今日の記事は、直接的にアセンションや地球と関係ない──かも(?)しれませんが、実際は
「基本中の基本」として、深く関わっている問題だと、私には思えます。
私が「体外離脱を繰り返す体質」ということは、もうこのブログでもカミングアウトしましたが、実際はそれ以上に様々な体験──ひとくちに言ってしまえば、霊体験とも言えるものが多数あります。
何故私がそういうことをあまり記事にしないかと言うと、体験談ばかりが一人歩きしてしまって本質のメッセージが失われてしまうのが嫌だからなのですが、今回みなさんにお伝えする体験は、
「今、多くの人達が抱えている問題のひとつの現れ」として重要なことだと思った為、あえて記事にする決意をしました。
その前にまず、皆さんに前提知識として、
すでに亡くなった方の霊と
生きている方の霊──あまりこういう言い方は好きではありませんが、前者を
死霊、後者を
生霊、という言い方で括らせてしまいます──の違いをお知らせしておきます。
私は、その霊と接している中でだいたい「前者か、後者か」がわかります。(ちなみに、どちらにも属さない──というケースもありますが、それはまたの機会にお話します。)
というのも、死霊の場合ですと「気づき」が自らない場合が多く、例えば外部からの助け(その方の先祖霊など)がない限り、自発的に浄化出来ないのです。
しかし、生霊の場合は(本体はまだ生きているわけですから)、
「自分で気付いて、自分から浄化することが出来る」のです。
これが、死霊と生霊の「決定的な差」です。
こういった話に触れたことがない──或いは「スピリチュアルには興味があっても、霊的世界には懐疑的」という方からすれば、よく分からない話かもしれません。
ですが、霊を
「思念」に置き換えれば、すぐに分かると思います。
私達はいつでも、無意識に思念を飛ばしています。
よく「虫の知らせ」などと言いますが、別に「ホントに虫が教えに来てくれているわけじゃない」のです(笑)。
互いに無意識に飛ばし合っている思念を、受け取るか──或いは気付かないままでいるか、その差でしかないのだと、私には思えます。
そうした場合、生霊の方の「思念」は、本体がある分、自らの気づきで「成長・浄化」することが出来ます。
しかし、死霊の方の「思念」は──その人の生きている間の生き様、或いは亡くなった状況にも多々寄るので断言は出来ませんが、
まるで思念がフリーズしてしまったかのように、同じところをグルグル繰り返すのです。 この「二つの差」は、本当に大きな違いです。
だからこそ私は、
自殺者の多さに、本当に心を痛めています。 何故なら、
何に気付くにも、死んでからでは遅いからです! そして──私が今日体験したことは……「もしかしたら、自殺を目前にして悩んでいる人達みなに送れるメッセージなのではないか」とも思い、記事にすることにしました。
今日、私が寝ている最中のこと──見知らぬ誰かが部屋に入ってきました。
私の部屋に誰かが来るのは日常茶飯事のことなので(たぶん、この体験談をまとめただけでも一冊ぐらいの量になると思います)、別段それは驚かず、ひとまず様子を窺っていました。
どうやら、それは少年のようでした。たぶん十代ぐらいの少年でしょう。寝ている私に向かって、まるで母親にすがりつくかのように抱きついてきたのです。
嫌らしい感覚とかはいっさいなく、その少年から伝わってきた想いは──ひたすらに
「淋しい」という孤独感。それだけでした。
「どうしたの?」
私が呼び掛けても、少年は何も言わずしがみついてくるだけです。
意識体(私はあまり霊体という言い方が好きではないので、意識体と書きますが、意味は同じことです)がしがみついてくると、大抵、その相手のことがわかります。
とにかく──「ものすごく、淋しい人生」を歩んでいる少年でした……。
しかも、その少年は普段明るく振る舞っているので、誰も彼の孤独には気付きません。彼は、「自分なんて、存在する意味がないんだ。消えてしまった方がいいんだ」と、どこかで思ってしまっていたようなのです。
その上、自分が何で苦しいのか──何が原因でこんなに淋しくて仕方ないのか──死んでしまいたいと思う程、一体何が辛いのか、何も彼は分かっていないようでした。(しかし、まったくの他者にこうして意識体を飛ばすことが出来る時点で、非常に鋭い感受性の持ち主だと思います。)
何かを私に伝えたくても、何も言えない。言う言葉が思い浮かばない──そんな想いが伝わってきたので、私はこう返しました。
「わかったよ。それなら、気持ちが落ち着くまで、ずっとこうしていなさいね。焦らなくていいからね」
少年が、私に「母親のような愛情」を求めていたのが分かったので、私はただひたすら、母親であれば誰もがするように、じっと少年を抱きしめていました。
長いこと、彼は私にしがみついたままでしたが──しばらくして、泣き始めました。
意識体が泣く──ということは、そうそうありません。
しかも、その涙は
