【体験談2】「自己犠牲」の本当の意味を知る

(※この体験談の目的は、「何故、私が地球の高次元化(アセンション)を目指すようになったのか」についてのご紹介をしたい為、体外離脱や特殊能力、霊感の体験談以外のこともお話したく思っています。次回「3」で、また詳しく((既存的には))超常現象と言われるものについての体験談をご紹介します。)

 不可視のものが見えていたり、「夢の記憶」と「部屋の記憶」が並列していることを実感していた幼少期に並行して、私の中で「大きな学び」がありました。
 それが、「自己犠牲の本当の意味」でした。
 勿論、五歳の子供がそんな難しい言葉を理解していたわけではありません。ただ、その当時に感じていたことを、後になってから解釈すると、どう遡ってもその頃に派生した「想い」だった──という結論に行き着きました。

 それは、幼稚園の時の話です。
 私が通っていた幼稚園は、仏教浄土宗のお寺が経営している幼稚園でした。(私の家族は、信仰深い人達では決してありません。確かにそのお寺の檀家ではありましたが、普通の日本人同様「お墓持つ為に、お寺に積み立てしなくちゃいけないから」という、あくまでも葬式仏教的な感覚しか持っていなかったのです。その為、私がその幼稚園に入っていたのも「ただ単に、近所だったから」という理由でした。ただし、私の祖父だけは非常に信仰心の厚い人で((浄土宗ではなく、「解脱の会」という仏教でも割と異端な信仰でしたが))、私はかなり祖父の影響を強く受けていたと思います。)
 その幼稚園では、何回か仏教にちなんだ「お祭りごと」がありました。4月8日は「花の日」といって、仏陀(お釈迦様と呼んでいましたが)の誕生日を祝う祝祭があったり、お月見の時も何かしらのイベントをやっていました。

 その「お月見の日」のイベントのことです。
 私達は、大きな広間(講堂のようなところ)に集められて、スライドを視聴することになりました。そのスライドは、以下のような物語でした。


 ある森に、仲良く暮らす動物達がおりました。
 その動物達のもとに、ひとりの修行僧(お坊さん)が現れます。その人は修行の身で食べ物がなくて、今にも餓死してしまいそうでした。
 動物達はみんなで相談しあって、「その人の為に、何か食べ物を探してきてあげよう!」と決めました。
 みんなそれぞれ、食べ物を探してはお坊さんの元へ向かいました。ところが、どうしてもウサギだけは、食べ物を見つけることが出来なかったのです。
 ウサギはお坊さんの元に行き、こう言いました。

「私だけは、食べ物を見つけることが出来ませんでした。ですのでどうぞ、私の体をお食べください──」

 そう言うと、燃えさかる火の中に、身を投じたのです。
 お坊さんは──実は「お釈迦様の化身」でした。自らの身を犠牲にしたウサギを哀れに思ったお釈迦様は、ウサギを月に上らせて──そして、今でもウサギは、月でお餅をついているのだそうです。


 私は、このスライドに魅入られていました。とにかくウサギの生き様に、深い共鳴を覚えたのです。
 当時の私にとって「それが、理想的な生き方だ」と、そう思えて仕方ありませんでした。

 大学でインド哲学を学ぶようになってから、実はその物語が仏陀の前世を物語にした「ジャータカ」という文集の一部に掲載されていることを知りました。
 また、手塚治虫の漫画「ブッダ」の冒頭にも、まったく同じ物語が入っています。
 私が幼稚園の時に見たスライドは、これらの「ジャータカ」に掲載されている物語を「お月見用」にアレンジされたものだったのだということが分かりました。(ですので、「ウサギが月で餅をついている」というのは明らかなアレンジです。ただ、食べ物を探せなかったウサギの為にそのアレンジを用いたとすれば、このアレンジを思いついた人は「とても心根の優しい人だな」と思います。)

 しかし、このウサギの生き方というのが──何故か、私の心の奥底にあった「なにがしかの想い」と共鳴しあって、いつでも強く輝いているのを実感していました。

 当時、私はアンデルセンの「人魚姫」の物語も大好きでした。
 これは、今はディズニーの「マーメイド」がメジャーになってしまった為、「ハッピーエンド」と誤解している子供も多いようですが、実際、人魚姫は「泡」になって消えてしまいます。
 人間の王子に恋をしてしまい、どうしても人間になりたかった人魚姫。しかし、魔女との契約で「声」を失ってしまったが為に、王子に出逢っても想いを伝えることが出来ません。
 しかも、その恋を実らせることが出来なければ、人魚姫は「泡」となって消えてしまうのです。
 「言葉を喋る」という、もっとも人間の基本的なコミュニケーションが出来ないまま、人魚姫は愛する王子が「他の女性」に恋をして、結ばれていくのを見ていなければなりませんでした。
 そして、王子が他の女性と結婚をする日の前日。
 泡となって消えていく運命にある妹を気遣った姉達は、「王子の心臓を、このナイフで突き刺しなさい。その血を足にかぶれば、あなたは人魚に戻れるから」と言って、ナイフを渡します。

