幼少期の私にとって、不可視の仲間達は「心の支え」でもありました。
おそらく、彼らの優しさなどを感じ取りながら、私は「体験談2」で書いたような「自己犠牲の本当の意味」を感じ取ることが出来たのでしょう。
でも、実際の現実世界においては──私は本当に「孤独な子供」でした。
唯一、祖父だけが私にとって大好きな存在でしたが、家族の中で誰ひとり、甘えられる人はいなかったのです。
祖父は信心深い上に、とても心の優しい人でした。植物を愛し、その育成を楽しむような人でもありました。祖父が趣味でやっていた菜園に遊びに行くのは、子供時代の私にとって本当にささやかな喜びだった程です。
しかし、その祖父を祖母は陰険な程に「嫌がらせ」──虐めをしていました。
後から分かったことですが、祖母は自律神経失調症で、それが原因のヒステリック(あと、おそらく更年期障害もあったのかもしれません)を持っていたようです。それが理由か、或いはもともと祖母の気性の荒さもあったのかもしれませんが──祖父と、その祖父を慕う私に対して、冷たい仕打ちを繰り返すことが多々あったのです。
当時、私の家は祖父の実家が資産家だった関係もあり、とても物質的には恵まれた家でした。(祖父母は母方です。父は婿だった上、実家は新潟の為、父方の親戚とはほとんど無縁でした。)
お金も物も、いくらでも恵まれていたのですが──「こころ」と「愛情」にはまったく恵まれていないという、対称的な家だったのです。(家族でどこかに遊びに行くこともなければ、クリスマス会、お誕生会なども「いっさいない」ような家庭だったのです。)
だからもし、私が不可視の存在と出逢うことがなければ──私は「優しさ」や「思いやり」を、祖父からしか学ぶことが出来ず、非常に心細い思いをしたことでしょう。
しかし、不可視の存在がいてくれたおかげもあって、私は相乗効果で祖父の優しさを実感することも出来、
「人にとってもっとも大切なのは、『物質的な価値』ではなく、『こころ』や『思いやり』なんだ」ということを知ることが出来たのです。
家庭環境には恵まれなくても、そんな裏背景があったから不安はさほどありませんでした。
勿論、夜の不可思議な分裂現象はともかくとしても、それでも、その頃は「怖いもの」というもの自体、まったく見えていなかったのです。
また、当時の私は
意図的にものを動かすという遊びも、普通にしていました。
例えば、ベッドの中に入って「蛍光灯についた紐」を見つめます。見つめているうちに、それが次第に横揺れを起こし、ぶらぶらと自在に揺らすことが出来たのです。
それは、眠りにつく前にやることがなくて布団に入ったままの私にとって、唯一の「遊び」でしかなく、それが「念力」とか「超能力」だのと言われていることを知ったのは、だいぶ後になってのことでした。
そんなある日。オカルトブームのさなかで、「ユリ・ゲラー」のスプーン曲げが話題になりました。
私は当時、ユリ・ゲラーにはまったく興味を持っていませんでした。(今でも、そうした超能力だのといったものには、いっさい興味がありません。)
しかし、その頃は非常に流行っていて、クラスメイトの誰もがその話をするような時代だったのです。中でも、一番親しくしていた友人が「ユリ・ゲラー」にはまっていて、私に一生懸命「どういう経緯で、スプーンが曲がるのか」を説明してくれたのです。
「あのね、スプーンの先をこう持ってね、こすりながら『曲がれ曲がれ』って思うんだって。そうするとね、簡単に曲がっちゃうンだって!」
私はその話を聞きながら、半信半疑でした。でも、「もしかしたら、私にも出来るかもしれない──」そう思ったのです。
私は自宅に帰った後、こっそりスプーンを持ってきて実際に試してみました。
すると──確かに、「曲がった」のです。
最初は気のせいかと思いましたが、他の正常のスプーンと比べると、明らかに大きく歪んでいました。
私は面白くなって、次から次へとスプーンを曲げて行きました。一回目よりも、数回重ねてからの方がだいぶ曲がるようになったのです。
しかし──これは、絶対に隠しておかなければなりませんでした。
何故なら、調子にのって
10本近くのスプーンを、曲げてしまったからです……。
当然、その日を境に親は「あれ? どうしてスプーンがこんなにないのかしら?」と訝しがっていましたが、私はひたすら内緒にしていました……。
(後日談ですが、私は絶対に親にバレてはまずいと思い、曲げてしまったスプーンを鍵付の引き出しに隠しておきました。ところが、18歳になって家を出た後、親がその机を処分する際、折れ曲がったスプーンがいっぱい出てきて、かなり肝を潰したそうです──)
今でも、こうしたスプーン曲げについては「トリックがある」だの「合成だ」だの言われているそうですが──自分が実際にやっていたから、「トリックではない」という確信があります。
