、つくづく実感する今日この頃です。
【追伸】ようやく少しずつ、返信を開始しました。かなり溜まってしまったので、時間がかかると思いますが、ご容赦ください。●多くの方に、「真剣な目で地球人類の進化に意識を向けて欲しい」と、強く願っています。
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