 一度は、王子の命を奪おうとした人魚姫でしたが──やはり、それはとても出来ませんでした。
 そして、人魚姫は「泡」となって消えていく──というのが、私の持っていた「人魚姫」の絵本の物語でした。

 私は、この人魚姫の中にも「ウサギ」と同じ思い遣りの光を見ていました。
 人魚姫もウサギも、絶対に、後悔して消えていった(死んでいった)わけではないという確信が、子供心にあったからです。

 人魚姫が王子を刺せなかったのは、「殺すことが、怖かったから」ではありません。
 王子を、愛していたからです。
 そして同時に、他者を犠牲にして、自分が助かるという道を、絶対に選べなかったからに違いない──私は、そう思っていました。

 こうした生き方に「共鳴の光」を感じたからこそ、私は「イエス・キリスト」の物語が大好きだったのだと思います。
 「自己犠牲」という言葉、本当は正しい言い方ではないのです。
 何故なら、「犠牲」という概念は、被害者意識から来ている為です。
 そうではなく、彼らは「喜んで、身を捧げたのだ」と、私は信じています。
 イエス・キリストの「エリ・エリ・レマ・サバクタニ(神よ、神よ、どうして私を見放したのですか)」という有名な文言がありますが、私はイエスは、そんなことを言っていなかった──そう信じています。
 そんな受け身的な姿勢で、そんな「被害者的意識」で、自らを十字架にかけることなど、絶対にしていない──仮にそうだったら、2000年という時代の中で「彼の生き様」が多くの人達に影響するはずがないからです。

 【余談】私は、「イエスが、自ら望んで十字架にかけられた」ことを、何故か幼少期に信じていました。
 どの聖書も、そんなことは言っていなかったにも関わらず、「イエスは、自ら望んで身を捧げることを選んだ。そうやって自分の生き様を見せることで、人々に『善行の意味』を知らせる為に」そう思っていたのです。
 すると、それから30年近くたった2007年頃──ナショナル・ジオ・グラフィックで「ユダの福音書」が発見された──という報道がありました。ユダは裏切り者とされてきましたが、その福音書の中では、イエスはユダに向かい「自分を、パリサイ派の人達に通告しなさい」と命じていたのです。すなわち、「自らの身を捧げること」を、イエスが最初から承諾していたことが、そこには書かれていたのです(そう考えると、ユダもイエス同様「身を捧げたこと」になりますね。何故なら彼は、2000年間「裏切り者」のレッテルを貼られたわけですから──)。
 この福音書が、正式に聖典に含まれることはおそらくないかもしれません。しかし私は、「ユダの福音書が、一番真理に近いのではないだろうか」と考えています。


 一方、こうした「他者の為に、自らを捧げる」という学びを物語を通じてしていく中で、まったく真逆のものも、私は同時期に知りました。
 それは、アメリカの「ルーツ」という、黒人差別をテーマにしたドラマでした。
 おそらく幼児にとっては、とても難しい内容だったと思います。しかし、私は何故かこのドラマをよく見ていたのを覚えています。

 その中で、とても印象深い場面がありました。
 ある黒人青年が、不当な理由(その理由の詳細は、さすがに覚えていませんが)で、「焼死刑」になることが決まったのです。
 青年が生きたまま、火あぶりになっていくその場面を、白人の人達が眺めている──という場面が出てきました。そして、その中には──私と大して年齢の変わらない「白人の少女」が、お父さんの腕に抱かれて、青年が焼け死んでいくのを見ている、という場面があったのです。

 私は、真っ暗な谷底に突き落とされたような気分でした。
 何故、このような不条理なことが起きるのか──理解出来ませんでした。
 これはドラマなので、勿論脚色はいっぱいされていたでしょうし、実際に公処刑の場で子供がいる──ということは、そうそうなかったかもしれません(いや、大昔だったらあったかもしれませんが……)。
 でも、子供時代の私にとってそれは、鮮烈な記憶でした。

 他者の為に、自らを捧げる生き方
 その一方で、
 エゴの為に、他者の命を奪う生き方
 その両方を、同時期に見る結果となったのでした──。

 こうした体験が、今の私の生き方に「大きく影響している」というのは、言うまでもありません。
 上記あげた二つの生き方の違いは、明らかにこの次元における二元性を端的に描いているものだからです。
 幼児期には、たいてい「その人の人生のテーマ」となる学びが、ここ彼処に隠されていたりするものですが──私にとってそれは、この次元における「二元性」でした。一方では「他者の為に生きようとする博愛的生き方」、もう一方では「正義を歪め、侵略するエゴ」という、この二つは、今でも私にとって最大なテーマです。
 逆に言えば、後者の「エゴ」が解決しない限り──この「二元性」が解決する糸口が見つからない限り、絶対に、地球にとって恒久的な平和が訪れることが「ない」のですから。

 私達が、この地球の為に──人類の意識改革を推進させる為に、「誰にでも出来ること」があるとしたら──それは、ポジティブになることでもなければ、楽観主義になることでもない。

 如何に、他者や自分たち以外の生命のことを「思いやる」ことが出来るか──これに尽きるのだと、私はそう思います。(「体験談3」へ続く) 




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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

【篠崎の著作本】

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