この記事を書こうかどうしようか、長いこと悩みました。
私は以前も書いたように
「他者を批判しない主義」です。
しかし、
「社会に害を成していると思える意見には、個人批判をせずに、その人の意見(著作)について堂々と反論する」という姿勢で常にいます。
そして、今回私がしようとしていることは、
とある方の著作に対する「反論」です。
最初はその本のタイトルも掲載していましたが──それは控えることにしました。
おそらく、一度でもその方の本を読んだことのある方であれば、名前を出さなくてもすぐに分かるだろうし、また、どんな著作であれ、その人が一生懸命書いたものであるのであれば(そうであると、私は信じたい)、それを批判する権利など、私にはないからです。
ですが、あまりにも今回の本は
「目に余りすぎ」でした。
しかも、この方は精神世界系では
かなりの有名人です。
本もだいぶ売れているようですが、私は心から
「読者のみなさん、もっと洞察力をもって自分で思考することを試みてください!」と心から叫びたい気持ちでいっぱいなのです。
私のブログや本を読んで下さっている読者の皆さんは、もともとすでに考察する力をお持ちの方が多いので(それは頂く感想や質問文を拝見すれば、すぐに分かります)、もしかしたら私が今から叫ぶことは、すでに皆様もお気づきのことかもしれません。
しかし、やはり「どうしても間違っている」と思ったことをこのまま見過ごすことは出来ないので──あえて指摘することを決意しました。
著者の名前は……出そうか悩みましたが、その方を信じている人達を不用意に傷つける意図はないので、あえて伏せさせていただきます。
でも、私が一番伝えたい相手は──本当は
この本を書かれた著者の方、ご本人にです。
私が悪戯な中傷や批判目的で書いているのではなく、純粋に真理探究を目指す立場として書いているのだということが、その方に伝われば幸甚です。
(その方の著作「A」における疑義((著者はB先生とさせて頂きます)))
●次元の考え方における間違い この著作Aには「二次元に高さが加わって三次元になっている」と書かれています。
しかし、それは既存の物理学において指摘されている次元の考え方の基盤にもなっていない、とても中途半端な表現です。(参照:「
既存物理学における次元の考え方への疑問」)
そもそもB先生は、次元の概念が多種あること自体、調査されているのでしょうか?
次元というのは物理学用語においては「座標」を表す空間の認識を示すものであって、精神世界や世界の構築を示す次元という概念とは
根本的に違うのです。それは今や精神世界においては常識的になりつつあることなのですが、これほど有名な活動をされている方がそうした「基本的なこと」をご存知ないというのは、如何なものかと思います。
精神世界における次元の定義は「物質組成における因子をつかさどる振動数(周波数)」により生じるものと考えられており、それに応じて「UFOが3.5次元」だったり「目に見えない異次元の存在」があったりするのです。
これは物理学的な座標とは「まったく異なる考え方」です。
もしそういう説明を「初心者向けに端折った」というのであれば、せめて注釈をつけるべきではないでしょうか?
●宇宙人とのコンタクトに関する検証の甘さ ご本人は「宇宙人に会って色々なことを教わった」と言っていますが、その内容の検証があまりにも甘過ぎです。
ご自身が宇宙人から聞いた事実と(残念ながら、私が読んだ本には、その宇宙人に会った経緯も、どういうシチュエーションだったのかも、いっさい書かれていませんでしたが。本来他の著作に書いてある為割愛したなら「○○著作を参照」と書いておくべきでしょう)、他のUFOコンタクティーが言っている事実を検証することなく流通本として店頭販売するというのは、無責任な行為ではないでしょうか?
ちなみに、私はマオリッツオ・カヴァーロさんの体験談、およびハワード・メンジャー氏の体験談、最近出版されたヴラド・カペタノヴィッチ氏の体験談などを照合し、その上で、「マヤの伝承」やグラハム・ハンコック氏の書いた「神々の指紋」、ウォレス・ソーンヒル博士の「電気的宇宙論」との検証をした上で、彼らが体験した「UFOコンタクティー体験」が事実のものであろうという確信を得ました。
どんなに断片的であったとしても、真理に基づいた体験というのはまるでパズルのピースの如く「共通項」が見いだせるものです。
しかし残念ながら、彼らの共通した事項と著作「A」に書かれているB先生の書かれている事実に、共通項は見られませんでした。
せめて、もっと具体的、かつ事象を明確に書くべきではありませんか?