ただし、これは本当に「純粋に信じられる人」しか出来ないのかもしれない──そう思いました。
だから、例えばそれで売れてしまったが故に「スタンダードに、要求されるごとにスプーンが曲げられるか」といえば、答えはNOだと思います。
本来、子供であればある程、そうした能力は普通に持っているのかもしれません。大人になって、見栄だの賞賛だの、プライドだのが見え隠れするようになると、そうしたことは「三次元の枠」にはめられて、困難になってくるのかもしれません。
だから──超能力少年にしても、ユリ・ゲラーにしても、もともとは「そういう行為が出来た」のだと思います(もっとも私は、これは「誰にでも出来るものだ」と思っています)。
でも、あまり表舞台に出ることが頻回になったせいで、余計な三次元の概念に囚われてしまい──出来なくなってしまったのではないか、そんな気がするのです。
私自身、その頃はスプーン曲げだけでなく、いわゆる「透視能力」というのもありました。
勿論、私自身はそういった自覚があったわけではありませんが、トランプの神経衰弱をすると、大抵の数字が「浮き上がって見えているように感じた」のです。勿論、「いつでも大勝ち」していました。
そのことを姉に不審に思われ、理由を尋ねられた為、正直に答えました。姉は驚いて、色々と透視の実験をさせられる羽目となったのです。
そのほとんど──9割以上が正答していたのを知り、姉はさらに驚いていました。そのことを、当時、姉の友人で非常に霊能力のあった人に話したそうです。
その女性を、仮にAさんとしておきましょう。
Aさんは非常に霊感が強く、手のひらにコインを乗せて「この中に、今から霊を封じ込めるよ」と言った後、そのコインを自在に動かすことが出来たそうです。
姉も、自分の手の上でコインが勝手に動くのを見て、とても驚いた──という話をしていました。
Aさんは、私のことを見た時から、「非常に霊感が強い」と感じていたようでした。
それで、姉の話を聞きながらAさんは「由羅ちゃんはとても霊感が強い。でも、あのままではとても力が強くなりすぎて、危険な目に遭いやすい。今のうちなら、まだあの子の力を封じ込めることが出来るから、そうした方がいいんじゃないか」と言う話をしたそうです。
姉からその話を聞いた時、私はまだそんなに怖い目にあったことがなかったどころか、むしろ「不可視の存在に、慰められてきた」ので、力を封じ込められてしまうのはかえって淋しいことでした。
それに、スプーン曲げにしろ透視にしろ、私にとっては「面白い遊び」でしかなかったので、それを取り上げられるのも嫌だと、そう思ったのです。
だから、私はそのAさんの申し出を断りました。
ですが──後から、Aさんの申し出の意味を、痛感することになりました……。
私はその時断ったことを、
「心の底から、後悔するような事態」に陥ったからです──。
私のそうした能力が少しずつ変化してきたのは、11歳前後の頃のことでした。
実はその頃、現実生活の方にも多少の変化があったのです。
まず、9歳の頃──小学3年生以降、私は小学校を移動することになりました。
1・2年生の時は、自宅から歩いて20分ほどの学校に通っていたのですが、3年生以降になって、歩いて10分ほどのところに新しく小学校が出来たからです。
その小学校に移動したのは、前の小学校のクラスメイトでも数名しかいませんでした。限定された地域の子と、あとは違う小学校に通っていた人達の大半が、その新しい学校に入ることになったのです。
私は前の小学校が大好きだったので、変わりたくありませんでした。しかし、決まってしまったものは仕方ありません。
自分たち以外のほとんどの人達はみな、同じ小学校から来ている為、学校移動とはいえ、何だか転校に近い感覚もありました。それでも、親しかった数名の友人と、それなりの学校生活を送ることは出来ました。
ところが、小学校5年生以降になってから──急に、クラスで「虐め」や「リンチ」が流行始めたのです。
ただでさえ、高学年の子供達というのは大人の残酷さを少しずつ担い始めている部分もあって、そういう虐めが流行るものですが、特に私のいたクラスは酷くて、毎日誰かしらが無視され、リンチされ──という状況でした。
また、そのクラスになってから、大人でいうところの「派閥」が出来るようになりました。
Bちゃんのグループだの、Cちゃんのグループだの──そして、
別グループの人とは「遊んではいけない」という理解不能なルールまであったのです。
私が、そういうのを「くだらない」と思うタイプの人間であるのは、皆さんもご存知の通りです。
私は、そういう人間関係の愚かさに辟易していました。
「何故、同じクラスになった者同士、みなで楽しく遊べないのか」理解出来なかったのです。女子だけで言えば20名弱しかいないひとクラスの中で、何故、そんなくだらない派閥なんて存在するのでしょう?