孤独の解放を示す意味の涙だったんだろう──そう感じました。
その証拠に……彼は、そのまま消えていきました。おそらく本体が目覚めたか、或いはいずれにしても肉体の方へ戻ったのでしょう。
私はその間ずっと意識があったので、そのまま体を起こしました。もう、どこにも彼の気配は感じませんでした。
ただ、「悪い感じ」はありませんでした。
彼は、「涙を流す」まで意識を解放し──それで肉体に戻り、きっと成長出来るだろう、そう信じられたので。
霊だのという言い方をしてしまうと、それは「人間から切り離された別もの」というふうに解釈してしまう人が多いようですが、そうではありません。
霊が「三次元化した(肉体化した)」のが「人間」なのです。なので、
どちらも「同じもの」です。
だから、霊を闇雲に怖がるのは間違いです。
そして、霊を見下すのも間違いです。(かつての霊媒師のように、霊に怒鳴りつけるなんて「もっての他!」です。)
また同時に、霊を敬うのも間違いなのです。
私達は、あくまでも「同じ仲間」であって──肉体があるか、ないかの差でしかない。
しかも、今回のケースのように「肉体をおいたまま、思念をどこかに飛ばすこと」というのは誰もが無自覚のうちに、日常茶飯事やっていることだからです。
ただ、私が今回のことで痛感したのは──
彼のように、身近に相談できる友や存在がなく、その淋しさを意識体となって癒すしか手段がない人というのは、実はもっといるのではないかということへの懸念でした。
友達──という言葉の意味が、私達の世代と今の若い世代では「だいぶ変わってきている」印象を受けます。
私は30代(あと数日で40歳)ですが、当時の「友達」という概念は、「喧嘩をしようが、意見が多少ぶつかろうが、それでも心の通じ合った兄弟姉妹」みたいな感覚でした。
しかし、私の姪っ子・甥っ子世代(20代前半~10代)を見ていると、
「喧嘩はしない。面倒くさいから」「自分の言いたいことを言って相手にウザがられるのは嫌だから、言いたいことも言えない」「人間関係は、面倒くさくなったら切ればいい」そういった、どこかドライな感覚が見え隠れしてしまっているように思えるのです。
本当に自分の心を理解してくれる人がいる──ということは、確かにそうそうありません。(何故なら、それは相手だけの問題ではなく、自分自身で「ああ、この人こそは理解してくれている」という自覚も必要だからです。)
でも、あまりにまわりがドライ過ぎた場合──積もり積もった孤独感を、どこにはき出せばいいと言うのでしょう。それこそ、私が出会った彼のように、寝ている最中無自覚のうちに思念を飛ばし、波長のあった人のところで癒してもらう以外、ないとでも言うのでしょうか?
年間三万人という自殺者数を減らすには、ただ社会制度が変わるとかそんな程度でどうにかなるものではないと、私は思います。
しかも先日、40代の死因トップが、ついに「自殺」になったという話まで聞きました。
鬱病だって、ただ薬処方してもらうだけで治るとでも言うのでしょうか? 彼らが鬱病になった背景──それを解決しない限り、こうした哀しみの負の連鎖は止まることがないのではないでしょうか。(鬱病の方の自殺について、私は深い思い入れがあります。私の従兄弟が二人自殺しているだけでなく、私自身も決して一生忘れられない思いと愛情を観たからです。 参照:
無意味な法律は「魂のコミュニケーション」さえ奪いかねない)
これだけ多くの人達が暮らす社会にも関わらず、ひとりひとりの心の中が「孤独に満たされていた」としたら──なんて哀しいことでしょう……。
本来、孤独というのは「人から癒されるもの」ではなく「自然」からも癒されるものなのです。
だからこそ、アスファルトだらけになった都会ほど、孤独を感じる人が多いのでしょう。自然、惑星のエネルギー、星々の輝きから癒されなくなったからこそ、人は「人同士で孤独を癒そう」としているのですが──それも満たされなかったら、本当に、今度はペットとかしかなくなるのだろうか、とふと思います。
地球を良くしていく為の課題は、本当に数え切れない程多すぎて──「どこから手をつけて良いのやら」という感じですが、どんなに宇宙人が地球の為に何かをしてくれていても、どんなに光の生命体とやらが頑張ってくれていても、一番頑張るべきは
その星に生きている私達に他ならない、私はそう思います。
まずは、人々の奥底に根付いてしまったこの「孤独感」を癒すことが先なのかもしれません。
勿論、いきなり街中で淋しそうな人見つけて「声かける」なんてのは──宗教勧誘者とかと勘違いされてしまうので(爆)、そんな直接的なアプローチは不要ですが(苦笑)。
ただ
「祈る」──それだけでも、充分なのかもしれません。
ひとまず私は、今日出逢ったあの少年が「自分は決してひとりじゃない」という気づきに至り、強く生きていってくれることを祈ってから休もう、そう思っています。
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