●断定的な言葉が多いものの、その根拠がまったく書かれていない。 論説というのは通常、他の文献を参考にした場合は参考にした著者、および文献名などを明記しなければなりません。(日本の場合はあまりうるさくないのですが、欧米では罰金刑になる程の罪です)。
しかし、B先生の本はあまりにも「断定的な言い回し」が多いのにも関わらず、参照とした本の文献名がいっさいありません。(巻末にさえ、一覧はありませんでした。)
通常、調査した結果を載せる場合は必ずそれに応じた文献名や、それを唱えた学者の名前が掲載されるはずなのですがそれさえもないとなると「すべて、この方の持論でしかない」ということになってしまいます。
しかし、それはとても「危険」です。
ただのエッセイであれば良いですが、「アトランティスの大陸が存在した時代」を特定するのは非常に問題です。それは今現存で生きている「誰にとっても」断定出来ることではなく、憶測で述べることしか出来ないことだからです。(しかも、アトランティスという名が世に知られたのは、プラトンの「国家論」で記載があったからです。要するに史実上のものではなく、出所はプラトンの著書なわけです。それに対して「○○頃にアトランティスが存在した」と断定するのは、読者を混乱させる大きな一因となってしまいます。)
あれほどの体験をしているカヴァーロ氏でさえも、そういう時期の特定をする時は「○○から聞いたところによると」と明記していますし、ルドルフ・シュタイナーも「霊視した結果によれば」という前提が必ずあります。
著作Aに書かれている内容を読者が鵜呑みにしてしまったら、どう責任を取られるおつもりなのでしょうか?
●「禊が起こる時期」として「2012年12月22日」と断定してしまっている。 このブログにも、そして文庫本にも再三書いたことですが、
暦という数字で2012を断定するのは、とても危険です。 しかし、この方ははっきりと
「2012年12月22日から三日間かけて、地球の禊を決行することに至った」と断言してしまっています。
この言動の責任を、どうとるつもりなのでしょうか。(大体想像つくのは──その時期を過ぎてから「私の(私たちの)努力の甲斐あって、神々の禊ぎはなくなりました!」とか言うのかもしれませんが──残念ながら、そういう手で満足出来るほど、読者は愚かではありません。)
この方は政治学の勉強はされているようですが、哲学や神秘学、宗教史や宗教学については「まったくご存知ないのではないか?」と疑いを持たずにいられない程です。
数値の概念は本質ではなく、あくまでも2012という問題は
「今、私たちが置かれている状況そのもの」でもあるのです。
2012を解決できるのは政治的問題ではありません。
霊性による問題でしかないのです。
●根拠のない日本人擁護説 著作Aの中で、日本人は
「キリストの精神レベルが1000であれば、日本人の精神レベルの平均は600というぐらい、非常に高い」ということを書かれていますが──それはちょっと自画自賛過ぎだと思います。(意識レベルを数値化した「パワーか・フォースか」の本でも指摘されていますが、500~700レベルがマザーテレサやガンジーなのです。日本にそんなにいっぱい、マザーテレサやガンジー、ネルソンマンデラのような人がいるでしょうか?)
もし本当にそんなに精神レベルが高い国であれば「これだけ政治がぐちゃぐちゃ」になっているでしょうか?
年間三万人という人が、自殺するでしょうか?
私も確かに日本民族の「精神性の高さ」には注目していますし、だからこそ「日本人の精神改革」という本を書こうと思っている程ですが、それは決して「今の現代日本人のレベルを良し」としているからではなく、
従来の良さを取り戻す為に書こうとしているのです。
しかも、日本人が堕落したのを「闇の権力者達のせい」にしていますが、それこそ、「一部の人にすべての責任をなすりつけているだけ」の言動です。
闇は、本来
誰にでもあるものですし、そういう自覚がなければ、いつなんどき「同じ罠」にはまるかわからないはずです。(参照:
隠謀論説への反論)
それなら──B先生。あなたは、「自分はそれだけ、完全な善人なのだ」と断言出来るのでしょうか?
人間としての過ちは、何もないと断言出来るのでしょうか?
●食糧危機を回避する為の「食料維持」に対する活動について● この活動もまた、結果的に
「地球のアセンションやカタストロフィーを、他人事にしか眺めていない証拠」であり、同時に
「自分たちは助かりたい」というエゴでしかないことに気付かれていないが故のことのように思えます。
もしB先生が多額な会費を集め、食糧危機に備えるとしても、全世界の人々が助かる程の備蓄ではないはずです。(仮に本来そうするのであれば、それは「個人が会費でウン万円払って済む」問題ではなく、それこそ映画「2012」ではないですが、もっと
国家予算的にかかる金額のはずです。あの映画同様、それこそ10億ユーロなんて平気でかかることでしょう。)
何故、地球の危機を
それを招いたのは私たちなのだから、その責任を甘んじて受け入れようという気になれないのですか? どう見ても、この活動は「自分たちは生き残りたい」とするエゴから派生しているとしか、私には思えません。
また、この活動がどこまで浸透しているか──どこまで軌道しているのかは不明ですが、万が一食糧危機が起こらなかった場合に、今までのカルト教団同様に批判の対象になってしまう危険は念頭に措かれているのでしょうか?