そう思っていた私は、気にせず「誰のグループにも所属せず」、誰とでも仲良くすることを心がけていました。
また、当時「クラス中から無視されていた女の子」がいたのですが、その子とも普通に接していました。「無視する理由」なんて、どこにもないからです。
そんなある日──私は、クラス中の「誰からも」口を利いてもらえなくなりました。
私のことを「八方美人だ」と批判した人達から火種があがり、私が今度は「無視のターゲット」になったのです。
私はもともと、誰とでも仲良くなれる反面、「ひとりでも平気」という精神の持ち主でした。家庭環境が恵まれていなかった分、「ひとりでいることには慣れっこ」になったという、幸か不幸か「精神が鍛えられていた」からでした。
しかし、そうはいったところで
「向けられる負の想念」というのは、とても苦痛なものでした。しかも、私は「何も、悪いことはしたつもりがない」──それどころか、「正しい」と思ったことをしてきたつもりでしたから。
勿論、こういう状況を家族に相談出来るわけはありません。
私は「たったひとりで」、この家庭環境と、クラスの環境に立ち向かっていかなければなりませんでした。
そうしたストレスからでしょうか。
それとも、そうした環境の中で、徐々に私の中にも「負の想念」が溜まっていったからでしょうか。
ある日を境に──私は、物を自在に動かすことも出来なければ、透視能力も
「なくなってしまった」のです──。
コーニは、回数は減らしていたものの、時折遊びに来ていたのに──いっさい、遊びに来てくれなくなりました。
不可視の存在も、体から抜け出て美しいところへ行く体験も、一気に回数を減らし、見るのは「悪夢ばかり」になったのです。
そうではない、
別の力が、私の中で目覚めてしまったのです──。
それは、ある夏の夜のことでした。
喉が渇いた私は、真夜中でしたが体を起こして、麦茶を取りに行こうとしました。
その時、タンスの前に「不自然な光」が見えたのです。
光──。
いえ、「靄」ですね……。
決して、私が今まで見てきたような「美しい光の存在」ではなかったのです。
その靄は、タンスの前で蠢いていましたが──やがて、「うつむいた女性の姿」になって浮かび上がりました。
その女性はとても哀しげで、同時に、何かを恨んでいるような姿だったのです。
それは、私が産まれて初めて見た「霊」とはっきり言える存在でした。
私が嫌いで見てこなかった「あなたの知らない世界」とか、「心霊写真特集」とかに出てくるような──ああいう番組で扱われるようなおどろおどろしい女性の姿が、私の目に見えたのです。
私は、とても恐ろしくなってタオルケットを頭から被りました。
喉の渇きなんてすっかり忘れて、とにかく「早くいなくなって!」それだけを願いました。
その日を境に、私の能力はすっかり「変化」してしまいました。
それは、私の能力がまったくなくなる21歳の時(その後、36歳で復活)まで、続くことになりました。
そして──それは「恐怖の序の口」だったことを、後から私は嫌というほど、実感することになりました。
そう。Aさんの助言どおり──私は、あの時「力を封じ込めてもらうべき」だったのです……。(体験談4へ続く)
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