数年前、「世の中からお金がなくなる」として、ネットマネーで運用しようとした「円天(参照:
エル・アンド・ジー)」の会長は、B先生同様、高次の存在から「この世の中からお金がなくなる」ということをメッセージで受けて、こういう事態になったことも、もとジャーナリストであったB先生であれば、当然ご存知のはずです。
どんなに高次元のシステムが素晴らしくても、この次元は「摩擦や対立が生じている次元なのだ」という自覚を、絶対に失うべきではないと思います(事実、私も高次元システムを探究していますし。でも、だからこそ慎重に検証を重ねています。安易に実現出来るものではないからです)。
もし、この会に参加されようと悩んでいる方がいるのでしたら(ネットで調べたところ、会費が相当高いのだとか)──私は、「それなら是非、『今日食べるパンがなくて困っているアフリカの子供達』や『産廃のゴミ山に住むインドやフィリピンのストリートチルドレン達』に寄附すること」の方をお薦めします。未来来る食糧危機に備える前に、
すでに飢餓で苦しんでいる子供達が大勢いる問題を解決することの方が、遙かに優先すべき事柄ではないですか?
●結果、本の目的が達成されていたのかという疑問 この本は「アセンション後」をテーマに書かれたようですが、私が読んだ限り、どこにも高次元におけるシステムについて書かれていなかった印象を受けました。
本の主旨、目的から外れてしまい、憶測が飛び交っている割には確信を濁らせているような印象です。
勿論、未来を断言することは出来ないのだからそれは仕方がありません。
しかしそれ以上に、内容があまりに支離滅裂すぎて、一貫性がないように思えたのは残念です。本来「アセンション後」をテーマに本をまとめるのであれば、高次元のシステムがどのようになっているのかについて触れるべきではないでしょうか?
ここまで書けば、もしかしたら「あ、このB先生ってあの方のことかな?」と勘づいた読者の方がいるかもしれません。
が、それでもあえて名前は伏せさせて頂きます。ご質問頂いて、仮にその答えが正しくても「あはははは~」と笑って誤魔化すだけなので、あしからず(笑)。(違っていた場合は、はっきり「違います」と答えますが。)
ただし、私はどんな時でも「反論」はしても、
その人自身の否定は絶対にしません。
ですので、この方自身の経歴については敬意を表していますし、立派に活躍されてきた方だなとは思っています。
ただ、人生にはいつでも「罠」があります。しかも、こうした精神世界、スピリチュアルには「ありとあらゆるところ」に罠があると言っても過言ではありません。あのルドルフ・シュタイナーや、大霊能力者のスウェーデンボルグでさえ、「よくよく注意しなければ、霊界や目に見えない世界の探究は傲慢の罠にはまる」と言っていました。
私自身も常にそのことを気をつけたいと思っていますが、是非、このB先生も(せっかくあれだけの経歴があるのですから)気をつけて頂きたいものだなと、つくづく思います。
でも、私はB先生ばかりが問題だと思っているわけではないのです。
「このような矛盾の多い内容を、何の疑問も抱かずに平気で出版する出版社こそに問題がある」──そう思います。
本当に知的財産とも言えるような高度な内容、ウォレス・ソーンヒル博士の「電気的宇宙論」が販売数を伸ばさず、B先生のような「何を根拠に書いているのか、まったく不明」な本や無責任なチャネリング本ばかりが販売数を伸ばすのは、それは必ずしも読者のせいだと言えるでしょうか?
そうではなく
出版社側の姿勢に問題があるのではないか──私はそう思います。
いい本は、書評次第でいくらでも販売数を伸ばします。もう12年以上前に出版されたダイアモンド博士の「銃・病原菌・鉄」が、今になって店頭ベストセラーになっているのは「書評の影響力」です。(ここで注意しておきたいのは、Amazonなどの書評は「あまり参考にならない」ということです。場合によっては著者の知人のサクラが書いているケースがある、というのも耳にしました。こうした場合に参照にすべき書評は「新聞紙」や「雑誌」などの書評です。私はもっともっと、本格的な目をもつ書評家の方が出て欲しいと思っています。※私自身も、来月から別サイトで書評コーナーを設置予定ですので、よろしければご参照ください。)
このままでは、本当にいい本が世の中から消え失せ、みな思考を放棄した「電子書籍ばかりに飛びつくロボット化した人類」の時代が来てしまいかねません。
何でもかんでもポジティブに捉えるのではなく、
今ある問題点をしっかり直視した上で、どう改善していけばいいのかを考える重要な時期に差し掛かっている──私はそう思っています。
その為には、出版社の方々にも是非「名前が売れている」という理由だけで出版するようなことはせず
本当にいい内容を書いている本なのか、どうかを検証する目を持って欲しい──そのように心から願う次第です。
そして執筆家側も、
「本というのは、色々な人の力、および紙という資源──森や木々の命の上に成り立っている」ということに敬意を表し、一文一文を大切に書いていただきたいと思っています。
●多くの方に、「真剣な目で地球人類の進化に意識を向けて欲しい」と、強く願っています。
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